カテゴリ:近畿( 332 )

近江錦秋編(18):賤ヶ岳古戦場(08.11)

 途中、木ノ本を通り過ぎましたが、北国街道の宿場の面影を残すなかなか味わい深い町並みでした。そういえばこの湖北には十一面観音像の優品が多いとも聞きましたので、いつの日か木ノ本・菅浦とからめて再訪したいものです。さて十数分ほどで賤ヶ岳へのリフト乗り場に着きました。タクシーにはしばらくここで待っていてもらい、リフトに乗りましょう。なお本日でリフトの営業は終わり、明日からは冬季運休期間になることが切符売場で判明、なんと運の良いことでしょう、GRACIOUS!山ノ神。リフトはぐんぐんと山の斜面をのぼっていき、終点に到着。
c0051620_644185.jpg

 ここから十分ほど山道を歩くと賤ヶ岳古戦場です。以下、岩波日本史辞典から引用します。
 1583(天正11)4月,北近江賤ヶ岳付近(現在の伊香郡木之本町・余呉町付近)での羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家との合戦。本能寺の変後織田家は分裂、秀吉は織田信雄と結んで、織田信孝・勝家・滝川一益らと北近江・北伊勢などで対立した。83年3月羽柴・柴田の両軍が北近江で対陣。秀吉は岐阜で挙兵した信孝を討つため一旦大垣城に入るが、柴田軍の攻勢を知って近江へ取って返し先発の佐久間盛政を破り大勝を得る。加藤清正、福島正則ら秀吉側近の七本槍の活躍が有名。勝家は越前北庄(現在の福井市)に戻るが、4.24総攻撃を受け、夫人(お市の方)とともに自刃。この勝利により秀吉は信長の後継者としての地位を確立。
 というわけです。しかしまあよくぞこんな山中で戦ったもんだ。展望所には戦跡碑がありますが、なんといってもその眺望の素晴らしさよ。眼下には木ノ本の町並みと奥琵琶湖・竹生島を、逆サイドに行くと余呉湖を手に取るように一望できます。ところどころにある紅葉が彩りを添えてこれもまた美しい。いままさに泣きそうな曇天のため視界が悪いのが残念ですが、雨が降っていないだけよしとしましょう。そしてこんなところでお目にかかろうとは思ってもいなかった顔はめ看板を発見。戦国武将のことについてはとんと疎いのでよくわかりませんが、秀吉なのでしょうか。愛を込めて激写していると、そばで休まれていた夫婦のハイカーがにこやかに「顔をはめたところを撮ってあげましょうか」と優しい言葉をかけてくれましたが、病は膏肓にまでは入っていないので丁重に辞退しました。
c0051620_65815.jpg

c0051620_653188.jpg


 本日の三枚、一番下が余呉湖です。
c0051620_655845.jpg

c0051620_661668.jpg

c0051620_663346.jpg

by sabasaba13 | 2009-10-21 06:07 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(17):鶏足寺(08.11)

 いよいよ最終日、窓から外を見ると薄日がさしているのですが天気予報によると曇のち雨、秋雨に濡れながらの紅葉狩りと洒落こみますか。朝食をいただき荷物をまとめいざ出発、琵琶湖ホテルともお別れです。
c0051620_684526.jpg

 山ノ神がしこたまお土産を買い込んでいるので、大津駅のコインロッカーに荷物を入れておくことにしました。(伏線) まず向かうのは木ノ本にある鶏足寺、大津から東海道本線・北陸本線に乗って一時間強かかります。大津駅のホームで列車を待っていると、北緯35度線を示すモニュメントがありました。解説によると同緯度にあるのは、オクラホマシティー、メンフィス、クレタ島、バグダッド、テヘランだそうです。♪名も知らぬ友達よ 君の国はなんて遠い♪と口ずさみながら、市場原理主義というメエルシュトレエムに飲み込まれつつある仲間たちに思いを馳せてしまいました。
c0051620_691198.jpg

