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沖縄編(28):全島エイサー祭り(05.8)

 翌日は一日中ビーチで泳ぐか、朝一番の船で本島に行き全島エイサー祭りを見るか、午前泳いで午後エイサー祭りか、ずいぶん迷いましたが、結局レイト・チェックアウトで午後一時まで部屋を使わせてもらえるという交渉が成立したので、第三案に決定。午前中は名残を惜しむようにしみじみと美しい海を楽しみました。アディオス。
 午後の船で那覇に行き、空港ではやばやとチェックインして荷物を預け、さあコザで開かれている全島エイサー祭りに行きましょう。空港の観光案内所でバスの便や開催場所を教えてもらい、急行バスに乗ること約1時間。会場の沖縄市コザ運動公園に到着しました。さあどこで見ようかなと思ったら甘かった! 凄まじい混雑で、スタンド席は入場整理券が必要なのです。やむをえず遠く離れた席から眺めるしかありません。おまけに驟雨が降ったようで大変な湿度、西日が正面から当たりすごい暑さ、いやはやまいりました。そうした悪条件の中、グランドでは熱演がくりひろげられています。各地からやってきた揃いの衣装を着たグループがあちこちで輪をつくり、気合を入れています。中には見た目が怖い暴走族風のおにいちゃんが、一所懸命に振り付けを練習しています。心和む光景ですね。
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 残念ながらバスの本数が少ないため、40分ほど見てバス停に行きましたが、待てども待てどもバスが来ません。いっしょに待っていたご夫婦が飛行機の出発時間に間に合わないのでいっしょにタクシーで空港に行かないかと誘われたので、ご好意に甘えることにしました。車内で会話をかわしたところ、二泊三日でこのエイサー祭りを見に来たとのことです。おかげでわれわれは余裕をもって間に合い、空港で夕食をとり搭乗。結局、相も変わらない齷齪動き回った旅でした。ダンベルのように重い「<日本人>の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで」(小熊英二 新曜社)を現地で読み終えたのは収穫でした。書評はまたいつかの機会に。重量だけではなく、内容も重い本でした。
 というわけで次回の沖縄旅行では鳩間島と阿嘉島は外せません。捲土重来。

 本日の二枚は、トカシクビーチと那覇空港から遠望した渡嘉敷島です。再見。
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 追記。日本による併合(琉球処分)に反対した神山庸栄の残した一文を知りました。恐るべき予言です。
 按ズルニ日本ハ小国ナリ。己ノ力ヲ測ラズシテ、シキリニ兵威ヲ以テ四隣ヲ脅シ、猥リニ武断ヲ以テ八荒ニ対センカ、日本カナラズ敗ルルノ日来ラン。彼敗レテ自カラ危キニ至レバ、我ヲ棄ツルコト弊履ノ如クナルベシ。我アニ手ヲ拱キテ政府ノ命ニコレ遵イ、イタズラニ好戦ノ犠牲ト化シテ日本ノ為メニ売ラルル有ルノ愚ヲナサンヤ。宜シク旧制ヲ護持シテ王道ヲ顕揚シ、以テ社稷ノヤスキヲ図ルベシ。

by sabasaba13 | 2005-11-03 07:54 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(27):渡嘉敷島(05.8)

