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近江編(29):伏見(15.3)

 祇園四条駅から京阪本線に乗って中書島駅で京阪宇治線に乗り換えて観月橋駅で下車。宇治川に沿って東へすこし歩くと、月見館本館に到着です。木造三階の威風堂々とした旅館で、昭和初頭に建てられた老舗旅館です。三角をなす千鳥破風がいい味付けになっています。
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 Uターンして西へ歩いていくと、煉瓦造りの平戸樋門がありました。近世から明治初期にかけて京大坂を結ぶ淀川舟運で賑わった運河・濠川がこの樋門通じて宇治川に注いでいるのですね。
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 そして近鉄澱(よど)川橋梁が見えてきました。野武士のような風格のある鉄製トラス橋で、竣工は1928(昭和3)年。陸軍演習に支障がないよう無橋脚橋梁として建設され、日本の単純トラス橋で最大の径間長165mを誇るそうです。
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 ぶらぶらと中書島駅方面に歩いていくと、「水でつながる文化とくらし 酒と歴史が薫るまち」という観光案内地図が路傍にありました。歴史上重要な町・伏見だけあって史跡がてんこ盛り、そしてなにより正確で見やすい地図が素晴らしい、逸品です。さっそくカメラで撮影し、舐めるように見ていると…「鳥羽伏見の戦い弾痕跡」がありました。そうか、戊辰戦争の端緒となった鳥羽・伏見の戦いはここで起きたんだ。その銃弾の跡が見られるとは、男…もといっ弾痕マニアとしてははずせません、ぜひ訪れましょう。風情にあふれる月桂冠大倉記念館を濠川越しに撮影。
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 そして中書島駅近くにある銭湯「新地湯」と再会しました。いやあ何度見てもいいですね、昭和初期の雰囲気を濃厚に醸す、わけのわからない装飾にあふれたキッチュな外観に見惚れてしまいます。中も往時のレトロな雰囲気が充満しているとのこと、お風呂マニアの方は「チャリで巡るお風呂屋さん!風呂敷日記」というサイトが必見です。
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 そして史跡「織田信長公塚石(墓石)」を発見。解説板によると、豊臣秀吉が伏見城にいた時、主君追慕のために設けた墓石だそうです。中書島駅から15分ほど歩くと、三栖閘門(みすこうもん)の、水門を上下させるための二本の巨塔が見えてきました。
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 近くまで接近して写真撮影、そのシャープな造形や装飾が印象的です。解説板があったので転記します。
 三栖閘門は伏見港と宇治川を結ぶ施設として昭和4年(1929)に造られました。2つのゲートで閘室内の水位を調節し、水位の違う濠川と宇治川を連続させて、船を通す施設です。
 昔は、たくさんの船が閘門を通って伏見と大阪の間を行き来していました。
 現在、道路や鉄道の発達にともない、交通路としては利用されていませんが、地域との関わりが深く、歴史的にも大変貴重な施設です。

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by sabasaba13 | 2017-09-09 06:33 | 近畿 | Comments(0)

近江編(28):東華菜館(15.3)

 二十分ほど歩いて阪急桂駅まで戻り、駅前にあった「ポデスタコーヒー」でロイヤル・ディッシュをいただきました。嬉しいことに全席で喫煙が可能、愛煙家の小生としては助かります。
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 最近、煙草を吸っていると白眼視される傾向がより強くなり、身の置き場がありません。もちろん、煙に害があることは十二分にわかっておりますし、できる限りの配慮もしています。自己弁護の余地はないことを承知のうえで言いたいのは、人体に害をもたらすものは煙草の煙だけではないということです。『同調圧力メディア』(森達也 創出版)から引用します。
 あるいはさまざまな健康被害をもたらすとして「狂った油」と呼ばれるトランス脂肪酸は、アメリカのマクドナルドでは使用中止を発表したが、日本マクドナルドは今もポテトフライに使っている。だからマクドナルドのポテトフライはなかなか腐らないらしい(試したことはないけれど)。
 問題は店のレベルだけではない。モンサントの遺伝子組み換え作物やミツバチが大量死するネオニコチノイド系農薬フィプロニルは、ほぼヨーロッパからは締め出されているが、日本では規制されていない。(p.176~7)
 なぜこうした油や農薬を規制しないのか。あるいは自動車の排気ガスや工場などから排出される物質などは、煙草の煙よりも害が少ないのか。そして何よりも、福島原発事故で排出された放射性物質、原発稼働によって日常的に排出される放射性物質の危険性はどうなのか。これを明らかにせず、喫煙者のみを攻撃するのは片手落ちだと思います。

