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北海道旅行

 おととい、北海道から戻ってきました。歩みの遅い台風の直撃や影響を懸念しましたが、自称「天下無双の晴れ男」。曇天・小雨の時もありましたが、要所要所では晴天に恵まれました。
 札幌に二泊、美瑛に移動して五泊、再び札幌で一泊という旅程でしたが、北海道の自然、人びとの営み、歴史を堪能することができました。
 いつの日にか旅行記として上梓するつもりですが、とるものもとりあえず写真で報告します。

札幌の夜景(もいわ山より)
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積丹半島 神威岬
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積丹半島 島武意海岸
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モエレ沼公園 海の噴水
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富良野 ファーム富田
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美瑛
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美瑛
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美瑛 四季彩の丘
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美瑛 青い池
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北竜町
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美瑛 ぜるぶの丘・亜斗夢の丘
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美瑛 ケンとメリーの木
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小樽運河
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by sabasaba13 | 2017-08-14 09:11 | 鶏肋 | Comments(0)

2017 暑中見舞

 暑中お見舞い申し上げます。

 日頃「散歩の変人」を御愛読していただき、ありがとうございます。これからしばらく北海道旅行に行ってきます。炎熱地を焼く日々がまだ続くかと思いますが、ご自愛を。

 暑気払いに、手持ちの写真の中で涼しそうな一枚をどうぞ。仁淀川安居渓谷(高知県)です。

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by sabasaba13 | 2017-08-04 07:29 | 鶏肋 | Comments(0)

祇園祭

 先日、はじめて祇園祭の前祭を見てきました。うーん、素晴らしかった。いつのことになるかわかりませんが、後日に旅日記は掲載するつもりですが、とりあえず数葉の写真で報告します。

放下鉾
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伯牙山
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太子山
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放下鉾
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放下鉾
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函谷鉾
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放下鉾
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放下鉾
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岩戸山
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by sabasaba13 | 2017-08-02 06:27 | 鶏肋 | Comments(0)

大平台の紫陽花

 先週の土日に、箱根大平台に紫陽花を見に行ってきました。鎌倉も良かったのですが、やはりその数の多さは圧倒的です。ま、その分、観光客の数も圧倒的でした。もちろん私もその一人ですが。
 なおここ大平台は、枝垂れ桜が満開の頃も素晴らしいですね。あまり人には教えたくない穴場です。

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by sabasaba13 | 2017-07-05 06:25 | 鶏肋 | Comments(0)

2017年都議会選挙

 都議会議員選挙での、自民党の歴史的惨敗。

 快哉

 これが、日本を"美しい国"に改造しようとする安倍上等兵内閣の野望を阻止する第一歩になるかもしれません。ちなみに氏が考える"美しい国"の内実とは、次のようなものですね。世界各地で荒稼ぎをする日本企業、それを軍事力でサポートする自衛隊、草刈り場にされた国の人びとの怨嗟を一身に浴びる"美しい国"日本。福島の人々は見殺しにされ、原発がフル稼働し、新規の原発も次々と建設されていく"美しい国"日本。農業は壊滅し、生物としての生き死にまでをアメリカに左右される"美しい国"日本。流暢なアメリカ英語を操りながらアメリカ企業の底辺労働者として酷使される人々であふれる"美しい国"日本。一刻も早く安倍でんでん内閣に引導を渡したいものです。

 その一方で、大勝した小池百合子知事と「都民ファースト」の動きにも警戒を怠ることなく、状況を見詰めていきたいと思います。彼女の極右的思想と、「日本会議」との関係は気になるところです。自民党内では、安倍上等兵の後釜として、稲田氏を見限って小池氏を担ぎ出そうとする動きがあるのではないかな。「都民ファースト」が、自民党の分身・別動隊・鉄砲玉でないことを衷心より祈っております。

