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11.3 国会包囲大行動

 そう、あきらめません。11月3日の金曜日、「国会包囲大行動」に参加するために、国会議事堂に行きました。天気予報では雨模様でしたが、幸いなるかな当時は好天に恵まれました。プレ・コンサートでは、「トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース」など気合の入ったメッセージ・ソングを歌い続けている中川五郎氏が登場するというので、少し早めに駆けつけました。午後一時すこし過ぎに、地下鉄の駅から地上に出ると、思ったより多くの方々が押し寄せています。公園のベンチに陣取り、スピーカーから流れてくる中川五郎氏の力強い歌声にしばし耳を傾けました。ウディ・ガスリービクトル・ハラの名をまじえながら音楽による抵抗を主張し、原発事故を隠蔽しつつオリンピックを推進する安倍首相をコミカルに批判し、そして最後はボブ・ディランの「風に吹かれて」を日本語で歌ってくれました。いいですね、権力に抗おうというメッセージがびしびしと伝わってきます。忌野清志郎の"僕はね、ロックはメッセージだと思うよ。ロックでメッセージを伝えるのはダサイなんて言ってる奴は、ロックをわかっていないと思うな"という言葉をふと思い出しました。

 そして午後二時、いよいよ集会の始まりです。立憲民主党の枝野幸男代表のほか、野党の党首や国会議員、ノーベル平和賞受賞が決まった「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の川崎哲氏などのスピーチに、万雷の拍手がわいていました。中でも最高裁判事だった弁護士の浜田邦夫氏のメッセージが心に残りました。東京新聞(2017.11.4)に掲載されていたので、引用します。
 いったん戦争が始まれば被害を受けるのは米本土ではなく日本にある米の軍事施設や原発、日本の施設であり国民だ。

 安倍首相の口先にごまかされて、国民は裸の王様になっているのではないか。米国による安全保障とか、国内での安全・安心な暮らしといった立派な着物を着ていますよと言う、仕立屋の『テーラー安倍』に。
 伊丹万作曰く"だまされるということ自体がすでに悪である"、だまされずごまかされないための知恵と知識を持ちたいものですね。
 参加者は主催者発表で約四万人、「あきらめない」「へこたれない」「忘れない」という権力者がもっとも忌み嫌う気持を多くの方々と共有できたひと時でした。ただ気になるのは、若い人びとの姿が少なかったことです。選挙で棄権する若者、安倍内閣を支持する若者が多いという話をよく耳にしますが何故なのでしょう。子どもや若者の存在が、社会にとって唯一の希望なのに。『週刊金曜日』(№1159 17.11.3)の記事「議会制民主主義はもう機能していない」の中で、内田樹氏が以下のように述べられていました。
 立法府が「国権の最高機関」として威信を失えば、行政府が事実上国権の最高機関になり、官邸の発令する政令が法律に代わる(これが自民党改憲草案の「緊急事態条項」のかんどころである)。そうなればすべての社会制度が官邸の意のままに動く、効率的な「株式会社のような統治システム」が完成する。それこそ自民党が改憲を通じて実現しようとしている「夢の政体」である。
 若い有権者たちが自民党に好感を持つのは、自民党が作ろうとしているこの政体が彼らにはなじみ深いlものだからである。
 若い人たちは「株式会社のような制度」しか経験したことがない。トップが方針を決めて、下の者はただそれに従う。経営方針の適否はマーケットが判定するから、従業員はそれについて意見を求められることもなく、そもそも意見を持つ必要もない…というのが彼らが子どものときから経験してきたあらゆる組織の原理である。家庭も、学校も、部活も、バイトも、就職先も、全部「そういう組織」だった。彼らがそれを「自然」で「合理的」なシステムだと信じたとしても、私たちはそれを責めることができない。
 構成員が民主的な討議と対話を通じて合意形成し、組織のトップは成員たちの間から互選され、その言動の適否についてつねに成員たちのきびしい批判にさらされている「民主的組織」などというものを今どきの若い人は生まれてから一度も見たことがないのである。見たことがないのだから、「そんな空想社会をめざすなんて頭がおかしいんじゃないか」と冷笑するのは考えてみたら当然である。(p.11)
 なるほど、それだけではないと思いますが、納得できるひとつの分析ですね。日本は、そんなに簡単によくなる国じゃないということをあらためて痛感します。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-11-07 06:28 | 鶏肋 | Comments(0)

