近江編(22):桂離宮(15.3)

 それでは桂離宮へと向かいましょう。以前にも一度訪れたことがあるのですが、その時には写真撮影が禁止でした。驚くべきは、その理由は「苔の保護のため」! なぜ写真を撮ると苔に悪影響を及ぼすのか、理解できません。まあ伊勢神宮も撮影禁止だし、天皇制と「隠す」という行為は切っても切れない関係にあるのは理解できますが… 興味深かったのは英文にはそうした理由付けがなかったことです。そりゃあこんな理由では納得しませんよね、外国の方は。「公」(publicではなく、オオヤケ=大きな家=権力と富をもつ者)に命令されると、その根拠を深く考えず鵜呑みにしてしまうわれらが伝統文化を上手に利用しています、さすが宮内庁、と愚考した次第です。その後、写真撮影が可能となったという情報を得ましたので、インターネットで申し込み、午前に桂離宮、午後に修学院離宮を再訪することにしました。ほんとうは桜か紅葉の時期に訪れたいのですが、いつも予約は埋まっておりほぼ不可能です。宮内庁にコネがないと、この時期には見られないのかもしれません。

 阪急桂駅からのんびりと歩いて二十分、桂川のほとりにある桂離宮に着きました。竹の垣根が続いていますが、これが「桂垣」ですね。竹林の竹を折り曲げて編み込んだ垣根、橋本治氏曰く、"垣根の活け造り"です。いやはや、凄いことを考えたものだ。その先には徳大寺樋門の遺構がありました。解説板を転記します。
 桂離宮は、八条宮の別荘として、初代智仁(としひと)親王によって十七世紀始め(ママ)元和元年(1615年)頃に造営を起こされ、二代智忠(としただ)親王によって正保二年(1645年)頃までに建物や庭にも手を加え、概ね現山荘の姿に整えられました。宮家はその後、京極宮、桂宮と改称されて明治に至り、同十四年(1881年)第十一代淑子(すみこ)内親王を最後に途絶え、桂山荘は明治十六年(1883年)宮内省所管となり、桂離宮と称されることになりました。

 徳大寺樋門は、桂川のたび重なる氾濫を防ぐために築かれた堤防(防塁)に設置され、桂川から離宮内庭園池に引き水するために利用されていたもので、幾度か改築整備されてきました。この樋門は、明治四十一年五月(1908年)改築のものですが、流域の都市化等の変遷により平成五年六月(1993年)桂樋門の新設にともない廃止されることになりましたので、その一部(遺構)を残し、往時を偲ぶものです。

 桂の地一帯は平安中期から代々藤原氏が領有し、鎌倉時代に入って近衛家の領有となり、古くから月の名所や瓜の産地になっていたようで、平安時代の文学作品『源氏物語』のなかに

 つきのすむ 川のなかなる 里なれば 桂のかげは のどけかるらむ

 ほか多く詠まれています。

 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-08-19 06:29 | 近畿 | Comments(0)

近江編(21):桂カトリック教会(15.3)

