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伊勢・美濃編(11):丸山千枚田(14.9)

 タクシーに戻ると、運転手さんが、千枚田展望所があると教えてくれました。なんでも、吉野方面へ向かう通り峠の途中にあるそうで、健脚なら20分ほどでのぼれるとのこと。ようがす、行きましょう。車に乗ってすこし戻り、「熊野古道 通り峠」という標識のあるところで下ろしてもらい、しばし待ってもらうことにしました。石畳の山道をのぼっていくと、やがて木の根道となります。そして通り峠と展望所の分岐点に到着、ここから木の階段をえっさほいさと170段のぼります。楽ではありませんがそれほどきつくはない道のりで、二十分ほどで展望所に着きました。眼下に広がる千枚田を一望できる、見事なビューポイントでした。
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 ここにあった解説板を転記しておきます。
 一目千枚といわれている丸山千枚田。
 丸山地区の人たちが一粒でも多く収穫したいとの思いで開墾し、今から約400年以上前の慶長6年(1601年)には既にその数は2240枚になっていました。長い年月と多くの人たちの汗の結晶が目の前に広がる大小の千枚田です。
 この丸山千枚田は、昭和40年代半ばまで維持されてし(ママ)ましたが、その後の稲作転換政策や、過疎化・高齢化の進行にともない、耕作放棄面積が増え、平成初期には530枚(4.6ha)まで減少してしまいました。
 荒廃していく丸山千枚田を憂いだ(ママ)丸山区の住民が「先祖から受け継いだ貴重な資源である棚田を復元し、地域の景観・伝統等を将来に向けて伝承していきたい」という熱意から丸山千枚田保存会を結成しました。行政からの支援を受ながら(ママ)保存会が中心となって復田運動が始まり、5年間で810枚の田を復田し、現在の1340枚となりました。
 ベンチがあったので座って一休み、水を飲み紫煙をくゆらしながら解説にあった言葉を反芻しふと考えてしまいました。「先祖から受け継いだ貴重な資源」「将来に向けて伝承していきたい」 これはこの棚田だけでなく、日本の国土すべてにあてはまる言葉でしょう。過去の人びとから受け継いだ自然環境を、できうればより良い状態にし、最低でも現状のまま、未来の人びとに受け渡す。それが品格・品性というものではないでしょうか。しかし日本の現状を見るにつけても、その品性の下劣さには目を覆いたくなります。核廃棄物を将来の世代に押しつけながら核発電所を乱立し、事故を起こしてもきちんと原因を解明せず誰も責任をとらず、福島を中心に多くの地域が放射能で汚染されているのに住民に対するまともな対応策をとらず、事故をできるだけ過小評価し再稼動に突っ走る。沖縄では、美しい自然を破壊して必要のない辺野古新基地建設を強行しようとしています。自民党・公明党・官僚・財界・学界・メディアの皆々様の頭の中には、「今だけ・金だけ・自分だけ・地位だけ」という言葉が永久運動のようにぐるぐると回っているのでしょう。まるで未来の人びとと、勝率100%の戦争をしているかのようです。"わが亡きあとに洪水はきたれ"ということですかね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-23 06:37 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(10):丸山千枚田(14.9)

 そして観光案内処に戻って自転車を返却したのが午前十二時半。今夜は鳥羽に泊まるので、熊野市駅15:42発の列車に乗らねばなりませんが、これから丸山千枚田を見にいく時間的余裕は充分あります。できればバスで行きたかったのですが、事前に調べたところでは本数も少ないので、泣いて馬謖を切る、タクシーを利用することにしました。観光案内処の方にお願いしてタクシーを呼んでもらい、一時間4000円の貸切ということで交渉が成立。Here we go !
 40分ほど走ると、丸山千枚田を一望できる場所で、運転手さんが車を停めてくれました。凄い…息を呑むような景観です。広大な山の斜面に幾重にも刻まれた大小の田、田、田。どれほどの艱難辛苦を乗り越えてきたのか、想像しただけで頭が垂れてしまいます。
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 近くまで行き、しばし散策。耕作放棄地が目立つのはいたしかたないですね。ユニークな案山子も散見されました。ところどころに名前が記された木の札がたてられていましたが、オーナー制度が行なわれているのですね。後日に調べたところ、会費は年間30,000円で、(財)紀和町ふるさと公社 0597(97)-0640に連絡すればよいとのことでした。棚田の中央に鎮座する巨岩も印象的です。彼岸花を撮影しながらぶらついていると、「千枚田で一番小さな田」がありました。千枚田を数えたら999枚しかなく、残りの一枚は笠の下に隠れていたという伝承がよくありますが、納得できます。ここまで丹精を込めて土と向かい合ってきたのですね。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-15 06:38 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(9):花の窟神社(14.9)

