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伊勢・美濃編(30):深野のだんだん田(14.9)

 JR参宮線で伊勢市駅へ、近鉄山田線に乗り換えて松阪駅に着いたのが午前八時ちょっと過ぎ。駅前で8:20発の飯高地域振興局方面行きバスに乗り、深野をめざします。途中でサイクリングを楽しむグループを見かけましたが、いいですね。人間は良いものもろくでもないものも発明しましたが、最良の発明品は自転車だと思います。おっ、土砂崩れ防止のためのコンクリート壁に、野猿がちょこんと座っていました。
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 四十分ほどで深野に到着、帰りのバスの発車時刻を確認するため停留所をさがしましたが付近に見当たりません。中心部らしき方向へ行きましたが、ありません。通行人もおらずお店もなし。やっと散歩をしているご老人に出会えて教えてもらったところ、逆方向でした。やれやれ、時間をくってしまった。10:38のバスに乗り遅れると次は11:48か、かなりのタイム・ロスですね。でも現在の時刻は午前九時ちょっと過ぎなのでたぶん間に合うでしょう。たぶん…近くに交通安全路上表示(正式には何と呼ぶのでしょう?)があったので撮影。
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 棚田へと誘う道標や、「深野棚田まつり」というどでかい看板があったので、道を迷わずにすみそうです。「深野散策絵図」という大雑把な地図も貼ってあったので写真におさめました。それでは棚田に向かって出発、ゆるやかな坂道をのぼっていきましょう。途中にこんな看板がありました。
 深野は山紫水明・人心豊かな土地柄なれども耕地に恵まれず、古くから木地・蚕・和紙等を生計の一助としてきましたが近代の文明開化・西欧食文化の変遷を先取りした先駆者の指導により邑を挙げて、和牛肥育と販路の拡大に誠意を尽くしてきました。今では、世界のブランド「松阪牛発祥の地」として、有名であります。
 村に歴史あり、ですね。
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 そういえば途中で材木屋を見かけましたが、木地師の末裔でしょうか。二匹のにも出会えました。にゃあにゃあ。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-14 06:32 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(29):二見浦(14.9)

 ぱっちりと目覚めてテレビの天気予報を見ると、なんと、今日から三日間は晴れる模様です。旅行直前の予報ではすべて曇り時々雨だったのに、天下無双の晴れ男、ここに見参。さて、本日の予定ですが、まずは二見浦を見物、そして松阪へ移動して、深野のだんだん田を拝見。ここまでは確定していましたが、そのあとの行程についてはいまだに逡巡しております。松阪か(本居宣長物件・松阪牛)、四日市か(末広橋梁・潮吹き防波堤・近鉄内部線・ご当地B級グルメ「とんてき」・コンビナートの夜景)、一身田か(環濠の残る寺内町)、津か(ご当地B級グルメ「津ぎょうざ」)、桑名か(六華苑・古い街並み)。ちなみに今夜の宿泊地は犬山です。…(沈思黙考)…よろしい、決めた。四日市は見どころが多いので後日、再訪することにしましょう。松阪牛と津ぎょうざを食べて、一身田を見学して犬山に向かうことにしました。
 タイトな行程なので、泣いて馬謖を斬る、タクシーを利用。フロントに頼んでタクシーを呼んでもらい、まずは二見浦へ。鳥居の先の海面に、注連縄で結ばれた大小二つの岩が顔を出していますが、あれが有名な夫婦岩ですね。解説板によると、沖合700mの海中に鎮まる興玉(おきたま)神石の皇居として見なされているそうです。
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 そしてJR二見浦駅まで送ってもらいました。男岩(おいわ)と女岩(めいわ)を模した駅舎の中にはいろいろな展示物があったので、後学のため列車が来るまで拝読しました。二見小学校の校歌は、一番が明治天皇の、二番が昭憲皇太后の"御製"だそうです。何かの役に…立つかどうかわかりませんが、転記しておきましょう。
五十鈴川 清き流れの すえくみて こころをあらへ あきつしまびと
さしのぼる 朝日のごとく さわやかに もたまほしきは こころなりけり
 もしかすると、ジャズのスタンダード・ナンバー「Softly, as in a Morning Sunrise」の日本語タイトルはここからとられたのかな。それはさておき、解説は「ありがたい校歌である」と断定していますが、ありがたいかどうかは私が決めます。それ以前に、音楽を愛する者として、音楽を何かのために、例えば集団の一体感を高めるために利用することは好きではありません。よって、国歌も校歌も社歌も御免蒙りたいですね。ましてや歌うことを強制するなんて言語道断です。もうひとつの展示には、「夫婦岩の二見といえば…修学旅行のメッカです。晩ご飯を終えた夜8時前、旅館街では小学生が賑やかに走り回って歓声が」とありました。へえそうだったんだ。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-13 06:33 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(28):宇治山田(14.9)