 朝目覚めてカーテンを開けると雲の合間から陽がもれています。どうやら天気は大丈夫ですね。チェックアウトをして京都駅へ、途中に、睫毛の長い妙齢の女性のガードレール・アニマル(失礼)がありました。地下鉄烏丸線に乗って四条駅で阪急京都線に乗り換えて桂駅で下車。お目当ての桂カトリック教会は、駅から歩いて十分ほどのところにありました。
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 シャープな造型ですが、実はジョージ・ナカシマの設計なのですね。以前に香川県高松市の牟礼にある「ジョージ・ナカシマ記念館」を訪れて以来興味を持ち、この教会もいつか訪れてみたいと思っていたのですが、念願が叶いました。なお彼とこの教会については、「建築環境デザインコンペティション」内の「現代建築考」に藤森照信氏の詳細な解説があるので、長文ですが転記します。
 ジョージ・ナカシマと言っても若い人は初耳かもしれないが、これを機に覚えておいてほしい。時期は、レーモンド前川國男と重なり、仕事としては家具のデザインに新境地を開いたことで知られる。アメリカのナショナルギャラリー(国立美術館)に行くと、イサム・ノグチの彫刻と組になってジョージ・ナカシマの"樹"を感じさせる木のテーブルが置いてあったりする。
 名から分かるように日系のアメリカ人で、戦前、来日して、レーモンドと前川の事務所で働き、その時は建築家だったが、帰国して、戦時中、アメリカの日系人収容所で家具制作に目覚め、以後、戦後のアメリカを代表する家具デザイナーとして鳴らした。吉村順三は終生の親友だった。
 打ち放しに木枠と障子。そして素木のイス。いかにもナカシマ
 十数年前、ペンシルバニア郊外の森の中に立つアトリエを訪れた。もちろん本人は没した後だが、日系人の夫人と早稲田の建築を出た娘さんが今もアトリエを守っていて、娘さんのパートナーは家具づくりに励んでおられた。
 アトリエはもちろん元建築家ナカシマの設計になり、シェル構造の大空間であったが、細部のプロポーションや納まりに建築としてはなんとなく違和感があり、言ってしまえば巨大な家具のように見えた。
 で、京都はカトリック桂教会である。
 1965年につくられたナカシマの日本での唯一の建築。
 日系人収容所時代に知り合ったアメリカ人神父が、終戦後、GHQとともに来日し、布教して信徒を増やし、桂に新たに教会をつくることになり、ナカシマに設計を依頼したのだと言う。
 住宅地の一画に立つ教会を一目見て、嬉しかったし、懐かしかった。
 嬉しかったのは、ほぼ竣工当時の姿を留めていてくれたこと。この時期の建築は、構造的にも材料的にも問題が隠れている場合が多く、補強などの改修を避けられないのである。
 懐かしかったのは、戦後モダニズムの初々しさが伝わってきたからだ。この点について、以下、述べてみたい。
 まず、打ち放しコンクリートから。打ち放しは今でもよく使われているが、印象はちょっと違う。今はコンパネか鉄板型枠を使うから広い面がペッタリ平らに打ち上がるが、これがつくられた頃は、板の小片を並べた型枠だったから、小片の目地と型枠全体の目地が強調され、小さな凸凹がたくさん壁面に現れ、その結果、今よりずっと陰影が付いた。
 陰影が付くと、打ち放しはどうなるか。岩や土の肌と通底するような粗さと存在感が生まれ、その結果、レーモンドの言い方に習うと、"大地"を感じさせるようになる。近代の工業製品でありながら、大地をしのばせることのできる打ち放しコンクリートの肌。
 HPシェルの天井が高い効果をあげている
 そうした肌を久しぶりに見て、嬉しくかつ懐かしかった。
 次もコンクリートがらみで、シェル構造をとっている。HPシェルである。今ではシェル構造をやる人はほとんどいないが、この教会がつくられた1950~60年代は、日本のシェルの全盛期に当たり、丹下の〈愛媛県民館〉(1953)を皮切りに次々に出現していた。
 近代的構造によって近代ならではのダイナミズム(力動的)表現を生み出そう、というル・コルビュジエに起源を持つ構造表現主義は、当時、世界でも日本でもコンクリートシェルによってしか実現できなかったのである。
 そうして数多くつくられたコンクリートシェルも、今こう数えてみると、カトリック桂教会以外にはごく少なくなってしまった。
 インテリアについて触れておこう。障子の利用、素木の木の枠取り的な使い方に、誰でも日本の伝統を感ずるだろう。1950~60年代は、モダニズムと日本の伝統の共通性に関心が払われていた時期で、レーモンド、丹下、吉村、坂倉などが、この方向に向かっていた。ナカシマもその一翼を担っていたのである。
 日本の戦後モダニズム建築の初心が、ここにはちゃんと生きている。
 残念ながら門扉が錠で閉ざされており、内部を拝見することはできませんでした。再訪を期したいと思います。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-08-18 07:54 | 近畿 | Comments(0)

『チャルカ』

c0051620_5272240.jpg 山ノ神といっしょに、新宿の映画館「K's cinema(ケイズシネマ)」で、島田恵監督の『チャルカ ~未来を紡ぐ糸車~』を見てきました。パンフレットの冒頭に載せられていた監督の言葉が、この映画のメッセージを雄弁に語っています。
 チャルカとは、インドの手紡ぎ糸車のことです。インド独立の父、ガンジーはイギリスの支配から自立するために、自国で生産した綿花を自分たちで紡ぎ、その糸を手織りにした布(カディ)を作ろうと提唱しました。チャルカは独立運動のシンボルです。

