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東京錦秋編(3):絵画館・イチョウ並木(05.12)

 そして歩くこと数分で、絵画館に到着。あのドームを頂いた不気味・無骨な建物です。ドイツ表現主義の影響なのかな。ここには明治天皇の事跡を中村不折や五姓田芳柳らに描かせた絵を展示してあります。ここも初見。岩倉使節団出発のシーンや、日清戦争における大山巌などの絵はよく歴史書で見かけますが、ここにあったんだ。それにしても、明治天皇の顔がことごとくキヨソーネが修正したものをモデルにしていますね。時代の制約とは言っても画家にとっては忸怩たるものがあったのではないかな。参考までにキヨソーネが描いた肖像と、明治天皇の写真です。絵画館向かって左手には、樺太国境画定標石のレプリカがありました。日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南の樺太を獲得した際に、現地に敷設されたものです。片面には菊の紋章、片面にはロマノフ王朝の鷲の紋章が刻まれているのですが、立入禁止のため後者は見られません。複製なんだから近くに寄ってもいいじゃないかあ、吝嗇。
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 わが愛すべきスワローズのホーム・グラウンド神宮球場の脇を通り、イチョウ並木へ到着。四列に並んだイチョウがそれはそれは見事に黄色に輝いていました。著名な場所だけにけっこう人も多く、皆さんの幸せそうな微笑みが印象的でした。ある年配の女性が「ヨーロッパみたい!」と言っておられましたが、「第三の男」ラスト・シーンで使われたウィーン公営墓地の並木道に似ていないこともなくはないような気がしないでもありませんね。
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 本日の二枚。外苑イチョウ並木と、ウィーン公営墓地の並木道です。
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by sabasaba13 | 2006-02-24 06:10 | 東京 | Comments(2)

東京錦秋編(2):秩父宮記念スポーツ博物館(05.12)

 さてここから歩いて神宮外苑まで行きましょう。途中にある国立競技場の脇を通り過ぎると、秩父宮記念スポーツ博物館がありました。そういえばここも未見です、よし入ってみよう。日本人初のオリンピック・メダリストをご存知ですか。実はテニス選手の熊谷一弥(いちや)なのです。彼が1920年のアントワープ大会で獲得した銀メダルが展示してありました。テニス好きの方なら必見。そして東京大会マラソン銅メダルの円谷幸吉の足型! 確かゴール直前で、ヒートリーに抜き去られたのを憶えています。子どもの頃の運動会徒競走で後ろを振り返ったことを父に激しく叱責され、「絶対に後ろを振り向くな」という教えを愚直に守り続けた結果だそうです。彼は自衛隊員で、その後メキシコでの活躍を期待されて周囲から強い圧力をかけられ、足の故障とあいまって自ら頚動脈を切り自殺してしまいます(1968)。沢木耕太郎著『敗れざる者たち』(文春文庫)所収の「長距離ランナーの遺書」によると、意中の女性がいたのですが、練習の障害になると上官に結婚を止められたことも一因かもしれません。「父上様母上様 幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という血染めの遺書を残しますが、これほど哀切な文章は少ないでしょう。「~美味しうございました」と幾度も繰り返す生への執着に息を呑んでしまいます。なおこの遺書は『芸術新潮』の「世紀の遺書」(2000.12)で見ることができます。国家権力というリヴァイアサンは己の光輝のために、スポーツ・芸術・戦争などあらゆる営為を利用しつくすのですね。そして国家のために尽力した人々の血と汗を呑み込みながら肥え太っていく… 円谷幸吉を殺したのは誰か? When after all, it was you and me… (『悪魔を憐れむ歌』より) 彼の郷里福島県須賀川市には円谷幸吉記念館があり、遺書はここで保管されているそうです。なお国家によって自殺に追い込まれたもう一人のスポーツマン、佐藤次郎(テニス)も忘れるべきではないでしょう。本人は全英選手権出場を希望していたのにデビスカップ(国別対抗戦)出場を強要され、そして婚約を非難された結果、マラッカ海峡にて投身自殺をとげます(1934)。この二人は氷山の一角でしょう、国家の栄誉と国民の期待によってミンチにされた数多のスポーツマンがいるのだと思います。トリノ・オリンピックはほとんど見ていませんが、報道の様子を見ると日本のスポーツ界の体質は佐藤・円谷両氏の時代と変化はないようです。国家の栄誉と国民の鬱憤ばらしに翻弄される選手たち… あんなにメダルメダルメダルメダルメダルメダルメダルメダルと騒いだら、強烈なプレッシャーになっていい結果はでないのにね。私は、メダルを100個とる国よりも、みんなが一生スポーツを楽しめる時間と環境が保障されている国の方がいいな。何とあのリビアのカダフィ大佐がこう言っています。
 スポーツとは、体を動かすという意味でも、また民主主義という考え方からいっても、他人に代わってやってもらうべきではない。
 そして極めつけは、東京オリンピック女子体操金メダリストのベラ・チャスラフスカが着ていた赤いレオタード!!! 変な意味ではなく、垂涎しました。女性の肉体の美しさ・優美さを教えてくれた、忘れられない選手です。角兵衛獅子の如き軽業に堕してしまった昨今の体操競技から思うと、昔日の感があります。ビロード革命の後、チェコ政府の要職についたという話を聞きましたが、今どうしているのでしょう。なお番外として、ナディア・コマネチがモントリオール大会で着ていた白いレオタードもありました。女子体操の軽業化は彼女あたりから始まったような気がします。
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 本日の一枚は、円谷幸吉の足型です。
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 追記。東京都議会議員が連盟をつくり、石原都知事とともに東京へのオリンピック招致をめざしはじめたようです。やれやれ、「民には、パンとサーカスを与えておけ」というわけですか。
by sabasaba13 | 2006-02-23 06:04 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋編(1):新宿御苑(05.12)

