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若草山山焼き編(17):新薬師寺(15.1)

 そして十数分ほどペダルをこいで新薬師寺へ向かいました。747(天平19)年、聖武天皇の病気平癒を祈って光明皇后が創建した古刹です。お目当ては、凛とした小振りな本堂(国宝)の中に鎮座する塑像群、本尊の薬師如来を守護する十二神将です。残念ながら写真撮影はできないのですが、その厳しい表情と躍動的な姿態を拝んでいると身心がひきしまる思いです。
 なおこちらにも会津八一の歌碑がありました。
ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の みそなはす とも あらぬ さびしさ
 『自註鹿鳴集』(岩波文庫)には、こう記されています。
 あふぎみれども 高さ二尺四寸の立像にで、決して高しとはいふべからざるも、薬師堂の正面の壇上に、やや高く台座を据ゑたれば、「仰ぎ見る」とは詠めるなり。この歌の作者自筆の碑は、今は空しくその堂の前に立てり。嶋中雄作君の建つるところ。(p.27~8)
 お寺さんでもらったパンフレットによると、これは香薬師、子供の姿をした薬師如来の小像で、昭和時代に寺外へ持ち出されて今も行方不明だそうです。嶋中雄作は中央公論社の社長ですね。
 なお新薬師寺のとなりには「扉があいているときはどうぞご自由にお入り下さい」「熟柿庵」という札がかかった、寺でもなし神社でもなし菜園でもなし、草木やアカンサスが雑然と生い茂る摩訶不思議な空間がありました。今もってよくわからないのですが、木片に金釘流で無造作に書かれていた「緑蔭のブランコに歳なくしけり」という句が妙に心に残っています。
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 そして近くにある、唐招提寺のような大屋根と甍が印象的な「入江泰吉記念 奈良市写真美術館」に参りました。公式サイトから、奈良大和路の写真家として著名な入江泰吉(1905~1992)についての紹介文を引用します。
 1905(明治38)年、奈良市に生まれる。画家を志すが家族の反対で断念するも、長兄からアメリカ・イーストマン社のベストコダック・カメラを譲り受け、写真に打ち込む。1931(昭和6)年、大阪で写真店「光芸社」を開業。文楽人形を撮影した「春の文楽」で世界移動写真展一等賞を受賞、文楽の写真家として活躍する。1945(昭和20)年3月、大阪大空襲に遭い自宅兼店舗が全焼、ふるさと奈良へ引き揚げる。同年11月17日、疎開先から戻される東大寺法華堂四天王像を目撃、そのときアメリカに接収されるとの噂を聞き、写真に記録することを決意。以後、奈良大和路の風景、仏像、行事等の撮影に専念。晩年は「万葉の花」を手掛けるなど約半世紀にわたって撮り続けた。1992(平成4)年1月16日死去。享年86歳。
 しばし彼が撮影した、奈良大和路の仏像や風景をテーマとした珠玉の写真を鑑賞。至福のひと時を過ごせました。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-06-03 06:30 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(16):旧大乗院庭園(15.1)

