カテゴリ:近畿( 236 )

伊勢・美濃編(36):一身田(14.9)

 御影堂や如来堂を中心とする広大な伽藍を撮影し、山門をくぐりぬけると釘貫門がありました。柱を立てて並べて貫を通しただけの簡単な門のことで、扉は設置されていません。この先は町屋なので、聖俗の結界をなす装置とのことです。
c0051620_6401324.jpg

 環濠を撮影しながら町をぶらつきましたが、ところどころに古い町屋や蔵が残っていました。
c0051620_6403723.jpg

 とある細い路地には「高田中・高校の生徒は自転車で、この路地の通り抜けを禁止する」という看板が掲示されていました。ちょっと日本語がおかしいような気もしますが、学生のみなさん気をつけて下さいね。珍しい透かしブロックがあったので撮影。専修寺の東側には太鼓門があり、かつては最上階の太鼓が時や法要の進行を告げていたとのことです。
c0051620_6405958.jpg

 そして町の周囲をとりまく環濠に沿って散策。往時の面影は残されていませんが、貴重な歴史遺産ですね。
c0051620_641213.jpg

 生徒が狭い路地を自転車で走り抜ける、噂の高田中・高校の壁面には、「祝 全国高等学校総合体育大会」「新体操部」「卓球部」「なぎなた部」という垂れ幕がさがっていました。なぎなた部!? 創部すれば即全国ベスト16になれそうだな、と不謹慎な半畳を入れてしまいました。
c0051620_6414358.jpg

 というわけで小一時間ほどの散策でした。寺内町は、これまでに平野、久宝寺、八尾、長島、山科、金沢、富田林貝塚御坊を経巡ってきましたが、ここ一身田は寺内町の骨格がよく残されており、一見の価値があります。
 JR一身田駅まで戻り、普通列車に乗って津駅へ。「るるぶ」の愛知版と岐阜版を購入して急行列車に乗り込み車中で読みましたが、パワー・スポット記事満載に辟易しました。やれやれ、もっと人事を尽くせばいいのに。それはさておき、明日は予定通り、美濃市の街並みを散策したあと、杉原千畝のふるさと・八百津に行き、彼の記念館と棚田を訪問することにしましょう。一時間ほどで名古屋駅に到着。駅ビルの中にある"ひまつぶし"…ではなく"ひつまぶし"の名店、「まるや」に行きましたが、甘かった、長蛇の列ができています。せんかたない、近くにあった「歌行燈」という行列のできていないお店で、名古屋名物のきしめんをいただきました。
c0051620_6421532.jpg

 名鉄名古屋駅に行き、準急に約30分乗ると犬山駅に到着です。駅の近くに「理美容業界 年商日本一の店 プラージュ犬山店」という看板を掲げた理容店がありました。歩いて数分で今夜の塒、犬山シティホテルに到着です。
c0051620_642398.jpg


 本日の七枚です。
c0051620_64316.jpg

c0051620_6432339.jpg

c0051620_6434548.jpg

c0051620_644863.jpg

c0051620_6443280.jpg

c0051620_6445394.jpg

c0051620_6451359.jpg

by sabasaba13 | 2016-04-21 06:45 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(35):一身田(14.9)

 駅からすこし歩くとそこが一身田、往時の面影はあまり感じられない濠を撮影して、まずは中心となる寺院、専修寺を表敬訪問しました。
c0051620_6262449.jpg

 豪壮な唐門のわきに詳しい解説があったので転記します。
1.地名の由来と歴史
 "一身田"という地名は、奈良・平安時代の制度で、政治上功績のあった貴族に特別にその身一代に限って与えられた田、「一身田」からきたといわれ、その貴族とは「斎王」ではなかったかと考えられている。(律令制度である「三世一身の法」の中の、その身一代に限って与えられた田、「一身田」からきたとする説もある。)
 人々がここに集落を形成したことを最初に示す記録は、一御田神社の棟札に嘉吉3年(1443)の記録があり、この時代には「一身田御厨」として伊勢神宮へ年貢を負担していた農村であったと考えられている。