2017年衆議院選挙

 気鬱のため、しばらく休筆してしまいました。申し訳ありません。

 気鬱の原因は、もちろん衆議院選挙です。まず、安倍上等兵率いる自民党候補者に、なぜこれほど多くの有権者が票を投じたのか。これまで安倍上等兵内閣がしてきた施策を整理すると、憲法違反の秘密保護法制・安保法制・共謀罪法制、沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設強行、秘密だらけのTPP交渉、安全を無視した原発の再稼働・輸出、福島の被害者に対する冷酷な態度、一般国民を苦しめる消費税増税、政府・官邸による恐るべき言論統制と情報操作などなど。言うなればアメリカ・大企業・経済的強者・自民党・官僚ファースト、経済的弱者の棄民と地方の切り捨て、過半数の議席を得た政権は万能であり批判は許さないという傲岸な姿勢です。どれか一つをとっても万死に値すると私は思います。しかしこうした弱肉強食的政策を真っ当なものとして支持したがゆえの投票なのか。あるいは、それについて知らず、考えず、関心も持たず、何となく他の政権より良さそうだからという安易な理由からなのか。はたまた、北朝鮮への強硬な姿勢に好感をもったからなのか。いずれにせよ理解に苦しみます。
 二つ目は、戦後二番目の低さであるという、53.68%という投票率。気に入った候補者がいなければ投票する必要はないという、お買い物意識からなのでしょうか。しかし政治の世界には「黙っているなら認めたことになる」という厳しい原則があるですから、結果として46.32%の有権者は、安倍上等兵内閣に暗黙の支持を与えたことになります。それくらいのことも分からないのか、これも理解に苦しみます。

 やれやれ。でもあきらめません。古代中国人曰く、"自分が一番したいことはするな。敵がもっとも嫌がることをせよ"。安倍上等兵および自民党諸氏がもっとも嫌がるのは、私たちがあきらめることでしょうから。
 先哲の言葉を炬火として掲げながら、粘り強く抗いましょう。みんなが安心して暮らせる社会を求めて。
 進取的な国民の中では、性急さも結構だが、中国のような麻痺した場所に生まれた以上、それでは損するだけです。どんなに犠牲をはらったところで、自分をほろぼすのがせいぜい、国の状態には影響はありません。…この国の麻痺状態を直すには、ただ一つの方法しかない。それは「ねばり」であり、あるいは「絶えず刻む」ことです。(魯迅)

 われわれの戦いの見込みのないことは戦いの意味や尊厳を少しも傷つけるものではない。(V・E・フランクル)

 私たちが負けつづける限り、権力はいつまでも勝っておらねばならない。強者には一度の負けが決定的だが、弱者には負けることを止めたときが敗退なのだ。(金時鐘)

 カタ・ヒジはったら、ぷっつり、息切れがして、とても長続きはしないよ。日本は、そんなに簡単によくなる国じゃないんだ。(飯沼二郎)

by sabasaba13 | 2017-10-26 06:29 | 鶏肋 | Comments(2)

選挙は買い物ではない

 いよいよ衆議院総選挙ですね。民進党のゴタゴタにつけこみ、「希望の党」の準備が整わないうちに、北朝鮮の脅威を煽って過半数の議席を獲得してモリカケ疑惑に蓋をするとともに、憲法・法律を無視してやりたい放題をしようとする安倍上等兵。あわよくば第二・第三・第四自民党と合わせて三分の二以上の議席を占めて憲法改正/改悪をしてしまおうという腹もあるでしょう。なんとも有権者を愚弄した姑息な手法ですが、これはそこまでなめられている有権者にも責任がありますが。

 さてこれまで安倍上等兵内閣がしてきた施策を整理しましょう。憲法違反の秘密保護法制・安保法制・共謀罪法制、沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設強行、秘密だらけのTPP交渉、安全を無視した原発の再稼働・輸出、福島の被害者に対する冷酷な態度、一般国民を苦しめる消費税増税、政府・官邸による恐るべき言論統制と情報操作などなど。アメリカ・大企業・経済的強者・自民党・官僚ファースト、経済的弱者の棄民と地方の切り捨て、過半数の議席を得た政権は万能であり批判は許さないという傲岸な姿勢、といったところでしょうか。よってこの政権を支持するのは、恩恵を与えられる1%(ぐらいかな)の経済的・社会的強者だと思うのですが、現実はさにあらん。何故、強者でない99%(ぐらいかな)の方々がこの政権を支持しているのでしょうか。自分を含めた弱者を切り捨てることが経済発展と国力強化に資すると考えているのか、「他の政権よりもまし」という理由にもならない理由なのか、はたまた中国・韓国・北朝鮮への強気な姿勢に惚れこみ自分も強くなった気でいるからか、よくわかりません。いずれにせよ、この阿漕で姑息で低劣な政権の本質を知らない、知ろうとしないことに原因があるのではと愚考します。ちょっと疑問に思って、ちょっと調べて、ちょっとを読んで、ちょっと考えればわかることなのに。政治に対してあまりに無知・無関心な人々が激増しているような気がします。

