カテゴリ:近畿( 310 )

近江編(50):彦根(15.3)

 それでは滋賀大学へと向かいましょう。途中にあったのがスミス記念堂(旧須美壽記念禮拜堂)。解説板によると、彦根の風土と人々をこよなく愛した米国人牧師で、彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)の英語教師でもあったパーシー・アルメリン・スミスが、1931(昭和6)年に私財を投じて建てた礼拝堂です。扉・唐破風・千鳥破風を飾るブドウや十字架の彫り物も見事な和風教会堂です。
c0051620_5534266.jpg

 そして滋賀大学経済学部講堂(旧彦根高等商業学校講堂)に到着。屋根にちょこんと乗っかった小さな塔がキュートな建築です。解説板から引用します。
 建物は、大正時代における旧専門学校の講堂の典型的な建築様式として代表的なもので、屋根上にドーム型の換気塔や、ドーマー窓型換気口を六ヶ所設けるなど、現存する学校建築としては数少ない貴重なものとして、往時の瀟洒な佇まいを今に見せている。
c0051620_5541031.jpg

 すぐ近くにあった陵水会館も素敵な建物ですが、ヴォーリズの設計でした。水平線を強調したフォルム、リズミカルに配置された様々な形・大きさの窓、アクセントとなるベランダ、洒落てますね。こちらも解説板を転記します。
 この会館は、経済学部の前身である旧彦根高等商業学校の同窓会(陵水会)館として昭和13年11月に建築された。
 建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏(日本名一柳米来留)の設計によるスペイン風のゴシック様式木造モルタル造りで、構造の巧妙さと風格の高さで、建築界でも著名な建物である。
 昭和53年に陵水会から国に寄付されその後昭和58年に大改装が行われたが、外観はまったく建築当時の原形そのままに洗練された姿を残している。
 平成9年5月文化財保護法の規定に基づく「文化財建造物」に、国立大学では東京大学安田講堂に次いで二件目の登録となった。
 ちなみに、敷地は旧彦根藩役宅のあった中島と藩米倉のあった内船町に通じる水濠を、学生の集団勤行により埋め立て造成したものである。
c0051620_5544490.jpg

 なお近くにあった洋館も、ヴォーリズの設計によるものでした。1924(大正13)年に建てられた旧彦根高等商業学校の外国人教員住宅で、今は「ひこね市民活動センター」として利用されているそうです。珍しい意匠の透かしブロックを撮影して、それでは彦根城へと参りましょう。
c0051620_5551684.jpg

by sabasaba13 | 2017-11-19 05:56 | 近畿 | Comments(0)

近江編(49):彦根(15.3)

 それでは旧川原町に向かいましょう。五分ほどペダルをこぐと、交差点に屹立する滋賀中央信用金庫銀座支店が眼に飛び込んできました。交差点側を隅切りして腰折れ破風を載せ、左右に切妻破風を並べ、縦長窓を配する印象的なデザインです。ひと目みたら忘れない、街角のアイストップですね。
c0051620_621244.jpg

 その先にあるのが高﨑家住宅主屋で、かつては旧川原町郵便局でした。タイル貼りの壁面、上部のコーニス、入口のペディメントなど、小粋な物件です。
c0051620_6213091.jpg

 宇水理髪館は、その奇天烈な意匠が圧巻。正面のアーチ頂部には巨大なバリカン、その左右にアカンサスの装飾、アシンメトリーな入口一階部にはタイルが貼られています。もうむちゃくちゃでござりまするがな、と花菱アチャコのように唸ってしまいました。
c0051620_621583.jpg