 さて列車に乗り込み、四十分ほどで米原に到着、ここでしばし停車しました。どうやらSL「北びわこ号」(C56)が入線するようです。ホームでは満面に笑みを浮かべたたくさんの鉄ちゃん・鉄子ちゃんたちがカメラを片手にいまかいまかと待ち構えておりました。自称鉄三郎の私としても一目見てみたいとホームに飛び出して待ちましたが、残念ながらSLが着く寸前に発車時刻になりました。無念、微かに聞こえる汽笛の音に後ろ髪を引かれながら、車内に戻りました。霊峰・伊吹山を右手に見やりながら列車は琵琶湖の東岸を北上、線路沿いでは三脚をセットしSLを撮影しようと待機している方々をよく見かけました。
c0051620_693489.jpg

 そして木ノ本駅に到着、紅葉の名所である鶏足寺へは路線バスで近くまで行けるとのことですが、本数が少なく以後の旅程を考えるとタクシーを利用した方がいいでしょう。ついでに賤ヶ岳古戦場にも寄ってみたいしね。幸い駅前で客待ちをしているタクシーが一台あったので乗り込み、希望の行程を依頼してさあ出発。十分ほどで古橋というしぶい集落に着きました。近在の方々がこのあたりでとれた食材などをテントの仮設店舗で売っておられ、なかなか暖かい雰囲気です。ここから十五分ほど山中の長閑な遊歩道を歩くことになりますが、途中にあったのが「亀山の茶畑」です。このあたりは昔から茶の名産地だったそうですが、この茶畑は第二次大戦後の村里復興のため鶏足寺の住職さんが寺領の開墾を奨励してできたとのことです。
c0051620_69588.jpg

 そして道をゆるやかに左へと曲がると、あたり一帯が赤く怪しく輝いています。おおっ、すんばらしい! 奥へと続く細い参道の両側を埋めつくすかのような楓の古木が真っ赤に色づいていました。そしてあたり一面を覆う散紅葉のグラデーション。一瞬、忘我し、私は二つの目だけの存在となってしまいました。凄い… はっと我に戻り、ばしばしと撮影しながら赤いトンネルを進み、風情のある石段をのぼると小さなお堂にたどりつきます。かつては山岳伽藍の修験道場として栄えましたが、廃仏毀釈で規模が縮小および1933(昭和8)年の不審火により焼失し、廃寺となってしまったそうです。そのせいでしょうね、お堂の屋根がトタン葺きなのがちょいと残念。しかし荒涼とした雰囲気が燃えるような紅葉とあいまって、素晴らしい趣をかもしだしています。さすがに名所というだけあって観光客の方もけっこうおられましたが、立錐の余地がないというほどではありません。ゆとりをもって気の向くまま散策することができました。
c0051620_6102010.jpg

 目果報の地を後にして、さきほど見かけた仮設店舗で山ノ神は地元産のゆずを購入、そしてタクシーに乗り込み賤ヶ岳古戦場へと向かいましょう。

 本日の九枚です。
c0051620_6104819.jpg

c0051620_6111394.jpg

c0051620_6114684.jpg

c0051620_6121679.jpg

c0051620_6124957.jpg

c0051620_6131627.jpg

c0051620_6134989.jpg

c0051620_6143337.jpg

c0051620_615170.jpg

by sabasaba13 | 2009-10-20 06:15 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(16):大津(08.11)

 それでは大津市内へと向かいましょう。琵琶湖疏水を渡り、住宅街をしばらく歩くとアーケードのある長等商店街です。時刻は午後四時半ですが、多くの商店でシャッターが閉められ、人通りもほとんどありません。そして菱屋町も同様、地方の窮状を目の当たりにした思いです。丸屋町商店街に入ると「曳山展示館」があったので寄ってみました。すぐに係員の女性が飛んできて、「待ってました」とばかりに大津祭と曳山に関するお話を懇切丁寧にしてくれました。大津祭は江戸時代はじめ、鍛冶屋町塩売治兵衛が狸面で踊ったことから始まったとされていますが、1638(寛永15)年からは三輪の曳山を作られるようになりました。本祭(体育の日の前日)にはゴブラン織や装飾金具にかざられた豪華絢爛とした13基の曳山が市内を巡行します。そして大津祭りの大きな特色が、すべての曳山に取り入れられている中国の故事や能・狂言を題材としたカラクリ。カラクリといえば飛騨高山祭のものが有名ですが、あちらは23基の屋台のうち四つしかありません、と誇らしげに語る姿が印象的でした。ほんとに大津祭を愛していらっしゃるのですね。それでは館内を見学いたしましょう。一階には曳山の原寸大模型が展示してありましたが、三輪というのは珍しいですね。
c0051620_664819.jpg

