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少女像5

 さて、私たちはこの問題に対して、どう向き合えばよいのでしょうか。もちろん一朝一夕に解決できる容易な問題ではないことは、重々承知しています。私も意見もまとまりません。ただ、逃げるのを、隠すのを、忘れるのをやめて、知り、考え、議論をすべきだとは思います。

 最期に、その際に導きの糸になる文章をふたつ紹介して、筆を置きます。

 まずは『普遍の再生』(井上達夫 岩波書店)で紹介されていた、戦争責任問題に関する研究と政治的運動実践に長年従事してきた大沼保昭氏の言葉です。
 過ちを犯したからといって卑屈になる必要はない。過ちを犯さない国家などというものは世界中のどこにもないのだから。しかし、過ちを犯さなかったと強弁することは自らを辱めるものであり、私たちの矜持がそうした卑劣を許さない。私たちの優れた到達点を率直に評価し、同時に過ちを認めるごく自然な姿をもつ国家こそ、私たちが愛し誇ることのできる日本という国ではないか。私はそう思う。(「日本の戦争責任と戦後責任」 『国際問題』 501号 2001年12月号) (p.68~9)
 もうひとつは、加藤周一氏の随筆「春秋無義戦」の最後の部分です。(『夕日妄語2』 ちくま文庫)
 問題は、いくさや犯罪を生みだしたところの制度・社会構造・価値観-もしそれを文化とよぶとすれば、いくさや犯罪と密接に係りあった文化の一面との断絶がどの程度か、ということである。文化のそういう面が今日まで連続して生きているとすれば、-今日の日本においてそれは著しいと私は考えるが、-そういう面を認識し、分析し、批判し、それに反対するかしないかは、遠い過去の問題ではなく、当人がいつ生まれたかには係りのない今日の問題である。
 過去の犯罪の現存する条件を容認して、犯罪との無関係を主張することはできない。直接の責任は、若い日本人にはない。しかし間接の責任は、どんなに若い日本人も免れることはできないだろう。彼または彼女が、かつていくさと犯罪を生みだした日本文化の一面と対決をしないかぎり、またそうすることによって再びいくさと犯罪が生み出される危険を防ごうとしないかぎり。
 たとえば閉鎖的集団主義、権威への屈服、大勢順応主義、生ぬるい批判精神、人種・男女・少数意見などあらゆる種類の差別-そういうことと無関係に日本帝国主義は成立したのではなかった。また過去の日本帝国主義に対する今日の日本国の態度と無関係に、自衛隊員の海外活動に対するアジア諸国民の反撥と不信感があるのではない。
 自衛隊の海外活動第一年、一九九二年の暮に私の妄想はこの国の来し方行く末に及ぶのである。(92.12.17) (p.68)

by sabasaba13 | 2017-03-07 14:11 | 鶏肋 | Comments(0)

少女像4

 そして意外と言及されていないのが、「少女像」とは、誰が何のために制作したのかということです。全体像を見たことがない人もいるのでは。幸い、「神奈川新聞」(2015.1.28)にそれに関する記事が掲載されましたので、転記します。
 いすに腰掛けた等身大の少女像は静かに前を見据える。穏やかな表情は見る者を鋭く射すくめるようにも映る。2011年、韓国・ソウルの日本大使館前に建てられた「平和の碑(少女像)」。旧日本軍の従軍慰安婦を模したもので、日本では「反日の象徴」と反発する向きもある。「悲劇が再び起きないよう平和を願って作った」。韓国人彫刻家、キム・ウンソンさん(50)、キム・ソギョンさん(49)夫妻は込めた思いをやはり静かに語った。間近で見ると、はだしの少女はかかとをわずかに浮かせていることに気付く。膝の上の両の拳はぎゅっと握られ、左肩には黄色い小鳥が乗る。(中略) 一見しただけでは分からないが、かかとはすり切れているのだという。「大変だった人生を象徴している。遠くに連れて行かれ、故国に戻ってきても居場所がない人もいたから」 ソギョンさんが説明を始めた。
 切りそろえられていない髪の毛も、家族や故郷とのつながりを断ち切られてしまったことを表している。肩の小鳥は平和と自由の象徴。「平和を守る守護神として作った像なのだから」
 そしてソギョンさんが繰り返し口にするのが「共感」の2文字。像の隣に置かれたいすも作品の一部になっていて、「隣に座って慰安婦の心を想像してほしい」。少女と目線の高さを合わせ、動かぬ像のぬくもりを感じ、その時、心はどう動くのか。「元慰安婦は抱えた心の痛みを払拭できない人がたくさんいる。自分が慰安婦だったら、どう思い、何を感じるか。少女の気持ちになって考えるきっかけにしてほしい」
 日本大使館前の像は元慰安婦のハルモニ(おばあさん)を支援する韓国の市民団体が寄付金を集め、設置を企画した。毎週水曜日に大使館前で行っていたデモ活動の千回目を記念するものだった。市民団体は社会問題をテーマに彫刻作品を手掛けてきた夫妻に制作を依頼した。当初は字が刻まれた石碑を建てる計画だったが、夫妻は「元慰安婦を癒す彫刻を作りたい」と少女像を提案した。周囲の受け止めは思わぬものだった。「除幕式当日、日本のメディアの記者が大勢集まり、私たちの一挙手一投足にフラッシュがたかれた。日本政府は「外交公館の尊厳を損なう」として韓国政府に像設置を認めないよう要求。日本の一部保守系メディアでは像を「反日の象徴」とみなす論調が続く。
 学生時代から2人は韓国の民主化闘争に加わってきた。朝鮮半島の統一を願う作品や米軍の装甲車にひかれて亡くなった中学生を追悼する作品を手掛けてきた。「なぜ芸術に政治を持ち込むのか」という批判が寄せられたことがある。ソギョンさんの夫で共作者のウンソンさんは語気を強める。「政治や社会を抜きに、芸術家はどんな活動ができるだろうか」 作品の政治性は日本でも問題になったことがある。2012年8月、東京都美術館で開かれた国際交流展に少女像の縮小模型を出展した。だが、政治的表現物を規制する同館の「運営綱領に抵触する」として会場から撤去された。
 像に込めたメッセージは日本にだけ向けられているわけではない。それは、かかとを上げているもう一つの理由からもうかがえる。地面を踏みしめられずにいるのは、慰安婦として体験しなければならなかった苦難と、韓国社会の偏見や政府の無責任さの結果、罪人であるかのように生きなければならなかったことを表している。ウンソンさんが自身の幼いころを振り返る。「元慰安婦の人たちのことを話すとき、大人たちは声をひそめて話していた。その様子が、ずっと心に引っかかっていた」 やはり共感とは程遠い、さげすみの視線。その後、多くの元慰安婦の当事者たちが声を上げ、問題は広く知られるようになった。日本大使館前に置かれた少女像宛てに手紙が届き、雨の日には少女像に傘を差す人がいる。寒い日には首にマフラーが巻かれる。夫妻は韓国の人たちが少女像に抱く感情を想像する。「それは反日ではなく、共感だ」
 ウンソンさんは、日本で憲法9条を変えようとする動きや米国に置かれた少女像を撤去しようとする動きがあることも知っている。去年、韓国・巨済市に設置された少女像は、いすから立ち上がったものにした。「これ以上、座っているわけにはいかないという意味を込めた」 それでも、少女像が日本で反日の象徴とされていることをどう思うか問われれば、ウンソンさんは努めて穏やかにこう答える。「少女像は歴史を記録し、人々の気持ちを癒すためにある」
 なぜ日本の政治家諸氏が、「少女像」に対して過剰な感情的反応を起こすのか、この話を聞いて、この像を謙虚に見つめているとわかるような気がします。言葉にできないような下劣な犯罪的行為をこの静謐な少女像に糾弾されているようで、心底から怯えているのでしょう。だから、10億円払うからはやく撤去しろと主張しているのではないでしょうか。

