カテゴリ:東北( 200 )

山形編(45):酒田(11.8)

 そして日和山公園にある旧宮野浦灯台(木造六角灯台)へ。灯台フリークとしては見逃せない、日本最古の木造灯台です。1895(明治28)年に建てられたもので、石油ランプ、アセチレンガス灯、電化点灯とう光源を進化させながら、1958(昭和33)年まで働き続けた古武士です。六角形、下見板張り、木製の手摺や窓の意匠など、清楚で洒落た造形が魅力的。最上階にのぼって、腰に手を当て○○○を振りながら、♪おーいらみーさきの、とーだいもおりいよお♪と唄いたい気分でしたが、残念ながら内部へは入れませんでした。
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 そして地図を頼りにNKエージェントビルへ。映画『おくりびと』で登場した、納棺(NK)を営む会社の印象的なビルでした。社長役の山崎努がいい味でしたね、私の大好きな役者です。トリビアな話で恐縮ですが、テレビドラマ『二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ』(1976)で、彼と原田芳雄が大喧嘩をするシーンが忘れられません。その近くにあるのが旧白崎医院、1919(大正8)年に建てられた、酒田市唯一の木造洋風建築で、デザイン・材料ともに優れ、しかも大正期の原形がこれほど完全な形で残っている例は少ないといわれる貴重な建物だそうです。
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 そしてふたたび日和山公園へ、こちらには夕日ビューポイントがあり、さきほど訪れた灯台や酒田港、そして山なみを一望することができます。
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 さてそれではそろそろ酒田駅へと戻りましょう。途中にあった商店では、軒先で鮭を風干ししていました。「山王くらぶ」は1895(明治28)年に建てられた古い料亭で、なかなか凝った意匠の和風建築です。
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 旧港座は、映画『おくりびと』で、主人公の大悟が死者の役にされて納棺の教授用ビデオを撮影した映画館です。その前で安らかに眠るを撮影。
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 この近くにもロケ地として紹介する看板がありました。大悟の生まれた街の一シーンとして登場する、正面に日枝神社の赤い鳥居と鎮守の森が見える石畳の街並みです。
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 そしてグリーン・モンスター物件と浄福寺唐門を撮影して酒田駅に到着。
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 こちらで自転車を返却して、駅前から庄内空港行きのバスに乗り込みました。車窓からはたわわに頭を垂れる田んぼの彼方に、壮麗な月山が眺められました。そして庄内空港に到着、18:15発ANA900便で帰郷。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2013-01-20 08:32 | 東北 | Comments(0)

山形編(44):酒田(11.8)