 それはそうと、「バリカン」の語源は何かという疑問がふとわきおこりました。こういう時にインターネットは本当に便利、すぐにわかりました。「喜多床」という老舗理髪店のホームページから転記します。
 喜多床は、明治四年(1871年)、断髪令が施行された年に、旗本舩越家の四男喜太郎が、東京の本郷に創業した、日本で一番古い理髪店です。
 喜太郎は、明治維新後に加賀藩前田家の軍隊に入り、前田公の髪結い方を務めました。そこで、フランス人の軍人から、それまでの丁髷とは異なる、断髪を作り上げる西洋理髪の技術を学びました。その後、軍隊を辞め、前田邸の正門前に西洋理髪の店舗を構えました。それが、喜多床です。
 加賀百万石十三代目当主前田斉泰公の断髪は、初代の手で行われました。髷を切り落とされた後、公は一筆、「本日、髪を洋夷にす。涙燦然として、降る」としたためたそうです。喜多床の屋号は、前田公の命名によるものです。
 創業当時の喜多床は、当時としては珍しい三階建ての洋館で、店内の壁にはガラス製の大鏡がかけられ、従業員は揃いの洋装、使う道具はフランスからの舶来品とあって、「東京の新名所」として名が広まったそうです。
 明治十七年に、前田邸が帝国大学になると、喜多床は、学生や教授、文士など知識人が集まるサロンになりました。
 文豪夏目漱石も、得意客の一人で、「吾輩は猫である」「三四郎」に、喜多床の名前が登場します。
 その漱石先生の思い出を、喜多床二代目景輝が、古い理髪雑誌に語っています。
 「先生、良いお天気です」というと、先生は一言、「大きなお世話だ」。頭を刈られながら気持ちよさそうに寝ていたため、終わって起こすのが悪い気がしてそのままにしておいたら、「終わったのか。遅いぞ」と叱られたそうです。
 内田百閒の「ねじり棒」や、徳田秋声の「大東京繁盛記」にも、喜多床のことが取り上げられています。
 二代目景輝は、たいそう勉強熱心な人で、理髪の発達している米国から、専門誌を輸入して、研究に努めました。そして、日本で初めての理髪研究団体を結成し、講習会を開催しました。
 ある日、顧客の一人だった言語学者の金田一京助氏が店に来て、「バリカンと呼ぶ国はないか」とつぶやいたそうです。外来語辞典を編集しているが、この語源だけがわからないということでした。景輝は、「ありませんよ」と答え、バリカンの名称を英語、仏語、独語など各国語で言って金田一氏をびっくりさせました。さらに、景輝は、刃の刻印に「バリカン・アンド・マール」という製造会社の名前を見つけ、金田一氏の三年越しの疑問を解決しました。
 金田一氏は、石川啄木が上京した時のお世話役でした。景輝に、啄木の下宿先を相談し、啄木は一時、喜多床の3階に下宿し、その後、のれんわけした喜乃床に移っていきました。
 その後の歴史はホームページを見ていただくとして、『吾輩は猫である』には"吾輩だって喜多床へ行つて顔さへ剃つて貰やあ、そんなに人間と異なつたところはありやしない"という一文があるそうです。
 というわけで、「バリカン・アンド・マール(Bariquand et Marre)」というフランスの製造会社名が語源だということが、金田一京助の尽力で判明したわけです。余談ですが、今年の夏は北海道旅行を計画しており、いろいろ調べていると、旭川に知里幸恵の文学碑があることがわかりました。アイヌの口承叙事詩"カムイユカラ"を祖母たちから聞き覚え『アイヌ神謡集』(岩波文庫)として出版、しかし19歳で夭逝したアイヌ女性です。いたく興味を抱き、『知里幸恵 十七歳のウエペケレ』(藤本英夫 草風館)を読み終えたのですが、その出版に金田一京助が深く関わっていたことがよくわかりました。こんなところで彼と出会うとは思ってもみませんでした。読書の快楽ですね。
by sabasaba13 | 2017-11-17 06:23 | 近畿 | Comments(0)

近江編(48):彦根(15.3)