 パチ。目が覚めてカーテンを開けると、今日もお天気は良さそうです。洗顔をしようと洗面所に入ると…小山のようにあったアメニティ・グッズが消滅しています。寝惚け顔で入ってきた山ノ神曰く、「夜中にコロボックルが持っていったわ」。そうきたか。ホテルにはちょっとしたお庭があるので、朝の散歩をしました。「乃木将軍お手植えの松」があり、「明治四十四年十月 師団対抗演習の統裁官として御来館記念」と記されていたので、おそらく日露戦争に備えての演習だったのでしょう。小さな石段をおりると荒池のほとりをめぐる遊歩道があったので、しばし散策。
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 そしてメインダイニングルーム「三笠」へ行き、茶粥定食をいただきました。朝の目覚めに優しい茶粥は、奈良の地元の人たちも普段からよく食べるそうです。粥をすすりながら、山ノ神に本日の行程をレクチャーしました。ホテルで自転車を借りて、旧大乗院庭園と新薬師寺あたりを徘徊、県庁の屋上にのべって古都奈良を睥睨し、列車で大和郡山に移動して杉山小児科医院診療棟と赤線跡を見物して京都へ戻り、新幹線で帰郷、というわけのわからない予定です。
 そして部屋に戻って出立の準備、「ずっとここに住みたい」と宣う山ノ神を、「住めば」と冷たく突き放す非情な私。階下におりてお土産を物色していると、さすがは"倒るる所に土をつかむ"山ノ神、柿の葉寿司を無料でもらえるクーポンを目敏く見つけて手に入れました。そしてチェックアウトをして、ホテルの自転車を借りることにしました。電動アシスト付自転車は1,296円/1日、ノーマル変速付自転車は864円/1日。逡巡しましたが、高円山のふもとにある白毫寺に行って奈良市街の眺望を楽しもうと思いますので、坂道があるであろうと予測して前者を借りることにしましたが、結果として大正解でした。荷物をフロントに預けていざ出発。まずはホテルのすぐ隣にある旧大乗院庭園を訪れました。ホテルの公式サイトから転記します。
 奈良ホテルの南側に隣接する「名勝 旧大乗院庭園」が2010年4月3日より、一般公開を開始いたしました。
 大乗院とは、1087年(寛治元年)に創建され、平安時代から江戸時代に栄えた門跡寺院のひとつ。(藤原氏の子弟が入室し、興福寺の別当職を輩出していた) 治承4年(1180年)の南都焼き討ちによる焼失後に現在地に移り、廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となるまで存続していました。現在、その敷地内の一部が奈良ホテルとなっています。
 同庭園は室町時代の徳政一揆で荒廃しましたが、その後門跡尋尊大僧正の依頼により、室町時代に活躍した作庭の名手善阿弥によって改造されます。将軍足利義政を始め公家たちがしばしば拝観に訪れ、以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられていました。
 一時は奈良ホテルのテニスコートやパターゴルフ場が設置されたこともありましたが、戦後その一部が整備され、1958年(昭和33年)国の名勝に指定されるに至りました。
 1995年からは奈良文化財研究所による発掘調査と並行して、江戸時代末期の門跡・隆温が描いた「大乗院四季真景図」をもとに復元工事が進められ、この度平城遷都1300年祭に伴い、一般公開を開始いたしました。
 古い建造物などはないのですが、芝生・池・木々・赤い橋がきれいな広々とした庭園です。鏡のような湖面が風景を映してきれいでした。鴨たちも日向ぼっこを楽しんでいました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-06-02 06:30 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(15):奈良町(15.1)