 獅子岩から自転車で十分ほど走ると、産田神社があります。お目当ては神籬(ひもろぎ)跡、神を招くための石で囲んだ祀り場です。全国で二か所しかない珍しい遺跡とのこと。本殿の脇に、十数個の石を長方形に組んだ神籬跡がありました。古代では、神社に建物はなく、こうした依代に神を迎えていたのですね。珍しいものを見せてもろた。
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 そして花の窟神社へと向かいます。途中でユニークな形の透かしブロックを二つ見つけました。後者は透かしというよりは穴ですが。
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 「原発反対」の看板を掲げたお宅もありました。自転車で走ること十分ほどで神社に着きましたが、お腹もへってきたので、お綱茶屋で熊野地鶏親子丼をいただきました。
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 そして花の窟(いわや)神社へ、高さ約45mの巨巌を御神体としている神社です。観光バスから次々と押し寄せる人波とともに境内へ入りました。なるほど、これは凄い。ちっぽけな人間どもを睥睨するように屹立する巨岩、その足下にいるだけで身のすくむ思いです。自然の力に畏敬を感じる心性を失わないようにしたいものです。いやあ、ええもん見せてもろた。なお、毎年2月2日と10月2日には、110尋(約180m)の大綱に季節の花や扇を括りつけて巌と松を結ぶ「お綱かけ神事」が行われるそうです。
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 そして恒例の絵馬ウォッチング、今回の逸品は「○○が3番もらえますように。やる気100%がんばれ!」でした。社務所の前では、ご朱印をもらうための人だかりができていましたが、最近よく見かける光景ですね。面倒くさいので人事を尽くさずに、天命を手に入れようとする方が増えているのでしょうか。ちょっと気になります。
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 現在の時刻は午前11時、これなら自転車で木本隧道と鬼ヶ城を訪れて観光案内処に戻り、タクシーで丸山千枚田を見に行く余裕は十二分にあります。御慶。電動アシストのおかげで、十五分ほどでまず木本隧道に到着です。坑門はイギリス積み煉瓦でできており、壁柱と帯石・笠石・迫石・扁額を備えた重厚なものです。竣工は1925(大正14)年、完成当時は栗子トンネル(福島県/山形県)に次ぐ長さ(509m)だったそうです。自転車で走るとその長さを実感できました。
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 トンネルを抜けて十分ほど走ると鬼ヶ城に着きました。まずは眺望が良さそうなので室町時代に有馬忠親が築いた山城跡へとのぼりましたが、期待はずれでした。たくさんの桜が植えられていたので、春には見事な景観になるでしょう。そして地盤の隆起と風蝕・海蝕によって造り出された奇観、鬼ヶ城を見物。平安時代初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂がここを根城にして鬼と恐れられた海賊「多娥丸(たがまる)」を征討したという伝説が残っています。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-14 06:47 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(8):獅子岩(14.9)

 重厚な造りの酒甚旅館はもう店仕舞でした。丸田商店では消防用品を売っているのですね。よく見ると、白い下見板張りの洒落た洋館でした。公衆電話が現役で働いているのは嬉しい、「悪魔の機械」に負けずに頑張ってください。
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 「加田捨」は銃砲・火薬を商っておられますが、珍しい屋号ですね。何と読むのでしょうか。古い看板が並んでいる酒屋さんもありました。
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 そして古い商家を再利用した「熊野古道おもてなし館」に着きました。入口には、熊野市がソレント市(イタリア)・バストス市(ブラジル)と姉妹都市であるという解説が掲示してありましたが、前者は海に面した観光地、後者は熊野市から多くの移民が入植したという関係だそうです。それではこちらでひと休み、フライド・マッシュポテトと珈琲を中庭でいただきました。観光パンフレットや地図をもらいながら館内をぶらついていると、レンタサイクルを見つけました。これから少し遠い所にある花の窟神社に行きたいので、渡りに舟。さっそく拝借しようとすると、係の方が、駅前にある観光案内処のほうが新しい自転車があると教えてくれました。移動を考えるとその方がベターですね、お礼を言って熊野市駅へと向かいました。
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 すぐ近くにあった西衣料品店は、半円を大胆にデザインしたファサードが印象的です。ペンギンの交通安全足型があったので撮影。
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 十分ほど歩くと、駅前にある観光案内処に到着。こちらで電動アシスト自転車を借りました。まずは七里御浜へ行き、獅子岩を拝見。なかなか素晴らしい風景ですね、熊野灘に臨んで長く延びる海岸、そして獅子吼する巨岩。
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 解説板を転記します。
七里御浜
 熊野市から鵜殿村に至る約25kmも続く砂利浜が七里御浜。荒々しい黒潮をおおらかに優しく受け止めるこの浜には、熊野川の上流から新宮を経て、熊野灘の荒波に磨かれた小石が敷き詰められている。「みはま小石」と呼ばれる色とりどりの小石は、アクセサリーや建材、観賞魚用水槽などに利用されている。