 なお今回の選挙で、私が憂慮したことが二点あります。投票率の低さと、公明党の無節操・無定見です。
 まず投票率の低さ。最終的な投票率は51.27%、前回から7.77ポイント上がったとはいえ、半数弱の有権者が棄権したということです。開いた口が塞がらず、呆れて物も言えません。たいした手間でもないのに、この体たらくは何故? 「適当な候補者がいなかっか」なんていう戯言は言い訳にもなりません。最近読んだ『転換期を生きるきみたちへ』(内田樹編 晶文社)の中で、白井聡氏が舌鋒鋭い批判を展開されていたので、長文ですが是非とも紹介したいと思います。
 問題は、「行っても無駄だ、だから行かない」という思考回路であり、これこそが、分析され、批判され、乗り越えられなければならない、ということです。
 重要なのは、「どうせ行っても何も変わらないから行かない」という行動様式は、消費社会のそれとしては正しい、ということです。投票するとはどういうことなのか。投票行動は買い物のようなものである、ととらえることができるかもしれません。このようなとらえ方は、少なくない政治の専門家が現にしています。お店で欲しいものを探し、それがあればお金と引き換えにそれを買うのと同じように、期待する政治家を選んで、お金の代わりに一票を入れる。この見方によれば、投票所に行ったのに積極的に票を入れたくなるような候補がいないという状態は、買い物に行っても欲しいものはないとあらかじめわかっているならば、家から出ない方が合理的な行動です。同じように、期待できそうな政治家がいないのならば、わざわざ投票所に足を運ぶことは、バカげたことであり、家で寝ている人の方が賢い、ということになります。
 こうしてわかることは、社会的矛盾が増大し、政治の果たすべき役割の重要さが増しているにもかかわらず投票率が下落し続けるのは、人々がある意味で合理的に行動している結果だ、ということです。しかしながら、ここで批判されねばならないのは、こうした行動に現れている「ある意味の合理性」「消費社会的合理性」にほかなりません。明らかにされねばならないのは、投票することを買い物と同じようなものととらえていることの根底的な誤りです。
 買い物と投票するという政治的行為の根本的な違いは、選択可能性ということです。お買い物に行った場合、私たちは選び放題に選ぶことができます。この店が気に入れなければ別の店へ、その店も気に入らなければまた別の店へと渡り歩き、どれも気に入らなければ何も買わないで帰る、ということも自由です。そのようにしたところで誰も文句は言わないどころか、どのお店でも店員さんは、何も買わなくても「またぜひお越しくださいませ」と実に丁寧な態度で接してくれます。なぜなら、物があふれた消費社会においては、どんなチャンスでもとらえてお客の欲望を掻き立て、物を買ってもらわなければならないからです。そのためには、お客の食指が少しでも動きそうな物を取り揃えておくわけで、そのなかから私たちは選び放題だし、それらの商品に私たちは関わらないでいることも選択できる、というわけです。
 これに対して、政治は全く違います。私たちの多くが選挙で棄権し、投票率が下がっても、誰かは必ず当選し、選ばれた人たちのなかから政権が成立します。その政権が愚かな政策を推進した場合、その悪影響は投票した人にもしなかった人にも及びます。政治を嫌ったり、政治に対して無関心でいることはできますが、嫌おうが放っておこうが、その影響から逃れることは誰もできません。政治における究極の事象は戦争ですが、戦争が起きた場合、その影響は生命への損害という形にまで高まります。
 ですから、「期待できる候補がいないから投票に行かない」という行動がどれほど愚かしいものなのか、すでに明らかだと思います。政治権力を委ねる相手を選ぶという行為は、買い物に出かけることとは、全く異なるものです。積極的に選びたい候補者がいようがいまいが、選ばれた権力は現実に私たちの生活に影響を及ぼします。その意味で、投票という政治的行為に、選択可能性はないのです。ぜひこの人に当選して欲しいという候補者がいない場合でも(そのようなケースは非常にしばしばあります)、私たちは「なるべくマシな」、もっと言えば「最も害の少なそうな」候補を選出しようとするのが、当然の行為です。政治は、お買い物と違って、積極的に選びたくなるものをお膳立てしてくれたりはしないのです。(p.214~6)