 この後ろめたさから逃れるために、この犯罪的行為をなかったことにするため、慰安婦問題に関して攻撃的に振る舞う方々がいるのだと考えます。ブレヒトの『第三帝国の恐怖と貧困』に出演した、東京演劇アンサンブルの俳優・洪美玉氏が、劇のパンフレットに「危機感」という一文を書かれています。一部ですが引用します。
 2012年、中国に残された朝鮮人『従軍慰安婦』の写真展が、ニコンから突然、中止の通告を受けた。写真家の安世鴻(アン・セホン)さんは異議申し立てをして、東京地裁は会場を使わせることをニコン側に命令した。あまり広くないニコンサロンに警備員が三人、入り口には金属探知機ゲートが設置され物々しい雰囲気だった。私は、在特会と呼ばれる人たちと至近距離で出会った。彼(女)らは何時間かおきに会場に乗り込んできて、ハルモニの背景に写っている小さなテレビを指さして「金持ってるんじゃねぇか」とか、写真の中の彼女たちをおとしめることをまくしたてていく。受付だった私は我慢できず「後ろのお客様もいますので、先に進んで下さい」と声を荒げた。すると「お前もどうせ在日だろう」「じゃあ、どうせ色んな男に股開いてんだろう」 怒りで体が震えた。「全部録音していますから」というスタッフの言葉がなかったら、殴りかかっていたかも知れない。その経験はショックであり、恐怖だった。(p.34~5)


 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-03-04 06:31 | 鶏肋 | Comments(0)

少女像3

 こうした状況の中で、韓国南部・釜山の日本総領事館前に慰安婦問題を象徴する「少女像」が設置されたのですね。
 オリバー・ストーン監督が言うように、"原始的な反応"はやめて想像力を働かせましょう。まずは相手側の主張に真摯に耳を傾けるのが基本です。「ハンギョレ新聞」(2017.1.7)はこう述べています。
 日本の今回の措置は不適切であることを越えて、居直りに近い。釜山に設置された少女像はろうそく集会の市民たちが一昨年末の慰安婦問題合意1周年を迎えて自発的に立てたものだ。民間次元で行われたことに反発して大使を本国に召還し、経済協力活動を中断する措置までしたことは理解し難い。日本のこうした強硬措置は、韓国で早期大統領選挙の可能性が高まるにつれ次の政権で合意の再協議の動きが起きることに備えてあらかじめ釘を刺そうとする計算に基づいていると見られる。
 しかし日本政府は問題の根本原因が合意自体にあることを直視しなければならない。合意当時、日本政府は元慰安婦被害者に対する法的責任認定をはじめとして絶対的に必要な措置をほとんど取らなかった。そのうえ元慰安婦支援として10億円を出すことでこの問題が不可逆的・最終的に解決されたと宣言した。少女像の設置が日本の責任回避と歴史無視に対する韓国市民の抗議であることを日本政府が分からないはずはないだろう。それなのに根本問題には目を瞑り少女像を撤去しろと言って超強硬報復行為をするのは懺悔と正義を求める声を力で押さえ付けようとすることに他ならない。
 日本に強硬措置の糸口を与えてしまった韓国政府の無責任かつ外交力欠落も指摘せざるをえない。当初、韓国政府が10億円の義援金で事実上すべての責任を免除する合意をしたことからして誤りだった。しかも合意直後から韓国政府が10億円を受ける代価として少女像を撤去するという裏取引をしたという議論が起きた。日本政府は今回も少女像の問題に関連して「約束したことは必ず守らねばならない」と求めている。朴槿恵(パク・クネ)政権が自ら招いた外交屈辱である。
 日本政府が報復措置の根拠にしている一昨年末の合意は、正義の原則を損ねたものであるだけに根本的に誤っている。日本は報復措置を直ちに止めるのが当り前である。おりしも韓国の裁判所は合意に関連した交渉文書を公開せよとの判決を下した。政府は今からでも合意内容を全て明らかにし、国民の意思に沿った選択をせねばならない。
 私なりに論点を整理すると、まず「少女像」設置は民間団体によるもので、外交に連動させるべきではない。そして日本政府が慰安婦問題の法的責任をいまだに認めようとしていない。さらに10億円の義援金で、責任を免れようとしている。以上の三点が主張の核心だと思います。
by sabasaba13 | 2017-03-03 06:26 | 鶏肋 | Comments(0)

