カテゴリ:近畿( 286 )

神戸・南紀編(12):新宮(02.3)

 幸徳秋水がかよった大王地の料亭「養老館」、高木顕明が住職をしていた浄泉寺、毛利柴庵(南方熊楠とも親交のあった「牟婁新報」の主筆)が育った遍照院、メタンガスのため沼に浮いているという「浮島の森」を徘徊。
c0051620_66151.jpg

 見知らぬ街を彷徨うのはやはり面白いですね、認識の関節を少しずらされるような物件をいくつか発見しました。格調高い「ゲーテ書房」、どんな本を売っているのだろう。戴帽式の記念写真、そして銃ローン。「山の民」の伝統がまだ息づいているのでしょうか。地霊は細部に宿り給う。
c0051620_663164.jpg

 中上健次が生まれ育った駅前の春日町を抜けて、西村伊作記念館へ。彼自身が設計した瀟洒で住みやすそうな洋館でした。残念ながら鎌倉で行われている展覧会のため、中はからっぽ。館長さんが申し訳なさそうに、入館料を半額にしてくれました。大石誠之助愛用のトランクと彼がつくったサイドボードがあったのには感激。
c0051620_673931.jpg

 ちなみに西村伊作は、私が「いい言葉コレクション」を始めるきっかけをつくってくれた人です。
 われわれの思想を、自由に実現することのできる文化学院が生まれるのを真によろこんで、まじめな芸術の精神をもってやろうとしている。芸術に生きる。強いない。画一的に人をつくらない。各々の天分を伸ばす。不得手なものを無理にさせない。機械的な試験をしない。競争的に成績を挙げさせない。身体と精神を損ずることのないようにする。生徒のみの教育ではなく、一般教育界の模範となり、参考となるように努める。小さくて善い学校。素人がよい。
 という言葉なんですが。ラストは、駅前で東くめの「鳩ぽっぽ」の碑を見てしめました。帰りなん、いざ。

 本日の一枚は、西村伊作邸です。
c0051620_6143511.jpg

by sabasaba13 | 2007-06-07 06:08 | 近畿 | Comments(0)

神戸・南紀編(11):新宮(02.3)

 まずは彼らが眠る南谷墓地へ。大石誠之助・高木顕明・峰尾節堂の墓参。誠之助の墓に供えられた献花が印象的でした。合掌。高木顕明の墓にそえられた真宗大谷派(東本願寺)の顕彰碑文が心に残りました。
 …顕明師は、…浄泉寺の住職となり差別と貧困のただ中にあった当時の被差別者に同苦同悲して、共に教法の生きようとした。日露戦争が起こると非戦を唱え、新宮に置娼問題が起こると廃娼を訴えたのも、ひとえに、誤れる国家主義を批判し仏法に生きようとしたためである。…やがてそのことによって師が「大逆事件」に連座するや、大谷派は住職を差免し、死刑判決と同時に擯斥(ひんせき)に処した。顕明師の遺族もまた新宮を追われ、苦難の道を歩まれたのである。しかしこのたび、時の宗門当局が国家に追随して行った師への遺憾なる行為とそれを今日まで放置してきた宗門の罪責を深く慙愧し心から謝罪して、1996(平成8)年4月1日、住職差免及び擯斥処分を取り消した。
 これは勇気と品性にあふれた碑文ですね。敬意を表します。こうした謝罪と反省をしなければならない組織はもっとたくさんあるはずですが、寡聞にしてこうした碑を建てた事例は知りません。
c0051620_5442488.jpg

 そしてすぐ近くにある徐福公園・阿須賀神社・蓬莱山へ。このあたりにも徐福伝説が伝えられているのか。徐福は、秦の始皇帝の命を得て東海島(日本?)の蓬莱山にあると伝えられている不老不死の仙薬を求めて東海へと旅立たったとされています。その時にはたくさんの童男童女を連れていたといも言われ、これは司馬遷の「史記」にも記載されているそうです。この徐福が到来したとされている場所が、日本全国にたくさんあるのですね。もしかしたら始皇帝の苛政を逃れるための集団移民のことかもしれません。明日はわが身、くわばらくわばら…
c0051620_5451456.jpg

