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丹波・播磨・摂津編(4):龍野(10.2)

 さてどうやら道を間違えたようです。地図で確認すると、さきほどの交差点を右折するべきだったのに直進してしまいました。軌道修正して歩いていくと、数分で揖保川にかかる龍野橋に到着です。ここからの眺望は素晴らしいですね、滔々と流れる揖保川に沿い、山々に抱かれるように佇む龍野の街並みが一望できます。♪兎美味しかの山、小鮒釣りしかの川♪と口ずさみたくなるような、懐かしい光景です。
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 それでは橋を渡り、街の腸に食い込んでいきましょう。まずは朝の清々しい空気をすいながら下川原商店街を散策、味わい深い古い商家が散在していました。観光用にとりつくろうことなく、自然体で残されているのがいいですね。路地の先には山の姿が見通せ、まるで山々に見守られているような雰囲気です。あるお宅に「とゆに注意」という注意書きがありましたが、とゆって何だろう???
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 また焼き焦がした板塀、西日本に特有の伝統技法の「焼杉」[…『建築史的モンダイ』(藤森照信 ちくま新書739)参照]もよく見かけられ、景観にいいアクセントを与えています。
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 その焼杉に誘われてふらふらと路地に入っていくと、大きな蔵がありました。ここが明治二年創業のカネヰ醤油の工場ですね、門前には電気式しょうゆ・もろみ販売機が設置してありました。
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 そのはす向かいにあるのが「うすくち龍野醤油資料館別館」、入場はできませんでしたが、洒落た洋館を門扉から見ることができました。吉井勇に「ほのかなる人のなさけに似るものか龍野醤油のうす口の味」という歌があるそうですが、一度味わってみたいものです。ここから醤油蔵と如来寺にはさまれた小道を歩きましたが、ここもいい風情でした。お寺さんの築地塀や瓦屋根、醤油蔵の黒板塀にはさまれた、小さな用水に沿った路地を、遠景の山を眺めながら散策していると、昔々ここを歩いたような心地よい既視感におそわれます。わが内なる図書館で自分なりにつくりあげた「日本の町」のイメージにぴったり合致するからでしょうか。
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 人気のない交差点を右折して山の方へ向かうと、戦前のものらしき古いビルが二つ並んでいました。右が龍野醤油資料館になっています。
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 このあたりでスタンダードな飛び出し小僧を発見。「そうめん&コーヒー すゞむら」といういかにも龍野らしいお店もありました。
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 緩やかな坂道をのぼっていると、ふるさとの山に抱かれ見守られているような小学校がありました。白い塗り塀と黒い焼杉塀のコントラストがきれいなお宅をよく見かけます。なおところどころに観光案内図がありますので、道に迷う心配はありません。そして白鷺山のふもとに到着、ここには童謡の小径(こみち)・哲学の小径という遊歩道が整備されています。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-02-10 06:19 | 近畿 | Comments(0)

丹波・播磨・摂津編(3):龍野(10.2)

