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東京錦秋編(1):六義園(04.11)

 錦秋シリーズ第二弾! さる事情により去年は京都に行けなかったので、近場で我慢しました。11月23日の新嘗祭の日に鎌倉に行ってきましたが、紅葉には早すぎて色づいてさえいない有様。12月初旬が見頃かな。瑞泉寺の近くから建長寺に向かう天園ハイキングコースの途中に、獅子舞というもみじが群生している場所があります。ジモティ曰く、鎌倉で一番紅葉が綺麗なところだそうです。捲土重来。
 というわけで、去年の11月末日に都内の紅葉狩りをしてまいりました。全体的に色づきはじめていますので、12月初旬には見頃でしょう。まずは駒込駅近くの六義園。五代将軍徳川綱吉に仕えた側用人の柳沢吉保がつくった「回遊式築山泉水」の大名庭園です。簡単に言うと、小山と池をぐるぐる歩きながら見る庭。歩くにつれて次々と景観が変わるなかなか変化にとんだお庭で、見ていて飽きません。空の色に染まった水面と、そこに映る紅葉が美しい。
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 ここから本郷通りを歩いて、旧古河庭園へと向かいます。この通りは「クロンボ」(おいおい!)とか「こもれび」といった心が液状化してしまうようなゆるゆるしたネーミング・雰囲気の喫茶店が建ち並び、気に入りました。喫茶店が多い街って暇人が多くて住みやすそう。途中にあったことぶき地蔵尊に、卓上コンロが置いてあったのには驚きましたね。呪符を焼くのか護摩を焚くのか不明ですが、ディープな街です。消防法に違反しないのだろうか? 「ま、そんな堅いこと言いっこなし」というお地蔵さんの声が聞こえてきます。
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 本日の一枚は、六義園です。
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by sabasaba13 | 2005-11-19 08:02 | 東京 | Comments(0)

靖国神社編(3):(05.5)

 外に出ると、軍用馬、軍用犬、軍用鳩をそれぞれ顕彰した慰霊碑が三つ並んでいます。
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 右手の図書館「靖國偕行文庫」の前を奥に進むと招魂斎庭跡、相撲場、行雲亭・靖泉亭・洗心亭という三つの茶室、そして復元された神池庭園があります。自然のままではなく、人為的に構成された滝石組のある池泉回遊式庭園ですが、水のあまりの汚さには驚きました。故障している鯉の餌自動販売機を横目に、本殿の後ろ側を左へ左へぐるっと回り、拝殿に戻ってきます。途中に「守護憲兵の碑」がありました。「昭和二十年三月十日の東京大空襲の戦火が靖國の神域を襲うが神殿を挺身護持したのも憲兵であった」という由来書があります。付近の住民は救助しなかったのかな。「憲兵の任務は監軍護法に存したが、大東亜戦争中は更に占領地の行政に、或は現地民族の独立指導に至誠を尽した。」という言葉が印象深いですね。そして否応なく目につくのが、樹木に下がっているプレート類です。部隊ごとに樹木を寄進しているのですね。これを見つけたかつての仲間が連絡を取れるように、連絡先が記入されているケースが多いですね。今でも深い精神的紐帯をもって集っていることがよくわかります。「もっこく」の木が多いのには何か謂れがあるのでしょうか。ご教示を乞う。なお後日知ったのですが、境内の片隅に1965年につくられた「鎮霊社」があるそうです。パンフレットによると「本殿に祀られていない方々の御霊と、世界各国すべての戦死者や戦争で亡くなられた方々の霊が祀られています。」とのこと。しかし案内も解説もなく、気づかずに見過ごしてしまいました。重要視されている施設ではないことは明らかですね。
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 というわけで、二時間ほどの散策でした。(無理な話かもしれませんが)先入観なしで印象を一言で言うと、ここは間違いなく神社=宗教施設であるということです。神社を構成する施設はみな揃っています。しかもきわめて歴史が浅くかつ人工的・作為的・政治的につくられた神社だと感じました。普通、神社には、信仰心が薄い小生でも思わず畏敬の念を感じるようなオーラがただよう一帯や物件があります。巨木・奇木・巨岩・奇岩や、清浄な池や川ですね。それが全くありません。伝統的な神道とは、人間の力を超えたマジカルな存在である神がいっぱいいて、大きい物や変わった形の物やきれいな形の物[ex.山・木・岩…]である依代にのりうつるという民間信仰だと考えます。そして、この列島の神々は汚いものが大っ嫌いなので、徹底的にきれいにすると神々は大喜びして恵みをもたらしてくれる。ここから中を汚すなよ、という目印が注連縄(しめなわ)です。目に見えない汚れ[…ケガレ]も落とさなければなりません。そのために行なう儀式が祓(はらい)で、特に有効なのが水ですべての汚れを流し落とす禊(みそぎ)です。そう考えると、神の宿りそうな依代もなく、池も汚れているこの神社は、伝統的神道とは断絶したものだと判断します。そして天皇・政府の命によって死んだ死者のみを顕彰する施設であるということ。追悼、鎮魂、慰霊といった行為と、顕彰という行為は両立しうると思いますが、遊就館の展示から判断しても後者の要素は強いですね。そしてこの神社を心のよりどころとしている戦友や遺族が、間違いなく存在しているということ。寄進された樹木や記念写真、催し物のお知らせなどを見ると、それをひしひしと感じます。
 百聞は一見に如かず。やはり一度は行って視ていろいろなことを感じる価値はあると思いますよ。よしっ、それでは「靖国問題」(高橋哲哉 ちくま新書532)を読んでみることにしよう。
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by sabasaba13 | 2005-06-26 07:45 | 東京 | Comments(0)