 そして佐藤春夫記念館(ここでもらった新宮文学散歩地図が大変役にたちました)と熊野速玉神社を見学。熊野三山の一つ、全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。なおここには川原家という珍しい折り畳み式家屋がありました。江戸時代に、熊野川の川原に住み着いた人々が考案したもので、釘を使わずに簡単に解体・組立ができるように工夫されています。雨と大水が多い熊野ならではの物件ですね。
c0051620_546469.jpg

 神社のすぐ近くにある大石誠之助宅跡を確認。そして神倉神社(ご神体はゴトビキ岩という巨石)に行きましたが、ここの石段はすさまじい! いろんな石段を登りましたが、その急傾斜・無秩序さにおいて比類なきものです。石段はこうでなくちゃいけねえ。上からの眺めが素晴らしいので、登攀する価値はあると思います。
c0051620_5472065.jpg


 本日の一枚は、ゴトビキ岩です。
c0051620_5474719.jpg

by sabasaba13 | 2007-06-06 05:48 | 近畿 | Comments(0)

神戸・南紀編(10):新宮(02.3)

c0051620_6241181.jpg 新宮と「大逆事件」の関係とは? まずは「大逆事件」について確認しておきます。「初期社会主義運動の大弾圧事件。社会主義運動への抑圧に抗して管野スガ・宮下太吉らは明治天皇暗殺を企図した。取締当局は1910年5月宮下の爆裂弾実験を端緒に幸徳秋水につづき全国の社会主義者数百人を検挙、刑法第73条の大逆罪容疑で26人を起訴。12月からの大審院の公判は一審・非公開で、翌11.1.18死刑24人・有期懲役2人の判決を下す。翌日天皇の特赦で12人を無期懲役に減刑,欧米各国の抗議のなか同24日・25日処刑した。管野・宮下ら4人の暗殺計画はあったものの、それ以外は冤罪であり、社会主義運動は<冬の時代>を強いられた。(岩波日本史辞典より)」
 冤罪によってこの「大逆事件」に連座した人々に新宮・熊野出身者が多かったのです。貧しい人々や被差別部落の人々に無償で医療を施し、「ドクトル(毒取る)」と呼ばれた大石誠之助[死刑]。ちなみに彼は、文化学院の創始者西村伊作の叔父、与謝野鉄幹の親友でもあります。鉄幹は誠之助の死に際し、次のような強烈な詩を詠んでいます。
 大石誠之助は死にました/いい気味な/機械に挟まれて死にました/人の名前に誠之助は沢山ある/然し、然し/わたしの友達の誠之助は唯一人/わたしはもうその誠之助に逢はれない/なんの、構ふもんか/機械に挟まれて死ぬやうな/馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助/それでも誠之助は死にました/おお、死にました/日本人で無かつた誠之助/立派な気ちがひの誠之助/有ることか、無いことか/神様を最初に無視した誠之助/大逆無道の誠之助/ほんにまあ、皆さん、いい気味な/その誠之助は死にました/誠之助と誠之助の一味が死んだので/忠良な日本人はこれから気楽に寝られます/おめでたう
 また、被差別部落の門徒を援助しながら非戦・平和を唱え続けた浄土真宗浄泉寺の住職、高木顕明[無期懲役のち獄中で縊死]。他に「牟婁新報」社員で熊楠と交遊があった成石平四郎[死刑]、臨済宗の僧侶峰尾節堂[無期懲役のち獄中で病死]など。
 まあ、天皇制、獰猛な国家権力、異分子の排除、思想統制に対する作家・知識人の無力などなど、現在の日本を考える上でも重要なケース・スタディだと思います。たぶんこの事件とは一生つきあっていくことになる予感があります。それはさておき、この新宮でどれくらい「大逆事件」の足跡をたどれるでしょうか。Here we go !
c0051620_6243447.jpg

by sabasaba13 | 2007-06-05 06:25 | 近畿 | Comments(2)

神戸・南紀編(9):串本(02.3)