獅子岩
 海岸の隆起と海蝕現象によって生まれた奇勝で、高さ25m、周囲約210mの巨岩があたかも熊野灘に向かってほえる獅子のように見えるところから日本のスフィンクスと呼ばれている。
 また、昔から南側の吽の岩(雌岩)に対して阿の岩(雄岩)といわれ、総称して阿吽の岩とも呼ばれているが、これは、この奥にある大馬神社の狛犬にたとえられているからである。
 このため、大馬神社では、今も狛犬を置かない習わしとなっている。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-13 08:01 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(7):松本峠(14.9)

 御親切にたくさんの竹の杖が用意されていました。そして…うぉっと、「スズメバチ出没注意!!」という注意書き。やれやれ、熊の次はスズメバチか。そういえば、タウシュベツ橋梁見学でお世話になったガイドさんが、ヒグマよりも怖いとおっしゃっていました。たしか「黒の服を着ているとやってくる」「手で払ったら攻撃されるのでじっとしているしかない」とコメントされていたのを覚えています。夏も終わっているので攻撃的でないことを祈りましょう。
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 かなり急勾配な石畳をのぼること十五分ほどで峠に到着、なるほどお地蔵さんがぽつねんと佇んでおられます。
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 解説板を転記しましょう。
松本峠
 ここから木本町側に下ると、七里御浜の延々と続くなぎさが一望のもとに見渡せる。大泊町から木本町に抜けるこの道はトンネルが整備されるまで重要な生活道路だった。江戸時代、元禄のころ、鉄砲撃ちの大馬新左衛門が、夜中に峠に差しかかると月下に得体の知れないものが立ちはだかってきた。思わず発砲し、命中したが近づいてよく見るとそれはこの峠のお地蔵様であったという。今もここに立つ地蔵尊の足元をよく見るとそのときの弾痕が残っている。また茶屋や廃寺もあり、学問所として読み書き、算術を教えていたという。今は、庵寺の先生の顕彰碑が、当時の寺子屋教育の遺徳を物語っている。
 なんだ、要するに「うっかり八兵衛」だっただけか、撃たれたお地蔵さんもいい迷惑です。足元をよく見たのですが、弾痕を視認することはできませんでした。男…もといっ弾痕ファンとしてはちょっと残念です。
 そして熊野市へ向けて道を下っていきました。途中で七里御浜と紀伊山地を見晴らせると期待したのですが、あまりよく見えませんでした。こちらも残念。とある石仏には、小さな白い石がたくさん奉納されていました。
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 十五分ほどで木本町に到着、町内の見どころ地図が掲示してあったので撮影しておきました。ベルリンオリンピック体操選手の有本彦六生家跡? ミュンヘンオリンピック体操選手の笠松茂生家? ディープですね。体操選手をたくさん輩出する土地柄なのかな。笛吹橋という橋がありましたが、平安時代、人びとを苦しめていた鬼たちを、坂上田村麻呂が清水寺の観音さまの助けを借りて退治した時に、勝利を祝って笛を吹きながらこの橋を渡ったそうです。なるほど、欄干が横笛の意匠になっていました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-12 08:12 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(6):波田須の道(14.9)

