2016年 09月 10日 ( 1 )

京都錦秋編(12):清水寺・清閑寺(14.11)

 ところどころに散り残る紅葉を写真におさめて、それでは清水寺に行きましょう。門前までは乗りつけることができないので、茶碗坂の手前でおろしてもらいました。ここでタクシーとはお別れです。さすがは清水寺、茶碗坂のあたりから大混雑です。ど派手なレンタル和服を着た外国の方が多いですね。そして入場料もとい拝観料を払って境内へ。紅葉はあらかた散っていましたが、奥の院から眺める清水の舞台はやはり絵になります。ライト・アップ雪景色と、いろいろな清水寺を見ましたが、やはり深紅の紅葉にうずもれる本堂を見てみたいものです。ばしゃばしゃと写真を撮っていると、近くにいたタクシーの運転手さんがお客さんに世間話をしていました。この年は大雨によって嵐山近辺が大きな被害にあったのですが、ここ清水寺もひどかったそうです。なるほど、歩いていると、その爪痕が目につきました。でもそこにきっちり桜を植えていたのは、さすがしたたかな清水さん。そのリカバリー力は見習いたいものです。
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 実はお目当ては清水寺の奥にあるという清閑寺という古刹です。人知れずたたずむ紅葉の穴場という情報を得ましたので、行ってみることにしました。奥の院をさらに先に進み、子安塔を右手に見ながらさらに歩くと、清閑寺へ通じるゲートがありました。ここを抜けてさらに数分歩くとお寺へとのぼる、散り紅葉きれいな石段に着きました。ここをのぼりきると清閑寺です。解説板によると、真言宗智山のお寺で、ここから清水寺までの山路は「歌の中山」と呼ばれる桜・紅葉の名所だそうです。また、平家物語に綴られた高倉天皇と小督局(こごうのつぼね)の悲恋ゆかりの寺としても知られているようです。私は知りませんでしたが。後学のために紹介しますと、平清盛の娘を中宮とする高倉天皇に寵愛されたため、清盛の怒りにふれた小督局はこの寺で出家させられたと伝えられています。天皇は深く心を痛め、自分が死んだら局がいるこの寺に葬るよう遺言を残し、二十一歳の若さでこの世を去りました。局は生涯にわたり天皇の菩提を弔ったそうです。なるほど。
 ほんとうに小さなお寺さんですが、観光客は皆無で境内は静寂につつまれていました。散りかかっているとはいえ、紅葉も数多くあるので盛りの頃はさぞや素晴らしいことでしょう。再訪を期したいですね。境内にあった大きな石からは扇を広げた形で京都市内を一望でき、ちょうど扇の要にあたるので「要石」と呼ばれています。
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 また"黒田清輝「昔がたり」"という解説板、およびその絵のコピーがあったので転記します。
 「昔がたり」の着想を得たのは帰国直後の京都旅行(1893年)のことであった 清水寺付近を散策していて高倉天皇陵のほとりで清閑寺に立ちより寺の僧が語った小督悲恋の物語を聞いたとき黒田清輝は現実から離脱するような不思議な感動におそわれたという 作品は清閑寺山門から高倉天皇陵中山道を背景に描かれ1898年に焼失してしまった 現在図の全体を知るにはこの下絵しかない
 どこかの展覧会で見た記憶のある印象的な絵ですが、ここが舞台だったのですね。

 本日の五枚、上二枚が清水寺、下二枚が清閑寺です。
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by sabasaba13 | 2016-09-10 06:32 | 京都 | Comments(0)