 閑話休題。紫煙をくゆらしながら珈琲を味わい、これからの行程を確認しました。修学院離宮の参観集合時間は午後三時、あと四時間ちょっとあります。当初の予定通り、伏見に行って、近代化遺産である月見館本館、平戸樋門、近鉄澱川橋梁、三栖閘門、そして寺田屋を見物することにしました。桂駅から阪急京都線に乗って河原町駅へ、ここで地上に出て徒歩で京阪本線祇園四条駅に向かいます。鴨川のほとりにある、スパニッシュスタイルで様々な装飾が魅力の東華菜館はヴォーリズ設計だったのですね。昨日知りました。四条大橋を渡って出雲阿国像を撮影、向かいにあるレストラン「菊水」はかねがね気になっていた料理店です。いつかここで食べてみたいな。
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 本日の一枚は、東華菜館です。
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by sabasaba13 | 2017-09-07 06:24 | 近畿 | Comments(0)

近江編(27):桂離宮(15.3)

 というわけで時間にして一時間強、至福のひと時を堪能いたしました。今回の見学での収穫は、やはり石の美しさと面白さと楽しさを知ったことです。係の方も、桂離宮は六月がお薦めと言っていました。人少なく、新緑がきれいで、そして何より雨の日には石の色が美しいから。なるほど、雨の桂離宮か、偶然を期すしかないのですが是非とも訪れてみたいものです。もちろん、花、紅葉、雪の桂も。
 そして思ったのが、日本文化の精髄とか、日本文化にもモダニズムの源流があったとか、日本文化という文脈で桂離宮を語るのはやめるべきだということです。そして日本文化を、ひいては日本という国や日本人を賞賛するために桂離宮を利用することも。出典は忘れてしまったのですが、文化人類学者・岩田慶治氏が次のように述べられています。
 このごろ、国をあげて国際化が唱えられ、その声、その流れのなかで日本文化を再認識しようという試みが活?である。
 それは大いに結構であるが、そのさい日本文化の存在が当然の前提とされている嫌いがある。日本文化とは何か、果して日本文化という呼べるものがあるのか、という根本的な自己反省から出発してもよいのではなかろうか。
 さて、はじめに触れたような文化比較論から離れて、換言すれば遠景としての日本文化論ではなく、一歩、その文化の内部に踏みこんでみよう。日本文化と呼ばれる額縁を取り外して、自ら画面の中に入って筆を取るといってもよい。そうすると、そこに見られる光景は外からの眺めとはずいぶん違うのである。そこに見えてくるのは、作者の行為とその作品なのである。農民は稲を育てて米をつくる。みかん農家はみかんの木を育ててみかんをつくる。別に、日本文化をつくっているわけではない。
 人麻呂は亡き妻を偲んで挽歌をつくり、赤人は自然の寂寥相を歌って自分を表現した。それぞれの創造者はその道によって自己表現を試みたのである。親鸞や道元が生涯をかけて追求したところは、日本文化とはかかわりのない世界であった。
 創造者たちはそれぞれに自己表現の究極を目ざしたのであった。別に、日本文化をつくろうとしたわけではない。強いていえば、自分文化をつくろうとしたのである。
 万葉集には自ずから万葉調のリズムが流れ、古今集には、また、それなりの微妙な言葉のひびきがある。だから、そこに日本文化の基調音を聞きとることはできるかもしれない。しかし、それは作者の与り知らぬことで、作者は自分の作品が日本文化の標本にされることに迷惑しているかもしれないのである。
 文化という歴史的な堆積物を、どういう額縁にいれるか、それを人間集団のどのレベルで切って、その裁断面を点検したらよいのか。自分か、民族か、国民か、人類か、それとも草木虫魚か。それが問題である。
 私としては、まず、これらの名称のもつ言葉のあいまいさを正したいのである。「自分って何」、「民族って何」、「国民って何」、「人類って何」、「草木虫魚って何」。
 言葉を正して、文化を創造する。
 私の願うことは、日本文化を支えることではなくて、自分文化を開花させることなのである。
 八条宮智仁親王も智忠親王も、そのもとで働いた庭師も植木職人も石屋も、日本文化と関わりなく、自分たちが綺麗で楽しいと思う庭、自己表現としての庭をつくっただけなのだと思います。私は桂離宮を訪れて、楽しませてもらい、美しいと感じ、それを自分文化をつくりあげるための養分として役立てましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-24 07:40 | 近畿 | Comments(0)

