カテゴリ:四国( 64 )

瀬戸内編(28):高松空港(11.3)

 地下の市営駐車場で自転車を返却し、空港行きにバスに乗り込みました。なお高松空港にはイサム・ノグチの作品「タイム・アンド・スペース」があるという情報を入手していたので目を凝らしていると…あった、空港すぐ手前の車道分岐点に野外展示されていました。空港で搭乗手続きをし、山ノ神はお買い物、私は作品の見物に向いました。しかし大回りをしなければならないので、歩くとけっこう時間がかかりそうです。飛行機に乗り遅れるわけにもいかないし、しようがない、駐車場のあたりから遠望して戻ることにしました。山ノ神と合流し、空港内にあったお遍路さんの顔はめ看板を撮影。待合室に入ると、ガラスに電話がとりつけてあり、見送りの人と会話ができるようになっています。これは「幸福の黄色いハンカチ」ごっこができそうですね。
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 そして搭乗、飛行機は一路、東京をめざして飛行していきます。これほど気が重い帰郷は初めて。いったいいつになったら、福島第一原発事故は収束するのでしょうか。数か月…数年…数十年…数百年、予測も想像もできません。間違いないのは、これからしばらくの間、再臨界や水素爆発に怯えながら日々を営んでいかなければならないこと。まるで原発や原発事故などなかったかのように、のほほんと呑気に暮していくという選択肢もありますが。そして私が危惧するのは、第二、第三の原発事故が発生すること。各電力会社は慌てて津波対策に取り組んでいるようですが、はたして効果はあるのか。何よりも直下型地震が原発を直撃し、稼働中の原子炉に致命的ダメージを与えたら、いったいどんな地獄が日本に現出するのか。たまたま停止中だとしても、使用済み核燃料貯蔵施設が壊滅的な打撃を受けたら… 私がそれなりに愛している、この列島の自然は、そしてこの列島に暮す人々はどうなってしまうのでしょう。許せないのは、この国の自然やそこに住む人々を脅かす原発建設を推進してきた方々(自民党・民主党・官僚・企業)が、"愛国心"の涵養を声高に叫び続けてきた/いることです。きっと国家権力を利用して行なわれた行為を愛せ、それに逆らうな・従え、それについて考えるな・批判するな、ということなのでしょうね。その行為によって手に入れた利権を隠蔽するために。いいかげんに目を覚まして、考え、批判して、行動して、彼らの暴走を食い止めませんか。さもないととりかえしがつかないことになりかねません。もう手遅れかもしれませんが。
 人間は滅び得るものだ。そうかもしれない。しかし、抵抗しながら滅びようではないか? そしてもし虚無が我々のために保留されてあるとしても、それが正しいというようなことにはならないようにしよう。(セナンクゥール)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-09-01 09:20 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(27):栗林公園(11.3)

 途中にあったのが菊池寛通り。彼は高松の出身だったのですね。
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 駅から十五分ほど走ると栗林公園に到着です。ウィキペディアから引用します。
 紫雲山を借景として6つの池と13の築山を巧妙に配した大名庭園で、回遊式庭園の南庭と近代的に整備された準洋式の北庭からなっている。面積は約75ヘクタールと特別名勝に指定されている庭園の中では最大の広さである。
 1625年頃、讃岐領主生駒高俊によって、南湖一帯が造営され、1642年入封した松平頼重に引き継がれ以後松平氏5代約100年をかけて完成した。明治新政府の管理下におかれた後、1875年に県立公園になり一般に公開された。1953年には特別名勝に指定された。