 東日本大震災は私たちにとって本当に大事なものは何かを問いかけ、福島原発事故は経済優先社会が行き着いた惨状を見せつけました。それでもなお、人類の環境破壊は止まりません。その究極は何10万年も毒性が消えないという放射性廃棄物『核のゴミ』を産み出してしまうことでしょう。それは遠い先の子孫たちの住処までも奪っていることにほかなりません。人類が直面しているこの課題から、私たちが学ぶべきこととはいったい何なのでしょうか。

 今、この時代に生きているすべての人たちへ、そして、未来に生きるすべての命へ、この映画を記録として残します。
 この映画は、放射性廃棄物『核のゴミ』と向き合う人びとを描いたドキュメンタリー映画です。日本においては、政府が前面に立って処分地を選定する方針が決定しており、そのための地下研究施設が北海道幌延町と岐阜県瑞浪市に設置されました。このふたつの地が最終処分地と決まったわけではありませんが、その可能性は否定できず、不安を感じる地元住民の様子が取り上げられます。岩盤が強固なフィンランドでは、オンカロ(洞窟)という地下500mにある施設に放射性廃棄物を処分することになりました。しかし住民の三分の一は、これに反対しています。世界有数の原子力大国フランスでは、処分事業者ANDRAの処分研究施設に隣接する地域に最終処分場が計画されています。雇用の確保などの理由で、自治体はおおむね賛成していますが、住民の一部は断固として反対しています。
 島田監督は、反対派・賛成派のそれぞれの主張を真摯に映像として記録し、それを材料に、最後は見ている私たちが自分で考えて決めてくださいと問いかけているように思えます。

 心に残った人物は、幌延町のとなりにある豊富町で酪農をされている久世薫嗣さんです。最終処分地にされることに、そして原子力発電に反対し、「自給」にこだわり、過疎をくいとめて地域社会の存続を願い、福島の子どもたちの保養に尽力する久世さん。"どんな世の中になっても、ちゃんと生きていけるようなものを自分で作っていく"ことをめざす久世さん。彼の言葉です。
 いきなりじゃあ、次の良い世界が来るかといえばそれは来ないと思う。次の良い世界が来る為には、良い世界をつくろうという試みがいろんな所で行われていかない限り、良い世界は出てこない。
 あらためて、なぜ島田監督が"チャルカ"というタイトルを選んだのか、考えさせられました。前述のように"チャルカ"は、独立のシンボルです。つまり植民地から独立するためには、宗主国に頼らずに「自給」をしないといけない。それでは、今、私たちは何ものから独立しなければならないのか。私たちを植民地状態にして支配しているのは、何ものなのか。
 監督は明言されていませんが、私はこう考えます。それは"経済成長"を必須とするシステムであり、そのシステムを死守しようとする人びとたちである、と。資源と電力を大量に使用して大量に物をつくり、消費し、廃棄する。ひたすら物を買い続けることによってのみ作動できるシステム。このシステムにとって最強の敵は、「自給」、つまり物を買わずに自分でつくるというライフスタイルです。監督も、久世さんも、少しずつでもそうした方向に向かおうよ、と誘っているのではないでしょうか。

 映画館を出て駅へ歩いていると、虚飾な物と醜悪な看板にまみれた新宿の街が、さっきと違う風貌に見えてきました。
# by sabasaba13 | 2017-08-16 05:27 | 映画 | Comments(0)

言葉の花綵165

 もしわるい人間が、お互いに結合して力をつくるなら、潔白な人間も、同じことをすべきである。(トルストイ 『戦争と平和』)

 私はあなたのいうことに賛成はしないが、あなたがそれをいう権利は死んでも擁護しよう。(ヴォルテール)

 今日も小学校のラウドスピーカーは、朝からのべつ幕なしの君が代行進曲。忠魂碑の下から「うるさい、もうたくさんだ」とたまりかねた声がきこえるようだ。(山川菊栄)

 集団自決は命令じゃないっていうけど、命令です。命令が残っていないと言いますが、残っていないから恐いんです。沖縄県民は大和に消された歴史を語り伝えてきました。語り伝えます。(永六輔 『無名人語録』)

 凡そ人格尊重なき処に正義なく、正義なき処に平和もない。(矢内原忠雄)

