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伊勢・美濃編(18):神島(14.9)

 ここでも恒例の絵馬ウォッチング、選んだのは二枚です。「ドリームジャンボ宝くじ 89組 108,971~108,978番から1等がでますようお願い申し上げます」 うーん、なかなか現世利益的かつザッハリッヒな願いごとですね。「岸和田支店で引き続き業務に励めますようお願いします」 よほど良い上司・同僚・部下がいるのでしょう、羨ましいかぎりです。
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 ここから神島灯台へ向かいますが、人跡もとだえたような寂しい道です。すぐに海に沿った眺めのよい小道に出てすこし歩くと灯台に到着。八代神社から十分ほどかかりました。
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 解説板を転記します。
神島燈台
阿波の鳴門音戸の瀬戸か伊良湖度合が恐ろしい」と歌われた日本の三関門の一つになっている伊良湖水道は、昔から海の難所と言われ明治初年頃は夜間の航行は危険でした。このため航行船舶の安全を図るため、明治42年に灯台の建設が始まり明治43年5月1日に点灯しました。当時の燈台の光源は石油ランプが主力でしたが、新設された神島燈台には自家発電施設が配備され、日本で初めて白熱電灯による電気灯で、七千カンデラの光を発しました。
 観光パンフレット「しおさいの島」から補足しますと、1908(明治41)年に伊良湖水道で軍艦「朝日」が暗礁に接触したことから軍事上の要請および、名古屋・四日市港の貿易振興のために設置されたそうです。ここからの眺めは曇天とはいえ素晴らしい。眼前に連なる山なみが渥美半島なのですね。"海の健康な寝息のように規則正しく、寧らかにきこえる"(p.182)潮騒を楽しみながら、ひと休み。小説『潮騒』にはこうあります。
 眺めのもっとも美しい場所は、島の東山の頂きに近い燈台である。
 燈台の立っている断崖の下には、伊良湖水道の海流の響きが絶えなかった。伊勢海と太平洋をつなぐこの狭窄な海門は、風のある日には、いくつもの渦を巻いた。水道を隔てて、渥美半島の端が迫っており、その石の多い荒涼とした波打際に、伊良湖崎の小さな無人の燈台が立っていた。
 歌島燈台からは東南に太平洋の一部が望まれ、東北の渥美湾をへだてた山のかなたには、西風の強い払暁など、富士を見ることがあった。(p.6)
 なおこの灯台は「恋人の聖地」に認定されており、プレートがありました。なお「ツーショットフォトスタンド」があったのはご愛敬。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-30 08:00 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(17):神島(14.9)

 長い長い石段をのぼりはじめ、振り返ると港や家並み、そして海が一望できました。曇天で視界もよくないのが無念。さらにのぼっていくと、木々が生い茂り眺望をさえぎってしまいます。てっぺんについても、小説に"ここからは、島がその湾口に位いしている伊勢海の周辺が隈なく見える。北には知多半島が迫り、東から北へ渥美半島が延びている。西には宇治山田から津の四日市にいたる海岸線が隠見している"(p.5)とあるような絶景は見られませんでした。そして本殿を参拝。
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 新治がここでこう祈った場面が心に残っています。
 神様、どうか海が平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように! わたくしはまだ少年ですが、いつか一人前の漁師になって、海のこと、魚のこと、舟のこと、天候のこと、何事をも熟知し何事にも熟達した優れた者になれますように! やさしい母とまだ幼い弟の上を護ってくださいますように! 海女の季節には、海中の母の体を、どうかさまざまな危険からお護り下さいますように! …それから筋ちがいのお願いのようですが、いつかわたくしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように! …たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような… (p.26~7)
 願いにもちゃんとプライオリティがあるのですね。まず村のこと、次に家族のこと、そして最後に自分のこと。小説の主人公の祈りなので一般化はできないでしょうが、このメンタリティは古人たちが等しく持っていたものだと思います。コミュニティの存続と繁栄が何よりも優先されたのでしょう。そして物事を熟知しそれに熟達した優れた人間になること。「今だけ・金だけ・自分だけ・地位だけ」というメンタリティとはいかにかけ離れていることか。もし安倍伍長が八代神社に参拝にきたらどんな祈りを捧げるでしょうか。たぶんこんな感じじゃないかな。
 神様、日本がひたすら経済成長できますように! 潤った大企業から政治献金ががばがばわが党に贈られますように! アメリカがもっと愛撫してくれますように! 中国や韓国や北朝鮮になめられませんように! …国民がもっと愚鈍になって政治や歴史に無知・無関心でありますように! 原発事故や辺野古新基地のことを忘れてくれますように! 自民党・公明党・官僚・財界にどんなひどい目にあわされても黙従してくれますように! そしてそのストレスをいろいろな弱者にぶつけてうさをはらしてくれますように! …もっとスマートフォンにかじりついてくれますように!
