2016年 08月 28日 ( 1 )

京都錦秋編(3):金地院(14.11)

 まずは金地院を紹介しましょう。もともとは室町時代に4代将軍足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺です。1605年、家康・家忠・家光の徳川三代に仕えて外交や寺社政策にたずさわった「黒衣の宰相」以心崇伝が、南禅寺の塔頭として現在地に移しました。そして家康の遺髪と念持仏を祀る東照宮、二つの茶室をそなえた数寄屋、徳川家の永久の繁栄を願う庭の設計を小堀遠州に依頼しました。その関与について、崇伝は日記『本光国師日記』に詳細に記しており、確実に遠州作と示し史料が残っているのはここのお庭だけだそうです。
 小堀遠州については、岩波日本史辞典から引用します。
小堀遠州 1579‐1647(天正7‐正保4.2.6) 江戸初期の大名、茶人。名は政一。号は大有宗甫。近江小堀村に生れ、1604(慶長9)父小堀新介正次の遺領備中松山1万2000石余を継承(のち近江小室に移る)。08年遠江守。江戸幕府の作事奉行、国奉行をはじめ、伏見奉行などの役職を歴任。茶の湯・造庭にすぐれ、茶は古田織部に師事、のちに3代将軍徳川家光の茶の湯指南。利休風のわび茶を基本にしながらも、東山時代以来の書院の茶を復活させて優雅な王朝文化の要素をとり入れ、<きれいさび>といわれる茶風を軸に、寛永文化の中心として活躍した。
 きれいさびのお庭と茶室、楽しみです。まずは弁天池をぐるりとまわりますが、紅葉の盛りは過ぎていました。無念。雨にしっとりと濡れた散りもみじは綺麗でしたが。東照宮を拝見して長い石段を下っていきます。降りたところにあった切石の飛石は、自然石をまじえた「遠州好み」の洒落た意匠でした。『京の庭の巨匠たち』によると"加工石(切石)の「真」、加工石と自然石の「行」、自然石の「草」"と言うそうです。さしずめ"行"でしょうか。
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 そして方丈の前にひろがる「鶴亀の庭」に着きました。広く敷かれた白砂の奥に、石組と刈込が配置された「鶴亀蓬莱様式」の枯山水です。中央には、仏教の三尊仏を三個の立石で現わした三尊石組、背の高い主石(中尊石)と背の低い添石(脇侍石)を配した構成です。不老不死の仙人が住む理想郷である蓬莱山に見立てています。長寿延年を祈願する亀島が左に、鶴島が右に配されています。力強さにあふれたバランスの良い石組ですね。端正で小ぶりな燈篭がよいアクセントとなって、全体の構成をぴりりと引き締めています。なお遠州の関わった庭には、花押のごとく必ず置かれる富士山石も灯籠の左手前にありました。以心崇伝を祀る開山堂へと続く、大きく曲がりながら打たれた飛石も印象的です。微妙に角度を変えて置かれた少々ふぞろいの切石に、遊び心を感じます。
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 石組の背後にわきたつようにもこもこと植えられた刈込が、石組の厳しい表情を和らげて、優しい雰囲気を醸し出しています。なお重森氏によると、日本庭園における植木の剪定は、夏の京都という高温多湿の場所で、庭園内が涼しげに見えるようにという理由で始まりました。これがのちに、木々を寄せて植え、ひとつの固まりにしたところ、茶畑のような美しさに見えることから大刈込という手法が生まれたそうです。
 なお小堀遠州は庭の細部にわたって設計・指図をしましたが、実際に仕上げた職人は後陽成天皇に「天下第一の名手」と絶賛された賢庭です。彼は醍醐寺三宝院も作庭しています。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2016-08-28 11:37 | 京都 | Comments(0)