 12月のはじめに、都内で紅葉狩りをしてきました。新宿御苑、神宮外苑、小石川植物園あたりをふらつき、時間があれば自然教育園、庭園美術館、関口芭蕉庵に寄ってみましょう。
 まずは新宿御苑へ。お恥ずかしい話、ここには初めて入ります。入園料200円というのは納得できないし許せないし弾劾したいですね。入るのに金をふんだくるなんて、公園の風上にも置けねえ、叩き切ってくれる! と桃太郎侍のように憤慨してしまいます。公園の維持管理費にまわるのであれば、喜んで税金は払いますよ、是非無料にしていただきたい。自衛隊のイージス艦か、原子力発電所一基分の値段で十二分にまかなえると思いますが。
 それはともかく思ったより広い公園ですね。かつて信州高遠(たかとお)藩主内藤家の下屋敷のあった所で、1879(明治12)年に内省管轄の新宿植物御苑となったそうです。その窮乏ぶりを「銭は内藤豊後守、袖からぼろが下り藤」と江戸庶民にからかわれた内藤家なのかな。フランス式整形庭園・イギリス風景式庭園・日本庭園が雑然と並び、これといった見所もなく、庭園の眺めも凡百ですが、とにかく広い。もうそれだけで十分ですね、そろそろ見頃の紅葉を楽しめました。日本最古の擬木の橋と、皇族のための洋風休憩所が残されています。日本最古の温室もあったと聞きましたが、これは取り壊されたとのことです。惜しい、識見を疑います。古い温室というものは、鉄とガラスという産業革命の精華を駆使した歴史の貴重な証言者なのに。これで戦前に作られた温室で残されているのは、名古屋東山植物園の物件ぐらいなのかな。イギリスのキュー植物園の温室も、機会があれば是非見てみたい。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-02-22 06:14 | 東京 | Comments(0)

谷中七福神編(3):(06.1)