 それでは北前船にご対面をしにまいりましょう、わくわく。酒田海鮮市場のすこし先にある埠頭に、国内最大級の復元和船「みちのく丸」が停泊していました。東日本大震災復興支援事業として、鯵ケ沢・深浦→小樽→美保関・境港・安来→小浜・三国→金沢→伏木→新潟→酒田→秋田と回航しているそうで、たまたま偶然、酒田に寄港している機会にめぐりあえたわけです。神の愛せし者よ! めったにお目にかかれないものだけに、かなり多くの方々がつめかけていました。それでも行列に並ぶこと数分で乗船することができました。なおお代は無料です、深謝。まずはいただいたパンフレットで北前船について紹介しておきましょう。江戸時代の中期から明治時代にかけて海運の主役となった船が、帆走性能に優れ、頑丈でたくさんの荷物を積むことができ、価格も安く造りやすい「弁才(べざい)船」です。その特徴は、「水押(みよし)」と呼ばれる船首の大きな水切り、中央の長い帆柱と一枚帆、船尾の大きな可動式の舵です。米を千石(約150t)積めるということで、一般の人は「千石船」と呼んでいました。弁才船は、船形から「上方型」と「北前型」に分けられます。上方型は、おもに江戸と大坂との短距離を行き来し、スピードを重視したためスリムな船形になっており、「菱垣廻船」「樽廻船」とも呼ばれます。北前型は、おもに蝦夷地(北海道)や東北と江戸、大坂の長距離を行き来し、荷物をたくさん積めるよう、船首と船尾を大きくした肥満形の船形をしています。みちのく丸は、この北前型弁才船、いわゆる「北前船」ですね。
 まずは外観をしげしげと拝見。いいですねえ、剛毅木訥、質実剛健、武骨な表情の中に、そこはかとない暖かさと優しさを感じます。女優で言えば根岸季衣。ぼってりとした肥満体型は他とても人様とは思えません。弟よ(たぶん)!と抱きしめようとしましたが、腕がまわりきらずに断念。そして船内へ、一切の無駄な部分をはぶき、最大限の積載量を確保しようとしているのがよくわかります。
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 しかしいくら頑丈に作っているとはいっても、荷物を満載して航行中に嵐にでくわしたら…と想像するだけでも身震いします。"板子一枚下は地獄"という物言いをひしと実感しました。なおこの商売は、蝦夷地や東北で大量の米や品物を積み込み、各寄港地で売り買いするというもので、その商法は「北前稼ぎ」といわれ、一回の航海で千両(一億円)も儲かったそうです。でも船が難破して船荷を失えば一巻の終わり。ちなみに上荷は、縄・蓆・俵・古着・雑貨、中荷は綿・煙草・紙類・反物・塩・砂糖・穀類・米、バラスト代わりの底荷は酒・醤油・味噌・油・屋根瓦・石材。ふと思ったのですが、人間が生きていく上で必要な物ばかりですね。必要以上の物を大量に作って無理やり売り捌き莫大な利潤を手に入れようとした時から、世界はおかしくなったのではないでしょうか。ここで自分の頭と言葉で物事をきっちり考える、わが敬愛する橋本治氏の「日本の行く道」(集英社新書0423C)という本を思い出しました。氏曰く、「金をあちこちに動かして儲ける」「需要がなかったら、そこに需要を作り出してでも商品を売る」「必要か不要かを無視して"ほしい"と思ったものはどんどん買う」という原理原則が世界を経済戦争に巻き込み、それを危険でおかしなものにしている。これに対して江戸時代は、工場制手工業によって最低限の需要を満たす「自分のところでいるものは自分のところで作る」経済であり、また「さらによい物を作ろうとする職人・職工のレベルの高さ」とあいまって、社会を安全で穏やかなものにしていたと述べられています。そろそろ私たちは、世界的な規模で加害者と被害者を再生産する経済戦争や、地球を壊し続ける大量生産から手を引き、堅気で真っ当な江戸時代的な経済から多くのことを学ぶ時が来ているのでは、というのが著者の提言です。"「世界中がオタク化する」よりも、「世界中が江戸時代化」する方がましのような気がします"(p.131) あらためて、みんなの暮らしを支えた大事な品々をせっせせっせと運んだ北前船とその船乗りのみなさんに敬意を表します。舳先に立ち山ノ神を前に抱いてタイタニック号ごっこをしながら、♪うなれ潮風さかまけ怒濤行こうのりだせ七つの海へ♪と唄おうとしましたが、係員に制止されそうなのでやめました。なお意識したわけではないのですが、気がつくと北前船の寄港地をけっこう訪れてきました。下津井尾道竹原室積、小浜、三国、輪島、伏木、秋田十三湊三厩青森田名部箱館などですが、いずれも風情のあるいい港町でした。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-01-19 08:27 | 東北 | Comments(0)

山形編(43):山居倉庫(11.8)

 館外へ出ると、雲を残しながらも青空が見えています。出羽大橋からは、雲をかぶった鳥海山も月山も遠望できました。"雲の峯いくつ崩れて月の山"…
