2016年 09月 06日 ( 1 )

京都錦秋編(9):白河院庭園(14.11)

 それでは白河院庭園へと向かいましょう。湯豆腐屋に後ろ髪を引かれつつ南禅寺参道を歩き、琵琶湖疏水記念館のわきを通って十分ほど歩くと到着です。まずは入口にあった解説板を転記します。
白河院庭園
 本庭園の周辺は、かつて白河天皇が営んだ法勝寺の境内にあたり、白河院の名称は、それに因んで付けられたものという。
 庭園と建物は、当地が下村忠兵衛の所有となった翌年の大正8年(1919)に造られた。下村家は、明治から昭和にかけて呉服業を営んでいた家柄である。昭和33年(1958)に、現所有者の前身である私立学校教職員共済組合の宿泊施設となり現在に至る。
 庭園を手がけたのは7代目小川治兵衛(植治)である。昭和57年(1982)に洋館と和館の一部は取り壊されたが、庭園部分は殆ど改変を受けなかった。
 庭園の構成には、東山への眺望を活かしつつ和館の傍にクロマツの大木を配することで、敷地に遠近感を与えるなどの工夫が凝らされている。さらに、樹木の特性を熟知した植栽の配置、琵琶湖疏水から引かれた水流の巧みな取り扱いなど、植治による円熟の技が随所に現れており、貴重なものである。
 ん、ほっしょうじ? 受験用日本史で覚えた記憶がありますねpart2。手元にある『詳説 日本史B』(山川出版社)には"六勝寺:白河天皇の造立した法勝寺や堀河天皇の造立した尊勝寺など、院政期に天皇家の手で造営された「勝」のつく6寺をいう"とありました。So whatと言いたくなりますね、これを覚えることにどういう意味があるのでしょう、調べればすぐわかることなのに。市井の中年(老年?)歴史学徒としては、重箱の隅をつつくようなトリビアな知識を詰め込む苦痛で、歴史を嫌悪する若者が増えることが心配です。
 閑話休題、そうここはわが敬愛する小川治兵衛(植治)がつくったお庭です。『シリーズ 京の庭の巨匠たち 2 植治 七代目小川治兵衛』(京都通信社)から引用します。
七代目小川治兵衛-通称「植治」(1860‐1933)
 「水と石の魔術師」と評される卓抜した表現力と創造力をそなえた植治。その植治を支えたのは、京都の歴史が育んだ都市文化、なかでも人為・人工についての美的感覚ではなかったか。自然を打ち消し、再現することで都市が存在するなかで、自然を人為的・仮想的に表現する文化やアートは、京都においてさまざまに発展していた。絵画しかり、華道しかり、盆栽しかり。しかも、欧米の事情を視野に入れつつ行動する山縣有朋、伊集院兼常らの富裕政財界人と出会い、新しい時代の思潮、西欧的な暮らしを学んだ植治は異文化を知ることで逆に、京都の伝統文化にアイデンティティを求めた。自然なもの、素朴な表現、いわば田舎的な感覚から距離をおくことを洗練の尺度とした京都の美感-人工の美を庭の世界で突き詰めたのが植治ではなかったか。京都の都市民が共有する伝統文化と変革の明治という時代的要請とが融合した姿、それが植治の庭だといえようか。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-09-06 06:40 | 京都 | Comments(0)