 翌日も快晴。さあいよいよトカシクビーチで山ノ神の入水です。まずは足、そして脹脛、太もも、そしておそるおそる尻… こんなに緊張したのは久しぶりです、小学生の時の逆上がりのテスト以来かな。チャポン 「痛くない! しみない!」と絶叫する山ノ神、ああよかったあ。さっそくシュノーケリングを楽しんでいると、ウミガメも祝福をするかのように現れてくれました。トカシクビーチではかなりの確率で遭遇できますね。
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 午前中はきれいな海と珊瑚と熱帯魚を満喫し、昼ごろ宿の送迎バスに便乗させてもらい港に行き、土日しか開館していない歴史民俗資料館を見学しました。われわれが入館してからあわてて電球をとりかえるぐらいやる気のない係の方には、驚きましたね。ザトウクジラの骨格標本や、沖縄戦に関する資料など内容はなかなかよいのですが、展示の仕方が乱雑でそこはかとないやる気のなさを漂わせています。こういう気だるさは嫌いではありませんが、もう一工夫してほしいですね。近くに役場もあるのだから、連絡をしたら平日でも見せてくれるとか。近くにある民家の塀にはかわいらしい熱帯魚の絵が描いてありました。
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 そして島のコンビニ「新浜屋」で魚肉ソーセージと週刊モーニングを購入し、タクシーを呼んでホテルに戻りました。女性ドライバーの方もあの資料館は何とかしてほしいと、憤慨されておりました。野生のヤギの話になり、今宿泊している宿がそのヤギを飼い慣らし、夜になると野うさぎがいっしょに寝ているという情報を教えてもらいました。今夜、見にいって見ましょう。午後もシュノーケリングを楽しみましたが、ウミガメとの遭遇はなし。
 夕食を食べた後、宿の前につながれているヤギのところに行くと、草むらの中に野うさぎがいました。なかなか可愛い。「ウサギとカメに会える島」というキャッチフレーズはいかが。
 さて泡盛を飲みながら、さきほど買ったマンガを読もうとしたら、何と立ち読みを防ぐためしっかりとセロテープが貼り付けてありました。こうした豪快さ、断固とした意志、虚飾を廃したプラクティカルな発想に、沖縄の歴史を感じます。でも驚きました。さあ明日は最終日です。
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 本日の一枚はトカシクビーチの海です。
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by sabasaba13 | 2005-11-02 06:06 | 沖縄 | Comments(2)

沖縄編(26):渡嘉敷島(05.8)

 さてふたたび阿波連にもどり、イエロー・サブマリン号に乗り込みます。船底が水中に飛び出しており、ガラス窓をとおして珊瑚礁や熱帯魚を見ることができます。ちょっとしたダイバー気分。ものすごい数の稚魚が珊瑚のまわりに蠢いているのを見て、あらためてその重要性を認識しました。まさしく命の揺りかごです、珊瑚を破壊したら取り返しがつかないことになりますね。隣にいた小学生がダイバーを見つけて「あっ!」と叫んだので、「あれは最も危険な生き物だから、近づいちゃだめだよ」と余計なことを言ってしまいました。ごめんね、でもほんとだよ。
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 ホテルにもどり、山ノ神は昼寝をしながら安静にし、小生は一人ウミガメと遭遇するために水中カメラをもってトカシクビーチに向かいました。もう二度と出会えないかなあと半分あきらめていたのですが、何と小さい方のウミガメを発見。今回はバシャバシャと写真を撮りまくりました。うーん、ま、ん、ぞ、く。監視員の方に訊ねたら、五匹ほどこのビーチに回遊してくるそうです。午後三時半頃、海底に草が生えているあたりが狙い目ですね。
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 さて車を阿波連まで返却しに行かなければならないのですが、途中あの憎き森林公園によって夕陽を見ることにしました。ちょうど阿嘉島と慶良間島の間に陽が落ちるのが見える、絶好のポイントです。ふたたび山ノ神の快癒を夕映えに祈願しつつ、あまりの美しさに立ちすくむ私。彼女曰く、明日はためしに海に入ってみるとのこと。

 本日の二枚は夕映えと海亀です。
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by sabasaba13 | 2005-11-01 06:10 | 沖縄 | Comments(2)

沖縄編(25):渡嘉敷島(05.8)