 今回の選挙は、上記の政策の是非が問われるとともに、憲法九条の改正(改悪)か維持かがとわれる非常に重要なものです。その結果、自民党とその同調勢力が勢いをつければ、強者ファーストに加えてアメリカの戦争の片棒を合法的に担ぐという事態になりかねません。有権者には、ぜひとも慎重に一票を投じて欲しいと衷心から願っております。
 ただ危惧するのは投票率です。前回の衆議院議員総選挙の投票率は52.66%… 今回の選挙は「弱いやつを切り捨てて戦争に突っ走るけどいい?」と問われているわけですが、「どうでもいいよ」と棄権する有権者がどれくらいになるのか。50%そこそこの投票率でこんな重要なことにゴーサインが出されたと強弁されてはたまったものではありません。でも心配だなあ。
 どうすれば投票所に足を運ばねば、と多くの人に思ってもらえるか。実は最近読んだ『転換期を生きるきみたちへ 中高生に伝えておきたいたいせつなこと』(内田樹編 晶文社)の中に、白井聡氏による「消費社会とは何か-「お買い物」の論理を超えて」という素晴らしい評論がありました。その一部を紹介します。
 問題は、「行っても無駄だ、だから行かない」という思考回路であり、これこそが、分析され、批判され、乗り越えられなければならない、ということです。
 重要なのは、「どうせ行っても何も変わらないから行かない」という行動様式は、消費社会のそれとしては正しい、ということです。投票するとはどういうことなのか。投票行動は買い物のようなものである、ととらえることができるかもしれません。このようなとらえ方は、少なくない政治の専門家が現にしています。お店で欲しいものを探し、それがあればお金と引き換えにそれを買うのと同じように、期待する政治家を選んで、お金の代わりに一票を入れる。この見方によれば、投票所に行ったのに積極的に票を入れたくなるような候補がいないという状態は、買い物に行っても欲しいものはないとあらかじめわかっているならば、家から出ない方が合理的な行動です。同じように、期待できそうな政治家がいないのならば、わざわざ投票所に足を運ぶことは、バカげたことであり、家で寝ている人の方が賢い、ということになります。
 こうしてわかることは、社会的矛盾が増大し、政治の果たすべき役割の重要さが増しているにもかかわらず投票率が下落し続けるのは、人々がある意味で合理的に行動している結果だ、ということです。しかしながら、ここで批判されねばならないのは、こうした行動に現れている「ある意味の合理性」「消費社会的合理性」にほかなりません。明らかにされねばならないのは、投票することを買い物と同じようなものととらえていることの根底的な誤りです。
 買い物と投票するという政治的行為の根本的な違いは、選択可能性ということです。お買い物に行った場合、私たちは選び放題に選ぶことができます。この店が気に入れなければ別の店へ、その店も気に入らなければまた別の店へと渡り歩き、どれも気に入らなければ何も買わないで帰る、ということも自由です。そのようにしたところで誰も文句は言わないどころか、どのお店でも店員さんは、何も買わなくても「またぜひお越しくださいませ」と実に丁寧な態度で接してくれます。なぜなら、物があふれた消費社会においては、どんなチャンスでもとらえてお客の欲望を掻き立て、物を買ってもらわなければならないからです。そのためには、お客の食指が少しでも動きそうな物を取り揃えておくわけで、そのなかから私たちは選び放題だし、それらの商品に私たちは関わらないでいることも選択できる、というわけです。
 これに対して、政治は全く違います。私たちの多くが選挙で棄権し、投票率が下がっても、誰かは必ず当選し、選ばれた人たちのなかから政権が成立します。その政権が愚かな政策を推進した場合、その悪影響は投票した人にもしなかった人にも及びます。政治を嫌ったり、政治に対して無関心でいることはできますが、嫌おうが放っておこうが、その影響から逃れることは誰もできません。政治における究極の事象は戦争ですが、戦争が起きた場合、その影響は生命への損害という形にまで高まります。
 ですから、「期待できる候補がいないから投票に行かない」という行動がどれほど愚かしいものなのか、すでに明らかだと思います。政治権力を委ねる相手を選ぶという行為は、買い物に出かけることとは、全く異なるものです。積極的に選びたい候補者がいようがいまいが、選ばれた権力は現実に私たちの生活に影響を及ぼします。その意味で、投票という政治的行為に、選択可能性はないのです。ぜひこの人に当選して欲しいという候補者がいない場合でも(そのようなケースは非常にしばしばあります)、私たちは「なるべくマシな」、もっと言えば「最も害の少なそうな」候補を選出しようとするのが、当然の行為です。政治は、お買い物と違って、積極的に選びたくなるものをお膳立てしてくれたりはしないのです。(p.214~6)
 そう、選挙はお買い物ではないのですね。私も「なるべくマシな」「最も害の少なそうな」政党と候補者を慎重に選んで投票所に行こうと思います。
by sabasaba13 | 2017-10-10 06:31 | 鶏肋 | Comments(0)