少女像2

 しかしこうした日本政府の態度の虚妄さを暴く、従軍慰安婦に関する六点の資料が発見されます。敗戦直前に空襲を避けるために八王子の地下倉庫に避難させておいた書類が連合国軍に接収され、後に返還されて防衛庁防衛研究所図書館に保存されていたのですが、その中から吉見義明氏ら研究者が確認しました。1992年1月12日に加藤紘一官房長官は日本軍の関与を認め、同月17日に日韓首脳会談において宮沢喜一首相は公式に謝罪しました。その後、政府はある程度の資料調査と、韓国人元慰安婦の一部からのヒアリングを行ない、同年8月4日、調査結果を公表しました。その中で日本政府は、つぎのような点を認めました。
一、慰安所の設置・管理、慰安婦の移送については、日本軍が「直接あるいは間接にこれに関与」した。
二、慰安婦の「募集」は、「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」、「官憲等が直接これに加担したこともあっ」た。
三、慰安所における生活は「強制的な状況の下での痛ましいもの」であった
四、朝鮮半島出身の慰安婦の「募集」・移送・管理なども「「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して」おこなわれた。
五、従軍慰安婦問題は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であった。
六、元慰安婦の方々には「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」。(同書p.6~7)
 このように日本政府は、軍や官憲の関与と慰安婦の募集・使役での強制を認め、問題の本質が重大な人権侵害であったことを承認したわけです。このことがすべての議論の出発点になると思います。

 そして今回の問題の出発点となった「日韓合意」とはいかなるものか。「コトバンク」の「知恵蔵2015」をもとに、私の文責でまとめてみます。国交正常化(日韓基本条約締結)50周年に当たる2015年の12月末、日韓両国政府は慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決させること」で合意しました。公式な合意文書は交わされていませんが、日韓の両外務大臣が共同記者会見で次の事項を発表しました。日本の岸田文雄外務大臣は、慰安婦問題を「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と位置付け、日本軍の関与があったことを認めました。これに「日本政府は責任を痛感している」と続け、「安倍晋三首相が日本国首相として心からおわびと反省の気持ちを表明する」と述べました。元慰安婦への具体的な支援については、韓国政府が設立する財団に日本政府の予算で10億円を一括供出することを表明し、「名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行う」と約束しました。
 韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外務大臣はこうした日本政府の措置を評価した上、日本が撤去を求めている在韓国日本大使館前の慰安婦少女像についても、「関連団体との協議等を通じて解決に努力する」と表明しました。また両外務大臣それぞれ、今後、国連など国際社会で、本問題について互いに非難、批判することを自制すると述べました。
 ただし、韓国側が求めていた日本政府の「法的責任」を明らかにした文言はなく、会見後の国会(16年1月)でも、安倍晋三首相が従来の「法的には解決済み」という政府見解に変更はないと強調しています。こうした点に韓国メディアからの批判はあるものの、両国の主要紙や経済界からはおおむね評価する声が多く、欧米メディアも米国の意向が反映された結果として歓迎しています。しかし、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)など元慰安婦の支援団体からは「被害者無視の屈辱外交」という厳しい批判の声が上がり、また慰安婦少女像の撤去にも韓国国民の6~7割が反対しています(合意直後の各種世論調査)。
by sabasaba13 | 2017-03-02 06:25 | 鶏肋 | Comments(0)

少女像1

 日本・韓国の間で、「少女像」をめぐる問題が紛糾しています。日本政府は、韓国南部・釜山の日本総領事館前に慰安婦問題を象徴する「少女像」が設置されたことへの対抗措置を発表。長嶺安政・駐韓大使と森本康敬・釜山総領事の一時帰国や日韓通貨スワップ協定の協議中断など4項目です。
 感情論にふりまわされず、ここに至る歴史を真摯にふりかえり、相手側の主張に耳を傾け、冷静かつ理性的に話し合って最善の道を見出す。言うは易く、行うは難し、でも両政府・両国民ともそう努力して頂きたいと思います。そこで私なりに、この問題について調べてみました。