2.真宗教団の伊勢進出と一身田寺内町
 全くの農村地帯であった一身田が大きく変わるのは、高田(栃木県)専修寺真慧がこの地に無量寿院(後の一身田専修寺)を建設してからである。
 真慧は、東海北陸地方の布教活動の中心として一身田に寺院を建設し、以後戦火で荒廃した高田専修寺にかわりここが高田教団の中心となった。
 寺内町とは「戦国時代、真宗寺院を中心に濠・堀などで防御された自治都市のこと」(『国史大辞典』 吉川弘文館)とされる。
 一身田寺内町の成立を明らかにする資料は残っていないが、一御田神社棟札のうち、天正20年(1592)の屋根吹替え棟札に寺内町がすでに成立していたことを窺わせるものがある。
 一般に寺内町の成立が16世紀半ばであることを考えると、一身田寺内町の成立は天正8年(1580)の伽藍炎上による復旧工事がきっかけと考えられている。

3.寺内町の発展
 東西500m、南北450mの環濠で囲まれた範囲で、環濠の幅は現在ではかなり狭くなっているが、堀の長さは江戸期の記録と完全に一致する。また、濠の内側には2~5mの堤があったようである。
 町の入り口は3箇所にあり、濠に橋が懸けられ、内側に門がたっていた。橋向町から寺内へ入る門は「黒門」といわれ、一身田の町の「惣門」で門の横に「番所」があったといわれている。現在高田幼稚園運動場入り口となっている門が黒門を移築したものといわれている。東町にある門で江戸方面からの入り口となるのが「赤門」で、朱塗りの門であったらしい。西町の入り口は「桜道之門」と記され、一般には「桜門」と言われている。これらの門は明け六つ(午前6時)に開門され、暮れ六つ(午後6時)に閉門されたと言い伝えられている。
 一身田寺内町には「寺内特権」らしいものはみられず、わずかに幕府から専修寺に渡された銀子を低利で融資を受けられることぐらいであった。また、一身田町民は全員が真宗高田派の門徒で、「同行」と言われる隣組に組織されていた。
 そのほか、専修寺には住民に時を知らせる「時の太鼓」が設置されていた。「太鼓門」といわれる専修寺東門の最上階に太鼓が吊ってあった。

4.近代の一身田
 明治以降一身田は大きな変化をとげた。一身田町の支配は本山から離れ、明治7年(1874)には桜門・黒門・赤門の三門が売りにだされ、寺内町も解体されていった。現在は、新しい建物が増え当時の面影を残す所は数少なくなったがそれでも環濠をはじめ、古い寺内町の雰囲気がよく残っている。


 本日の一枚です。
c0051620_6264835.jpg

by sabasaba13 | 2016-04-20 06:27 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(34):津(14.9)

 それはさておき、観光案内所があったので津ぎょうざに関する情報を入手しましょう。津ぎょうざを食べさせてくれる店を紹介したパンフレットがあったので、駅構内のミスター・ドーナツで珈琲を飲みながら一人作戦会議。さっそく読んでみると…ここでもゆるキャラの「つつみん」が見参。やれやれpart2 邪慳にするのも可哀想なので紹介しますと、1985年頃に旧津市内の小学校給食メニューとして提供され大人気になったことがきっかけだそうです。ちなみに津ぎょうざの定義は、①直径15cmの皮を使用、②揚げ餃子であること、この二つだけで中身は自由だそうです。それではどこのお店で食べようかな、ん? 現在の時刻は午後二時少し過ぎ、ほとんどのお店が休憩時間です。津駅周辺でこの時刻に開いている店はないか、鵜の目鷹の目で探したところ、近鉄名古屋線に乗って次の駅、津新町駅の近くに「氷花餃子」というお店が15:00まで営業されています。やった。津新町駅で降りて十分ほど歩くと、お目当てのお店に着きました。
c0051620_6291543.jpg

 さっそくご当地B級グルメ、津ぎょうざを注文、食べ応えのある大きな揚げ餃子にかぶりつきました。美味い、給食でこんな餃子が食べられるなんて、津の小学生が羨ましいかぎりです。そして近鉄に乗って津駅に戻り、紀勢本線に乗り換えて一駅目が一身田です。以前に一度訪れたことがあるのですが、昔の環濠がほぼ残っている寺内町です。