続・前原誠司という男

 アメリカの飼い犬、前原誠司氏については、以前に拙ブログで紹介しましたが、『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別』(新崎盛暉 高文研)を読んでいたら、また登場しました。以下、引用します。
 だが(※2010年)9月に行われた名護市議選では、稲嶺市長派が4議席増の16議席、島袋前市長派が1議席減の11議席となって稲嶺市長支持基盤は強固なものになった。前原誠司国交相(沖縄担当相)などが、民主党も推薦して当選した稲嶺市長の頭越しに、自公推薦で落選した島袋前市長やその周辺の利権がらみの地域ボスたちと接触し、多数派工作を繰り返したことへの反発もあっただろう。前原国交相や北澤防衛相は、鳩山首相が「国外、県外」の旗を降ろしてはいない1月の市長選挙の段階から、民主党沖縄県連は稲嶺支持であるにもかかわらず、裏で島袋前市長を支持していたとも言われ、落選後上京した島袋吉和を慰労していた。(p.55~6)

 すでにこれより先の(※2011年)7月、前原政調会長は、自民党の中谷元、公明党の佐藤茂樹と共に「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」の代表幹事として沖縄を訪れ、自公民いずれが政権を担おうとも、超党派で辺野古移設を推進していくと強調している。彼らの地元分断工作に尻を叩かれ、地元容認派は、「普天間移設と北部振興策は明らかにリンクしている」として「北部振興推進・名護大会」を開き(10月26日)、容認派から誘致派へと脱皮しつつある。(p.63~4)

 2010年9月、尖閣諸島海域で、中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件が起こった。当時、海上保安庁を所管する前原誠司国交相(沖縄担当相兼担)らは、この問題を利用して中国脅威論をあおり、在沖米軍基地、とりわけ普天間の海兵隊基地やそれに代わる辺野古の新基地建設の必要性を強調する根拠として、最大限利用しようとした。(p.78)
 今、読んでいる『終わらない〈占領〉』(孫崎享・木村朗編 法律文化社)にも登場しました。引用します。
 普天間基地問題で政権交代前に「国外移設、最低でも県外移設」を掲げていた鳩山民主党政権が、その基本方針を何ら具体化できずに「迷走」して放棄することになったのは、当時の官邸(平野博文官房長官)・外務省(岡田克也大臣)・防衛省(北澤俊美大臣)・国交省(前原誠司大臣)が、外務・防衛官僚と一体となって鳩山由紀夫首相の意思を無視して、従来の対米従属路線で動いたからに他ならない(のちにウィキリークス情報によって判明)。(p.77)
 やれやれ。ま、でも、極右の「希望の塔」に合流したことですっきりしました。後は衆議院議員選挙で、主権者である私たちが審判を下すのみですね。このまま沖縄の人々に犠牲を強いて平気でいる政党に投票するのか、道義心と人間性をもとに新基地建設に反対する政党に投票するのか。

 沖縄「返還」時に佐藤首相の密使を務めた若泉敬氏は晩年、平和を享受しながら沖縄に目を向けない本土を「愚者の楽園」と呼んだそうです(2010年6月19日放送NHKスペシャル 『密使 若泉敬 沖縄返還の代償』)。このまま「愚者の楽園」にいることを選ぶのか、それとも誇り高き別の道を歩むことを選ぶのか。
by sabasaba13 | 2017-10-08 07:38 | 鶏肋 | Comments(0)