 食事をしながら、さきほど観光案内所でいただいた資料を読んでいると、滋賀県民のソウルフード、「近江ちゃんぽん」というご当地B級グルメがあることを知りました。遅かりし由良之助、無念です。せめて「ちゃんぽん亭」のホームページから、「近江ちゃんぽん」の歴史についてご教示していただきましょう。
 ちゃんぽんと言えば、長崎ちゃんぽん。皆さんはそう思っていませんか?しかし実は、日本各地には長崎ちゃんぽんをルーツにしながらも、独自の進化を遂げた「ご当地ちゃんぽん」が数多く存在します。「近江ちゃんぽん」もその中のひとつです。近江ちゃんぽんは当店で半世紀以上前に誕生して以来、彦根を中心に滋賀県全域に定着し、「滋賀県民のソウルフード」と呼ばれるほどの存在感を放っています。
 ちゃんぽんのルーツは古く、明治32年長崎創業の中華料理店「四海楼」で誕生しました。中国からの留学生達のために、福建料理の「湯肉絲麺」を日本流にアレンジして、中華鍋で具材を炒め豚骨と鶏ガラでとったスープと麺を一緒に入れて煮込んだ麺を店主の陳さんが作ったことが始まりとされています。
 その後、その麺は「長崎ちゃんぽん」と名付けられ、長崎市内の中華料理店を経由して全国に広まりました。このような流れから、今でも全国的にはちゃんぽん=長崎ちゃんぽんとして認識されており、また中華料理店の麺メニューのひとつとして置かれることが多い理由でもあります。
 しかし、実は日本各地には長崎ちゃんぽんをルーツにしながらも、独自の進化を遂げたご当地ちゃんぽんが数多く存在します。代表的なものとして、長崎県雲仙市小浜町には「小浜ちゃんぽん」と呼ばれるご当地ちゃんぽんがあり、特徴は小浜町の近海でとれたキジエビを殻付きのまま入れる点です。小浜町内の多くの飲食店で提供しており、寿司屋や居酒屋でも食べることができます。また、熊本県天草市では大きな海老の乗った「天草ちゃんぽん」が有名です。その他にも、水俣ちゃんぽん、武雄ちゃんぽん、唐津上場ちゃんぽん、八幡浜ちゃんぽんなど、全国にご当地ちゃんぽんは15種類以上あると言われています。
 近江ちゃんぽんも彦根で独自に進化したご当地ちゃんぽんのひとつです。近江ちゃんぽんは当店の前身である「麺類をかべ」で誕生しました。当時の麺類をかべはうどん・そばを主体とする麺類食堂で、彦根という土地柄、だし汁は削り節と昆布からとった「京風だし」でした。あるとき、お客様へ「おいしく健康的な一杯を届けたい」との想いで、京風だしをアレンジしたスープに、野菜や豚肉などの具をたっぷり入れて手鍋を使って煮込み、中華麺と一緒に盛り付けてお客様へ提供したところ、「これは旨い!」と評判になりました。そしてたちまち看板商品になったのです。
 さまざまなご当地ちゃんぽんの中でも、特に異彩を放つのが他でもなく当店の近江ちゃんぽんと言えます。なぜならば、ほとんどのご当地ちゃんぽんはルーツである長崎ちゃんぽんとの共通項を持っていますが、近江ちゃんぽんだけはほとんど共通項がないからです。
 スープは白濁したとんこつでも鶏ガラではなく、京風だしをアレンジした和風醤油味です。具は海老や烏賊など定番の海鮮は一切入らず、豚肉と野菜だけです。麺は唐灰汁を使ったちゃんぽん麺ではなく、かんすいを使った中華麺を使います。調理方法も中華鍋で炒めるのではなく手鍋で煮込みます。あえて唯一の共通点を挙げると「具がたくさん乗った麺料理」という点です。
 近江ちゃんぽんがこのような特徴を持つことになったのは、それが麺類をかべで生まれたからに他なりません。長崎ちゃんぽんは中華料理店で生まれた中華料理のひとつです。しかし、近江ちゃんぽんは麺類食堂で生まれた和食のひとつなのです。
 ちゃんぽんに歴史あり、ですね。これはぜひ試してみたいものです。
by sabasaba13 | 2017-11-15 06:27 | 近畿 | Comments(0)

近江編(47):彦根(15.3)

 それでは彦根へと移動しましょう。ふたたび近江鉄道に乗って高宮へ、米原行に乗り換えて彦根に着きました。なお彦根のひとつ先の鳥居本に古い駅舎があるという情報を入手していたのですが、いかんせん列車の本数が少なく訪問は断念しました。
 言うまでもありませんが、江戸時代は井伊氏35万石の城下町、現存十二天守のひとつ彦根城が残されています。お目当てはもちろん彦根城と、旧川原町に点在する戦前の建物、そして滋賀大学の古い校舎です。
 彦根駅の構内には「彦根屏風」のレプリカが展示されていました。後学のため、日本大百科全書(小学館)から引用します。
 江戸初期の風俗画の名作。国宝。彦根藩主の井伊家に伝来したゆえの愛称で、正式名称は『風俗図』。遊里の一室にくつろぎ遊ぶ男女15人の姿を、全面金箔地の画面に描いた遊楽風俗画で、寛永年間(1624~44)前半の町絵師の作と推定される。漢画の伝統的な画題である「琴棋書画」が意識されて、本来は士大夫がたしなむべき四つの芸を、琉球渡来の新しい楽器である三味線、中国から伝わって当時流行の双六、遊女が書き遊客が読む手紙、人物の背後に飾られる室内調度の屏風絵に、それぞれあてている。華やかな色彩による細密描写と理知的な画面構成を特色とする。
 なお現在は彦根城博物館に収蔵されているとのことです。

 駅前にある観光案内所で資料をもらい、自転車を借りていざ出発。まずは腹ごしらえをしたいのですが、事前に調べたところでは彦根のご当地B級グルメはないようです。せんかたなし、夢京橋キャッスルロードという目抜き通りに行って、「ほっこりや」で比内地鶏親子丼をいただきました。彦根でなぜ比内地鶏?という疑問はさておき、まあまあ美味しうございました。
c0051620_6504155.jpg


 本日の一枚です。
c0051620_6511296.jpg

by sabasaba13 | 2017-11-13 06:52 | 近畿 | Comments(0)

近江編(46):豊郷小学校旧校舎群(15.3)

 途中に「中山道 一里塚の郷石畑 ごんろく通り」という気になる案内板もありましたが、時間の都合で探訪は省略。このあたりにも「飛び出し小僧」が出没していました。
c0051620_6153597.jpg