 二階では実際の祭りの様子やそれぞれのカラクリの動きをビデオで見ることができます。祭とカラクリが大好きな山ノ神は微動だにせず食い入るように画面を見ているので、私は中座して展示物を見学。大津市内の古い建物を紹介する地図があり、これは街歩きの際に役に立ちそうです。へえー、壁面に取り付けて倒すとベンチとして使える板は「バッタン床机」と言うのか。
 そして山ノ神と合流し外へ出ると、もうとっぷりと日は暮れています。ここから少し歩いたところにあったのが「此附近露国皇太子遭難之地」という碑です。いわゆる大津事件の現場ですね。以下、岩波日本史辞典から引用します。
 ロシア皇太子が滋賀県大津で襲撃された事件。湖南事件とも。ロシア皇太子ニコラス(のちロシア最後の皇帝ニコライ2世)は1891年シベリア鉄道起工式に出席の途次来遊。5.11一行が三井寺に参詣、滋賀県庁を経て京都に戻る途中、来日の目的を邪推した警備の巡査津田三蔵(1854‐91)に頭部を切りつけられた。事態の重大さに政府は、天皇自ら京都に皇太子を見舞うとともに、事件を皇室への危害とみて刑法116条の規定を適用、津田を極刑に処するよう圧力を加えたが、大審院長児島惟謙は条文上通常謀殺未遂罪を至当として、5.27大津地方裁判所に開いた大審院法廷において津田に無期徒刑を言い渡した。司法権の独立を守った事件として注目された。
 そういえば、四国の宇和島を訪れた時に、かの地の出身である児島惟謙の銅像と出会いましたっけ。こうして各地で出会えた史跡がリンクしていくのも、旅の楽しみの一つですね。
c0051620_671555.jpg

 そして昨日予約しておいた「かど萬」へふたたび参上、近江牛のステーキに舌鼓を打ちました。ホテルへ戻り、温泉にゆったりとつかり(とはいっても約十五分)、遊覧船「ミシガン」で奏でられる場違いなディキシーランド・ジャズをBGMに夜景を眺め、一献傾けました。明日は予定通り、鶏足寺、賤ヶ岳古戦場、近江孤篷庵、玄宮園(彦根城)を訪れることにしましょう。

 本日の一枚です。Bon appetit !
c0051620_674186.jpg

by sabasaba13 | 2009-10-19 06:08 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(15):三井寺(08.11)

 それでは三井寺(園城寺)に行きますか。言わずと知れた天台寺門宗の総本山ですね。7世紀末に大友村主氏の氏寺として創建され、その後、円珍が再興します。993(正暦4)、円仁門徒と対立して比叡山から下山した円珍門徒1000余人が拠り、その最大拠点として山門と対抗、以後比叡山延暦寺との激しい争闘が繰り広げられました。教義上の問題というよりも利権がらみの対立ではないかと愚考します。院政・鎌倉期を通して天台座主補任や園城寺戒壇の別立を巡って、山門の焼打ちを受けること7度、戦禍を受けることも度々でしたが、その度に復興。不動明王画像(黄不動)や円珍関係の文書・典籍など多くの寺宝を伝えるということです。
 まずは金堂のとなりにある鐘楼へ、近江八景「三井の晩鐘」として有名な鐘ですね。ちなみに三井の晩鐘、粟津の晴嵐、瀬田の夕照、石山の秋月、矢橋の帰帆、唐崎の夜雨、堅田の落雁、比良の暮雪が近江八景です。1602(慶長7)年、豊臣家による三井寺復興の一環として鋳造され、音色のよいことで知られているそうです。古来、形の平等院、銘の神護寺ともに「音の三井寺」として日本三銘鐘のひとつにも数えられているそうな。
c0051620_7523980.jpg