 なお小説では、最後に新治はこう思います。"こんな身勝手なお祈りをして、神様は俺に罰をお下しになったりしないだろうか" もし仮に安倍伍長が"こんな身勝手なお祈り"をする御仁でしたら、選挙で罰を下さねばなりません。次の参議院議員選挙が楽しみです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-29 14:19 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(16):神島(14.9)

 まずは八代神社へ行きましょう。狭隘な斜面に身を寄せ合うように立ち並ぶ家々、その間をうねるように設けられた石段、どこか懐かしい島の風景です。六角形の共同井戸がありましたが、かつてはここで井戸端会議に花が開いたのでしょうね。
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 その近くには古い時計台がありましたが、パンフレットによると1929(昭和4)年に建てられたもので、当時島内で唯一の時計だったそうです。さらに坂をのぼっていくと、石段のとなりに洗濯場がありました。小説では、島の女たちが平たい石の上に布を伸ばして足で踏みながら談笑する場面がありましたが、たぶんここですね。今では水も少なく、もちろん使われてはいないようです。解説板があったので転記します。
洗濯場(寺田さん宅前)
 神島では生活用水の確保が島民の切実な願いの一つでありました。昭和54年に答志島から神島間の海底送水管敷設工事が完成しました。以前は貴重な水を大切に使うため、洗濯は島の中央部を流れる表流水を利用していました。(中略)
 小説『潮騒』の取材で、神島を訪れた三島由紀夫が一ヶ月程滞在し、当時の組合長だった寺田さん宅が階段の左手に見えます。
 寺田さんのお宅はあの家でしょうか。
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 狭い道をぶらぶらと歩いていくと海が見えてきました。そして八代神社に到着、こちらにも解説板があったので転記します。
八代神社 創立年代は不詳 主祭神 綿津見命(わたつみのみこと)
 明治40年に境内社山神社、神明社ほか十一社を合祀し八代神社となる。国の重要有形文化財になっている「鉄獅噛文金銅像嵌鍬形(てっしもんこんどうぞうがんくわがた)」や「画文帯神獣鏡(がぶんたいしんじゅうきょう)」などが保存されており、数々の祭祀儀礼が行われていたことを物語っております。毎年元旦未明に、奇祭ゲーター祭りが行われることで有名です。
 三島由紀夫は八代神社を「最も美しい場所のひとつ」と語っています。
 小説のなかでは、新治が村の平穏と美しい花嫁を授かるように祈った場所として、また、初江が新治の航海の無事を祈った場所として描かれています。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-28 06:19 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(15):神島(14.9)

 8:20に神島港に到着、船からおりると「三島文学 潮騒の地」という記念碑が出迎えてくれました。小説『潮騒』の冒頭、"歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。/歌島に眺めのもっとも美しい場所が二つある。一つは島の頂きちかく、北西にむかって建てられた八代神社である。"と刻まれていました。
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 小説に関する解説板がいくつかありましたが、その一つを紹介します。
 昭和27年、27歳の三島由紀夫はギリシャを旅し、その青い空と太陽、白い大理石の古代彫刻などともに、その風土や文化に深い感銘を受けたといわれています。そして、ギリシャの小説「ダフニスとクロエ」を日本に移して書くことを思い立ち、父のつてで、当時の農林水産局の紹介により、選んだ舞台がここ神島でした。
 昭和28年、神島を訪れた三島は、漁協組合長の寺田宗一さん宅に宿泊しながら島中を取材して周り、純愛小説『潮騒』を書き上げました。神島の美しい風景がエーゲ海と重なり、名作『潮騒』が生まれたのかもしれません。