 私はこれまで、多くの政治学者が「ちゃんと投票に行くべき」と発言したり、「若者よ、政治にもっと関心を持とう」などと発言する様子を冷ややかに見てきました。それはなぜか。一定以上の年齢の人間に、差別なく投票権が与えられるようになったのは-そのような選挙を「普通選挙」という-、そんなに昔のことではありません。日本の場合でも、男子普通選挙が実施されたのは帝国議会が開設されてから38年後の1928年、女性に投票権が与えられたのは、第二次世界大戦での敗北を経た今から70年前のことです。このような権利が獲得されたのは、多くの人々の長い努力と莫大な犠牲が払われてのことなのです。こうした歴史を誰もが学校で習っているはずなのに、投票所に行って投票するという実に簡単な行為すらしないほど怠惰で愚かな人間が、政治権力によって犠牲になってしまうとも、それは自業自得と言うほかありません。
 「投票に行きましょう」とか「政治に関心を持とう」といった呼びかけをする人の動機が善意に基づくことを私は全く疑いませんが、これらの呼びかけの発するメッセージが「投票に来てくれませんか」、「政治に関心を持ってくれませんか」というものでしかないのならば、むしろこうした呼びかけは有害なものにすらなりかねません。なぜなら、その場合、呼びかけは「ぜひお越しください」という「お店の言葉」と変わらないからです。それでは、買い物に行くことと選挙で投票することは同じようなものだという勘違いを正すどころか、助長するものになってしまいます。
 政治に関心を持ち、投票に行くことは、「そうしたければそうしたらいい」という具合に選択可能なものではありません。それは市民的義務です。先ほど、苦難に満ちた政治的権利獲得の歴史を知ろうともせず、自らの貴重な権利を行使することを自発的に回避するような愚か者が悪い政治のために酷い目に遭っても自業自得であると述べましたが、このように愚かな人間が自らの愚かさの犠牲になるだけで、事は終わらないのです。
 悪い政治の影響は、愚かな行動をした人間だけに限定されて及ぶものではありません。現在の日本の政治が全般的に腐敗し堕落している一因は、消費社会的合理性(=政治的愚かさ)に基づいて行動する人間があまりにも多くなってしまったためです。どこまでもお客様根性を貫く有権者に対しては、政治家が誠実に振る舞うことは決してありません。その必要がないからです。こうして政治の世界から緊張感が失われ、よく考えていない有権者の票と低投票率に助けられて選出された、たまたま時流に上手く乗っただけの質の悪い政治家と世襲政治家が、税金を浪費して下らないバカ騒ぎを演じる、という光景がますます目につくようになっています。つまり、あまりにも多くの人たちが市民的義務を回避するようになってしまったために、政治という社会に対して多大な影響を持つ領域が全般的に劣化してしまったのです。(p.216~8)

