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近江錦秋編(2):永源寺(08.11)

 さてそれでは列車に乗り込みますか。一目見た山ノ神、「あっ西武鉄道のお古!」 かつて西武鉄道池袋線で使われていた車体だそうです。西武資本による鉄道なのかもしれませんね、そういえば堤一族は近江商人の末裔でした。中に入ると、何か雰囲気がおかしい… 車内に広告がほとんどなく、幼稚園児の絵が飾ってあります。地方の窮状を顕著に物語っているのでしょうか。
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 列車は田園風景や小さな町・村の間をのんびりのこのこと走っていきます。そして二十分ほどで八日市駅に到着。トイレに入るとまたまた「不審者注意!!」という貼り紙。「女子トイレ 5/10 PM9:00 トイレの扉の下のすき間から手」 それって幽霊ではないの? 駅前には馬に乗った古代豪族の服装の男性と、それを見つめる女性を描いた大きなレリーフがありました。なんじゃらほいと近づいてみると、「蒲生野遊猟の図」、額田王が「あかねさす紫野逝き標野行き野守は見ずや君が袖振る」と、大海人皇子が「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋めやも」と詠み合った場所・蒲生野はこの近くなのですね。
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 湖東三山(百済寺・金剛輪寺・西明寺)+永源寺を路線バスでまわるのは無理があることは承知ノ介、いさぎよくタクシーを利用しましょう。幸い客待ちをしている車が一台停まっていたので、運転手さんに湖東三山+永源寺という行程でお願いしました。「大変な混雑だから時間がかかりますよ」と言われましたが、もう後には引けません。まず向かったのは永源寺、長閑な田園風景の中を走っていると、途中で手づくりの「飛び出し小僧」「飛び出しお嬢」をたくさん見かけました。車窓をすぐ流れ去っていくので詳細については視認できませんでしたが、同じ意匠はまったくないようです。理由はよくわかりませんが、このあたりは「飛び出し人形」のサンクチュアリかもしれません。即刻ラムサール条約で保護すべきでは。そして全国35万人のとんちゃん(筆者注:飛び出し人形ファン)、集え、八日市へ! などとお馬鹿なことを考えていたら永源寺に到着、八日市駅からは二十分ほどかかりました。愛知(えち)川右岸にある臨済宗永源寺派の総本山で、鎌倉時代に開山、後に近江守護佐々木氏の庇護のもと盛時には2000人もの学僧が集まっておおいに栄えたそうです。渓谷の両岸をはじめ、参道一帯にはモミジ・カエデが多く、紅葉の名所としても知られています。よって駐車場は満車札止め、どうするのかと思いきや、ちゃんとタクシー専用の停車場所が用意されているのですね。(後で運転手さんに聞いた話では、地元の特定タクシー会社のみの恩典のようです、このへんは要確認) うーむ、レンタカーにしなくて正解でした。さっそく車から降り、羅漢坂という石段をのぼり山門に着くと、見事に色づいた紅葉が出迎えてくれました。愛知川ぞいに細長く配置されている伽藍をめぐりながら、紅葉狩りを満喫。京都ほどの人間性を否定されるような混雑ではないので、まあまあゆるりと散策することができました。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2009-09-20 06:10 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(1):近江八幡(08.11)