近江編(26):桂離宮(15.3)

 そして池の向こうに、船着場のある茶室・笑意軒が見えました。近づいて中をのぞくと、扁額の下に円形の下地窓が左右に六個並べた独特の意匠です。夜、この六つの丸窓から室内の光が漏れる光景は、幻想的でしょうね。中の間には大きな窓が設けられ、その向こうには水田がひろがっているそうです。手前に池、奥に田んぼ、涼風が吹き抜けるため、夏の茶室となっています。窓の下の腰壁もまた斬新な意匠、中央部分をひらべったい平行四辺形に区切って金箔を張り、左右の細長い直角三角形のスペースには市松文様の天鵞絨(ビロード)を張ってあります。
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 襖の引手は船の櫂の形、杉戸の引手は矢羽根の形、細部も侮れません。
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 笑意軒の前にある敷石は、さまざまな形や色の石がちりばめられ、歩くのがもったいないくらいです。ここが「草の延段」ですね。船着にあった小さな灯篭は竿や中台がなく、太陽・月・星を表す丸・三日月・四角の穴が穿たれた愛らしいもので、「三光灯篭」と言うそうです。
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 そして新御殿・中書院・古書院を左に眺めながら歩いていくと、古書院の広縁から突き出た月見台がありました。池に面した六畳大、竹簀子張りのスペースで、観月のための施設です。
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 そして最後の茶室・月波楼へ。池に面しており月見を楽しんだ茶室で、襖には紅葉の粋な小紋がちりばめられています。ここは秋の茶室ですね。古書院の月見台が主に月の出の観賞を目的としているのに対し、月波楼は小高い盛土の上に建っているので池の面を広く見下ろすことができ、池水に映る月の影を賞したようです。襖の引手は機の杼(ハタのヒ)でしたが、どういう由来があるのでしょうか。ご教示を乞う。月波楼の前に据えてある手水鉢は、水穴を鎌の刃に、右手の出張った部分を柄に見立てて 「鎌型手水鉢」と呼ばれています。秋の刈入れを象徴させたのですね。そういえば、冬の茶室・松琴亭の外腰掛には、収穫を意味する二重升の手水鉢ありましたっけ。なんと芸が細かいことよ。
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 そして古書院の玄関口である「御輿寄(おこしよせ)」へ。ここには杉苔で覆われた壺庭があり、切石をきっちりと組み合わせた延段、「真の延段」があります。石段の上には、六人分の沓の幅があることから「六つの沓脱」と称される、御影石製の沓脱石があります。また、自然石と切石を混ぜた飛び石が自由奔放に打たれており、石の饗宴とも賞すべき素晴らしい空間となっています。
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 中門の内と外にも、素敵な石が打たれていました。中門をくぐって振り返ると、ここもいい風情です。切妻造茅葺のしぶい門、右手には黒文字垣、そして洒落た敷石、一幅の絵のような光景でした。なお黒文字はクスノキ科の落葉低木で、その枝は高級妻楊枝の材料です。

 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-23 07:38 | 近畿 | Comments(0)

近江編(25):桂離宮(15.3)