 本日の一枚です。
c0051620_6293756.jpg

by sabasaba13 | 2016-04-19 06:30 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(33):松阪(14.9)

 しばらく本を読んでいると、自転車に乗った少女が「こんにちは!」と元気よく挨拶をしてくれました。嬉しいものですね、これだけでも来た甲斐があったというもの。そして11:48のバスに乗り込んで松阪駅をめざします。駅の近くに「セビリヤ」という理髪店がありましたが、うまい、山田くん座布団一枚。「サミュエル」という理髪店もあるかもしれない。
 松阪は以前訪れたことがあるので、散策は省略します。松阪駅前には駅鈴のモニュメントがありましたが、この町に生まれた国学者・本居宣長は鈴が好きでしたね、自宅も「鈴屋」と名づけているし。近くに解説があったので読んでみると、彼の遺品「七古鈴」のひとつで、石見国浜田藩主・松平康定から贈られたものだそうです。原型となった駅鈴は隠岐の玉若酢命神社に所蔵されているものだそうですが、そういえば隠岐に行ったときに寄ったことがあるなあ。それでは昼食に松阪をいただくことにしましょう。駅前をぶらつくと、さすがは松阪、そこいらじゅうに牛関連グッズがあふれています。松阪駅の近くに「かめや」というお店があったので、こちらで松阪牛のステーキをいただきました。うむ、やはり美味しいですね、高いけど。
c0051620_6314075.jpg

 松阪駅に行くと、「ようこそ、松阪へ」という観光ポスターに、名物として松阪肉・松阪茶・松阪木綿が紹介されていました。牛と木綿は知っていましたが、茶も名産だったんだ。ご当地ゆるキャラの「ちゃちゃも」は、お茶と牛の鳴き声からつけられた名前なのですね。それにしても、こうしたゆるキャラが猖獗を極めているのには辟易します。日本人の低年齢化が進行しているのではと危惧しております。山ノ神の友人であるアメリカ人が、アニメのキャラクターを使っている某銀行を見て「私ならこんな銀行には絶対に預金しない」と言ったそうな。
c0051620_6321892.jpg

 松阪から紀勢本線に揺られること20分ほどで津に到着。駅前に出ると、ここでもご当地ゆるキャラの「シロモチくん」の顔はめ看板が出迎えてくれました。やれやれ。
c0051620_6324652.jpg

 それにしても、兜をかぶった白い餅? だとしたら異形のキャラクターですね。気になったので、今インターネットで調べたところ、「津うキャラ情報局」というサイトに、下記のような説明がありました。
 津のお殿様・藤堂高虎公がまだ若く貧しい頃、餅屋の主人に恩を受け、"人の情けを忘れないように"とのことから、藤堂家の『白い三つ丸餅の旗印』が作られました。シロモチくんはその旗印から生まれた精霊であり、藤堂高虎公が、津に入府して400年にあたる2008年に現れました。
 へー、いい話ですね。

 本日の一枚です。
c0051620_6331261.jpg

by sabasaba13 | 2016-04-18 06:34 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(32):深野(14.9)

 素晴らしい景観を撮影しようとあちこち歩き回っていると…猪木ピンチ…でも大丈夫、ちゃんときれいな公衆便所がありました。はあああああああああ。交通安全路上表示透かしブロックがあったので撮影。
c0051620_8145924.jpg

 さてそれではそろそろバス停へと戻りましょう。バスの発車時刻は10:38、今十時ちょっと過ぎなので余裕の横山大観で間に合うで…ん? どことなく風景が違うな… やばっ! 道を間違えた。あわてて分岐点へと戻り、早足で歩を進めましたが、停留所に着いたときにはすでにバスは走り去っていきました。やれやれ。ま、こんなこともあるさ。So it goes on.次のバスまで約一時間、深野の町を散策することにしましょう。ここ深野は櫛田川沿いの道に家屋が建ち並ぶ、宿場町の風情です。まず目に入ったのは、恰幅のよい商家と蔵。登録有形文化財に登録されている佐野家住宅という説明板がありました。江戸時代後期より薬種問屋を営んでいたそうです。あとは「あかぶくろ胃腸薬」という看板を撮影して町の散策は終わり。
c0051620_8152882.jpg