 林光のピアノ曲を弾いていた山ノ神が突然「あーっ音が多い」と咆哮しました。「二、三個抜いちゃえば」と半畳を入れると「あっそうか」 おいおい。数日後、「シナプスがつながらない…」としょげる山ノ神。ごめんね、あなたのシナプスまで面倒は見切れません。数日後、「やっとしどろもどろに弾けた」と呟く山ノ神。えっ… 耳が・になりましたが、よく咀嚼して考えたところ「どうにかこうにか弾き通せるようになった」という意味のようです。やれやれ。我が家の日常風景でした。
 閑話休題。高齢、じゃない恒例の京都錦秋めぐり、今年もやや空いていて紅葉の盛りが続く十二月初旬に設定しました。一年前から満を持して定宿アランヴェールホテル京都を予約し、♪もういくつ寝ると♪と待ち焦がれていましたが、突然山ノ神に急な仕事ができ当該日に行けなくなってしまいました。その一週間前の十一月下旬の三連休だったら大丈夫だということなので、さっそくJTBに相談をしに行ってきました。予想通り、すでに部屋は満杯、やむをえずアランヴェールホテル京都はキャンセルしてもらい、他のホテルをあたってもらいましたがもう部屋は見つかりません。しょうがない、京都からほど近い滋賀県大津に泊まり、日参することにしますか。いろいろと探してもらったところによると、いくつかの宿が見つかりました。ちょっと料金は高いのですが、琵琶湖ホテルに決定、琵琶湖を一望できるロケーションと温泉大浴場が決め手でした。するとご用達のレンタサイクル「京都見聞録」からのデリバリーがちょっと難しくなります。まさか大津まで持ってきてもらうわけにもいかないし、京都駅前あたりで落ち合うしかないのかな。すると山ノ神曰く「近江の紅葉を見れば」。おお、そうですね、せっかく大津に泊まるのですから今回は近江の紅葉狩りとしゃれこみましょう。あらためて計画をねりなおし、いろいろと調べてみると、紅葉の名所がいくつか浮上してきました。湖東三山(百済寺・金剛輪寺・西明寺)、永源寺、延命公園、三井寺、石山寺、玄宮園(彦根城)、近江孤篷庵、鶏足寺、興聖寺(朽木)、日吉大社、西教寺(坂本)、長寿寺、石の寺教林坊などなど。そして風情や情緒のある小さい町もたくさんあるようです。彦根、近江八幡、長浜、木之本、菅浦、梅津、朽木、堅田、坂本などなど。二泊三日でこれら全部をまわるわけにもいかず、この中からピックアップすることにしましょう。とりあえず初日は湖東三山・永源寺・延命公園で時間があれば近江八幡を逍遥。二日目・三日目は迷いますね、なにせ北陸本線と湖西線の(特に後者の)列車本数が少なく移動に苦労しそうです。これは保留にして現地で再考することにしましょう。そして歴史学徒の末席を汚す者としては、賤ヶ岳古戦場も外せません。これで大まかな旅程は決まりました。移動手段についてはレンタカーを"鯖街道の黒い風"こと山ノ神にころがしてもらうという選択肢もありますが(私は免許証をもっておりません)、最近運転していないので自信がないと固辞。土地勘もないし、紅葉狩りの観光客で混雑しているかもしれないし、タクシーを利用することにしましょう。もちろん、できうる限り公共輸送機関を使うことにはしますが。よしっ、これで巨大な連関がつながった。がしゃん 持参した本は「若者のための政治マニュアル」(山口二郎 講談社現代新書1969)です。

 8:00東京駅発の新幹線のぞみに乗っていざ出発。東京は雲ひとつだにない快晴でしたが、西行するにしたがって雲が空を覆うようになってきました。でも雨の心配はなさそう。10時21分に京都駅に到着、駅の売店でポケット時刻表を購入し、東海道本線に乗り換えて近江八幡まで約20分。ここで「猪木ピンチ」(古いギャグだ…)あわててトイレにかけこみ、用をたして出ようとすると壁面に「差別落書きは犯罪です!」というポスターが貼ってありました。同様の貼紙が構内にもあり、この問題が関西ではいまだ深刻な状況であることがうかがわれます。ここで近江鉄道八日市線というローカル鉄道に乗り換えたかったのですが、寸前に列車が行ってしまいました。次の列車は三十分後、しゃあない、駅前にあるスーパーマーケット「サティ」に入って軽い食事をとることにしましょう。
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 歩道橋には「打ち勝とう! 心にひそむ悪魔から」という哲学的な立て看板がありました。すぐ近くには「不審者に注意! 見たら聞いたら110番!」というプレートが貼ってあり、「ダメ、ゼッタイ 薬物乱用」というビラとティッシュを配っている方もおられます。こうした一連の事象から判断するに、薬物によって悪魔に魂を乗っ取られた人物が「悪い子はいねが」と叫びながら出刃包丁を振り回すというような事態がこのあたりでは頻発しているのかな、などと思ったりしてしまいます。まさかそんなことはないよね。セキュリティへの過剰な不安を煽って、監視体制やシステムを強化しようとしている官僚・政治家諸氏の目論見をふと感じてしまいます。チェーン店の珈琲屋でサンドウィッチをいただき、近江八幡駅へ戻ろうとすると、「くさいキタナイかっこ悪い やめて下さい迷惑タバコ」というステッカーを発見。迷惑な喫煙行為を弁護する気は毛頭さらさらありませんが、ここまで悪し様に言うのはあまりにも不寛容ではないかなと思います。「キタナイ―キレイ」「かっこ悪い―かっこいい」という単純な二分法をふりまわすのも怖いし、何よりももっと多くの害をもたらす物質にもっと注意の目を向けてほしいものです。核(原子力)発電所の放射能、自動車の排気ガス、食品添加物などなど。小悪にこだわり巨悪に気づかない昨今の風潮には危惧を覚えます。
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by sabasaba13 | 2009-09-19 06:07 | 近畿 | Comments(0)