 せっかく自転車が手に入ったので、予定を変更してキコキコと潮岬へ。上り坂をこぐこと四十分、本州最南端の地にたどり着きました。1878(明治11)年につくられ、現役で活躍している潮岬灯台に登ると、絶景! 円い水平線、逆巻く荒波、行き交う船… 「まるい地球の水平線で誰かがきいっとまあっているう」と口ずさみながら、しばらく我を忘れて見惚れてしまいました。帰り道は、豪快なダウンヒル。快適な海沿いの、ほとんど車が走っていない道路を、ペダルもこがずにスーイと滑走。いい気分で飛ばしていたら、ふと、背筋に悪寒が走り、二の腕に鳥肌が立ったので、自転車を止め周囲を見渡しました。するとそこにこのようなとんでもない看板がありました。うむむむむ… 恐るべし紀州。
c0051620_18335611.jpg

 数年前に橋が架けられたという大島に自転車で渡り、とんでもないアップダウンの道をふうふういいながら樫野へ。まずはヘンリー・ブラントン設計の樫野埼灯台を拝見。1870(明治3)年に初点灯した、石造り・閃光灯の灯台としては最古の物件です。灯台のまわりに群生する水仙は、外人技師たちが異郷での孤独な生活を慰めるために、本土から取り寄せ移植したものといわれます。1890(明治23)年に熊野灘で遭難したトルコ軍艦エルトグロール号(乗組員650余名のうち生存者63人!)の碑、そして乗組員を必死で救助したこの島の人々とトルコの人々との友好関係を展示するトルコ記念館を見学しました。
c0051620_18342436.jpg

 そしてペリー以前にこの島にアメリカ商船が来航したことを記念する日米修交記念館、豪放な眺めの海金剛も拝見。串本に戻り、700mに渡り大小40あまりの奇岩が一直線に並ぶ橋杭岩を見て、さあ普通列車で新宮へ。
c0051620_18345388.jpg


 本日の二枚は、潮岬灯台と樫野埼灯台です。
c0051620_18351130.jpg

c0051620_18353638.jpg


 追記。新コーナー「写真館」を近日中に掲載いたします。
by sabasaba13 | 2007-06-04 06:12 | 近畿 | Comments(0)

神戸・南紀編(8):串本(02.3)

 枯木灘など豪快な海の景色を右手に見ながら、紀勢本線で串本へ。やはり駅で自転車を拝借。今夜は新宮泊なので、串本→新宮の列車を確認したところ、1時間に1本。特急と普通の違いを駅員さんに尋ねたところ、「そやなあ、特急やと新宮まで50分から1時間ぐらい、普通やと1時間から1時間10分ぐらいやな」との答え。こらあっ、どこが特急やどこが![注1:と心中で叫ぶ][注2:大阪人だったらほんとに胸倉をつかんで叫んでいたのでは?][注3:「それは偏見だ、河内人と限定すべき」という山ノ神の指摘あり] 余談ですが、神戸・南紀をまわって、「細雪」の四姉妹のような柔らかい関西弁をしゃべる人が多いことに気がつきました。
c0051620_811298.jpg これで安心して普通列車に乗れます。まずは無量寺へ。江戸時代後期、この寺の住職が丸山応挙・長沢芦雪と親交が深かったようで、この二人の作品が数多く残されています。中でも逸品が、芦雪の「虎図」。最近、芦雪・伊藤若冲・曾我蕭白らを京都奇想派と呼んで評価する向きもありますが、同感。“豪”の芦雪、“緻”の若冲、“狂”の蕭白。残念ながら原寸大の複製でしたが、その迫力には圧倒されます。芦雪の佳品もいくつかあり、眼福眼福。なお彼の印には面白いエピソードがあります。京都四条の円山應擧宅に修業に通っていたある冬の朝、盧雪は小川に張った氷の中に閉じ込められている魚を見かけます。その帰り道、氷が溶け、自由を得て嬉しげに泳いでいる魚の姿がありました。それを聞いた應擧は「苦しい修業時代も段々と氷が溶けるようにして画の自由を得るもの。それをよく心得よ」と諭したそうです。その師の教えを印にして生涯使い続けたのですね。

 本日の一枚です。
c0051620_8112610.jpg

by sabasaba13 | 2007-06-03 08:13 | 近畿 | Comments(0)

神戸・南紀編(7):紀伊田辺(02.3)

 田辺に戻り、駅で貸し自転車を借り(和歌山ではJRの駅で自転車を借りられるというナイスなサービスあり)、熊楠の墓がある高山寺へ。田辺湾を見下ろせる高台に、奥さんのお墓と並んでありました。合掌。そして市内にある闘鶏神社へ。彼の奥さんはこの神社の宮司の娘でした。見事な鎮守の森と大きな楠があります。ちなみにこの地方では、子供の名前に、元気がよくなるよう“熊”や“楠”という字を入れる習慣があったそうですが、彼は二字とももらったんですね。
c0051620_66534.jpg