 それでは夕食をいただきましょう。「るるぶ」で紹介されていたお店のうち、食指をそそられたのが二軒ありました。いずれも宇治山田駅の近くにあるのですが、「まんぷく食堂」のからあげ丼と「喫茶モリ」のモリスパです。迷うところですが、♪おなかと背中がくっつ♪きそうなので、前者に軍配をあげました。特急券を購入して17:35発の特急伊勢志摩ライナーに乗りこむと、なんと最近とんと見かけなくなった喫煙車がありました。近鉄の見識を高く評価し、さっそく窓際の席を陣取って紫煙をくゆらしました。ぷかあ。
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 そして18:13、宇治山田駅に到着、駅近くのショッピングセンターにある「まんぷく食堂」に飛び込んで、からあげ丼を注文しました。おお来た来た苦しうないぞ近う寄れ、ボリュームのある鳥のからあげを半熟玉子が優しく包み込み、ニンニク醤油の香りが食欲をそそります。Here we go ! ガツガツガツガツとあっという間に完食、B級グルメのイデーのような逸品、お薦めです。
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 腹もくちたし塒へと帰りましょう。ふと気づけば、宇治山田駅の駅舎はなかなか洒落たデザインですね。恰幅のよさ、リズミカルに連続する縦長の窓、意表をつく八角形の窓、そして塔屋がいいアクセントになっています。いま、ウィキペディアで調べたところ、竣工は1931(昭和6)年、設計は東武鉄道浅草駅も手掛けた久野節で、登録有形文化財に登録されているそうです。ん? "正月恒例の内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっている"だと! まさか公費を使って政教分離の原則を踏みにじっていないでしょうね。構内には、歩きスマホへの注意を喚起するピクトグラムのポスターが貼ってありました。人にぶつかる、ホームに落ちる、ほんとに迷惑ですね。暇をつぶすのだったら、もっと気の利いたものがあるのにとつくづく思います。
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 18:40発の普通列車に乗り込み、鳥羽駅に着いたのは18:56。ホテルに戻ってシャワーを浴び、寝酒を飲みながら明日の旅程を確認しました。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-12 06:39 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(27):大王埼灯台(14.9)

 なおこの公園には、絵筆とパレットをもった画家の銅像があり、プレートには「絵かきの町 大王」と記されていました。どんな由来があるのだろう?
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 タクシーに戻って運転手さんに訊ねると、なんでも風光明媚なこの地を描きに画家がよく来たそうで、それを活かして市民が絵を描こうという運動が行われているそうです。今、インターネットで調べてみると、下記のような宣言を見つけました。
絵かきの町宣言