 となると、ぜひその音色を聞いてみたいですね、でもまさか撞かせてはくれないだろうなあ、と思いつつ鐘楼に近づくと300円払うと一回撞かせてくれるという貼り紙がありました。鳴り物が大好きな山ノ神の目が怪しく輝きます。うんうんいーよいーよ、近くにある売店でお代を支払い、戸を開けて鐘楼の中に入りました。さ、どうぞ。舌なめずりをしながら縄を握り撞木をじょじょに大きく揺らす山ノ神、そして渾身の一撃… しかし力を入れるタイミングがすこしずれたようで、この世のものとは思えないしょぼい音が… こーん 振り返った彼女の、ジャンプで失敗して一回転しかできなかった浅田真央のような(見たことないけど)情けなさそうな顔は忘れられません。「たぶんお店の方には聞こえなかったから、もう一度撞いちゃえば」と悪魔のように囁くと、正義感の強い彼女は「…やめとく」とぽつり。「300円払ってもう一度撞けば」と天使のように囁くと、節約家の彼女は「…やめとく」とぽつり。すごすごと撤退することにしました。われわれの後を継いだ方が撞いてくれたので、その音色は聞くことができましたけれど。
 そして弁慶の引き摺り鐘、一切経蔵を見物、しかし肝心の紅葉は期待はずれ。
c0051620_7531896.jpg

 ところどころに色づいた楓があるのですが、それほど多くはありません。空腹に耐え切れず名物「弁慶力餅」を食して、小高いところにある観音堂へ。となりにある小さなお堂には「盡忠報国」という兵士の名が並べられた絵馬が掲げられていましたが、よく見ると「念紀征出亜利伯西」とあります。西伯利亜はシベリア、時は大正7年つまり1918年、てことはシベリア出兵だ! ロシア革命後の東部シベリア方面に対する武力干渉ですね、これはレアな物件だ。
c0051620_7534725.jpg

 さらに展望所にのぼると、そこからは三井寺・大津の街並み・琵琶湖を一望できる絶好のビュー・ポイントでした。なおこちらには「滋賀県警察官忠魂碑」と「大津そろばん」の碑があります。
c0051620_7544488.jpg

 後者が気になったのでインターネットで調べたところ、大津そろばんは「そろばんと言えば大津、大津と言えばそろばん」と全国に名を馳せたそうです。慶長17 (1612)年、大津近くの追分町の住人片岡庄兵衛が、時の長崎奉行長谷川左衛藤広に随行して長崎におもむき、中国人から、そろばんの見本と使用方法を授かって帰郷したそうです。庄兵衛は工夫研究を重ね、中国式そろばんの大きさ、組み方、珠の形状などを日本人に適するように改良し、大津そろばんを完成させました。庄兵衛は幕府より「御本丸勘定所御用調進」を命ぜられ、そろばん製造の家元となり、そろばん業者の取締役を担うことになります。また、業者の製品を査定し、等級・販売価格を決定し、烙印をして販売させるという特権が認められ、以来明治の初めまで約三百年「大津そろばん」の名声は全国的に広められたとのことです。なるほどねえ、ただ気づかないだけで、どんなものにも歴史があるのですね。勉強になりました。

 本日の二枚です。
c0051620_7551249.jpg

c0051620_7554497.jpg

by sabasaba13 | 2009-10-18 07:56 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(14):円満院門跡(08.11)

 ここから歩くこと数分で三井寺に到着。んが、その前に門前の右手にある円満院門跡に寄ることにしました。紅葉の名所という風評は特に聞いてはいないのですが、もしや超スペシャル穴場かもしれないという色気が出たのと、併設されている大津絵美術館への興味にひかれた次第です。こちらのお寺さんは、平安時代後期に遡る古刹で、歴代門主には皇族の出身者が多いいわゆる門跡寺院。宸殿は桃山時代の書院造りで、庭園は相阿弥作と伝えられているそうです。宸殿のとなりはちょっとした会館風の建物になっており、ひっきりなしに人が出入りしています。今日は法要が重なっているのかな、と思いつつこちらでお代を払い宸殿を抜けて庭園へと行きました。
c0051620_652342.jpg