 なお、2009年3月16日発売のミシュラン観光ガイドに「わざわざ訪れる価値のある場所」として最高評価3つ星に選定されたそうな。これは期待できそうです。ただ残念なことに飛行機の搭乗時刻を計算に入れると三十分ぐらいしかいられません。受付で確認したビュー・ポイント、「芙蓉峰」と「飛来峰」を中心に攻めて、三十分たったら潔く撤退することにしました。それでは中に…ぬぅわに! 銭をとるのか! 入園料は400円、"公園"と名乗るのだったらロハにしてほしいですね、見識を疑います。せんかたない、入園料を支払い地図をもらって中へ入りました。すぐに左の方へ歩を進めて、芙蓉峰をめざします。桜の名所ということなのですが、残念ながら開花にはまだ早いようです。北湖に沿ってすこし歩くと、小山の上なる芙蓉峰に到着。ここからは北湖と紫雲山の雄大な眺めを一望できます。そして園内最大の橋、偃月橋へ。弓張り月(三日月)が湖面に影を映す姿から名付けられたそうです。橋のたもとの桜が八分咲き、これですこしは溜飲が下がりました。橋を渡ったところにある売店のあたりから、偃月橋と桜と白鷺と鯉を写真におさめました。そして小山の上なる飛来峰へ、なるほどここからの眺めは絶景です。紫雲山と南湖、数寄屋造りの掬月亭と偃月橋、そしてアクセントとなる桜、まるで一幅の絵のようでした。南湖沿いに歩いて掬月亭を通り過ぎたあたりでタイム・アップ、名残りは尽きねどそれそろ撤退しなければなりません。東門へ戻り、自転車にまたがって高松駅へと向かいましょう。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2012-08-31 06:18 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(26):ジョージナカシマ記念館(11.3)

 ふと壁を見ると、一目でそれとわかるタッチで描かれたデッサンが飾ってありました。ベン・シャーンだ。係の方にその由来を訊ねると、ちょっと驚いた顔をされて、ジョージ・ナカシマと深い交友があったと教えてくれました。またイサム・ノグチとも親交があったそうです。私が敬愛する二人と、いま敬愛の念をもった彼に、"友だちの輪"があったなんてすこし嬉しくなりました。一階は、桜製作所が作ったジョージ・ナカシマによるデザインの椅子やテーブルを展示・販売しているフロアです。ここでは自由に座ることができるのだ、次から次へとその座り心地を味わってしまいました。うーん、仕事を終えて家に帰り、この椅子に座って、女房のお尻を眺めながらエビスビールを飲んで、ビリー・ホリディの"WHEN YOU'RE SMILING"を聴いたら、もう至上の愉悦ですね。ぜひ欲しいな。私が一番気に入った、片側にアーム・レストがついた「ラウンジアーム」の価格を見ると…262,500円… 女房を質に入れても変えないな、などと言ったら三行り半を口に銜えさせられコンクリート漬けにされて大阪南港に投げ込まれてしまうので議事録から消去してください。あきらめました。なお京都には彼が設計したカトリック桂教会聖堂があることもわかりましたので、今年の錦秋には訪れてみるつもりです。
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 トイレの男女表示もちょいと洒落たものでしたので撮影。
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 塩屋駅に戻り、ことでんに乗って高松築港駅に到着。JR高松駅に歩いていき駅構内にある「高松駅連絡船うどん店」に入りました。1987(昭和62)年まで宇高連絡船のデッキで販売していたうどんのだしを再現したそうです。店内は立ち食いですが、外にあるテーブルと椅子が空いていたのでそちらでいただきました。ほどよいコシと滋味あふれるダシを堪能、やはり讃岐うどんは美味しいですね。
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 さてそれでは本日最後の訪問地、栗林公園へと行きましょう。駅前の地下にある市営駐車場で自転車を借りようとすると、簡単な書式に記入させられ、「レンタサイクル利用証」をくれました。どうやらここ高松市では、市民もレンタサイクルを利用しているのですね。町ぐるみで自転車利用を促進しているもようです。これは素晴らしい! 自動車撲滅委員会練馬支部長としては諸手を挙げて賛同いたします。町のあちこちに、自転車を借りられ乗り捨てられるステーションと、駐輪場があれば、あの忌まわしい化け物から町を人間の手に取り戻せるのではないかな。自転車用エスカレーターに車体を乗せて地上に上がり、公園の方へ走っていくと、歩道の半分が自転車専用レーンとなっていました。いよいよもって感嘆いたします。いいぞ高松!