 戦争は、人間の腐敗の果実であり、政治体のけいれん性の重病である。政治体は、平和を享有するときにのみ、健康状態、すなわちその自然状態にある。…平和は、すべての社会の目的である幸福を人民に得させる。(ダミラヴィル 『百科全書』)

 武器によって打ち立てられた帝国は、武器によって維持されなければならない。(モンテスキュー)

 未開の民トロイア人が、勇敢であるがためにはあらかじめあらゆる人間味を圧し殺さねばならぬのに反して、文明の民ギリシア人は、涙すると共にまた勇敢でありうる。(レッシング)

 「国家のため」という圧力に押しつぶされて、国家の悪を見逃してはならない。いやしくも、正義人道に反す方向に行きそうな場合は、国家にだろうが、親にだろうが、夫にだろうが、敢然反対して、これを正道に戻すような人間をつくらねばならない。(尾崎行雄 『民主政治読本』)

 「戦争協力が国際貢献」とは言語道断である。(中村哲)

 世界のどこかで、だれかに不正がおこなわれているとしたら、いつでもそれを最も強く感じとれるようにならないといけません。(チェ・ゲバラ)

 先端的で破壊的な兵器に頼って我々を威嚇し、不正義で非合理で維持不可能な経済・社会的世界秩序を押し付けようとする者たちを前にして、改めて強調させていただきたい。「思想の種を播け!」「良心の種を播け!」 (フィデル・カストロ)

 より強く、より大きくならなければならないのは個々人であって、国家ではない。これは現代において、自明の理である。強大な国家権力の下で国民が完全支配を受けるとき、いかに多くの不幸が生み出されることか。(本田靖春 『村が消えた』)
# by sabasaba13 | 2017-08-15 07:50 | 言葉の花綵 | Comments(0)

北海道旅行

 おととい、北海道から戻ってきました。歩みの遅い台風の直撃や影響を懸念しましたが、自称「天下無双の晴れ男」。曇天・小雨の時もありましたが、要所要所では晴天に恵まれました。
 札幌に二泊、美瑛に移動して五泊、再び札幌で一泊という旅程でしたが、北海道の自然、人びとの営み、歴史を堪能することができました。
 いつの日にか旅行記として上梓するつもりですが、とるものもとりあえず写真で報告します。

札幌の夜景(もいわ山より)
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積丹半島 神威岬
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積丹半島 島武意海岸
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モエレ沼公園 海の噴水
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富良野 ファーム富田
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美瑛
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美瑛
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美瑛 四季彩の丘
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美瑛 青い池
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北竜町
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美瑛 ぜるぶの丘・亜斗夢の丘
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美瑛 ケンとメリーの木
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小樽運河
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# by sabasaba13 | 2017-08-14 09:11 | 鶏肋 | Comments(0)

2017 暑中見舞

 暑中お見舞い申し上げます。

 日頃「散歩の変人」を御愛読していただき、ありがとうございます。これからしばらく北海道旅行に行ってきます。炎熱地を焼く日々がまだ続くかと思いますが、ご自愛を。

 暑気払いに、手持ちの写真の中で涼しそうな一枚をどうぞ。仁淀川安居渓谷(高知県)です。

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# by sabasaba13 | 2017-08-04 07:29 | 鶏肋 | Comments(0)