 川辺におりると流れ橋があったので、大雨のときはかなり増水するのでしょう。
c0051620_8155246.jpg

 さてバスが来るまでまだ三十分ほどあるので、JA松坂深野の前にあったベンチに座って読書をすることにしました。窓ガラスに「TPP交渉参加反対!」というポスターが貼ってありましたが、満腔の意をもって賛成します。知的怠惰と謗られそうですが、四人の論客による鋭い指摘を紹介します。
 グローバリズムとナショナリズムは矛盾しているように見えるが、実際には、これは「同じコインの裏表」である。国際競争力のあるグローバル企業は「日本経済の旗艦」である。だから一億心を合わせてその企業活動を支援せねばならない。そういう話になっている。
 そのために国民は低賃金を受け容れ、地域経済の崩壊を受け容れ、英語の社内公用語化を受け容れ、サービス残業を受け容れ、消費増税を受け入れ、TPPによる農林水産業の壊滅を受け容れ、原発再稼働を受け容れるべきだ、と。(『街場の憂国論』 内田樹 晶文社 p.26~7)

 TPPは、今世界中で同時進行で進んでいる、人、モノ、カネ、情報など、あらゆるものの国境を越えた流動化を目指す、グローバリゼーションの集大成になっている。
 実施されればそれぞれの国が持つ規制や独自経済政策能力といった主権が制限され、投資家と多国籍企業は完全に法治国家を超えた強大な力を持つことになる。(『(株)貧困大国アメリカ』 堤未果 岩波新書1430 p.165~6)

 「投資家対国家間の紛争解決条項」(Investor State Dispute Settlement):自由貿易協定(FTA)を結んだ国の企業が、相手国の政府が外国資本や企業に対して差別的対応をとったことで損害をこうむったと判断した場合、その国の政府に対して賠償を求めることができるとした条項。2012年に発効した米韓FTAにも導入されています。
 …日本における「条約>国内法」という関係と同じく、韓国の憲法解釈においても「国際条約は既存の国内法に優先する」とされています。ところがなんと米韓FTAの条文のなかで、「アメリカの国内法は米韓FTAの条項に優先する」ことが決められているのです! (「米韓FTA実施法」第102条a項-1 「合衆国のいかなる法に反する協定のいかなる条項も、またそうしたいかなる条項のいかなる人または状況への適用も、効力を有しない」)
 つまり「アメリカの国内法>米韓FTA実施法>韓国の国内法」となり、韓国の経済植民地化が確定してしまいました。日本がTPPに参加すれば、同じことが起こることは確実です。(『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』 前泊博盛編著 創元社 p.270)

 ひとつには、TPP問題に代表される経済戦争の新形態の展開である。1970年代から衰退を露呈し始めた米国経済は、新自由主義と経済システム全体の金融バブル経済化、そして旧共産主義圏の市場のこじ開け・統合によって延命を図ってきた。しかし、こうした努力も利潤率の傾向的低下、経済成長の鈍化を食い止めることはできず、限界に逢着したことを示すのが、2008年のリーマン・ショックであった。米国のTPP戦略は、この窮状からの脱出を目指す戦略のひとつである。多数の識者が指摘するように、保険・医療・金融・農業といった諸分野における米国主導のルール設定と日本市場の獲得という、米国による露骨な帝国主義的策動がTPPの枠組みに含まれている恐れは十分に存在する。…低成長を運命づけられている新自由主義体制のなかでは、ゼロサム・ゲームを前提としたパイの奪い合い(その手段には物理的暴力の行使も含まれる)が起こるほかない。そこにおいては、「身内」(=同盟諸国の住民)からも奪うという行為も当然選択肢のなかに含まれてくる。まして、冷戦崩壊以降、米国にとっての日本は無条件的な同盟者ではあり得ない。(『永続敗戦論 戦後日本の核心』 白井聡 太田出版 p.130~1)


 本日の二枚です。
c0051620_8162338.jpg

c0051620_8165217.jpg

by sabasaba13 | 2016-04-17 08:17 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(31):深野のだんだん田(14.9)