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 そして酒田観光の目玉、山居倉庫に到着です。12棟からなる土蔵の倉庫群で1893(明治26)年に旧庄内藩酒井家の監修の元、酒田米穀取引所の倉庫として建てられましたものです。米を保管するということで、屋根を二重に組み太陽光が直接屋根に当たらないよう工夫し、屋根と土蔵の間に空間をつくって風を吹き込ませ温度の上昇を防いでいるそうです。また倉庫の背後に欅を植える事で、日本海からの強風や西日の直射日光を遮る役目を果たさせています。この景観が、よく観光ポスターで見られるものですね。連続する三角屋根の切妻と黒板、そして緑なす欅の古木、やはり絵になる光景です。
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 なお「山居」とは、舟の積み降ろしに便利な、最上川と新井田川とに挟まれた山居島に建てられたところから名付けられたとのこと。内部の一画は庄内米歴史資料館となっているので入館してみると、「おしん」の像がお出迎え。山居倉庫のジオラマや庄内米に関する資料が展示されていました。レプリカの俵を担いでみようというコーナーがあったのでさっそく挑戦、青息吐息でやっとこさ60kgがすこし持ち上がりました。解説によると、昔は女性が米俵の運搬を担当し、「女丁持(おんなちょうもち)」と呼ばれたそうです。中には五俵(300kg!)を担いだ剛の者もいたとか。いやはや、感服仕ります。
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 さて俵を担いだのでさらにお腹がへりました。自転車にまたがり、満を持して「満月」へ。新栄橋を渡ると、さっきは見えなかった鳥海山の山容が拝めました。午後二時半ということで、さすがに大行列は解消されていました。それでも中にはけっこうお客さんがいましたので、よほどの人気店なのですね。さっそくワンタンメンを注文。おお来たか、くるしうないぞ、ちこう寄れ、ずるずる… あれーご無体な、ではなくて…お、い、し、い。としか言えません。ワンタンは皮が命、そして皮の薄さが大事と断言する店主。パンフレットによると、薄いほどスープをよく吸い、また口中での舌触りや滑らかさもその薄さに比例するそうです。なんと生地を650mまで延ばすとか。贅言はやめましょう、その妖艶なまでの舌触りにただ己を埋没させ、愉悦の境地に無心で耽るのみ。こちらのワンタンを食べるためだけに酒田に行ってもいいくらいです。再訪を約しましょう。
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 さて次なるはすぐ近くにある本間家旧本邸へ。そう、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と唄われた日本最大の地主ですね。ウィキペディアによると、海運業や金融業で得た巨利を土地の購入に当てて大地主となり、庄内藩や米沢藩の財政改革をも支えたそうです。しかし明治以後は起業には不熱心で財閥化せず、相変わらずの大地主でしたが一地方企業家にとどまったとのこと。この本邸は、幕府の巡見使宿舎のために建造して庄内藩酒井家に献上したもので、後に酒井家から拝領される形をとっています。仏間の装飾や釘隠しの意匠、材木の質などを見るとたいそうなお金がかかっているのは分かりますが、思ったよりは全体的に質素な造りです。江戸時代でしたら、身分制度の故と納得できるのですが、近代以降も華美な改修をしなかったのでしょうか。なお残念ながら、室内は撮影禁止でした。美しいものを写真におさめておきたいというのは人情、入場料を支払っているのですからせめてその理由を明らかにしてほしいものです。著作権が本間財団にあるとか、絵葉書の販売促進のためとか、写真に撮られると権威に傷がつくとかね。関係諸氏のご一考を期待します。
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 そのそばにあるのが旧鐙屋。酒田を代表とする廻船問屋で、井原西鶴の『日本永代蔵』巻二の「舟入馬かた鐙屋の庭」に、「爰に酒田の町に、鐙屋といへる大問屋住けるが、昔は纔なる人宿せしに、其身才覚にして、近年次第に家栄え、諸国の客を引請、北の国一番の米の買入れ、惣左衛門といふ名を知らざるはなし。表口三十間裏行六十五間を、家蔵につけ、台所の有様、目を覚しける」と紹介されているそうです。江戸時代の酒田では、この鐙屋や本間家などが町政を司る自治組織をつくっており、酒田三十六人衆などと呼ばれていました。現在の建物は1845(弘化2)年の甘鯛火事の被災直後に再建されたものと伝えられています。土間・座敷・板の間が整然と並び、商売という機能に徹した質実な造りが印象的。なお係の方に教えていただいたのですが、杉皮で葺いた屋根に石を乗せるというのが、酒田の町屋造りだそうです。地上からは視認しづらいのですが、火災対策、あるいは強風対策なのでしょうか。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2013-01-18 06:19 | 東北 | Comments(0)