 豊郷駅から十分すこし歩くと、「豊郷小学校旧校舎群」にとうちゃこ。1937(昭和12)年に近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎によって寄贈され、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって建てられました小学校です。当時は「白亜の殿堂」「東洋一の小学校」と言われたそうですが、これは素晴らしい。切れ味鋭いシャープな造形、リズミカルに並ぶ大きな縦窓、さすがはヴォーリズです。内部も見学ができるのでさっそく中に入ると、大きな窓から陽光が燦々とふりそそぐ明るい廊下が印象的。階段手摺の洒落た意匠、そしてイソップ寓話から着想を得たのでしょう、競争をする兎と亀の小さなブロンズ像が手摺の上に設置されています。歩みが遅くとも着実に進めば、努力は必ず実を結ぶ、という子供たちへのメッセージでしょうか。この学び舎で幼時を過ごした子供たちは、大人になってもきっとこの像を思い出すでしょうね。また、子供たちのために階段や手すりを低くし、ぶつかっても大怪我にならないように丸みを帯びた作りにしています。暖房設備などにも当時最先端の技術を惜しみなく使用し、その総工費は365,000円に上ったそうです。(当時の豊郷町予算の10倍!)
c0051620_616820.jpg

 こんな校舎で勉強をしたかったなと思いつつ、中を徘徊しているとふと疑問が脳裡をよぎりました。なぜ、現役校舎として使用していないのか? 今、「ウィキペディア」で調べてみると、興味深いことがわかりました。1999(平成11)年、大野和三郎町長が、老朽化と耐震性を理由としてこの校舎の解体と新校舎の建設を提案、町議会もこれを賛成多数で承認しました。しかし、地元町民からは歴史のある校舎を取り壊すことに反対する意見が出され、裁判所への提訴、解体工事の強行、作業員による反対住民への暴行など、すったもんだの挙句、大野町長は突然方針を撤回。新校舎を建設しながらも旧校舎を保存することになりました。なぜ町長は、こんな素敵な校舎を解体して、新校舎の建設に固執したのか。公共事業による地域活性化や、建設業者の桑原組と大野町長との癒着などを指摘する声がありますが、真相は藪の中。
 解体されなかったのは僥倖でしたが、改修・補修により十分に利用可能との専門家の意見もあるのですから、豊郷の子供たちにここで学ばせてあげたかったですね。利権の匂いがぷんぷんする事件ですが、なんたる偶然、内田樹氏が同じヴォーリズ建築に関して似たような経験をされたそうです。『日本の覚醒のために 内田樹講演集』(晶文社)から引用します。
 これまで何度もした話ですけれど、いまから20年以上前、僕が神戸女学院大学に勤め始めて4年目の時、ある銀行系のシンクタンクが入ってきて、大学内の財務内容についてコンサルティングをしたことがありました。その時に、神戸女学院の建物を見て「この建物は無価値です」とゼロ査定した。「築60年の建物なんか、これから先、修理や耐震工事とかで金がかかるばかりだ。こんな建物を維持してゆくのはドブに金を捨てるようなものです」と言い切った。
 神戸女学院の学舎は、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した建物の中でも屈指の傑作です。外形的に美しい建物であるというだけでなく、中にいると心が鎮まります。声の通りもすばらしい。その建物で日々を過ごしている人間たちの実感をコンサルタントはみごとに無視した。彼らがカウントしたのは、坪単価とか築年数というような数字だけでした。そして「無駄だから壊せ」と言った。もちろん、教授会はその提案を一蹴しました。
 コンサルタントたちがその価値をゼロ査定したヴォーリズの校舎は2014年、国の重要文化財に指定されました。現役の校舎としての指定は珍しいものです。今もその校舎の中で研究教育が行われて、礼拝が行われ、クラブ活動が行われている。そういう環境の中でキャンパスライフが送れるということは、生徒学生たちにとってはほんとうに得がたい幸運だと思います。でも、いずれ重要文化財に指定されるような建物の価値がこのコンサルタントたちには感知できなかった。それが僕には信じられないのです。だって、この建物が他と違う、特別なものだということは、建物の中に一歩足を踏み入れれば誰だってわかるはずのことだからです。空気が清浄で、粒子の肌理が細かくて、そこにいるだけで心身が調うことが実感される。にもかかわらず、このビジネスマンたちにはそれがわからなかった。世の中に彼らの手持ちの金勘定の道具だけでは価値が考量できないものがあるということがわからなかった。
 でも、そういう愚かな人間たちがいまの日本社会を支配しています。いまの日本人に一番欠如しているものはそれです。霊的感受性が鈍麻している。霊的に浄化された空間に踏み込んだときに、ここは世俗とは別の場だということさえ感知できない。(p.92~3)
 金勘定でしか物事を判断できない愚かな人間たちがいかに多いことか。そして金銭価値が最高の判断基準となってしまった日本社会。自分も含めて、猛省すべき時だと思います。

 なおバンドを組む女子高生たちが主人公の『けいおん』というアニメに登場する高校の校舎・音楽室が旧豊郷小学校とそっくりだということから、アニメファンの聖地となっているそうです。アニメにはまったく食指が動かない私、どうでもいいことですが。

 追記。階段手摺にある兎と亀の像を山ノ神に見せたら、彼女曰く「これって、子どもたちが、手摺をまたいで滑らないようにするためじゃない」。…鋭い!