 不忍池にある弁天堂は予想以上の混雑でした。朱印を押すための七福神が刷られた版画の値段を見ると、1,200円! おまけに300円払わないと朱印を押してもらえないようです。縁起物だからいいじゃん、と許容する気にならず、信心深くもないので、朱印は一切カットすることにしました。
 このあたりにはたくさんの石碑が建ち並び、これを見ているだけでも楽しいですね。弁財天を祀っていることから、まずは音楽関係のものとして八橋検校や杵屋六三郎の碑がありました。それからどういうわけか調理関係の碑も多く、ふぐ供養や包丁塚。後者はあの名作「包丁人味平」の中で、味平が元五条流仲代圭介と包丁試しを行った伝説の場所です。それからめがねの碑、そして「放浪の画家・日本のゴッホ」と呼ばれる長谷川利行を顕彰した利行碑(揮毫は熊谷守一)などがありました。
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 ここから次の護国院に向かう途中に森鴎外旧居跡の碑があり、すこし行くと上田邸(旧忍旅館)がありました。ここにあったのか! これは嬉しい偶然です、マンサール屋根にイオニア式列柱を組み合わせた奇抜なデザインです。以前ある本で見かけていつか見たいと思っていたのですが、ここにあったんだ、眼福眼福。国鉄の下山総裁が轢死体で発見される直前に泊まっていた旅館だったような気がするなあ。記憶違いかもしれません。
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 そして大黒天がある護国院に到着、ここの庫裏一階部分は、歌舞伎座などを手がけた岡田信一郎の設計によるものです。少し先に行くと、こんな掲示がありました。労働者を大事にする姿勢がいいですね寺田商事さん、機会があったら(ないと思いますが)贔屓にさせていただきます。
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 昔の雰囲気をそこはかとなく残す味わい深い街並みを歩いていると「愛玉子(オーギョーチイ)」という摩訶不思議なお店を見つけました。今調べてみたところ、「愛玉子とは台湾でしか取れない果実。その果汁を寒天状に固め、シロップやかき氷をかけたり、あんみつに入れたりして食べる。大正初期からあるオリジナルの名物で、とうとう店名にまでなった伝説のデザート。藤山一郎、サトウハチロー、橋本明治、東山魁夷ら、愛玉子を愛した芸術家は数知れず、高名な作家の作品が飾られている。」ということでした。再来を期しましょう。すぐ近くの大雄寺にある高橋泥舟の墓を参を訪ね、珍々亭で炒飯をいただきました。TVで柳家小三治が「小言念仏」を噺しておりましたが、飄々とした味わいがいいですね、油がのっています。さて次は長安寺の寿老人、この寺には狩野芳崖の墓や板碑があります。
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 そして谷中霊園に向かい、幸田露伴の小説のモデルとなった五重塔跡を拝見して、毘沙門天のある天王寺へ。
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 そして下町情緒溢れる商店街「谷中ぎんざ」に向かいました。きれいな夕焼けが見える「夕焼けだんだん」という石段のある商店街です。
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 次なるは布袋のある修性院。この布袋さんはインパクトのある像ですね、夢にでてきそう。こちらには滝沢馬琴筆塚があります。その先が青雲寺の恵比寿。ダイエットの必要がありますが、苦みばしったいい男です。
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 ここから西日暮里界隈をぬけて田端にある東覚寺まで歩いて約15分です。門前に何やら赤い物体が二体並んでいます。何だ何だ何だと思い近寄ると、体中に赤い紙を貼り付けられた仁王、赤紙仁王でした。疾患のある部分に赤い紙を張って祈願すると治癒するという伝承で、もともとは江戸期に疫病鎮めのために建立されたようです。なるほど、赤の持つ呪力が疫病を鎮めるという民間信仰はよくみられますね、お地蔵さんの赤いよだれかけや、還暦の際に着る赤い羽織や、「赤ちゃん」という言い方もこれと関連があるのでは。それにしても人々の切なる祈りを具現化したようなその迫力には圧倒されました。京都の千本ゑんま堂や釘抜きさんを思い出しますね。
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 さて最後の七福神、福禄寿を拝見すると社務所に朱印乾燥用ドライヤーがありました。気が利いているというか、即物的というか… 二宮金次郎像があったのも驚きです。何が何でもおめーらの願いをかなえてやるぜ、べらんめえ、というその意気やよし。 なお裏手の庭園にはプチ七福神が配置されており、時間と体力のない方にはお勧めです。そしてJR田端駅まで歩いて、帰宅。
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 というわけでちょうどいい距離の散歩ができました。途中にある見所の多さと落ち着いた街の雰囲気という点では隅田川七福神より面白いのではないかな。朝倉文夫彫塑館(猫好きにはたまりません)、大名時計博物館、三遊亭円朝の幽霊画コレクションがある全生庵、岡倉天心記念公園など、面白い物件が目白押し。

