2017年 12月 04日 ( 1 )

関東大震災と虐殺 44

 徳富蘇峰が『国民新聞』(1923.9.29)に掲載した「流言飛語」です。
 流言飛語は、専制政治の遺物。支那、朝鮮に従来有り触れたる事也。蝙蝠は暗黒界に縦横す。吾人は青天白日に、蝙蝠の飛翔するを見ず。
 公明正大なる政治の下には所謂る処士横議はあり、所謂る街頭の輿論はあり。然も決して流言飛語を逞ふせんとするも、四囲の情態が、之を相手とする者なければ也。
 今次の震災火災に際して、それと匹す可き一災は、流言飛語災であつた。天災は如何ともす可らず。然も流言飛語は、決して天災と云ふ可らず。吾人は如上の二災に、更らに後の一災を加へ来りたるを、我が帝国の為めに遺憾とす。
 吾人は震災火災の最中に出て来りたる山本内閣に向て、直接に流言飛語の責任を問はんとする者でない。併し斯る流言飛語―即ち朝鮮人大陰謀―の社会の人心をかく乱したる結果の激甚なるを見れば残念ながら我が政治の公明正大と云ふ点に於て、未だ不完全であるを立証したるものとして、また赤面せざらんとするも能はず。
 既往は咎めても詮なし。せめて今後は我が政治の一切を硝子板の中に措く如く、明々白々たらしめよ。陰謀や、秘策にて、仕事をするは、旧式の政治たるを知らずや。
 蘇峰の弟・徳冨蘆花は、烏山での虐殺を聞き、随筆のなかでこう語っています。
 鮮人騒ぎは如何でした? 私共の村でもやはり騒ぎました。けたたましく警鐘が鳴り、「来たぞゥ」と壮丁の呼ぶ声も胸を轟かします。隣字の烏山では到頭労働に行く途中の鮮人を三名殺してしまいました。済まぬ事羞かしい事です。(『みみずのたはこと(下)』  岩波文庫 p.143)
 フランス駐日大使にして詩人でもあったポール・クローデルは、こう述べています。ちなみに彼は、彫刻家カミーユ・クローデルの弟ですね。
 災害後の何日かのあいだ、日本国民をとらえた奇妙なパニックのことを指摘しなければなりません。いたるところで耳にしたことですが、朝鮮人が火災をあおり、殺人や略奪をしているというのです。こうして人々は不幸な朝鮮人たちを追跡しはじめ、見つけしだい、犬のように殺しています。私は目の前で一人が殺されるのを見、別のもう一人が警官に虐待されているのを目にしました。宇都宮では16人が殺されました。日本政府はこの暴力をやめさせました。しかしながら、コミュニケのなかで、明らかに朝鮮人が革命家や無政府主義者と同調して起こした犯罪の事例があると、へたな説明をしています。(『孤独な帝国 日本の1920年代』 草思社)
 神楽坂における虐殺を目撃して衝撃を受けた中島健蔵(文芸評論家)は、『昭和時代』(岩波新書275)の中でこう述べています。
 現に知れわたっている関東大震災の悲劇は、大正、昭和にかけての日本残虐史の絵巻の中でも、ひときわ目立つ。わたくしは、ここに、もっとも大きな悲劇の出発点があったと認めるのである。法秩序を無視する残虐が公然とおこなわれ、甘粕一人をのぞいて、たれ一人直接の責任を問われなかったというような事態は、まさに、現代では大震災のときにはじまったと考えているからだ。
 わたくしは、警察署の板塀に張り出された布告を自分の目で見た。あんな布告が国家権力の末端の名において張り出されさえしなかったら、そしてむしろ逆に彼らがはじめから流言をおさえる方にまわっていたら、明らかに事態はちがったものになっていたはずである。(p.21)

 ここに、あのときの雰囲気の基盤があった。そして、その基盤は、さらに、国民大衆の中にあった雰囲気によって支えられていた。国家権力に対する盲従、新しいものに対する嫌悪、そして、「邪魔者は殺せ」という感情。これはもちろん、日本特有のものではない。しかし、もしも、もう少し大きな声で、もう少し大勢の人数で、この雰囲気をつぶすことができたら、日本の現代史は別のものになっていたはずである。(p.24)

by sabasaba13 | 2017-12-04 06:30 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)