 『潮騒』は島の美しい自然や素朴であたたかな暮らしを背景に、海女の「初江」と漁師の「新治」という若い2人を描いた純愛小説です。
 三島は、昭和28年に川端康成へ送った手紙の中で神島について、「人口千二、三百、戸数二百戸。映画館もパチンコ屋も呑屋も、喫茶店も、すべて"よごれた"ものは何もありません。この僕まで忽ち浄化されて、毎朝六時半に起きてゐる始末です。ここには本当の人間の生活がありさうです。」と島の純粋さを書き記しています。
 昭和29年に小説『潮騒』が刊行され、同年に映画化されて以降、これまでの5回の映画化がなされ、いずれも神島でロケが行なわれました。
 八代神社、監的哨、神島灯台など、『潮騒』の舞台は、今も当時のままその姿を残しています。
 はい、読んできました。実は三島由紀夫の小説で読んだことがあるのは『金閣寺』だけですが、技巧的な文章に辟易して楽しめませんでした。それに比べて『潮騒』は、二人の純愛を軸に、みごとな自然と人間の描写、息を呑むようなクライマックスと、一気呵成に読み終えることができました。それではその舞台をこれから訪れることにしましょう。まずは山海荘へ寄って、パンフレットを購入しましょう。港にいた地元の方に場所を訊ねて山海荘へ、「しおさいの島」(200円)と「「潮騒」を探しに神島へ」(100円)というパンフレットを購入しました。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-27 06:35 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(14):神島へ(14.9)

 朝目覚めて窓から空を見上げると、どんよりとした曇り空。テレビで天気予報を見ると、今日は曇り時々雨です。やれやれ。本日は、船で神島と菅島を訪れた後、近鉄に乗って賢島へ、タクシーで英虞湾を一望できる横山展望台・安乗埼灯台・大王埼灯台をまわる予定です。
 7:40に出航する船に乗るために佐田浜港へと歩いていると、ソフトクリームを掲げた海女さんの像がありました。いや、自由の女神を模しているのかな、よくわかりません。その先には「離島加盟旅館 指定駐車場」という看板がありましたが、離島の宿に宿泊すると駐車料金が無料になるということなのでしょう。
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 そして鳥羽マリンターミナルに到着、館内にあった神島と菅島のウォーキング・マップをいただきました。うぉっ、映画『潮騒』に出演した山口百恵の顔はめ看板がありました。ファンだったら卒倒・失神ものですね、しかしそれほど彼女に入れ込んでいない私は冷静に撮影。
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 そして坂手島、答志島、神島、菅島を結ぶ鳥羽市市営の定期船に乗り込みました。定刻の7:40に出航、それほど寒くないのでデッキに出て支援をくゆらしながら、穏やかな海や島影の眺めを楽しみました。答志島の和具港に寄った後、船は一路神島をめざします。
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 なおさきほどいただいたマップによると、港の近くにある山海荘で「しおさいの島」(200円)と「「潮騒」を探しに神島へ」(100円)というパンフレットを購入できるとのことです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-26 08:20 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(13):鳥羽へ(14.9)

 それではタクシーへ戻りましょう。途中で家族連れとすれちがったので挨拶をし、「あと十分ほどですよ」と声をかけると、「80歳をこえたばあさんもいる」とのこと。すぐ後ろから矍鑠としたご老人がすたすたとのぼってきましたが、大丈夫だったでしょうか。タクシーに乗り込み、熊野市駅へと出発。近道を走ってくれたのですが、風伝峠に向かう古道のところで停めてくれました。ここにも見事な石畳が残っているとのこと、待っていてもらってすこし歩いてみました。