 そして熊楠の旧居を拝見。現在でも子孫の方が住んでおられるので非公開でした。と、田辺の街中を自転車でフラフラして気がつきました。コンビニエンス・ストアがたった一軒! あとはデパートもスーパーマーケットも皆無! 小さな小売店が身を寄せ合うように、ざっかけない真っ当な商いをしているという実感がヒシヒシと感じられます。「牛乳は高橋さんとこで買うんやで。ローソンで買うたらあかん」なんていう会話が家庭内でかわされているのかも。そういえば「身のしつけ親がしなくて誰がする」という標語を見かけました。そうだよね、そう思う、同感です。街路の幅も、人間にあったスケールで(行き違う知り合いに挨拶できる程度の距離)、おまけに適度にゴチャゴチャしているという私好み。うん、あったかくていい街です田辺は。臼杵(大分)・富田林(大阪)とならび、住んでみたい街ベスト3に挙げましょう。ただ商店街のスピーカーから童謡の「田植え」が流されていたのには、腰が砕けました。好きな曲なんだけど、「植えよ植えましょ御国のために」という歌詞がちょっとね。
 あとここ田辺には、熊楠とも親交のあった毛利柴庵が主宰した「牟婁(むろ)新報」という新聞があったことを銘肝しておきましょう。日露戦争に真っ向から反対し、荒畑寒村や管野スガを記者としていた骨のある新聞でした。

 本日の一枚は、闘鶏神社の大楠です。
c0051620_664278.jpg

by sabasaba13 | 2007-05-29 06:07 | 近畿 | Comments(0)

神戸・南紀編(6):紀伊田辺(02.3)

 大蒜の匂いをプンプンさせながら、新大阪からオーシャンビューに乗車、めざすは紀伊田辺です。もちろん右側の指定席をとって、太平洋の荒波を堪能いたしました。熊野古道と寄り添うように走る紀勢本線はいいですね。駅前の「マーメイド」で美味しいランチを食しながら、作戦を練りました。まずは何はなくとも南方熊楠記念館でしょう、バスで白浜へ行きました。バス停からテクテクと海沿いを歩いて三十分。岩をも砕く紀州灘の波と、円月島の眺望がすばらしい。
c0051620_80487.jpg 「南方熊楠。1867‐1941(慶応3.4.15‐昭和16.12.29) 植物学者、民俗学者。和歌山市生れ。1886年大学予備門を中退して渡米、中南米を放浪し、動植物の観察収集に努めた。92年イギリスに渡り、学界で認められ、大英博物館東洋調査部に入る。1900年帰国、和歌山県田辺町に定住し、県下一帯の隠花・顕花植物の採集とその分類整理に没頭した。人間と自然との共生の立場から明治政府がすすめた神社合祀に反対し、また民俗学の分野でも独自の方法論による地球的規模での民俗の比較を試みた。」と岩波日本史辞典にあります。まあスケールのでかい人で、興味のある方はぜひ神坂次郎著「縛られた巨人」(新潮文庫)を読んでください。“日本”という枠の中に閉じこもり、性を語らなかった柳田國男に対して、世界に開かれ、性を人間性の本質ととらえ、自然破壊に敢然と立ち向かったのが熊楠です。(と偉そうなこと書きましたが彼の著作を読んだことがありません。汗顔の至り) この記念館には、彼のノートや遺品が数多く展示されており、勉強になりました。そうそう、熊楠はロンドンで孫文と知り合い、以後無二の友人となったんですね。屋上からの眺めもよく、熊楠が守り抜いた自然の宝庫神島(かしま)を遠く田辺湾に見ることができます。

 本日の一枚は円月島です。
c0051620_811276.jpg

by sabasaba13 | 2007-05-28 08:02 | 近畿 | Comments(0)

神戸・南紀編(5):神戸(02.3)

