そしてタワーを下り、歩くこと十分ほどで「元寇防塁」に到着です。文永の役(1274)の後、再度の襲来に備えて、鎌倉幕府が九州の御家人に命じてつくらせたものですね。博多湾沿岸の各地に築かれ、以前、今津に残されたものは見たことがあります。こちらの防塁は、前面と後面は石積み、その間を砂と粘土で固めるという手法で、石材の節約をはかっています。これで対馬→壱岐→博多と、元軍が襲来した足跡およびコースを踏破したわけだ、「だからどうした」と言われても、困ってしまってワンワンワワンワンワンワワンですが。
![]() そして「質 真子」という看板にそそられながらも地下鉄西新駅に戻り、空港線に乗って福岡空港へ。上階へ行くエレベーターの左側に列ができ、急いでいる人は右を駆け上ることに気づきました。東京でも同様、しかし大阪では逆でした。てっきりフォッサマグナを境に、東日本=右側通行、西日本=左側通行になるのかなと勝手に思い込んでいたのですが、そう単純ではないようです。詳細なリサーチが必要…でもないですね。 ![]() チェックインをして荷物を預け、さあ夕食をとりましょう。博多ラーメンは以前に食したので、今回は「風月」で水炊き定食をいただきました。長月や味は可もなし不可もなし、それにつけても金の欲しさよ、でした。 ![]() 山ノ神に奉納するため売店で「通りもん」を購入。そう、のだめがオクレール先生に贈ったお菓子です。マンガを読んだ時に気になっていたので、私もご相伴に預かろうと思います。なお博多どんたくで、飾りをつけた台を引き、着飾り、三味線を弾き、笛、太鼓を鳴らして町を練り歩く行列を「通りもん」というそうです。帰宅後にいただいたのですが、白餡を柔らかな皮がよくマッチしてなかなか美味しかったですよ。そして19:10発の羽田行きANA268便で帰郷。 ![]() 本日の一枚です。 ![]() というわけで五島・対馬・壱岐のアイランド・ホッピング、これにて一巻の終了です。島がもつ不利な点、有利な点があらためてよくわかりました。離島振興法が成立して補助金が手に入るようになったのは結構なのですが、役場と建設業が二大産業となるような画一的な構造となってしまった傾向もあるようです。不利な点を矯めて有利な点を活かし伸ばすにはどうすればよいのか。幸い、「宮本常一の足跡」という素晴らしい本に現地で出合えたので、そこにあった宮本常一の言葉で締めくくりたいと思います。 島のような地域社会で一人一人の気持ちがバラバラになった時、その社会すらが解体を余儀なくされることを忘れてはならない。いろいろな地域に住む人々が、幸せになるにはどうしたらよいか? 宮本常一という偉大なる先達に導かれながら、これからも各地を歩き回り、考え続けていきたいと思います。
ここから歩いて数分のところにあるのが福岡タワー、全長234m、地上123mにある展望室からは福岡市街や周辺の大パノラマが見られるとのことです。入場料800円は高いですが、ま、話の種です、上ってみることにしましょう。エレベーター・ホールから頭上を見上げると、中空になっているのがよくわかります。エレベーターに乗り込むと、さっそく案内嬢がにこやかに眺望の説明をしてくれました。しかし私はエレベーター内のある一角を怪訝な眼で見つめ、やにわに写真を撮り始めます。一瞬、「またかよ」という憮然とした表情を漂わせましたが、しかしさすがはプロフェッショナル、彼女はすぐに微笑をとりもどしました。一体、それは何か??? クーラーです。なぜエレベーターの中にクーラーがあるのか??? さっそく質問すると、「システム不良で冷房のききが悪いので…」というお答えでした。
![]() そして展望室に到着、なるほどこりゃいい眺めじゃわい。福岡市街はもちろん、とりまく山々、室見川、そして玄界灘をぐるりと一望できます。♪愚痴や未練は玄界灘に捨てて太鼓の乱れ打ち♪と思わず口ずさんでしまうような雄大な景観です。あっ、金印が発見された志賀島も見えるぞ。しばし眺望を堪能して、エレベーターに乗ろうとすると、ぷんぷんと恋の予感を発酵させるハート型の異なオブジェがありました。こいびとのせいち!? 解説を転記しますと、「恋人の聖地 NPO法人地域活性化支援センターが、平成18年4月より地域活性化および少子化対策として、各地を代表する公共的な観光施設・地域を中心に認定。プロポーズに適したロマンティックな観光情報発信および、参加型イベント等を実施しています」 眼をつぶれ! 歯をくいしばれ! 右回し蹴りを入れようとしましたが寸止め、かろうじて思いとどまりました。いかんいかん、落ち着け落ち着け。