 石畳の坂を下ると街並みが開けて、まるで数百年の時を経て現代に戻ってきたような気分です。ここで折り返して、じっくりと波須田の道を味わいながら戻ります。いったいどれくらいの人たちが、どのような思いで、この石畳を踏んで行き来したのでしょう。細長い平石を踏みしめながらのぼっていくと、腰掛石らしきものも散見されました。途中に丈の低い石垣が連なっていましたが、これが猪垣(ししがき)ですね。
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 ふたたび国道311号線に出ると、「徐福茶屋」があることに気づきました。お茶を一服所望してひと休みしたかったのですが、残念ながら開店しておりません。なおこのあたりは波田須町お薦めのビューポイントで、熊野灘や街並みを一望することができます。こんもりと木立が生い茂っているあたりが徐福の宮、列車が来る時間まで少々余裕があるので立ち寄ってみました。集落の中へとくだり、咲き誇る彼岸花を愛でながらすこし歩くと小さな社と徐福のがありました。なおここの参道修復中に数枚の古銭が発掘され、中国秦の時代の古貨幣「半両銭」と鑑定されたそうです。もしかしたらここが徐福伝説の本命なのかもしれませんね。
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 波田須駅に着くと、津波が発生した時の、列車からの避難方法と避難場所が掲示してありました。そして8:13発の新宮行き普通列車に乗って熊野市方向へと戻ります。
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 次の駅、大泊でおりて、松本峠を越える熊野古道を歩きましょう。幸い案内板があったので、登り口まで迷わずに辿り着けました。
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 そこにあった解説を転記しておきます。
松本峠
 ここから登る松本峠への石畳道は、熊野古道波田須の道から泊観音(熊野市大泊町)へ詣る観音道と、大吹峠を越えて熊野三山や那智山へ詣でる伊勢路が、登りの途中で合流しています。峠には鉄砲傷でよく知られた地蔵さんをはじめ、茶屋跡・南無阿弥陀仏の六字名号碑などがあり、当時の賑わいを偲ばせてくれます。峠を下ると梅林があり、ここからは七里御浜海岸や紀伊山地の山並が眺められて、かつての巡礼や旅人の疲れたからだやこころを和ませてくれた絶景の場所です。松本峠を下ると花の窟(いわや)へ向かう浜街道へと続きます。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-11 06:23 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(5):波田須の道(14.9)

 しばらく歩くと斜面にへばりつくようにたたずむ集落が見えてきましたが、あれが矢賀(やいか)ですね。「徐福の宮」があるそうなので、時間があったら帰りに寄ってみましょう。さらにゆるやかな坂道を歩いていくと、山の斜面にラックのついたレールがひかれています。これは静岡県の由比でも見た、蜜柑などを運送するためのモノレール「モノカー」です。
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 そして国道311号線を横断すると熊野古道「波田須の道」の入口です。波田須駅から20分ほどで到着しました。
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 道路端に「表忠碑」があったので近づいてみると、日露戦争と「大東亜戦争」に出征して亡くなられた方々の氏名が刻んでありました。合掌。それでは…うぉっと、「クマ!出没!注意!」という看板がありました。何でも、このあたりでツキノワグマの目撃情報があったそうです。剣呑剣呑桑原桑原鶴亀鶴亀。♪いまさら後へは引けないぞ♪ということで、人間に慣れている熊に出会わないことを祈りつつ前進することにしました。
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 木々の間を抜ける細い山道をすこし歩くと、見事な石畳があらわれました。十分ほど歩いたところに解説板が二つあったので、転記しておきます。
熊野古道(伊勢路)
 熊野への道は、都から紀伊半島の西岸に沿って南下する和歌山県側の「紀伊路」と伊勢参宮の後、熊野三山へ詣でる巡礼の道である三重県側の「伊勢路」があった。伊勢を顕国(うつしくに)とするのに対して、熊野を幽国(かくれくに)とする原始信仰の素地に、日本人の多神教的なおおらかさと神仏習合思想が手伝って、伊勢神宮参拝後の熊野詣がごく自然に定着した。熊野古道「伊勢路」は、江戸時代に一般民衆の熊野詣が盛んになり、おおいに賑わったが、険しく厳しい旅路で遭難したり、病死した巡礼も多かったという。今も市内の所々に熊野古道が残っており、苔むした石碑や石畳道が往時を偲ばせる。

波田須の石畳
 近在の熊野古道の中でもっとも古風で、約80mにわたり鎌倉時代の石敷道がそのまま残っている。敷石は大きく、階段式に敷かれ重厚である。また鎌倉時代の石畳につづく江戸時代の敷石には、雨に備えた流れ溝も設けられている。路傍には休憩用の腰掛石がある。また、王子社があったと伝えられる広場には「熊野三神」と刻まれた自然石が残っている。