 それでは夕食をとってホテルへと帰りましょう。春日大社には鹿に関する注意を記したピクトグラムがありました。「たたく・突進・かむ・突く」に注意か、はい我々は全部経験しております。春日大社萬葉植物園では「イルミ奈~ら」というイルミネーションの催しが行われていましたが、入場料は1000円。やめやめ、人工照明を見るのに大枚千円を払うなんて貧乏性のわれわれ二人にはできかねます。
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 その先では「春日大社 大とんど祭場」という垂れ幕がかかり、大きな櫓が組まれて火が燃え盛っていました。
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 春日大社の公式サイトにはこうあります。
 小正月の伝統行事である「大とんど」を境内の飛火野で開催。飛火野に火炉(5m×5m、高さ3m)を設置し、正月に神社に持ち込まれた古いお札やお守り、注連縄飾りなどを焚き上げます。当日の会場への直接の持ち込みも可能。事前に市観光協会にて募集したボランティアにより、ダイオキシンが発生しないようお守りなどからビニールを除去する分別作業を行い、環境にも配慮した大とんどにしています。
 そしてライトアップされた旧奈良県物産陳列所の前を通り過ぎます。『奈良県の歴史散歩 上』(奈良県歴史学会 山川出版社)から引用します。
 奈良国立博物館の東側、春日大社表参道バス停の西側に京都の平等院の鳳凰堂を模してつくられたという玄関ロビーをもつユニークな建物が見える。現在は公開されていないが、「県内物産ノ改良振興ニ資スル」ため、2万5700円余の工費を投じて1900(明治33)年に起工し、2年後に完成した奈良県物産陳列所(国重文)の建物である。県内のさまざまな物産を陳列したり、その一部は即売されたという。当初は1人1銭の縦覧料が徴収された。
 設計はその頃奈良県技師として古社寺保存法にもとづく古建築修理の監督にあたり、その後日本建築様式史の確立に力を注いだ関野貞(ただす)である。日清戦争から日露戦争にかけて、勧業政策の充実が叫ばれた時代を象徴する建物の一つである。幾何学的な文様を施した窓に白壁が映え、公園の緑と調和して非常に美しい。(p.27)
 さきほどの雑踏が夢のように静謐な奈良町をそぞろ歩いていると、和風建築の「春」というステーキ屋を見つけました。よろしい、ここで夕食をいただきましょう。洒落た中庭を見ながら、大和のサーロイン・ステーキに舌鼓を打ちました。
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 なお給仕をしてくれた若い女性と話が弾んだのですが、彼女は宮崎県出身で、世界史教師をめざしてバイトをしながら勉強中とのことです。フランスに二カ月留学して、日本の歴史や文化をあまりにも知らないのに気付き、ここ奈良に移り住んだとのことです。その意気やよし。ホセ・オルテガ・イ・ガセット曰く、"過去は、われわれがなにをしなければならないかは教えないが、われわれがなにを避けねばならないかは教えてくれるのである"。お互い、何を避けるべきかを歴史から学んでいきましょう。

 食後のお散歩で、猿沢の池と興福寺を散策。夜景をカメラにおさめてホテルに帰着しました。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-27 06:30 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(14):山焼き(15.1)

 パチ。目が覚めると午後五時、山ノ神をゆすり起こしてそろそろ山焼き見物に出かけることにしましょう。もしや眺望が良いかと期待し、ホテルの屋上にのぼりましたが、それほどではなかったので初志貫徹、奈良公園に行きましょう。ホテルの近くにある荒池からも、薄暮のなか屹立する興福寺五重塔がよく見えました。道路には、「鹿に注意」ということでしょう、大きな鹿のピクトグラムが描かれていました。
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 公園が近づくにつれ、徐々に人の流れが太くなっていきます。やはりたいへんな混雑ですね。そして観光案内所で教えてもらった「奈良春日野国際フォーラム甍」のあたりに到着。なるほどある程度の距離をへだてて三笠山の全貌が見え、かつ立錐の余地もあります。
 午後6時15分、まずは大輪の花火が夜空を焦がします。scene1祈り 迫力のオープニング!、scene2凛 鹿花火も登場?! scene3伝統 奈良県で唯一の尺玉連打!scene4魂 感動のフィナーレ!というプログラムですが、鹿の顔をかたどった花火がまじるのはご愛敬です。そして午後6時30分、いよいよ点火。東大寺と興福寺の寺領あらそいに端を発したという説、春の芽生えを促すために枯れ草を焼いたという説など、その由来は諸説ありますが、まあどれでもよろしい。迫力ある火焔の乱舞を堪能させていただきましょう。山裾に火がつけられるとあっという間に燃え広がり、山全体を紅蓮の炎が包んでいきます。ファイヤー! わずか十五分ほどでしたが、迸る命のような劫火を満喫することができました。うん、また見に来たいものです。帰宅後にたまたま読んだ『かくれ里』(白洲正子 講談社学芸文庫)に次のような一文がありました。
 文智女王のお名を知ったのは、そういう偶然の機会であったが、ほんとうに興味をもったのは山村御殿を尋ねてからである。それは若草山の「山焼き」の日であった。橿原の方に用事があって行っていたが、奈良の人たちが、「山焼き」は、どこから見るのが一番いいかという話になり、円照寺のあたりが、人も込まないし、全体が見られるということで、帰りがけによってみることにしたのである。(p.201)
 円照寺か…今、調べてみたらすこし遠いのですが、穴場のようですね。選択肢の一つとして脳裡に刻んでおきましょう。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-26 06:27 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(13):奈良ホテル(15.1)