山形編(42):土門拳記念館(11.8)

 広々とした飯盛山公園の中をすこし歩くと、大きな池のほとりに白い端正な佇まいの記念館が見えてきました。さっそく入館してみましょう。
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 まずはスーパーニッポニカ(小学館)から、土門拳のプロフィールを紹介しましょう。
土門拳(1909―90) 写真家。山形県酒田生まれ。1916年(大正5)東京に移住。33年(昭和8)宮内幸太郎写真館の内弟子となるが、35年、名取洋之助の設立した日本工房に入社し、報道写真家としての道を歩む。39年国際文化振興会に入り、また初めての室生寺との出会いが仏像撮影の端緒となる。43年、雑誌『写真文化』掲載の「土門拳選集」と「人物写真集」によって第1回アルス写真文化賞受賞、写真家としての地位を確立した。第二次世界大戦後、雑誌『カメラ』を中心にしてアマチュアの指導も始める。その具体的手法として「絶対非演出の絶対スナップ」「カメラとモチーフの直結」を唱えて大きな影響を与え、木村伊兵衛とともに写真界の頂点にたった。代表作は、社会的な題材の『風貌』(1953)、『ヒロシマ』(1958)、『筑豊のこどもたち』(1960)、伝統文化の記録『古寺巡礼』全五巻(1963~75刊)、『女人高野室生寺』(1978)など。
 今期の展示は『ヒロシマ』と『古寺巡礼』でした。前者は、1957(昭和32)年にはじめて広島に行った土門が、原爆被害の深刻さに衝撃を受け、報道写真家としての使命感に駆られて撮った写真です。圧倒的な存在感とともに焼きつけられた被曝者の傷痕やケロイド、そして苦難にみちた暮らし。そして核兵器に対する静かな怒りと、その生贄とされた人々の尊厳への熱い思い。その迫力を前に、息を呑んで見つめることしかできませんでした。フォト・ジャーナリズムが窒息しつつある、現今の日本。この土門の志を受け継ぐ写真家はいったいどれくらいいるのでしょうか。寡聞にして『DAYS JAPAN』に集う方々しか思い浮かびません。社会的弱者を拡大再生産しつづけている"時代閉塞の現状"は、ここに起因しているのでしょうか。自民党・官僚・電力会社・大企業・学者の利権の犠牲となった人々を記録する『フクシマ』を世に問う気骨あるジャーナリストの登場を期待します。『古寺巡礼』は彼のライフ・ワーク、室生寺の撮影をきっかけに各地の諸寺諸仏を裂帛の気合をもって撮影した作品集です。薬師寺の高田好胤氏曰く、"撮影の亡者"。さまざまな構図やアングルを駆使して、仏像の本質に迫ろうとする鬼気あふれた写真の数々には圧倒されました。そして本館のもう一つの見どころは、イサム・ノグチ作の彫刻と中庭です。三方を建物に囲まれた中庭には、ゆるやかな段差がもうけられ、水が静かに池へと流れ落ちていきます。その中央から外れたところに屹立する彫刻が『土門さん』、一見、思わず男根を思い出してしまいました。土門拳もつ逞しいエナジーを直截的に表現したものと思います。なお『イサム・ノグチ 宿命の越境者 (下)』(ドウス昌代 講談社文庫)には次のような一文がありました。"土門と親しかった谷口吉郎の遺児で、父親と同じ道を歩む谷口吉生が設計した土門拳記念館は、酒田の山並みを背景に、簡潔にまとめた白壁の平屋である。高潔な第一印象のその記念館の前には、周辺の緑をうつす大きな人工池がひろがる。イサムはその中庭を担当した。なだらかな傾斜に数段の段差をつけて石床をしき、その全面に池へと落ちる水を流した。この【土門拳記念館】には、戦後を凝視して撮りつづけた写真家の姿を意味するリンガ型の石彫が足元を水に洗われながら、黙想するように立っている。(p.307)" また記念館のパンフレットも解説も紹介しておきましょう。"さらに私は建築に加えて、土門拳氏と親しい方々の親交が形として記念館の中に記憶されることを、設計の一部として意図した。彫刻家のイサム・ノグチ氏は、土門氏と親交があり、風貌という作品シリーズの中にもその肖像写真が登場する現代彫刻の世界的な第一人者である。ノグチ氏には中庭の彫刻をお願いし、何度も現地で打ち合わせをした当時のことがなつかしく思い出される" なお受付の方に訊ねたところ、併設されている石のベンチもイサム・ノグチ作だということです。
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 というわけで、土門拳とイサム・ノグチの作品を心ゆくまで堪能できました。素晴らしい美術館ですね。パンフレットに載っていた土門拳の言葉を紹介しましょう。 実物がそこにあるから、実物をもう何度も見ているから、写真はいらないと云われる写真では、情けない。
 実物がそこにあっても、実物を何度見ていても、実物以上に実物であり、何度見た以上に見せてくれる写真が、本当の写真というものである。
 写真は肉眼を越える。
 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2013-01-17 06:15 | 東北 | Comments(0)

山形編(41):松ヶ岡開墾場(11.8)

 さてそれではタクシーへと戻りましょう。次なる目的地は松ヶ岡開墾場、二十分ほどで到着しました。おおこれはすごい、木造三階建ての大蚕室が威風堂々と五棟並んでいます。明治維新後、庄内藩は新政府軍と敵対したことで17万石から12万石と石高を減らされ困窮状態にあったため、藩士3000人がここ松ヶ岡で開墾事業・養蚕事業などを遂行したそうです。現在では記念館や食事処、用具収蔵庫、庄内映画村資料館などに再利用され観光地としても整備されています。
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 それでは鶴岡駅へと戻ってもらいましょう。途中に柿の木が植えてありましたが、これが有名な庄内柿ですね。駅には午前十一時すこし前に到着、ほぼ二時間でおさまりました。運転手さんにお礼を言い、羽越本線酒田行きの列車に乗り込みました。
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 三十分ちょっとで酒田駅に着きましたが、ホームでは大きな獅子がお出迎え。酒田まつりに登場する大獅子だそうです。そして駅構内にある観光案内所で資料を物色、おっ、復元された北前船「みちのく丸」がちょうど酒田港に寄港しているではありませんか。これは見にいかねば。なにはなくとも江戸紫…じゃない貸自転車。さっそく借りようと係の方にお願いしましたが、もう出払っているとのこと。あじゃぱあ。トニー・ウィリアムズのドラミングのようにびしびしと自転車でまわるつもりでしたが、シュリーフェン計画のようにその企図はあっけなく崩壊。なんとかならぬかと懇願すると、あと何カ所か貸出場所があるのでそちらなら自転車があるかもしれないとのこと。よろしいそちらに歩いて行ってみましょう。
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 駅前にあったマンホールの蓋には、灯台と北前船が描かれていましたが、これは日和山公園にある日本最古級の木造灯台ですね、勿論後ほど行くつもりです。路地の先には、昔ながらの町屋を利用した「酒田あいおい工藤美術館」という私設美術館が見えました。
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 ある自動販売機には「キャー100円」というポップな貼り紙。海晏寺は曹洞宗の古刹で、近年大改築された三重塔が屹立しています。
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 駅から二十分ほど歩くとデパート「清水屋」に着きましたが、ああよかった貸自転車が並べてありました。デパート内にある事務所に行くためエレベーターに乗りましたが、実はここが鳥海山ビューポイント。しかし厚い雲に隠れて秀麗な山容を見ることはできません。自称・他称"晴れ男"の看板を下ろさねばなりませんね。事務所で自転車の貸し出しをお願いすると、なんと無料! これは嬉しいですね、やるでねが、酒田。鍵を受け取って一階に下り、自転車にまたがってHere we go. まずは、超弩級に美味しいワンタンが食べられるという「満月」に行って飢えを満たし、その勢いでちょいと離れたところにある土門拳記念館へと向かうことにしました。異形の屋根を戴いたお宅や風雪に敗れた「クドウ時計店」を写真におさめ、中の口橋を渡ります。
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 ここも鳥海山のビューポイントなのですが、依然そのお姿は見えません。そして「満月」に到着…すごい行列だ… バルバロッサ作戦のように、私の戦略は脆くも崩壊。潔く撤退し、土門拳記念館へと向かいましょう。最上川にかかる出羽大橋のたもとには「地震があったら津波に注意」という看板がありましたが、東日本大震災の影響なのでしょう。橋の中央で、悠久の大河を撮影。そして左折してしばらく走ると記念館に到着です。「清水屋」からここまで三十分弱かかりました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-01-16 06:18 | 東北 | Comments(0)