 もうひとつが公明党の無節操と無定見。今回の選挙では「都民ファースト」に擦り寄ったわけですが、この政党には政治的な目標がないのでしょうか。多数票を獲得する勢いのある存在を敏感な鼻で嗅ぎ分け、にじり寄り、権力のお裾分けにあずかり、創価学会の勢力拡大を目論む、それしか目標がないように思えますが。この件についても最近読んだ『愛国と信仰の構造』(中島岳志・島薗進 集英社新書0822)の中で、両氏が同党を適確に分析・批判されています。こちらも長文ですが引用します。
[島薗] 戦前までの創価学会の歴史を遡ってみましょうか。
 同じ日蓮宗とはいえ、国柱会と違って、創価学会は創価教育学会という教育者の集まりから始まり、小集団活動に基礎を持っていたために、政治的なユートピア主義には結びつかず、戦前は反体制的な特殊な日蓮系宗派の立場を守り通そうとしました。このため、初代会長の牧口常三郎は治安維持法違反で捕まり、獄中死をしています。
 ところが、今の公明党はまったくの体制派で、自民党と一体化しているようにすら見えます。どうしてこうなってしまったのかを考えると、創価学会が、組織の発展を宗教そのものの成功と同一視する傾向を持っていることが、大きいのではないかと思います。
 それから、他宗教や他派を批判する排他性も強く内部の結束を重視する。党と教団が完全な一枚岩ではないとはいえ、そういった性格のもとで、選挙による党の成功と教団の勢力維持とが結びついてしまっているんですね。
 私自身は、現在の創価学会と公明党は、宗教のあり方をめぐる非常に重い問題に直面していると考えています。本来の理念である仏法に基づく平和主義・人間主義をそっちのけで組織維持のためにタカ派政策に乗っかっています。どの宗教でも同様の傾向はあるにせよ、信者の獲得、組織の拡大・維持を最大の目標にするという姿勢そのものを考え直すべき時に来ているのではないでしょうか。
[中島] 島薗先生がおっしゃったように、創価学会にはもう一度自分たちの過去と向き合ってほしいと私は考えています。
 設立後、十数年しかたっていない1943年に、初代会長の牧口常三郎が伊勢神宮の大麻(神札)を受け取らなかったことで治安維持法違反とされて、翌年に獄中死する。同じく理事の戸田城聖も捕まる。それが彼らの戦前の痛烈なまでの経験です。
 池田大作氏が書いた『人間革命』の始まりのほうはその話が中心になっている。つまり、権力から弾圧を受けた経験を背負っているから、信仰の自由というものが彼らにとっての非常に大きなテーゼになっている。
 思想的にパターナル(※強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉する)な安倍首相に対して、信仰の自由など本来、リベラルの方向に立とうとする公明党というのは、その理念では反対向きのはずです。政策的にも、自己責任を強調するようになった自民党に対して、セーフティーネットを整えろと言う公明党は、方向性は逆です。
 しかし、公明党の目標が与党であり続けることにすり替わってしまった今、理念や政策の違いを超えて自民党に追随してしまう。その結果何が起きるかというと、自分たちがまさに弾圧されたような、たとえば秘密保護法のようなものを自分たちで推進してしまう。あるいは集団的自衛権の問題についても、自民党のほうに引っ張られてしまう。
[島薗] 私が創価学会の問題を重く見るのは、前章で述べた「正法」とも関係しています。
 正法をもう少し平たい言葉で言えば、仏教の社会倫理理念であり、仏教の社会性の自覚ということになりますが、創価学会はこの正法の理念を自覚し、現代的に実践しようという姿勢を持つ宗教団体のひとつです。社会参加・政治参加を謳っている宗教団体であればこそ、国家とは距離を保って活動してほしいわけです。
 ちなみに、同じ法華、日蓮系の在家宗教団体である立正佼成会は、集団的自衛権や安全保障関連法制について反対の声明を出しました。(p.202~4)
 ま、所詮、国民は、己の知的レベルに相応しい政治しか持てないということですね。
by sabasaba13 | 2017-07-04 06:25 | 鶏肋 | Comments(2)

