2017年 08月 30日 ( 1 )

不染鉄展

c0051620_6205432.jpg 先日、吉田博展を見て、いたく感銘を受けたことは拙ブログで報告しましたが、その際にこれから開かれる展覧会のチラシを何枚かいただきました。食指を動かされたのが、「鈴木春信展」(千葉市美術館)、「長沢芦雪展」(愛知県美術館)、そして「不染鉄展」(東京ステーションギャラリー)です。ふ・せんてつ? ふせん・てつ? 恥ずかしながらはじめてその名を聞きました。ただチラシに載っていた絵に眼を引き付けられました。威厳ある富士とそれを取りまく村々を鳥瞰して描いた「山海図絵」、陸に打ち上げられた巨大な廃船を描いた「廃船」、一台の古ぼけた自転車を描いた「古い自転車」。心がざわつくような不思議な、そして魅力的な絵です。いったいどういう方なのでしょう、興味をひかれて先日東京ステーションギャラリーに行ってきました。

 まずはチラシにあった展覧会の概要を転記します。
 不染鉄(ふせん てつ)を、ご存じですか。
 不染鉄(本名哲治、のち哲爾。鐵二とも号する)は、稀有な経歴の日本画家です。日本画を学んでいたのが、写生旅行先の伊豆大島・式根島で、なぜか漁師暮らしを始めたかと思うと、今度は京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学。才能を高く評価されながら、戦後は画壇を離れ、晩年まで飄々と作画を続けました。これまで美術館で開かれた回顧展は、21年前の唯一回だけ。画業の多くは、謎に包まれてきました。
 その作品も、一風変わっています。富士山や海といった日本画としては、ありふれた画題を描きながら、不染ならではの画力と何ものにもとらわれない精神によって表現された作品は、他のどの画家の絵とも異なり、鳥瞰図と細密画の要素をあわせ持った独創的な世界を作り上げています。不染は「芸術はすべて心である。芸術修行とは心をみがく事である」とし、潔白な心の持ち主にこそ、美しい絵が描けると信じて、ひたすら己の求める絵に向きあい続けました。
 東京初公開となる本展では、代表作や新たに発見された作品を中心に、絵はがき、焼物など約120点を展示し、日本画家としての足跡を、改めて検証するとともに、知られざる不染鉄作品の魅力を探ります。
 8月某日、東京駅北口にあるステーションギャラリーへ。初期の作品群から、魅了されてしまいました。山のふところに、海辺に、林の合間に、雪の中に、静かに佇む数件の家々。ときどき部屋の中にいる人影が見えるだけで、人の営みはほとんど描かれていません。しかし何と静謐で満ち足りた絵なのでしょう。人間は一人の個人としては生きていけない、家々=共同体に包まれながら自然に生かされているのだ、という作者のメッセージを感じます。
 そして画業が円熟するにつれて、彼の想像力の翼は大きくはばたいていきます。前述した「山海図絵」、「廃船」、波間にただよう一艘の船を描いた「孤帆」、薬師寺東塔や奈良の古寺をモチーフにした連作。中でも、私が大好きになった絵が二つあります。
 まず「海」(1975)。上部には岩場の海岸が描かれますが、絵の大半は紺碧の海です。深さを増すにしたがって色濃くなる海の中を、楽し気に遊弋する大小さまざまの魚たち。そして魚たちと戯れるかのように、海の中に茅葺きの家々が数軒建ち並んでいます。海と魚と共存する人間の共同体、何とも幻想的であたたかい絵です。
 もう一つは「古い自転車」(1968)。何の変哲もない、古びた自転車が描かれているだけの不思議な一枚です。なお申し遅れましたが、彼自身の朴訥な字で、絵にコメントがつけられている絵があるのも彼の特徴ですが、これもその一枚。こう記されています。
長いあいだ苦労したんだろうねえ。雨の日風の日色々の事があったんだろうねえ。此頃はピカピカの自転車の走るあいだをふらふら心細そうに走るのかねえ。こいつ何だか私に似てるよ。私は七十八だよ、いくらかふらふらだよ。君も少しさびてところどころはげているが私もはだかになれば君と同じさ。友達だねえ。これをかいていると色々思ひ出すねえ。春の櫻や夏の月やそれからそれとつきないねえ。今は冬の枯野かなあ。淋しいけれどこれもいいぜ。身にしみるなあ。仲よくしようよ。

文化館の展覧にお前をだしてやる 色々な人がお前を見るぞ。恥しくはない、恥しいのはきれいに見えるうそだ。お前よく知ってるだろう。眞實こそ天人ともに美しい。これをかいてるうちに信念のようなものが燃えてくる。うれしいなあ。何だかお前と俺とは一つものか自轉車と俺は同一人か。
 そして額縁にも、絵が描かれ、自らの一生をふりかえるコメントが記されています。
明治廿四年六月十六日東京市小石川区光円寺に生れる いてふ寺とも言はれる 秋になると黄色い落葉が雪吹のようになる 小學三年の時生れてはじめての船に乗せられ、房州富浦の漁村 西光寺へ行く 途中風雨はげしくとても恐ろしかった。
東京から来た児だと大事にされ あばれるので少しあきれられる
ようやく中學を卒業する。田端の山田敬中先生の門下生になる 父死ぬ。勉強する気になる。小さい展覧會に賞をもらふ。
廿四の時美術院研究生となる。女を知り身を持ちくずす。人間の淋しさを深く知り、一切のうそをやめようと思うようになる。中々できない。画がわかり始める。
廿七の春伊豆大島に渡る。三年を夢のようにくらす 画かきになりたいと思ひながら漁師の手つだいとなる 楽しい。
廿九の春花の京都へ来る。帝展入選。丗の時美校へ入學。潮風荒い大島の漁師から美しい美術學生となる
首席卒業となる 答辞を讀む 夢ではない。心配をかけたよ父よ母よ先生よ ほんとに一番だよ。これだけで生れた甲斐があったねえ。

戦後正強高校の校長を七年余やる。
校舎より生徒が大事だと思った。

西之京に住む
雪の北国
春の信州
南の国 みかんの丘の港
楽しい思出はつきない。こんな年?生きる。
美しい心のいい人にならなければねえ
七十四の時ここに住むようになる。まあ門番だねえ 役に立たない。とても静かでいい家だ。何不自由なくとても倖せだ。相野様では何の役にたたぬ私をとても大事にしてくれる この画は今ここでかいている 七十八の暮である 人生終りに近い。我まま一パイにくらしてきたのにこんなに倖せになる そこで此の作品は相野様に保存していただく。

昭和四十三年十二月二十九日 不染鉄
 文中にある"人間の淋しさ"という言葉が、彼の作品を理解するキーワードだと思いました。人間は淋しい、一人では生きていけない。だから縁者や知人と寄り添って村や町をつくり、自然や動物や植物と心を通い合わせながら生きていくものだ。あるいは、自分たちが精魂込めてつくった物、例えば古い自転車とも交感しながら。それが人間の幸せだ。彼の絵から、そうした懐かしくあたたかい思いを感じました。
 もう後戻りはできませんが、かつてこうした暮らしがあったのだと、素晴らしい絵として残してくれた不染鉄氏に感謝します。
by sabasaba13 | 2017-08-30 06:21 | 美術 | Comments(0)