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-08-30 08:14 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(25):ジョージナカシマ記念館(11.3)

 さてジョージナカシマ記念館はどこだろう? ご近所の方に訊ねると、志度街道(国道11号線)を西へ数分歩くとすぐわかるとのこと。仰せの通りに歩いていくと、記念館に到着です。パンフレットから彼のプロフィールを引用します。
 ジョージナカシマは、米国籍の日系二世。ワシントン州のシアトルで育ち、大学で森林学と建築学を学ぶ。建築家として経験を積むが、当時の米国現代建築を見て失望。全てを自身で統合できる家具作りの道を選ぶ。
 ペンシルヴァニア州ニューホープで手に入れた未開の森を切り開いて作った工房では、木目の美しい無垢材を使って手作りで家具を製作。木の特性を活かした構造と、シンプルで知的なデザインで、またたく間に家具作家として世界的に評価される。
 1964年、彫刻家流政之の薦めで初めて高松へ。地元の職人達を中心とする「讃岐民具連」を知り、自ら参加。桜製作所の協力を得て、1968年から計8回のジョージナカシマ展を東京で開催した。1990年に亡くなった後も、ナカシマデザインの家具は、米国ニューホープの工房と四国高松の桜製作所の2ヶ所で作り続けられている。
 それでは入館しましょう。二階が彼の作品の展示室となっています。まずは係の方が、掲示されている写真を使いながら、彼とその作品について懇切丁寧に説明してくれました。へえー、1934(昭和9)年に来日して、アントニン・レーモンド建築事務所で働いたのか。同僚には前川國男・吉村順三らがいたそうです。翌年には、軽井沢聖パウロカトリック教会の設計と家具の設計に参加。帰国後、太平洋戦争が勃発、彼は家族と共に日系人強制収容所に抑留されます。そこで日系二世の大工と知り合い、基本的な木工技術と木についての知識を得たことが大きな糧となったとのこと。なおジョージ・ナカシマが世界で唯一その技術を認め、ともに家具製作をしてきた桜製作所が創業60周年を記念して設立したのが、この記念館です。そして展示されている家具についての説明を受けました。椅子、テーブル、どれも奇を衒った意匠ではなく、あたたかな曲線で構成されたシンプルなものです。そして木目の美しさを活かしていることが印象に残りました。氏曰く、部材は全て、接着剤や釘などを使わず、伝統的な木組みによって組立てられているそうです。驚いたのは、普通だったら利用されないであろう洞がある板でも、接ぎ木を上手く使ってテーブルにしていることです。木に対する、彼の畏敬の念がひしひしと伝わってきます。また一見華奢そうに見えるけれど、建築学の知識を応用しているためたいへん頑丈にできているそうです。「背もたれ部分を構成する細長い木材は、背中を心地よく支えるよう微妙にふくらみをもたせてあります」「ほー」「座ってみますか」「へ?」 …もちのろんです。たぶんオリジナルではなく、桜製作所が作ったものだと思いますが、そこにあった木の椅子に静かに腰をかけました。…何と言えばいいのでしょう、まるで椅子に包まれているような気持ちです。座板と背もたれの玄妙な曲面が身体にフィットし、椅子と我が一如になってしまいました。見て美しく、座って心地よい椅子、これがジョージ・ナカシマの椅子なのですね。「その長い年月を思い、木を活かす次の働き場所を見つけてあげることが大切です」、彼の言葉です。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-08-29 09:50 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(24):イサム・ノグチ庭園美術館(11.3)

 そして三十分後に集合、係員に引率されて、まずは美術館の前にある、古い民家を移築した「イサム家(や)」の外観を見学。ここは彼が牟礼を訪れた時に住んでいた家です。窓から覗きこむしかないのでよく見えないのが残念なのですが、彼がデザインした「あかり」や洒落た調度品を垣間見られます。そして後半の三十分は彼が設計した庭園を自由に見学。石で表現した川と滝、月見台、その先には巨大な土饅頭のような丘がつくられています。天辺に上がると、屋島が一望できる見事な眺望、背後をふりかえると五剣山。彼が世界で最も好きだった場所だと言ったそうです。そして中央には高さ2mほどの卵形の巨石(岡山産安成石)が置かれ、屋島の方を沈黙しながら凝視しています。彼はこの石が大好きで、死ぬ直前に「二つに割って中に入りたい」と言ったそうです。石になって、地球と一つになりたかったのですね。二度目ですが、今回も濃密な、凝縮された、そして心躍る一時間でした。山ノ神もご満悦の様子、ほんとうに来てよかったと思います。