 本日の一枚は、東覚寺庭園のプチ七福神です。あれっ一人多いな…
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by sabasaba13 | 2006-01-12 06:12 | 東京 | Comments(0)

谷中七福神編(2):上野公園(06.1)

 まずは両大師堂にある黒門を見学。彰義隊を中心に旧幕府武士が明治新政府に対して徹底抗戦した上野戦争の弾痕が生々しく残る当時の門は南千住円通寺に移築されており、これは1964年に復元された門だということです。門扉に数ヶ所残る弾痕は当時のものなのでしょうか。なおこれを鎮圧した、新政府軍司令官が大村益次郎ですね。
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 科学博物館の前に行くと、バスガイドのみなさんが熱心に研修をしておりました。野口英世の銅像に挨拶をして、国際こども図書館へ。
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 日本初の国会図書館としてつくられた、堂々とした風格ある煉瓦建築です(1906年築)。法務省や慶應大学図書館とならぶ、都内でも屈指の近代建築ですね、一見の価値あり。その前には、土井晩翠が長男の遺志をくんでつくった小泉八雲の記念碑があります。隣りは黒田清輝記念館。
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 そしてここの交差点にあるのが、旧京成博物館動物園駅の駅舎です。現在は使用されていないのですが、たいへん凝った意匠のギリシア神殿風建築です。よかった、取り壊されていなかった。周囲の景観を配慮したデザインだと思いますが、ぜひ保存し続けてほしいな。日本初の音楽ホール奏楽堂の前を通り過ぎると「文晁碑」がありました。揮毫は徳川家達で、側面の碑文が削り取られています。何か謂れがありそうですね。
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 上野公園生みの親ボードワン博士像・小松宮像・グラント将軍夫妻植樹碑を拝見して、お化け灯篭へ。1631年に佐久間大膳が寄進した、高さ7mの巨大灯篭です。同型のものを南禅寺・熱田神宮にも寄進したそうです、昨年両所に行ってきたのですが気づきませんでした。
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 さて空腹となったので、精養軒で昼食をとろうかと思い立ち寄ったところ、長蛇の列です。やめやめ、我慢して谷中あたりで昼飯としましょう。すぐ近くの大仏山パゴダには、かつてここにあったが焼失した大仏の顔面部分のみが飾られています。芭蕉が「花の雲鐘は上野か浅草か」と歌った時の鐘を見上げながら、清水観音堂へ。途中で最近つくられたらしい「時忘れじの塔」がありました。碑文には、関東大震災や東京大空襲といった悲しい出来事を思い起こしてもらいたいとありますが、天災と人災を一緒くたにしないでほしい。
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 人形供養で有名な清水観音堂を拝見して、少し先に行くと彰義隊士の墓碑があります。新政府をはばかって、正面には「戦死之墓」としか刻まれていません(揮毫は山岡鉄舟)。なおその遺体は見せしめのため長期間放置され、それを憐れんだ円通寺住仏摩により同寺に葬られたそうです。函館にある碧血碑を見た時も感じたのですが、敵や敗者に対する新政府の冷酷さを見るにつけ、靖国の精神につながっていますね。かつては、敗者を御霊として手厚く祀り、あるいは戦さが終わると敵味方区別なく弔うという伝統もあったはずなのですが、近現代の日本政府はここから逸脱しています。供えられたわずかの花と十数枚の一円玉が悲しい。置かれた立場は似ているのに、新撰組に人気が集中するのは不思議です。その墓碑に尻を向けて屹立する西郷隆盛像をひさびさに拝見。
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 ふと気づくとその脇に昭和天皇が皇太子の時に、この高台から大震災の被害状況を展望したという記念碑がありました。国見ですかね。階段を不忍池へと降り、いよいよ谷中七福神めぐりの開始です。
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 本日の一枚は、彰義隊士の墓碑です。
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by sabasaba13 | 2006-01-11 06:17 | 東京 | Comments(0)