 回廊にそって細長く池が掘られており、築山・石島・石橋がしつらえてあります。紅葉する木々はそれほど多くはありませんが、観光客が誰一人いないという好条件のもと静謐な雰囲気を楽しめました。そして「思案所」と書かれたトイレに寄って、併設されている大津絵美術館へ。大津絵とは何ぞや、以下スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 江戸時代、近江国(滋賀県)大津の追分、三井寺の周辺で売られていた素朴な民芸的絵画。東海道を往来する旅人に手軽な土産物として求められたもので、寓意を込めたユーモラスな主題と速筆軽妙な略描が親しまれ、大津絵の名を全国的に広めた。その始源は寛永年間(1624~44)にさかのぼるといわれ、初めは十三仏や来迎仏、青面金剛など、民衆の持仏となる仏画が描かれていた。のちには藤娘、鬼の念仏、瓢箪鯰、鷹匠、奴など戯画的、風俗的な主題が一般的となり、手法も肉筆から版画へと移っていく。仏教や心学の教えを盛った道歌を図上に賛するなど教訓的となり、絵画表現も形式化を進めながら、その余命は明治以降にまでも及んでいる。
 ユーモラスでぬくもりのある大津絵の数々をしばし堪能。おそらく日本の歴史上はじめて民衆をマーケットとして描かれた絵画なのですね。その背景となったのは、生活のゆとりと旅行の活発化、おそるべし江戸時代。
c0051620_661077.jpg

 なお帰宅後、橋本治氏の「ひらがな日本美術史4」(新潮社)で大津絵の章を読み直しました。それによると、「大津絵」という言葉の文献上の初出は、大津に滞在していた松尾芭蕉が1691(元禄4)年に詠んだ新年の句「大津絵の筆のはじめは何仏」で、芭蕉が命名者である可能性もあるとのこと。この句にあるように初期の画題は仏が中心で、橋本氏曰く一種のプリミティヴ・アート、ほのぼのとした大変素晴らしい仏画だそうです。美術館に初期大津絵があったかどうかまったく記憶にありません、己の眼力の無さと教養の欠落には悲しくなってきます。
 なお余談ですが、さきほど円満院門跡のホームページを見たところ、次のような言葉が巻頭に書かれていました。「日本水子供養霊場会総霊廟所全国30万人の水子様をお預かりする、安心・信頼の水子供養のお寺です。365日年中無休・予約なしで、お参り頂けます。当院は日本一の水子供養のお寺として水子供養の歴史を築いたお寺として広く知られております。水子供養の受付は、年中無休・予約不要」 だからあれだけの参拝客で賑わっていたのか。それにしても門跡寺院と水子供養、どういう関連があるのだろう? 気になりますね。

 本日の二枚です。
c0051620_66377.jpg

c0051620_6704.jpg

by sabasaba13 | 2009-10-13 06:07 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(13):琵琶湖疏水(08.11)

 坂本からふたたび京阪石山坂本線に乗ること約十五分で三井寺駅に到着、お寺さんに行く前にまず琵琶湖疏水を表敬訪問することにしました。琵琶湖から京都市内へ通じる水路で、明治期における代表的な土木工事とされます。東京遷都によって火が消えたようになった京都を近代的な産業都市に脱皮させることが目的で、舟運・発電・上水道・灌漑のために利用されました。しかし大変な難工事だったようで、不撓不屈のねばりと闘志でそれをなしとげた設計・施工の責任者・田辺朔郎氏には敬意を表したいと思います。京都側では、南禅寺の水路閣、インクライン、琵琶湖疏水記念館、哲学の道など関連した物件・施設を見てきたので、ぜひ琵琶湖側の様子を見てみたいと常々思っていました。駅から外へ出ると、すぐ目の前が琵琶湖疏水です。山側(京都方向)に少し歩くと、古色を帯びた重厚な閘門が姿を現しますが、これが1889(明治22)年に完成した大津閘門。さらに歩いていくと第一トンネル(長等山トンネル)東口に到着です。ここから山中を2.4km(当時としては日本最長)流れ、諸羽トンネル・第二トンネル・第三トンネルを経て蹴上へと流れていくのか。残念ながら柵があり接近できないのですが、不釣合いなほど豪壮なペディメント(記念的建築であることを示す三角破風)ははっきりとわかります。関係者のこの疎水にかける思いを物語っているかのようでした。なお伊藤博文揮毫の「気象萬千」という掲額が門の上部にあるそうですが、これはよく見えませんでした。
c0051620_711515.jpg


 本日の二枚です。
c0051620_7121059.jpg

c0051620_7123069.jpg

by sabasaba13 | 2009-10-12 07:13 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(12):坂本(08.11)

