2017年 04月 30日 ( 1 )

『わたしは、ダニエル・ブレイク』

c0051620_8153447.jpg 先日、新宿の武蔵野館で、ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』を山ノ神と見てきました。まずは公式サイトから、あらすじを紹介します。
 イギリス北東部ニューカッスルで大工として働く59歳のダニエル・ブレイクは、心臓の病を患い医者から仕事を止められる。国の援助を受けようとするが、複雑な制度が立ちふさがり必要な援助を受けることが出来ない。悪戦苦闘するダニエルだったが、シングルマザーのケイティと二人の子供の家族を助けたことから、交流が生まれる。貧しいなかでも、寄り添い合い絆を深めていくダニエルとケイティたち。しかし、厳しい現実が彼らを次第に追いつめていく。
 まず、主人公ダニエル・ブレイクの人柄にいたく魅かれました。一本気で、職人肌で、権威・権力になびかず、他者を尊重し、ユーモア精神に満ち、困っている人を助けずにはいられない。英語にはこういう人物を表わす素晴らしい表現があります、そう、decentな人間です。例えば、隣人の黒人青年が生ゴミを出しっぱなしにすると、きちんと注意をする。市民としての義務を怠った者を注意するということは、相手を人間として認めているということですね。また遅刻をしたために福祉事務所から援助を断られた子連れのケイティを見るに見かねて、厳しく抗議をするダニエル。
 そしてこの映画のもうひとつの主人公が"官僚主義"です。複雑怪奇な規則を盾にして、弱者を苦しめる福祉行政の姿がきわめてリアルに描かれて印象的でした。理不尽にして残忍、まるでカフカの小説のようなそのやり口には嘔吐感するもよおします。なかなか通じない電話、インターネットによる手続きしか認めない硬直性、繁雑な手続き、相手を小馬鹿にしたような質問の数々。はじめは果敢に抵抗したダニエルですが、官僚制の厚い壁に阻まれやがて無力感に苛まれるようになります。こうした福祉行政の狙いは、もちろん福祉関連の経費をできるだけ削減することにあるのでしょうが、この映画を見ていてもう一つあることに気づきました。弱者の人間としての尊厳を破壊し、無力感と屈辱感を与え、コントロールしやすくすること。そして見逃していけないことは、その官僚主義の背後に大企業の存在があるということです。『〈帝国〉と〈共和国〉』(青土社)の中で、アラン・ジョクス氏はこう述べています。
 国民国家から剥奪された主権は、人民からも事実上剥奪される。今日、主権は「官僚」ではなく企業の手にある。企業という組織が従うのは、どこの土地にも属さず、目先の利益しか追わない金利生活者と、誰にも従うことのない銀行だ。誰もが口にしてやまない、経済「グローバル化」とは、実際には、政治を無に帰することにほかならない。人民主権から主権を奪い、旧体制的な国際貴族に戦利品を与える混沌状況を生み出すことがその手口だ。(p.265)
 大企業と官僚が結託して利益と権力を最大化するために、個人の尊厳を破壊する仕組み、村上春樹氏にしたがってこれを"システム"と捉えましょう。この映画は、systemとdecencyの、壁と卵の闘いを描いた傑作です。

 特に印象に残ったシーンが二つありました。
 二人の幼子を抱え、援助も受けられずに貧困の淵に追いこまれたケイティが、食料品が支給されるフードバンクで、空腹のあまりに無意識にそこに置いてあった食品をむさぼり食べ、気がついて泣き崩れるシーン。ダニエルは「君は悪くない」と慰めます。
 もう一つは、心が折れたダニエルが家に閉じこもっていると、ケイティの幼い娘が訪れて「あなたは私たちを助けてくれた。だから今度は助けさせて」と告げるシーン。ともに涙腺がちょっと決壊しました。

 購入したプログラムに掲載されていたケン・ローチ監督へのインタビューを紹介します。
―この映画は社会の不正義を糾弾しつつも、ユーモアも交えて描いています。

 ダニエルとケイティが直面する問題は英国だけではなく、多くの国で起きています。細かい違いはあっても、どこの国でも問題の根幹は同じ。官僚主義です。生活が困窮した人が、必死の思いで福祉事務所に助けを求めても、官僚主義が立ちはだかる。官僚主義は非効率的ですが、それには理由がある。庶民に無力感を与えるためです。冷酷に、貧困の原因は自己責任だと追いつめる。あなたに仕事がないのは、あなたが悪いんだと責め、とても屈辱的な思いをさせるんです。ダニエルは、非常にばかげた質問をされる。最初は、ばかばかしいことを聞かれると、笑ってしまいます。しかししばらくすると、絶望的な気持ちになり、最後にはみじめになり、破壊的になり、心が壊れてしまう。つまり最初はとても笑えるけれど、悲劇に終わるんです。

―その過程はこの映画そのものですね。

 そうなんです。始まりは、笑えるほどばかばかしい。官僚主義というのは、庶民を無力にすることが目的です。きちんと国や自治体に税金を払ってきて、真面目に生活してきた人が、助けが必要な時、支援を受けるのは当然です。ところが、いざ助けを求めると拒否され、責められてしまいます。