 なお「埃まみれの書棚から」というサイトに"随筆・小説のなかの「奈良ホテル」"という一文がありましたの、ぜひ紹介します。
和辻哲郎 『古寺巡礼』

 奈良についた時はもう薄暗かった。この室に落ち着いて、浅茅ヶ原の向ふに見える若草山一帯の新緑(と云ってももう遅いが)を窓から眺めていると、いかにも京都とは違った気分が迫ってくる。奈良の方がパアッとして、大っぴらである。…食堂では、南の端のストオヴの前に、一人の美人がつれなしで坐っていた。黒味がかった髪がゆったりと巻き上がりながら、白い額を左右から眉の上まで隠していた。眼はスペイン人らしく大きく、頬は赤かった。…奈良の古寺巡礼に来てかういふ国際的な風景を面白がるのは、少しおかしく感じられるかも知らぬが、自分の気持ちには少しも矛盾はなかった。われわれが巡礼しようとするのは『美術』に対してであって、衆生救済の御仏に対してではないのである。

 食後T君と共にヴェランダへ出て、外を眺めた。池の向ふの旅館の二階では、乱酔した大勢の男が芸妓を交へてさわいでいる。興福寺の塔の黒い影と絃歌にゆらめく燈の影とが、同じ池の面に映って若葉の間から見えるのも、面白くはなかった。われわれはそれを見下すような気持になって、静かに雑談に耽った。(5月18日夜)

林芙美子

 また、奈良ホテルにも泊まったことがあります。終日池に面した部屋から、笹薮のゆさゆさするのを眺めていた事があります。奈良ホテルに泊まるような、心おごった豊かな気持ちも捨てがたく有難いのに私はホテルを出ると、友人と二人で町のうどん屋に這入って狐うどんをたべたりもしました。(『私の好きな奈良』)

 ホテルへ泊って窓を開けると、三笠山の麓にはもう灯がつきそめて、昔ながらのたそがれだ。…ホテルはひっそりしているので、まるでフォンテンブロウのサボイに泊ってゐるやうな静けさであった。夜更けてスチームのなる音は巴里の色々な宿屋を憶ひおこす。(『早春』)

山口誓子 『炎昼』

 花楓(はなかえで)新婚のふたり椅子に揺れ
 花馬酔木(はなあしび)雨はうつぼ柱に鳴れる
 けふも奈良ホテル春雨に樋(とひ)鳴れり

志賀直哉 『寂しき生涯』

 此春、奈良ホテルで、久しぶりに大宮君の絵を見た。『高円山』といふ題の百号程の絵だった。例の如く、実際の高円山とは似もつかぬ山に変わっていたが、大宮君として、悪くない方の絵だった。大宮君が画室で此絵を描いてゐるのを見に行った事を憶ひ出した。然し、此絵はホテルの余り客の行かない廊下の端にかけてあるばかりでなく、私が見た時には真前に大きな棕櫚竹の鉢が台にのせて、画面とすれすれに置いてあった。

堀辰雄 『大和路・信濃路』

【一九四一年十月十日、奈良ホテルにて】
 くれがた奈良に著いた。僕のためにとっておいてくれたのは、かなり奥まった部屋で、なかなか落ちつけそうな部屋で好い。すこうし仕事をするのには僕には大きすぎるかなと、もうここで仕事に没頭している最中のような気もちになって部屋の中を歩きまわってみたが、なかなか歩きでがある。これもこれでよかろうという事にして、こんどは窓に近づき、それをあけてみようとして窓掛けに手をかけたが、つい面倒になって、まあそれくらいはあすの朝の楽しみにしておいてやれとおもって止めた。その代り、食堂にはじめて出るまえに、奮発して髭ひげを剃そることにした。