 そして日吉大社の脇を通り過ぎて、比叡山延暦寺の門前町として栄えた坂本に到着です。琵琶湖と都をつなぐ流通の中継地としても繁栄し、土一揆の主体となった馬借の集住していた町ですね。また坂本は穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる城の石垣などを作った石工集団の出身地であり、彼らが築いた石垣がそこかしこに残っているのも見どころだそうです。まずは日吉大社に程近い旧竹林院へ。坂本では、山上での修行を終えた老僧に与えられた坊舎のことを里坊と言いますが、こちらはその中でも格式の高い里坊だそうです。八王子山を借景としたそれほど広くはない庭園ですが、起伏に富んだ築山を回遊できるようになっており、大宮川の清流を取り入れた曲水が味わい深い風情をかもしだしています。肝心の紅葉も、それほど数は多くありませんが綺麗に色づいていました。曲水に流し寄せられた散紅葉が素晴らしい趣。
c0051620_7414028.jpg

 なおこちらには、「天の用席」と呼ばれる珍しい間取りの萱葺き茶室がありました。なんでも、出入口を二つ設け、主人の両脇に客人が並ぶそうです。
c0051620_742790.jpg

 そして坂本の街並みを散策、馬場をはさんで向かい側のお食事処で山伏らしき「顔はめ看板」をゲット。路地に入ると、穴太衆積みの石垣が風雪に耐えた古色をうかべながら連なっていました。そして細流に沿って行くと滋賀院門跡にたどり着きました。近年まで歴代天台座主の御座所、江戸時代には法親王の住まいで、格式を誇る里坊で、小堀遠州作の庭園が見ものだそうです。入口から屋内を覗き込むと、参拝客をみな坐らせて係の方がなにやら能書きをたれておられるようです。山ノ神と顔を見合わせ「ワンパス」。京都の鈴虫寺でひどい目にあって以来、どうもこの手の雰囲気は苦手です。
c0051620_7423371.jpg

 坂本駅に向かって裏の路地をぶらぶら歩きながら、石垣や古い商家・町屋が散見される街並みを楽しみました。
c0051620_7425579.jpg

 時刻は午後二時ちょっと過ぎ、湖西線で安曇川まで行きバスに揺られて約30分、重森三玲が絶賛した庭のある朽木の興聖寺に行けるかな、なんて山っ気もあったのですが無理しない方がよさそうですね。三井寺(園城寺)と大津市内をすこし彷徨して本日の店仕舞いとしましょう。

 本日の七枚、上の四枚が旧竹林院です。
c0051620_7432287.jpg

c0051620_7435750.jpg

c0051620_7441613.jpg

c0051620_7443962.jpg

c0051620_745023.jpg

c0051620_7451946.jpg

c0051620_7453961.jpg

by sabasaba13 | 2009-10-10 07:46 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(11):西教寺(08.11)

 それでは境内から出て西教寺へと向かいましょう。日吉大社から北へ向かってしばらく歩きますが、右手には琵琶湖、左手には山里風景を眺められるなかなか気持ちの良い道です。
c0051620_655952.jpg

 しかしどこかの町内会が主催しているらしいウォーキング御一行とでくわしてしまいました。おそらくその数は数百人、みなさん楽しそうに語らいながら道路を埋めつくしてぞろぞろと移動されています。まいったなあ、ウォーキングには大賛成なのですが、これだけの数で来られると歩きづらいし雰囲気もぶちこわし。できうれば少人数で歩いてほしいですね。しかし幸いなるかな、琵琶湖の見える空き地で昼食のようです。静寂をとりもどした道をもうしばらく歩くと西教寺に到着、日吉大社から二十分弱かかりました。
 このお寺さん、創建の由来についてはよくわかっていないそうですが、室町時代以降、天台念仏と戒律の道場として栄えました。例によって例の如く、こちらも織田信長による比叡山焼き討ちの際に焼失。比叡山を監視するため、信長は近江国滋賀郡を明智光秀に与え、光秀はこの地に坂本城を築きます。地理的に近いため明智光秀は西教寺の復興を援助し、境内には光秀の供養塔も立っているそうです。そして何よりも紅葉の名所としても名高いお寺さんです。門をくぐると、真っ赤に色づいた見事な楓の並木が続きます。
c0051620_662141.jpg