 朝起きてカーテンをあけると、お天道さまが微笑んでおられます。本日は龍野と篠山を逍遥して篠山に泊まる予定、ちょっとタイトな行程なので朝食も食べずに行動を開始しました。姫路駅に行き、コインロッカーに荷物を預けて身軽となり、7:28発の姫神線播磨新宮行き列車に乗り込みます。そうそう老婆心ながら、山陽本線の竜野駅と姫神線の本竜野駅を間違えないようにしましょう。前者で降りると、タクシーで三十分ほど移動するはめになります。そして、三十分弱で本竜野駅に到着、駅にはコインロッカーがなく姫路駅で預けておいて正解でした。駅前には観光案内所はありますが、まだ開いておりません。これも想定内、コピーしてきたガイドブックの地図を頼りにして、駅から徒歩で二十分ほど離れた龍野をめざし歩きはじめます。
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 それでは龍野の紹介、スーパーニッポニカから抜粋して引用します。
 兵庫県南西部にある市。開発の歴史は古く、先土器時代の遺跡も知られ、ことに古墳には副葬品で注目される西宮山古墳などがある。古代には山陽道と美作道の分岐する要地となり、市域全体に条里制の遺構が分布する。城下町としての歴史は赤松氏が文明年間(1469~87)に揖保(いぼ)川右岸の鶏籠山上に築城したことに始まる。その後、城は山麓に移され、龍野藩脇坂氏5万3000石の城下町として繁栄した。鉄道から外れて近代的都市化が遅れたため、播磨の小京都とよばれた城下町時代の町並みが保存され、現在は積極的にその歴史的景観の保全に努めている。
 産業は地場産業の比重が大きく、しょうゆ、そうめん、皮革の製造が中心である。消費都市的性格が強く、商業と住宅地は揖保川の川西から川東へ進出し、官庁街とともに新しい市街地を形成しつつある。三木露風、三木清らの資料を展示する霞城館、しょうゆ醸造の過程を示す、うすくち龍野醤油資料館がある。文学の小径を龍野公園に訪ねる人も多い。
 駅のとなりでは、新しい駅舎を建設している最中です。駅前には「宮本武蔵 修練の地 龍野」という看板がありました。せっかくなんだから、顔はめ看板にしてくれればいいのに。んもう気が利かないんだからあ、い、け、ず。
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 ここ本竜野駅から龍野の町までは、見るべきものもない新市街地なのかなと思っていましたが、どうしてどうして。怪しげなバルコニーのあるお宅、古い旧郵便局、多角形の塔が付随した洋館など眼を惹かれる古い建物が随所に残っていました。おっひさしぶりに「こばた」物件をゲット。小幡西舞鶴御手洗につづいてこれで五件目です。
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 途中には、「播磨国風土記」にも記されている石見用水とその解説板がありました。その近くには素麺「揖保の糸」のビル、ここ龍野でつくられていたのですね。
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 交差点を渡ると、「あなたらしさの家づくり 有限会社バウハウス」とドアに記された小さなビルを発見。1919年、建築家ワルター・グロピウスによってワイマール(後にデッサウ→ベルリン)に設立され、新時代へ向けての工芸・デザイン・建築の刷新を図ろうとした建築・美術・工芸学校を模したものですね。私の大好きなパウル・クレーも教鞭をとったことがありました。具体的な仕事ぶりについてはわかりませんが、その志はいいですね。壁面に掲げられた"BAUHAUS"のロゴも、デッサウ校舎のそれとくりそつでした。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-02-09 06:17 | 近畿 | Comments(0)

丹波・播磨・摂津編(2):姫路(10.2)