靖国神社編(2):(05.5)

 小鳥居を出て右手に行くと、遊就館があります。1882(明治15)年に創立された日本初の軍事博物館です。芥川龍之介が『侏儒の言葉』の中でこう言っていたのを思い出します。(「武器」より) 
 正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。古来「正義の敵」と云う名は砲弾のように投げかわされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの「正義の敵」だか、滅多に判然したためしはない。…日本は二千年来、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかったらしい。
 …わたしは歴史を翻えす度に、遊就館を想うことを禁じ得ない。過去の廊下には薄暗い中にさまざまの正義が陳列してある。青竜刀に似ているのは儒教の教える正義であろう。騎士の槍に似ているのは基督教の教える正義であろう。此処に太い棍棒がある。これは社会主義者の正義であろう。彼処に房のついた長剣がある。あれは国家主義者の正義であろう。わたしはそう云う武器を見ながら、幾多の戦いを想像し、おのずから心悸の高まることがある、しかしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執りたいと思った記憶はない。
 龍之介の時代には(大正期?)、各国の武器も展示していたのですね。現在は武器博物館という色合いは消え、日本近代の戦争を紹介する展示が中心です。2002(平成14)年にリニューアルされてからは、初めて訪れました。玄関ホールには零戦、砲二門、泰緬鉄道で使用されていたC56型機関車が展示されています。入場すると、以前よりすっきりとした見やすい展示になっています。展示のコンセプトは「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊を武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が生まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館の使命」というものです(パンフレットより)。その言葉どおり、近代日本の戦争は全てやむをえず行ったものだ、つまり日本側に非や責任はない、という観点で見事なまでに一貫した展示です。大展示室には九七式中戦車、艦上爆撃機「彗星」、人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」が展示されていました。その隣にある「靖國の神々」というコーナーでは、祀られている人々の顔写真や履歴が展示されていますが、「○山○男命」と必ず命(みこと)という称号が付けられています。ミュージアム・ショップをひやかしたところ、以前は販売していた教育勅語の朗読テープがなかったですね。
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by sabasaba13 | 2005-06-25 07:33 | 東京 | Comments(0)

靖国神社編(1):(05.5)

 ロベスピエールを称える人も、憎む人も後生だからお願いだ。ロベスピエールとは何者であったのか、それだけを言ってくれたまえ。
                                                 ~マルク・ブロック 『歴史のための弁明』より~