 私たちの町大王町は、雄大な太平洋と波静かな英虞湾の二つの景勝地にいだかれ、白亜の大王埼や石垣、石畳の坂道、ともやまの夕景、また、その美しい自然環境の中で生活する人びとなど、多くの絵を愛する人たちの創作意欲をかきたて、昔から絵かきの町として広く知られてまいりました。私たちは、この恵まれた環境を大切にするとともに、キャンバスをとおして町の素晴しさを再認識し、住民の文化意識の向上はもとより、数多くの人にこの美しい景観を知っていただけるよう、『絵かきの町』を宣言しました。
 ちなみに、土田麦僊や藤島武二がスケッチに来たそうです。するとあの銅像は藤島武二なのかな。
 そして鵜方駅に到着、料金を支払いお礼を言ってお別れしました。列車の発車時刻まで時間があったので駅構内にあった観光案内所に立ち寄り、資料を物色していると…なんと、「ドヤ!と顔パネで私」というタイトルの、伊勢志摩にある顔はめ看板を紹介するパンフレットがありました。
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 私は「顔はめ看板」と言っておりますが、こちらでは「顔出しパネル」と言うのですね。なお以前に琵琶湖ホテルで購入した本では、「顔出し看板」となっていました。こうした呼称の地域的な偏差を研究してみれば…別に面白くないか。それはさておき「伊勢から生まれた名投手 沢村栄治 西村幸生」「西行と芭蕉」「ゴジラ」はかなりのレアな物件でそそられます。すべて見にいくほどの時間もないので、せめて「ゴジラ」のある鳥羽磯辺漁協石鏡支所に寄れないものかと、案内所の方に訊ねると駅からは遠いとのこと。無念。また八幡さん公園にあった画家の銅像のことを訊ねると、特定のモデルはいないとのことでした。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-11 09:30 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(26):大王埼灯台(14.9)

 途中で生垣が続く家並みがあったので運転手さんに訊ねると、槙の生垣・防風林で、燃えにくいため延焼防止になっているそうです。なおこの運転手さんのお話がなかなか楽しくて、退屈しませんでした。いくつか紹介しましょう。「神島を吉永小百合が訪れたら、ものすごい数のファンがやってきて、島が沈むかと思った。連絡船も臨時便がでた」「このあたりでとれたフグを下関へ、サバを関へもっていき、当該地のブランド名で売る」「志摩は"第二の夕張"になりつつある」「宇治山田駅に向かって左にある『大喜』という店が旨い」
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 三十分ほど走ると、大王埼に到着です。灯台までは車で行けないので、駐車場で待っていてもらうことにしました。なお途中に灯台がよく見える「八幡さん公園」があるということですので、寄ってみましょう。シャッターの閉まった土産物屋が櫛比する屋根付きの狭い路地を少し歩くと大王埼灯台に着きました。
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 公益社団法人「灯台のことなら」燈光会のHPから引用します。
 大王埼は、三重県志摩半島の南東角、遠州灘と熊野灘を二分する如くに突出した、海食台地を形成し、断崖に立てば、果てしなき太平洋を、一望の下に見渡すことが出来、普の豪壮な海景は、「伊勢志摩国立公園」中の圧巻とされております。
 付近海域は険礁、暗岩が散在しており、なかでもひときわ目につく高さ8,4メートルの大王岩(大王島)は、「伊勢の神埼(こうざき)、国埼(くざき)の鎧、波切(なきり)大王なけりゃよい」とうたわれここで難破する船は、後を絶たなかったといわれました。白亜の灯台の建つ一角は、城山(じょうやま)と言い、 海上に雄飛した九鬼水軍の城塞のあったところ。
 大王埼灯台の建設計画は、明治17年に起こっており、大正2年、サンマ漁船が遭難し一瞬にして死者51名を出し、大正7年には、3千トンの巡洋艦「音羽」が大王岩に激突座礁していますが、灯台の建設開始は何故かそれから10年後でした。昭和2年5月16日起工、同年10月10日に完工、点灯は完工前の10月5日でした。灯塔は鉄筋コンクリート造りですが、当時の鉄筋コンクリート造りの灯台は、角形であったのに比べて、円形に成っていること、短期間に建造していることなどから、鉄筋コンクリート造りの建築技術が、この頃飛躍的に進歩したことをうかがい知ることができます。
灯塔の高さ22.5メートル・平均水面から光源までの高さ45.53メートルあり、光度6万8千カンデラ・光達距離18.5海里となっております。
 曇天を貫くように屹立する白亜の灯台を撮影。ここも「参観灯台」なのですが、残念ながらもう店じまいでした。そして教えていただいた公園へ行くと、おおっ、小さな湾の向こうには荒波に抗うように突き出た大王埼の断崖を一望できるではありませんか。しかも灯台に灯がともり、荒海に光を投げかけています。あの光を見た船乗りの思い、想像するしかありませんがさぞ安堵することでしょうね。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-10 09:16 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(25):安乗崎灯台(14.9)