前原誠司という男

 民進党の新代表として前原誠司氏が進出されました。やれやれ。

 この方がどんな御仁なのか? 一見さわやかで誠実そうな外観ですが、どうしてどうして。私たちの利益よりもアメリカの国益を優先する、まるでアメリカの飼い犬のような、たいしたお方です。『沖縄の〈怒〉 日米への抵抗』(ガバン・マコーマック+乗松聡子 法律文化社)から引用します。
 鳩山政権下の高官たちは政治家も官僚も、半世紀以上にわたる自民党政権時代の前任者たちと同様、首相や日本の有権者にではなく、米国に忠実であった。前原誠司は典型的である。2010年2月、鳩山が普天間移設代替案の問題で内外から圧力を受けていた頃、米国のお気に入りの前原(国土交通・沖縄および北方対策担当大臣、後の外相)はキャンベル国務次官補とグレグソン国防次官補と会い(ルース公電、10TOKYO247)、普天間問題を米国の都合のいいように進めるための会合を持ち、自らの内閣内の問題分子(社民党の福島瑞穂)への対処等について話している。普天間移設諸案の検討を「信頼できる自衛隊の仲間たち」にお願いしていると、シビリアンコントロールの原則に抵触するような発言もしている。前原は、キャンベルに「日本政府がもっと日米同盟への支持を公的に表明すべき」と言われ、「自分は機会あるごとに日米同盟への支持を表明している」と言い、山岡賢次・民主党国会対策委員長が提案した(小沢一郎が支持し、東アジア共同体を提唱する鳩山の考えにも近い)米日中の「正三角形論」については「ばかげている」と付け加えたとされる。一国の大臣が他国の要人とこのような話をしていたら通常の感覚ではスパイ行為と見なされるが、日米「同盟」下ではこのような異常さが「正常」の範疇に入るのだろうか。(p.125~6)
 "信頼できる自衛隊の仲間たち"にお願いして、沖縄県民の願いを無視してアメリカに有利な普天間基地移設を画策し、アメリカに批判的な社民党を連立から排除し、アジア近隣諸国との友好・協調よりも日米同盟を重視する御仁です。しかもそうした話を米政府の要人にべらべらと語って歓心を引こうとする大臣でもありました。スパイ、売国奴、買弁、奴僕、飼い犬、いろいろ言い様はあるかと思いますが、いずれにせよ政治家としての資質と人間としての品性を疑います。

 さてこのような買弁政治家に率いられた民進党は、どうなるのでしょうか。 インターネットの毎日新聞ニュース(17.9.1)によると、蓮舫元代表は今年6月、共産・自由・社民三党の党首と会談し、次期衆院選に関して「4野党が協力して候補者調整を行う」ことなどで合意しました。新代表選で争った枝野幸男氏はこの合意に基づき連携を進めると主張しましたが、前原氏はその合意を見直す考えを代表選中に示していたそうです。つまり、自民党を政権の座からひきずりおろすための野党共闘はしない、ということですか。あるいはアメリカに批判的な政党とは手を組まないということかな。
 ま、これで安倍でんでん内閣はしばらく安泰でしょう。従米の安倍上等兵が率いる与党と、従米の前原二等兵が率いる野党第一党が、対立するふりをしながら手を取り合い息を合わせて華麗なステップを踏むことと思います。Rock 'n' rollに合わせて… ♪国家を挙げての右習え 核なるうえはGo with you 暗い過去も顧みずに ついて行きましょう♪ もしかすると前原氏はアメリカが送り込んだ「トロイの木馬」かもしれません。
 アメリカの属国として、お金を貢ぎ、基地を好き勝手に使ってもらい、米兵の犯罪を放任し、事故の責任を追及せず、その爪牙となって戦争をする。いやはや、なんて惨めな国なのでしょう。その惨めさを解消するために、中国・韓国・北朝鮮などに居丈高にふるまう。あるいはオリンピックやワールドカップに現を抜かし、スマホやゲームや娘たちの集団舞踏にはまり、その惨めさを忘れる。いや、惨めであることにすら気がつかない。"亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国"、田中正造の言です。

 いやいや諦めません。諦めたら、やつらの思うつぼですから。"もうなにも考えまいとする誘惑"に屈せず、粘り強く粘り強く抗っていきたいと思います。田中正造のように、瀬長亀次郎のように、阿波根昌鴻のように。

 本日の一枚です。あれ? "All for All"じゃなくて、"Japan for America"でしょ、前原さん。
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by sabasaba13 | 2017-09-03 08:59 | 鶏肋 | Comments(0)

追悼しないの? 小池知事

 わが目を疑うような、信じ難い記事を読みました。インターネット版「毎日新聞」(17.8.24)の記事です。以下、引用します。
小池知事 朝鮮人犠牲者慰霊式典へ追悼文送付を取りやめ

 東京都の小池百合子知事が、関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者を慰霊する9月1日の式典への追悼文送付を取りやめていたことが分かった。歴代知事は毎年送付し、昨年は小池知事も送付していた。都の担当課は「知事は朝鮮人も含め全ての犠牲者に追悼の意を表しているので、個別の慰霊式への追悼文送付は見合わせることにした」と説明している。