 本日の四枚です。
c0051620_6163973.jpg

c0051620_617199.jpg

c0051620_6172412.jpg

c0051620_6174777.jpg

by sabasaba13 | 2017-11-04 06:19 | 近畿 | Comments(0)

近江編(45):豊郷(15.3)

 閑話休題。そういえば時事通信ニュース(17.7.10)に、下記のような記事がありました。
 パチンコ出玉規制強化へ 客のもうけ5万円以下に―ギャンブル依存症対策・警察庁

 警察庁は、パチンコの標準的な遊技時間(4時間)に客が得られるもうけの上限について、現行の十数万円から5万円を下回るよう出玉規制を強化する方針を固めた。
 スロットなどについても同水準に規制を強化する。もうけの上限を引き下げることで、負けた分を一度に取り戻そうとのめり込むリスクを減らすのが狙い。11日に風営法施行規則などの一部改正案を公表し、一般から意見を募る。
 カジノ解禁を柱とする統合型リゾート(IR)推進法が昨年12月に成立したのを受け、政府のギャンブル依存症対策の一環として実施する。
 警察庁によると、パチンコ依存問題の相談機関「リカバリーサポート・ネットワーク」に相談した人の約7割が、1カ月当たり5万円以上の損失を出していた。
 改正案では、遊技時間4時間でパチンコ玉の獲得総数が発射総数の1.5倍に満たないものとする新基準を設けた。現行の3分の2程度に規制を強化し、大当たりの出玉の上限も現行の2400個(9600円相当)から1500個(6000円相当)に引き下げる。
 いっそのこと、韓国のようにパチンコを全廃すればいいのに。でもそれをせずに微温的な対処療法をとるのは、やはりパチンコ業界と警察との癒着があるからでしょう。『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(若宮健 祥伝社新書226)によると、警察庁の外郭団体である保通協(財団法人保安電子通信技術協会)という組織が警察幹部の天下り先となっており、パチンコ機の試験・検査を通して業界を牛耳っているそうです。また各パチンコ店も警察官の天下り先になっているそうです。さらにパチンコ店を管轄する各警察署の生活安全課にも、飲み食いや海外旅行の接待など大きな利得があるとのこと。やれやれ、警察の現状については、きっちりと監視する必要がありますね。

 近江鉄道の「パトカー電車」に35分ほど乗って八日市駅へ、高宮行きに乗り換えて16分ほどで豊郷駅に着きました。お目当ては、ヴォーリズが設計した豊郷小学校です。改札口を出て小学校の方へ歩いていくと、おおっ、「飛び出し少年少女」のオンパレード。金髪の少女、ギター(?)を背負ってパンを咥えながら走る少女、野球帽の少年、ご近所の方のご子息を模したものかなと想像するだけでも楽しいですね。
c0051620_6283518.jpg

by sabasaba13 | 2017-11-02 06:29 | 近畿 | Comments(0)

近江編(44):水口(15.3)

 なお少し離れたところにある大池寺には、小堀遠州作と伝えられる蓬莱庭園があるそうですが、泣いて馬謖を斬る、時間の関係で省略しました。列車が来るまで少々時間があったので、水口石橋駅近くの「ポエム」で珈琲をいただいて一休み。そして駅に行きホームで待っていると…
c0051620_6195276.jpg

 何と白黒で塗られたパトカー仕様が入線してきました。これは魂消た日和下駄。こういうどうでもいいことを調べる時には、ほんとうにインターネットは便利です。今、調べてみると、滋賀県警が春の全国交通安全運動の一環で近江鉄道に依頼して走らせている「パトカー電車」だそうです。車内の天井には婦人警官の写真がべたべた貼ってありましたが、これは近江八幡市出身で、滋賀県交通安全ふるさと大使になっているAKB48のメンバー田名部生来氏だそうです。この手の金太郎飴的素人娘集団にはまったく食指が動かないので、どうでもいいことですが。
c0051620_620229.jpg

