2017年 09月 10日 ( 1 )

関東大震災と虐殺 7

 もう一つ、どうしても付言しておかなければならないのは、当時の日本の民衆が置かれていた状況です。第一次世界大戦による大戦景気の後に起こった1920年恐慌は、企業の倒産・整理による多数の失業者を生み出しました。その結果、数多の労働争議やストライキが発生することになります。その一方で、1921(大正10)年の東京府の自殺者・自殺未遂者は1,286人(『読売新聞』 1922.7.22)。また中産階級や会社員・帝大卒業生にもこの不景気はおそいかかり、「サラリアート」(サラリーマンとプロレタリアートを結合した造語)という熟語ができるほどの社会問題となります。また「監獄部屋」「タコ部屋」に入って、虐待されながら土木工事・鉱山労働に従事する人も増加します。これに対して政府は、内務省社会課長田子一民が『東京日日新聞』(1920.8.18)で、「実に気の毒だとは思つてゐるが、私はまだこれに就て政府と何も相談してゐない」「最初から政府が救済する事は宜しくない。原則としては飽迄も個人の独立自営心に任すと言ふ事にしたい」と語っているように、原則的には救済を行わない考えでした。猫いらずと監獄部屋が、他人事ではない過酷な社会状況だったのですね。

 そしてこの時期の東京市民を、「日本宗教学の祖」と呼ばれる姉崎正治は、次のように観察していました。
 突撃衝動の極めて原始的の現れは、今日東京市中には到る所に見られる事実であつて、あの混雑した電車の乗降や車中で、他人につきのけられると、こちらもつつかつゝて、人々が互に突撃性を、断片的ながら、赤裸々に発露して居る。此の如き人間の突撃性発表は、たしかに本能的で天性に違ひないが、而かもそれを多くの人が赤裸々に発表するのは、無能な行政の結果、電車では人間が文明とか礼儀とかいふ天性の琢磨を維持することが出来ず、殆ど動物的状態に還元せられるから生ずる現象に外ならぬ。此の如きは人間の進化ではなく、動物への還元であり、電車を競ふ人々のぎとぎとした眼つきや身体の態度(特に頭部を先に立てて、脚が後になつて居る)は、人間の祖先が狐又はいたちと同じ状態の生活をして居た時の残留遺伝が、悪行政といふ境遇事情の下に再現して居るのである (「本能性の爆発とその整理」 『中央公論』 1921.5) (p.73~4)
 経済的苦境に加えて、当時の民衆に「突撃性」「動物的状態」といった心性が蔓延していたことがわかります。また震災が発生した1923年の前半、「暴力」あるいは「暴力団体」という言葉が世相をあらわすキーワードの一つでした。一つ例をあげると、1919年に内相床次竹二郎の肝煎で結成された任侠右翼団体の大日本国粋会が、この年の三月、水平社と奈良県磯城郡で大規模な衝突事件を引き起こしました(水国争闘事件)。差別事件に端を発するこの衝突には、日本刀や竹槍、鳶口、拳銃などで武装した両陣営の約千人が参加したと報じられています(『大阪朝日新聞』 3.19)。経済学者の林癸未夫は、「暴力の行使」によって「敵視する個人或は集団を膺懲し脅迫する」団体が、二、三年の間に急増し、世間の耳目を集める事件を起こし始めたことを指摘しています。
 「突撃性」や「暴力」が渦巻く社会状況の中で、なんらかのかたちで引火すれば、もっと激しい大爆発が起きる危険性が常にあったわけです。(⑫p.69~75)
by sabasaba13 | 2017-09-10 06:27 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)