 さて帰りは、往路とは違った道を歩いてみましょう。まずは史跡「駒立岩」、那須与一が見事、扇の的を射抜いたところです。その隣にあった、寄棟下見板張り二階建の木造建築がちょっと気になる物件でした。窓ガラスに×の字にテープが貼ってあるのが意味深です。
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 近くにあったマンホールの蓋は、那須与一と椿の意匠でした。このあたりも石材店が櫛比し、石造物や石の彫刻を門前に飾るお宅も散見されます。
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 「盗難品」というポスターには、盗まれた石のふくろうの写真が載せられていました。心無い行為ですね。電信柱に「へんろみち」「歩きへんろ道」というステッカーが貼ってありましたが、さすがは四国です。
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 そして史跡「弓流しの跡」を拝見。義経が海上で弓を落とし、平家方に拾われて「こんな張りの弱い弓を使っている」と嗤われるのを恐れたため、危険を犯して拾い上げたという逸話ですね。
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 ある石屋の店頭には、大きな石の上に仁王立ちになり紺碧の瀬戸内海を見下ろす石工の素敵なポスターが飾ってありました。いいなあ、自分が何をしているんだかよくわからない職業が多い中、"自然を相手に石を切り出す"という確固とした揺るぎない仕事をしているという誇りに満ち溢れていますね。その先にあった体験入浴場の名前は「無死不老(むしふろ)」、なんともザッハリッヒカイトなネーミングです。
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 源平屋島合戦古戦場の碑を見て、すこし歩くと八栗駅に到着です。ここから志度行きの列車に乗って八分ほどで塩屋駅に到着。駅のすぐ隣に、学校らしき廃屋がありました。横に細長い寄棟下見板張りの平屋で、洋風の車寄せが印象的な建物、一見して只者ではないとわかるのですがその由緒は不明です。ご教示を乞う。
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 本日の一枚はイサム家です。
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by sabasaba13 | 2012-08-28 06:26 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(23):イサム・ノグチ庭園美術館(11.3)

 まずはイサム・ノグチとこの美術館について簡単な紹介をしておきます。イサム・ノグチ(1904~88)。アメリカの現代彫刻家。英文学者で詩人の野口米次郎と、作家レオニー・ギルモアとの間に生まれ、少年期は日本で育つ。渡米した後、彫刻家 を志し、アジア・ヨーロッパを旅して見聞を広めた。パリでは彫刻家ブランクーシの助手をつとめる。ニューヨークに居を定め、肖像彫刻、舞台美術をへて環境彫刻やランドスケープ・デザインにまで幅広い活動を開始する。戦後は日本でも陶器作品や、和紙を使った「あかり」のデザインなどを行う。その後、アメリカ国内外の各地で、彫刻、モニュメント、環境設計を続け、文字通り「地球を彫刻した男」と呼ばれる。1988年12月30日ニューヨークで没。その彼が庵治石と屋島・五剣山とこの地の石工の技術に惹かれて、ここ牟礼にアトリエをかまえ一年のうち数ヶ月を必ず過ごしたそうです。そして生前から自分の作品を展示する庭園美術館としても構想し、設計・作品の配置をてがけていました。そのアトリエ・作業場・住居・庭園・美術館が渾然一体となったものが、ここイサム・ノグチ庭園美術館です。開館は週に三日のみ、往復葉書で予約、見学は案内にしたがい一時間、入館料二千円。なお著作権はNYの財団が所有しているので写真撮影は禁止です。
 受付のある建物に行くと、前回は四人だったのに、十数人の方が待っておられました。彼の芸術がじょじょに認知されてきたのでしょうか。予約確認の葉書を渡し入館料を支払うと、目印として胸につける小さなシールをもらいました。彼が作品に刻んだサイン、"I.N."ですね。ここで販売されている、彼のデザインした照明「あかり」を眺めていると、見学時間となりました。