 そして飛石の上を歩いていくと展望が開け、池や中島、対岸の松琴亭が見えてきます。この急に視界が開けるという劇的な効果も演出されたものですね。青黒い賀茂川石を並べて海岸に見立てた洲浜、その先端には灯台を模した小さな岬灯篭、そして天橋立に見立てた石橋といった景色も、景観にアクセントを与えています。そして池泉回遊庭園の醍醐味、歩くにつれて景観が徐々に変化していきます。
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 白川橋という直線的な石橋を渡ると、冬の茶室である、もっとも格の高い「松琴亭」に着きました。
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 こちらにはかの有名な、白と藍染の四角い加賀奉書を互い違いに張った市松文様の襖があります。その大胆で斬新な意匠には驚嘆です。細部の洒落た意匠にも目を引かれます。そして橋本氏が喝破されたように(p.18)、池側の縁先には青い石が配置されて、室内の藍色と呼応しています。この素晴らしいカラー・コーディネイト、石の色・形・配置に注目するのも桂離宮の楽しみ方の極意ですね。ここから池を見渡すと、これまでよく見えなかった古書院と月波楼を見渡せます。すべてを見渡せるパースペクティブではなく、景観を細かいパーツに分けて楽しんでもらおうという演出ですね。
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 そして橋を渡って、飛び石を歩いてのぼると、すこし小高いところにある春の茶室・賞花亭に着きました。峠の茶屋を模したもので、皮付柱を用いた、間口二間の小規模で素朴な茶屋です。大きな下地窓を設けてあり、清々しく開放感にあふれた造りになっています。かなわぬ夢ですが、桜か新緑の時期に、薫風を肌で感じながら、この茶室でお茶をいただいてみたいものです。ここから見下ろす池の景観も、これまでとはまた微妙に変化しています。
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 飛び石をおりると橋があり、その向こうには古書院・中書院・新御殿が見えますが、こちらは見学できないようです。うーん、い、け、ず。新御殿の「桂棚」が見たかったのに。そして大きな島の西端に建つ持仏堂、園林堂へ。離宮内で唯一の本瓦葺、そして宝形造の建物です。もっこりとしたむくり屋根がチャーミングですね。かつては楊柳観音画像と細川幽斎(智仁親王の和歌の師)の画像が祀られていましたが、現在は何も祀られていないとのことです。堂の周囲には黒石を敷き詰めた霰こぼしの雨落(あまおち)がありますが、そこをしれっと方形切石の飛び石が斜めに横切っていきます。しかも余分な石があったり、最後は45度傾けたりと、遊び心にあふれた意匠です。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-22 07:49 | 近畿 | Comments(0)

近江編(24):桂離宮(15.3)

 さあ出発時間です。参観人数は二十人ほど、前に説明担当の方、後ろに歩みをせかす係の方が配置され、サンドウィッチ状態での見学となります。入口を抜けると、両側を生垣にはさまれ正面に小ぶりの松(住吉の松)がある細長い岬がありました。この生垣と松のために、池と松琴亭が見通せません。景観への期待と想像をもたせるために焦らしているのですね。この松は「衝立の松」とも言うそうです。
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 そして天皇や上皇を迎えるための御幸道(みゆきみち)へ、桂川の青黒い小石が敷きつめられた「霰こぼし」の道です。すこし歩くと、先ほどの表門からの苑路にある御幸門に着きました。
 後水尾院の行幸に備えて建てられたもので、切妻造茅葺の素朴な門です。樹皮がついた棈(あべまき)の太い柱が印象的です。屋根裏は葭と竹を組み合わせたもので、思わず写真を撮りたくなるような意匠でした。なおこのあたりからは、先ほどの「桂垣」の裏側が見られます。(写真はピンボケですが)
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 御幸道をすこし戻って左の苑路を歩くと、薩摩の島津家から献上された蘇鉄が植えられています。「蘇鉄山」ですね。寒さ除けの藁が巻いてありましたが、編んである筵ではなく、編まないままの藁を庭師が昔ながらの方法で巻きつけているそうです。見事な職人芸ですね、まるで現代アートのようです。
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 この奥にあるのが、茶室「松琴亭」のためにつくられた「外腰掛」です。なるほど、珍しい蘇鉄を見ながらここで待つわけですね。飛び石は、橋本氏が"美しい配色"と絶賛したものですが(p.21)、陽の光が強くてよくわかりませんでした。無念。次の「外腰掛」へと続く延段(敷石道)は自然石と切石を混ぜた洒落た意匠で、眼を楽しませてくれます。なお古書院御輿寄前の「真の延段」、笑意軒前の「草の延段」に対して「行の延段」と呼ばれるそうです。加工石を「真」、加工石と自然石を「行」、自然石を「草」と言うのですね。
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 こちらにあった、升を二重に組み合わせた手水鉢はモダンな造形。秋の刈入れ後の収穫を象徴しているとのことです。「外腰掛」は、間口三間の茅葺寄棟造り、田舎家風のオープンで質素な待合です。葭と竹と生木のコンビネーションの妙が楽しめる、天井板を張らない化粧屋根裏が見どころ。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-21 07:02 | 近畿 | Comments(0)

近江編(23):桂離宮(15.3)