谷中七福神編(1):根岸(06.1)

 年末年始、小原庄助さん的暮らしをしていたら、心なしか布袋腹のようになりつつあり、これはいかんと思って、運動をかねて七福神めぐりをすることにしました。それにしても、決められたいくつかの場所をめぐり、その証をもらってもどってくるという行為を好む日本人の感性というのは興味がありますね。八十八ヶ所、三十三ヶ所、七福神、スタンプラリーなどなど。何故なのだろう? 数を積み重ねれば、願いが叶いやすくなるという信仰なのかな。
 それはともかく、隅田川七福神は何度も行ったので、他の所を調べてみたら、何と都内には四十ヶ所以上の七福神があるのですね。今回は都内最古という谷中七福神を選びました。

●東京都の七福神 http://park1.wakwak.com/~hisamaro/1toiawase.htm

 コースとしては、根岸を徘徊して上野公園を抜けて不忍池に出て、弁天堂を出発点にしてみましょう。道案内は「江戸東京歴史の散歩道1」(街と暮らし社)です。このガイドブックは解説が詳しく地図が正確なのは結構なのですが、該当箇所を地図ですぐ見つけられないのが難。ま、急ぐわけではないので、のんびり捜しながら歩きましょう。少し寒いけれど、雲ひとつない快晴の日曜日、まずはJR鶯谷駅で降り、駅前の喫茶店でモーニング・サービスをいただきながらコースを確認しました。だいだい腹案がかたまり、いざ出発。豆腐料理で有名な「笹の雪」近くの路地に入り、子規庵をめざします。おおっ、ほんとにここにあるのかい? 林立するラブ・ホテル群にびっくりしました。最近入、もとい、全く入ったことがないのでよく事情はわかりませんが、こんな掲示を見ると経営も大変そうですね。
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 しばらく歩くと、道が細くなり多少風情らしきものが感じられます。でも季語に「根岸の里の侘び住い」をつけると、俳句になってしまうという往時の面影はありません。初春や根岸の里の侘び住い… その一画に子規庵がありました。正岡子規が没するまで住んでいた所で、戦災で焼けた住居を復元し、遺品などを展示してあるそうです。「仰臥漫録」はここで記されたんだ… 感無量。休館でしたが、これは想定済み。また来ることにします。向かいは中村不折(画家・書家)の住居跡で、彼が収集した書を展示する書道博物館となっていますが、ここも休館。森鴎外の墓碑銘「森林太郎」を揮毫したのが彼でしたね。
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 一本隣りの道にはねぎし三平堂があります。林家三平の資料館ですが、周囲を圧する三階建てビルと、600円という高額な入場料に違和感を覚え、入らず。彼岸の三平師匠はこれを見てどう思っているのかな。「どーもすいません、でも入ってくださいよお」という声が聞こえてきそう。なお古今亭志ん生による三平の真打ち披露口上は傑作ですね。すぐ近くに襖引手資料館兼店舗もあり、家具職人が多い街だという雰囲気を伝えてくれます。
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 ここから柳通りを下谷へと歩きますが、途中で戦前の物件らしい理髪店と遭遇。「整○浄髪」という額がいいですね、不学のため一字読めませんが。
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 高いけれど美味しい洋食屋「香味屋」の前を通り過ぎて、金杉通りへ。出桁造りの民家や看板建築が点在しますが、以前よりかなり減ったような気がします。しばらく駅の方へ歩くと、肉のえびすやを発見。フライ類をその場で揚げて売ってくれる肉屋で、メンチ・ポテト・ハムかつという揚げ物三種の神器をとりそろえています。個人的なチェックポイントとしては、メンチ:タマネギが入っていない、ポテト:一口で食べられる大きさ、ハムかつ:できるだけ薄いハムを使用、なのですが、この店はどうでしょう。再来を期す。
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 近くに小野照崎神社があります。平安期の学者小野篁(たかむら)が祭神、特筆すべきは富士塚です。江戸時代に富士浅間信仰が流行し、富士山を模した築山が江戸各地につくられましたが、ほぼ当時の状態で残されているようです。高さ5mほど、溶岩をしきつめ様々な碑が並び建つ見事なものです。残念ながら7月1日の富士開きの日にしか登れないようですが、見るだけの価値はあります。また古い庚申塔や奉納された力石、金網に閉じ込められた猿の石像などもあり、楽しめます。猿といえばたしか日枝神社の神使ですよね、どういう関係があるのでしょう。何故金網の中に閉じ込められているのか、謎は謎を呼びます。
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 そして入谷鬼子母神へ。(上部の点がない「鬼」という字が出てこない!) ここは下谷七福神の福禄寿があり、賑わっていました。少し先の交差点には、尾形乾山窯元の碑がありました。隣りには、坂本小学校(廃校)の見応えある校舎があります。大正期頃のものでしょうか、尖頭型の三連アーチと放物線状の塔がいいですね、ぜひ保存して欲しいものです。さて、ここから陸橋を渡って上野公園へと向かいましょう。
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 本日の一枚は、小野照崎神社の富士塚です。
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by sabasaba13 | 2006-01-10 06:10 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋編(4):小石川後楽園(04.11)