紀伊編(27):日根野(08.9)

 粉河駅から和歌山駅まではJR和歌山線で約三十分、ちなみにこの間の有人駅は岩出と粉河のみ、そして「イコカ」は使えません。ホームに到着すると「わっ!が山ほど和歌山県」というキャッチ・コピーを掲げた観光ポスターを見かけました。うん、わずか三日の滞在ですが、その一端を垣間見ることができました、異議なあし、議事進行。そして阪和線に乗り換えて二十分ほどで日根野に到着、ここで関西空港行き快速に乗り換えますが、少し時間があるので駅前に出てみました。
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 何故って? それはねそれはね、ここには中世荘園として著名な日根野荘があったんですよお。そして九条政基(1445―1516)という貴族が、守護細川氏の押領に苦しむこの荘園に自ら下向し直接支配に従事、その間に『旅引付』という日記を残してくれました。これは当時の村落生活を知る好史料として、その筋ではよく知られています。実はこの日記をもとにつくられた絵本があります。「戦国時代の村の生活 -和泉国いりやまだ村の一年-」(勝俣鎮夫/文 宮下実/絵 岩波書店)という絵本で、地に足のついた歴史を子供のために語ろうという大変意欲的な試みでしたが、残念ながら絶版です。「2月15日 このごろ川にさらしてある村の人たちの大せつなワラビ粉が夜中にときどきぬすまれるので、若衆が見張りをしていると、千代ちゃんのお母さんがぬすむところを見つけた。おこった村の人たちが、みんなで家におしかけて千代ちゃんのお母さんと兄さんを殺してしまった」という一文とその絵は忘れられません。ここを読んだ子供はきっといろいろな疑問をもちいろいろと考え込むでしょう。てなわけでその舞台となった日根野に足をつけただけで感無量です。もちろん当時の姿を偲ぶよすがは全くなく、ごくごく普通の近郊住宅地という印象でした。ただ駅前に掲示してあった地図を見ると「日野荘遺跡」とあるので、その遺構が展示されているのかもしれません。いつか機会があったら見てみたいものです。
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 佐野町場も古い街並みが残っているとのこと。駅の階段には、眺めているだけでコレステロールが蓄積されそうなコテコテの油っこい防犯ポスターが二枚も貼ってありました。ここまでキッチュ(kitsch)なポスターにはなかなかお目にかかれません。眼福眼福。
 さて関西空港行きの快速に乗り込み、十分ほどで到着。余裕の義文君で出発には間に合います。夕食は「ぼてじゅう」のモダンねぎ焼き、こやつを食べないと関西の旅をしめくくることはできません。
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 そして最後の難関、ボディ・チェックです。実は機内に持ち込むバッグの中に金山寺味噌が入っているのですよ。一見危なそうな物質に見えるのでひやひやしましたが、問題なくスルー。やれやれ、ニューヨークだったらこうはいかないだろうな。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-07 07:39 | 近畿 | Comments(0)