 翌日は大事をとって海には入らず、レンタカーで島内めぐりを続けます。今日は逆方向で島を一周しようと港に向かい、東側の林道を南下して港の見える丘展望台を過ぎると、山ノ神が右手山側に何かのモニュメントを見つけました。さっそく確認したところ、「アリラン慰霊のモニュメント」でした。以下、碑文を要約します。大戦中、慶良間諸島は海上特攻艇の秘密基地とされます。アメリカ軍がまず慶良間諸島に上陸したのは、この基地を叩くためだったのですね。「戦跡碑」を建立した海上挺身第三戦隊は、特攻艇部隊だったのでしょう。その際、千人余の朝鮮人男性が軍夫として、21人の朝鮮人女性が慰安婦として慶良間諸島に連れてこられます。そして米軍の上陸前後に、日本軍の迫害と虐殺によって数百人の軍夫が犠牲となり、慰安婦4人も非業の死を遂げます。そして慰安婦の存在に光をあてた記録映画「アリランのうた オキナワからの証言」制作に参加した橘田浜子氏は、1992年、帰郷の道を失い沖縄に取り残された渡嘉敷島の元慰安婦が死後五日目に発見されたことに衝撃を受けます。そこでそうした女性たちを悼み心に刻むために、寄付によってつくられたのがこのモニュメントです。ガイドブック等にも載っておらず、偶然出会えたことを嬉しく思います。合掌。なお案内板が倒れて朽ち果てていましたが、一瞬いやなことを想像してしまいました。まさかそんなことはないと思いたい。
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 さて阿波連に着きふとポスターを見ると、半潜水型ボートによる珊瑚礁ウォッチングがあります。これは面白そう、とりあえず予約をし、出航時間まで時間があるのでもう一度車で港に向かいました。途中に、海を見下ろす眺めの良い場所に小ぶりで瀟洒な別荘があるので、気になって確認したところ、表札に「灰谷健次郎」とありました。一島一有名人第三弾! 港で最終日の船便の時間を変更し、観光案内所で知った伊江村民収容地跡記念碑を拝見。奇跡的に生き残り、アメリカ軍の捕虜となった伊江村民がここ渡嘉敷島に収容されていたのですね。
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 本日の一枚は、阿波連集落で咲き誇っていた季節はずれのデイゴです。
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by sabasaba13 | 2005-10-30 08:26 | 沖縄 | Comments(2)

沖縄編(24):渡嘉敷島(05.8)

 そして沖縄青年の家の近くにある渡嘉敷島の戦争犠牲者を慰霊した「白玉之塔」を見学して、阿波連ビーチへと向かいます。途中に「戦跡碑」がありました。建立したのは海上挺身第三戦隊で、碑文の中で曽野綾子氏がこう記しています。「島の住民たちは…翌二十八日、敵の手にかかるより自らの手で自決する道を選んだ。…そこにあるのは愛であった。」 わが目を疑いましたね。誰が島民を追い詰めたのかについての思考を停止し、事実を隠蔽し、集団自決を愛として美化するその態度。この碑はいろいろな意味で一見の価値があります。
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 さてこの碑の脇の道に入り、長い階段をのぼって照山展望台へ。文句なし、渡嘉敷島で最高の眺望です。360度の大パノラマ、お勧めですね。
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 そしてその先にある森林公園へ。惨劇はここで起こります。海や島々を眺めながら滑り降りる長い長い滑り台があるのですが、もちろん試しました。たしかに眺めは素晴らしいのですが、 ゴロゴロズリズリゴロゴロズリズリ ローラー式の滑り台なので尻が異様に痛い。途中でこれはやばいと思い、止まったり尻を浮かせたり、致命傷にならないように気をつけて何とか終点に到着しました、やれやれ。さきに滑り降りた山ノ神の安否を気づかい駆け寄ると…、どうやらお尻をずるずるに擦り剥いてしまったようです。海に来て擦り傷を負うとどうなるか、因幡の白兎の例を見るまでもなく、痛くて痛くて海に入れなくなります。美しい阿波連ビーチでためしに海に入りましたが、あまりの激痛のため彼女はすぐに出てしまいました。
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 とりあえずホテルに帰り、夕食をとり、ビーチを散歩。美しい夕映えに、山ノ神の回復を祈りました。大黒様は現れるのか、そして彼女は渡嘉敷の美しい海に再び入れるようになるのか。乞うご期待。