 参観者出入口に至るまでの竹の垣根も、繊細な意匠の見事なものですが、桂穂垣というそうです。表門は竹でしつらえた質素な門ですが、閉ざされていてここからは入れません。そして午前九時すこし前に待機場所に到着、参観許可証を提示して参観者休所で待つことになります。参観は無料、これは嬉しいですね。
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 なお『芸術新潮』(2000.7)に掲載された、橋本治氏による「桂離宮の歩き方」がたいへん参考となりました。また井上章一氏による『つくられた桂離宮神話』(講談社学術文庫)もなかなか面白いですよ。ブルーノ・タウトに始まる桂離宮の神格化が、戦時体制の進行にともなうナショナリズムの高揚と、建築界のモダニズム運動の勃興を背景に、周到に仕組まれた虚構であったことを実証する、知的興奮に満ちた本でした。ちなみに、ブルーノ・タウトは『日本美の再発見』(岩波新書)の中で、次のように東照宮をこき下ろし、桂離宮を賞揚しています。
 桂離宮は、およそ文化を有する世界に冠絶した唯一の奇蹟である。パルテノンにおけるよりも、ゴシックの大聖堂あるいは伊勢神宮におけるよりも、ここにははるかに著しく「永遠の美」が開顕せられている。…これ以上の簡素を求めることは不可能である。…これ以上単純でしかも同時にこれ以上優雅であることは、まったく不可能である。
 専制者芸術の極致は日光廟である。ここには伊勢神宮に見られる純粋な構造もなければ、最高度の明澄さもない。材料の清浄もなければ、釣合の美しさもない、-およそ建築を意味するものはひとつもないのである。そしてこの建築の欠如に代るところのものは、過度の装飾と浮華の美だけである。
 虚心坦懐、できるだけ先入観を排して、自分の眼を信じて桂離宮を楽しみたいと思います。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-20 07:11 | 近畿 | Comments(0)

近江編(22):桂離宮(15.3)

 それでは桂離宮へと向かいましょう。以前にも一度訪れたことがあるのですが、その時には写真撮影が禁止でした。驚くべきは、その理由は「苔の保護のため」! なぜ写真を撮ると苔に悪影響を及ぼすのか、理解できません。まあ伊勢神宮も撮影禁止だし、天皇制と「隠す」という行為は切っても切れない関係にあるのは理解できますが… 興味深かったのは英文にはそうした理由付けがなかったことです。そりゃあこんな理由では納得しませんよね、外国の方は。「公」(publicではなく、オオヤケ=大きな家=権力と富をもつ者)に命令されると、その根拠を深く考えず鵜呑みにしてしまうわれらが伝統文化を上手に利用しています、さすが宮内庁、と愚考した次第です。その後、写真撮影が可能となったという情報を得ましたので、インターネットで申し込み、午前に桂離宮、午後に修学院離宮を再訪することにしました。ほんとうは桜か紅葉の時期に訪れたいのですが、いつも予約は埋まっておりほぼ不可能です。宮内庁にコネがないと、この時期には見られないのかもしれません。

 阪急桂駅からのんびりと歩いて二十分、桂川のほとりにある桂離宮に着きました。竹の垣根が続いていますが、これが「桂垣」ですね。竹林の竹を折り曲げて編み込んだ垣根、橋本治氏曰く、"垣根の活け造り"です。いやはや、凄いことを考えたものだ。その先には徳大寺樋門の遺構がありました。解説板を転記します。
 桂離宮は、八条宮の別荘として、初代智仁(としひと)親王によって十七世紀始め(ママ)元和元年(1615年)頃に造営を起こされ、二代智忠(としただ)親王によって正保二年(1645年)頃までに建物や庭にも手を加え、概ね現山荘の姿に整えられました。宮家はその後、京極宮、桂宮と改称されて明治に至り、同十四年(1881年)第十一代淑子(すみこ)内親王を最後に途絶え、桂山荘は明治十六年(1883年)宮内省所管となり、桂離宮と称されることになりました。

 徳大寺樋門は、桂川のたび重なる氾濫を防ぐために築かれた堤防(防塁)に設置され、桂川から離宮内庭園池に引き水するために利用されていたもので、幾度か改築整備されてきました。この樋門は、明治四十一年五月(1908年)改築のものですが、流域の都市化等の変遷により平成五年六月(1993年)桂樋門の新設にともない廃止されることになりましたので、その一部(遺構)を残し、往時を偲ぶものです。