紀伊編(26):粉河寺(08.9)

 何といっても寺宝の『粉河寺縁起』でその名を知られるお寺さんです。もとは天台宗ですが、現在は粉河観音宗。縁起によれば、770(宝亀1)年、観音の化身である童男(どうなん)行者が現れて刻した千手千眼観世音菩薩を、発願者の大伴孔子古(くじこ)が草庵を結んで安置したのが開創。鎌倉時代には七堂伽藍、550坊、寺領4万石を有し、数千人の僧徒がいて隆盛を極めましたが、やはり豊臣秀吉の紀州攻めによってその堂塔伽藍・寺宝のほとんどを焼失したそうです。二段の大屋根に唐破風・千鳥破風を配置した豪壮な本堂の前にあるのが、桃山時代の枯山水。とはいっても石組が残っているだけで、庭自体の面影はありません。境内には「ひとつぬきて うしろにおひぬ ころもかへ」という芭蕉の句碑がありました。たちか紀行文「笈の小文」所収の句ですね。今調べてみると、1687(貞享4)年の秋から翌年春ごろまでの旅で、旅程は江戸→郷里・伊賀上野→伊勢神宮→吉野の花見→高野山→和歌浦→奈良→大坂→須磨→明石です。ここ粉河寺にも立寄ったのでしょうか。思い立ったら吉日、調べてみましたが粉河寺に寄ったという記事はないようですね。和歌浦から奈良へ行く途中で詠んだ句ではあるようですが。
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 寺の前にある大神社のクスノキは、和歌山県下第三位というほれぼれするような巨木です。V字のように二つに分かれた幹を支える、武骨にして隆々とした根元の存在感には圧倒されました。寺から駅へと続く直線道路は「粉河とんまか通り」と名付けられていますが、いったい"とんまか"とは何ぞや? さっそく調べてみましたが、いやあインターネットというのは凄いですね、すぐわかりました。なんと、粉河祭の太鼓の音だそうです。とんまかとんまかとんまかとんまかとんまかとんまか… 機会があったらぜひ聞いてみたいものです。しかしその軽快なリズムとは裏腹に多くの商店のシャッターは閉じられ、寂寞とした雰囲気を漂わせています。時刻は午後四時ちょっと前なので店じまいをするには早すぎ、日曜日は休業するのかはたまたつぶれてしまったのか。「気にするこたあねえよ」と豪快に笑い飛ばすような表情の建物が一軒ありましたが、その店のシャッターも閉じられていました。「蕭条としてとんまか通りの夕日かな」…蕪村さん御免なさいもう二度と言いません。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-06 06:27 | 近畿 | Comments(0)

紀伊編(25):根来寺(08.9)

 さてそれでは散策を始めましょう。駐車場には「観光客の行かない社寺をめぐる会」というプレートが掲げてある大型バスが止まっていました。てことは、この会の皆様が到着した瞬間にその社寺は観光客が来ているということになってしまうわけだ。まあどうでもいいことですが。静謐な雰囲気を味わいたいという気持ちは分かりますけどね。石の上では精悍な猫が、まるで金剛力士像のように睨みをきかせていました。さすがは根来衆の末裔、凄みがありますね。
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 石段をのぼり山門をくぐると正面が光明殿、拝観料を払ってまずはこちらの見物です。下足置き場には、注意書きが嵐のように貼ってありました。
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 お庭を拝観し、廊下づたいに行者堂・聖天堂を見物。聖天堂にある渋い色合いの壇が有名な根来塗りとのこと。なお秀吉の根来攻めによって根来塗りの漆器はほとんど焼失し、明確な遺品はほとんど残っていないそうです。その後各地に四散した僧=職人によってその技法が伝えられたという伝承もあるとのことです。
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 そして光明殿の前でお楽しみの絵馬ウォッチング。「なんちゃんが一等航空整備士に合格できますように」という"大丈夫、僕の胸に飛び込んでおいて"と囁きたくなるようないじらしいもの、「シフォンといっしょにねれますように」という意味深なもの、「今年も健康でバブルでお願いします」というお馬鹿なもの、「○○××××さんとずっと一緒にいられますように ○○さんと結婚赤ちゃんができますように もしだめならかっこいいちゃんとした人に出会えますように」という"目をつぶれ、歯をくいしばれ"と一喝したくなるようなもの、なかなか興趣に富んで面白うございました。
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 ここから少し先に行くと、1496(明応5)年に建立された、日本最大の多宝塔が鎮座しておられました。その恰幅の良さといい、見事なバランスといい、これは名建築ですね。秀吉の軍兵たちもその威容に感服して火をつけなかったのかしらん。ただ柱には弾痕がいくつか残っていました。みなさんが指をつっこむのでしょう、窪みの内部がつるつるになっています。
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 さてそれでは粉河寺へと行きましょう。駐車場にある公衆電話でハイヤーを呼び待っていると、なんと岩出駅行きコミュニティ・バスがやってきました。じだんだじだんだ… お土産屋の方に確認しておくべきであった、でも後の祭り。しばらくして到着したタクシーに乗り込み、岩出駅まで連れて行ってもらいました。ここから長躯、粉河寺までお願いするという選択肢もあったのですが、料金が高くつきそうなのでパス。岩出駅から粉河駅までの所要時間は十分強、駅前の道を直進すること十数分で粉河寺に到着です。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-05 13:47 | 近畿 | Comments(0)