 二月好日、仕事を終え職場から一目散に駅にかけつけ、品川駅へ。16:57発の新幹線のぞみにかろうじて間に合いました。列車に飛び乗りトイレに駆け込むと、朝顔の的は縦に三つ並んだ三角形でした。そういえば品川駅トイレの的も同様のもの。実はこの三つの三角、JR東海の企業目標である高利潤・高配当・低賃金を象徴している…というのはバイオレット・レッドな嘘…いやほんとだったりして。さて座席について珈琲を注文し、車窓から流れゆく風景を眺めていると、やがて夜の帳が視界を閉ざしていきます。どうやら富士山は見えそうにありません。持参した「歩く地図 大阪・神戸」(山と渓谷社)を紐解き、予習がてらパラパラと眼を通していると、ん? ごろごろ岳?(p.81)  「世界でもっとも阿呆な旅」の著者・安居良基氏に耳打ちしたくなるような地名ですね。京都のポンポン山と双璧をなすようなこの変わった地名、巨岩・奇岩がごろごろしているところからつけられたのかなと思っていたら、違うようです。帰宅後、インターネットで調べてみると、標高565.6mというのがその由来とのこと。ちゃんちゃん。なんとザッハリッヒカイトなことよ。てことは、標高191.9mの「いくいく山」がどこかにあるかもしれません。
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 なお喫煙ルームがあるのには助かりました。その見識と英断を讃えたいと思います。そしてフランク・ロイド・ライトの「自然の家」を熟読、山邑邸を訪れる前に読み終えておきたいものです。
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 そして19:59に姫路に到着。駅近くのヴィアイン姫路にチェックインし、荷物を部屋に置いて夜の街へと繰り出しました。おっバイク用のスターティング・グリッドが路面に描かれているぞ。「黄色当然赤勝負」という命知らずの方が多いのでしょうか。そして、事前に調べておいたお店、阿波尾鳥(あわおどり)を食べさせてくれるという「一鴻」に入ったのですが、金曜日ということで満員。さてどないしましょ、ま、とりあえず駅前商店街を徘徊して、ご当地B級グルメを食べさせてくれそうなお店を物色しますか。ふと目に止まったのがあるお店の入口に掲げてあった「姫路おでん」というメニュー、よしこの「華のほとり」で夕食をとりましょう。
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 さっそく姫路おでんと朝引き鳥の唐揚げを注文。こくのある鶏の出汁でじっくりと煮込んだ大根やがんもどきや牛すじ肉を、生姜醤油につけて食べるのが姫路流のようです。おでんには辛子、リンリンにはランラン、リンリンランランには龍園という常識をみごとにくつがえす斬新な取り合わせでした。帰宅後、インターネットで調べてみると、生姜醤油で食べるおでんはすべて「姫路おでん」と、姫路おでん協同組合は定義されていました。その起源は、戦中戦後の食糧難の時代に煮込み過ぎて味が抜けてしまったおでんの味を補うために、生姜醤油をかけるようになったという説(闇市発祥説)が有力でしたが、少なくとも昭和10年頃には、生姜醤油をかけていたことがわかってきたそうです。姫路おでん探検隊は、地場産業である龍野の醤油と白浜の生姜、それをブレンドすると美味しくなることが見出され食習慣となったのではないかと推測されています。地産地消、身土不二、学ぶべきところ多々ありますね。
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 さて腹もくちたし、ホテルに戻りましょう。フロントの隣にコンピュータが設置してあり、プリントアウトが自由にできるとのことでした。実は真田山陸軍墓地に関する資料を家に置き忘れてしまい、ちょっと困っていたところです。これは本当に嬉しいサービス、偉いぞヴィアイン姫路。さっそくインターネットで当該サイトを呼び出し、必要な情報を印刷させていただきました。多謝。
by sabasaba13 | 2011-02-08 06:18 | 近畿 | Comments(0)

丹波・播磨・摂津編(1):前口上(10.2)