 というわけで、靖国神社参拝問題を考える前に、ひとつ神社そのものを虚心坦懐じっくり見てやろうと、先日行ってまいりました。まず、靖国神社とはどういう神社なのか? 岩波日本史辞典から引用します。「明治期の創建神社で、天皇の忠臣を祀る旧別格官幣社の一つ。東京都千代田区に鎮座。幕末維新期の官軍側の<国事殉難者>を祀るため、1869年6月東京招魂社が創建され、79年6月靖国神社と改称。陸海軍省の所管に属し、日清戦争以後は対外戦争の戦死者を合祀し、日本軍国主義の精神的基礎を形づくる施設の一つとなった。第2次大戦後、神道指令で国家と分離され、単立の宗教法人となる。しかし日本遺族会や自民党の一部はその国家護持をめざし、靖国神社国営化法案は1969年から連続5回国会に上程されたが、74年廃案となった。」
 地下鉄九段下駅で降りて、九段坂を少しのぼると1974(昭和49)年に再建された高さ25mの大鳥居が見えてきます。両側に並木と灯篭が続く広い参道の正面には、高い台座の上に立つ大村益次郎の銅像が見えます。長州藩の軍事指導者で、上野にたてこもった彰義隊(旧幕府の武士)を壊滅させた人物です。その際、新政府側の戦死者を弔う地として、ここを選んだのが彼だそうです。灯篭には「明治十一年 華族」というシンプルな銘がありました。西南戦争の翌年だし、この灯篭群の寄進には何か事情がありそうですね。
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 右手の木立の中には「常陸丸殉難記念碑」と「西伯利亜(シベリア)出兵田中支隊忠魂碑」があります。前者は、日露戦争の際に撃沈された輸送船のことですね。当時、詩歌にも歌われ人口に膾炙したそうです。銅像を通り過ぎて、車道を渡り第二鳥居をくぐると直径1.5mの巨大な菊の紋章がある神門があります。記念写真屋さんが、両脇で待機しておりました。ここをくぐると左手には参拝記念樹の売店があります。
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 そして小さな鳥居を抜けると、拝殿・本殿・霊璽簿奉安殿が縦に並んでいます。この鳥居の右脇に「皇族下乗」という印象的な立て札があります。また左脇には、「今月の遺書」という感じで、沖縄戦で戦死した陸軍中佐の遺書と明治天皇作の「國のため いのちをすてし もののふの 魂や鏡に いまうつるらむ」という歌が大きく掲示されていました。拝殿は1901(明治34)年につくられたもので、唐破風+千鳥破風を組み合わせた霊廟建築です。菊の紋章を四つそめこんだ垂れ幕がかかっており、ここでお参りをするのですね。神社の常として、ここから先は立ち入りできません。霊璽簿というのは、個々に祀られている人の名前を記した和紙を綴じてあるものだそうです。
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by sabasaba13 | 2005-06-24 06:20 | 東京 | Comments(0)

小金井公園編(3):(05.4)

 さてさてたてもの園を出ると、眼前は桜、桜、桜、人、桜、人、人、桜、人。あたり一面を埋め尽くし咲き誇る桜は圧巻ですね。そしてその花の下を埋め尽くす人々の数も。この世のものとも思えぬ光景でした。いったい、根元には何万人ぐらいの死体が埋まっているのだろうと、梶井基次郎でなくとも思ってしまいます。そうそう、小金井公園のみなさんは上野公園の花見客よりもはるかに上品なような気がします。カラオケも、泥酔者も、一気飲みもなく、和気藹々と花見を楽しんおられました。印象的だったのが、おそらく会社の花見のために場所取りをしているのでしょう、体中に花びらを浴びながら一心不乱に読書をしていたスーツ姿の若い男性です。一幅の絵のようでしたね、うん。思わず写真におさめてしまいました。それにしても花見の席まで職場の人間関係とか上下関係を持ち込むのは無粋の極みだと思いますけれど。彼の胸中やいかに。
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 そぞろ歩きをしながら桜の園を西口へ抜け、玉川上水を渡り、徒歩で駅へと向かいました。武蔵小金井駅までは歩いて十数分。実はこのあたりは山ノ神の祖母が住んでいたところで、彼女が幼少の砌、よく遊びに来ていたとのことです。当時は武蔵野の俤を残す田園風景が広がっていたそうですが、あまりの激変ぶりに言葉を失っていました。思い出の地を失うのは悲しいことですね。スヌーピーが生まれた場所も駐車場にされてしまい、彼は「お前たちは僕の思い出の上に駐車しているんだ!」と叫んでいましたっけ。JRに乗って西荻窪に行き、「フランクフルト」で美味しいウィンナーとベーコンを購入し、「こけしや」(フランス料理)で昼食を堪能。両店とも山ノ神御用達のお店です。再びJRに乗り、中野駅で下車し、練馬行きのバスに乗って帰宅です。これも彼女のお勧めなのですが、駅から練馬へと続く中野通りの桜並木を車窓から眺めようという趣向です。なるほどこりゃすごい。満開の桜並木が延々と数キロも続いております、これは穴場。途中の新井薬師公園や哲学堂のあたりにもたくさんの桜があります。
 というわけで、身も心も桃色に染まった一日でした。来年の桜をまた見るために、生き長らえてやろうと決意を新たにします。来年はどこに行こうかな。
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by sabasaba13 | 2005-04-29 08:13 | 東京 | Comments(2)