 式典は市民団体などで作る実行委員会の主催で、都立横網町公園(墨田区)の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前で毎年9月1日に実施される。この日は同公園内の慰霊堂で関東大震災と東京大空襲の大法要も開催され、歴代知事は毎年出席して哀悼の意を表した。都によると、少なくとも石原慎太郎氏ら歴代知事は、主催者の求めに応じて朝鮮人犠牲者の慰霊式典に追悼文を送付してきた。
 追悼文を巡っては、3月の都議会第1回定例会の一般質問で古賀俊昭都議(自民)が虐殺された人数に異論があるとして、「追悼の辞の発信を再考すべきだ」と発言。小池知事は「犠牲者数などについては、さまざまなご意見があることも承知している。毎年慣例的に送付してきたものであり、昨年も事務方が慣例に従って送付した。今後は私自身が目を通した上で適切に判断する」と答弁していた。
 都公園課の担当者は「(見合わせは)以前から検討していたこと。この答弁で決めたわけではないが、きっかけの一つとなったのは事実」としている。
 関東大震災50年の1973年に設置された追悼碑には「あやまった策動と流言蜚語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われた」と刻まれている。【柳澤一男】
 いったいどういうことなのでしょう。理解できません。虐殺された人数がはっきりしなから、追悼しなくてもよいということなのか。あるいは地震と火災等でなくなった方々と一緒に追悼すれば事足りるということなのか。古賀俊昭都議(自民)と小池百合子都知事の言動から透けて見えるのは、「日本は素晴らしい国だ、その誇りを守るために過去の過ちはなかったことにしよう/忘れてしまおう」という発想です。やれやれお二人さん、ちょっとここに座って、『普遍の再生』(井上達夫 岩波書店)で紹介されている、大沼保昭さんの言葉をよくお聞き。
 過ちを犯したからといって卑屈になる必要はない。過ちを犯さない国家などというものは世界中のどこにもないのだから。しかし、過ちを犯さなかったと強弁することは自らを辱めるものであり、私たちの矜持がそうした卑劣を許さない。私たちの優れた到達点を率直に評価し、同時に過ちを認めるごく自然な姿をもつ国家こそ、私たちが愛し誇ることのできる日本という国ではないか。私はそう思う。(「日本の戦争責任と戦後責任」 『国際問題』 501号 2001年12月号) (p.68~9)
 そう、過ちを認めない恥知らずな国になってほしくないのです、私は。失敗や過ちから学ぶことをしないから、この国はいまだに失敗と過ちを繰り返し続けているのではないですか。
 それにしても腑に落ちないのは、国家が犯した過去の過ちを認めない御仁が、なぜたくさんいるのかということです。素晴らしい国・日本が過ちを犯すはずがないという、単純かつ夜郎自大に思い込んでいるだけなのか。あるいはもっと深い狙いがあるのか。片山杜秀氏は『大東亜共栄圏とTPP』(ARTES)の中で、こう指摘されています。
 …福祉国家モデルが、いまつぶれようとしています。とくに日本。では、どうするのか。
 国が「面倒みます」とはいったものの、もう面倒をみられなくなった。面倒をみられなくなったのなら、同じ国で国民だとかいう必要ももうありません。道州制どころか国は分裂して、昔みたいな薩摩藩とか何藩だとかに分裂しちゃえばいいじゃないか、食えるところだけ食っていけばいいじゃないか、みたいな話になってきます。オレだけ食えればいいじゃないか、ということですね。そうなってしまったら、歴史は浅いけれども、今まで積み上げてきた近代国家のシステムは壊れてしまいます。国家を壊さないとするなら、どうするか。やはり福祉国家の破産後には、安上がりな連帯のしかけがまた帰ってくるでしょう。
 橋下市長がいっている《君が代》とかのポーズは、また戦争しましょうとか、また帝国主義のモデルに帰ろうといっているわけではありません。たんに、もう面倒はみられないんだけれども、だからといって、社会を壊してもらっては困るんですといっているわけです。いちおう日本国民じゃないですか、まあ仲良くして絆があるようなふりをしようじゃありませんか、錯覚して一生生きててくださいということなんですね。
 そのためには国旗とか国歌とかで、仲間だということにしておくのがよい。お互い面倒はみないけれど、仲間なんだよと。お互いが面倒をみないのになんで仲間なんだかわかりませんが、一緒なんだよ、日本人なんだよというわけですね。やはり、われわれはバカですから、国旗や国歌でなんとなく仲間かなと思っていると、何年かはごまかされます。やっぱり、おかしいかな、と思っているうちに死んでいく。この国はそういう段階にきてしまっているんです。
 橋下市長がいっていることは、大阪維新の会の維新八策とかのスローガンを見ればわかるように、基本的には新自由主義です。自助、自立、自由、自己責任。国家や自治体は面倒をみません。勝手にやってくださいと。そのぶん、役人とかがいらなくなるから給料を減らしますよと。だから、お金がかからないようにしますと。お金がかからないということはサーヴィスも低下します。あんたたちの面倒はみないんですと宣言しているに等しいですね。でも、同じ日本人じゃないですか、国旗、国歌があるから、仲良くしましょう、社会を壊して反乱を起こさないようにしてくださいね。いっていることは結局これだけではないですか。
 ひどい国ですね。私は本当にもう、泣けてくるというか、ついにここまできたかという感じがいたします。いま《君が代》がどうとかいっているのは、戦争をしようとか、そんな話とはまったく関係のない、ただこちらは面倒をみないけど、少しでも連帯心を低下させないような安上がりなしかけをひとつでも多くもっていたい、というそれだけの話にすぎないわけでしょう。
 左翼の人は、「また戦争が」とかいって心配してますが、どうも違うのではないか。ただ、安上がりで絆があるように見せかけようという話だけなんですから。そこをわかっていただいて、今の日本を考え直すことが大事なんだと思うんです。(p.52~6)
 まさかここまで下劣な意図があるとは思いたくありませんが…可能性はありますね。

