2017年 11月 17日 ( 1 )

近江編(49):彦根(15.3)

 それでは旧川原町に向かいましょう。五分ほどペダルをこぐと、交差点に屹立する滋賀中央信用金庫銀座支店が眼に飛び込んできました。交差点側を隅切りして腰折れ破風を載せ、左右に切妻破風を並べ、縦長窓を配する印象的なデザインです。ひと目みたら忘れない、街角のアイストップですね。
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 その先にあるのが高﨑家住宅主屋で、かつては旧川原町郵便局でした。タイル貼りの壁面、上部のコーニス、入口のペディメントなど、小粋な物件です。
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 宇水理髪館は、その奇天烈な意匠が圧巻。正面のアーチ頂部には巨大なバリカン、その左右にアカンサスの装飾、アシンメトリーな入口一階部にはタイルが貼られています。もうむちゃくちゃでござりまするがな、と花菱アチャコのように唸ってしまいました。
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 それはそうと、「バリカン」の語源は何かという疑問がふとわきおこりました。こういう時にインターネットは本当に便利、すぐにわかりました。「喜多床」という老舗理髪店のホームページから転記します。
 喜多床は、明治四年(1871年)、断髪令が施行された年に、旗本舩越家の四男喜太郎が、東京の本郷に創業した、日本で一番古い理髪店です。
 喜太郎は、明治維新後に加賀藩前田家の軍隊に入り、前田公の髪結い方を務めました。そこで、フランス人の軍人から、それまでの丁髷とは異なる、断髪を作り上げる西洋理髪の技術を学びました。その後、軍隊を辞め、前田邸の正門前に西洋理髪の店舗を構えました。それが、喜多床です。
 加賀百万石十三代目当主前田斉泰公の断髪は、初代の手で行われました。髷を切り落とされた後、公は一筆、「本日、髪を洋夷にす。涙燦然として、降る」としたためたそうです。喜多床の屋号は、前田公の命名によるものです。
 創業当時の喜多床は、当時としては珍しい三階建ての洋館で、店内の壁にはガラス製の大鏡がかけられ、従業員は揃いの洋装、使う道具はフランスからの舶来品とあって、「東京の新名所」として名が広まったそうです。
 明治十七年に、前田邸が帝国大学になると、喜多床は、学生や教授、文士など知識人が集まるサロンになりました。
 文豪夏目漱石も、得意客の一人で、「吾輩は猫である」「三四郎」に、喜多床の名前が登場します。
 その漱石先生の思い出を、喜多床二代目景輝が、古い理髪雑誌に語っています。
 「先生、良いお天気です」というと、先生は一言、「大きなお世話だ」。頭を刈られながら気持ちよさそうに寝ていたため、終わって起こすのが悪い気がしてそのままにしておいたら、「終わったのか。遅いぞ」と叱られたそうです。
 内田百閒の「ねじり棒」や、徳田秋声の「大東京繁盛記」にも、喜多床のことが取り上げられています。
 二代目景輝は、たいそう勉強熱心な人で、理髪の発達している米国から、専門誌を輸入して、研究に努めました。そして、日本で初めての理髪研究団体を結成し、講習会を開催しました。
 ある日、顧客の一人だった言語学者の金田一京助氏が店に来て、「バリカンと呼ぶ国はないか」とつぶやいたそうです。外来語辞典を編集しているが、この語源だけがわからないということでした。景輝は、「ありませんよ」と答え、バリカンの名称を英語、仏語、独語など各国語で言って金田一氏をびっくりさせました。さらに、景輝は、刃の刻印に「バリカン・アンド・マール」という製造会社の名前を見つけ、金田一氏の三年越しの疑問を解決しました。
 金田一氏は、石川啄木が上京した時のお世話役でした。景輝に、啄木の下宿先を相談し、啄木は一時、喜多床の3階に下宿し、その後、のれんわけした喜乃床に移っていきました。
 その後の歴史はホームページを見ていただくとして、『吾輩は猫である』には"吾輩だって喜多床へ行つて顔さへ剃つて貰やあ、そんなに人間と異なつたところはありやしない"という一文があるそうです。
 というわけで、「バリカン・アンド・マール(Bariquand et Marre)」というフランスの製造会社名が語源だということが、金田一京助の尽力で判明したわけです。余談ですが、今年の夏は北海道旅行を計画しており、いろいろ調べていると、旭川に知里幸恵の文学碑があることがわかりました。アイヌの口承叙事詩"カムイユカラ"を祖母たちから聞き覚え『アイヌ神謡集』(岩波文庫)として出版、しかし19歳で夭逝したアイヌ女性です。いたく興味を抱き、『知里幸恵 十七歳のウエペケレ』(藤本英夫 草風館)を読み終えたのですが、その出版に金田一京助が深く関わっていたことがよくわかりました。こんなところで彼と出会うとは思ってもみませんでした。読書の快楽ですね。
by sabasaba13 | 2017-11-17 06:23 | 近畿 | Comments(0)