 まず大前提としていわゆる「従軍慰安婦」問題とは何か。正直に言ってこれに関する研究書はあまり読んでいないのですが、吉見義明氏の『従軍慰安婦』(岩波新書384)が信頼できそうです。この研究所を導きの糸にしたいと思います。
 まず「従軍慰安婦」とはどういう方々か。吉見氏はこう定義されています。
 「従軍慰安婦」とは日本軍の管理下におかれ、無権利状態のまま一定の期間拘束され、将兵に性的奉仕をさせられた女性のことであり、「軍用性奴隷」とでもいうしかない境遇に追いこまれた人たちである。(p.11)
 しかし戦後五十年間、日本政府は国家・軍の関与を認めず、謝罪・名誉回復・個人賠償の問題がまったく未解決のままでした。1990年6月6日、参議院予算委員会における日本政府の答弁です。
 従軍慰安婦なるものにつきまして…やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでございまして、こうした実態について、わたしどもとして調査して結果を出すことは、率直に申しましてできかねると思っております。(p.3)
 こうした態度が可能だったのは、敗戦後すぐに日本政府は、都合の悪い公文書を組織的に焼却・破棄して証拠隠滅を図ったためです。ポツダム宣言受諾が1945年8月14日、アメリカ軍先遣部隊150名が、輸送機により沖縄基地から神奈川県厚木飛行場に到着したのが同年8月28日ですから充分な時間的余裕がありました。『大東亜戦争全史』(原書房)の中で、著者の服部卓四郎はこう指摘しています。
 終戦の聖断直後、参謀本部総務課及び陸軍省高級副官から、全陸軍部隊に対し、機密書類焼却の依命通牒が発せられ、市ヶ谷台[※陸軍中央官衙の所在地]上における焚書の黒煙は八月一四日午後から一六日まで続いた。
 服部卓四郎・田中新一・辻政信については、言いたいことが山の如くあるのですが、それはいずれまた。
by sabasaba13 | 2017-03-01 06:27 | 鶏肋 | Comments(0)

素晴らしき日曜日

 昨日は小春日和の素晴らしい日曜日でしたね。そういえば『素晴らしき日曜日』(監督:黒澤明)という名画がありましたっけ、今度購入して見てみましょう。閑話休題、午前九時から仲間とテニスなのですが、今回のコートは初めてです。練馬区の「石神井松の風文化公園」内にあるコートで、かつては日本銀行の運動場だったそうです。仲間の談によると、なかなか環境の良いコートだそうで、これは楽しみです。自転車で行く手もあったのですが、ちょっと遠いと山ノ神が言うので電車で行くことにしました。西武池袋線に乗ると、富士山の山頂がビルの谷間からくっきりと見えました。ああカメラを持ってくるべきだったと悔やみましたが、あとの祭り。石神井公園駅で降りて、富士街道をてくてくと歩いていきます。名前から想像するに、富士講などで富士山に向かう人びとが歩いた道なのでしょうね、しかし建物が林立し正面に富士山の「ふ」の字も見えません。十数分歩くとコートに到着です。なるほど、石神井公園に隣接しており、武蔵の面影を残すような木立のある好環境です。コートは七面で人工芝、申し分ありません。管理棟に手続きに行くと、そこは「ふるさと文化館分室」を兼ねており、「田沼武能肖像写真展 時代(とき)を刻んだ貌(かお)」が開催されていました。テニスが終わったらこの展覧会を見て、こちらの喫茶で食事をして、三宝寺池を散策することにしましょう。
 半袖でも汗ばむような陽気でほぼ無風、テニスをするには理想的なお天気のもと、心地良い汗を流して二時間テニスを満喫しました。ボレー・ミスを連発したのが反省点ですね、やはりフットワークとステップインが大事です。ダブル・フォルトがなかったので、これは自分を褒めてあげましょう。当たり前だと言われた返す言葉もありませんが。そして別れ際に仲間と花見の計画を立てて散会しました。

c0051620_21392288.jpg そして「ふるさと文化館分室」へ。その中にある「練馬区ゆかりの文化人に関する展示室」へ入ると、檀一雄の書斎が再現されていました。練馬区に住んだ文化人リストがあったのですが、私の知っている方として、石ノ森章太郎、大塚久雄、草野心平、坂本太郎、瀬戸内寂聴、祖父江孝男、ちばてつや、手塚治虫、野村万作、馬場のぼる、弘兼憲史、藤沢周平、前橋汀子、牧野富太郎、松本清張、松本零士、我妻栄、和辻哲郎が挙げられていました。そしてとなりのスペースで開催されている「田沼武能肖像写真展 時代(とき)を刻んだ貌(かお)」を鑑賞。ホームページから引用します。
 写真家・田沼武能(たぬまたけよし・1929~)は、"人間のドラマを見つめること"をテーマに、これまでに多くの著名人や子どもたち、世界各国の人々の姿を撮り続けてきました。
 東京市浅草区(現・東京都台東区)に生まれた田沼は、幼い頃から父の営む写真館で写真とともに育ち、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)卒業後、木村伊兵衛(1901~1974)のもとで写真家への道を歩み始めます。新潮社の嘱託のころ「芸術新潮」や「新潮」の撮影を担当したほか、フリーランスとなってからは世界に活動の幅を広げ「LIFE」や「FORTUNE」などの撮影を皮切りに、国内外問わず活躍するようになりました。
 「すべての人間は、他人の中に鏡を持っている」(ショーペンハウエル)という言葉に共鳴する田沼は、「人間」との出会いを第一に、被写体の生きてきた人生そのものを温かなまなざしから写しだすとともに、また自身の姿を見出し投影してきた写真家です。
 本展では、田沼の撮影した練馬区にゆかりのある作家、五味康祐、檀一雄、松本清張らの肖像写真20点をご覧いただきます。
 へえー、木村伊兵衛に師事したんだ。つい先日に『戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々』(多川精一 平凡社ライブラリー)を読み終えたばかりなので、不思議な縁を感じます。彼は東方社と「FRONT」には関わっていなかったようですが。展示されていたのは、和辻哲郎、草野心平、松本清張、檀一雄、五味康祐、庄野潤三、瀬戸内寂聴、野坂昭如、三浦哲郎、山田風太郎、藤沢周平の肖像写真でした。やはり一家をなす方の風貌は魅力的ですね。もちろんそれを引き出してフィルムにおさめた田沼氏の技量もお見事です。中でも松本清張の気骨、藤沢周平の飄逸、そして野坂昭如の含羞が印象に残りました。とあるバーのカウンターで酒を飲む、破顔一笑の檀一雄と仏頂面の松本清張も面白い一枚。解説によると、ここは銀座のバー「クラクラ」で、二人の間で微笑むマダムは坂口安吾未亡人だそうです。何を隠そう、私、安吾のファンで、以前に桐生新潟で安吾物件を拝見しました。奥さんはさぞ大変だったろうなあ。気になったので、いまインターネットで調べてみると、坂口三千代という方でした。獅子文六が命名した文壇バー(なんだそれは)「クラクラ」を経営し、『クラクラ日記』(ちくま文庫)という随筆も書かれているそうです。こんど読んでみようかな。