 過ちから学びましょう。しかし意外と知られていないのは、この関東大震災時における虐殺が、とてつもない過ちだということです。デマを信じた民衆が朝鮮人を虐殺したというイメージが流布されていますが、それは事実のほんの一部です。
 この事件に興味を持ち、去年は、埼玉・群馬神奈川千葉1千葉2東京と、慰霊碑や史跡を経巡ってきました。それと同時進行で、かなり集中して研究書を読んだのですが、この事件の底知れぬ暗部を知ることができました。
 この虐殺事件には二つの側面があります。まず国家的犯罪としての側面です。まず「三・一独立運動の再来=朝鮮人による暴動・放火」という予断による誤報を、国家権力が意図的・組織的に流布したことです。そしてその予断に基づいて戒厳令を施行したこと。これにより、社会は一気に戦争状態となり、敵=朝鮮人を殺してもよいという状況が生まれました。そして軍・警察が自ら虐殺を行なうとともに、自警団による虐殺を黙認、場合によっては教唆したこと。情報が誤りであると判明すると、国家権力の責任を隠蔽するためにさまざまな手段をとったこと。軍隊・警察による虐殺については徹底的に隠蔽し、一切の責任を取っていません。そして誤報を流布した責任を免れるために、架空の朝鮮人暴動を捏造しました。さらに虐殺された朝鮮人の遺体を徹底的に隠し、虐殺数や虐殺状況を隠蔽しました。そして虐殺の責任をすべて自警団・在郷軍人会・青年団・消防団など民衆にかぶせ、かつ民衆からの批判をかわすために極めて微温的な刑罰にしか処さなかったこと。朝鮮人を保護する過程で、民族運動家・労働運動家・社会主義者などを選別して殺害したこと。そして関東大震災に関する歴史書を編纂する際に、朝鮮人虐殺の責任を朝鮮人自身と日本人民衆に押し付け、国家の責任を歴史から抹消しようとしたことです。
 もう一つは国民的犯罪です。官憲による誤報の流布があったとはいえ、朝鮮人犠牲者の圧倒的多数は、日本の民衆によって虐殺されました。そして証拠を隠滅し、加害者を庇い、その責任を免れようとした事例も多々ありました。
 言わば、レイシズムにもとづいた国家と国民の共同犯罪だったのですね。そして国家は、調査もせず謝罪もせず責任もとらず、今に至ります。つまり日本という国家は、この過ちをまったく反省もしていないし、この過ちから何も学ぼうともしていないわけです。ということは…また同じ過ちを繰り返す恐れがあるということです。

 これは居ても立ってもいられない。いつの日にか拙ブログに上梓しようと準備していたのですが、小池知事がこのような挙に出る以上、猶予はありません。私なりに調べた事件の概要を隔日で掲載することにしました。ぜひお付き合いください。