 そしてここから二十分ほど走ると、次の目的地・安乗埼(あのりさき)灯台に到着です。公益社団法人「灯台のことなら」燈光会のHPから引用します。
 安乗崎は、志摩半島の中央部に東から深く切れ込んだ良港である的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから安乗崎、大王崎、鎧崎をもって志摩三崎と称し、海の難所として知られていたところである。
 この灯台は、イギリス人R.H.ブラントンの指導により明治6年4月1日、全国で20番目に完成された歴史ある灯台である。灯台は八角形木造で明かりは石油ランプを使用し職員は3名であった。後に海食により地盤が崩れてきたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れだしたので、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリート造に新替えされた。当時木造で現存する最古の灯台であったため、東京都品川区の「船の科学館」の構内に移築され、余生を過ごしている。
 周囲は広い芝生広場になっているので、タクシーには駐車場で待っていてもらって徒歩で灯台まで行きました。
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 四角形をしたモダンな灯台に着くと、海上保安庁より燈光会が委託を受けて見学事業を行っている「参観灯台」であることがわかりました。(海上保安庁のみなさん、辺野古で無茶無体なことをしないでね) 灯台キーホルダーを購入して200円を支払い、くるくると階段をのぼって灯台の天辺へ。やはり灯台からの眺めは絶景ですね。熊野灘の荒波が岩礁に打ちよせ、ふりかえれば的矢湾を一望できました。階下には木下恵介監督の映画『喜びも悲しみも幾歳月』のロケ写真が展示してありました。たしか敗戦の直後にこの灯台に赴任したのですね。高峰秀子、佐田啓二、いい演技でした。また「のぼれる灯台15基」の写真一覧も掲示してありました。入道埼灯台(秋田県男鹿市)、塩屋埼灯台(福島県いわき市)、☆犬吠埼灯台(千葉県銚子市)、☆野島埼灯台(千葉県南房総市)、☆観音埼灯台(神奈川県横須賀市)、初島灯台(静岡県熱海市)、☆御前埼灯台(静岡県御前崎市)、☆安乗埼灯台(三重県志摩市)、大王埼灯台(三重県志摩市)、☆潮岬灯台(和歌山県串本町)、☆出雲日御碕灯台(島根県出雲市)、☆角島灯台(山口県下関市)、都井岬灯台(宮崎県串間市)、残波岬灯台(沖縄県中頭郡)、☆平安名埼灯台(沖縄県宮古島市)ですが、☆がついている灯台にはのぼったことがあります。(観音埼灯台は工事中で見学不可でした) 付近にあった「灯台資料館」でトイレを借りてタクシーへと戻り、大王埼灯台へと向かいます。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-09 06:35 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(24):横山展望台(14.9)

 さてそれでは港へ戻りましょう。実はもう少し先に監的哨があるのですが、14:00出航の定期船に間に合いそうにないので省略。やや速足で歩いて四十分ほどで港に着きました。港の風景と、「おあしす」運動の看板を撮影して船に乗り込み、14:25に佐田浜港に着岸。
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 十分ほどあるいて鳥羽駅へ、駅構内の観光案内所で観光パンフレットをもらいました。これから近鉄で賢島駅まで移動し、そこからタクシーで英虞湾を一望できる横山展望台・安乗埼灯台・大王埼灯台をまわる予定です…が、はたして賢島駅前でタクシーがつかまるのでしょうか。少々心配になったので案内所の方に訊ねると、賢島駅の二つ前、鵜方駅の方がタクシーをつかまえやすいとのことでした。あーたす。
 近鉄志摩線に揺られること三十分強で鵜方駅に到着。駅前で客待ちをしていたタクシーに乗り込み、希望する行程を告げて料金を訊ねたところ、10000円でよいとのことでした。10000円になったらメーターを止めるけれど、会計の関係で1000円上乗せして11000円ではどうかというオファーを、一も二もなく了承。交渉成立です。
 まずは英虞湾を一望できる横山展望台へ向かいます。十分ほど走ると展望台の駐車場に到着、ここから長さ約230mの木製スロープを歩いていくと横山展望台がありました。
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 入り組んだ半島と島々が見事な景観をかたちづくるリアス式海岸、真珠・カキの養殖で知られる英虞(あご)湾を一望することができました。あいかわらずの曇天で風景が霞んで見えるのが残念ですが、雨が降っていないので諒としましょう。なおこの景色はミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで一つ星(興味深い)になっているそうです。参考のためにつけくわえますと、三つ星は「わざわざ旅行する価値がある」、二つ星は「寄り道する価値がある」だそうです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-08 06:32 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(23):菅島灯台(14.9)

