2017年 09月 01日 ( 1 )

沢田教一展

c0051620_6211113.jpg 先日、髙島屋日本橋店で開かれていた「写真家 沢田教一展 -その視線の先に」を、山ノ神と一緒に見てきました。到着したのは開店五分前、地下入口前に年配の方々がたくさんおられて待っているのには驚きました。そしてうら若き女性店員さんが、一本の赤い薔薇を手にして登場。さては一番乗りのお客さんに進呈するのかなと思ったのですが、なにやら前口上を述べて薔薇とともに立ち去りました。
 ま、それはさておき、8階ホールに行き、写真展を鑑賞しました。まずはチラシのサマリーから転記します。
 1965年からベトナム戦争で米軍に同行取材し、最前線で激しい戦闘や兵士の表情などを数多く写真に収めた写真家、沢田教一(1936-70)。輝かしい実績を残し、「安全への逃避」でピュリッツァー賞を獲得しています。沢田の写真に通底するのは、優しい眼差し。疲れ果てた名もなき兵士はうずくまり、家を追われた罪なき市民は荷物を抱え、故郷・青森の貧しい漁民には寒風が吹きすさぶ…、しかし皆、かすかな希望を頼りに強く懸命に日々を生きていました。その「希望」こそ、沢田が追い続けた被写体だったのではないでしょうか。妻・サタさんをはじめ関係者の証言を紡ぎながら、34歳で殉職した沢田の業績をたどります。
 ベトナム戦争を報道したカメラマンとして、沢田教一、石川文洋、岡村昭彦、一ノ瀬泰造の名を知っていましたが、中でも沢田による、水の中を逃げ惑うベトナム人母子を撮影した一枚「安全への逃避」が心に残っています。その彼の代表作が一堂に見られるということで、期待してやってきました。

 まずは彼の故郷である青森や、カメラマンとして勤務した三沢の米軍基地を題材とした写真がならびます。彼は常々「そこに生きる人々を、そして風土を撮りたいんだ」(図録以下同p.357)と言っていたそうですが、それがよくわかりました。青森の厳しい風土と、そこで精一杯暮らす市井の人びと、沢田のあたたかい視線を感じます。幼子を背負った母が、粗末な木橋を危なそうに渡る写真を印象的でしが。この母子のモチーフはベトナムにおいてもよく撮影されます。彼が愛したモチーフだったのですね。
 さて青森・三沢とくると、気になるのが同世代の異才・寺山修司(1935-83)との関係です。妻・サタさんの記憶によると、沢田は寺山を鋭く意識していたようです。彼女の証言です。
 上京しUPI東京支局に職を得てからだから、1961(昭和36)年以降のことだ。サタは思い出す。「『年賀状を出したけど、寺山から返事が来ないなあ』と、沢田がさびしそうにポツッと言ったことがあるの。ずいぶんしょげてたから『あっちがペンで頑張っているのなら、こっちはカメラで対抗しなさいよ』と言ったのよ。UPIに勤めてからは生活のめども立ったし、余裕が出てきたころ。寺山さんの名前がグングン出てきたから、自分から連絡したんじゃないのかな」(p.371)
 そして上京しUPI通信に入社、ベトナムへと旅立つわけですが、図録によると、戦場カメラマンとして活躍していた岡村昭彦の影響を受けたようです。岡村の言です。
 おれはまっしぐらに戦場へゆくのだ。戦争の内臓を世界中の人類のまえにさらけだし、地球上からそれをなくすためにはどうすればよいのかを、一人一人に問いつめてやるのだ。(p.359)
 世界的名声を手にするという野心とライカM2と共に、ベトナムの戦場にやってきた沢田は、みごとな写真を撮りつづけます。まず会場に展示されていたのは、アメリカ軍兵士とその戦闘を撮影した写真の数々です。そのおそろしいほどの緊迫感と臨場感に圧倒されました。遮蔽物や戦車に身を隠す兵士、草むらに身を伏せる兵士、砲撃の中突撃する兵士… 毎日新聞特派員・徳岡孝夫が驚いたのは、沢田が、兵士たちが伏せている時に立ち上がり、兵士たちが逃げている時に、ただ一人立ちどまって撮影したいたことです。(p.384)
 そしてひとりの人間としての兵士が抱く、さまざまな感情や思いを、沢田のカメラは掬いとるようにフィルムに記録します。恐怖、不安、怒り、憎悪、絶望、自失、安堵… 図録の中に、アンリ・カルティエ・ブレッソンの言葉がありました。
 ひとの写真を撮るのは恐ろしいことでもある。なにかしらの形で相手を侵害することになる。だから、心遣いを欠いては、(写真は)粗野なものになりかねない。(p.360)
 思うに、彼の兵士に対する心遣いが、彼らの心の被膜をとりさり心底を露わにさせたのでしょう。ただ煙草を吸いながら「なぜ俺を撮る」と言わんばかりにレンズを、あるいは沢田を見据える兵士の写真が忘れられません。