山城博治氏・井筒高雄氏講演会

 辺野古や高江での米軍基地反対運動の中心となって尽力されてきた山城博治さん。『DAYS JAPAN』に掲載されたロング・インタビューを読んでいたく感銘を受けました。同誌によると、『DAYS JAPAN』主催による彼の講演会が開かれるとのこと。これはぜひ聞きたい、一昨日、山ノ神と「中野ゼロホール」に行ってまいりました。タイトルは「共謀罪を絶対廃止に!講演会」、山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)の「自由と民主主義を守る最前線。沖縄から今、伝えたいこと」という講演と、井筒高雄さん(元自衛隊レンジャー隊員)の「先島諸島への自衛隊配備で、日本がアメリカの戦争を担う日」という講演です。
 6月22日の木曜日、ふたりで自転車に乗って中野へ向かいましたが、気がかりだったのは…参加者が少ないのではないか。共謀罪法案が成立し、落胆した方々が増えたのではないか、という懸念です。ところが会場に着くと「満席」という掲示、そしてキャンセル待ちの列、これは嬉しかった。負けない人たち、諦めない人たち、そして安倍上等兵内閣に怒る人たちがこんなにいるんだ。勇気と元気をもらいました。これだけでも来た甲斐があったというものです。507席のホールはほぼ満員でした。

 さあ始まりです。広河隆一氏の後を継いだ『DAYS JAPAN』の若き編集長・丸井春氏によるお二人の紹介、そして万雷の拍手とともに、山城博治氏が登壇しました。
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 まずは6月15日、ジュネーヴの国連人権理事会での演説に関する報告です。山城氏は、この委員会で、「日本政府が沖縄の軍事化に反対する市民を大規模な警察力で弾圧し、暴力的に排除している」「自らの長期拘束について、当局による明らかな人権侵害だ」と訴えたのですね。その際に、国連の関係者から「君はHuman rights defenderだ」「世界は日本の動きを注視している」と言われたそうです。そう私たちは孤立していない、人権を擁護しようとする世界中の人たちが手を差し伸べているんだと、意を強くしました。11月の国連報告が本当に楽しみです。なお、この一分半のスピーチに対して、すぐに日本政府は反論をしたそうです。五か月も拘留された運動家の短いスピーチ、無視・黙殺してもよさそうなのに。しかし、すぐに反論せざるをえないところまで日本政府を追い込んでいると、氏は分析されていました。
 そして辺野古や高江の現状についての話です。沖縄では、連日逮捕される者が続出し、1000人の武装機動隊が反対運動を行う市民を威圧する恐ろしい光景が繰り広げられているそうです。なぜそうした光景を、大手メディアは日々報道しないのかと、憤怒の炎が燃えますね。そして山城氏が威力業務妨害・公務執行妨害などの容疑で逮捕されたために、"共謀"したとして反対運動の参加者・関係者にまで逮捕される危険性が出てきました。弁護士の勧めもあり、氏は現場に近づかないようになります。涙ぐみながら「現場に行きたい」と呟く山城氏の姿が心に残ります。しかし、そのおかげで全国を回ってこうした講演を行い、沖縄の現況を報告し、支援を訴えることができるようになって良かったとおっしゃっていました。なお6月23日、沖縄慰霊の日には、海外特派員に記者クラブに招待されているとのことです。
 最後にこれからの展望です。高江ヘリパッドは手抜き工事のため、土砂崩れてサンゴ礁へ流れ込んでいる状態。また辺野古新基地も、海底が軟弱なため今の計画では建設は無理であろうという意見です。となると、大幅な計画変更が必要となり、それを強行するために政府は翁長知事・稲嶺市長の首をすげかえようとする可能性が強い。それを阻止するために、翁長知事を支え、命をかけて戦い、中央政府との全面対決も辞さないと述べられました。ただし、しなやかに、ゆるやかに、心折れない運動を心がけよう。そして仲間がいる限り私はめげない、とも。
 朴訥とした、しかし信念に裏付けられた、私心のない、力強くあたたかい語り口にはすっかり魅了されました。安倍でんでん首相の、薄っぺらく、攻撃的で、誠意の"せ"の字も感じられない語り口とのなんたる違い。そしてその不屈の闘いを支えているのは、仲間と自然と日々の暮らしなのだと感じました。