山形編(40):羽黒山(11.8)

 閑話休題。入線した列車に乗り込み、五分ほどで鶴岡駅に到着。昨日は気づきませんでしたが、ホームには顔はめ看板がありました。雪山を背景に、編み笠をかぶり瓢箪を持って橋の欄干に佇む謎の人物… そして駅の窓口で「駅から観タクン」のチケット(二時間で六千円)を購入し、客待ちをしていたタクシーに乗り込みました。羽黒山と松ヶ岡開墾場をまわって二時間で戻ってこられますかと訊ねると、余裕の吉田健一ということでした。よかった。
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 タクシーに乗り込み、しばらく走ると、こちらにも地吹雪除けのシャッターが設置してありました。そして、たわわに実って風になびく穂波の向うに見えてきたのが羽黒山。やがて櫛比する宿坊の間を通り抜けますが、こちらが羽黒山門前集落の手向(とうげ)です。家々の軒下には何重にも束ねた注連縄のようなものがぶらさげてありましたが、つつが虫を引張って焼き捨てる神事に使った引き綱で、魔除けになるそうです。
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 そして鶴岡駅から二十分ほどで出羽三山神社に到着です。スーパーニッポニカ(小学館)によりますと、ここ羽黒山は月山、湯殿山とともに出羽三山と称し、古くから羽黒修験の霊場として繁栄してきました。山頂付近に出羽神社が鎮座し、月山神社、湯殿山神社をあわせた三神合祭殿があります。広大な境内には国宝の五重塔、羽黒山修験本宗の本山荒沢寺など神仏習合時代の名残をとどめる建造物や旧跡が多いとのことです。山頂までは約2500段の石段を登ること約1.7キロ、また自動車でも行けるそうですが、時間の関係で断念。タクシーにはここで待っていてもらい、五重塔と杉並木を三十分ほど拝見することにしました。随神門をくぐると、ここからが出羽三山の神域、心なしか身が引き締まります。森閑とした雰囲気の中、人籟も絶え…と言いたいところですが、観光客の団体御一行様がひっきりなしに行き来されています。まさかこれほどの混雑だとは思いもしませんでしたが、これも世に言う"パワスポ"ブームの余勢なのでしょうか。奈落の底へ下りるような長い石段は継子坂。秋峰行の終盤、山頂から全力で駆け抜けてきた山伏たちが、最後の産みの苦しみを味わい、「生まれ変わり」を体感する坂だそうです。
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 祓川にかかる赤い神橋を渡ると、須賀の滝がありました。昔、三山詣での人々は必ずこの清流に身を沈め、水垢離をとり三山への登拝の途についたそうです。
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 そしてすこし歩くと、左の木の間に五重塔が見え隠れしています。承平年間(931~38)に平将門が建立したと伝えられ、応安年間(1368~75)に再建され、慶長13(1608)年に最上義光によって改修されたそうです。天を衝くような杉木立の中、その荘厳な雰囲気にとけこむように凛として立つその佇まいには見惚れてしまいます。なお近くにある翁杉は樹齢千年以上、羽黒山最高齢だそうです。そして石段をのぼりながら、参道の杉並木を堪能。樹齢三百年以上といわれる杉の古木が文字通り林立する様は圧巻でした。森厳なる空気で世俗の垢が洗い落されたようです。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2013-01-15 06:21 | 東北 | Comments(0)

山形編(39):羽前大山駅(11.8)