 そして彼の写真の真骨頂は、被害者であるベトナムの人びとを写した写真です。米軍に捕らえられた解放戦線の兵士たちの不屈の面構えに、「侵略者を追い出し独立を守る」という強い意志を感じました。この戦争の目的が理解できない米軍兵士とは大きな違いです。
 胸をしめつけられたのは、ベトナムの民衆を撮影した写真です。逃げ惑う母子、泣き崩れる老婆、命乞いをする女性、ナパーム弾で火傷を負った母親にしがみつく幼子、怯える子供。「この人たちにどんな罪があるんだ」という沢田の叫びが聞こえてきそうな写真の数々。その一方で、戦火の中でも、逞しく生きる人びとの姿も心に残ります。彼ら彼女ら、そして子供たちの素敵な笑顔! これもやはり彼の心遣いの賜物なのでしょう。

 会場には、愛用のライカとヘルメット、使用した食器など沢田教一の遺品も展示されていました。彼はクラシック音楽が好きだったそうで、プレーヤーと彼が愛聴したレコードもありました。彼を癒した曲は何だったのか、紹介します。ショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」(バーンスタイン+ニューヨーク・フィル)、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲(ルドルフ・ゼルキン)、ブラームス交響曲全集(カラヤン+ベルリン・フィル)です。

 命を賭けて戦争のおぞましさを撮りつづけ、そして平和な暮らしの尊さを訴えた沢田教一。忘れられない、忘れてはいけない写真家の一人です。戦争大好きおじさん/おばさんがごろごろいる昨今の日本、彼の写真をときどき思い出すことにしましょう。彼の言葉です。
 平和になったら、ベトナムを北から南までゆっくり撮影旅行したいな。ベトナム人の笑顔って最高なんだよ。(p.365)

 人間は戦場にいたら感覚がまひしてしまう。それが恐ろしいんだ。(p.384)

 戦争を教えるにしても、私自身が戦争を知らない。その本当の姿をわからせるのは、戦場の写真だけなのだ。(p.395)
 ベトナム戦争に関する書籍では、『パクス・アメリカーナの五十年』(トマス・J・マコーミック 東京創元社)と『ヘゲモニー国家と世界システム』(松田武・秋田茂編 山川出版社)がお薦めです。アメリカは、日本のためにベトナム戦争を遂行したという衝撃の事実を明らかにしています。ベトナム帰還兵が告白した『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(アレン・ネルソン 講談社)も素晴らしい。兵士の眼から見た戦争をリアルに感じ取ることができます。今、読んでいるのが『ベスト&ブライテスト』(デイヴィッド・ハルバースタム 朝日文庫)。ケネディが集め、ジョンソンが受け継いだ「最良にしても最も聡明な」人材だと絶賛されたエリート達が、なぜ米国を非道なベトナム戦争という泥沼に引きずり込んでしまったのか。賢者たちの愚行を、綿密な取材で克明に綴るベトナム問題の記念碑的レポートです。またベトナム戦争に関するポップスやロックも数多つくられましたが、ボブ・ディランとレオン・ラッセルの「戦争の親玉」と、ビリー・ジョエルの「グッドナイト・サイゴン」が出色の出来ですね。

 なおベトナムで戦った米兵たちの証言を集めた『人間の崩壊』(マークレーン著 鈴木主税訳 鶴見良行解説 合同出版)という恐るべき書があるのですが、残念ながら絶版です。この本を読むと、この戦争が、人種主義にもとづいたアメリカ政府と軍、そして戦場の兵士ぐるみの犯罪であることがよくわかります。今なおアメリカ政府は、この国家犯罪を認めていません。その結果、アフガニスタンやイラクで同様の国家犯罪を繰り返しているのでしょう。過ちを認めず、隠蔽し、謝罪もしないし責任もとらない。何と品格に欠けた国であることか。同じく国家犯罪を認めない日本が、アメリカの属国として尻尾を振るのも宜なるかな。いくつかの証言を紹介します。
 まず訓練からはじめることにする。明らかな証拠にうながされる結論は、海兵隊の基礎訓練が野蛮で、非人間的だということである。その訓練の目標は、個人の思想を能うかぎり卑小なものにし、若者を殺人機械の有効な歯車に変えることである。(p.9)