波田須の道
 この道に残る石畳は、一つひとつが重厚で大きく、敷き方も豪快で鎌倉時代のものといわれ、伊勢街道では一番古い時代のものである。この素朴な石畳は、江戸時代のものとははっきり区別ができる。
 雨量が多いこの地方では、石材に恵まれていることもあって道路保護のために多くの石畳道が造られた。所々に土砂流出を防ぐため「洗い越し」とよばれる雨水を流すための道路横断側溝も作られている。これら石畳、洗い越し、猪垣、猪落とし等は古道に関連する貴重な歴史的文化遺産となっている。
 ここ波田須の古道周辺には墓地や神社があり、古道が地域住民の皆さんの草刈り、道普請などの奉仕作業により大切に守られてきた。雨天時には滑るため、不便を来すこともあるが、何百年もの時の流れを経て今に至った貴重な文化遺産である古道を、今後も大切に守り続けていきたい。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-10 06:31 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(4):波田須の道(14.9)

 それでは出発。ホームからは熊野灘がすこし見えました。家々が点在する集落を貫くゆるやかな坂道をのぼっていくと、あちこちにきれいな彼岸花が咲き誇っています。♪赤い花なら曼珠沙華/阿蘭陀屋敷に雨が降る/濡れて泣いてるじゃがたらお春/未練な出船のあゝ鐘が鳴るララ鐘が鳴る♪と、思わず口ずさみましたが…なんで私はこんな古い歌を知っているんだ?
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 ふりかえっては海を眺めつつしばらく歩くと、集落の掲示板に「ある日、突然、犯人から電話が架かってきます。これ、全部詐欺なんです! ~電話詐欺に注意!~」というポスターが貼ってありました。後学のために転記しておきます。
医療費の還付金があります。ATMへ行ってください。
会社が上場します。社債を買えば、高値で買い取ります。
封筒が届いた人しか購入できません。名義を貸してください。 
早く振り込まないと、他の会員に迷惑がかかります。
警察です。犯人グループを捕まえたらあなたの通帳が使われていた。
銀行協会が、お金をあずかります。
銀行内に犯人がいます。あなたの銀行口座から預金が引き出されるかもしれません。
情報料を支払えば、ロト6が当たります。
 いやはや、いろいろな手口があるものですねえ。こうした手練手管を考える暇があったら、真っ当に地道にざっかけなく汗水かいて働けばいいのに。警察も警察で、もっと悪辣な犯罪の摘発に力を入れてほしいですね。ベルトルト・ブレヒトの言を借りれば、「銀行を創設する奴に比べたら、電話詐欺なんてケチな犯罪だ」。福島や沖縄の人びとの暮らしを破壊して平然としている自由民主党・公明党などは、破壊活動防止法に違反しているでしょ、ねえミーポくん
第一条 この法律は、団体の活動として暴力主義的破壊活動を行つた団体に対する必要な規制措置を定めるとともに、暴力主義的破壊活動に関する刑罰規定を補整し、もつて、公共の安全の確保に寄与することを目的とする。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-09 06:44 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(3):波田須の道(14.9)