それにしても、少子化対策のため、逢引きをする場所をブランド化・マニュアル化すれば結婚に踏み切るカップルが増えるぞ、という貧困にして愚劣な発想には恐れ入谷の鬼子母神です。安心して子どもを産み育てられる社会的な環境を整えることが、最優先課題なのに。そして若い(年寄りでもいいけど)恋人たちへ、君たちがロマンティックだと思ったらそこが君たちの聖地なんだよおおおお! ま、後学のため当該HPを紹介します。 恋人の聖地 http://www.seichi.net/gotoseichi/index.php ちなみに私が行ったことがあるのは、幸か不幸か、日比谷公園松本楼、彫刻の森美術館、日本平、名古屋テレビ塔だけでした。後日談ですが、この時に撮ったオブジェの写真をよく見ると、全面に描かれた二つの赤い翼にところに「二人で翼を押すと… 二人の息がぴったりなら天使の祝福が…」と書いてあるのに気づきました。不覚! なぜ気づかなかったのだろう。同時に翼を押すと何が起こるのでしょうね、穴のあいた○○○ー○が、ポンッと出てきたりして。ご存知の方、ぜひご教示ください。 ![]() 本日の三枚、一番下が志賀島です。 ![]() ![]() ![]()
香り高い珈琲をいただき、バス停へ。やってきたバスに乗り込み、往路とは違うルートと風景を楽しみましたが、こちらでも「大久保屋敷」「炭焼」「赤土田」といったいわくありげな地名のバス停が目白押し。車窓から見えた畑では何をつくっているのでしょうか、それがすぐわかるとその地の産業や暮らしが分かるのにね。己の浅学が恨めしいです。「車窓から一目でわかる畑の作物」なんてえガイドブックはないかしらん。
![]() そして四十分ほどで郷ノ浦に到着、芦辺行きのバスが来るまですこし時間があるので郷ノ浦の町にお別れを言いましょう。鯨肉を売っている肉屋さん、さようなら、鬼凧(おんだこ)、さようなら、「今日も元気だ煙草が美味い」と断言する煙草屋さん、さようなら、すがめの猫さん、さようなら。 ![]() そして12:55発のバスに乗り込むと、何とさきほどの運転手さんと再会できました。おかげで楽しめましたと、丁重に礼を言い、お誕生日席は空いていなかったので後部座席に座り、壱岐の景観を惜しむように眺めました。13:34に芦辺港に到着、運転手さんとお別れして、ターミナルビルのすぐ近くにある、牧場直営のステーキ屋「うめしま」に直行。美味しい壱岐牛のサーロインステーキを堪能しました。すると、何たる神の配剤、昨日ツァーで一緒になった女性三人組が店に入ってきました。いやあお久しぶりと旧交をあたため、世間話に花が咲きました。彼女たちは今日も観光バスツァーに参加したそうです。昨日と同じガイドさんだったそうなので、左京鼻事件の真相について尋ねたところ、やはり不明だということです。彼女たちはこれからフェリーで佐世保に戻るそうで、互いの無事を祈りお別れ、私は併設されている肉屋で山ノ神に献上する壱岐牛のステーキ用肉を宅配で注文。そしてターミナルに戻ってコインロッカーに預けておいた荷物を取り出すと、「ケガをします。とびらやロッカーにのぼらないで下さい」という注意書きが貼ってありました。うわお、流石は島の子どもたち、何てワイルドなんだ。 ![]() ジェットフォイル「ヴィーナス」に乗り込んで14:25に芦辺港を出航、イルカ・クジラに遭遇せず、またぶつかりもせず、♪A goddess on a mountain top was burning like a silver flame♪と絶唱していると、15:30に無事博多港に着岸しました。福岡空港発の飛行機に搭乗するまで三時間ほど暇があるので、予定通り福岡市博物館・福岡タワー・元寇防塁を見物することにしましょう。バスに乗って箱崎線呉服町駅のあたりで下車し、地下鉄に乗り換え。中洲川端駅で空港線に乗り換えて西新駅で下車。ここから歩いて十五分ほどで福岡市博物館に到着です。とるものもとりあえず、お目当ての金印をじっくりと拝見。あまりのんびりとしてもいられないので、他の展示はざっと流しました。一瞥しただけですが、それほど印象的な展示はなかったようです。 ![]() 本日の一枚です。 ![]()
ぐるりと港をまわって、ふたたび路地にもぐりこむと「あほう塀」という大きな石塀があります。クジラ組の土肥家の屋敷跡にある高さ7m、長さ90mにおよぶ巨大な石垣の塀で、1767年に巨額の資金を投入し豪邸を新築しましたが、いつの時代にか無用の長物と写り、「あほう塀」と呼ばれるようになったそうです。