 本日の二枚。照山展望台から見たトカシクビーチと、夕映えです。
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by sabasaba13 | 2005-10-29 09:00 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(23):渡嘉敷島(05.8)

 そして港の北にある国立沖縄青年の家へ向かい、受付で一言ことわりをいれ入場、西の展望台と東の展望台で眺望を堪能しました。
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 実は一番見たかったのが、ここにある「集団自決跡地」の碑です。米軍は1941年4月1日に沖縄本島に上陸するのですが、その前に慶良間諸島に上陸しています。その際の3月28日に、パニックに陥った329名の島民が集団自決に追い込まれますが、その慰霊碑がこれです。なおこの集団自決が軍命によるものであったのかどうかをめぐり、今でも問題になっています。今年の7月には、守備隊の遺族が、これが軍命であったと『沖縄ノート』で記述した大江健三郎氏と、出版社の岩波書店を名誉毀損で提訴する意向だというニュースがありました。遺族年金をもらうための偽証であったということです。また曽野綾子氏も『ある神話の風景』(文芸春秋)で同様の主張をしています。藤岡信勝氏ひきいる自由主義史観研究会も産経新聞も勢いづいて、この問題に取り組んでいるようです。要するに日本軍は住民を虐殺もしないし自決にも追い込んでいない、という主張です。
(関連記事のURLはhttp://blog.satohs.jp/200507/article_88.html
 これに対して8月26日、集団自決の真実を探るツァーが沖縄平和ネット主催で行われ、かつて自らも家族を手にかけた金城重明氏がこう証言されています。「自決を命令する言葉があったかなかったではなく、軍隊によって住民が追い詰められていったことが問題だ。上陸一週間前に自決用の手りゅう弾を渡すなど、日本軍は巧妙に住民を追い詰めていった。」
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200508271300_09.html
 私は金城氏の証言を信じます。教育や広報によって、捕虜になるよりも自決せよという思考を住民に刷り込み、追い詰めて行ったのは日本政府と日本軍です。何回でもくりかえします。「軍隊はまず自分を守る。次に、軍隊は給料を出す所を守る。すなわちその国の政権を守る。…軍隊は内敵と外敵から政権を守る。内敵とは、その国の政権に反対する国内の民衆である。」 旧日本軍の行ったことをきちんと見つめるべきですね、そうしないと同じことが繰り返されます。過去の歴史的事実に正面から対峙し未来のために生かすことは、自虐ではないでしょう。なおこの碑の碑文には、日本軍による軍命あるいは事実上の強制という文言は一切ありませんでした。建立したのは渡嘉敷村です。そしてびっくりしたのは、青年の家をぐるりと取り囲むハブ侵入防止用のフェンスです。そんなにハブが多いのか…
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 そして惨劇は          まだ起こりません。

 本日の一枚です。
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 なお05/10/26の日米審議官級会議は、普天間基地を辺野古に移転することに合意しました。まったくもう、この美しく小さな島々にどれくらい犠牲と負担と恐怖を押しつければわれわれは気が済むのでしょうか。決定権をもつ方々が住んでいる所に移転してほしいですね。東京にもっと米軍基地を! そして東京に原子力発電所と放射性廃物貯蔵施設を!
by sabasaba13 | 2005-10-28 06:17 | 沖縄 | Comments(2)

沖縄編(22):渡嘉敷島(05.8)