紀伊編(24):根来寺(08.9)

 さて和歌山市駅に到着すると、ひだる神が臓腑の中で暴れまわっています。これはたまらん、と駅構内にある立ち食い蕎麦屋に駆け込んで、まあまあ美味しい月見うどんをいただきました。「饂飩を食べれば大過なし」、これは関西旅行の基本ですね、やれやれこれで落ち着いた。
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 JRに乗り換えて和歌山駅へ、ここで和歌山線に乗り換えて二十分ほどで岩出駅に到着です。ここから根来寺(ねごろじ)まで行くのに車で十分ほどかかりますが、バスの便はしばらくありません。しょうがない、タクシーを利用しましょう。市街地からじょじょに坂をのぼり、大門の巨躯を通り過ぎると山の懐に抱かれた根来寺に到着です。新義真言宗の総本山・根来寺の開基は、12世紀に高野山と袂を分けた覚鑁(かくばん)上人です。以後しだいに隆盛し、室町末期には坊舎80余、子院堂塔2700余棟を数えるに至り、領地70万石という大大名なみの勢力に発展しました。南北朝時代のころから自衛のために僧兵を蓄えるようになり、その勢力は根来寺衆とよばれる武力集団と化し、鉄砲を重要な戦力としました。しかし、その勢威を恐れた豊臣秀吉の根来攻め(1585)によって、全山ほぼ灰燼に帰してしまいます。江戸時代、紀伊藩主徳川頼宣の保護によってしだいに復興、現在に至ります。
 「寺社勢力の中世 -無縁・有縁・移民」(伊藤正敏 ちくま新書734)によると、最近の発掘調査の結果、根来寺境内全域が法体職人の集住する一大工業都市であることが明らかになったそうです。氏は、中世寺社勢力は宗教で説明するよりも経済体として考えるほうがずっと明快であり、国家から大きくはみ出した無縁の人々をまるごと受け止めて生産・流通から軍需産業まで含む中世の経済を担い支え牛耳ったと主張されています。その中核となったのが住宅街・商工業地を含みこんだ「境内都市」であり、これは都市国家に比肩できるとされています。この根来寺もその一典型なのですね。
 なお根来衆といえば鉄砲。これに関しては、「街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩」(朝日文庫)の中で司馬遼太郎がこう概括されています。種子島に渡来した鉄砲は、種子島時尭→島津義久→将軍・足利義晴→細川晴元と渡り、細川氏の要請を受けて京極氏が優れた鍛冶技術をもつ領内の国友村を将軍に紹介したところから、ここが鉄砲生産の拠点となりました。同じ頃に、根来寺の杉之坊津田監物が種子島家に逗留、時尭から一挺をもらい持ち帰り、根来寺の工人・芝辻清右衛門という鍛冶が製造に成功。根来寺が没落すると、芝辻家は堺に本拠を移し、鉄砲生産の拠点となったそうです。なるほどなるほど。
by sabasaba13 | 2009-08-04 08:18 | 近畿 | Comments(0)