 ブラントンについては拙ブログで何度もふれてきましたが、労を厭わず(といってもコピー&ペーストですが)またくりかえしましょう。ブラントンは、日本の近代化を助力し、そして何よりも洋式灯台についてのノウハウを伝授してくれた灯台マニアにとっては足を向けては寝られない恩人です。スーパーニッポニカ(小学館)からブラントンのプロフィールを引用しておきます。
Richard Henry Brunton (1841―1901) イギリスの技術者、幕末・明治初期のお雇い外国人技術者。スコットランドのアバディーンシャーに生まれる。父は船長であった。私立学校卒業後、鉄道工事の見習技師となり各地の工事に従事した。その後、徳川幕府の依頼を受けたスティーブンソン兄弟の斡旋で1868年(慶応4)来日し、本格的な洋式灯台の建設に携わった。さらに新時代の工学知識と西欧技術を多方面からの依頼に応じて発揮し、鉄道建設の必要を建言のうえ、まず東京―横浜間の鉄道敷設を説いた。また、横浜にあった鉄の橋の吉田橋の架設や横浜居留地の公園計画、下水道敷設などを行った。横浜の都市づくりに多くの提案を残し、76年(明治9)帰国した。
 なおブラントン設計の灯台は15基現存しており、これまでに樫野崎江埼角島犬吠崎御前崎尻屋崎友ヶ島旧和田岬灯台、そしてここ菅島でその姿を見てきました。残るは神子元島、六連島、鍋島、部埼、釣島、金華山、ぜひとも全てを踏破してみたいものです。

 なお最近知ったのですが、ブラントンの見聞録が『お雇い外人の見た近代日本』(講談社学術文庫751)として刊行されています。残念ながら絶版だったので、「日本の古本屋」を通して購入しました。一読、彼のさまざまな労苦に想いを馳せました。その言を紹介しましょう。
 私の上司と私自身の意志の疎通は長期の抗争の性質を帯び、双方に得点と失点を重ねながら続いた。工部省の長官(工部卿伊藤博文)は非常に開明的な人物で私に好意を持っていたお蔭で、結局私は多数の灯台を建設し、大過なく灯台の維持管理の良きシステムを組織することができた。しかしこの成功は熾烈な抗争の累積の上に達成されたものであった。(p.190)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-07 06:31 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(22):菅島灯台(14.9)

 そして11:35、定期船に乗って菅島へと向かいます。神島よ、さらば。あいかわらず穏やかな海を船は快調に航行し、12:00に菅島漁港に着岸。
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 お目当ては菅島灯台ですが、他に見どころはあるのでしょうか。港にあった観光の看板を見ると、監的哨跡、役の行者さん石碑、第一慰霊碑、第二慰霊碑、紅つげ群生、大山山頂、水道タンク、菅島唯一の田んぼ、新幹線の敷き石をとった採石場か… ま、いいか、灯台だけにしましょう。なお慰霊碑が気になったので今調べてみると、昭和58年4月19日、航空自衛隊のC-1・09号機とC-1・15号機が菅島の大山山腹に激突して亡くなられた自衛隊員14名の慰霊碑だそうです。合掌。
 それでは灯台をめざして歩きましょう。まずは海女さんの顔はめ看板を撮影。高台のところに重厚な塔が併設されている校舎らしき物件があったので撮影しておきましたが、今にして思えば菅島灯台を模したものでした。カエルの交通安全足型ははじめて見るものです。金属製パイプにたくさんの洗濯ばさみがぶら下がっている施設は、この島の特産であるワカメを干すためのものですね。
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 港から、堤防に沿って海の見える道をしばらく行くと、その後は木々に囲まれて眺望のきかない道を延々と歩きます。生活道路ではないようで、途中で誰ひとりとも出会わず黙々と歩いていくと、港から五十分ほどでやっと菅島灯台に辿り着きました。かすかに聞こえる潮騒の中、寡黙に屹立する重厚な立ち姿は、廃墟となった古城を思わせます。ガブリエル・ガルシア・マルケスの作に『百年の孤独』という小説がありますが、140年以上もこうして孤塁を守りながら海を照らし続けているのですね。感無量。
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 そばにあった解説を転記しておきます。
 この付近の海は、江戸時代から廻船の重要な航路であったが、数多くの岩礁があり、遭難する船が絶えませんでした。
 そのため、この地には早くから「かがり火」が設けられてきました。
 この「かがり火」が現在の菅島灯台の前身で、我国灯台の父と言われる英人リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導により建設されました。
 明治六年七月一日に点灯し、洋式灯台としては最も初期のもので、工事用のレンガ作りから始められました。
 この灯台はレンガ造りとしては、我国最古のもので、当時の職員宿舎は現在重要文化財として、犬山の「明治村」に移築保存されております。
 最終日に「明治村」を訪れる予定ですので、職員官舎に会うのが楽しみです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-06 06:46 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(21):神島(14.9)