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 駅に着いたのが午後三時過ぎ、食事をとっている時間がないので熊野名物の食べ物がないかと訊ねると、さんま寿司を売っているお店を教えてくれました。料金を支払って丁重にお礼を言って下車、「喜楽」というお店でさんま寿司を購入。「Cafe Bougie」で珈琲をいただき、15:42発の紀勢本線・亀山行の普通列車に乗車。さっそく脂ののったさんま寿司をたいらげました。
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 車窓を流れる風景を眺めたり、明日以降の旅程を確認したり、転寝をしたりしていると、18:27に多気駅に到着。18:33発の参宮線・鳥羽行列車に乗り換えて19:36に目的地の鳥羽駅に着きました。さすがは真珠養殖のメッカ、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」になりきったポスターが駅構内にありましたが…コメントは控えましょう。
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 夕食をとりたいのですが、駅構内の店はもう閉店、駅周辺にも食事のできる店はありません。やれやれ、数分歩いて今夜の塒、ロードイン鳥羽に到着。チェックインをし、隣にあったセブン・イレブンでチキンカツカレーを購入して、部屋で寂寥感をつまみにいただきました。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-25 06:35 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(12):丸山千枚田(14.9)

 先日読み終えた『カムイ伝講義』(ちくま文庫)の中で、田中優子氏はこう述べられていますが、同感です。
 しかし今の日本人にとっての三・一一は何であったか。自然の脅威ではなく、人間の脅威だったのである。人間が作ったものが制御不能となって人間に牙を剥く。自分のために作ったものが自分を殺す。自然はその力を見せたとしても一時的である。しかしこの人工物は十万年という単位で人類を苦しめる。しかも、カムイの時代の廃棄物が土の力によって再び生産物をもたらすのと違って、核廃棄物は毒をもち続けて何ら生産に貢献しない。単なる困った廃棄物でしかない。そういうものを、人間が作ったのである。
 被災した人々は自力で復興したいと思っても、立ち入りは禁止され、互いに協力はできず、ただ何かを待つしかないのだが、待っても戻れるとは限らない。作った人間も、使った人間も、恩恵を受けた人間も、ただただ制御不可能なのだ。
 そして今、その経験を経ながら、再びその人工物を動かし、どうにもならない廃棄物をさらにためようとしている。カムイの時代のカムイ的なる人々から見ると、現代に生きる日本人は人間としてどうかしているのではないか、あるいは、滅亡に向かいたいのではないか、自滅願望があるに違いない、と思うだろう。
 身分制度下にあった江戸時代の人々であれば、この選択は天皇や将軍や一部の大名の既得権への欲望から出た選択であり、ほとんどの日本人は望んでいないはずだ、と判断するだろう。しかし違う。今の世にはカムイの知らない、全国民規模の選挙制度というものがあり、多くの国民がその道を自ら選んだのである。ある者は能動的に、ある者は選挙権を行使しないことで。どちらにしても、自ら選んだのである。
 江戸時代の人々なら、「ならばきっと、教育や出版の中で充分に情報が行き渡っていなかったのだろう。知識を得る機会がなかったのだろう」と想像するかも知れない。しかし違う。今の人々はあふれる出版物と、世界中の情報と、各国の選択を、誰でも平等にいつでもどこでも獲得し、知ることができるのだ。その上で、あるいはその機会を行使しないことによって、自ら選んだのである。
 この現実をカムイならどう考えるだろうか。カムイは自らの宿命を変えるべく村を去り、忍びとなり、追われながらも自由に向かって生きていた。そういう時代がいつかは変わる、と考えていたかも知れない。しかしなぜ今の日本人は自らを自由の方向にではなく、自滅の方向に向かわせる選択をしたのか? なぜ戦争と核廃棄物に向かって歩いているのか?