 午前六時ごろ目覚めてカーテンをあけると、薄曇りですが雨の心配はなさそう。洗顔をして、屋上にある露天風呂に行ってみました。おお、これは爽快、眼前には波おだやかな日本海がひろがっています。湯船の縁に仁王立ちとなって、腰に手を当て○○○を振りながら、♪どーんとどんとどんと波乗りこおええてええええええ♪と唄いたい気分。
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 部屋に戻ると、ちょうどNHK教育テレビで「0655」が始まる時間でした。あっそうだ、今日は月曜日、「たなくじ」がある日でした。これはいろいろなことを書いてあるパネルを持った爆笑問題の田中裕二氏を連続して映し出し、デジタル・カメラで撮影したものが今週の運勢というもの。パチリ。「手洗吉 【手をよく洗うと吉】」でした。うーむ、まいったなあ。実は私には、手を洗うという習慣がないもので。言い訳めいた話ですが、ある方(森達也氏だったかな)が小用の後に手を洗わない理由として、大略次のようなことを述べられていました。小用を済ませた後、男性は○○○をつまんだ手で蛇口をひねって手を洗うが、その蛇口を洗う人はあまりいない。つまり次にその蛇口をひねる人は… 事の当否正邪はともかく、鋭い視点ですね。なお日頃のご愛顧に感謝して、過去に撮影した「巨大吉」「マンモス吉」「トリプル大吉【大吉の約3倍】」を掲載しましょう。
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 さてそれでは朝食会場へと向かいましょう。途中のトイレにお魚の男女表示があったので撮影。
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 大広間で、これぞ温泉旅館!という朝食をいただきましたが、ご飯が美味しいのには感嘆。仲居さんに訊ねると、やはり余目米でした。だだちゃ豆も美味でしたよ。
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 そして部屋に戻り、荷をつくって出発です。宿代を支払い、宿の車で羽前大山駅まで送ってもらいました。切符を購入してホームに行くと、電線を埋め尽くすように小鳥がとまっています。
 動物番組オタクで動物に関する無駄な知識が豊富な山ノ神は、鶸か鵯ではないかとのたまいました。それにしてもまるでヒッチコックの『鳥』のよう、振り向くたびにどんどん増えてきたりして。
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 さてここで問題です。Q1.映画の中で、鳥の大群に襲われる町の名は? Q2.主人公のメラニー・ダニエルズがミッチ・ブレナーに会った店の名は? Q3.その店にかかっていた時計は何時何分? Q4.その店から出て来たヒッチコックが連れていた動物は? Q5.鳥の襲撃から逃げ出した人々が避難した波止場のレストランの名は? Q6.その店のコックの名は? 全問正解でしたら、もうあなたは正真正銘のヒッチコキアンです。それでは答えを発表。A1.ボデガ・ベイ(Bodega Bay) A2.ダビッドソンのペット店(Davidson's Pet Shop) A3.3時15分 A4.二匹の白いプードル犬 A5.潮亭(Tides Restaurant) A6.サム(Sam) なお出典は『アメリカ大衆文化を知るための雑学情報百科 スーパートリビア事典』(フレッド・L・ワース 研究社)でした。ちなみにこの映画をつくるきっかけについて、『定本 ヒッチコック 映画術 トリュフォー』(晶文社)の中でヒッチコック監督はこう語っています。"短編小説(※原作はダフネ・デュ・モーリア)を読んで、「こいつはひとつやってみよう」と思っただけだ。鳥が人間を襲うというアイデアがおもしろかったからね。しかし、これがワシとかタカとかの猛禽類だったら、映画化はしなかったろう。ごく普通の、毎日そこらで見かける鳥が突然人間を襲撃しはじめるというところにいちばん興味をひかれたわけだ。(p.293)" まあつまり何が言いたいかというと、わたしゃヒッチコックが大好き! ビリー・ワイルダーとならび、一抹の留保もなく面白い映画をたくさんつくってくれた彼へのオマージュです。映画はヒッチコックとワイルダー、音楽はJ・S・バッハとビートルズ、喜劇はマルクス兄弟、評論はG・オーウェル、小説は村上春樹、絵画はパウル・クレー、テニスはマイケル・チャン、旅はイザベラ・バードと宮本常一、落語は古今亭志ん生、私にとって大切な先達たちをこう書き並べただけでも心がぬくんできます。
by sabasaba13 | 2013-01-14 16:10 | 東北 | Comments(0)

山形編(38):湯野浜温泉(11.8)