 二月の中旬に、代休をからめて三連休とすることができたので、丹波と播磨を中心に旅してきました。最大の眼目は、『美の巨人たち』を見て感銘を受けた、遠藤新設計の旧甲子園ホテルです。現在は武庫川女子大学が所有し、事前に連絡をすれば見学が可能だということです。さっそく電話をしてみると月曜日の午前十時から見学できるとのお返事、この物件を中心に旅程を組んでみましょう。まずはこれまで諸事情により見物しそこなった物件の落穂拾いです。遠藤新ときたら、当然、彼の師であるフランク・ロイド・ライトが設計した山邑邸(現ヨドコウ迎賓館)をはずすわけにはいきません。幸い、神戸の芦屋にあるので訪問は容易です。神戸か… 函館長崎とならび日本三大夜景と謳われる夜景も見ることにしましょう。神戸はかつて訪れたことがあり、めぼしい所は散策済み、何か見落とした物件はないかな、ちょっと調べてみましょう。本やインターネットを渉猟した結果、水の科学博物館・神戸税関・布引ダム・御影公会堂・今津小学校六角堂といった物件をゲットしました。それからちょっと遠いけれど、宝塚近くの清荒神(きよしこうじん)にある富岡鉄斎美術館、前から気になっていました。こちらは時間が許せば寄ってみましょう。そして東大寺南大門とならび、現存する大仏様(天竺様)建築の浄土寺浄土堂はぜひ見てみたいものです。こちらは神戸電鉄小野駅からバスかタクシーで行くことになります。
 そして神戸の西には、古い街並みの残る「ちょっといい町」が点在しているので、いくつか訪れてみることにしました。『小さな町小さな旅 関西周辺』(山と渓谷社)によると、丹波篠山・龍野・室津・平福・坂越といった町が紹介されていましたが、とても全部はまわれません。泣いて馬謖を斬る、断腸の思いで篠山と龍野を選択、後の三つの町は切り捨てました。ごめんね、おいちゃんを許しておくれ。
 というわけでいつものようにコテコテパッツンパッツンの内容ですが、さてこれらをどうやって二泊三日にパッキングするか。添乗員やツアーコンダクター以外には何の役にも立たないスキルですが、けっこう身についてきました。まず初日は龍野と篠山を訪れたいのですが、かなり距離が離れているので少々きついようです。この際、前日の夜に新幹線で姫路まで行ってそこで泊まることにしましょう。龍野と篠山を見て篠山に宿泊、これは問題なし。二日目は浄土寺浄土堂に寄って、神戸へ。山邑邸をじっくりと拝見し、残りは先述の物件を訪問しましょう。もし時間に余裕があれば富岡鉄斎美術館も追加。そして夜景を見物して神戸泊。三日目は神戸で見残したものがあればそれらを見て、予約しておいた甲子園会館へ。いちおう10:00~11:00と指定されているので、午後にもどこかに行けそうです。大阪で見るべきものはないかな、と本やインターネットで調べてみると、おっ、あったあった。玉造駅の近くに、陸軍真田山墓地がありました。なんでも明治初期から日露戦争にかけての、軍人・軍関係者の個人墓碑が五千基以上あるそうです。これは行かなければ。毛馬閘門も面白そうですね、蕪村生誕地の碑も近くにあるそうです。中之島の公会堂と図書館にも寄ってみたいな、時間があれば東洋陶磁美術館で、油滴天目茶碗に再会したいものです。他にも、旧岸和田村立尋常小学校や、大塩平八郎ゆかりの洗心洞跡や、大村益次郎殉難の碑や、適塾や、芭蕉終焉の地・南御堂などもありますが、ま、これらは時計と相談したうえで取捨選択しましょう。そして新大阪駅でねぎ焼きを食べて、新幹線に乗ってフィニート。後は野となれ山となれ、さよならだけがじんせいだ。
 持参した本は、『自然の家』(フランク・ロイド・ライト ちくま学芸文庫)と『日本の近代美術』(土方定一 岩波文庫)です。なお前者は、この旅を思いついたちょうどその頃に上梓された新刊書です。こいつは春から縁起がいいわい。
by sabasaba13 | 2011-02-07 06:22 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(21):帰郷(08.11)

 運転手さんとこのあたりについての四方山話をしていると、ふと私の中の悪魔と天使が「時刻表で行程を確認しておいた方がいいよ」と二重唱をはじめます。このぶんだと午後二時半頃に駅に着くので、三十分ほど周辺にある古い駅舎と学舎を見物して、15:05発の播州赤穂行き新快速に乗って大津で降りてコインロッカーから荷物を取り出して京都に向かえば、16:16京都発のぞみ32号に十分間に合う…はず…だ… しかし無気味な悪寒を感じ時刻表で確認すると、当該の列車は16:02に大津着、荷物を取り出して次に乗る列車は16:12大津発、そして京都駅に着くのは16:21… 間に合わない! 一生の不覚! 若気の至りで一度だけこの時期の上り新幹線自由席に乗ったことがありますが、立錐の地もないほどのオイル・サーディン缶詰状態でした。その時はたまたま名古屋で席が空き救われたのですがそうそう運が良いとはかぎりません。あの状態で二時間半立ちながら混雑を弱耐え忍ぶのはたいへんな困苦です。山ノ神にも一生言われ続けるだろうしなあ。とるものもとりあえず、運転手さんに事情を話し、14:29発姫路行き新快速に間に合わせてほしいと懇願。人生意気に感ず功賞復た誰か論ぜんとばかりに、交通法規を破らない範囲で急ぎましょうと請け負ってくれました。ブオー この間、私の灰色の脳細胞はひさかたぶりにフルスロットルで稼動、間に合わなかった場合の事後策を検討。14:37発の特急しらさぎは? だめ、米原止まり。米原から新幹線では? 大津駅で荷物が回収できない。このタクシーで米原まで行ってもらい14:29発の列車(米原着14:42)に飛び乗るのは? いや間に合いそうもない。万事休す、万策尽きて詰んでしまったようです。いやあきらめたらそこで試合終了、何か手はあるはずだ。そうこうしているうちに車は駅に到着、時刻は14:30、情け容赦なく動き出す列車の姿が車窓から視認でキました。♪This is the end, beautiful friend♪というジム・モリソンの歌声が脳裡をかすめます。申し訳なさそうな表情の運転手さんに丁重にお礼を言い、タクシーを降りた瞬間、閃光がひらめきました。14:37特急しらさぎに乗れば、米原駅で14:29姫路行き新快速に追いつき乗り込めるのではないか。一縷の望みにすがる思いで駅の窓口に行き確認してもらうと…だいじょうぶ、可能でした。♪Hallelujah, Hallelujah♪というジョン・オールディス合唱団の歌声が凍てついた構内に響き渡ります。あとはとんとん拍子、特急で米原まで行き、すでに到着している姫路行き新快速に乗り換えて15:33に大津着、コインロッカーから荷物を取り出して15:43発の快速に乗って15:52に京都駅に到着。お土産と駅弁を買ってもゆうゆう16:16発ののぞみ32号に乗り込むことができました。やれやれ、山ノ神をふくむ関係者各位に多大なるご迷惑をおかけしたことを衷心からお詫び申し上げます。刻み込める余地がかなり少なくなったのですが、肝に銘じましょう、"Ecce jikokuhyo"