 15分休憩の後、元自衛隊レンジャー隊員、ベテランズ・フォー・ピース・ジャパン代表の井筒高雄氏の講演です。こちらもたいへん興味深く拝聴しました。日米新ガイドライン(2015.4)によって、極東における戦闘の主体は自衛隊であると決定されたと、氏は指摘されます。要するに、アメリカの国益に関わらない戦争は、多少のサポートはするものの「自衛隊がんばれ」というスタンスですね。また日本におけるパトリオット・ミサイルは、すべて在日米軍基地周辺に配備されており、私たちを守るためのものではないとも指摘されています。日本列島をまるごと極東アジアの前線基地とし、特に先島諸島に重点的に自衛隊を配備させ、戦闘の主体たらしめる。
 また日本政府は、社会保障費1800億円をカットし、オスプレイ12機を1500億円で購入する予定だという指摘にも驚きました。アメリカ軍需企業の影もほのかに見え隠れしますね。
 そしてもともと日本は戦争には向かない国であると、氏は言われました。南北に細長い、海に囲まれている、原発が多数存在すること、食料自給率が低く資源も少ないので長期戦ができない、といった理由です。よって戦争ではない手段で安全保障を追求すべきである。
 「安倍首相はバカだが、支持率には敏感。よって都議選では自民党・公明党・維新に投票しないことが大事。都民ファーストは自民党の分身」という指摘にも、快哉を覚えました。
 最後に、「めげない、やめない、委縮しないで行動を」というメッセージで講演は終了。

 ちょっとめげそうになっていた私ですが、お二人の素晴らしい講演、そして駆けつけた多くの聴衆のみなさんから、元気をもらいました。そして世界中の心ある人びとから、この国は注視されていることも知ることができました。山城さん曰く「政府の手口があまりにも汚い」、そんな政府に一日でも早く引導を渡しましょう。まずは都議選がその第一歩ですね。
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 追記です。『しんぶん 赤旗』(17.6.22)に次のような記事が掲載されていました。
 核兵器禁止条約の国連会議が開かれているニューヨークの国連本部会議場で20日までに、2羽の折り鶴が空席の日本政府代表席に置かれました。
 日本政府は同会議の第1会期(3月)にも参加せず、国際NGO(非政府組織)のメンバーが「あなたがここにいてくれたら」と書いた折り鶴をだれもいない代表席に置いていました。
 安倍上等兵や自民党は必死になって隠そうとし、メディアもそれに協力していますが、間違いなく劣化した日本の現状は世界から注視されています。
by sabasaba13 | 2017-06-24 06:46 | 鶏肋 | Comments(0)

鎌倉の紫陽花 sanpo

 昨日の月曜日に休暇がとれたので、山ノ神と一緒に鎌倉の紫陽花を愛でてきました。三大名所のうち、成就院は植え替えのため今年まで紫陽花は見られないとのことなので、明月院と長谷寺をメインに歩いてきました。その他、インターネットで調べた穴場として、古民家ミュージアム、光則寺、御霊神社、虚空蔵堂、極楽寺を訪問。
 個人的な感想ですが、長谷寺の紫陽花が素晴らしかったですね。百花繚乱、斜面を埋めつくす紫陽花の饗宴には口を開けて見惚れてしまいました。たいへんな混雑でしたが、合理的な整理券システムが完備されており、スムーズに見学できました。明月院はやや期待外れ、思ったよりも花の数が少なくて残念でした。明月院ブルーは綺麗でしたが。想定外の穴場が、北鎌倉の古民家ミュージアムでした。鉢植えでしたが、さまざまな品種の紫陽花が艶やかに咲き誇り、山ノ神もいたく満足しておりました。
 いつになるかは分かりませんが、道中記は後日ということにして、写真を掲載します。

明月院
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明月院
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古民家ミュージアム
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古民家ミュージアム
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長谷寺
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長谷寺
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御霊神社
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極楽寺
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by sabasaba13 | 2017-06-20 06:31 | 鶏肋 | Comments(0)