 追記。「朝日新聞DIGITAL」(17.4.23)によると、虐殺の舞台となった群馬県で、下記のような事件が起きていました。朝鮮人に対する加害責任を頬かむりしようとする動きが、静かに静かに進んでいるようです。
 群馬県立近代美術館で22日から展示予定だった、県内の「朝鮮人犠牲者追悼碑」をモチーフにした造形作品が、同館の指導で解体撤去されたことがわかった。追悼碑をめぐっては、存廃が法廷で争われている。同館は「県は碑の存廃をめぐる裁判の当事者。存否の両論を展示内容で提示できない以上、適さないと判断した」としている。
 撤去されたのは、前橋市の作家白川昌生さんの作品「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」。布を使って追悼碑を表現した直径5メートル、高さ4メートルほどの作品で、同県在住の芸術家の作品を集めた展示の一つに予定されていた。同館と白川さんによると、同館幹部らが21日夕、展示前の最終点検で不適と判断。白川さんと修正を模索したが、最終的に同館側が撤去を求めたという。
 碑は、戦時中に動員・徴用され、建設現場などで働いて死亡した朝鮮人らを追悼する目的で、市民団体が2004年、県立公園内に建立。県は14年、碑の前で開かれた追悼集会の発言が「政治的」で設置許可条件に違反したとして許可更新を不許可とした。市民団体が処分取り消しを求める行政訴訟を起こしている。白川さんは「群馬の問題だから、群馬で展示できれば良いと思った。残念だが、仕方がない」と話している。

by sabasaba13 | 2017-08-27 07:57 | 鶏肋 | Comments(0)

五山送り火

 京都の夏をいろどる行事、祇園祭につづいて五山送り火を見てきました。どこで見るかについては、逡巡しましたが、結論は宿泊客に解放される「ホテル平安の森京都」の屋上です。祇園祭の際に泊まって施設やサービスは合格点、岡崎神社のとなりに立地するので大文字とほど近く、船形・左大文字・鳥居形も遠望できるそうです。アクセスが少々わるいのが難点ですが、大きな瑕疵ではありません。運良く予約もとれ、8月16日から一泊二日で上洛しました。
 去年は大雨という災難に遭ったそうですが、今年は晴れ。午後八時、ホテルの屋上から、至近距離の大文字送り火、そし遠くに灯された船形・左大文字・鳥居形の送り火を、きれいに見ることができました。精霊を冥府に送るという宗教的な意味合いを肝に銘じながら、山ノ神と二人で一時間ほどの京の夜空を焦がす炎の舞に酔いしれました。
 なお翌日にモーニングサービスをいただいた白川通の喫茶「アッコ」の御主人アッコさんによると、今年の点火はたいへん上手くいったそうです。

 夜の火を撮影するのは難しいものですね。三脚も持参せず、技術的な知識もなく、撮った写真です。勉強し直して再訪を期したいと思います。
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by sabasaba13 | 2017-08-26 08:47 | 鶏肋 | Comments(0)

北海道旅行

 おととい、北海道から戻ってきました。歩みの遅い台風の直撃や影響を懸念しましたが、自称「天下無双の晴れ男」。曇天・小雨の時もありましたが、要所要所では晴天に恵まれました。
 札幌に二泊、美瑛に移動して五泊、再び札幌で一泊という旅程でしたが、北海道の自然、人びとの営み、歴史を堪能することができました。
 いつの日にか旅行記として上梓するつもりですが、とるものもとりあえず写真で報告します。

札幌の夜景(もいわ山より)
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積丹半島 神威岬
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積丹半島 島武意海岸
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モエレ沼公園 海の噴水
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富良野 ファーム富田
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美瑛
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美瑛
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美瑛 四季彩の丘
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美瑛 青い池
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北竜町
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美瑛 ぜるぶの丘・亜斗夢の丘
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美瑛 ケンとメリーの木
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小樽運河
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by sabasaba13 | 2017-08-14 09:11 | 鶏肋 | Comments(0)

2017 暑中見舞

 暑中お見舞い申し上げます。

 日頃「散歩の変人」を御愛読していただき、ありがとうございます。これからしばらく北海道旅行に行ってきます。炎熱地を焼く日々がまだ続くかと思いますが、ご自愛を。

 暑気払いに、手持ちの写真の中で涼しそうな一枚をどうぞ。仁淀川安居渓谷(高知県)です。

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by sabasaba13 | 2017-08-04 07:29 | 鶏肋 | Comments(0)

祇園祭

 先日、はじめて祇園祭の前祭を見てきました。うーん、素晴らしかった。いつのことになるかわかりませんが、後日に旅日記は掲載するつもりですが、とりあえず数葉の写真で報告します。

放下鉾
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伯牙山
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太子山
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放下鉾
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放下鉾
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函谷鉾
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放下鉾
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放下鉾
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岩戸山
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by sabasaba13 | 2017-08-02 06:27 | 鶏肋 | Comments(0)