 地下鉄南北線に乗り、西ヶ原で途中下車。12:30から、飛鳥山公園にある渋沢栄一のためにつくられた図書館「青淵文庫」と、彼の別邸「晩香廬」の内部が公開されるので、見物してまいりました。後者は洒落た物件ですね。栗材の多用や葦を使った羽目板など、茶室のテイストをうまく洋間にアレンジしています。都内で唯一残る西ヶ原一里塚を拝見して、ふたたび南北線に乗り、飯田橋へ。
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 歩いて十分ほどで、小石川後楽園です。実はここは未踏の地。江戸時代初期に、水戸藩中屋敷の庭園としてつくられたもので、二代藩主光圀の時に完成します。入場券を買うために並んでいると、後ろの若い女性が連れに「なんでもみじのいろがかわらないのお」と舌足らずの猫なで声で話しかけていました。「目をつぶって歯をくいしばれ! 自分で考えろ!」と怒鳴りつけようと思いましたが、ここは我慢。入園すると、園内は芋を洗うような大混雑。ふと正面を見てのけぞりました。池の向こうに丸くて白くて巨大な物体が… 何と醜悪な東京ドームが借景になっています。シュールな光景だ、「トワイライト・ゾーン」のテーマ曲が脳中で鳴り響きます。チャカチャカチャカチャカ 気を取り直して園内を散策。ここも六義園と同じ「回遊式築山泉水」の大名庭園です。六義園より築山が高く、ダイナミックな感じがしますね。竹生島・音羽の滝・通天橋・渡月橋といった名前からも、東夷の都に対する強烈なコンプレックスをあらためて思い知りました。イチョウの落葉が敷き詰める坂道や、池におおいかぶさるもみじなど、けっこう見所も多いですよ。読売新聞社が倒産して巨人軍が地球上から消滅し東京ドームが完全に撤去されたら、また来てみよう。早くその日がくることを心の底から祈っております。中立を装いながら露骨に自民党を応援する新聞社と、球界の繁栄のためと称して金をばら撒き戦力強化をはかる増上慢な球団、嫌いですね。なお水戸学の大家藤田東湖は安政の大地震の時に、ここで母を守ろうとして圧死したのですね。その死を悼む碑がたっていました。
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 なお山ノ神の情報では、八柱霊園の紅葉が凄まじかったとのこと。みなさんの紅葉穴場情報をお待ちしております。