 翌日はレンタカーを借りて島内探検です。恐ろしい惨劇が待っていることを知らぬ能天気な二人はさっそうと車に乗り込んだのでした。天気も快晴、まずは阿波連ビーチ展望台で眺望を楽しみ、林道を南下します。島の南端は岩山が聳え立ちなかなかの絶景、ウン島の灯台も遠望できます。海岸に下りると、アラビア語の書いてある紙パックやら、ドイツ製のスティック糊やらがちらばっています。はるばる流れ着いてきたのでしょうね、ビーチ・コーミングにも手を出してみようかな。
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 もう一本ある林道を北上しますが、一台も車とすれちがわず、しかも数箇所に土砂崩れがあるしろものでした。なぜこの道をつくったのだろう、道路建設予算の消化としか思えません。小動物にやさしいスロープ式側溝とやらもありましたが、言い訳めいていますね。あっ、惨劇はここでは起こりません。山ノ神は見事なドライビング・テクニックで崩壊箇所をすりぬけ、快適なドライブが続きます。
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 アラン展望台、港の見える丘展望台で島の東側の眺望を楽しみ、渡嘉敷港のある集落に着きました。根元家の石垣と近くの御嶽を拝見、ここの鳥居は1937(昭和12)年1月、日中戦争の半年前に建立されたものでした。
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 本日の一枚はウン島の近くにある中頭(なかちぶる)の海です。
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by sabasaba13 | 2005-10-27 06:06 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(21):渡嘉敷島(05.8)

 翌日は渡嘉敷島へ移動です。タクシーで石垣空港まで行ったのですが、運転手さんが石垣島米原海岸のシュノーケリングが絶品だとおっしゃっていました。要チェックです。飛行機で那覇まで飛び、タクシーで埠頭へ行きました。待合室の前が外人墓地、時間があったので行ってみたら立入禁止でした。ゴミをちらかす人が多いため、やむをえない措置のようです。門の隙間から「ペルリ提督上陸之地」という記念碑を撮影。
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 そして高速船に乗って約30分で渡嘉敷島に到着です。船内の椅子に安全ベルトと嘔吐用の袋がついていたのにはかなり不安を感じましたが、大丈夫あまり揺れませんでした。ここ慶良間諸島には、渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島、慶良間島、外地島があるのですが、今回は一番大きく観光地化されている渡嘉敷島を選びました。
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 船が近づくにつれ、山が多く急峻な地形であることを認識、これでは自転車での移動は無理ですね。港には宿の車が迎えに来てくれており、一山越えて西側のトカシクビーチに面した宿に向かいました。ここには集落がないので、食事はこの宿でしかとれません。さっそくビーチに行きましたが、なかなかいいですね。人も少なく、白砂も海の色きれいで、すぐ目の前に慶良間海峡、座間味島、阿嘉島が見えます。少し沖まで泳ぐときれいな珊瑚礁も点在していました。
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 途中である子どもが、「ウミガメがいたよ!」と叫んでいます。へえー運がいいなあ、見てみたいもんだ。さてシュノーケリングを楽しみ、浜に向かって泳いでいると、草が生えている海底に黒い影が… ん? え? まさか… ウ、ウ、ウ、ウ、ウ、ウミガメだあっ! 体長1m50cmぐらいのウミガメが草を食べながら、悠々と泳いでいるではありませんか。あわてふためいて山ノ神に教え、二人で見ていると今度は彼女があわてて指をさします。その方向を見ると2mを越える巨大なウミガメが、腹にコバンザメを二匹くっつけて泳いでいました。風格をたたえながら泳ぐその優美な姿には感動しましたね。時々、海上に浮き上がりプハッと息継ぎをするのですが、その様も愛らしい。目も心も奪われながら後をついていきしばらく眺めていましたが、遊泳禁止区域の方へ泳ぎ去ったため追跡を断念。ええもん見せてもろたあ… 水中カメラをもっていなかったのが残念です。
 そして部屋にもどり窓から夕焼けを堪能。海と空と雲をさまざまな色に染めながら、阿嘉島の向こうに沈んでいく夕日はみごとなものでした。