【十月十一日朝、ヴェランダにて】
 けさは八時までゆっくりと寝た。あけがた静かで、寝心地はまことにいい。やっと窓をあけてみると、僕の部屋がすぐ荒池あらいけに面していることだけは分かったが、向う側はまだぼおっと濃い靄もやにつつまれているっきりで、もうちょっと僕にはお預けという形。なかなかもったいぶっていやあがる。さあ、この部屋で僕にどんな仕事が出来るか、なんだかこう仕事を目の前にしながら嘘みたいに愉しい。きょうはまあ軽い小手しらべに、ホテルから近い新薬師寺ぐらいのところでも歩いて来よう。

谷崎潤一郎 『細雪』

 6月上旬の土曜日曜に、貞之介は留守を雪子に頼み、悦子をも彼女に預けて、幸子と二人だけで奈良の新緑を見に出かけた。…土曜の晩は奈良ホテルに泊まり、翌日春日神社から三月堂,大仏殿を経て西の京へ廻ったが、幸子は午頃から耳の附け根の裏側のところが紅く脹れて痒みを覚え、鬢の毛が触るとその痒さがひとしほであるのに悩んだ。…『ほんとに、さうやわ。あのホテル、ちょっとも親切なこともないし、サアヴィスなんかも成ってない思うたら、南京虫がいるなんて、何と云うひどいホテルやろ』 幸子は、折角の二日の行楽が南京虫のために滅茶々々にされたことを思ふと、いつ迄も奈良ホテルが恨めしく、腹が立って仕方なかった。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-25 06:28 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(12):奈良ホテル(15.1)

 さあそれではホテル内を探検することにしましょう。消火器ボックスにかけてあるガラス破砕用の鶴嘴や、赤い消火用バケツに、奈良ホテルの魂を感じます。
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 一階におりると、廊下には皇族を筆頭に、エドワード英国皇太子、アルベルト・アインシュタイン、ヘレンケラー、オードリー・ヘップバーンなど宿泊した著名人の写真が並べてありました。公式サイトによると、昭和期には軍事色を帯び、満州国皇帝、ドイツナチス党幹部、イタリアファシスト党幹部の来館が相次ぐようになったそうですが、その写真はありませんでした。きちんと歴史に向き合えばいいのに。ロビー「桜の間」にあったピアノには、「アインシュタイン博士とピアノ」という解説がありました。
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 後学のために転記します。
 1922年12月17日より2泊されたアインシュタイン博士が弾いたこのピアノは、長らく所在不明でした。1992年旧国鉄大阪鉄道管理局舎の解体時に発見され、交通科学博物館に保管されていたものがこのピアノだと確認されたのは、2008年には博士がピアノを弾く写真の原版を入手したことなどによるものです。ピアノは戦後GHQによる接収前にホテルより運び出されたと推測され、創業100周年の2009年、約60年ぶりに里帰りを果たしました。脚部に鉄道省・国鉄の「動輪」が施された優雅なデザインのピアノです。(米国ハリントン社製)
 ラウレルの胸像もありましたが、彼も宿泊したのですね。ちなみに、太平洋戦争下、フィリピン共和国の大統領であった、ホセ・ラウレル大統領のことです。ラウレルは、日本の敗戦が濃厚になった1945(昭和20)年3月に日本へ脱出し、奈良ホテルで亡命生活を送りました。ラウレルは、その年9月には連合軍に戦犯容疑で連行されるまで、ラウレル一行は奈良ホテルに滞在します。1969(昭和44)年、ラウレル元大統領の一家が奈良ホテルに訪れ、亡命生活時に対する感謝の気持ちを込めて胸像を造りホテルに設置したそうです。
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 さて紫煙を燻らしたくなったので、喫煙できる場所をフロントで訊ねると…やはり外にある屋根と囲いのあるベンチでした。しかし、電気ストーブが設置されていたところに奈良ホテルの魂を感じます。
 それで部屋に戻りましょう。陽光がさしこみ、スチームの柔らかな暖気とあいまって、部屋はぬくもりに満ちていました。スチームの鳴らす微かな音も旅愁をそそりますね。
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 そしてふかふかのベッド、時刻は午後三時。はい、昼寝ということで合意が成立。これほど快適な午睡はなかなか経験できません、か、い、か、ん… zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
 というわけで、素晴らしいホテルでした。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-24 06:30 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(11):奈良ホテル(15.1)