 この電車には悪意はないと思いますが、最近、警察の影が日常生活に静かに忍び込んでいるようで不気味さを感じています。先日、大きなスポーツバッグを背負って自転車に乗っていただけで警官に職務質問をされたこともありました。杞憂だと…いや、違いますね。『共謀罪の何が問題か』(岩波ブックレット966)の中で、髙山佳奈子氏がこう書いておられました。
 このように、テロを中心とする危険な事態には、国際条約や決議、またそれらに対応する国内立法や独自の国内法によって、すでに対応可能な体制が整っています。そして、法案の内容自体に、テロ対策が規定されていません。
 こんな奇怪な法案を、なぜ、与党は、虚偽の看板を掲げて国民をだましてまで強行しようとするのでしょうか。…ここでは、「犯罪が減って仕事のなくなった警察が権限を保持するため」という理由を書いておきましょう。(p.40~1)

 軽微な道路交通法違反の摘発が「ねずみ捕り」と批判的に呼ばれることがありますが、それに似た状況が、より重い処分を伴って、いろいろなところで起こっています。共謀罪規定を導入すれば、警察の取締権限の範囲は大幅に拡大します。本来必要のない処罰規定をわざわざ作ることにより、犯罪でなかったものを犯罪と呼び、警察の実績を上げる効果がもたらされるのです。(p.43)
 髙山氏によると、現在、犯罪の認知件数は毎年大幅に減少し、戦後最低記録を更新中です。例えば、2002年における刑法犯の認知件数は約285万件、2015年のそれは約110万件。その一方で、同じ期間に警察職員の数は約2万人増加しているそうです(p.41)。警察組織の利権を守るためには、仕事を増やす必要があります。そのために、今まで摘発の対象になっていなかった行為を摘発する。「共謀罪」法案はそのための布石でしょう。もう一つは、"テロの脅威"など人びとの不安を煽り、それを燃料として警察組織の必要性と拡充を正当化する。旅先の辺鄙(失礼)な地で、「テロに注意」というポスターをよく見かけるようになりました。甲府駅前のバス停紀州鉄道西御坊駅静岡県立美術館のバス停筑後吉井駅別所線上田駅真岡鐡道車内山陰本線宍道駅などなど、写真を見ていただければわかるように「こんなところで殺傷行為をおこなうテロリストがいるわけないだろ」と半畳を入れたくなるような場所にすらです。もし仮にテロの危険が高まったとすれば、髙山氏が言うように、それは安保法制が強行されたことにより、日本が「アメリカと一緒に武力を行使する国」と見られて、イスラム過激派から敵視されるようになったからでしょう(p.31)。あるいはもっと高所より見れば、『世界正義論』(筑摩選書)の中で井上達夫氏が述べられている分析も参考になります。
 節度ある階層社会における宗教的差別や市民的政治的人権侵害にリベラルな先進社会が目をつぶる代わりに、後者の世界分配正義侵犯に対する追及を棚上げするという取引は、階層制社会にとっても、リベラルな社会にとっても、「おいしい取引」であろう。しかし、このような二つの不正黙認を交換する政治的妥協は、仮に、国際政治秩序の安定性を実現しえたとしても、それは不正の構造化による安定であり、正義の名を冠することは許されない。節度ある階層社会の柔和な外観をもった差別や政治的抑圧に晒される人々や、豊かな先進諸国の冷酷な無視により、基本的必要充足を阻まれたまま放置される人々など、この政治的取引によって黙殺され不可視化される人々が、忍従を拒否し、怒りをテロその他の形で暴力的に爆発させる可能性は常に伏在しており、かかる「倫理的時限爆弾」を抱えた政治的妥協は、長期的視点から見れば、安定性を達成することもできないだろう。(p.192)
 私なりに言い換えれば、いわゆる先進国が、後進的な専制国家から富を搾取する見返りに、当該国内における差別や抑圧を黙認すれば、被害者たる民衆がその怒りを暴力的に爆発させる可能性があるということでしょう。日本がそうした行為に加担しているのであれば、テロの攻撃対象となる可能性も強くなります。

 なお同書は、"世界正義"について考究した重厚な一冊で、一読、たいへん勉強になりました。例えば、下記の一文など、安倍上等兵に、熨斗をつけて額縁に入れてクール超速宅急便でお送りしたいものです。
 表現の自由・集会結社の自由・参政権などのいわゆる「市民的政治的人権」は、政府が国民の「公共のもの(res publica)」たる国家を私物化せず、国家の主権をその存在理由国民の人権保障のために行使しているか否かを国民がチェックするための人権であるがゆえに、最低限にして最優先の正統性承認条件をなす。これらは他の人権と並列される人権の一部というより、人権保障を確保するための人権であり、政府が人権保障の責務と権能を国民によって受託されていると言えるための、そしてそれゆえにこそ政府が国際特権を享受する資格があると言えるための前提条件である。(p.158)
 なるほど、安倍でんでん内閣が、特定秘密法案や共謀罪法案を成立させたのは、国家を私物化していることを国民にチェックさせないための措置なのですね。よくわかります。