紀伊編(23):淡嶋神社(08.9)

 いっしょに来島したみなさんは思い思いに釣りやハイキングを楽しんでいるようで、乗客は私一人。快適なクルージングをのびのびと楽しみながら、加太港に到着。すると海岸沿いの道路へと上る階段がちゃんとあるではないですか。さっきは慌てていて眼に入らなかったのですね。自戒自戒鶴亀鶴亀桑原桑原。階段を登りきると、道路上に12cm×5cmの「友ヶ島汽船→のりば」という小さなプレートが貼り付けてありました………… 眼が・・になりましたね、わたしゃ。んなもの、見えるわけないだろが! まあいいや旅は道連れ世は情、嫁をもたせにゃ働かん、忘れましょう。
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 淡嶋神社の方へ歩いていると幼子二人が駆け寄ってきて「おじちゃん、あけて」とラムネの瓶をさしだします。おじちゃん? (ムカッ) まあいいでしょう、「丸い卵も切りよで四角 物も言いよで角が立つ」と一喝するのも大人気ないし、よしよし、ラムネ、メンコ、ベーゴマ、懐かしグッズはまかしときんしゃい、と蓋をすこんと押し込んであげると彼ら曰く「力あるなあ」 警戒心がないというか、闊達というか、人見知りをしないというか、馴れ馴れしいというか、いずれにせよちょっと朗らかな気分になりました。「他人は誘拐犯か変質者か痴漢か変人と思え」といういかがわしい風潮に、まだこの街は染まっていないのでしょう。さてそれでは港の近くにある淡嶋神社に寄ってみますか。こちらは毎年三月三日、全国から奉納された無数の雛人形を白木の小舟に乗せて加太の海へと流す人形供養の神事、雛流しで知られる古社だそうです。参道の脇には、やはり雛人形を描いた例の「超安全顔はめ看板」がありました。
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 そして丹塗りの社殿の回廊を文字通り埋め尽くす無数の雛人形… 何ともいえない濃密な雰囲気がただよっています、これは圧巻だ。それだけではなく、招き猫、ダルマ、信楽焼の狸など、いろいろなタイプの人形たちが種別ごとに境内のあちらこちらに密集しています。多くの人々の人形に寄せる思いが充満している、摩訶不思議な異空間でした。ま、中には面白半分でもってきたものもあるようですが。
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 そして恒例の絵馬ウォッチング。「2人共健康で元気なベビタンができますように!!」 うーん、ベビタンかあ… 「かせきほりになりたい」 齢六歳にして壮大な夢をもつKさん、その意気やよし、陰ながら応援させていただきます。ところで、"かせきほり"ってどういう職業?
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 さあそれでは根来寺に向かいましょう。背中とお腹がくっつきそうで、門前にあった出店の「しらす丼」には思いっきり後ろ髪を引かれましたが、列車に乗り遅れてはまずいのでここは忍の一字。鳥居のところで仲良くうたた寝をしている二匹の猫にお別れを言い、すたこらさっさと加太駅へと向かいました。早足で約十五分、発車寸前の列車にかろうじて乗り込み一安心。南海電車の中吊り広告をふと見ると、このコピーが座布団三枚ものの傑作。
 大阪では「1家に1台たこ焼き器がある」と言われるほど、昔からなにわの庶民の味として親しまれてきたたこ焼き。専門店ではもちろん、駅前の露店とかでもその店独自のこだわりの味を楽しむことができんねん。
 でも、万が一、たこ焼きにタコが入ってへんかったら店のおっちゃんに「これタコ入ってへん」て言うてみて。オモロイおっちゃんはきっとこう言うで。「おっ!ラッキーやなぁ~、それアタリやでぇ~」と。
 ほんまにこう言われそうですね、恐るべし大阪。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-03 18:57 | 近畿 | Comments(0)