 なお近くに句碑と記念碑がありました。なんでもここ神島は、バードウォッチャーの間で「鷹渡りの島」として知られているそうです。「神島俳句ウォーク」という催しで詠まれた、それにちなんだ優秀句を刻んでありました。その中のひとつに、"鷹渡る九鬼水軍の航路より"という句がありましたが、なるほどこのあたりは九鬼水軍の縄張りなのですね。なお、インターネットで調べてみたら、先ほど寄港した答志島は、九鬼水軍の将・九鬼嘉隆が関ヶ原の戦いに敗れ自刃した場所で、彼の首と胴は島内にある塚に葬られているそうです。神島小学校・中学校の脇を通り、古里(ごり)の浜に沿って歩き、ふたたび森の中を抜けるのぼり道へと入ります。
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 途中に「鏡石」がありましたが…どこが鏡なのだろう? 「神島中学校」という表札のある門柱が草の中に埋もれていましたが、かつてここにあったのでしょうか。
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 陶器製のタコ壺が打ち捨てられていましたが、すこし先に進むとプラスチック製のタコ壺が仰山積み上げられていました。タコ壺にも歴史あり、ですね。
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 神島発電所の前を通り過ぎると、港に到着。ニワの浜から45分ほどかかりました。全体の行程としては、見学や休憩の時間を含めて2時間半~3時間と見ておけばよろしいでしょう。現在の時刻は10:55、菅島に行く船は11:35出航。港のすぐ近くに「潮波(さっぱ)」という食事処があったので、ここで昼食をいただくことにしました。島に在住している主婦の方手作りのタコ飯定食を注文して、海の幸に舌鼓を打ちました。すっぽーん!
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 店にあったパンフレットを読むと、神島のタコはアワビを餌にしているそうです。なるほど美味しいわけだ。また魚を海藻でぐるぐる巻きにした料理は「アラメ巻き」、後学のために解説を転記します。
 アワビのエサにもなると言われる、海藻の一種「アラメ」。神島では資源保護のため、夏場の一日、たった二時間だけ刈り取りに海へ出ることができます。この日は海女さんたちは大忙し。休む暇もなく海へ入り、2時間びっしり潜ります。そして浜へ戻ってくると漁港一面にアラメを広げ乾かします。
 乾いたアラメは冷蔵庫などに入れ、秋を待ちます。秋風を待って大きな釜でアラメを炊く作業を一日がかりで行い、さらに天日で乾かします。
 アラメはこのように手間をかけて出荷されたり自家消費されたり、アラメ巻きとして市場に並びます。アラメ巻きはサンマやイワシなど脂ののった魚を使って作ります。家庭の味が受け継がれる郷土料理です。
 へえー、資源保護のために、一年のうちで二時間しか採ってはいけないのか。"わが亡きあとに洪水はきたれ"という考えとは真逆ですね。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-05 06:37 | 近畿 | Comments(0)