 桂の地一帯は平安中期から代々藤原氏が領有し、鎌倉時代に入って近衛家の領有となり、古くから月の名所や瓜の産地になっていたようで、平安時代の文学作品『源氏物語』のなかに

 つきのすむ 川のなかなる 里なれば 桂のかげは のどけかるらむ

 ほか多く詠まれています。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-19 06:29 | 近畿 | Comments(0)

近江編(21):桂カトリック教会(15.3)

 朝目覚めてカーテンを開けると雲の合間から陽がもれています。どうやら天気は大丈夫ですね。チェックアウトをして京都駅へ、途中に、睫毛の長い妙齢の女性のガードレール・アニマル(失礼)がありました。地下鉄烏丸線に乗って四条駅で阪急京都線に乗り換えて桂駅で下車。お目当ての桂カトリック教会は、駅から歩いて十分ほどのところにありました。
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 シャープな造型ですが、実はジョージ・ナカシマの設計なのですね。以前に香川県高松市の牟礼にある「ジョージ・ナカシマ記念館」を訪れて以来興味を持ち、この教会もいつか訪れてみたいと思っていたのですが、念願が叶いました。なお彼とこの教会については、「建築環境デザインコンペティション」内の「現代建築考」に藤森照信氏の詳細な解説があるので、長文ですが転記します。
 ジョージ・ナカシマと言っても若い人は初耳かもしれないが、これを機に覚えておいてほしい。時期は、レーモンド前川國男と重なり、仕事としては家具のデザインに新境地を開いたことで知られる。アメリカのナショナルギャラリー(国立美術館)に行くと、イサム・ノグチの彫刻と組になってジョージ・ナカシマの"樹"を感じさせる木のテーブルが置いてあったりする。
 名から分かるように日系のアメリカ人で、戦前、来日して、レーモンドと前川の事務所で働き、その時は建築家だったが、帰国して、戦時中、アメリカの日系人収容所で家具制作に目覚め、以後、戦後のアメリカを代表する家具デザイナーとして鳴らした。吉村順三は終生の親友だった。
 打ち放しに木枠と障子。そして素木のイス。いかにもナカシマ
 十数年前、ペンシルバニア郊外の森の中に立つアトリエを訪れた。もちろん本人は没した後だが、日系人の夫人と早稲田の建築を出た娘さんが今もアトリエを守っていて、娘さんのパートナーは家具づくりに励んでおられた。
 アトリエはもちろん元建築家ナカシマの設計になり、シェル構造の大空間であったが、細部のプロポーションや納まりに建築としてはなんとなく違和感があり、言ってしまえば巨大な家具のように見えた。
 で、京都はカトリック桂教会である。
 1965年につくられたナカシマの日本での唯一の建築。
 日系人収容所時代に知り合ったアメリカ人神父が、終戦後、GHQとともに来日し、布教して信徒を増やし、桂に新たに教会をつくることになり、ナカシマに設計を依頼したのだと言う。
 住宅地の一画に立つ教会を一目見て、嬉しかったし、懐かしかった。
 嬉しかったのは、ほぼ竣工当時の姿を留めていてくれたこと。この時期の建築は、構造的にも材料的にも問題が隠れている場合が多く、補強などの改修を避けられないのである。
 懐かしかったのは、戦後モダニズムの初々しさが伝わってきたからだ。この点について、以下、述べてみたい。
 まず、打ち放しコンクリートから。打ち放しは今でもよく使われているが、印象はちょっと違う。今はコンパネか鉄板型枠を使うから広い面がペッタリ平らに打ち上がるが、これがつくられた頃は、板の小片を並べた型枠だったから、小片の目地と型枠全体の目地が強調され、小さな凸凹がたくさん壁面に現れ、その結果、今よりずっと陰影が付いた。
 陰影が付くと、打ち放しはどうなるか。岩や土の肌と通底するような粗さと存在感が生まれ、その結果、レーモンドの言い方に習うと、"大地"を感じさせるようになる。近代の工業製品でありながら、大地をしのばせることのできる打ち放しコンクリートの肌。
 HPシェルの天井が高い効果をあげている
 そうした肌を久しぶりに見て、嬉しくかつ懐かしかった。
 次もコンクリートがらみで、シェル構造をとっている。HPシェルである。今ではシェル構造をやる人はほとんどいないが、この教会がつくられた1950~60年代は、日本のシェルの全盛期に当たり、丹下の〈愛媛県民館〉(1953)を皮切りに次々に出現していた。
 近代的構造によって近代ならではのダイナミズム(力動的)表現を生み出そう、というル・コルビュジエに起源を持つ構造表現主義は、当時、世界でも日本でもコンクリートシェルによってしか実現できなかったのである。
 そうして数多くつくられたコンクリートシェルも、今こう数えてみると、カトリック桂教会以外にはごく少なくなってしまった。
 インテリアについて触れておこう。障子の利用、素木の木の枠取り的な使い方に、誰でも日本の伝統を感ずるだろう。1950~60年代は、モダニズムと日本の伝統の共通性に関心が払われていた時期で、レーモンド、丹下、吉村、坂倉などが、この方向に向かっていた。ナカシマもその一翼を担っていたのである。
 日本の戦後モダニズム建築の初心が、ここにはちゃんと生きている。
 残念ながら門扉が錠で閉ざされており、内部を拝見することはできませんでした。再訪を期したいと思います。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-08-18 07:54 | 近畿 | Comments(0)