 本日の二枚は、小石川後楽園です。
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by sabasaba13 | 2005-11-22 06:14 | 東京 | Comments(2)

東京錦秋編(3):名主の滝・音無川親水公園(04.11)

 さらに十数分歩いて王子稲荷の先にある名主の滝に到着。王子村の名主畑野家が、屋敷内に滝を開き一般の人々に開放したことが嚆矢だそうです。本日の一押しはここですよ、ここ。複数の滝とせせらぎと築山と樹々が濃縮された空間で、狭いながらもマイナスイオンがムンムン充満しております。紅葉した落葉がはらほろひれはれと風に舞い落ち、せせらぎに浮かび流れ、そして水底に錦繍の如く折り重なっています。人影もまばらで、去り行く秋を思う存分堪能することができました。
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 そして音無川親水公園あたりの紅葉も拝見して、王子駅へ。1930(昭和5)年建築のこの橋は御茶ノ水の聖橋と酷似しています。今調べてみたら、聖橋の建築年は1929(昭和4)年、東京市復興局橋梁課架設で、設計は山田守でした。旅をしていると時々でくわす、気になる建築家です。
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 実は王子駅から少し歩いた所に、わが敬愛、そして畏怖するボクサー大場政夫が所属した帝拳ジムがあり、彼が通いつめた喫茶店「ディオンヌ」があります。以前行ったことがあるし、彼のことを思い出すと辛くなるので、今回は割愛しました。とにかく凄いファイターでした。興味のある方は(いないだろうなあ)、彼の伝記『狂気の右ストレート』(織田淳太郎 中公文庫)をご一読ください。(絶版だろうなあ) 「負けるなんて考えたことがない。」 彼の言葉です。ダウンして右足を捻挫しながらも、チャチャイ・チオノイを倒した試合(1973.1.2)は忘れられません、彼と一体になってチオノイを殴り続けた覚えがあります。自分の中の獣を、私は飼い慣らせたのでしょうか。三週間後の1月25日、ファイトマネーで買ったばかりのコルベット・スティングレイを走らせていた大場は首都高速のガードレールに激突、死亡しました。享年23歳。合掌。

 本日の二枚は、名主の滝と音無川親水公園です。
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 追記。「首都高に散った世界チャンプ」(織田淳太郎 小学館文庫)と改名された上で再出版されているかもしれません、未確認ですが。「激しく倒れよ」(沢木耕太郎 文藝春秋社)所収の「ジム」も大場政夫を描いたノンフィクションです。

●「奇人発見伝」より 大場政夫 http://www.j-tierra.com/tm/kijin/index41.htm
by sabasaba13 | 2005-11-21 06:04 | 東京 | Comments(2)

東京錦秋編(2):旧古河庭園・飛鳥山(04.11)

