2017年 12月 08日 ( 1 )

関東大震災と虐殺 46

 次に、『女工哀史』を書いた細井和喜蔵の妻・高井としをの自伝です。『わたしの「女工哀史」』(岩波文庫)から引用します。
 二日目の夕方にアパートへ帰り、お米も残っていたのでご飯を炊き、塩をつけておにぎりをつくり、夜は元のハス池のところへもどり、野宿をしました。三、四日目ころから、朝鮮の人をつかまえて小松川の方へ連れて行くのを見ました。朝鮮人が井戸へ毒を入れたなぞといっているのをききました。在郷軍人だか右翼だか警官だか、その時はわかりませんでした。多い時には朝鮮の人を二十人、三十人ぐらいずつ麻のひもでじゅずつなぎにして、木刀や竹刀でなぐりながら、小松川の方へ連れて行くのを見ました。池のなかへ逃げ込んだ朝鮮の人が、大きなハスの葉の下へもぐっているのを見て、ほんとうにお気の毒で言葉もでませんでした。見かねてにぎりめしと水を少しあげたら、手をあわせておがんでおられましたが、恐ろしいことでした。(p.80)

 七日目ぐらいになると余震も少し間をあけるようになり、アパートへ帰ろうかと思っている時でした。細井の友人で、同人誌に詩を書いている山本忠平さんが、坊主頭で紺の印ばんてんに縄帯姿で現われました。「君たち、こんなところでなにしていたのか。早く逃げないと殺されるぞ。南葛労働組合の執行部は全員殺された。僕も今から田舎へ行く。とにかく早く逃げろ。アパートへ荷物をとりに行ったらつかまるぞ」といって、お別れしたのです。(p.81)
 映画監督の黒澤明も、自伝『蝦蟇の油』(岩波現代文庫)の中でこう回想しています。
 町内の家から一人ずつ、夜番が出ることになったが、兄は鼻の先で笑って、出ようとしない。
 仕方がないから、私が木刀を持って出ていったら、やっと猫が通れるほどの下水の鉄管の傍へ連れていかれて、立たされた。
 ここから朝鮮人が忍びこむかも知れない、と云うのである。
 もっと馬鹿馬鹿しい話がある。
 町内のある井戸水を、飲んではいけないと云うのだ。
 何故なら、その井戸の外の塀に、白墨で書いた変な記号があるが、あれは朝鮮人が井戸へ毒を入れたという目印だと云うのである。
 私は惘れ返った。
 何をかくそう、その変な記号というのは、私が書いた落書だったからである。
 私は、こういう大人達を見て、人間というものについて、首をひねらないわけにはいかなかった。(p.94~5)
 萩原朔太郎は「近日所感」という詩をのこしました。
 朝鮮人あまた殺され
 その血百里の間に連なれり
 われ怒りて視る、何の惨虐ぞ (『現代』1924(大正13)年2月号)

by sabasaba13 | 2017-12-08 06:25 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)