紀伊編(22):友ヶ島灯台(08.9)

 海沿いの斜面にはいつくばるように広がる孝助松を左に、蛇ヶ池を右に見ながら池尻広場をつっきり、坂道を少し上ると友ヶ島灯台に到着です。
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 ちょっとずんぐりとした愛嬌のある佇まいで寡黙に屹立する白亜の石造灯台でした。
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 竣工は1872(明治5)年、設計は"日本の灯台の父"リチャード・ヘンリー・ブラントン、日本で八番目に建造された洋式灯台です。なおスーパーニッポニカからブラントンのプロフィールを引用しておきます。
Richard Henry Brunton (1841―1901)
 イギリスの技術者、幕末・明治初期のお雇い外国人技術者。スコットランドのアバディーンシャーに生まれる。父は船長であった。私立学校卒業後、鉄道工事の見習技師となり各地の工事に従事した。その後、徳川幕府の依頼を受けたスティーブンソン兄弟の斡旋で1868年(慶応4)来日し、本格的な洋式灯台の建設に携わった。さらに新時代の工学知識と西欧技術を多方面からの依頼に応じて発揮し、鉄道建設の必要を建言のうえ、まず東京―横浜間の鉄道敷設を説いた。また、横浜にあった鉄の橋の吉田橋の架設や横浜居留地の公園計画、下水道敷設などを行った。横浜の都市づくりに多くの提案を残し、76年(明治9)帰国した。
 日本の近代化を助力した、そして何よりも洋式灯台についてのノウハウを伝授してくれた灯台フリークにとっては足を向けては寝られない恩人です。なおブラントン設計の灯台は14基現存しており、これまでに樫野崎江埼角島犬吠崎御前崎尻屋崎灯台、そしてここ友ヶ島の灯台を訪れました。残るは神子元島、六連島、鍋島、部埼、釣島、金華山、菅島、ぜひとも全てを踏破してみたいものです。灯台の少し向こうまで行くと、紀淡海峡をはさんで淡路島が眼前に迫っていました。
 灯台のすぐ隣にあるのが第一砲台跡、砲座と半地下につくられた弾薬庫らしき煉瓦造りの建造物を見ることができます。
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 ここから道なりに歩いて数分のところにあるのが第二砲台跡。見晴らしの良い海岸沿いの小高いところに、煉瓦・コンクリート造りの巨大な砲座が残されています。ただ海岸部が侵食されており、海側の部分は崩落・崩壊の危機に瀕していました。ここから海沿いの斜面につくられたハイキングコースを歩き、十分強で桟橋に到着です。時刻は11:20、やれやれ発船時刻十分前に間に合いました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-30 05:43 | 近畿 | Comments(0)

紀伊編(21):友ヶ島砲台(08.9)

 さっそく船着場近くにあった観光案内所で観光地図をもらい、広場のベンチに坐って紫煙をくゆらしながらこれからの行程を検討しました。幸いお目当ての砲台跡と灯台は島の西半分に集中しているので、桟橋→タカノス山展望台→第三砲台跡→第五砲台跡→友ヶ島灯台→第一灯台跡→第二砲台跡→桟橋というルートでハイキングコースを歩けば、二時間ほどで戻ってこられそうです。トイレはここにしかなさそうなので用を済ませ、いざ出発。道標が整備されているので道に迷う心配はありません。ゆるやかな坂道を十分強のぼると第三砲台跡に到着ですが、まずはタカノス山展望台に行ってみましょう。
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 プチ象の檻のような航空保安施設のところから階段をのぼると展望台に到着。友ヶ島の全貌、友ヶ島灯台、紀淡海峡をはさんで対岸の淡路島が、手に取るように眺望できます。うす曇なのが惜しいのですが絶景かな絶景かな。
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 階段を下りて先ほどの保安施設の脇には、地面を掘りくぼめて煉瓦で固めた楕円形の空間に、二つの丸い砲座跡が並び、澱んだ水を湛えています。解説板によると、こうした砲座が四つ連続して設置されていますが残り三つは藪の中にあり見るのには苦労しそうです。
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 なお友ヶ島砲台群は、明治政府が紀淡海峡防備のために築造したもので、ここ第三砲台の竣工は1892(明治25)年です。砲座ぞいにつくられた石畳の通路を歩いていくと、右手と正面に見事な煉瓦積みで築造された弾薬庫が現れます。その造形美と意匠、保存状態の良さは特筆もの、フォトジェニックな光景でした。
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 突き当たりを左に曲がり短いトンネルを抜けると、木造の監守衛舎と煉瓦造りの小さな発電所が残っていました。
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 再びハイキングコースに戻り先へ進むと途中に枝道があり、第五砲台跡という道標がありました。そちらへ折れてしばらく行くと第五砲台跡に到着、第三砲台跡からここまで15分くらいです。コンクリートでつくられた直方体の大きな砲座が、大いなる眠りをまどろんでいました。がさっと音がしたので驚いて上方を見上げると、鹿が円らな瞳でこちらを見つめ、そして幻のように森の中へ消えていきました。ふたたび本道に戻り、ゆるやかな坂道を下ると「海軍聴音所跡 0.4KM」という道標がありましたが、時間の関係もあるのでカットしましょう。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-29 06:13 | 近畿 | Comments(0)