 朝、目覚めて窓から外を眺めると、川が見えました。おおっあれが熊野川か、念のためガイドブックで調べると、井戸川でした。熊野川の河口は新宮でした。
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 さて本日の旅程ですが、まずは熊野古道の伊勢路にあたる「波田須の道」を歩くために、JR波田須駅に向かいましょう。昨日購入した時刻表で調べておいたのですが、紀勢本線の亀山方面行きの列車は、熊野市駅を6:46に発車します。これを逃すと次の列車は8:21、このタイム・ロスは大きいですね。よって6:46発の列車に乗るために、フロントにモーニング・コールをお願いしておいたという次第です。歯を磨いて洗顔し、♪朝飯食べずに♪熊野市駅前に行くと、幸いなるかな、コンビニエンス・ストア「酒・弁当・氷」が開いておりました。やった。中に入ると嬉しいことにご当地B級グルメ「めはり」寿司がありました。やった。さらに「日本一 熊野大花火」というキッチュなご当地Tシャツも売っています。やった。もちろん両者とも購入、いきなり「やった」三連発とは幸先の良いすべりだしです。なお店先には「木本町寄り道マップ」という、付近の街並みを紹介する地図が貼ってあったので写真におさめました。後ほどこのあたりを徘徊するときに、利用させていただきましょう。
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 そして眼前にある熊野市駅に入り、定刻通りやってきた列車に乗り込みました。腹がへっては戦はできぬ、とるものもとりあえず「めはり」寿司をいただきましょう。高菜の浅漬けでくるんだおにぎりで、その大きさで口にほおばるとき目を見張るから、その名がついたとか。以前に熊野古道の中辺路を歩いたときも、お世話になりました。その質朴を満喫、おいしゅうございました。
 そして6:53に波田須駅に到着、時刻表によると熊野市方面に戻る列車は8:13発、一時間半ほどの予定で「波田須の道」を歩きましょう。なおこの列車に乗り遅れると、次の列車は9:44。ちゃきちゃき、かつ、ガチのローカル線ですね。
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 もちろん無人駅ですが、このあたりを紹介する看板がありましたので、参考のために転記しておきます。
徐福の里 波田須
 ここ波田須は、2,200年以上前に秦の始皇帝から不老長寿の仙薬を探すように命じられた古代中国の方士・徐福の伝承が色濃く残る里です。徐福の船団が上陸したと伝わる「矢賀(やいか)の磯」付近の「徐福の宮」に徐福が祀られて、この波田須を見守っています。また、波田須は弘法大師の伝説や、戦国時代にまつわる伝承が残る民話の里であり、熊野古道に囲まれた歴史の息吹を感じる自然豊かな地域です。
 私がかつて訪れたところでは、新宮にも徐福の墓と徐福公園、また佐賀県の昇開橋の近くには徐福上陸の地がありました。なお奈良文化財研究所飛鳥資料館倶楽部のサイトによると、青森、秋田、山梨、愛知、京都、三重、福岡、宮崎、鹿児島にも徐福伝説があるそうです。なぜ徐福にまつわる伝説を受け入れ語り継いできた地がこれほど多く、かつ北は青森から南は鹿児島にまで広範囲に及んでいるのか、興味深いですね。折口学が説く「まれびと」と関係があるのでしょうか。これはやってこなくていい宿題として抱えておきましょう。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-08 06:42 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(2):熊野市へ(14.9)

 午後五時半ごろに入線した列車に乗り込み、これから約三時間をかけて紀勢本線を南下、熊野市駅へと向かいます。まだまだ先は長丁場、「るるぶ」を読みながら今後の予定についてじっくりと考えてみましょう。とりあえず明日は丸山千枚田と熊野市の見学です。ん? 「るるぶ」を紐解いていると、熊野市にも熊野古道があることがわかりました。JR波田須駅から一時間ほどで歩ける「波田須の道」、そしてJR大泊駅から松本峠を越えて熊野市まで歩く道です。熊野古道のうち伊勢路にあたる街道の一部ですね。中辺路を踏破した私としては、ぜひ歩いてみたいものです。いつの日にか、大辺路、小辺路、伊勢路、そして大峯奥駈道をすべて踏破するという見果てぬ夢を抱いております。
 四日市コンビナートの夜景が美しいという記事がありましたが、旅程的には厳しいかな。いちおう頭の片隅に置いておきましょう。ご当地B級グルメとしては、津ギョウザ、四日市とんてき、宇治山田「まんぷく食堂」のからあげ丼、同じく宇治山田「喫茶モリ」のモリスパなどが紹介されていました。全てというわけにはいかないでしょうが、できる範囲でチャレンジしてみるつもりです。
 車窓から風景をぼんやりと眺めていると、ある駅で下車した高校生たちが、迎えにきた自動車に乗り込んでいました。過保護だなあ、と思いましたが、よほどの遠距離なのかもしれませんね。そして20:33に熊野市駅に到着。駅構内には「皆笑う明るい末来税金で」(尾鷲法人会女性部会)という掲示がありましたが、問題は誰が払う税金かということですね。『税金を払わない巨大企業』(富岡幸雄 文春新書)を一読すればわかるように、巨大企業がきちんと納税すれば、消費税をなくしても税収は賄えます。まあ大企業とグルになって私たちをいじめている自民党を、知ってか知らずか多くの有権者が支持しているかぎりは無理でしょうが。
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 それはともかく空腹なので夕食を食べたいのですが、駅近くを見まわしても開いている食堂はありません。とりあえず今夜の塒「みはらし亭」にチェックインをして荷物を部屋に置き、フロントで食事のできる店はないかと訊ねると、歩いて十分ほどのところに「すき家」があるそうです。背に腹はかえられない、さっそく歩いていき豚丼をいただきました。途中にあったコンビニエンス・ストアで寝酒を購入し、さきほど購入したポテトチップスとせんべいつまみに一献かたむけました。
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by sabasaba13 | 2016-03-07 15:38 | 近畿 | Comments(0)