 さあ北野の異人館めぐりです。いやあ、いるわいるわ。どこから沸いて出たのだか(私もその一人)、観光客の善男善女が溢れていました。私も負けちゃおれんと、うろこの家・風見鶏の家・萌黄の家と、一通り見学。今調べて分かったのですが、あの“うろこ”ってスレートつまり粘板岩つまり硯と同質のものなんですね。だから墨が磨れるそうです。ちなみにこの時期のスレートは(学校で使われていた石盤も)すべて宮城県牡鹿半島産のものとのこと。うろこの家にはエミール・ガレ作の美しいシェードもありました。
c0051620_729406.jpg

 このあたりは、シナゴーグ・モスク・ジャイナ教寺院など種々の宗教施設が集中しているのも注目。 喫茶「ラ・メール」で珈琲を飲みながら、おかみからいろいろな話をききました。市が所有している異人館の入場料は安いとか、山の手の震災による被害はそれほどひどくなかったとか… その中で、ここから歩いて三十分ほどで、ビーナスブリッジというたいへん見晴らしの良い場所があると教えてくれました。車道を山のほうへテクテクと歩いて三十分。クルクルと輪をかいたような歩道橋らしきものがビーナスブリッジです。なるほどこれはすばらしい眺め。ジモティの勧めと茄子の花にゃ千に一つの無駄もないっていうやつですね。
c0051620_7233071.jpg

 トアロードを抜けて三宮へ。神戸最後の晩餐は、そう、そうです、神戸牛。松阪・伊賀・平戸・近江・但馬・米沢と牛肉行脚を続けてまいりましたが、満を持しての神戸牛です。選んだお店はガイドブックに載っていた「カルネ」。雑居ビルの二階にあるカウンター席のみのこじんまりとした店で、欲気を抜いた中島誠之助のようなご主人と寡黙なおかみさんがもてなしてくれました。味は… 味は… 味は… 嬉しくて嬉しくて言葉にできない… もうこれは至福です。ステーキという概念をくつがえされました。脱帽、感服。つけあわせの生キャベツと生ピーマンとスライスした揚げニンニクにも感涙。大蒜フリークの私のために、二回もおかわりをしてくれました。ええいっ、宣伝しましょう、神戸に行ったら「カルネ」(078-391-2332)に寄ろう! それはそうと、何で「カルネ」という店の名にしたのか、訊き忘れました。きっとご主人がマルセル・カルネの大ファンだとにらんでいますが。ご主人から、牛肉の仕入先を教えてもらい、元町の森谷商店に直行。この至福を分かち合おうと(避雷針も兼ねていますが)、山ノ神にフィレとサーロインを送りました。後日談。届いた包みの中に、狂牛病対策からか、「去勢・牡四歳」というしおりが入っていて、可哀想で食べられないと思ったが、やはり食べておいしかったとのこと。

 本日の一枚です。
c0051620_7235288.jpg

by sabasaba13 | 2007-05-27 07:30 | 近畿 | Comments(0)

神戸・南紀編(4):神戸(02.3)

 本日は、神戸市内の徘徊。阪神・淡路大震災のこと、そしてその爪痕をぜひ知りたいと思い、前日に三宮にあるフェニックスプラザ(阪神・淡路大震災復興支援館)で「震災モニュメントマップ」を手に入れ、ここで当時の映像を見、資料を読み、多少勉強したつもりです。1999年1月17日午前5時46分、兵庫県南部を襲ったM7.3の都市直下型大地震。死者6,400人、負傷者40,092人、全壊・全焼の家屋111,123棟。そして人類が初めて経験した高齢化社会を直撃した大災害であるということ。というわけで長田区・兵庫区・中央区を中心に、慰霊碑・折れた鳥居・崩れた橋桁・火災で変形した街路灯・歪んだ歩道などを見て歩きました。神戸の街はハード面ではほぼ復興しており、こうしたモニュメントを見ながら、頭一杯想像力を働かせたつもりです。もちろん、限界は認めますが。例えば、一体何%ぐらいの人が元の町で元のような暮らしができるようになったのか? PTSD(post traumatic stress disorder)の方の治癒は? 致命的な失策を重ねた行政サイド(特に政府)は、反省を生かしているのか、あるいは反省していないのか?
c0051620_5565969.jpg