 二十分ほどで安良町公民館(旧鶴岡警察署大山分署)に到着、さっそく車から下りて拝見しました。竣工は1885(明治18)年、下見板貼りの擬洋風建築で、さきほど致道博物館で拝見した鶴岡警察署庁舎を小振りにした建築。もう町の景観には欠かせない建物なのでしょうね、むやみに毀さず公民館として再利用している町の方々の見識に敬意を表したいと思います。ただ、この建物の中で、かつて社会主義者・労働運動家に対する苛烈な取調べや拷問が行われたことはなかったのでしょうか、すこし気になります。もしそうだとしたら、そうした負の遺産としての側面にも触れた解説板が欲しいところです。湯野浜温泉に近づくと、雲が切れ、お天道様が顔を出しはじめました。これは日本海を染め上げて海に沈む夕日を見られるかもしれない、小さな胸は期待でふくらみます。鶴岡から三十分ほどで湯野浜温泉「愉海亭みやじま」に到着。
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 チェックインをして部屋に案内してもらい、さっそくベランダに出ると…おお、眼前に広がるは日本海、そして真赤な夕日がまさにいま沈もうとしているところでした。運の良いことに、満点は雲に覆われているのですが、太陽のあるあたりだけ雲がありません。こんなこともあるのですね。海面を走る一筋の光の帯、やがて雲も海も群青色へと変化し、その間にはさまれた空が橙色を濃くしていきます。そして海面に陽が触れると雲も黄金色に輝き、その姿が没し消えるにつれてその色は深みを増し、やがて海一面が妖しく赤く輝きます。すぐにその色は消え、底なし沼のような紫へと変わり、壮大な物語は終わりを告げました。(蘆花の如き描写力がないのはご海容を) 身も心もとろけるように、自然の素晴らしさと奥深さに酔い痴れた至福のひと時でした。"此美しき夕に立ちて、見れど飽かぬ自然の日々新なるを感ず"
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 さあ胃袋もとろけるかどうか、夕食の時間です。仲居さんによって部屋に運ばれてきた海の幸と余目米、特別に注文したこのあたりで特産の岩牡蠣も見参です。いっただきまあす。舌鼓の音は…mfぐらいですね。
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 岩牡蠣の巨躯にはぶったまげましたが。そして食後の一休みして温泉へ、私は"烏の行水"、山ノ神は"海底原人ラゴン"(何だそれは)。部屋に戻ると、もちろんまだ彼女は戻っておりません。この時間を利用して明日の旅程を練り直しましょう。当初の予定では、明日はまる一日、酒田をふらつくつもりでしたが、さっき致道博物館の前にあった喫茶店で見た「松ヶ岡開墾場」がどうしても気になります。地図で確認すると、鶴岡駅からはそう遠くありません。おっ羽黒山が近いではないか。杉並木と五重塔はぜひ見てみたいものです。鶴岡駅で「駅から観タクン」を利用すれば、二時間でおさまりそうな感じがします。机上の空論、砂上の楼閣、画上の豆大福かもしれませんが、"為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり"と鷹山公もおっしゃておられました。明日、とりあえずタクシーの運転手さんに頼んでみましょう。そうこうしているうちに、山ノ神のご帰還。漆黒の海を眺めながら、これまでの無事を祝してビールで乾杯しました。さあ明日はいよいよ最終日、旅して旨いもの食べて酒飲んで寝るというLa dolce vitaも終幕に近づきました。なおテレビでニュースを見ていると、これまで旅してきた置賜で大雨が降っている模様です。庄内が大雨の時は置賜にいて、置賜が大雨の時は庄内にいる。やはり私は晴れ男なのでしょうか。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-01-12 06:17 | 東北 | Comments(0)

山形編(37):鶴岡(11.8)

 さてそろそろ宿からの送迎車が到着する時間です。近代化遺産を拝見しながら、ぶらぶらと歩いて鶴岡駅へ戻ることにしましょう。まずは致道博物館から歩いて十数分のところにある鶴岡カトリック教会天主堂へ。赤いとんがり屋根と白ペンキ塗りの下見板が愛らしい逸品です。竣工は1903(明治36)年、フランス人神父のパピノ設計によるものと伝えられています。内部に入ると、「窓絵」というちょっと異色な窓がありました。聖画を描いた透明な紙を窓ガラスに貼り、その外側からもう一枚の窓ガラスではさむというもの。高価なステンドグラスの代用として考案されたそうですが、日本ではこの教会でしか見ることができないそうです。同じく日本唯一なのが「黒い聖母」像。フランス・ノルマンディー州のデリブランド修道院から寄贈されたそうですが、なぜ肌の色が黒いのか? 同教会のホームページによると、旧約聖書のソロモン雅歌には次のようにあるそうです。"イスラエルの娘たちよ/私はケダルの天幕のように/サルマハの幕屋のように/黒いけれども美しい/私の焦げた色に目をとめるな/私は陽にやけた" なおその隣にある司祭館も瀟洒な洋館でした。
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 内川沿いにすこし歩くと、旧鶴岡町消防組第八部消防ポンプ庫がありました。1920(大正9)年に蒸気消防ポンプ車の車庫として作られたもので、小振りですが堂々としたイギリス積煉瓦造が印象的。公衆便所として余生を送っていますが、私だったら断固として拒否しますね。鶴岡の街並み自体はそれほど風情を感じませんが、ところどころにキッチュな物件があるので救われます。「死ね死ね団」のアジトのような建物には、「菅原イチローヂ商店」と記されていましたが、漢字でどう書くのだろう? 市郎次? 胃遅漏痔? ご教示を乞う。「和装洋装ワタトミ」の三階部分は、ル・コルビジェばりのリボン・ウィンドウになっていました。中でも圧巻は、写真館の「寛明堂」。表現主義風の塔屋、八角形の窓、寄棟の瓦屋根、何の脈絡もなさそうな意匠を強引に破綻なくまとめあげたその力技にはシャッポを脱ぎましょう。それにしても、これまであちこち旅行をしてきましたが、写真館には個性的な物件が多いですね。何故なのでしょう。
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 「砂糖は三友」という看板は、砂糖が貴重品であった時代の名残でしょう。「よぐござったのぉ、鶴岡さ」という看板には、映画「おくりびと」の鶴岡におけるロケ地が紹介されていました。終盤に登場する金沢陸橋、主人公がバスに乗っているシーンで登場する銀座通り、葬儀と干柿を食べるシーンで登場するM邸、外観のみ登場するW邸、度々登場する鶴乃湯は庄内映画村に移築されたという情報を入手しています。
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 そして午後五時半に駅前に到着、依頼した宿からの送迎車が待っていました。かなり遠いのに、無理を言って申し訳ありません。なお手持ちの地図によると、湯野浜温泉に向かう途上で安良町公民館(旧鶴岡警察署大山分署)の前を通り過ぎるようです。宿の方に訊ねると、ビンゴ! おんぶにだっこ、そこで車を停めて写真を撮らせてはもらえないかとお願いすると、快諾してくれました。わりーね、わりーね、ワリーネ・ディートリッヒ。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-01-11 06:18 | 東北 | Comments(0)