小金井公園編(2):(05.4)

 ロータリーから左へ、いこいの広場を抜けてしばらく歩くとそこが歴史的価値の高い民家や商店、個人住宅や銭湯などを移築・展示してある江戸東京たてもの園です。前の池には、重なり合って甲羅干しをする亀たちが。この光景は小確幸(小さいけれど確固たる幸せ)です。さて中に入りましょう。
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 建築史家の藤森照信氏がプロデュースしただけあって、逸品ぞろい。思わずニヤリとしてしまうような建物がそろっています。東ゾーンの下町中通りは、「千と千尋の神隠し」のモデルとなった子宝湯を中心とした道の両サイドに看板建築(のっぺりとした板状の前面部=ファサードにモルタルや銅板製の装飾が施されている商店建築)が建ち並び、昔懐かしい人間くさくて薄汚れていてあったかい雰囲気にどっぷりと浸れます。ああ、やっぱりスターバックスコーヒーがないとホッとします。あれが一軒あるだけで、街の表情が金太郎飴のように平板になってしまうんだよなあ。私のお気に入りは、子宝湯に向かって右手にある武居三省堂(文具店)と花市生花店。木造三階建てのファサードに広がる遊び心に満ちた装飾の数々。こういう建物の存在を許さない文明にどんな意味があるのだろうと思います。その前にある植村邸の銅板に刻み込まれた、東京大空襲時の焼夷弾の破片が突き刺さった跡も見逃すことなかれ。
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 他にも、高橋是清邸(二・二六事件の際に、彼はこの家で殺害される)、常盤台写真館、下谷消防署望楼上部(なぜ壊してしまったの!)、モダニズム運動を主導した堀口捨巳設計の小出邸、典型的な出桁造りの小寺醤油店、風間(藤竜也)とお涼さん(篠ヒロコ)が見つめあっていそうな鍵屋(居酒屋)などなど。あっという間に時がたってしまいます。山ノ神のお気に入りは建築家前川國男の自宅。1942(昭和17)年という建築資材の入手困難な時期に竣工しながらも、吹き抜けの空間と壁面いっぱいのガラス窓・障子で開放感と明るさを演出した見事な建築です。「いつかこんな家を建ててみせるとね…」と左門豊作のように目に炎をたぎらせる山ノ神。インシャラー(神が望み給うなら)。
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 本日の二枚は、子宝湯と三省堂・花市生花店です。
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by sabasaba13 | 2005-04-28 06:14 | 東京 | Comments(0)

小金井公園編(1):(05.4)

 先日、山ノ神といっしょにお花見に行ってまいりました。上野、谷中、墨堤、井の頭公園など、いろいろ選択肢はあったのですが、選んだのは小金井公園。玉川上水沿いに位置した、面積77ヘクタール(日比谷公園の4.7倍、上野公園の1.4倍)の広大な公園にあふれかえるらしい桜と、併設されている江戸東京たてもの園が楽しみです。JR中央線の武蔵小金井駅から循環バスに乗って、公園に到着。目の前が玉川上水です。そういえば、太宰治が入水自殺をしたのはどのあたりなのでしょう。現在のしょぼしょぼした流れからは、溺死するなんて想像もつきません。上水にかかる橋を渡ると、目の前に広大な公園が広がっています。視界に人工物がないと、気持ちがいいものですね。ただ自家用車で来園する人が多く、公園の駐車場は満杯、空くのを待つ長い行列ができていました。正面口から入り直進、ロータリーのところに桜の巨木があります。あたりを睥睨する見事な枝ぶりに、さっそく魅入られました。花はまさに満開、まるで周囲の空気を桃色に染め上げるかのように咲き誇っております。ほわあ…
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by sabasaba13 | 2005-04-27 07:06 | 東京 | Comments(0)