2017年 02月 10日 ( 1 )

虐殺行脚 千葉編(12):高津観音寺(16.9)

 軍隊が無辜の朝鮮人を村人に引き渡して、殺させたわけですね。自らの手を汚さず、民族主義者・社会主義者など厄介な朝鮮人を村人に始末させて、責任をなすりつけたのでしょう。これまで縷々述べてきた虐殺のことを考えるにつけ、当時の日本が、底無しに下劣な国であったことを痛感し恥ずかしく思います。そして虐殺の全貌と真相を調査せず、その原因を明らかにせず、加害者の責任を認めず、謝罪もしない現在の日本も。
 朝鮮人虐殺はなかったという方も時々いらっしゃいますが、その気持ちは痛いほどわかります。きっとそうした日本という国の下劣さを認めるのが、身を切るほど辛いのでしょう。軍・警察・民衆が無辜の異民族を大量に虐殺し、その責任を認めず、謝罪もせず、忘却に淵に沈めようとしている下劣な国だと。でも、反省しなければまた繰り返すのが人間の性、その兆候があらわれているのに危惧の念を感じます。「悪いことをしたら、それを認めて謝る」、子どもだってわかるごく基本的な道徳なのに。

 なお朝鮮風の鐘楼の由来については、千葉県議会議員・丸山慎一氏のサイトでわかりました。1983年、関東大震災を素材にした映画を作るためにこの地域を訪れた韓国の文化人が、同胞の霊を供養するために韓国で募金を集めて、韓国でつくられて日本に運ばれたそうです。その建立文が紹介されていたので、引用します。
 1923年9月の関東大震災の際に、無残に死んでいった韓国人の魂を慰めるために、ここに高津観音寺の境内に普化鐘楼を建て、この慰霊の鐘を奉献した。
 韓国13の市・道の土を集め、韓国の瓦と木材、そして韓国式丹青で真心をこめて建てたこの鐘楼は玄界灘を超えて、いまこの場所に立っている。
 あのむごたらしく暗い歴史は、あの日の悲鳴とともに埋められてしまい、魂はそのままにされてきた。しかし、ここ観音寺の二代にわたる住職が慰霊の塔婆を立て、また多くの市民グループが時刻の恥部を掘り起こす作業をすることにより、失われた歴史は再び明らかにされたのだ。
 いわゆる「朝鮮人襲撃」のうわさの虚構性も、記録するのもはばかられる狂気の真相も、半世紀が過ぎて再び世の中に姿を現した。
 しかし、現代の韓国人はその暗い歴史を憎みはしても、今日の日本や日本人をとがめたくはない。むしろ、歴史を正視し、その歴史の前に謙虚な日本の友人にありがたいとさえ思う。
独立40周年、韓日国交正常化20周年である今年、この小さな鐘をささげながら私たち現代の韓国人は感慨無量である。この習志野の野原の静かなこだまがすべての韓国人と日本人の胸に刻まれ、お互いに厚く手を取り合う震源になることを願いたい。
この鐘の音をともに聞きながら63年前の悲しい歴史をともに想い、その多くの犠牲者の痛みをもともに分かち合い、今日の韓日の相互理解を相互尊重をともに誓おう。
 この呼びかけに、私たちは何と答えればいいのでしょうか。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-02-10 06:37 | 関東 | Comments(0)