 特に印象的だったのが、長田区の鷹取です。中央の公園から四方に連なる家並みがほとんど新築であるのが、逆に被害の凄まじさを物語っています。そしてこの地区の掲示板・地図をふと見ると、「神戸定住外国人支援センター」という施設と、英語・ハングル・タガログ語(?)・中国語の四ヶ国語での表記が。関東大震災(1923)時の朝鮮人・中国人虐殺のような事件が発生しなかった背景にはこうした事があったんですね。納得。“国際化”とか“共生”とか簡単に言うけれど、日々異文化をもつ人々と向き合い、支援し、助けられる覚悟を持ち続けることじゃないのかなあ。口で言うのは容易ですけれどね。ただ、こうした覚悟というか雰囲気は、神戸という風土が古くから持っているような気がします。少なくとも東京ではあまり感じません。いずれにせよ、“国家”(注:ここではその国を支配している権力と仕組みという意)によって、人間がバラバラに分割され、レッテルを貼られる状況はなくさなきゃ。「全世界は哲学する者にとって流謫の地である。」というサン=ヴィクトールのフーゴーの言葉を思い出します。
 兵庫区(平清盛が大輪田泊を築港したところ)は、一遍上人の終焉の地だったんですね。廟を発見しました。地下鉄で旧居留地に戻り、神戸市立博物館でザビエルの肖像(複製!)を拝見し、北野の異人館めぐりへ。
c0051620_5573181.jpg


 本日の一枚は震災モニュメントです。
c0051620_5575218.jpg

by sabasaba13 | 2007-05-26 05:59 | 近畿 | Comments(0)

神戸・南紀編(3):姫路城・赤穂(02.3)

 本日はお日柄もよく、姫路城へ。いやあ、実は私、姫路城には行ったことがないのです。「現存する天守閣行脚」をやっている最中で、高知城・犬山城・彦根城・松本城・松江城と経巡ってまいりましたが、いよいよ佳境に入ります。17世紀初頭につくられた名城で、世界文化遺産にも登録されているとのこと。まあ百聞は一見に如かず、実際に見てみないことには何とも言えない、フンッ。と斜に構えていましたが、やはりこりゃ名城だ。見事なプロポーションと白漆喰の壁面。建物本体と周囲の環境の保存状態も良好。内部の展示もくどいものではなく、構造や施設自体を紹介するという謙虚かつ好ましいものでした。
c0051620_613822.jpg


c0051620_6133044.jpg 次は隣りにある姫路市立美術館を訪問。期待はしていませんでしたが、いきなり大好きなベン・シャーンの「至福」があったのには意表をつかれました。おっ、なかなかやるな。他にもムンクやデルヴォーやホドラーなど、市議会で糾弾されなかったのかい、と邪推したくなるような作品が多々。「ええもんはええんや、文句あるか!」というこの頑なというか一途な姿勢はよろし。特別展示の「民衆の絵画展 1920s-1930s」も充実。大正から昭和初期の商業的な絵画・版画・ポスターやプロレタリア美術を展示したもので、なるほどこうした分野は美術史上の盲点。一本取られた。大月源二作の「山宣葬」(1929)には感無量。治安維持法改悪にただ一人反対して右翼に暗殺された労農党代議士・生物学者、山本宣治葬儀の様子を描いた絵です。山宣ひとり孤塁を守る… そして赤穂へ。

 歴史博物館へ行った後、海洋科学館・塩の国へ。ここには昔ながらの入浜式塩田や揚浜式塩田があるとのことです。受付で「塩をつくられますか?」と訊かれて一瞬耳を疑いましたが、せっかくなので塩づくり体験学習に挑戦してみました。会場に男子更衣室があるのにはギクッ。まさか、つなぎと長靴に着替えさせられて、この炎天下に塩田で海水汲みを… でもだいじょうぶ。濃縮した海水(鹹水)を土鍋で二十分ほど煮詰めるというものでした。簡単そうにみえますが、これがなかなか面白い。おじさんに「力を入れたらあかん、柔らかく空気を混ぜながらかきまぜるんや」と教えられながら、夢中になってしまいました。体を使ってものをつくるって、大事だし面白い。帰り道に、赤穂浪士の墓のある花岳寺をお参りして、塒の三宮に帰着。
c0051620_6135221.jpg


 本日の一枚は姫路城です。
c0051620_6141351.jpg

by sabasaba13 | 2007-05-25 06:15 | 近畿 | Comments(0)