近江編(20):京都(15.3)

 そして自転車を返却して近江八幡駅へ。明日は桂離宮と修学院離宮を訪れるので、今夜は京都に泊まります。琵琶湖線快速列車に乗って三十分ほどで京都駅に到着。八条口から歩いて十分ほどのところにある京都プラザホテルにチェックインをして部屋に荷物を置き、夕食をとるために駅方面へと行くと、途中に巨大な「イオンモール」がありました。最近よく見かけますがどうも好きになれずに、忌避してしまいます。インターネットで調べると、基本理念は「お客さま第一」、経営理念は「イオンモールは、地域とともに「暮らしの未来」をつくるLife Design Developerです。(※Life Designとは商業施設の枠組みを越えて、一人ひとりのライフステージを見据えたさまざまな機能拡充を行い、ショッピングだけでなく、人との出逢いや文化育成なども含めた"暮らしの未来"をデザインすること)」だそうです。「お客さま第一」か… トランプ大統領も小池百合子都知事もよく使う表現ですが、少々違和感を持っております。アメリカや都民やお客様を第一に考えるということは、他の者は犠牲になってもよいということを含意しているのではないでしょうか。社会や人間ってそんなに単純なものではないと思うのですが。その違和感に言葉を与えてくれたのが、橋本治氏です。『たとえ世界が終わっても』(集英社新書0870)から引用します。
 だから、「この先どうするの?」って話だけど、「大きくならない金儲けの方法」って、実はすごく簡単なんです。「今、本当になにが必要なのか?」っていう実体経済に根差した需要をきちんと見極めて、自分たちの出来る限りのものを作って供給するっていうことだけやってりゃいいわけよ。そういうことやったって「大きく儲かる」ということは起こりませんけどね。でも、そういう「小さな産業」とはいわないけれども、個人商店のようなものがいくつもあれば、自ずとリスクも分散されることになる。それって、ビジネスとして考えても、危機管理の鉄則にかなっているいいやり方なんですよ。シャッター通りもなくなるしね。
 ところが、大国幻想を持っている人たちは、そういうめんどくさいことを考えないわけです。日本は中小や零細企業が多くて、昭和の30年代くらいまでの日本政府は、そういう企業をなくして大きくしなきゃだめなんだと思ってた。そういう流れは潜在的にその後もあるから、「小さな商店はもう成り立たないから、全部でっかく統合して、なんでもかんでもイオンみたいな巨大なショッピングモールにしよう」っていうことになる。でも、そのショッピングモールの業績が傾いたら、「ここの支店は採算割れだから閉店します」になる。そうなると、今度は、その地域の人たちがなんにも買えなくなるわけでしょ? そういう事態は、地域の過疎化によって、もう実際に起こってる。(p.124~5)
 そう、採算割れをしたら閉店するはずです。つまり「お客さま(の持っているお金)第一」ということですね。街のためにイオンモールがあるのではなく、イオンモールのために街がある。イオンモールのために地元資本の小商いが壊滅してもしったこっちゃない。そう、「経済」の申し子です。足早にその付近から立ち去り、京都駅の「京とんちん亭」に入って、ねぎ焼きとしめをいただきました。
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 売店で地酒を購入してホテルへ戻り、明日の旅程に思いを馳せながら就寝。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-07-31 06:22 | 近畿 | Comments(0)