2017年 05月 07日 ( 1 )

『ボタン穴から見た戦争』

 『ボタン穴から見た戦争 白ロシアの子供たちの証言』(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ 岩波現代文庫)読了。
 裏表紙の紹介文を引用します。
 1941年にナチス・ドイツの侵攻を受けたソ連白ロシア(ベラルーシ)では数百の村々で村人が納屋に閉じ込められて焼き殺された。約四十年後、当時15歳以下の子供だった101人に、戦争の記憶をインタビューした戦争証言集。
 『戦争は女の顔をしていない』は女性の眼から見た戦争でしたが、本書は子供の眼から見た戦争です。子供の眼に焼きつけられた残虐非道な戦争の実相に息を呑むとともに、子供たちを体を張って守り、人間らしく育てようとするベラルーシの人びとの姿に感銘を受けました。そして"過去を忘れてしまう人は悪を生みます。そして悪意以外の何も生み出しません"(p.5~6)と述べるスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの姿勢に、そうした惨劇を二度と繰り返さないためにも過去を記憶に留めなければいけないという強固な意志を感じました。安倍上等兵にぜひ読んでいただきたい本です。
ヴォロージャ・コルシュク 六歳
 お金はいらない。辛い時には人間らしい同情や尊敬の念はどんなお金よりも得がたいものだと。このことは忘れられない。(p.79)

エドゥアルド・ヴォロシーロフ 十一歳
 何の理由もなく誰かをなぐっていいなんて理解できなかった。(p.88)

マーシャ・イワノワ 八歳
 おばあちゃんは、家の中で、嘆いていました。「神はどこにいるの、どこに隠れちまったのさ?」 (p.106)

ファイナ・リュツコ 十五歳
 私はどこかに遠のけられた。それからまず子供たちが撃ち殺されるのを見たんです。撃ち殺して、親たちがそれを見て苦しむのを観察しているんです。私の二人の姉と二人の兄が殺されました。子供たちを殺してしまってから、親たちに移りました。女の人が乳のみ児を抱いて立っていました。赤ん坊は瓶で水をすすっていました。奴らはまず瓶を撃ち抜いて、次に赤ん坊、そのあとでお母さんを殺したんです。
 私は気が狂ってしまうと思いました…私はもう生きていけない、と…どうしてお母さんは私を救ってしまったのでしょう? (p.135)

タイーサ・ナスヴェトニコワ 七歳
 44年の末に初めてドイツ人の捕虜を見ました。大きな隊列を組んで歩いて行ったのです。驚いたことに、人々がその隊列に近寄ってはパンをあげたりしていました。私はあんまりびっくりしたので、お母さんが仕事をしているところへ行って、きいたほどです。「どうして、ドイツ人にパンをあげるの?」 お母さんは何も言わないで、泣き出しました。(p.141)

リーダ・ポゴジェリスカヤ 七歳
 でも、私と妹と弟、三人とも成長して、高等教育をうけました。私たちは意地の悪い人になりませんでした。もっともっと人々を信じ、もっと愛するようになりました。それぞれに子供があります。お母さんは一人の力ではこんなふうに私たちを育てることはできなかったでしょう。私たち、戦中の子供は、皆が大切に、育てあげてくれたのです。(p.146)

リーリャ・メリニコワ 七歳
 とてもかわいがってくれて、行儀も教えてくれました。こんなことがありました。「だれかにごちそうしようという時、チョコレートの袋から一つ取り出してあげるのではなく、袋全部をすすめなさい。もらう方は、袋全部をもらわないで、そこから一つとるのです」という話がありました。この話があった日、一人の男の子が欠席していました。ある女の子のお姉さんがやってきて、チョコレートを一箱くれました。この女の子-孤児院で育った子-がそのチョコレートの箱を男の子のところに持っていくと、男の子はそれを箱ごともらってしまいました。私たちはどっと笑いました。その子は困って、きくんです。「どうすればいいのさ?」「一つだけとるのよ」と教えられて、その子は気がつきました。「どうして一つしかとっちゃいけないか分かるよ、僕が全部もらっちゃうとみんなのがないからでしょう?」 そう、ひとりだけでなく、皆が楽しくなるようにと教えられたんです。(p.198)

ワーシャ・シガリョフ‐クニャーゼフ 六歳
 大尉は僕に長いこと説明した。「子供は皆いい子なのだ。何も罪はない。戦争が終わった今、ロシア人の子もドイツ人の子も仲良くするのだ」と。(p.255)

訳者あとがき 三浦みどり
 101人の子供たちの話を聞いて、あの国に101人の知り合いができたように感じていただけれることを祈り、どこかの国の人々のことを自分のことのように気遣うことができるというその感覚が、次々繰り出されてくる軍事的な暴力に対する、確実で最終的な歯止めになることを静かに念じている。(p.347)
 気になったのは、アジア・太平洋戦争下において、日本の子供たちは戦争をどう見ていたのでしょうか。そして日本の大人たちは、子供たちを人間らしく育てようと力を尽くしたのでしょうか。後者については、管見の限りではそうではなさそうですね。日本版『ボタン穴から見た戦争』をぜひ読みたいところです。