 そして興福寺の放生池として作られた人工池、猿沢池に着きました。湖面に映った青空と木々と興福寺五重塔がきれいでした。なお猿沢池には「澄まず、濁らず、出ず、入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分」という七不思議があるとのことです。鶴福院町からも、五重塔がよく見えました。そして不審ヶ辻子町(ふしんがずしちょう)へ、こういう古色ゆかしき町名を残しているのには見識を感じます。
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 なおこの不思議な町名の由来を説く木板が掲げられていたので、転記します。
 その昔、夜になると元興寺の鐘楼に鬼が現れ、人に危害を加えるので、道場というお坊さんがこれを退治しようと争い、逃げる鬼の後を追ったが、このあたりで見失ってしまったところから、不審ヶ辻子と呼ぶようになった。
 ここからすこし歩くと、今夜の塒、奈良ホテルに到着です。『奈良県の歴史散歩 上』(奈良県歴史学会 山川出版社)から引用します。
 奈良ホテル本館は、鹿鳴館などの設計で有名なイギリスの建築家コンドルの弟子で、日本銀行本店や東京駅を設計した辰野金吾が設計にあたり、35万円の巨費を投じて和洋折衷の2階建が完成、1909(明治42)年に開業した。開業前に関西鉄道が敷地を購入し、鉄道国有化によってそのまま国に買収されたため、奈良ホテル敷地は国有地となり、ホテルの経営も1913(大正2)年から鉄道院の直営となった。現在は民間経営である。(p.65)
 同ホテルの公式サイトからすこし補足すると、1905年、日露戦争に勝った日本には来遊する外国人が急増。そのため政府は全国の主なホテル・旅館経営者を集め、必要な保護特典を与える旨の発表をしました。これを受けて、関東では大倉喜八郎(帝国ホテル創業者)、関西では西村仁兵衛(都ホテル創業者)が活動を起こしました。そして1906年、西村は眺望に恵まれた高畑町飛鳥山を坪1円で買収し、翌年に都ホテルなど4ホテルを統合した大日本ホテル株式会社を設立したのがその嚆矢だそうです。
 以前にTV TOKYOの『美の巨人たち』でも取り上げられた名門クラシックホテル、楽しみです。
 外観は重厚な桃山御殿風の木造建築、中に一歩入ると豪壮な檜造りの空間が広がります。フロント前のマントルピースには鳥居がしつらえてありましたが、外国人向けの意匠なのでしょうか。フロントでチェックインをして、二階の客室へ。漆喰仕上げの真壁造風の壁、大階段に取り付けられた擬宝珠、太い一本の檜を削り出した手すりが見事です。部屋はそれほど広くはありませんが、天井が高くひろびろと感じられる空間です。使用されてはいませんが、マントルピースもありました。
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 窓のところには「窓の開放に関するお願い」という札がありました。
 奈良ホテルはご覧の通り、豊かな緑に囲まれた場所に立地しております。窓を開放されますと、奈良公園の元気な生き物たちが入室する場合がございます。窓は長時間開放されないようご協力お願いいたします。
 元気な生き物たちに入室してもらいたいものだと窓を開けようとすると、山ノ神に「やめて」と窘められましたが。まずは洗面所をチェックする山ノ神、山と積まれた豪華なアメニティ・グッズに狂喜乱舞。♪空に灯がつく通天閣におれの闘志がまた燃える♪と口ずさみ、「根こそぎ持っていくわ」とほくそ笑むその姿には畏怖感すら覚えます。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-23 06:33 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(10):奈良(15.1)