 京都駅構内もホームも人であふれかえっており、新幹線自由席はすし詰め状態でした。
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 安堵の思いで指定席に座り、さっそく購入した駅弁(私はうなぎちらし弁当、山ノ神ははも寿司)に舌鼓を打ちましょう。近江にはまた来ることになりそうという「恋の予感」を感じながら…
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by sabasaba13 | 2009-10-24 07:34 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(20):孤蓬庵(08.11)

 木ノ本から十五分ほどで長浜に到着、さっそく駅前でタクシーに乗り近江孤蓬庵(こほうあん)に向かってもらいました。小糠雨がしとしと降る中三十分弱で到着、運転手さんには駐車場で待っていてもらい中を拝見することにしましょう。このお寺さんは有数の茶人、そして華道や作庭の第一人者として活躍した小堀遠州(1579~1643)の菩提寺で、彼が京都大徳寺に建立した孤蓬庵に対し、近江孤蓬庵と呼ばれています。明治維新後、無住のまま荒廃していましたが、1965(昭和40)年に再建、「遠州好み」の庭も同時に補修整備されたとのことで、紅葉の名所としても知られています。建立は遠州の没後なので、彼が直接作庭に関わっていはいないでしょう。木々にかこまれた道を歩いていくと右手に竹林、そこには「足元にご注意下さい 庭師 水谷」という貼り紙。うーむ水谷さんが精魂込めて手入れをされているお庭なのですね。
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 落ち着いた雰囲気の門をくぐると右手には数奇屋造の建物、そして雨に濡れてしっとりと輝く木々や草々の中を歩いていくと、山裾に抱かれるように佇む孤蓬庵とご対面です。
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 「ごめんください」と静寂を破っても、聞こえてくるのは雨音だけ。中に入り指定されたところに拝観料をおき、お庭を見せてもらいましょう。右手は簡素な石組みの枯山水、正面は池泉回遊式の庭園です。とりたてて楓は多くありませんが、ところどころに色づいた紅葉があり、雨で俗塵を洗い流され嬉しそうに輝いていました。
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 円の上部を水平に切り取った手水の形が珍しいですね。また柱の釘隠しも凝った意匠です。
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 参拝客がわれわれ二人しかいないという最高のシチュエーションで、本堂の真ん中に正座して鴨居・障子・縁によるトリミングを楽しんだり、縁に出て雨がおりなす池の波紋を眺めたり、心の琴線が調律されるようなひと時を過ごせました。しかし、花に嵐のたとえもあるぞ、どやどやどやどやと団体客がやってきてゆるやかに張りつめた空気を粉微塵に破っていきます。引き上げる潮時ですね、本堂を出てタクシーに戻り長浜駅へ向かってもらいました。

 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2009-10-23 07:36 | 近畿 | Comments(4)

近江錦秋編(19):木ノ本(08.11)