 参道を歩いて小高い所にのぼると陽光に輝く琵琶湖を眺めることができました。
c0051620_664078.jpg

 なお明智光秀の供養塔は本堂の前にありました。
c0051620_67694.jpg

 しばし紅葉を楽しみながら写真を撮影、それでは坂本に戻って街並みを逍遥することにしましょう。途中のある家に「猿害対策実施中 高電圧 きけん」という貼紙がありました。よく見ると塀の上に電線がはりめぐらされています。環境の変化あるいは宅地開発等により山で食べ物が手に入らなくなったのかなあ、などと猿に同情してしまいますが、住民にとってはそれどころではないでしょうね。
c0051620_673038.jpg

 近くの家には立派な犬矢来と小さな木製の小便除け鳥居。ある家の塀の上では、ロダン作「考える人」の小さなレプリカがちょこんと鎮座しており思わず微笑んでしまいました。
c0051620_675718.jpg


 本日の五枚です。
c0051620_681964.jpg

c0051620_683727.jpg

c0051620_685427.jpg

c0051620_69158.jpg

c0051620_693695.jpg

by sabasaba13 | 2009-10-09 06:10 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(10):日吉大社(08.11)

 そして列車に乗り込み、日吉大社をめざします。車内でさきほどもらったサイクリング・マップをながめていると、その出来栄えの素晴らしさには惚れ惚れします。私がこれまで手にした観光地図の中では、間違いなく最上級の部類に入ります。正確にしてみやすい地図とモデル・コース、トイレ・自転車店・信号・道路案内板まで網羅されており、ディープな史跡にも事欠きません。おっ、大津市内に「露国皇太子遭難地碑」があった、これは大津事件の碑ですね、帰りに寄ってみましょう。裏面を見ると、作成の主体となったのは「自転車にやさしいまちづくりグループ」というボランティア団体で、その自己紹介が掲載されていました。クルマをやまて自転車で行こう、という趣旨のもと、自転車で安心して走れる道の調査とマップの作成、環境整備を求めての行政への働きかけ、啓蒙活動が活動の中心だそうです。会員は四十人余、中心は定年退職組や子育てが一段落した主婦の方々で、活動は月一回で欠席・遅刻・早退は自由(これが長続きのコツ!)。いいなあ、もしこのあたりに住んでいたら私もぜひ入会して、いつの日にかクルマに引導を渡してやりたいものです。興味のある方は「おおつ自転車」で検索してみてください。
 京阪石山坂本線に乗ること約三十分で坂本駅に到着、ここから比叡山の方へ向かう日吉馬場を歩いていきます。さすがは紅葉の名所、両側には陽光をあびて輝く見事な色づきの楓が並んでいます。そして目ざとい山ノ神は焼き山栗の売店を発見、「おピーがでたらどうしましょ」と言いながらも見事な手捌きで皮を剥き口の中へほうりこんでいきます。目ざとい私は飛び出し小僧をゲット、ジョアン・ミロの影響を受けたかのような大胆なフォルムと色が魅力的でした。
c0051620_684513.jpg

 そして日吉大社に到着です。もともとは比叡山の神(大山咋神)が降り立つ神体山・八王子山を祀った原始祭祀が嚆矢で、平安京遷都後は都の鬼門除けとして篤く信仰されるようになります。また比叡山延暦寺が建立されると、その護法神としても深い崇敬を受け、仏教とも深い関係を持つことになります。延暦寺僧兵による強訴の際に、こちらの神輿がしばしば担ぎ出されたのは有名ですね。そして1571(元亀2)年、織田信長の比叡山焼打ちの際に兵火を受け、中世以前のすべての建造物は焼失してしまいます。
 それではお代を払って中へ入りましょう。境内は鬱蒼とした木々におおわれ、神域という雰囲気がひしひしと伝わってきます。まず目に飛び込んできたのが、江戸初期につくられたという花崗岩製の渋い大宮橋。そして参道を奥の方へ歩いていき、笠木の上に合掌状の三角が乗せてある山王鳥居をくぐると西本宮です。この間、期待していたほどには紅葉に出会えませんでした。
c0051620_691541.jpg

 そして神輿庫で僧兵たちが強訴の際に担ぎ出した神輿を見学、東本宮へと向かいますが、やはり顔が真っ赤に照らし出されるような紅葉はありません。おかしいなあ、群集している場所を見損なったのかなあ。
c0051620_69344.jpg