―この映画では貧困問題を客観的な目で描くのではなく、とても主観的に描いていますね。当事者である主人公が声をあげます。

 そうしなくてはならないと思ったからです。大きく声を上げねばならない。他人事ではない、自分たちの問題だと認識してほしいんです。日本も英国も、戦後、誰もが病気になったら適切なケアを受けられる国民総保険をはじめ、社会福祉制度を充実させてきました。お互いを助け合う、敬う、文明的な社会だった。ところが、マーガレット・サッチャーが現れ、状況は一転します。「私は私の面倒を見るから、あなたはあなたで自分の面倒を見て」と自己責任を求めた。「もしあなたが失敗しても私には関係ない」という恐ろしい論理です。ところが1980年代にはそうした自己責任論が社会の主流になってしまった。この自己責任論が、それまで積み上げてきた社会を台無しにした代償は非常に大きい。恐ろしいことです。

―日本も状況は似ています。自己責任が当たり前となり、社会格差が進み保守的な考えを支持する若者が増えてきました。英国はEU離脱問題に揺れています。あなたはEUに残留するほうが安全だとカンヌの記者会見で言っていましたね。

 離脱も残留も、どちらも良い選択だとは思えませんが、残留したほうがまだましだと言えます。たしかにEUは問題を抱えています。EUは右派が台頭しており、ギリシャに対する扱いは最悪です。EUを抜本的に改革する必要があるのは確かです。しかし、英国がEUを離脱すれば、英国政府はもっと右傾化することになり、いかなる保護も受けられなくなるでしょう。労働者の賃金はより低くなる。そうなったら、英国社会は根底から崩壊します。これは悪魔の選択なんです。どちらかがより酷いか、という。しかしEUに残れば、他国の左派グループと連帯が取れる。その方がまだマシだと考えます。

―ダニエルやケイティのような弱者が生まれる今の社会は、まるで19世紀に逆戻りしたかのように見える時があります。

 それは大企業による意図的なものなのです。いかに利益を最大化できるかが、大企業の目的です。そのためには、安い労働力、安い原料で作った物をできるだけ高く売り、市場をできるだけ占有する。その仕組みを支えるために、税金を抑え、労働者保護などの規制をゆるくしてくれる政治家をサポートする。海外でより安い労働者を使えるなら、そちらに流れる。適正な賃金で適正な労働力を得ようとはしませんから、まともな人間は失業してしまいます。でも、それが大企業にとっては当たり前。そしてどれだけ儲かっても、もう十分とはなりません。ライバルが現れれば、売れなくなるから、さらに原価を下げて競争する。こうした仕組みが、政治家を動かし、貧困を生み出しているわけです。なにも悪徳政治家の話をしているわけではないのです。まあ悪い人かもしれませんが(笑)。でも、こうした仕組みを動かすのは、悪人とは限らない。それこそが問題の核心なんです。

―問題の解決方法は存在するのでしょうか。

 あります。共同でものを所有し、決断も共同でする。独占しようとしないこと。過剰な利益を追求せず、誰もが協力しあい、貢献し、歓びを得られるような仕組みを作り、大企業とは違う論理で、経済をまわしていくこと。それは、社会主義と呼ばれるものです。ここで言う社会主義は、旧ソ連のものとは違います。あくまで民主主義の上で成立する、社会主義なんです。

―そうあってくれればいいと思う一方、理想的すぎるようにも聞こえますが。

 ただ単にこの状況をサバイバルできる、というのならファンタジーでしょう。でも大企業は利権を手放そうとはしない。そのために彼らは自分たちに有利な政治家をホワイトハウスに入れ、EU議会に送り込んでいる。彼らをどうしたら止められるのかを考えなくてはなりません。

―映画では悲劇も起きますが、ケイティを通して希望も感じます。

 一歩踏み出せば、助けてくれる人は必ずいます。フードバンクのボランティアの人たちのように、あなたを助けてくれる人が必ずいるんです。
 「問題の解決方法は存在するのでしょうか」という問いに対して、すぐに「あります」と答えたところにケン・ローチ監督の見識を感じます。『私物化される世界』(ジャン・ジグレール 阪急コミュニケーションズ)の中で紹介されているのですが、ノーム・チョムスキーは、掠奪的なこのシステムが使う殺し文句は"TINA"だと指摘しています。つまり、"There is no alternative"(選択の余地はない)の略語です。いや違う、他の選択肢はあると、監督とともに抗いたいものです。

 なお気がかりなのは、システムや壁の側に立つ人びとが増えていることです。安倍上等兵内閣への支持、トランプ大統領の当選、フランスにおける国民戦線の躍進、そして移民・難民の排斥などの動きは、それを象徴するものだと思います。システムによって与えられた無力感と屈辱感、あるいは個人の尊厳の崩壊によるストレスを、強者の一員に連なることで解消しようとするのでしょう。いや、絶望はしません。『永続敗戦論』(太田出版)の中で、白井聡氏がこう述べているように。
 あの怪物的機械は止まる。なぜならそれは、われわれの知的および倫理的怠惰を燃料としているのだから。(p.185)
 追記です。同じような内容の傑作映画として『ブラス!』があります。
by sabasaba13 | 2017-04-30 08:16 | 映画 | Comments(0)