 展示室から出たところに古本交換会で残った本が置いてあり、持ち帰り自由とのことなのでさっそく物色。『或阿呆の一生・侏儒の言葉』(芥川龍之介 角川文庫)と『ドイル傑作集Ⅳ -冒険編-』(コナン・ドイル 新潮文庫)をいただきました。また掲示してあった周辺地図によると、練馬区の名木、權藤家のスダジイとハクモクレンが近くにあるので、後で寄ってみることにしましょう。
 そして二階へ、こちらには五味康祐の「資料展示室」と「オーディオ展示室」がありました。氏は時代小説を執筆するとともに、クラシック・オーディオ評論家としても名を馳せておりました。私も昔、『五味オーディオ教室』(ごま書房)を読んだ記憶があります。彼の遺品とオーディオ機器を練馬区に無償譲渡されて、ここで公開されています。そのオーディオによるレコード・コンサートが月一回開かれ、また毎週火・水曜日にはメンテナンス(音出し)が行なわれているとのことです。展示されていたタンノイからどんな音が響き渡るのか、ぜひ聴いてみたいものです。多目的室には、これは彼の遺品であるベーゼンドルファーのピアノが置いてありました。事務室に寄って、レコード・コンサートの予定表をいただき、田沼武能氏の写真絵葉書を購入しました。昭和36年の浅草で撮影したもので、ろう石で道路に絵を描いている子供たちの写真です。私もしたことがありますが、道をキャンバスにして、ろう石で絵を描くというのは素晴らしい体験でした。今の子供たちに味合わせてあげたいものです。

 そして喫茶室で、私はミートソース、山ノ神はペペロンチーノのスパゲティをいただきました。味は…言わぬが花。でも食後の珈琲と紅茶は美味しかったですよ。外へ出て隣接する三宝寺池のほとりを歩いていると、ヒキガエルがのそのそと道を横切りました。そうか、間もなく啓蟄ですね。カエルを見るのは久しぶり、何となく嬉しくなりました。ベンチには老若男女のみなさまが座り、思い思いに小春日和を楽しんでおられましたが、お弁当を食べている方のところへ、みすぼらしい野良猫が物欲しげにのそのそと近づいていきます。ご相伴にあずかれたのかな。すこし先へ行くと、カメラを構えた方々が立ち並んでいましたが、石神井公園名物、カワセミの撮影です。すると近くにいた年配の女性が、「あそこにいますよ」と枝々の間にいるカワセミを教えてくれました。おおっ、宝石のように美しい鳥ですね。
 売店の脇を通ると、野良猫「みいちゃん」の写真が貼ってあり、チーズの入ったお菓子は吐いてしまうのであげないでくださいと注意書きがありました。さきほど見かけた猫ですね。すると売店の女性が出てきていろいろとお話をしてくれました。かなりの高齢で、ときどきボランティアの方が動物病院に連れていくそうです。この前は口内炎を治療したそうな。でもけっこう元気に飛び跳ねているそうです。そうか、さっきの仕草は食べ物欲しさの演技、猫かぶりだったのかもしれないな。

 權藤家のハクモクレンは見事な枝ぶりにたくさんの蕾をつけ、間もなく開花です。もうしばらくしたら見にきたいものです。駅に向かう途中にあった東京ガスライフバルに寄って、電気需給契約についての手続きを教えてもらいました。一刻も早く、無責任・没義道な東京電力との縁を切ろうと思っています。石神井公園駅から列車に乗って、さきほどいただいた「侏儒の言葉」を斜め読みしていると…やった。岩波文庫には収録されていない補輯「ある自警団員の言葉」がおさめられていました。今、関東大震災時の虐殺についてずっと追いかけているのですが、どうしても読みたかった一文です。註によると、いったん雑誌に発表したが、単行本にまとめる際に筆者が削除した一編だそうです。これは嬉しい。
 家に戻り、陽だまりのなかで小一時間ほど昼寝。そしてアーノンクールの『ドン・ジョヴァンニ』を小さな音量で流しながら、村上春樹氏の新作『騎士団長殺し』(新潮社)をしばらく読みました。夕食は、山ノ神が二日がかりでつくってくれたビーフ・シチューに舌鼓、たいへん美味しゅうございました、いやほんと。「日曜美術館」を見ながら食休みをした後、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」第5番のプレリュードを集中して練習。とてつもなく難しいのですが、大好きな曲なので何とかものにしたいと思います。

 事件もなく、お金もさほど使いませんでしたが、素晴らしい日曜日でした。花森安治曰く、「日々の暮らし以上に、かけがのないものはない」。

 追記。寝る前に布団にくるまれて『騎士団長殺し』を読んでいたら、次の一文がありました。
 彼はモーツァルトのレコードを選んでかけた。「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」。タンノイのオートグラフは派手なところはないが、深みのある安定した音を出した。クラシック音楽、とくに室内楽曲をレコード盤で聴くには格好のスピーカーだ。古いスピーカーだけに、とくに真空管アンプとの相性が良い。(第1部p.246~7)
 恐ろしいぐらいの偶然ですね。だから人生は面白い。
by sabasaba13 | 2017-02-27 06:34 | 鶏肋 | Comments(0)