共謀罪法案成立

 共謀罪法案が成立してしまいました。やれやれ。

 1943(昭和18)年6月25日、戦争が酣のころ、永井荷風が『断腸亭日乗』に書きつけた言葉を、ふと思い出しました。
 歴史ありて以来時として種々野蛮なる国家の存在せしことありしかど、現代日本の如き低劣滑稽なる政治の行はれしことはいまだかつて一たびもその例なかりけり。かくの如き国家と政府の行末はいかになるべきにや。
 壮吉さん、その行末がこのざまです。お恥ずかしい…

 夏目漱石は、日記(1901.3.21)の中に、こう記しています。
 未来は如何あるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となって現わるべし。
 金之助さん。真面目に考えず、誠実に語らず、摯実に行なわなかった自民党・公明党・日本維新の会が播いた種は、これからどす黒く成長していくでしょう。おっしゃるとおり、その悪徳と悲劇に満ちた果実は、彼らに政権を委ねた私たち日本社会が収穫します。

 そして『ヒトラー』(イアン・カーショー 白水社)の中で紹介されていた、1933年1月末に、ルーデンドルフが大統領ヒンデンブルクに宛てた手紙の一節も脳裡をよぎります。(上p.402)
 この呪われた男がわれらの国を奈落の底へと突き落とし、わが国民は想像を絶する辛酸を舐めることになるに違いありません。あなたの所業に対して後世の人びとは死したあなたを謗るでしょう。
 ヘル・ルーデンドルフ、自民党・公明党・日本維新の会を支持してその候補者に一票を投じた方々、あるいは棄権をした方々は、その所業を謗られていることなど気にも留めないでしょう。

 それにしても、これほど愚劣で低劣で下劣な人物と政党を、何故多くの人びとが支持しているのか。その人たちが、同じく愚劣で低劣で下劣だとは思いたくありませんが…謎です。前掲書で、イアン・カーショーは、こう述べられています。
 ヒトラーの権力はヒトラー自身が作り出した部分もあるが、大部分は社会的な産物だった。すなわち、追従者がヒトラーに寄せた期待や意図から作り出されたものだった。これは、いくつかの決定的な瞬間にヒトラー自身がとった行動は権力を拡大するうえで重要ではなかったという意味ではない。ヒトラーの権力の衝撃性は、「個人」としてのヒトラーの特殊な性格にではなく、その指導者としての役割にある。そしてその役割はほかの人びとの過小評価、過ち、弱さ、協力のうえに成り立っていた。したがって、ヒトラーの権力を説明しようと思うならば、ヒトラーその人ではなく、まずはほかの人びとを見なければならない。(上p.24)
 なぜ多くの人びとが、安倍上等兵および自民党・公明党・日本維新の会を過小評価し、彼らを支持するという過ちを犯し、抵抗をあきらめるほど弱く、あるいは協力したのか。それについて本気で考えなくてはならないでしょう。その際にヒントとなるのが『永続敗戦論』(太田出版)の中の、白井聡氏の言葉です。
 三・一一以降のわれわれが、「各人が命をかけても護るべきもの」を真に見出し、それを合理的な思考によって裏づけられた確信へと高めることをやり遂げるならば、あの怪物的機械は止まる。なぜならそれは、われわれの知的および倫理的怠惰を燃料としているのだから。(p.185)
 そう、知的怠惰と倫理的怠惰が、なぜ私たちの社会を濃い霧のように覆ってしまったのか。そこから考えはじめるしかないと思います。

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by sabasaba13 | 2017-06-16 06:31 | 鶏肋 | Comments(0)

がんばれ、野党

 がんばれ、野党。

 を知れ、与党。
by sabasaba13 | 2017-06-15 06:34 | 鶏肋 | Comments(0)