 本日の一枚です。
c0051620_621324.jpg

by sabasaba13 | 2017-10-31 06:24 | 近畿 | Comments(0)

近江編(43):水口(15.3)

 ちょいと趣旨は違いますが、外務省某幹部がこんなことをおっしゃっていました。
 日本人の実質識字率は5パーセントくらいだから、新聞は影響力を持たない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく。
 面白うてやがて悲しき…ですね。今の日本や世界について、格差社会について、テロや難民について、気候温暖化について、沖縄や福島について、そして安倍でんでん内閣の本質について、多くの方々が無知・無関心なのは、この実質識字率の壊滅的な低さ、言い換えれば本を含む活字媒体から縁遠くなったことに起因すると思います。それにしてもその原因はいったい何なのでしょう。私の場合は、まず暇潰し、そして視野が広がり知らない世界に出会える享楽が読書にはまる契機でした。やはりスマートフォンという恐るべき暇潰しメカがあらわれたことが大きいのだと愚考します。ただ、読書と違い、視野を狭窄させ世界を小さくするスマートフォンに享楽を感じる理由は、想像すらできません。

 なお最近読んだ『「おもてなし」という残酷社会』(榎本博明 平凡社新書839)の中に、興味深い指摘がありましたので引用します。
 過剰な「お客様扱い」という意味で、この頃とくに違和感があるのは、図書館で本を借りる際に「ありがとうございます」といわれることだ。
 こちらが無料でサービスを受けているのだから、お礼をいうべきはこちら側のはずだ。それなのにお礼をいわれるのだから、恐縮してしまう。
 と同時に、そのような従業員教育をする図書館の体質の変化に大いに違和感がある。
 なぜ、そこまで「お客様扱い」を徹底しようとするのか。なぜそこまで市民に対して自己中心的な心を植えつけようとするのか-。(p.20~1)
 うーむ、知らなかった。でもこれは確かに違和感を覚えます。深読みですが、各図書館にサービス競争をさせて、アンケートなどでその結果を数値化し、点の低い図書館の予算削減や統廃合を狙う地方自治体行政の腹黒い意図があるのかもしれません。でもせめて図書館は、競争原理とは無縁の場であってほしいし、傍若無人に騒ぐガキがいたら厳しく窘める雰囲気であってほしいものです。

 すぐ近くには「水口小学校校歌と巖谷小波」という解説板があったので、後学のために転記します。
c0051620_7354259.jpg
 「城山高くあらずとも」で始まる本校校歌は、明治43年(1910)制定、作詞は巖谷小波、作曲は入江好治郎です。
 巖谷小波(明治3年~昭和8年)は、水口出身の著名な書家、巖谷一六の子で、日本における近代的児童文学の創始者であり、「お伽噺の小波さん」として、明治・大正期の子供たちの大きな支持を集めた人物です。
 小波は作詞にあたり、地名や校名の連呼を避け、郷土の身近な風景の中に、子供の健やかな成長を描いて見せます。
 なお作曲の入江は、水口出身で上野音楽学校卒。滝廉太郎とは同窓でした。
 そうそう、今読んでいる、中野重治の『梨の花』(岩波文庫)にも、その名前が出てきました。20世紀初頭の福井県の農村を描いた自伝的小説です。
 「さあ、一服してくんないの。」
 どのへんでか、「ずいぜん寺のおばあ」がせんべん菓子を山盛りにして持ってきた。それから和子さんがちょっと引きかえして、『幼年画報』やら『少年世界』やらを持ってきた。その『少年画報』にぽつぽつの穴のあいた写真があったのだった。
 そこは緑いろの紙になっていた。良平は読んで、驚いて顔をあげたがまた読んだ。あの巌谷小波に、「小波おじさん…」という呼び方で手紙を書いている子供がどこかにいるのだった。
 小波というのは、小波山人ともいったが、良平はやはり大吉の『少年世界』で知っていた。この人はお伽噺を書いていた。それから「むかしの話」という子供時分の思い出話も書いていた。それから、雑誌でなくて本も書いていた。(p.288)

by sabasaba13 | 2017-10-29 07:36 | 近畿 | Comments(0)

近江編(42):水口(15.3)

 せめてもの恩返しに、私が冬籠り前の栗鼠のようにコツコツと貯えた、本に関する名言を掲載します。
 読書が勤学であるように解されたのは昔の道学先生の学究観で、読書は実は享楽である。(内田魯庵)

 読書は、人性の全てが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても、国と国との関係においても。(美智子皇后)

