2017年 10月 01日 ( 1 )

関東大震災と虐殺 17

 そして9月2日から3日にかけて、各地に在郷軍人会・消防団・青年団を基体とした自警団がつくられていきました。これにはさまざまなケースがあると思われます。自発的に結成されたもの、警察・役所などから推奨、あるいは要請されてつくられたものなどです。姜徳相氏は、権力側の主導を重視されています。以下、引用します。
 戒厳司令部は軍事行動を独自におしすすめる一方、積極的に一般市民を組織して一定の自衛力を創設しようと画策した。すなわち自警団設立の勧奨である。官憲は自警団を「不逞鮮人」の暴行、または流言の脅威に対処した自然発生的な民衆の自衛組織である、と主張してきた。
 しかし実際は、家財を焼失し飢餓に瀕した民衆の不平不満を恐れた官憲が、民衆の排外心から復讐心を引きずり出すべく組織した団体であった。民衆の不満をすりかえ愛国心に転化して、権力への風圧をそらし、一方で警視庁管下の六十余署の「巡査一万の中より四千余人の罹災者を出し、神奈川警察部も同じく多大の人手を失って殆どサーベルの影さえ見られぬ状態」となった(「関東自警同盟決議」『報知新聞』1923.10.23)警察権力の補完材料に利用しようとしたのが、自警団である。官憲が朝鮮人暴動などのあらゆる流言をとばし、一般市民の憤怒の感情を激発したことはくりかえしのべてきたとおりであるが、その憤怒を朝鮮人への憎悪と防遏の両面に誘導し、体現したのが、日本刀、竹槍、斧などで武装した自警団である。(①p.135)
 史料が残されていないため確言はできませんが、その可能性は充分にあり得ると思います。猟銃、日本刀、金剛杖、竹槍、鳶口などで武装した人びとが町の要所を固めだし、こうして9月2日から3日にかけて軍隊、警察と民兵の三位一体の戒厳体制が成立していきました。

 なお、姜氏は自警団成立の情景をなまなましく描写する史料を紹介されています。(①p.138~9)
 二日午後三時-四時と覚しきころ、小石川は…観樹将軍三浦梧楼子の上富坂観樹庵の広庭、驚愕と飢えと疲れとは日ごろの見えも外聞も何のそのどうとその身を叢の上、土の上に臥し構え、昏々死せる如く眠るもの、呻くもの、叫ぶもの、或ものは失いし財貨の事を話して、かえらぬ事に執着し、或ものは離散せし肉親の甲乙の身の上を気遣う…今はもう上空を廻旋せし午前の飛行機の事も夢幻の如く忘れ果てて、狂おしき許りの焦心であり、焦燥であった。併し乍ら、五尺の身を起して積極進取、自ら食をあさり歩き、とり出し得ざりし財物を持ち来り、失いし人を索める気力とては勿論有る筈は無かった。焦慮焦心は却て飢えと疲れとを強めゆく許り、やがて誰もぐったりと失望、絶望の淵に陥った如く、だんまり込んでしまう…。そうしたその時! 広庭の小高い所に立った、武装甲斐甲斐しい一在郷軍人らしい中年の男があった。突如破れ鐘のような蛮声が鮨づめの人の上にひびき渡った。その俄作りの馬糞紙のメガホーンは或る事を語った。死せる如く横たわっていた人々は忽ち別人の如くすっくと立ち上がった。その蒼白の顔面に凹ませて持つ瞳の輝きの如何に異様なりしよ、極度の緊張! その時、人々の口は死人の如くこわばり黙する。
 おそろしく引きしまった広庭のその時の空気!
 その空気をうちふるわして、メガホーンの蛮声は尚もつづけられた。
 在郷軍人は、云い終ると飛鳥の如く彼方へと駆け出していった。その後姿を瞬きもせざる注意に見送った人々は、其姿の彼方に消えると共に、漸く我にかえった様に、ホッと太息をついた。
 と忽ち怒涛の如きうなりが、どっと広庭一帯に起った。…呪いと恐怖と絶望とを一度に音に表した様なそのさざめきが…。
 しばらくすると、その雑音のすべてをかき消す『生命がけなる魂の絶叫』が起った。
 又してもざーっと魂のうなり-その雑音がひろがって来た。
 町内では忽ち、在郷軍人、青年団員、町内有志の連合になる自警団が組織せられる。避難民中の壮年の男も、今までの疲れと飢えとを打ち忘れたかの如く、進んでこれに参加する。殺気は暮近き敗残の町のすみずみにみなぎり、人々の神経は針の如く鋭く作用(はたら)きだした。この世を滅亡せしめる悪魔の劫火は、東の天をあかあかと彩ってゆく。余震尚やまざる裡に、恐怖の第二夜は近づいてくるのだ。
 自警団の人々は、町名しるしたる白布を右肩より左脇へ、頭は後鉢巻を甲斐甲斐しく、町の入口、町内の要所要所を、水ももらさぬ堅固さに固めていった (田淵厳 『大地は壊れたり』)

by sabasaba13 | 2017-10-01 08:30 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)