 本日の一枚はトカシクビーチの夕焼けです。
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by sabasaba13 | 2005-10-26 06:20 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(20):竹富島(05.8)

 世持御嶽を拝見して、近くの店でアイスクリームを食べているとこんな張り紙がありました。そういえば沖縄ではあまり野良猫を見かけません。猫フリークのわれわれとしてはちょっと寂しい。46匹もいれば、そのうち一匹ぐらいには出会えるでしょう。竹富名物、水牛の引く車と何回もすれちがいながら集落を散策。
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 珊瑚でつくられた石垣、昔ながらの民家、フクギの屋敷林、舗装されていない海岸の白砂をしきつめた道、親切な道しるべ。観光で生きていくんだという気概をひしひしと感じます。小浜島とは違う意味で、その意気やよし。魔除けのシーサーもバラエティに富んでいて面白いですね、ハンティングをしてしまいました。
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 小学校、仲筋井戸を見て自転車を返却し、船着場へ車で送っていってもらい、石垣行きの船を待ちます。外で煙草を吸っていると、野良猫発見! ぎすぎすに痩せており、しかもゴミ箱に飛び乗り中を物色しているではありませんか。うむむむむむ、もしや離島では猫は迫害されているのでは… なお待合所に立てかけられていたこの御仁の身元がわかりません。ご存知の方はご一報をおよせください。
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 夕食は石垣港近くにある「パポイヤ」。前回の旅行では臨時休業のため涙を呑んだのですが、今回は開店していました。お目当ては石垣牛のステーキです。ちょっとサシが多いかなあとは思いましたが、美味でした。さてタクシーでホテルに戻る途中、「舟蔵の里」という料理店前に車がぎっしりと路上駐車をしています。何だ何だと思ったら、ジャズ・トランペッター日野皓正のディナー・ショーでした。一島一有名人第二弾です。私としては、山下洋輔(p)+坂田明(as)+森山威男(ds)トリオを再結成していただいて招来した方が、沖縄の鮮烈な風土に合うのではないかと思いますが、客は来ないかな。

 本日の一枚は竹富島の集落です。
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by sabasaba13 | 2005-10-25 06:07 | 沖縄 | Comments(2)

沖縄編(19):竹富島(05.8)

 翌日は鳩間島シュノーケリング・ツァーの予定でしたが、業者から電話連絡があり晴天ですが台風の影響で波がうねり中止とのこと。マイクから鳩間島の美しさをきいていただけに、かえすがえすも残念。せっかく「忘勿石(わするないし)」を見に行こうと、タクシーを予約していたのにい。没法子。さてじゃあ今日はどうしよう。山ノ神と協議の上、困った時の竹富島に行くことにしました。さすがに船は揺れましたが、十数分で到着。自転車を借りて、コンドイ浜に行きました。珊瑚礁や熱帯魚が少ないのが難ですが、きれいな遠浅の白い砂浜なのでのんびりするにはいいところです。蟹を一匹拉致してしばしの間、遊んでもらいました。そして安里屋クヤマの墓(「安里屋ユンタ」で唄われた女性)、美崎御嶽を見学。説明板に「御嶽は神聖な場所なので、むやみに立ち入らないでください」と書いてあります。合点承知。
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 昔、狼煙をあげるために使われた小城盛(クスクムリ)を見て、ふと脇を眺めると、「竹富町出身戦没者 慰霊之塔」があり、百数十人ほどの名が刻まれています。それにしても中央政府からこんなに離れた小さな島の人々をも調べあげて戦争に動員していったのですね。金子光晴の「富士」の一節を思い出します。
 重箱のように狭っくるしいこの日本。すみからすみまでみみっちく俺達は数えあげられているのだ。
 隣には忠魂碑があり、碑文の部分がえぐりとられています。何かいわくがありそう。
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 本日の一枚はコンドイ浜です。
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by sabasaba13 | 2005-10-24 09:07 | 沖縄 | Comments(0)