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 まず係の方から諸注意を受け、案内に従ってぞろぞろと移動します。まず前半の30分は美術館の見学です。入口は、鍵もついておらず、簡単に乗り越えられる竹製の戸。これもイサム・ノグチの考案なのでしょうか。だとしたら、いかにも彼らしいアイデアです。ずらした戸から中に入ると、古い民家を利用した展示館、作業場、野外展示されている彼の作品群があります。こちらで三十分の自由時間、みなさん三々五々ばらけましたが、私は山ノ神を連れて係員の後についていきました。そう、前回経験したあの劇的な瞬間を彼女にも味わってもらいたいがためです。展示館の中に入り、係りの方が大きな引戸をごろごろと次々に開けていきます。じょじょに差し込む陽の光。そして最後に一番奥の引戸を開けると、差し込む陽光とともに彼の代表作「Energy Void」がじょじょに浮かび上がってきます。荘厳にして劇的な一瞬、山ノ神も息を呑んだように引きつけられていました。黒色花崗岩でできた高さ3.6mの、微妙に捩じれた縦に細長い"口"の形をした大きな彫刻。見る角度で千変万化する表情、間の手で磨き上げた温もりに溢れた黒褐色の表面、時を忘れてしばらく見詰めてしまいました。後はわれわれも自由行動、今にも彼がふらっと現れそうな戻ってきそうな、当時のまま保存された作業場や作品群を拝見しました。なお作品名・制作日時等の表示は一切なし。作品そのものから何かを感じ取って欲しいという彼の要望だそうです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-08-27 06:24 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(22):イサム・ノグチ庭園美術館へ(11.3)

 朝目覚めてカーテンを開けると、お天道様が微笑んでおられました。どうやら今日も好天に恵まれそうです。今日は、予約をしておいたイサム・ノグチ庭園美術館を見学し、自転車を借りて栗林公園と高松市内の美術館・博物館を回って、讃岐うどんを食べて帰郷する予定です。しかし「るるぶ」に気になる物件が紹介されていました。イサム・ノグチ庭園美術館からほど近いところにあるジョージナカシマ記念館です。うろ覚えなのですが、漫画『ギャラリーフェイク』(細野不二彦)に登場した家具作りの名人ではなかろうか。ちょっとそそられるので寄ってみたいな、山ノ神に相談すると「くるしゅうない」というお答え。それでは旅程に組み込みましょう。ホテルで朝食をとりチェックアウト、高松駅のコインロッカーに荷物を預け、8:54に高松築港駅から琴平電鉄(ことでん)長尾線瓦町行きに乗り、瓦町で志度線志度行きに乗り換えました。
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 そして9:25に八栗駅に到着、このあたりは石材の産地として有名な牟礼です。駅構内には、石の切り出しや積み出しの様子を撮った古い写真が展示してありました。駅付近の観光地図をカメラに収め、さあ出発。
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 まずは史跡「射落畠」の解説板がありました。1185(寿永4)年、源平合戦の際に、源氏の武将佐藤継信が義経の身代わりとなって射落とされた場所だそうです。その先には、四国霊場85番札所八栗寺への道標がありました。こちらは以前に訪れたことがあるのでカット。
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 両足の間に三つの突起がついたものがある、不思議な交通安全足型を撮影。これは以前に引田で見かけたので香川県に特有のものかもしれません。なおcoelacanthさんのご教示によると、右見て、左見て、信号確認の三つを忘れないための突起(三本指?)だそうです。それにしても石屋さんの多いこと多いこと、さすがは牟礼です。その中に「和泉屋石材店」という看板があったのですが、たぶんイサム・ノグチの良き協力者であった和泉正敏氏のお店だと思います。
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 史跡「景清の錣(しころ)引の伝説」を紹介した解説板を拝見。源平合戦の際に、太刀を折られ、逃げる源氏の美尾屋十郎の兜を平家の悪七兵衛景清が熊手で引っかけ、強い腕の力で兜の錣をひきちぎったそうな。「だからなんだってんだ」と言われたら、「そういうもんだ」としか答えられませんが。次の史跡は「祈り岩」、那須与一が、平家の船がかかげた扇を射る際に、この岩のところで祈ったそうです。