保育所で国旗・国歌

 毎日新聞(2017.2.14)によると、厚生労働省が、保育所に通う幼児に対して、国旗や国歌に親しむことを求める保育指針を公表したとのことです。
 厚生労働省は14日、保育所に通う3歳以上の幼児に対し、国旗や国歌に親しむことを求める文言を初めて盛り込む保育所保育指針改定案を公表した。同日文部科学省が公表した幼稚園の教育要領案に表現を合わせた形だが、保育所は学校教育法に基づく施設ではなく、保護者から幼児を預かる福祉施設のため、過度の押しつけにつながる可能性があるとの懸念が出そうだ。
 保育所保育指針改定案には、国旗について「保育所内外の行事において国旗に親しむ」、国歌については「正月や節句など日本の伝統的な行事、国歌、唱歌、わらべうたや日本の伝統的な遊びに親しむ」という表現が盛り込まれた。国旗は現行の幼稚園の教育要領、国歌はこの日公表された教育要領案と同じ表現となっている。
 保育指針改定案はパブリックコメント(意見公募)を実施し、18年度から施行する予定という。厚労省は改定について、「幼稚園と保育所の一体化を進めており、文科省の教育要領の見直しに合わせた。国旗掲揚や国歌斉唱を強制するものではない」と説明している。
 幼稚園は学校教育法で義務教育前の教育を担う場、保育所は児童福祉法で保護者に代わって保育する場とそれぞれ位置付けられており、本来の目的は異なっている。【山田泰蔵】
 やれやれ、なぜこの国の官僚諸氏は、「愛国心」を子供や若者に強要したがるのでしょうね。これを"異端審問官的な他者支配欲"と喝破されたのは法哲学者の井上達夫氏です。(『現代の貧困 リベラリズムの日本社会論』 岩波現代文庫)
 誤解のないように言えば、愛国心自体を危険視しているのではない。危険視さるべきなのは、「愛国心は強制できる、しかも一定の儀礼を愛国心の踏み絵として強制することによって、それを植え付けることができる」とする異端審問官的な他者支配欲であり、「日本人ならみな日本を愛するのが当然だ、しかも日の丸に敬礼し、君が代を斉唱し、靖国の英霊への国家的慰霊の受容という同じ仕方によって、日本という国への愛を表現するのが当然だ」という同質社会的不寛容の蔓延である。国を愛するとは何をいかなる仕方で愛することなのかについて、視点を異にする人々が相互批判と相互啓発を通じて連帯するような関係性の欠損、すなわち、異質な他者との共生を受け入れない〈関係の貧困〉から、我々が未だ脱却できていないことこそが、危険視さるべきなのである。(p.324~5)
 「私を愛して」としつこくつきまとうのだから、ストーカー国家だと指摘されたのは、評論家の佐高信氏です。(『属国 米国の抱擁とアジアでの孤立』 ガバン・マコーミック 凱風社)
 2007年が明けると、愛や希望や美しさを語るメディアが東京中に溢れた。日本人がみな、春でもないのに突然、恋の季節に心を奪われたのか-むろんそうではない。政府が国民に愛国を求めていたのだ。おそらくこの国が隣国の北朝鮮とよく似ているのはこの点だろう。隣国の国民も「親愛なる指導者」と愛するよう求められている。評論家の佐高信は、自分を愛せとつきまとうような国を「ストーカー国家」と呼ぶ。国民が愛国を強制され自己犠牲がこのうえなく美しい行為だと教えられた20世紀前半の日本を覚えている人もいるだろう。しかしその日本の終末は悲惨なものだった。(p.285~6)
 いやいや、家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)の加害者に近いと言われたのが、小説家の高橋源一郎氏。(『ぼくらの民主主義なんだぜ』 朝日新書)
 誤解を恐れずにいうなら、わたしには、この国の政治が、パートナーに暴力をふるう、いわゆるDV(ドメスティック・バイオレンス)の加害者に酷似しつつあるように思える。彼らは、パートナーを「力」で支配し、経済的な自立を邪魔し、それにもかかわらず自らを「愛する」ように命令するのである。(p.171)
 対象が何であれ、"愛"を強要するのは、分別のある真っ当な人間のすることでないと思うのですが。異端審問、ストーカー、DV、いずれも言い得て妙です。
 その「愛の強要」がとうとう、幼児までを捕捉しようとしています。病膏肓に入る、幼児嗜好性のストーカーですね、これは。個人が行なったら、犯罪なのに。
 それにしても、妄執とも言うべきストーカー行為を、臆面もなく官僚諸氏がくりかえすのは何故か。いまひとつ腑に落ちなかったのですが、片山杜秀氏の『大東亜共栄圏とTPP 片山杜秀の本7』 (ARTES)を読んで、目から鱗が落ちてコンタクトレンズが入りました。
 …福祉国家モデルが、いまつぶれようとしています。とくに日本。では、どうするのか。
 国が「面倒みます」とはいったものの、もう面倒をみられなくなった。面倒をみられなくなったのなら、同じ国で国民だとかいう必要ももうありません。道州制どころか国は分裂して、昔みたいな薩摩藩とか何藩だとかに分裂しちゃえばいいじゃないか、食えるところだけ食っていけばいいじゃないか、みたいな話になってきます。オレだけ食えればいいじゃないか、ということですね。そうなってしまったら、歴史は浅いけれども、今まで積み上げてきた近代国家のシステムは壊れてしまいます。国家を壊さないとするなら、どうするか。やはり福祉国家の破産後には、安上がりな連帯のしかけがまた帰ってくるでしょう。
 橋下市長がいっている《君が代》とかのポーズは、また戦争しましょうとか、また帝国主義のモデルに帰ろうといっているわけではありません。たんに、もう面倒はみられないんだけれども、だからといって、社会を壊してもらっては困るんですといっているわけです。いちおう日本国民じゃないですか、まあ仲良くして絆があるようなふりをしようじゃありませんか、錯覚して一生生きててくださいということなんですね。
 そのためには国旗とか国歌とかで、仲間だということにしておくのがよい。お互い面倒はみないけれど、仲間なんだよと。お互いが面倒をみないのになんで仲間なんだかわかりませんが、一緒なんだよ、日本人なんだよというわけですね。やはり、われわれはバカですから、国旗や国歌でなんとなく仲間かなと思っていると、何年かはごまかされます。やっぱり、おかしいかな、と思っているうちに死んでいく。この国はそういう段階にきてしまっているんです。
 橋下市長がいっていることは、大阪維新の会の維新八策とかのスローガンを見ればわかるように、基本的には新自由主義です。自助、自立、自由、自己責任。国家や自治体は面倒をみません。勝手にやってくださいと。そのぶん、役人とかがいらなくなるから給料を減らしますよと。だから、お金がかからないようにしますと。お金がかからないということはサーヴィスも低下します。あんたたちの面倒はみないんですと宣言しているに等しいですね。でも、同じ日本人じゃないですか、国旗、国歌があるから、仲良くしましょう、社会を壊して反乱を起こさないようにしてくださいね。いっていることは結局これだけではないですか。
 ひどい国ですね。私は本当にもう、泣けてくるというか、ついにここまできたかという感じがいたします。いま《君が代》がどうとかいっているのは、戦争をしようとか、そんな話とはまったく関係のない、ただこちらは面倒をみないけど、少しでも連帯心を低下させないような安上がりなしかけをひとつでも多くもっていたい、というそれだけの話にすぎないわけでしょう。
 左翼の人は、「また戦争が」とかいって心配してますが、どうも違うのではないか。ただ、安上がりで絆があるように見せかけようという話だけなんですから。そこをわかっていただいて、今の日本を考え直すことが大事なんだと思うんです。(p.52~6)
 なるほど。日本国政府はもう国民の面倒を見ない。金持ちに有利なシステムをこのまま維持したい。でも貧しい人たちが文句を言ったり暴れたりしたら困る。そこで日本人としての絆があるように見せかけるために国旗・国歌を利用する。安上がりだし。これは炯眼です。待機児童をなくすために、保育所を増やすことが大事なのにね。