 実は私はわからない。その選択をした人たちの気持ちが、わからない。江戸文化を長いあいだ研究してきたのだが、私は今の日本人がわからない。(p.406~8)
 私もわかりません。鎌田慧氏がおっしゃったように、悪政の被害者でしかないはずなのに、権力側の言葉でしかものを考えない市民が増えてきたようです。あるいはジョージ・オーウェル言うところの「愚鈍への逃避」なのか。わかりません。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-24 06:31 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(11):丸山千枚田(14.9)

 タクシーに戻ると、運転手さんが、千枚田展望所があると教えてくれました。なんでも、吉野方面へ向かう通り峠の途中にあるそうで、健脚なら20分ほどでのぼれるとのこと。ようがす、行きましょう。車に乗ってすこし戻り、「熊野古道 通り峠」という標識のあるところで下ろしてもらい、しばし待ってもらうことにしました。石畳の山道をのぼっていくと、やがて木の根道となります。そして通り峠と展望所の分岐点に到着、ここから木の階段をえっさほいさと170段のぼります。楽ではありませんがそれほどきつくはない道のりで、二十分ほどで展望所に着きました。眼下に広がる千枚田を一望できる、見事なビューポイントでした。
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 ここにあった解説板を転記しておきます。
 一目千枚といわれている丸山千枚田。
 丸山地区の人たちが一粒でも多く収穫したいとの思いで開墾し、今から約400年以上前の慶長6年(1601年)には既にその数は2240枚になっていました。長い年月と多くの人たちの汗の結晶が目の前に広がる大小の千枚田です。
 この丸山千枚田は、昭和40年代半ばまで維持されてし(ママ)ましたが、その後の稲作転換政策や、過疎化・高齢化の進行にともない、耕作放棄面積が増え、平成初期には530枚(4.6ha)まで減少してしまいました。
 荒廃していく丸山千枚田を憂いだ(ママ)丸山区の住民が「先祖から受け継いだ貴重な資源である棚田を復元し、地域の景観・伝統等を将来に向けて伝承していきたい」という熱意から丸山千枚田保存会を結成しました。行政からの支援を受ながら(ママ)保存会が中心となって復田運動が始まり、5年間で810枚の田を復田し、現在の1340枚となりました。
 ベンチがあったので座って一休み、水を飲み紫煙をくゆらしながら解説にあった言葉を反芻しふと考えてしまいました。「先祖から受け継いだ貴重な資源」「将来に向けて伝承していきたい」 これはこの棚田だけでなく、日本の国土すべてにあてはまる言葉でしょう。過去の人びとから受け継いだ自然環境を、できうればより良い状態にし、最低でも現状のまま、未来の人びとに受け渡す。それが品格・品性というものではないでしょうか。しかし日本の現状を見るにつけても、その品性の下劣さには目を覆いたくなります。核廃棄物を将来の世代に押しつけながら核発電所を乱立し、事故を起こしてもきちんと原因を解明せず誰も責任をとらず、福島を中心に多くの地域が放射能で汚染されているのに住民に対するまともな対応策をとらず、事故をできるだけ過小評価し再稼動に突っ走る。沖縄では、美しい自然を破壊して必要のない辺野古新基地建設を強行しようとしています。自民党・公明党・官僚・財界・学界・メディアの皆々様の頭の中には、「今だけ・金だけ・自分だけ・地位だけ」という言葉が永久運動のようにぐるぐると回っているのでしょう。まるで未来の人びとと、勝率100%の戦争をしているかのようです。"わが亡きあとに洪水はきたれ"ということですかね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-23 06:37 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(10):丸山千枚田(14.9)

 そして観光案内処に戻って自転車を返却したのが午前十二時半。今夜は鳥羽に泊まるので、熊野市駅15:42発の列車に乗らねばなりませんが、これから丸山千枚田を見にいく時間的余裕は充分あります。できればバスで行きたかったのですが、事前に調べたところでは本数も少ないので、泣いて馬謖を切る、タクシーを利用することにしました。観光案内処の方にお願いしてタクシーを呼んでもらい、一時間4000円の貸切ということで交渉が成立。Here we go !
