2017年 05月 03日 ( 1 )

『チェルノブイリの祈り』

 『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(スベトラーナ・アレクシェービッチ 岩波現代文庫)読了。
 最近、彼女の本を立て続けに読んでいます。まずは本書から、彼女の略歴を紹介しましょう。
スベトラーナ・アレクシェービッチ 1948年ウクライナ生まれ。国立ベラルーシ大学卒業後、ジャーナリストの道を歩む。民の視点に立って、戦争の英雄神話をうちこわし、国家の圧迫に抗い続けながら執筆活動を続ける2015年ノーベル文学賞受賞。
 福島の原発事故を、まるでなかったかの如く振舞う安倍伍長率いる自民党、官僚、財界、メディアを見るにつけどす黒い憂慮を憶えます。挙句の果てに、福島の方々に「自己責任」と暴言を吐く大臣も現われ責任を取らない始末です。暴言を重ねてやっと解任されましたが。
 福島の方々は、いまどういう思いなのか。そしてそれに先立つ事故に見舞われたチェルノブイリの方々は、いまどうしているのか。あらためて知りたいと思っていた矢先に出会った本です。本書は、普通の人々が黙してきたことを、被災地での丹念な取材で聞き取ったドキュメントです。
 「あとがき」で、訳者の松本妙子がアレクシェービッチの発言を紹介されているので、引用します。彼女の立ち位置がよくわかります。
 わたしはチェルノブイリの本を書かずにはいられませんでした。ベラルーシはほかの世界の中に浮かぶチェルノブイリの孤島です。チェルノブイリは第三次世界大戦なのです。しかし、わたしたちはそれが始まったことに気づきさえしませんでした。この戦争がどう展開し、人間や人間の本質になにが起き、国家が人間に対していかに恥知らずな振る舞いをするか、こんなことを知ったのはわたしたちが最初なのです。国家というものは自分の問題や政府を守ることだけに専念し、人間は歴史のなかに消えていくのです。革命や第二次世界大戦の中に一人ひとりの人間が消えてしまったように。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことがたいせつなのです。(p.302~3)
 "国家の恥知らずな振る舞いを歴史の中に消さないよう、個々の人間の記憶を残す" 彼女の仕事の真髄はこれに尽きるでしょう。例えば…
セルゲイ・ワシーリエビッチ・ソボリョフ
 国は詐欺師ですよ、この人たちをみすててしまった。(p.146)

ゾーヤ・ダニーロブナ・ブルーク
 私はすぐにはわからなかった。何年かたってわかったんです。犯罪や、陰謀に手をかしていたのは私たち全員なのだということが。(沈黙) (p.189)

 人間は、私が思っていた以上に悪者だったんです。(p.189)

 ひとりひとりが自分を正当化し、なにかしらいいわけを思いつく。私も経験しました。そもそも、私はわかったんです。実生活のなかで、恐ろしいことは静かにさりげなく起きるということが。(p.190)

ビクトル・ラトゥン
 わが国の政治家は命の価値を考える頭がないが、国民もそうなんです。(p.214)

ワシーリイ・ボリソビッチ・ネステレンコ
 私は人文学者ではない。物理学者です。ですから事実をお話ししたい。事実のみです。チェルノブイリの責任はいつか必ず問われることになるでしょう。1937年〔スターリンによる大粛清〕の責任が問われたように、そういう時代がきますよ。五〇年たっていようが、連中が年老いていようが、死んでいようが、彼らは犯罪者なんです! (沈黙) 事実の残さなくてはならない。事実が必要になるのです。(p.237)

ナターリヤ・アルセーニエブナ・ロスロワ
 でも、これもやはり一種の無知なんです。自分の身に危険を感じないということは。私たちはいつも〈われわれ〉といい〈私〉とはいわなかった。〈われわれはソビエト的ヒロイズムを示そう〉、〈われわれはソビエト人の性格を示そう〉。全世界に! でも、これは〈私〉よ! 〈私〉は死にたくない。〈私〉はこわい。チェルノブイリのあと、私たちは〈私〉を語ることを学びはじめたのです、自然に。(p.253)
 事故を隠蔽し被災者に救いの手を差し出そうとしない恥知らずな政府、その政府を支持する人びと、あるいは事故について知ろうとしない/考えようとしない人びと。それらに対して血を吐くような言葉を紡ぐ一人の人間。そう、まったく他人事ではありません。そしてこうした声は、聞く耳がなければ虚ろに宙に消えてしまいます。せめてその耳になろうと思います。チェルノブイリの方の声を、福島の方の声を聞こうとする耳に。

 追記。いまだノーベル文学賞を受賞していない(私にはどうでもよいことですが)村上春樹氏が、2009年2月にエルサレム賞を受賞した時のスピーチも彼女の発言に共振しています。
 もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。(中略)

 さて、このメタファーはいったい何を意味するか? ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です。
 しかしそれだけではありません。そこにはより深い意味もあります。こう考えてみて下さい。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。
 壁といっしょになって卵を割ろうとする卵も増えているのが気がかりです。やれやれ。
by sabasaba13 | 2017-05-03 07:14 | | Comments(0)