 そして三十分ほど歩くと、深野のだんだん田に着きました。いやあこれは凄い、大小さまざまな石を精緻に積み上げた石垣が、幾重にも幾重にも屏風のように連なっています。まるで、野外に展示されたモダン・アートのようです。これははるばる来た甲斐があったというもの、眼福です。解説板が二つあったので転記しておきます。
石の芸術 「深野だんだん田」
深野だんだん田は標高820mの白猪山南麓に位置し、室町時代に北畠氏の重要な拠点であったこの地区は、白猪山の西に「のろし場」があり、見張りに詰めている侍たちの食料確保のため棚田が開墾されたと伝えられています。もともと深野地区は耕地に恵まれず、古くから木地・蚕・和紙等で生計を立てていたことから、この棚田は特に貴重でした。

石の芸術 深野棚田
 飯南町の深野地区は、優れた松阪牛を育てる肥育農家がたくさんあることと、古くから「深野和紙」と呼ばれる和紙の生産で知られています。
 ここ棚田は、堀坂山・局ケ岳とともに伊勢の三峰と呼ばれてきた白猪山南側の急斜面に開けただんだん田で、室町時代中期から江戸時代初期にかけて開拓されたと言われています。
 城塞を思わせるように幾重にも積まれた自然石が織り成す風景は、まさに石の芸術です。先人の知恵と技術・努力には想像を絶えするもので(ママ)山村の歴史を物語る貴重な文化遺産です。
〈概要〉
       ●石垣の段数/約120段
       ●延長/およそ120キロメートル
       ●石垣の総面積/約135,000平方メートル
       ●積み上げられた石の数/約3,010,000個
 それにしても、何故これほどの石垣を築いたのでしょうか。多雨による棚田の崩壊を防ぐため、手ごろな石を産出した、腕のいい石工集団がいた、などが考えられます。いずれにせよ、村人たちの気の遠くなるような作業の賜物ですね。ただその艱難辛苦を支えたのは、間違いなく末来の世代への配慮、子孫たちがこの村で未来永劫幸せに暮らせるようにとの思いだと考えます。未来への世代に棚田を残した人たちと、放射性廃棄物を残した人たち。その志の違いは、月とスッポン、釣鐘と提灯、雲と泥、鯨と鰯、雪と墨、マハトマ・ガンディーと安倍伍長です。

 本日の四枚です。
c0051620_6382626.jpg

c0051620_6385657.jpg

c0051620_6391982.jpg

c0051620_6394279.jpg

by sabasaba13 | 2016-04-16 06:40 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(30):深野のだんだん田(14.9)

 JR参宮線で伊勢市駅へ、近鉄山田線に乗り換えて松阪駅に着いたのが午前八時ちょっと過ぎ。駅前で8:20発の飯高地域振興局方面行きバスに乗り、深野をめざします。途中でサイクリングを楽しむグループを見かけましたが、いいですね。人間は良いものもろくでもないものも発明しましたが、最良の発明品は自転車だと思います。おっ、土砂崩れ防止のためのコンクリート壁に、野猿がちょこんと座っていました。
c0051620_6294843.jpg

 四十分ほどで深野に到着、帰りのバスの発車時刻を確認するため停留所をさがしましたが付近に見当たりません。中心部らしき方向へ行きましたが、ありません。通行人もおらずお店もなし。やっと散歩をしているご老人に出会えて教えてもらったところ、逆方向でした。やれやれ、時間をくってしまった。10:38のバスに乗り遅れると次は11:48か、かなりのタイム・ロスですね。でも現在の時刻は午前九時ちょっと過ぎなのでたぶん間に合うでしょう。たぶん…近くに交通安全路上表示(正式には何と呼ぶのでしょう?)があったので撮影。
c0051620_6301446.jpg

 棚田へと誘う道標や、「深野棚田まつり」というどでかい看板があったので、道を迷わずにすみそうです。「深野散策絵図」という大雑把な地図も貼ってあったので写真におさめました。それでは棚田に向かって出発、ゆるやかな坂道をのぼっていきましょう。途中にこんな看板がありました。
 深野は山紫水明・人心豊かな土地柄なれども耕地に恵まれず、古くから木地・蚕・和紙等を生計の一助としてきましたが近代の文明開化・西欧食文化の変遷を先取りした先駆者の指導により邑を挙げて、和牛肥育と販路の拡大に誠意を尽くしてきました。今では、世界のブランド「松阪牛発祥の地」として、有名であります。
 村に歴史あり、ですね。
c0051620_6303780.jpg