 20分ほどで、旧古河庭園に到着。もとは陸奥宗光の別邸でしたが、次男が古河財閥の養子となった時に古河家の所有となったそうです。彼が農商務大臣の時に、田中正造による足尾銅山鉱毒の告発を無視したのはむべなるかな。コンドル設計の洋館と洋風庭園、京都の庭師・植治こと小川治兵衛が作庭した日本庭園から構成されています。それほど広くない空間に、心字池・雪見灯篭・枯滝・石組を巧みに配置した力量はさすが。
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 さらにテクテク歩いて、飛鳥山公園へ。まずは渋沢史料館を見学しました。このあたりはかつて彼の本邸があったところです。渋沢栄一、近代日本の財界における屈指の指導者として金融制度・会社制度の確立に尽力した人物ですね。深谷には彼の生家と史料館が残されています。嬉しかったのは、彼の孫の渋沢敬三のコーナーがあったことですね。実業家であるとともに、民俗学・生物学にも造詣が深く、私費を投じてアチック・ミュージアム(後の常民文化研究所)を設けて多くの研究者を育てた偉材です。日本史における漁業研究の必要性をいち早く指摘し、『豆州内浦漁民史料』の編者となるなど、炯眼の士でもあります。故網野善彦氏も彼のもとで研究し、非農業民研究に入るきっかけとなったそうな。そうそう『僕の叔父さん網野善彦』(中沢新一 集英社新書)は面白いですよ。その展示に、わが敬愛する民俗学者宮本常一が敬三に出した書簡がありました。いやあガラスに顔を押しつけてむさぼるように読みましたね。律儀で真面目そうな字で
 今さら職について学問をすてる気にはなれませんので、とに角行きつく所まで行って見たいと思います。
 とあるのを読んで感無量。
 隣にある飛鳥山博物館・紙の博物館を見物して、公園を散策。飛鳥山という地名は、鎌倉時代末に紀州熊野の飛鳥明神と若一王子社(後の王子神社)を遷したところから生まれたそうです。八代将軍徳川吉宗は鷹狩りの際にしばしば飛鳥山を訪れていましたが、自分の出身地の紀州にゆかりがある事を知り、1270本の山桜の苗木を植裁し、やがて江戸庶民にも開放されるようになりました。ノブレス・オブリージュ(=身分の高いものは社会的責任を負う)を感じますね、同じ「暴れん坊」でも小泉純一郎首相との大きな違いです。さすが飛鳥山、桜の紅葉がみごとでした。
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 本日の一枚は、旧古河庭園です。
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by sabasaba13 | 2005-11-20 08:45 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋編(1):六義園(04.11)

 錦秋シリーズ第二弾! さる事情により去年は京都に行けなかったので、近場で我慢しました。11月23日の新嘗祭の日に鎌倉に行ってきましたが、紅葉には早すぎて色づいてさえいない有様。12月初旬が見頃かな。瑞泉寺の近くから建長寺に向かう天園ハイキングコースの途中に、獅子舞というもみじが群生している場所があります。ジモティ曰く、鎌倉で一番紅葉が綺麗なところだそうです。捲土重来。
 というわけで、去年の11月末日に都内の紅葉狩りをしてまいりました。全体的に色づきはじめていますので、12月初旬には見頃でしょう。まずは駒込駅近くの六義園。五代将軍徳川綱吉に仕えた側用人の柳沢吉保がつくった「回遊式築山泉水」の大名庭園です。簡単に言うと、小山と池をぐるぐる歩きながら見る庭。歩くにつれて次々と景観が変わるなかなか変化にとんだお庭で、見ていて飽きません。空の色に染まった水面と、そこに映る紅葉が美しい。
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 ここから本郷通りを歩いて、旧古河庭園へと向かいます。この通りは「クロンボ」(おいおい!)とか「こもれび」といった心が液状化してしまうようなゆるゆるしたネーミング・雰囲気の喫茶店が建ち並び、気に入りました。喫茶店が多い街って暇人が多くて住みやすそう。途中にあったことぶき地蔵尊に、卓上コンロが置いてあったのには驚きましたね。呪符を焼くのか護摩を焚くのか不明ですが、ディープな街です。消防法に違反しないのだろうか? 「ま、そんな堅いこと言いっこなし」というお地蔵さんの声が聞こえてきます。
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 本日の一枚は、六義園です。
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by sabasaba13 | 2005-11-19 08:02 | 東京 | Comments(0)