紀伊編(20):友ヶ島へ(08.9)

 そして海岸と並行して、木造家屋が肩を寄せ合うようにして連なる町並みへと入っていきます。狭い路地からは光る海が垣間見え、漁師町の風情を感じさせてくれます。本格的な本瓦葺き屋根をいただく家屋も何軒か見かけました。ある商店のガラス戸には「入口の戸をきっちりしめて下さい。猫が入って困ります」という貼り紙。猫が元気だということは、漁村としての息吹がまだあるということでしょう。
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 役行者堂へと上る石段の前を通りしばらく歩くと登録有形文化財「吾妻屋 旧本館」の巨躯が見えてきます。解説板によると、1933(昭和8)年に竣工された団体客向けの大きな旅館で、二階大広間は柱のない百畳敷きだそうです。内部の見学は不可。
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 すぐ目の前が淡嶋神社ですが、時刻は8:50、そろそろ港に行ったほうがよいでしょう。地図を見ると、やばっ、友ヶ島行発着所からちょっと遠方まで来てしまいました。あわてて海岸沿いの広い車道に出て駆け足で戻りました。加太大橋の左手下方に船着場が見えましたが、そこまで下りる道が見当たらない… 9:00発の船に乗り遅れたら、以後の旅程は壊滅的な打撃を受けてしまいます。残された時間は五分、せんかたなし、生い茂った草をかきわけながら土手を下りると、駐車場のゲートがありました。しかし錠がかかっていて開かず、足場がないので乗り越えられそうもありません。万事休すか、門扉を握り締めながらアンジェイ・ワイダ監督「地下水道」の一場面のようだな、などと暢気にかまえていたら左手の方に越えられそうな塀がありました。うしっ、草をかきわけて移動し塀を乗り越え橋の下をくぐって船着場へとダッシュ、かろうじて乗船することができました。「もういやっこんな生活」と小松政男氏のように叫びたいところですが、自業自得ですね。
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 船はほぼ満員、このあたりは釣りのメッカだそうで、ほとんどの方が太公望です。残りはハイキング目当ての家族連れやカップルと山伏… やまぶしい!? 幻覚かと思い目をこすりましたが、たしかに山伏姿の若い二人連れが前方におります。島の観光案内所でもらったパンフレットによると、修験道の始祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城山に行く前にこの島に立寄ったそうで、葛城修験道二十八宿の第一宿が置かれ、島内には観念屈・閼伽井碑など修験道に関する史跡・行場があるとのことです。なるほどねえ。
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 釣り船が点々と浮かぶ静かな湾を船は進み、20分ほどで友ヶ島に到着です。なお沖ノ島・地ノ島・虎島・神島を総称して友ヶ島と呼び、これから上陸するのは沖ノ島に該当します。加太に戻る船は11:30発なので二時間ほど滞在ができます。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-28 06:12 | 近畿 | Comments(2)