 なお同書では、家族のことにも言及されているので、こちらも引用します。
 いま日本という国は、経済が右肩下がりである。税金も集らないとなると、家族が壊れていく分は国家が面倒をみることになるから、保険とか年金とかを充実させて、国民の生活を保障して安心して暮らせるというのが、近代のわれわれが考える美しい国のはずなんだけど、その美しい国を求めることは、つまり国がちゃんとやるということは求めることができない。にもかかわらず、安倍政権においては、もう面倒みられないので勝手にやってください。それは家族でやってください。なければこれから作ってください、いい家族を。そのための倫理教育とかはお金もかからないから国ががんばってやりますよ。つまり、家族を復興すれば、国があんまり面倒をみなくても日本人は大丈夫ですよ。こういうレベルの話になってきているのではないですか。これが私の理解するところの安倍晋三流の美しい国ですね。美しい国というのは、国が近代国家として国民の生活の面倒をみることをなるべくやめて、国の負担を減らして、その代わり自助努力でやってください。そしてその自助努力の基本は家族だ、ということです。(p.222)
 安倍伍長政権は、国民の面倒を見る気などさらさらない。銘肝しましょう。そしてそういう政権を、六割近くの方々が支持していることも。ほんとうに泣けてきます。
by sabasaba13 | 2017-02-16 06:28 | 鶏肋 | Comments(0)

文科省の腐臭

 笑わずにお読みください。文部科学省のホームページに掲載されている「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ (国語、社会、地理歴史、公民)」の冒頭部分です。
 …社会科、地理歴史科、公民科では、社会との関わりを意識して課題を追究したり解決したりする活動を充実し、知識や思考力等を基盤として社会の在り方や人間としての生き方について選択・判断する力、自国の動向とグローバルな動向を横断的・相互的に捉えて現代的な諸課題を歴史的に考察する力、持続可能な社会づくりの観点から地球規模の諸課題や地域課題を解決しようとする態度など、国家及び社会の形成者として必要な資質・能力を育んでいくことが求められる。
 「社会との関わりを意識して課題を追究したり解決したりする活動」? 「社会の在り方や人間としての生き方について選択・判断する力」? 「国家及び社会の形成者として必要な資質・能力」? いやはや、呆れてしまってワンワンワワンワンワンワワンです。
 私たちが納めた血税を補助金として大学にばらまき、その見返りに当該大学に天下りをして、老後をぬくぬくと安楽に暮らそうとする文部科学省高級官僚のみなさま方。臆面もなく、こういう偉そうな御託をならべて、何とも感じませんか。廉恥心はお持ちですか。子供たちに対して恥ずかしくないのですか。子供たちは、大人の言うことではなく、することを真似るのをご存じありませんか。
 叩けばまだまだ埃が出そうなので、関係諸機関およびメディアは徹底的に追及していただきたいと思います。参考までに、古い資料なのですが、「My News Japan」(2010.1.10)に「天下り受け入れ私大」ワースト20がありましたので、そのうちワースト10を紹介します。天下り事務職員数と08年度私学助成補助金額の相関関係がわかります。
第一位 日本大学 26人 114億3266万円
第二位 早稲田大学 24人 92億6379万円
第三位 関東学院大学 16人 12億5734万円
第四位 金沢工業大学 14人 15億0492万円
第四位 聖徳大学 14人 8億5131万円
第四位 城西・城西国際大学 14人 7億5693万円
第七位 大阪工業・摂南・広島国際大学 13人 25億4242万円
第七位 武蔵野音楽大学 13人 3億8678万円
第九位 大東文化大学 12人 7億4989万円
第十位 中部大学 11人 13億5316万円
 おそらく、天下りを受け入れない私学は、文部科学省から補助金をざっくりと削られて、精神的な苦痛を感じていることでしょう。あれ? これって…「いじめ」ではありませんか。
 参考までに、文部科学省による「いじめ」の定義を紹介しましょう。
 本調査において個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。
 「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。
なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
 天下りを受け入れない私学は、一定の人間関係のある文部科学省から、経済的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じていることと思います。やれやれ、「いじめ」の常習犯・確信犯である文部科学省が「いじめ」をするなと言っているのですから、クレヨンしんちゃんなら「おめーにいわれたかねーよ」と吐き捨てるでしょう。