 ベトナムにいる兵士たちへ
 壁にかける野蛮人(クーン)の皮膚を持って帰還せよ。
 -リンドン・B・ジョンソン合衆国大統領の訓戒 (p.35)

リチャード・ダウ
問 君は、自分がなぜそこにいたのか知っていたか?
答 正直言って、わからない。聞かされていたのは、共産主義者の手からベトナム人を救うのだということだった。われわれはだれも救いはしなかった。ただ殺しただけだ。われわれはなぜあそこに派遣されたのだろう? 正直なところ、自分にはわからない。(p.46)

ピーター・ノーマン・マーティンセン
 戦争の場にほうりこまれ、その非人間性、蛮行、そしてとりわけ自分が助けるとされている人びとから憎まれていることが明らかな戦争に加わっていることからくる挫折感に触れれば、だれだって化物に変えられてしまう。ありとあらゆる面で、文字通りの化物になってしまうのだ。(p.165)

ジェームズ・D・ヘンリー
 とにかく、それらの民間人を殺すについては、何の理由もなかった。殺されたすべての民間人は、必要もなく殺された者たちだ。つまり、彼らを殺したところで、まったく意味がなかった。彼らは戦争とは何の関係もなかった。なぜなら、彼らはどちらの側からも殺されていたからだ。ベトコンに殺され、北ベトナム軍に殺され、アメリカ軍に殺され、南ベトナム軍に殺されるのだ。彼らこそが、困難な目にあわされている者たちだ。彼らこそが、逃げ出すわけにはいかない者たちなのだ。(p.174)

 こうしたすべてのことについての重要なポイントは、民間人を殺した兵隊たちには責任があるが、彼らにそんなことをさせないような訓練をしなかったという点で軍隊に究極の責任があるということだ。(p.177)

 だれについても口実はまったく存在しない。人種主義がその大部分を占めている。つまり、そのほとんどは、人種主義のせいだと思うんだ。純粋かつ単純な人種主義だ。ベトナム人は敵ではないからして、グックなのだ。彼らは白人ではなく、ただのグックなのだ。だれでも彼らよりは偉く、二等兵さえもそれより階級が上なのだ。彼らはちっぽけで、遅れていると考えられているが、それでも彼らは私にはできない多くのことをやってのける能力を持っている。とにかく、その理由のおおかたは人種主義なのだ。(p.178)

ビル・コンウェイ
 その男が終わると、別の兵隊が彼女を犯した。娘は悲鳴をあげた。兵隊は彼女を殴り、おとなしくしろと言った。娘は「チェウホイ」と言いつづけた。つまり降伏したいという意味だ。五人全部がその娘を犯すと、あとの二人が彼女を犯し、その間二人の者が残りの二人の娘に銃を向けて見張りをした。それから、その二人の娘についても同じことがくりかえされた。それぞれの娘が何度も強姦されたのだ。彼女らはその間ずっと泣き叫んでいた。強姦がすむと、GIたちの三人が投擲照明弾を取り出し、娘たちの性器につっこんだ。彼女らはその時には意識を失っていた。どの一人ももはや押さえつけておく必要がなかった。娘たちは口や鼻や顔、そして性器から血を流していた。そのあと、彼らは照明弾の外の部分をたたき、それは娘たちの身体の中に入っていった。胃袋が急にふくれあがったかと思うと、弾は身体の中で爆発した。胃袋が破裂し、内臓が身体の外に垂れ下がった。(p.182)

ジョセフ・グラント
問 ベトナム人の子どもを戦争から保護するために特別な配慮がはらわれていたか?
答 それは不可能だ。彼らは戦争の一部なのだから。(p.193)

ピート・シューラー
 圧倒的に、黒人がていよく利用されているという感情だったと思う。彼らは、戦場にいる自分たちの割合が、国にいる時よりもずっと高いということを知っていたし、自分たちが従軍しているたいていの白人よりも危険の大きい任務につかされているということを知っていた。あるいは少なくともそういう感情を抱いていたと思う。(p.202)

ゲイリー・ジャンニノート
 彼らは来る日も来る日もどこかへ出動させられ、何をしていいかわからぬままに、ベトナム人に矛先を向けるのだ。なぜなら彼らは、それらの人びとは劣っている、自分たちよりも遅れている、つまりただの東洋人だと教えられているからだ。(p.212)

ロバート・H・バウアー
 そのことで裁判にかけられるべき人間は、ニクソンであり、レアードであり、ジョンソンなのだ。それらの犯罪について告発されるべきは、わが国の政府の権力の座についている人びとであって、それを実際に遂行した人間ではないのだ。(p.233)

by sabasaba13 | 2017-09-01 06:22 | 美術 | Comments(0)