吉田博展

c0051620_6201255.jpg 先日、山ノ神から「吉田博の展覧会を見に行かない」と誘われました。よしだひろし? 日本全国で、20,998人ほどいそうな凡百な名前ですね。山ノ神の知人でしょうか。さにあらず、NHKの「日曜美術館」で知った彼女が言うには、素晴らしい版画家だそうです。さっそく展覧会が開催されている損保ジャパン日本興亜美術館のホームページを見てみると…おお見事な風景版画の数々。ぜひ見に行きましょう。その前に、美術館HPより彼についての紹介を引用します。
 明治から昭和にかけて風景画の第一人者として活躍した吉田博(1876‐1950)の生誕140年を記念する回顧展です。
 福岡県久留米市に生まれた吉田博は、10代半ばで画才を見込まれ、上京して小山正太郎の洋画塾不同舎に入門します。仲間から「絵の鬼」と呼ばれるほど鍛錬を積み、1899年アメリカに渡り数々の作品展を開催、水彩画の技術と質の高さが絶賛されます。その後も欧米を中心に渡航を重ね、国内はもとより世界各地の風景に取材した油彩画や木版画を発表、太平洋画会と官展を舞台に活動を続けました。
 自然美をうたい多彩な風景を描いた吉田博は、毎年のように日本アルプスの山々に登るなど、とりわけ高山を愛し題材とする山岳画家としても知られています。制作全体を貫く、自然への真摯な眼差しと確かな技量に支えられた叙情豊かな作品は、国内外の多くの人々を魅了し、日本近代絵画史に大きな足跡を残しました。
 本展では、水彩、油彩、木版へと媒体を展開させていった初期から晩年までの作品から200余点を厳選し、吉田博の全貌とその魅力に迫ります。
 山ノ神とは現地で待ち合わせ。老婆心ながら、待ち合わせ場所は42階の美術館入口よりも、1階ロビーがいいですね。ソファもあるし、吉田博の紹介ビデオも放映されていました。
 彼女と合流してエレベーターで42階へ。彼の人生に沿った「不同舎の時代」「外遊の時代」「画壇の頂へ」「木版画という新世界」「新たな画題を求めて」「戦中と戦後」という構成の展示です。風景を描いた水彩画・デッサンも素晴らしいのですが、やはり白眉は木版画でした。確かな描写力と構図、時には雄渾な時には詩情豊かな画風、そして色彩の微妙な陰影、透明感、グラデーションの見事さ。いや、こんな凡百な言葉では表現できません、ただ口を開けて「美しい…」と感じ入りながら佇むのみ。グランドキャニオンやマッターホルンヴェネチア、エジプトを画題とした「欧州シリーズ」も良いのですが、やはり「日本アルプス十二題」が傑作でした。神々しいフォルムの山塊、精緻な色彩で表現される山肌と空と雲。溜息が出るような作品群です。図録に、彼の言葉が紹介されていました。
 吾等がかゝる天景に接すると、自分等は人間の境を脱して神になった様な考ひに充たされた。而して人間が賞めたゝいる名勝等いふものは、全く凡景俗景である。人境を去ったこの間の風物は、たしかに山霊が吾等に画題を恵与してくれたのと信じ、都にありて、隅田川や綾瀬又は三河島島の風景を描て、満足し居る画家を気の毒の様に思ひ、又かゝる画家を凡画家として、語るに足らぬ等友と語った。
 この当時に於ては、画題を選むに人間の跋渉した所を選まず、探検的未開の境を探り、人間の未だ踏破せざる深山幽谷、又は四辺の寂寥を破る大瀑布、又は草樹鬱蒼として盛観を極むる無人の森林、とかいふ境地にあらざれば、真の美趣は無きものと信じ、こんな念慮より、吾等はかゝる境土のみ跋渉して居ったから、益々仙骨の観念は向上して、人間といふ念を脱して居ったのであった。(p.15)
 海と帆船と島を画題とした「瀬戸内海集」も素晴らしい。特に「光る海」の、陽光を反射する海の煌きは圧巻です。
 もう一枚、惚れた作品をあげるとすれば、「印度と東南アジア」の中の「フワテプールシクリ」です。建物の内部で座る二人の男、そしてアラベスク模様の透かし彫りを通して室内を照らす穏やかな光。その光の柔らかさと暖かさを、絶妙に、ほんとうに絶妙に表現しています。図録によると、47度摺りで仕上げたとのことです。絶句。

 川瀬巴水の版画も素晴らしかったのですが、色彩表現の絶妙さと画題の雄渾さで吉田博が一枚上かな。誰かが、美術作品の評価は、購入するためにいくら身銭を切るかだ、と言っていました。うーん、うん十万円だったら購入して部屋に飾り、朝昼晩夜、春夏秋冬、眺めて暮らしたいものです。念のためインターネットで調べてみると、20~50万円ほどで購入できそうですが、私の好きな作品はすべてsold outでした。まんざら実現不可能な夢ではなさそうです。

 というわけで、ほんとうに素晴らしい展覧会です。
 オペラ「ばらの騎士」、祇園祭、そして吉田博の木版画と、最近たてつづけに感興の時を楽しむことができました。あらためて、生きるってそう悪いことでもないし、人間もそう捨てたものではないと思います。「利」よりも「美」を求める人が増えれば、日本も世界ももう少し住みやすくなるのに。
# by sabasaba13 | 2017-08-03 06:20 | 美術 | Comments(0)

