2017年 10月 10日 ( 1 )

選挙は買い物ではない

 いよいよ衆議院総選挙ですね。民進党のゴタゴタにつけこみ、「希望の党」の準備が整わないうちに、北朝鮮の脅威を煽って過半数の議席を獲得してモリカケ疑惑に蓋をするとともに、憲法・法律を無視してやりたい放題をしようとする安倍上等兵。あわよくば第二・第三・第四自民党と合わせて三分の二以上の議席を占めて憲法改正/改悪をしてしまおうという腹もあるでしょう。なんとも有権者を愚弄した姑息な手法ですが、これはそこまでなめられている有権者にも責任がありますが。

 さてこれまで安倍上等兵内閣がしてきた施策を整理しましょう。憲法違反の秘密保護法制・安保法制・共謀罪法制、沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設強行、秘密だらけのTPP交渉、安全を無視した原発の再稼働・輸出、福島の被害者に対する冷酷な態度、一般国民を苦しめる消費税増税、政府・官邸による恐るべき言論統制と情報操作などなど。アメリカ・大企業・経済的強者・自民党・官僚ファースト、経済的弱者の棄民と地方の切り捨て、過半数の議席を得た政権は万能であり批判は許さないという傲岸な姿勢、といったところでしょうか。よってこの政権を支持するのは、恩恵を与えられる1%(ぐらいかな)の経済的・社会的強者だと思うのですが、現実はさにあらん。何故、強者でない99%(ぐらいかな)の方々がこの政権を支持しているのでしょうか。自分を含めた弱者を切り捨てることが経済発展と国力強化に資すると考えているのか、「他の政権よりもまし」という理由にもならない理由なのか、はたまた中国・韓国・北朝鮮への強気な姿勢に惚れこみ自分も強くなった気でいるからか、よくわかりません。いずれにせよ、この阿漕で姑息で低劣な政権の本質を知らない、知ろうとしないことに原因があるのではと愚考します。ちょっと疑問に思って、ちょっと調べて、ちょっとを読んで、ちょっと考えればわかることなのに。政治に対してあまりに無知・無関心な人々が激増しているような気がします。

 今回の選挙は、上記の政策の是非が問われるとともに、憲法九条の改正(改悪)か維持かがとわれる非常に重要なものです。その結果、自民党とその同調勢力が勢いをつければ、強者ファーストに加えてアメリカの戦争の片棒を合法的に担ぐという事態になりかねません。有権者には、ぜひとも慎重に一票を投じて欲しいと衷心から願っております。
 ただ危惧するのは投票率です。前回の衆議院議員総選挙の投票率は52.66%… 今回の選挙は「弱いやつを切り捨てて戦争に突っ走るけどいい?」と問われているわけですが、「どうでもいいよ」と棄権する有権者がどれくらいになるのか。50%そこそこの投票率でこんな重要なことにゴーサインが出されたと強弁されてはたまったものではありません。でも心配だなあ。
 どうすれば投票所に足を運ばねば、と多くの人に思ってもらえるか。実は最近読んだ『転換期を生きるきみたちへ 中高生に伝えておきたいたいせつなこと』(内田樹編 晶文社)の中に、白井聡氏による「消費社会とは何か-「お買い物」の論理を超えて」という素晴らしい評論がありました。その一部を紹介します。
 問題は、「行っても無駄だ、だから行かない」という思考回路であり、これこそが、分析され、批判され、乗り越えられなければならない、ということです。
 重要なのは、「どうせ行っても何も変わらないから行かない」という行動様式は、消費社会のそれとしては正しい、ということです。投票するとはどういうことなのか。投票行動は買い物のようなものである、ととらえることができるかもしれません。このようなとらえ方は、少なくない政治の専門家が現にしています。お店で欲しいものを探し、それがあればお金と引き換えにそれを買うのと同じように、期待する政治家を選んで、お金の代わりに一票を入れる。この見方によれば、投票所に行ったのに積極的に票を入れたくなるような候補がいないという状態は、買い物に行っても欲しいものはないとあらかじめわかっているならば、家から出ない方が合理的な行動です。同じように、期待できそうな政治家がいないのならば、わざわざ投票所に足を運ぶことは、バカげたことであり、家で寝ている人の方が賢い、ということになります。
 こうしてわかることは、社会的矛盾が増大し、政治の果たすべき役割の重要さが増しているにもかかわらず投票率が下落し続けるのは、人々がある意味で合理的に行動している結果だ、ということです。しかしながら、ここで批判されねばならないのは、こうした行動に現れている「ある意味の合理性」「消費社会的合理性」にほかなりません。明らかにされねばならないのは、投票することを買い物と同じようなものととらえていることの根底的な誤りです。
 買い物と投票するという政治的行為の根本的な違いは、選択可能性ということです。お買い物に行った場合、私たちは選び放題に選ぶことができます。この店が気に入れなければ別の店へ、その店も気に入らなければまた別の店へと渡り歩き、どれも気に入らなければ何も買わないで帰る、ということも自由です。そのようにしたところで誰も文句は言わないどころか、どのお店でも店員さんは、何も買わなくても「またぜひお越しくださいませ」と実に丁寧な態度で接してくれます。なぜなら、物があふれた消費社会においては、どんなチャンスでもとらえてお客の欲望を掻き立て、物を買ってもらわなければならないからです。そのためには、お客の食指が少しでも動きそうな物を取り揃えておくわけで、そのなかから私たちは選び放題だし、それらの商品に私たちは関わらないでいることも選択できる、というわけです。
 これに対して、政治は全く違います。私たちの多くが選挙で棄権し、投票率が下がっても、誰かは必ず当選し、選ばれた人たちのなかから政権が成立します。その政権が愚かな政策を推進した場合、その悪影響は投票した人にもしなかった人にも及びます。政治を嫌ったり、政治に対して無関心でいることはできますが、嫌おうが放っておこうが、その影響から逃れることは誰もできません。政治における究極の事象は戦争ですが、戦争が起きた場合、その影響は生命への損害という形にまで高まります。
 ですから、「期待できる候補がいないから投票に行かない」という行動がどれほど愚かしいものなのか、すでに明らかだと思います。政治権力を委ねる相手を選ぶという行為は、買い物に出かけることとは、全く異なるものです。積極的に選びたい候補者がいようがいまいが、選ばれた権力は現実に私たちの生活に影響を及ぼします。その意味で、投票という政治的行為に、選択可能性はないのです。ぜひこの人に当選して欲しいという候補者がいない場合でも(そのようなケースは非常にしばしばあります)、私たちは「なるべくマシな」、もっと言えば「最も害の少なそうな」候補を選出しようとするのが、当然の行為です。政治は、お買い物と違って、積極的に選びたくなるものをお膳立てしてくれたりはしないのです。(p.214~6)
 そう、選挙はお買い物ではないのですね。私も「なるべくマシな」「最も害の少なそうな」政党と候補者を慎重に選んで投票所に行こうと思います。
by sabasaba13 | 2017-10-10 06:31 | 鶏肋 | Comments(0)