 追記です。ソ連におけるドイツ軍の凄まじい蛮行が印象的ですが、『第二次世界大戦 1939-45』(アントニー・ビーヴァー 白水社)を読んでいたら、次のような記述がありました。
 (※1941年)6月6日には、ドイツ国防軍の悪名高き「コミッサール指令」が出ている。この指令には「捕虜の扱いにかんするジュネーブ条約」等々、いかなる国際条約の遵守も等閑視すべしと具体的に述べられていた。同指令とその関連規定は、ソ連の"ポリトルーク(政治指導員)"、すなわち軍内部の政治将校やソ連共産党の正規党員、ならびに破壊分子、男性ユダヤ人は、すべからくパルチザンと見なし、残らず射殺すべしと要求していた。(上p.384)

 スターリンは(※1941年)翌7月1日、クレムリンに復帰した。みずからマイクの前に立ち、ソ連人民にむけたラジオ演説をおこなった。かれは直感の赴くまま、人心を見事に掌握してみせた。スターリンはまず「同志、市民、兄弟姉妹のみなさん」と語りかけて、聴取者たちを驚かせた。クレムリンの主が、人々に対して、家族の一員のような挨拶をした例はこれまで一度もなかったから。続いて、この全面戦争においては、焦土作戦を実施し、なんとしても祖国を守らなければならないと呼びかけた。ナポレオン相手の「1812年祖国戦争」の記憶をかき立てる意図がそこにはあった。ソ連人民は、共産主義のイデオロギーなどよりも、愛する国土のためにこそ、命を投げだす可能性がはるかに高いことを、スターリンは熟知していた。この種の愛国主義は、過去の戦争によって形成されたものであり、ゆえに今回の侵略においても、国民のそうした熱き想いをかき立てることは可能であるとかれは踏んでいた。現在の壊滅的事態を、スターリンは隠し立てすることなく国民に伝えた。ただ、その責任の一端が自分にあることはオクビにも出さなかった。スターリンはまた、"民兵大隊"の創設も命じた。大した装備も与えられず、大砲の餌食になることがほぼ確定した素人の集まりだ。かれら"民兵"たちに期待されたこと、それはその肉体をもって、ドイツ装甲師団の進捗スピードを遅らせる-ただその一点だった。
 「焦土作戦」を実施すれば、民間人が戦闘に巻きこまれ、悲惨な目に遭うことは必定だったけれど、そんなことはスターリンの眼中にはなかった。かくして避難民は、それぞれの集団農場から、家畜を追い立てつつ、個々別々に逃避行を開始した。ドイツの装甲師団に追いつかれまいと、当人たちは必死だったけれど、およそ無駄な努力だった。(上p.395~6)

 スターリンは民間人に対しても、いっさい同情しなかった。ドイツ軍が「老人、女性、母子」などを人間の盾につかったり、あるいは降伏を呼びかける使者にもちいたなどという話を耳にすると、ならばいっそのことそいつらに銃弾を浴びせてやれと命じている。「余計な感傷は無用-それが私の答えだ。敵と共謀するものは、病人だろうが健常者だろうが、ただちに粉砕せねばならない。戦争とは本来、容赦のないものであり、弱みを見せたもの、動揺に身を委ねたものが、真っ先に敗れ去るのだ」。(上p.412)

 占領した大地に入植民を送り込み、「エデンの園」を築くというのがヒトラーの基本構想だった。だが、パルチザンの"跋扈"は当然ながら、そこに自分の土地を得て、楽園づくりに勤しむ可能性のあるドイツ人や"フォルクスドイチェ(民族ドイツ人)"の意欲を削ぎ、結果、構想は足踏み状態となった。国境の東方、そこにドイツ民族のための"レーベンスラウム(生存圏)"を建設するという一大構想を実現するには、「浄化」された土地と、徹頭徹尾、従属的な小作人階級という二つの要素が不可欠だった。予期されたことではあるけれど、ナチによる"匪賊討伐"は、しだいにその残酷の度を強めていった。パルチザンの襲撃があると、その周辺の村々が「復仇」の名のもとに焼き尽くされた。取っていた人質は処刑された。パルチザンに手を貸したと見なされた若い女性や少女たちが、敢えて公開の場でつるし首にされるなど、とりわけ人目を引くような、限度を超えた処刑方法も実施された。だが、報復行為が苛酷になればなるほど、当然ながら抵抗への決意もそれだけ強くなった。ソ連のパルチザン指導者は多くの場合、侵略者への憎悪をいっそうかき立てるため、ドイツ側の報復を招くことをあえて狙って、意図的挑発をおこなったりもした。まさに、慈悲の心とは無縁の「鋼の時代」が到来したのである。紛争の当事者たる独ソの両国家にとって、いまや個々人の生活などはなんの価値もなくなってしまった。特にドイツ人の目に、その個々人が"ユダヤ人"として映っている場合は、尚更である。(上p.425)
 ドイツ軍による「コミッサール指令」と「人間の盾」、ソ連による「焦土作戦」と「民兵大隊」。やれやれ、やはり悪魔に鏡を突きつけねばなりませんね。
by sabasaba13 | 2017-05-07 07:21 | | Comments(0)