祇園祭

 先日、はじめて祇園祭の前祭を見てきました。うーん、素晴らしかった。いつのことになるかわかりませんが、後日に旅日記は掲載するつもりですが、とりあえず数葉の写真で報告します。

放下鉾
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伯牙山
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太子山
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放下鉾
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放下鉾
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函谷鉾
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放下鉾
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放下鉾
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岩戸山
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# by sabasaba13 | 2017-08-02 06:27 | 鶏肋 | Comments(0)

ばらの騎士

c0051620_6231720.jpg 以前から見たい聴きたいと念願していたリヒャルト・シュトラウスのオペラ『ばらの騎士』を、ようやく鑑賞することができました。東京二期会による公演で、セバスティアン・ヴァイグレが指揮する読売日本交響楽団、そして演出はリチャード・ジョーンズです。
 会場は上野にある東京文化会館。山ノ神と二人で早めに家を出て、上野駅構内にある「たいめいけん」でオムライス+ハンバーグ+ボルシチ+コールスローを食して腹の虫を黙らせ、「シーズカフェ」で珈琲を飲んで睡魔を手懐け、準備万端調いました。
 座席は三階正面の最前列、舞台全体を一望できるし、オーケストラ・ピットも覗けるし、足も悠々と伸ばせるし、なかなか良い席でした。さあはじまりはじまり、どきどきわくわく。
 まずは簡単にあらすじを紹介します。舞台は1740 年、マリア・テレジア治世下のウィーン。オックス男爵の結婚に際し、貴族の結婚の印として贈られる銀のばらを運ぶ使者として、元帥夫人は自分の不倫相手オクタヴィアンを選びます。オックス男爵の花嫁となるゾフィーのもとへ銀のばらを運んだオクタヴィアンでしたが、若い二人は一目ぼれ。粗野なオックス男爵からゾフィーを守るため、オクタヴィアンは女装して仲間とともにオックス男爵に一泡ふかせ、婚約を破談させました。そして伯爵夫人が現れてオクタヴィアンとゾフィーの仲を認め、二人を祝福して自らは身を引きます。おしまい。
 という、何とも他愛のないお話です。しかし華やかな序曲がはじまると、もう夢のような世界に惹き込まれました。リヒャルト・シュトラウスが紡ぎだす音楽の何と素晴らしいことよ。時には勇壮に、時には不安気に、時には面白可笑しく、そして時には底なし沼のように甘美に… 華麗で優美なウィンナ・ワルツの数々にも蠱惑されました。中でも身も心もとろけてしまったのは、第三幕最後の場面、伯爵夫人とオクタヴィアンとゾフィーの三重唱です。裏切りに苛まれるオクタヴィアン、未来に不安を抱くゾフィー、そして二人を気遣い祝福して身を引く伯爵夫人。三者三様の想いを乗せながら三つのメロディが甘美に絡みあう、その素晴らしさ。作曲者シュトラウスが、この曲を自分の葬儀で演奏してほしいと望んだのも頷けます。その後に歌われたオクタヴィアンとゾフィーの二重唱では、愛の喜びに包まれながらも、茶々をいれるような木管のオブリガードがからみ、二人の将来への不安を感じさせるなど、芸の細かさにも脱帽。
 歌手陣も申し分なく、中でも出色がオックス男爵を演じた妻屋秀和氏です。豊かな声量や卓抜した表現力もさることながら、男爵を単なる悪役とせず、男の業を漂わせながらコミカルに演じた演技力にブラーボ! 読売日本交響楽団も熱演でした。演出・振付・舞台装置もお見事でした。スラップスティックのようなドタバタの場面での、集団のコミカルなダンスや動きなども秀逸。第三幕ではあえて三角形の部屋として三重唱での三人の想いを際立たせたり、ライトによって壁紙の色を千変万化させたりするなど、舞台装置や照明にも拍手を贈りたいと思います。ブラービ。