 さてふたたびリフトで眺望を楽しみながら下山、タクシーに戻りました。すると親切な運転手さんが「すぐ近くに奥琵琶湖を望める絶好のビュー・ポイントがありますよ」とオファー、よし、のった。リフト乗り場から数分ほど走り旧道のトンネルを抜けたところでクルマを停めてくれました。なるほど、抉られたような湾の奥から眺める琵琶湖もまた格別です。右手には竹生島、その向こうには菅浦があるのですね、しかし雨がそぼ降りはじめ視界はさらに悪くなってきました。いつか晴れた日に再訪を期しましょう。
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 クルマに戻り、十分ほどで木ノ本駅に到着。長浜に行く列車が来るまで十数分あるので、山ノ神は駅の地元物産販売所を物色、私はせっかくなので駅周辺を散策することにしました。すこし先には1936(昭和11)年につくられた古い駅舎が保存されています。当時の写真が展示されていましたが、大きな窓が壁一面に配置されたインターナショナル様式のモダンな建物です。残念ながら上部の窓が塗り込められてしまい、現在の佇まいは凡庸なものになっております。
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 その前には(たぶん)秀吉の兜を乗せたご当地ポストがありました。そしてその隣の公衆便所でフェイス・ハンティング、困っているような怒っているような陰翳にあふれた表情です。
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 用をたしに中に入ると「トイレットペーパーの芯を流さないで下さい」という貼り紙、とんでもない輩がいるものですね。駅前にある図書館は四連アーチ窓が軽快な表情をつくる洋館でした。
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 付近にあった妻入造の民家では棟木の先端が飛び出しているような部分があり、火難除けでしょう「水」と書かれていました。近江でよく見かける様式ですね。
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 さてそろそろ列車の到着時間ですので駅へ戻りましょう。山ノ神と合流して入線した列車に乗り込み、以後の行程を検討しました。時刻は午後一時すこし前、帰りの新幹線は16:16京都発だし、大津でコインロッカーの荷物を回収しなければならないので、玄宮園(彦根城)に寄る時間はありません。近江孤蓬庵に行った後、長浜をすこし散策して京都に向かうことにしましょう。
by sabasaba13 | 2009-10-22 06:11 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(18):賤ヶ岳古戦場(08.11)

 途中、木ノ本を通り過ぎましたが、北国街道の宿場の面影を残すなかなか味わい深い町並みでした。そういえばこの湖北には十一面観音像の優品が多いとも聞きましたので、いつの日か木ノ本・菅浦とからめて再訪したいものです。さて十数分ほどで賤ヶ岳へのリフト乗り場に着きました。タクシーにはしばらくここで待っていてもらい、リフトに乗りましょう。なお本日でリフトの営業は終わり、明日からは冬季運休期間になることが切符売場で判明、なんと運の良いことでしょう、GRACIOUS!山ノ神。リフトはぐんぐんと山の斜面をのぼっていき、終点に到着。
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 ここから十分ほど山道を歩くと賤ヶ岳古戦場です。以下、岩波日本史辞典から引用します。
 1583(天正11)4月,北近江賤ヶ岳付近(現在の伊香郡木之本町・余呉町付近)での羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家との合戦。本能寺の変後織田家は分裂、秀吉は織田信雄と結んで、織田信孝・勝家・滝川一益らと北近江・北伊勢などで対立した。83年3月羽柴・柴田の両軍が北近江で対陣。秀吉は岐阜で挙兵した信孝を討つため一旦大垣城に入るが、柴田軍の攻勢を知って近江へ取って返し先発の佐久間盛政を破り大勝を得る。加藤清正、福島正則ら秀吉側近の七本槍の活躍が有名。勝家は越前北庄(現在の福井市)に戻るが、4.24総攻撃を受け、夫人(お市の方)とともに自刃。この勝利により秀吉は信長の後継者としての地位を確立。
 というわけです。しかしまあよくぞこんな山中で戦ったもんだ。展望所には戦跡碑がありますが、なんといってもその眺望の素晴らしさよ。眼下には木ノ本の町並みと奥琵琶湖・竹生島を、逆サイドに行くと余呉湖を手に取るように一望できます。ところどころにある紅葉が彩りを添えてこれもまた美しい。いままさに泣きそうな曇天のため視界が悪いのが残念ですが、雨が降っていないだけよしとしましょう。そしてこんなところでお目にかかろうとは思ってもいなかった顔はめ看板を発見。戦国武将のことについてはとんと疎いのでよくわかりませんが、秀吉なのでしょうか。愛を込めて激写していると、そばで休まれていた夫婦のハイカーがにこやかに「顔をはめたところを撮ってあげましょうか」と優しい言葉をかけてくれましたが、病は膏肓にまでは入っていないので丁重に辞退しました。
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 本日の三枚、一番下が余呉湖です。
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by sabasaba13 | 2009-10-21 06:07 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(17):鶏足寺(08.11)