 本日の三枚です。
c0051620_695119.jpg

c0051620_610717.jpg

c0051620_6102476.jpg

by sabasaba13 | 2009-10-08 06:11 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(9):石山寺(08.11)

 サドルにまたがり軽快にペダルを踏み、快走すること数分で石山寺門前に到着、東大門から中を覗き込むと怪しく真っ赤に輝いています。これは期待できそう。
c0051620_614178.jpg

 ここ石山寺は、東大寺大仏造立のための黄金の不足を愁えた聖武天皇が、ここに伽藍を建てて如意輪法を修すようにとの夢告を受け、良弁僧正を開基として開かれた真言宗のお寺さんです。奈良時代から観音の霊地とされ、平安時代になって観音信仰が盛んになると、朝廷や摂関貴族と結びついて高い地位を占めるとともに、多くの庶民の崇敬をも集めました。宮廷の女人たちのあいだで、観音堂に参籠し読経しながら一夜を過ごすのが流行ると、紫式部はここに参籠して「源氏物語」の想を練り、また、清少納言、和泉式部、『蜻蛉日記』の藤原道綱の母、『更級日記』の菅原孝標の女なども石山寺のことを日記や随筆に記しているそうです。「石山寺縁起絵巻」の舞台としても名を馳せています。門をくぐると、参道をおおいつくす見事に色づいた楓が出迎えてくれました。その両側にはお休み処があり、ここもなかなか趣がありました。苔の上を飾るさまざまな色合いの散紅葉がなんともいえない風情です。
c0051620_6145854.jpg

 お代を払って中に入り、右手の石段を上ると本堂、こちらの相の間で「源氏物語」が書かれたそうで、紫式部の蝋人形が置いてありました。そして「石山」という名称の由来となった巨大な硅灰石と多宝塔、それにおおいかぶさるような真っ赤なもみじ。おお、びゅーてぃほー!
c0051620_6151843.jpg

 さらに階段をのぼると、源頼朝の寄進で1194(建久5)年に建立された日本最古の優美な多宝塔とご対面。その先へ行くと、瀬田川を遠望できます。
c0051620_6155422.jpg

 そして違う道を通って東大門へ戻る間にも、色鮮やかな紅葉を満喫することができました。大津ひかる君とも出会えて、山ノ神もご満悦のようです。というわけで石山寺はお薦めですね。
c0051620_6161387.jpg

 そしてふたたび自転車にまたがり、石山寺駅前を通り過ぎ、数分ペダルをこぐと瀬田の唐橋に到着です。この橋は東国から京に入る関所の役割を果たし、軍事・交通の要衝でもあったため、壬申の乱、承久の乱、南北朝動乱など、幾多の戦乱の舞台になり、そのたびに破壊・再建を繰り返してきました。また近江八景の一つ「瀬田の夕照」としても有名ですね。現在の橋は1979(昭和54)年に架けられたものですが、ゆるやかな反りや欄干の擬宝珠など、昔の面影を残すよう工夫されていました。欄干にもたれかかって紫煙をくゆらせていると、ミズスマシのようにつーいと八人乗り競技用ボートが行き交います。流れの穏やかな瀬田川は格好の練習場のようですね。なお橋のたもとには橋姫を祀った小さな社がありました。橋姫に橋占、彼岸と此岸をつなぐ境界=橋にまつわるさまざまな伝承や風習を思い浮かべます。駅に戻る途中、川沿いに大学ボート部の艇庫を見かけました。そういえば寺山修司に「わが内の古き艇庫にとじこめしボートのごとき欲望のあり」(「田園歌集」より)という歌があったなあ。私の内に秘めた欲望もいつの日にかあのボートのように解き放たれて矢のようにすべりゆくのでしょうか。なんて気障なことを言っているうちに石山寺駅に到着、係の方に丁重にお礼を言って自転車を返却しました。
c0051620_6163569.jpg


 本日の十一枚です。
c0051620_617214.jpg

c0051620_6191391.jpg

c0051620_6194860.jpg

c0051620_620916.jpg

c0051620_6203643.jpg

c0051620_6213442.jpg

c0051620_622229.jpg

c0051620_622361.jpg

c0051620_6225719.jpg

c0051620_6233650.jpg

c0051620_6235166.jpg

by sabasaba13 | 2009-10-07 06:24 | 近畿 | Comments(0)