 公僕と最高学府の腐臭漂う癒着を、「いじめ」をやめろと言いながら「いじめ」をしている文部科学省の守銭奴たちの存在を、ぜひ子供や若者に知ってほしいと思います。そしてみんなで、日本の教育行政にきちんと絶望しましょう。そこから出発するしかないのですから。

 そしてこうした事態の元凶は、安倍伍長と自民党が、天下りを原則自由としたことです。自民党のキャッチコピー「日本を、取り戻す。」とは、「日本を、(国民から、官僚・政治家・財界の手に)取り戻す。(そして私物化する)」ということだったのですね。やれやれ、戦前の日本に逆戻りだ。ただ、官僚から軍人が抜け(復活の兆しあり?)、国体が天皇制から日米安保条約に変わっただけの話です。

 というわけで、教育を、血税を、そして日本を私物化する御仁たちを、猜疑の目でもってしっかりと監視するのが私たちの責務です。トマス・ジェファーソン曰く、「信頼は、どこでも専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく猜疑にもとづいて建国される」。
by sabasaba13 | 2017-01-23 07:44 | 鶏肋 | Comments(0)

2016年衆議院補欠選挙

 先週のある日、夕刻に練馬駅の前を通り過ぎると、衆議院補欠選挙の東京10区立候補者、若狭勝氏(自民党公認)が大音量でがなり立てていました。「若狭勝、若狭勝、若さで勝る、若狭勝…」 やれやれ、政見や公約の主張というよりは、サブリミナル効果を狙った低劣な演説でした。こんな候補者に票を入れる有権者がいるのかな? と思ったら何と当選してしまいまいた。福岡6区では鳩山二郎氏が当選して、自民党が追加公認したそうな。これで自民党が二議席を確保したわけですね。やれやれ。
 自民党が何をめざしている政党なのかは「2016年参議院選挙」で紹介しましたのでご参照ください。そう、私たち庶民を使い捨て、見捨てようとしている政党なのですが、みなさんそれを承知でこの二人に票を入れ、あるいは棄権されたのでしょうか。すこし関心をもってすこし本を読めば分かりそうなものですが。推測ですが、「小池百合子都知事が推薦したから何となく良さそう」「故鳩山邦夫氏の息子だから何となく良さそう」という理由で投票された方が多いのではないでしょうか。しかしこの二人に一票を投ずることは、自民党のえげつない政策に賛意を表することであると気づいてほしいものです。白井聡氏は『「戦後」の墓碑銘』(金曜日)の中で、こうおっしゃっています。
 第二次安倍政権が成立して以来、多くの人々が危惧の念を表明してきた。すなわち、「日本は再び戦争をするのではないか」と。今回の総選挙を経て、この危惧は新しい段階に入るだろう。いまや問題は、「日本が戦争をするかどうか」ではない。戦争をすることはもはや既定路線であり、「いつ、誰と、どんな戦争をするのか」が問題である。
 安倍政権の選挙戦勝利は、この戦争路線に国民が賛意を示したことを意味する。「ちょっと待て! 経済政策に対する期待から安倍政権に投票した、あるいは投票に行かずに与党が勝利を収めるのをボンヤリ見ていただけで、〈戦争する日本〉に賛成した覚えなどない!」と言う人もいるだろう。私ははっきり言うが、甘ったれた寝言はいい加減にしていただきたい。安倍晋三という政治家の首相になる以前からの、また第一次政権当時の言動、そしてこの二回目の政権担当期間に何をやってきたかを見れば、この人物が何をやりたい人なのか、それは一目瞭然だ。そして、「選挙の争点」なるものがメディアによってどう設定されていようとも、衆議院総選挙とは、政党・政治家の政治姿勢・政策に対するトータルな支持・不支持の表明機会以外の何物でもない。有権者が主観的にどう考えていようが、制度を通じて打ち立てられる客観的事実として戦争路線は是認されたのである。(p.283~4)
 これは小なりとはいえ補欠選挙に関しても言い得ると思います。おまけに東京10区の投票率は34・85%、福岡6区は45・46%だそうです。やれやれ。
 ま、この有権者にしてこの政党あり、ということなのでしょう。所詮、政治のレベルは国民一般のレベルを超えませんから。ハロウィンやポケモンやオリンピックに現を抜かす暇があったら、その百分の一でもいいから政治に関心を持ってほしいですね。"肉屋を支持する豚"にならないためにも…
by sabasaba13 | 2016-10-25 06:34 | 鶏肋 | Comments(0)

戸隠の紅葉

 先週の土曜日に、山ノ神と戸隠に紅葉狩りに行ってきました。お目当ては、戸隠連山と紅葉を湖面に映す鏡池。残念ながら曇天でしたが、それでも見惚れるような景色を堪能できました。奥社参道の紅葉や杉並木も素晴らしい。とりあえず、写真でご報告します。
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by sabasaba13 | 2016-10-24 07:35 | 鶏肋 | Comments(0)