 40分ほど走ると、丸山千枚田を一望できる場所で、運転手さんが車を停めてくれました。凄い…息を呑むような景観です。広大な山の斜面に幾重にも刻まれた大小の田、田、田。どれほどの艱難辛苦を乗り越えてきたのか、想像しただけで頭が垂れてしまいます。
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 近くまで行き、しばし散策。耕作放棄地が目立つのはいたしかたないですね。ユニークな案山子も散見されました。ところどころに名前が記された木の札がたてられていましたが、オーナー制度が行なわれているのですね。後日に調べたところ、会費は年間30,000円で、(財)紀和町ふるさと公社 0597(97)-0640に連絡すればよいとのことでした。棚田の中央に鎮座する巨岩も印象的です。彼岸花を撮影しながらぶらついていると、「千枚田で一番小さな田」がありました。千枚田を数えたら999枚しかなく、残りの一枚は笠の下に隠れていたという伝承がよくありますが、納得できます。ここまで丹精を込めて土と向かい合ってきたのですね。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-15 06:38 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(9):花の窟神社(14.9)

 獅子岩から自転車で十分ほど走ると、産田神社があります。お目当ては神籬(ひもろぎ)跡、神を招くための石で囲んだ祀り場です。全国で二か所しかない珍しい遺跡とのこと。本殿の脇に、十数個の石を長方形に組んだ神籬跡がありました。古代では、神社に建物はなく、こうした依代に神を迎えていたのですね。珍しいものを見せてもろた。
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 そして花の窟神社へと向かいます。途中でユニークな形の透かしブロックを二つ見つけました。後者は透かしというよりは穴ですが。
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 「原発反対」の看板を掲げたお宅もありました。自転車で走ること十分ほどで神社に着きましたが、お腹もへってきたので、お綱茶屋で熊野地鶏親子丼をいただきました。
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 そして花の窟(いわや)神社へ、高さ約45mの巨巌を御神体としている神社です。観光バスから次々と押し寄せる人波とともに境内へ入りました。なるほど、これは凄い。ちっぽけな人間どもを睥睨するように屹立する巨岩、その足下にいるだけで身のすくむ思いです。自然の力に畏敬を感じる心性を失わないようにしたいものです。いやあ、ええもん見せてもろた。なお、毎年2月2日と10月2日には、110尋(約180m)の大綱に季節の花や扇を括りつけて巌と松を結ぶ「お綱かけ神事」が行われるそうです。
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 そして恒例の絵馬ウォッチング、今回の逸品は「○○が3番もらえますように。やる気100%がんばれ!」でした。社務所の前では、ご朱印をもらうための人だかりができていましたが、最近よく見かける光景ですね。面倒くさいので人事を尽くさずに、天命を手に入れようとする方が増えているのでしょうか。ちょっと気になります。
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 現在の時刻は午前11時、これなら自転車で木本隧道と鬼ヶ城を訪れて観光案内処に戻り、タクシーで丸山千枚田を見に行く余裕は十二分にあります。御慶。電動アシストのおかげで、十五分ほどでまず木本隧道に到着です。坑門はイギリス積み煉瓦でできており、壁柱と帯石・笠石・迫石・扁額を備えた重厚なものです。竣工は1925(大正14)年、完成当時は栗子トンネル(福島県/山形県)に次ぐ長さ(509m)だったそうです。自転車で走るとその長さを実感できました。
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 トンネルを抜けて十分ほど走ると鬼ヶ城に着きました。まずは眺望が良さそうなので室町時代に有馬忠親が築いた山城跡へとのぼりましたが、期待はずれでした。たくさんの桜が植えられていたので、春には見事な景観になるでしょう。そして地盤の隆起と風蝕・海蝕によって造り出された奇観、鬼ヶ城を見物。平安時代初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂がここを根城にして鬼と恐れられた海賊「多娥丸(たがまる)」を征討したという伝説が残っています。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-14 06:47 | 近畿 | Comments(0)