 この東向通りには、日本聖公会奈良基督教会と親愛幼稚園があります。「文化遺産オンライン」から引用しましょう。
 日本聖公会奈良基督教会は、奈良市中心部、興福寺境内の西隣に位置している。奈良県内で古社寺修理の経験を持つ大木吉太郎の設計施工により、親愛幼稚園舎は昭和4年、会堂は同5年にそれぞれ竣工した。会堂は本格的な三廊式教会堂であるが、勾配の緩い伸びやかな屋根、小組格天井、菱格子欄間など和風要素で構成されている。親愛幼稚園舎もほぼ同様の意匠からなり、間仕切を外せば会館としても使用することができる。日本聖公会奈良基督教会は、奈良公園に隣接する立地条件から、純粋な和風意匠でつくられた教会堂建築である。古建築から着想を得た諸要素を巧妙にまとめ、各部のバランス、細部意匠とも秀逸で意匠的に優れている。古社寺修理から学んだ伝統的な要素を駆使し、教会堂として完成させた昭和初期の近代和風建築として、高い価値がある。
 なお『建築探偵 神出鬼没』(藤森照信 朝日新聞社)に教示していただいたのですが、1894(明治27)年、奈良国立博物館が建てられた際、そのフランス風の洋館が奈良にそぐわないと地元民や県議会の批判をあびました。以後、奈良公園一帯の建物は和風建築しか認められなくなったそうです。なるほど、奈良ホテルの和風意匠もそのためなのですね。(p.133)
 四本のイオニア式列柱が見事な南都銀行本店を撮影しましたが、奈良では珍しい様式建築です。もとは六十八銀行奈良支店で竣工は1926(大正15)年、設計は長野宇平治です。辰野金吾の弟子で、銀行建築を数多く手がけた建築家です。私が見たことがあるのは、台北の旧総督府と、旧日本銀行岡山支店(現ルネスホール)、旧日本銀行松江支店(現カラコロ工房)ぐらいかな。
 そしてお昼ご飯を食べる店を付近で物色。帯に短し襷に長し、迷った挙句に「二鶴」で鰻を食べることにしました。タレと白焼きの二色丼にうまき、美味しうございました。
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 落ち着いた雰囲気の本林院町を通り過ぎると、庇の上で極太の尻尾をたらしたが気持ち良さそうに午睡をしていました。猿沢池にそそぎこむ率川(いさがわ)を橋からふと見下ろすと、舟型の台座に何体かの石仏が集められた一角がありました。とりあえず写真におさめ、今インターネットで調べてみると、これは『率川地蔵尊』(または「尾花谷地蔵尊」「舟地蔵」とも)と呼ばれるもので、幕末のころ、この辺りの河川工事をした際に埋もれていた約40体の石仏が見つかり、ここに集められて祀られるようになったのだそうです。へえー、だから街歩きは面白い。なおこの時に渡った石橋の橋脚には「明和七庚寅年五月吉日」と刻まれており、1770年に架けられた古い石橋だそうです。これには気づきませんでした、不覚。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-20 06:28 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(9):奈良公園(15.1)

 そして名建築との世評高い奈良県庁の脇を通りすぎました。竣工は1965年、設計は片山光生、モダニズム建築の傑作とのこと。既述のように、こちらの屋上が山焼きを眺めるベスト・スポットなのですが予約をしないと上ることはできません。無念。奈良公園では鹿と鹿せんべい屋さんを撮影しました。
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 そうそう、さきほど観光案内所でもらったパンフレットによると、山焼きイベントの一つとして「鹿せんべい飛ばし大会」が挙行され、30mラインをクリアすると抽選会に参加して景品をもらえるそうです。ちなみに翌日の読売新聞県内版によると、鹿が下でちゃんと待っていてすぐに食べてしまうそうな。ま、そりゃそうだ。