 いま思い返してみると、作品全体の半分くらいしか登場しないのですが、伯爵夫人の存在感が強く印象に残ります。特に、第一幕最後の場面で、自らの老いを嘆く静謐な独唱に心打たれました。オクタヴィアンへの愛を諦め、若い二人の前途を祝するのも、この老いの故なのでしょう。
 おばあさん、老マルシャリン(※伯爵夫人の名前)! どうしてそんなことが起こり得ようか。どうして神様がそんなことをなさるのだろう。私自身はいつも同じ人間なのに。神様がそうなさらなければならないのなら、何故私にそれを見せようとなさるのだろう。
 しかもこんなにはっきりと、何故それを私の目から隠そうとなさらぬのか。すべてのことが不可解だ。そして人間はそれに堪えしのぶために生きているのだ。そしてこの「どうして」の中にすべてのちがいがある。
 このオペラの初演は1911年、時は第一次世界大戦が始まる三年前、シュトラウスと台本作者のホフマンスタールは、ハプスブルク帝国の凋落と崩壊を予感し、その墓碑銘として伯爵夫人に歌わせたのかもしれません。

 これまでに見た中でもっとも素敵なオペラであったと、山ノ神と意気投合。こんな素晴らしい人と気を贈ってくれた二期会と読響に感謝するとともに、日本オペラ界の実力もなかなかのものだと実感。これからもお金と時間の許す限り日本のオペラに足繁く通って、応援していきたいと思います。
# by sabasaba13 | 2017-08-01 06:24 | 音楽 | Comments(0)

近江編(20):京都(15.3)

 そして自転車を返却して近江八幡駅へ。明日は桂離宮と修学院離宮を訪れるので、今夜は京都に泊まります。琵琶湖線快速列車に乗って三十分ほどで京都駅に到着。八条口から歩いて十分ほどのところにある京都プラザホテルにチェックインをして部屋に荷物を置き、夕食をとるために駅方面へと行くと、途中に巨大な「イオンモール」がありました。最近よく見かけますがどうも好きになれずに、忌避してしまいます。インターネットで調べると、基本理念は「お客さま第一」、経営理念は「イオンモールは、地域とともに「暮らしの未来」をつくるLife Design Developerです。(※Life Designとは商業施設の枠組みを越えて、一人ひとりのライフステージを見据えたさまざまな機能拡充を行い、ショッピングだけでなく、人との出逢いや文化育成なども含めた"暮らしの未来"をデザインすること)」だそうです。「お客さま第一」か… トランプ大統領も小池百合子都知事もよく使う表現ですが、少々違和感を持っております。アメリカや都民やお客様を第一に考えるということは、他の者は犠牲になってもよいということを含意しているのではないでしょうか。社会や人間ってそんなに単純なものではないと思うのですが。その違和感に言葉を与えてくれたのが、橋本治氏です。『たとえ世界が終わっても』(集英社新書0870)から引用します。
 だから、「この先どうするの?」って話だけど、「大きくならない金儲けの方法」って、実はすごく簡単なんです。「今、本当になにが必要なのか?」っていう実体経済に根差した需要をきちんと見極めて、自分たちの出来る限りのものを作って供給するっていうことだけやってりゃいいわけよ。そういうことやったって「大きく儲かる」ということは起こりませんけどね。でも、そういう「小さな産業」とはいわないけれども、個人商店のようなものがいくつもあれば、自ずとリスクも分散されることになる。それって、ビジネスとして考えても、危機管理の鉄則にかなっているいいやり方なんですよ。シャッター通りもなくなるしね。
 ところが、大国幻想を持っている人たちは、そういうめんどくさいことを考えないわけです。日本は中小や零細企業が多くて、昭和の30年代くらいまでの日本政府は、そういう企業をなくして大きくしなきゃだめなんだと思ってた。そういう流れは潜在的にその後もあるから、「小さな商店はもう成り立たないから、全部でっかく統合して、なんでもかんでもイオンみたいな巨大なショッピングモールにしよう」っていうことになる。でも、そのショッピングモールの業績が傾いたら、「ここの支店は採算割れだから閉店します」になる。そうなると、今度は、その地域の人たちがなんにも買えなくなるわけでしょ? そういう事態は、地域の過疎化によって、もう実際に起こってる。(p.124~5)
 そう、採算割れをしたら閉店するはずです。つまり「お客さま(の持っているお金)第一」ということですね。街のためにイオンモールがあるのではなく、イオンモールのために街がある。イオンモールのために地元資本の小商いが壊滅してもしったこっちゃない。そう、「経済」の申し子です。足早にその付近から立ち去り、京都駅の「京とんちん亭」に入って、ねぎ焼きとしめをいただきました。
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 売店で地酒を購入してホテルへ戻り、明日の旅程に思いを馳せながら就寝。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2017-07-31 06:22 | 近畿 | Comments(0)