辺野古埋立て・共謀罪法案反対集会

 昨日、国会前に行き、「止めよう! 辺野古埋立て 共謀罪法案は廃案に! 国会大包囲」に参加しました。安倍内閣のおぞましさについては、拙ブログの書評、『街場の憂国論』(内田樹 晶文社)と『安倍改憲政権の正体』(斎藤貴男 岩波ブックレット871)をご一読ください。
 アメリカへの隷従、大企業の利益の優先、民意と国会の軽視、国家権力の強化、メディアの統制、その基本姿勢は私たちの人権を石臼のようにゴリゴリと轢き潰す危険なしろもの、居ても立ってもいられなくなり駆けつけた次第です。民意を無視する辺野古埋立てと、国家権力を強化し抗う者たちを踏み潰し黙らせる共謀罪法案に抗議しなければ。
 持参した『自発的隷従論』(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ ちくま学芸文庫)を地下鉄の中で読んでいると、次のような一節がありました。
 それにしても、おお神よ、これはいったいどういうわけなのだろうか。これをはたしてなんと呼ぶべきか。なんたる不幸、なんたる悪徳、いやむしろ、なんたる不幸な悪徳か。無限の数の人々が、服従ではなく隷従するのを、統治されているのではなく圧政のもとに置かれているのを、目にするとは! しかも彼らは、善も両親も、妻も子どもも、自分の意のままにある生命すらもたず、略奪、凌辱、虐待にあえいでいる。それも軍隊の手になるものでもなく、蛮族の一群の手になるものでもない(そんなものが相手なら、血や生命を犠牲にするのもやむをえまい)、たったひとりの者の所業なのである。しかもそいつは、ヘラクレスでもサムソンでもなく、たったひとりの小男、それもたいていの場合、国じゅうでもっとも臆病で、もっとも女々しいやつだ。そいつは戦場の火薬どころか、槍試合の砂にさえ親しんだことがあるかどうかも怪しいし、男たちに力ずくで命令を下すことはおろか、まったく弱々しい小娘に卑屈に仕えることすらかなわないやつなのだ! このようなありさまを、臆病によるものと言えるだろうか。隷従する者たちが腰抜けで、憔悴しきっているからだと言えるだろうか。(p.13~4)
 16世紀フランスの若き法官が嘆いた状況が、いま21世紀の日本で現出しているとは。きっと彼も草葉の陰で驚いているでしょうね。私も驚いています。さあ、隷従を潔しとせず、"小男"に抗議の声をあげる人びとがどれくらい集まっているのか楽しみです。

 地下鉄国会議事堂駅でおりて地上にのぼる階段をのぼっていると…2015年の「10万人集会」ではこのあたりですでに、スピーカーから流れるスピーチが聞こえ、声なき声のうねりとどよめき熱気が感じられたのに、今日はいやに静かです。地上に出ると、やはり国会を包囲するという規模の参加者ではありません。後の主催者発表によると、参加者は約1万8千人。辺野古埋立てと共謀罪法案に怒らず、危機感を持っていない方が多いということなのでしょう。そして「他に適当な人がいない」という理由で安倍内閣を支持する人も。

 最後まで集会に参加し、帰途に乗った地下鉄内で前掲書をふたたび読んでいると、下記の一文に出会いました。
 あなたがたが衰弱すれば、敵はますます強く頑固になり、あなたがたをつなぎ止める手綱をもっと引きしめるようになる。
 かくも卑劣な行いを少しでも感じたならば、獣たちでさえ耐えられないだろう。あなたがたは、わざわざそれから逃れようと努めずとも、ただ逃れたいと望むだけで、逃れることができるのだ。もう隷従はしないと決意せよ。するとあなたがたは自由の身だ。敵を突き飛ばせとか、振り落とせと言いたいのではない。ただこれ以上支えずにおけばよい。そうすればそいつがいまに、土台を奪われた巨像のごとく、みずからの重みによって崩落し、破滅するのが見られるだろう。(p.23~4)
 隷従しないぞ。
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by sabasaba13 | 2017-06-11 16:04 | 鶏肋 | Comments(0)