 なおこの大会の公式サイトがあったので、オフィシャルソングの「鹿せんべいツイスト」を紹介します。これは笑えますよ。
奈良の名物 数ある中に 日本人なら誰もが知ってる
世界の鹿の 憧れの的 一度は食べたいって それは鹿せんべい
人間だって 一度食べたら 忘れられない 不思議なその味
悲しい時も つらい時でも 食べたら踊りだす 鹿せんべいツイスト
☆Yah!ツイスト! さあみんなで 陽気に踊ろうよ リズムに乗って
これがうわさの 鹿せんべいツイスト!
あのイギリスの女王様も 奈良の土産に買って帰った
ロイヤル・ファミリー3時のお茶には 今では欠かせない それは鹿せんべい
バッキンガム宮殿 緑の芝生で みんなでそろって 鹿せんべい投げ
すました顔した衛兵達も 投げたら踊りだす 鹿せんべいツイスト
☆ 繰り返し
若草山から 猿沢の池まで 大仏殿から 五重塔まで
踊って歩こうよ せんべい食べながら
奈良公園で踊るツイスト とても難しいよ 緊張しちゃうよ
ステップ踏むたび どきどきするのさ だってそこら中 鹿の糞だらけさ
Yah!フン!フン!フンを踏んだらダメ!
糞を踏んだら踏んだらダメ! 鹿せんべいツイスト!
糞を踏んだら踏んだらダメ! 鹿せんべいツイスト!
糞を踏んだら踏んだらダメ! 鹿せんべいツイスト!
ア?ッ!踏んでしもた?!
 噴水の中心に小さな行基像がある近鉄奈良駅の前を通り過ぎて東向通りへ。「ダイソー」では、鹿の角カチューシャを売っていました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-19 06:29 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(8):奈良少年刑務所(15.1)

 閑話休題。それでは奈良少年刑務所へと参りましょう。お好み焼・焼きそばの「三角屋」では、骨董を買い受けるそうです。さすがは奈良、マンホールの蓋には鹿が描かれていました。
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 そして奈良少年刑務所の正門に到着。噂には聞いていましたが、魂消た物件です。円筒を両側に侍られせた、まるでお伽噺に出てくる古城のような煉瓦造りの建築です。いやはや、「どこが刑務所じゃ、責任者を呼んでこい」と一喝したくなるような愛らしさ。いったい、誰が、どうしてこのような刑務所をつくったのでしょうか?
 はい、実はわかっています。『建築探偵 東奔西走』(朝日新聞社)から、藤森照信氏の論考を私の文責でまとめてみます。竣工は1908(明治41)年、設計は山下啓次郎。驚き桃の木山椒の木ブリキに狸に蓄音機、ジャズ・ピアニスト山下洋輔氏の祖父にあたる方なのですね、これが。それではなぜこれほどモダンな刑務所を、政府はつくったのか。不平等条約の改正を宿願とする明治政府は、欧米諸国が改正に応じない理由の一つとして、監獄の不備があることを知りました。そこで、全国から五つの刑務所を選んで重点的に整備することにしましたが、その全てを担当したのが山下啓次郎です。警視庁に勤める父・房親が、大学で建築を学んだ息子にその仕事を任せたようです。ちなみにその筋では、奈良・千葉・長崎・鹿児島(現存せず)・金沢(現存せず)を五大監獄と言うそうです。入所は遠慮しますが、千葉と長崎刑務所の外観だけでも見てみたいものです。なお散歩の変人による刑務所探訪として、ダブリンのキルメイナム刑務所と、網走監獄の掌編がありますので、よろしければご一読を。

 追記です。2017年3月31日、老朽化のため、ここは刑務所としての運用を停止し閉鎖されました。今後はホテルや博物館など観光資源として活用される見通しだそうです。ぜひ第二の人生を送っていただきたいものです。

 近くにあった植村牧場は、創業1884(明治17)年、明治時代からの牛舎を今も使用されているそうです。その前にあるのがコスモスで有名な般若寺です。
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 それでは奈良ホテルへと向かいましょう。東七坊大路をてくてくと南へ歩いていくと、煉瓦造りや起(むく)り屋根の古い町屋が点在しています。
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 東大寺の転害(てがい)門は、1180(治承4)年の平重衡の兵火、1567(永禄10)年の松永久秀の兵火にも焼け残った貴重な建物で、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構だそうです。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-15 08:14 | 近畿 | Comments(0)