 いよいよ最終日、窓から外を見ると薄日がさしているのですが天気予報によると曇のち雨、秋雨に濡れながらの紅葉狩りと洒落こみますか。朝食をいただき荷物をまとめいざ出発、琵琶湖ホテルともお別れです。
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 山ノ神がしこたまお土産を買い込んでいるので、大津駅のコインロッカーに荷物を入れておくことにしました。(伏線) まず向かうのは木ノ本にある鶏足寺、大津から東海道本線・北陸本線に乗って一時間強かかります。大津駅のホームで列車を待っていると、北緯35度線を示すモニュメントがありました。解説によると同緯度にあるのは、オクラホマシティー、メンフィス、クレタ島、バグダッド、テヘランだそうです。♪名も知らぬ友達よ 君の国はなんて遠い♪と口ずさみながら、市場原理主義というメエルシュトレエムに飲み込まれつつある仲間たちに思いを馳せてしまいました。
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 さて列車に乗り込み、四十分ほどで米原に到着、ここでしばし停車しました。どうやらSL「北びわこ号」(C56)が入線するようです。ホームでは満面に笑みを浮かべたたくさんの鉄ちゃん・鉄子ちゃんたちがカメラを片手にいまかいまかと待ち構えておりました。自称鉄三郎の私としても一目見てみたいとホームに飛び出して待ちましたが、残念ながらSLが着く寸前に発車時刻になりました。無念、微かに聞こえる汽笛の音に後ろ髪を引かれながら、車内に戻りました。霊峰・伊吹山を右手に見やりながら列車は琵琶湖の東岸を北上、線路沿いでは三脚をセットしSLを撮影しようと待機している方々をよく見かけました。
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 そして木ノ本駅に到着、紅葉の名所である鶏足寺へは路線バスで近くまで行けるとのことですが、本数が少なく以後の旅程を考えるとタクシーを利用した方がいいでしょう。ついでに賤ヶ岳古戦場にも寄ってみたいしね。幸い駅前で客待ちをしているタクシーが一台あったので乗り込み、希望の行程を依頼してさあ出発。十分ほどで古橋というしぶい集落に着きました。近在の方々がこのあたりでとれた食材などをテントの仮設店舗で売っておられ、なかなか暖かい雰囲気です。ここから十五分ほど山中の長閑な遊歩道を歩くことになりますが、途中にあったのが「亀山の茶畑」です。このあたりは昔から茶の名産地だったそうですが、この茶畑は第二次大戦後の村里復興のため鶏足寺の住職さんが寺領の開墾を奨励してできたとのことです。
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 そして道をゆるやかに左へと曲がると、あたり一帯が赤く怪しく輝いています。おおっ、すんばらしい! 奥へと続く細い参道の両側を埋めつくすかのような楓の古木が真っ赤に色づいていました。そしてあたり一面を覆う散紅葉のグラデーション。一瞬、忘我し、私は二つの目だけの存在となってしまいました。凄い… はっと我に戻り、ばしばしと撮影しながら赤いトンネルを進み、風情のある石段をのぼると小さなお堂にたどりつきます。かつては山岳伽藍の修験道場として栄えましたが、廃仏毀釈で規模が縮小および1933(昭和8)年の不審火により焼失し、廃寺となってしまったそうです。そのせいでしょうね、お堂の屋根がトタン葺きなのがちょいと残念。しかし荒涼とした雰囲気が燃えるような紅葉とあいまって、素晴らしい趣をかもしだしています。さすがに名所というだけあって観光客の方もけっこうおられましたが、立錐の余地がないというほどではありません。ゆとりをもって気の向くまま散策することができました。
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 目果報の地を後にして、さきほど見かけた仮設店舗で山ノ神は地元産のゆずを購入、そしてタクシーに乗り込み賤ヶ岳古戦場へと向かいましょう。