 そういえば途中で材木屋を見かけましたが、木地師の末裔でしょうか。二匹のにも出会えました。にゃあにゃあ。
c0051620_631192.jpg


 本日の一枚です。
c0051620_6312340.jpg

by sabasaba13 | 2016-04-14 06:32 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(29):二見浦(14.9)

 ぱっちりと目覚めてテレビの天気予報を見ると、なんと、今日から三日間は晴れる模様です。旅行直前の予報ではすべて曇り時々雨だったのに、天下無双の晴れ男、ここに見参。さて、本日の予定ですが、まずは二見浦を見物、そして松阪へ移動して、深野のだんだん田を拝見。ここまでは確定していましたが、そのあとの行程についてはいまだに逡巡しております。松阪か(本居宣長物件・松阪牛)、四日市か(末広橋梁・潮吹き防波堤・近鉄内部線・ご当地B級グルメ「とんてき」・コンビナートの夜景)、一身田か(環濠の残る寺内町)、津か(ご当地B級グルメ「津ぎょうざ」)、桑名か(六華苑・古い街並み)。ちなみに今夜の宿泊地は犬山です。…(沈思黙考)…よろしい、決めた。四日市は見どころが多いので後日、再訪することにしましょう。松阪牛と津ぎょうざを食べて、一身田を見学して犬山に向かうことにしました。
 タイトな行程なので、泣いて馬謖を斬る、タクシーを利用。フロントに頼んでタクシーを呼んでもらい、まずは二見浦へ。鳥居の先の海面に、注連縄で結ばれた大小二つの岩が顔を出していますが、あれが有名な夫婦岩ですね。解説板によると、沖合700mの海中に鎮まる興玉(おきたま)神石の皇居として見なされているそうです。
c0051620_6313524.jpg

 そしてJR二見浦駅まで送ってもらいました。男岩(おいわ)と女岩(めいわ)を模した駅舎の中にはいろいろな展示物があったので、後学のため列車が来るまで拝読しました。二見小学校の校歌は、一番が明治天皇の、二番が昭憲皇太后の"御製"だそうです。何かの役に…立つかどうかわかりませんが、転記しておきましょう。
五十鈴川 清き流れの すえくみて こころをあらへ あきつしまびと
さしのぼる 朝日のごとく さわやかに もたまほしきは こころなりけり
 もしかすると、ジャズのスタンダード・ナンバー「Softly, as in a Morning Sunrise」の日本語タイトルはここからとられたのかな。それはさておき、解説は「ありがたい校歌である」と断定していますが、ありがたいかどうかは私が決めます。それ以前に、音楽を愛する者として、音楽を何かのために、例えば集団の一体感を高めるために利用することは好きではありません。よって、国歌も校歌も社歌も御免蒙りたいですね。ましてや歌うことを強制するなんて言語道断です。もうひとつの展示には、「夫婦岩の二見といえば…修学旅行のメッカです。晩ご飯を終えた夜8時前、旅館街では小学生が賑やかに走り回って歓声が」とありました。へえそうだったんだ。
c0051620_6321532.jpg


 本日の一枚です。
c0051620_6323950.jpg

by sabasaba13 | 2016-04-13 06:33 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(28):宇治山田(14.9)

 それでは夕食をいただきましょう。「るるぶ」で紹介されていたお店のうち、食指をそそられたのが二軒ありました。いずれも宇治山田駅の近くにあるのですが、「まんぷく食堂」のからあげ丼と「喫茶モリ」のモリスパです。迷うところですが、♪おなかと背中がくっつ♪きそうなので、前者に軍配をあげました。特急券を購入して17:35発の特急伊勢志摩ライナーに乗りこむと、なんと最近とんと見かけなくなった喫煙車がありました。近鉄の見識を高く評価し、さっそく窓際の席を陣取って紫煙をくゆらしました。ぷかあ。
c0051620_6364638.jpg