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 美術館への方向を示す道標にしたがって歩いていくと、駐車場に彼が設計した遊具プレイ・スカルプチュアがありました。そして石垣で囲まれた庭園美術館が姿を現しました。私は二度目ですが、山ノ神は初めてです。私が薦めた『イサム・ノグチ 宿命の越境者』(ドウス昌代 講談社文庫)を読んで興味を抱き、昨年の秋にはモエレ沼公園を一緒に訪れていたく感銘し、ぜひここを見学したいとせがまれました。義を見てせざるは勇なきなり、ようがす、一肌脱ぎましょう。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-08-26 10:11 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(21):高松(11.3)

 そして草壁港に到着、最終便の高速船の出航は17:45、時間が二十分ほどあるのでターミナルの食堂で小豆島名物のそうめんをいただきました。売店では、「見送り用紙テープ」を七個300円で販売していましたが、一度これを投げて見送りの人と別れを惜しんでみたいものです。
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 そして港に出ると、落日が美しく海に映えていました。しかしわれわれが乗る高速船は室外に出られません。残念無念、波で汚れた窓を通してしか美しい夕陽を見ることができませんでした。
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 そして45分ほどで高松港に着岸、コインロッカーから荷物を取り出し、駅近くのホテルでチェックイン。部屋に入ってさっそくテレビニュースを見ると…福島第一原発で放射能に汚染された高濃度の汚水が見つかったそうです。やれやれ、なんでまた、こんなとてつもなく危険でとてつもなく厄介な代物を55基もつくったのだろう… ま、国民の命や暮らしを屁とも思わない企業・政治家・官僚が結託して、己の利権のためにつくったのでしょうが。その甘言に騙されて、考えもせず批判もせず、まるで原発がないかのようにのほほんと暮してきた多くの方々の責任も問わねばなりません。子供の学力不足よりも、大人の学力不足の方が深刻です。気が滅入ってきましたが、やはりお腹はへりました。夕食を食べに行きましょう。讃岐うどんは明日の楽しみにとっておき、今晩は「るるぶ」で紹介されていた「餃子の寺岡」に行ってみることにしました。スダチと塩コショウで食べる鶏肉餃子がお目当てです。何でも丸亀が本拠地とのことですが、高松にも支店を出しているのですね。アーケード商店街を分断する琴平線の踏切を渡り、お店を発見。いそいそと入店しスダチ餃子を注文すると、店員さん曰く、スダチが旬でないためレモンで代用しているとのこと。ああ無念。というわけでそれなりに美味しいレモン餃子をいただきました。そして酒屋で地酒を入手し部屋に戻り、シャワーを浴びて一献傾けました。さあ明日はいよいよ最終日です。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-08-25 09:29 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(20):小豆島(11.3)

 そしてしばらく海沿いの道を疾走、オリーブ公園から三十分弱で岬の分教場に着きました。「二十四の瞳」の舞台となった田浦分校で、1902(明治35)年に田浦尋常小学校として建築された木造平屋校舎で、その後苗羽小学校田浦分校として使用され、1971(昭和46)年に閉校となりました。小説「二十四の瞳」の舞台となり、松竹映画「二十四の瞳」(監督:木下恵介/主演:高峰秀子 1954年)のロケに使用されたことで一躍有名となりました。それではさっそく中に入ってみましょう。木の廊下の脇に教室が二つあるだけのシンプルな造りで、机・椅子・掲示物など閉校時のままに保存されていました。まるで時が止まってしまったかのようです。子供時代を過ごした学び舎が残っているのはいいものですね。