 本日の九枚です。
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by sabasaba13 | 2009-10-20 06:15 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(16):大津(08.11)

 それでは大津市内へと向かいましょう。琵琶湖疏水を渡り、住宅街をしばらく歩くとアーケードのある長等商店街です。時刻は午後四時半ですが、多くの商店でシャッターが閉められ、人通りもほとんどありません。そして菱屋町も同様、地方の窮状を目の当たりにした思いです。丸屋町商店街に入ると「曳山展示館」があったので寄ってみました。すぐに係員の女性が飛んできて、「待ってました」とばかりに大津祭と曳山に関するお話を懇切丁寧にしてくれました。大津祭は江戸時代はじめ、鍛冶屋町塩売治兵衛が狸面で踊ったことから始まったとされていますが、1638(寛永15)年からは三輪の曳山を作られるようになりました。本祭(体育の日の前日)にはゴブラン織や装飾金具にかざられた豪華絢爛とした13基の曳山が市内を巡行します。そして大津祭りの大きな特色が、すべての曳山に取り入れられている中国の故事や能・狂言を題材としたカラクリ。カラクリといえば飛騨高山祭のものが有名ですが、あちらは23基の屋台のうち四つしかありません、と誇らしげに語る姿が印象的でした。ほんとに大津祭を愛していらっしゃるのですね。それでは館内を見学いたしましょう。一階には曳山の原寸大模型が展示してありましたが、三輪というのは珍しいですね。
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 二階では実際の祭りの様子やそれぞれのカラクリの動きをビデオで見ることができます。祭とカラクリが大好きな山ノ神は微動だにせず食い入るように画面を見ているので、私は中座して展示物を見学。大津市内の古い建物を紹介する地図があり、これは街歩きの際に役に立ちそうです。へえー、壁面に取り付けて倒すとベンチとして使える板は「バッタン床机」と言うのか。
 そして山ノ神と合流し外へ出ると、もうとっぷりと日は暮れています。ここから少し歩いたところにあったのが「此附近露国皇太子遭難之地」という碑です。いわゆる大津事件の現場ですね。以下、岩波日本史辞典から引用します。
 ロシア皇太子が滋賀県大津で襲撃された事件。湖南事件とも。ロシア皇太子ニコラス(のちロシア最後の皇帝ニコライ2世)は1891年シベリア鉄道起工式に出席の途次来遊。5.11一行が三井寺に参詣、滋賀県庁を経て京都に戻る途中、来日の目的を邪推した警備の巡査津田三蔵(1854‐91)に頭部を切りつけられた。事態の重大さに政府は、天皇自ら京都に皇太子を見舞うとともに、事件を皇室への危害とみて刑法116条の規定を適用、津田を極刑に処するよう圧力を加えたが、大審院長児島惟謙は条文上通常謀殺未遂罪を至当として、5.27大津地方裁判所に開いた大審院法廷において津田に無期徒刑を言い渡した。司法権の独立を守った事件として注目された。
 そういえば、四国の宇和島を訪れた時に、かの地の出身である児島惟謙の銅像と出会いましたっけ。こうして各地で出会えた史跡がリンクしていくのも、旅の楽しみの一つですね。
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 そして昨日予約しておいた「かど萬」へふたたび参上、近江牛のステーキに舌鼓を打ちました。ホテルへ戻り、温泉にゆったりとつかり(とはいっても約十五分)、遊覧船「ミシガン」で奏でられる場違いなディキシーランド・ジャズをBGMに夜景を眺め、一献傾けました。明日は予定通り、鶏足寺、賤ヶ岳古戦場、近江孤篷庵、玄宮園(彦根城)を訪れることにしましょう。

 本日の一枚です。Bon appetit !
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by sabasaba13 | 2009-10-19 06:08 | 近畿 | Comments(0)