 そして18:13、宇治山田駅に到着、駅近くのショッピングセンターにある「まんぷく食堂」に飛び込んで、からあげ丼を注文しました。おお来た来た苦しうないぞ近う寄れ、ボリュームのある鳥のからあげを半熟玉子が優しく包み込み、ニンニク醤油の香りが食欲をそそります。Here we go ! ガツガツガツガツとあっという間に完食、B級グルメのイデーのような逸品、お薦めです。
c0051620_637103.jpg

 腹もくちたし塒へと帰りましょう。ふと気づけば、宇治山田駅の駅舎はなかなか洒落たデザインですね。恰幅のよさ、リズミカルに連続する縦長の窓、意表をつく八角形の窓、そして塔屋がいいアクセントになっています。いま、ウィキペディアで調べたところ、竣工は1931(昭和6)年、設計は東武鉄道浅草駅も手掛けた久野節で、登録有形文化財に登録されているそうです。ん? "正月恒例の内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっている"だと! まさか公費を使って政教分離の原則を踏みにじっていないでしょうね。構内には、歩きスマホへの注意を喚起するピクトグラムのポスターが貼ってありました。人にぶつかる、ホームに落ちる、ほんとに迷惑ですね。暇をつぶすのだったら、もっと気の利いたものがあるのにとつくづく思います。
c0051620_637359.jpg

 18:40発の普通列車に乗り込み、鳥羽駅に着いたのは18:56。ホテルに戻ってシャワーを浴び、寝酒を飲みながら明日の旅程を確認しました。

 本日の二枚です。
c0051620_638195.jpg

c0051620_6382046.jpg

by sabasaba13 | 2016-04-12 06:39 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(27):大王埼灯台(14.9)

 なおこの公園には、絵筆とパレットをもった画家の銅像があり、プレートには「絵かきの町 大王」と記されていました。どんな由来があるのだろう?
c0051620_9245268.jpg

 タクシーに戻って運転手さんに訊ねると、なんでも風光明媚なこの地を描きに画家がよく来たそうで、それを活かして市民が絵を描こうという運動が行われているそうです。今、インターネットで調べてみると、下記のような宣言を見つけました。
絵かきの町宣言

 私たちの町大王町は、雄大な太平洋と波静かな英虞湾の二つの景勝地にいだかれ、白亜の大王埼や石垣、石畳の坂道、ともやまの夕景、また、その美しい自然環境の中で生活する人びとなど、多くの絵を愛する人たちの創作意欲をかきたて、昔から絵かきの町として広く知られてまいりました。私たちは、この恵まれた環境を大切にするとともに、キャンバスをとおして町の素晴しさを再認識し、住民の文化意識の向上はもとより、数多くの人にこの美しい景観を知っていただけるよう、『絵かきの町』を宣言しました。
 ちなみに、土田麦僊や藤島武二がスケッチに来たそうです。するとあの銅像は藤島武二なのかな。
 そして鵜方駅に到着、料金を支払いお礼を言ってお別れしました。列車の発車時刻まで時間があったので駅構内にあった観光案内所に立ち寄り、資料を物色していると…なんと、「ドヤ!と顔パネで私」というタイトルの、伊勢志摩にある顔はめ看板を紹介するパンフレットがありました。
c0051620_9255289.jpg

 私は「顔はめ看板」と言っておりますが、こちらでは「顔出しパネル」と言うのですね。なお以前に琵琶湖ホテルで購入した本では、「顔出し看板」となっていました。こうした呼称の地域的な偏差を研究してみれば…別に面白くないか。それはさておき「伊勢から生まれた名投手 沢村栄治 西村幸生」「西行と芭蕉」「ゴジラ」はかなりのレアな物件でそそられます。すべて見にいくほどの時間もないので、せめて「ゴジラ」のある鳥羽磯辺漁協石鏡支所に寄れないものかと、案内所の方に訊ねると駅からは遠いとのこと。無念。また八幡さん公園にあった画家の銅像のことを訊ねると、特定のモデルはいないとのことでした。

 本日の一枚です。
c0051620_926235.jpg

by sabasaba13 | 2016-04-11 09:30 | 近畿 | Comments(0)