 本の読み方というのは、人の生き方と同じである。この世界にひとつとして同じ人の生き方はなく、ひとつとして同じ本の読み方はない。それはある意味で孤独な厳しい作業でもある-生きることも、読むことも。でもその違いを含めた上で、あるいはその違いを含めるがゆえに、ある場合に僕らは、まわりにいる人々のうちの何人かと、とても奥深く理解しあうことができる。気に入った本について、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは、人生のもっとも大きな喜びのひとつである。(村上春樹)

 私は本が世界を変えうるとは考えていないが、世界が変わりはじめるとき、世界はこれまでと異なる本を求めるものと信じている。(シュロモー・サンド)

 本に読まれないように! (渡辺一夫の父)

 思うのだが、僕らを噛んだり刺したりする本だけを、僕らは読むべきなんだ。本というのは、僕らの内なる凍った海に対する斧でなくてはならない。(フランツ・カフカ)

 私は現地に本を持っていって読むという、わりに良いくせがある。(安野光雅)

 わたしたちは本を読み、絵画を鑑賞し、美しい田園を散策しその片隅を発見し、静かに日光浴をし、同時代の知識に親しむことができないでいます。要するにわたしたちは、知的もしくは動物的ないかなる楽しみも欠けているのです。(ウィリアム・モリス)

 よく本を読む人はみな、開かれた新しい世界を想像できるのだ。(マルコムX)

 本が焼かれるところでは、最後に人間が焼かれるのだ。(ハインリヒ・ハイネ)

 きみ自身を、そしてきみの生活を変えたいならひとつだけ忠告を聞いてほしい。これだけのこと。テレビを消してよい本を読む。(リウス)

by sabasaba13 | 2017-10-27 06:26 | 近畿 | Comments(0)

近江編(41):水口(15.3)

 それでは旧水口図書館に向かいましょう。途中に、「名物かんぴょう」というポスターがありました。歌川広重の「東海道五十三次」に描かれてから、全国的に有名になったそうです。
c0051620_6265040.jpg

 踏切を渡って地図を頼りに歩いていくと、まるで貴族の別荘のように瀟洒な洋館がありました。解説板を転記します。
 この建物は昭和3年(1928)水口町出身の実業家井上好三郎氏の寄付により、水口町立水口図書館として建てられたもので、設計は滋賀県ゆかりのヴォーリズ建築事務所である。
 南東側を正面としその右隅に玄関を、右側側面に通用口を設け、一階は小学生用閲覧室と書庫、二階は成人用閲覧室兼会議室に利用された。構造は主要な躯体を鉄筋コンクリートで構成し、壁は煉瓦積みという手法をとっている。玄関の両脇にはトスカナ式の円柱を配し、その上には壁を半円アーチ状にくぼめて書物と燭台、オリーブなどのレリーフを施し図書館らしさを表現する。
 窓は縦型長方形で両開きガラス窓を配置している。また玄関上方の二階窓には小振りのバルコニーを設けアクセントとする。特に塔屋の上に置かれたランタンは、この建物のイメージに大きく寄与している。全体に装飾は抑えられているが上記のようなアクセントや太めの軒蛇腹が立面を引き締めており、戦前最盛期のヴォーリズらしさにあふれた珠玉の作品と高く評価される。
 宿場町の古い町並みに面して突如現れたモダンな建物は、当時の人々をあっと言わせ、知の館としてまたランドマークとして多くの人々に親しまれ、昭和45年の図書館移転後も教科書っ選定のための施設として利用された。
 その後老朽化が進む一方で、近代化遺産に対する市民の関心も高まり、平成13年には国の登録有形文化財となり、平成15年にはランタンの復原や構造補強など保存整備工事が行われ、ふたたび活用の道が開かれた。
c0051620_6272542.jpg

 "知の館"か…素敵な表現ですね。地元の方々の、この図書館に対する思い入れの深さを感じます。思えば、私も少年時代には図書館にたいへんお世話になりました。時は1970年代、携帯電話もスマートフォンもコンビニエンスストアもインターネットもテレビゲームもカラオケもディズニーランドもない時代でした。もちろんたいしたお金も持っておらず、あるのは時間だけ。内気な少年をなんの留保もなく受け入れてくれたのが区立図書館でした。人気のない書庫の片隅にある小さな窓から中学校のプールで泳ぐ女子生徒を覗…もといっ、座り込んで恐竜図鑑や「ドリトル先生」シリーズや「ゆかいなホーマーくん」など手当たり次第に本を読み耽った至福のひと時。もし私に知的好奇心らしきものがあるとすれば、それは間違いなく図書館によって育まれたものです。あらためて感謝の意を込めて、「ありがとうございました」と言いたいと思います。

 本日の一枚です。
c0051620_6275350.jpg

by sabasaba13 | 2017-10-20 06:28 | 近畿 | Comments(0)