山形編(36):鶴岡(11.8)

 そして奥にあるのが、築山林泉の書院庭園、酒井氏庭園です。ふむふむ枯滝がうまく庭景をひきしめておるな、といった肝心のところよりも、「うひょー」と素っ頓狂な声を上げているような木の洞にまず目がいってしまうのは変人の性
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 その隣にあるのが旧渋谷家住宅、湯殿山麓にある田麦俣にあった民家です。このあたりは有数の豪雪地帯だそうで、その剛毅木訥な佇まいはどんな大雪にも耐えられそう。また反りのあるユニークな形状の屋根は「かぶと造り」と呼ばれ、養蚕室での採光通風を十分なものにするための工夫だそうです。その前にあるのが「民具の蔵」、江戸時代末期に御隠殿に付属して建てられた土蔵で、現在では商業や日本海海運に関する資料を展示してあります。
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 その隣は重要有形民俗文化財収蔵庫、展示品を見ていたら卒塔婆のようなものがありました。なかなか興味深いものなので、解説を転記します。
毎年秋にきまって群をなして河をさかのぼるサケはイオ(魚)と呼ばれているように昔から流域の人々の生活に大きなかかわりをもってきた。それだけに漁に関する信仰や禁忌も少なくない。
エビス様に豊漁を祀るため、サケの漁期に川岸に納屋を設け、河原から石を拾って来てエビス様として祀る所もある。又サケたたき棒をエビス棒、大網の中心のウキをエビスアバと呼んだりする。サケの大漁時には必ず千本供養をする。塔婆をたててサケの霊を祀り、豊漁を祝う行事は今日もなおつづいている。
又初漁のサケの身をこまかくきって川に流す習慣もあったが、これも再生と豊漁を祈ったものといわれている。
又サケの大王が川をさかのぼる日があり、この日は漁をしないで、サケの呼声をきかないように耳をふさぎ、餅をつくという「サケのオースケ」のいい伝えも広く残っている。
 うーむ、いい話ですね。"いのち"への畏敬と自然への感謝の念をしみじみと感じさせてくれる慣習です。前述の「草木塔」もそうですが、己を生かすために他の命を犠牲にせざるをえない人間の性に、先人たちは真摯に謙虚に向き合っていたことを忘れないようにしたいものです。果てしない利潤を手に入れるため過剰に生き物を乱獲し過剰に物を生産し過剰に消費させる経済システム、つまり資本主義を大きく修正しなくてはならない暗黒の崖っぷちに人類は立っています。われわれを導いてくれる炬火とした、こうした心性は大切にしたいですね。なおこの塔婆を見て、かなり以前に、テレビCMで見て鮮烈に覚えている「雁風呂」という逸話を思い出しました。ウィキペディアから引用します。
雁風呂とは、青森県津軽地方に伝わる、入浴を勧める風習の一つ。またそれにまつわる伝説。雁供養ともいう。日本に秋に飛来する雁は、木片を口にくわえ、または足でつかんで運んでくると信じられていた。渡りの途中、海上にて水面に木片を浮かべ、その上で休息するためであるという。日本の海岸まで来ると海上で休息する必要はなくなるため、不要となった木片はそこで一旦落とされる。そして春になると、再び落としておいた木片をくわえて海を渡って帰っていくのだと考えられていた。旅立ちの季節が終わりもう雁が来なくなっても海岸にまだ残っている木片があると、それは日本で死んだ雁のものであるとして、供養のために、旅人などに流木で焚いた風呂を振る舞ったという。
 創作ではないかという説もあるようですが、これもいい話ですね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-01-10 06:20 | 東北 | Comments(0)