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 映画「二十四の瞳」の写真も展示されていましたが、ほんとにいい映画だったなあ。戦死した教え子を思い出す、大石先生の悲しみと苦渋の表情がわすれられません。私たちにとって唯一の希望である子供たち、その彼ら/彼女らを、国家権力にひたすら従順になるよう育て上げた教育を繰り返してはいけません。すると額の中の教育勅語が、「そう簡単にいくかな」と呟いたような気がしました。儀式において「日の丸」を掲揚し、生徒や教員に起立や「君が代」斉唱を強要する動きが気になる、今日この頃です。
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 すぐ先に「二十四の瞳映画村」があるそうですが、こちらは1987年にリメイクされた「二十四の瞳」(監督:朝間義隆/主演:田中裕子)のオープンセットを展示してあるだけなので、寄ることもないでしょう。草壁港に戻ってもらいましょう。途中にあったマルキン醤油が気になったので、車を停めてもらいました。瓦屋根と板塀の工場、彼方には寒霞渓、なかなかピクチャレスクな光景を撮影。屋根が黒いのは麹菌のせいだと、運転手さんが教えてくれました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-08-24 08:02 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(19):小豆島(11.3)

 資料館から十五分ほどで、「日本の棚田百選」にも選定されている中山千枚田に到着、すこし狭い坂道をタクシーでのぼるとすぐ目の前に広がっています。まだ水は張っていないのですが、複雑な形状の斜面を愛しむように造成した幾多の田んぼに見惚れてしまいました。ほぼ中央には、運転手さん曰く、どこから湧いているのかわからない水を使った共同洗い場がありました。
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 その近くにあるのが、中山農村歌舞伎舞台。茅葺寄棟造りの質素な舞台と、斜面のところどころに石を組んだ観客席がありました。役者はもちろん、義太夫や化粧、衣装、舞台、すべてを島の人たちが担う奉納歌舞伎でもう300年も続いているそうです。厳しい暮らしの中での、数少ない娯楽の一つだったのでしょうね。最盛期の明治・大正には、ここ小豆島だけで歌舞伎舞台が30以上ありましたが、残念ながら現存するのはここと肥土山の二ヶ所だけになったそうです。
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 そして十数分ほど海の方へ向かうと、オリーブ公園に到着です。小豆島といえば、やはりオリーブを忘れることはできません。ここ小豆島に初めてオリーブがやってきたのは1908(明治41)年、当時の農商務省が三重、鹿児島、香川の三県で、アメリカから輸入した苗木を使って試作を行ったのが始まりです。他の地域が木の成長に伸び悩み栽培を断念する中、小豆島に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正の初めには搾油が出来るほど実をつけるまでになりました。やはり、穏やかな地中海性気候に恵まれた小豆島の風土が、オリーブ栽培に適していたのでしょうね。うららかな陽光と潮風を浴びて、葉を生い茂らせるオリーブ林の中をしばし散策しました。ギリシアにあるような風車は、姉妹島として提携をするミロス島との友好の証として建設されたそうです。ミコノス島で同じような風車を見ましたが、やはり絵になりますね。
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 そしてすぐ近くにある、売店や喫茶のある「オリーブ記念館」に入りました。カチッ ん? 今、何か音がしませんでしたか。あっ山ノ神の眼の色が変わっています。そうか、買い物スイッチが入ったんだ。もうこうなったら、誰にも止めることができません。しばらく放置しておいて、私はトイレ男女表示を撮影し、外に出て海と島とオリーブ園の写真をしばらく撮りました。中に戻ると、製造番号の入ったエクストラバージンオリーブオイルを抱えて清算の真っ最中。
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 そして向かうは岬の分教場、途中で運転手さんお薦めの「つくだに屋さん」に寄りましたが、どうやら提携して客を連れ込むようですね。味見をしましたが特段美味でもなかったので購入せず。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2012-08-23 11:46 | 四国 | Comments(0)