![]() このあたりでは共同井戸と水神をよく見かけました。もう使われてはいないようですが。 ![]() 細い路地を入ったところにあるのが印鑰(いんにゃく)神社、何でも防人のための武器庫の鍵を祀った神社だそうです。 ![]() お堂の戸が開いていたので失礼して中に入ると、祭壇の前が畳敷きになっており、流し台や湯のみ・コップを入れたガラス戸棚がありました。神事をとりおこなう場として日常的に使われているのか、あるいは単なる集会場なのかはわかりませんが、神々と日々向かい合いながら暮らしているように思われます。「新生活運動推進事項」というポスターが貼ってありましたが、内容が興味深いものなので一部を転記します。 お互いに見栄や、外聞にとらわれず、虚礼廃止につとめましょう。この地域の日常的な暮らしのある側面を髣髴とさせる内容ですね。同時もにそれにともなう負担や気苦労もうかがえます。 ![]() そして煉瓦造りの側壁や卯建(うだつ)、鉄製の観音開き窓が重厚な雰囲気を醸し出す石橋酒造がありました。 ![]() このあたりで路地に入ると、入口の戸を開けっ放しにしているお宅がほとんどです。入口全体を覆う網戸なんて、都会ではちょっとお目にかかれません。何でもこんなに大きな漁村でありながら、駐在所は一ヶ所だけだそうです。いかに治安が良いか、身に沁みて感じました。あるお宅では「電話一二番」と記された木札が玄関の上に掲げられていました。 ![]() さてそろそろ郷ノ浦行きバスがやってくる時間です。残念ながらイルカパークはすこし離れたところにあるので、行けそうにありません。なお、宮本常一が壱岐の人びとに残した言葉があるそうです。「陸や海の自然や動物などの生態を知り得るような公園(博物館・動物園・植物園など)…これらは親子や家族が多く訪ねるし、親と子をつなぐ大切な絆の役割をはたしている」 一支国博物館ではなく、こういったものをもっとつくればよかったのになあ。すこし時間があるので、バス停に近いモカジャバカフェ大久保本店で珈琲をいただくことにしました。名前とは裏腹に、見事な和風木造建築のお店です。折り畳みのバンコ(縁台)、見事な彫り物、二階手摺の洒落た意匠、屋号が書かれたしぶいすりガラスの戸など、見どころいっぱいの物件でした。それにしても「半自動ドア」っていったい何だろう??? ![]() 本日の四枚です。 ![]() ![]() ![]() ![]()
海岸に沿ってゆるやかにカーブしているこの路地をしばらく歩いてみることにしましょう。廃業した木造三階建ての旅館が、まるで隠居して日向ぼっこをしている老人のように佇んでいます。見ていてなぜか物悲しい気分にならないのは不思議ですね。
![]() この旅館と蔵の間にある細い路地の突き当たりにある石段を上ると、能満寺(真言宗)です。こちらの本堂・梵鐘はクジラ組による寄進だそうです。小高いところにあるこのお寺さんからは、街並みと港と海を望見できます。 ![]() そしてさきほどの路地へ戻り、さらに歩いていきましょう。道の両側には新旧とりまぜた二階建ての木造住宅が櫛比しています。とりたてて人目を引く建物はないのですが、なんとなく懐かしいしっとりとした雰囲気にひたることができます。荒れ果てた廃屋をほとんど見かけないのも、この地域での暮らしが成り立っていることの証左かもしれません。 ![]() 気をつけて見ていると、厳原で見かけた火切や、ホーロー看板、消火器を納める木製の箱、煉瓦造りの煙突など、歴史を感じさせる物件にも出会えます。 ![]() 街中にぽんとそびえる小高い小山があったので石段を上っていくと金比羅神社でした。ここからの眺望は素晴らしいですね。高い建物がないので街と海と港を一望できます。みんなでスクラムを組んで暮らしていくんだといわんばかりに、港のまわりに家々が密集している光景に胸を打たれました。いろいろな色合いの瓦屋根もいいですね、見飽きません。 ![]() 路地に戻りしばらく歩くと「田間 川尻 公民館」がありましたが、同じ建物に「毘沙門堂」という看板もかかっています。「宮本常一の足跡」によると、勝本浦の人びとは死のケガレを強く意識しているので、寺や墓はケガレの空間と考えているそうです。よって埋葬後のお清めは墓地から集落にあるお堂に行き、ここで酒を飲み、清めをするとのこと。どうやらまずお堂があって、それを公民館に流用しているのですね。「そんなことどうでもいいじゃん」と猫が昼寝をしていました。 ![]() その先にある赤い瓦屋根の小さなお堂が正村阿弥陀堂(公民館)、朝鮮通信使迎接所(宿舎)の神皇寺跡といわれています。そして勝本浦の氏神である聖母(しょうも)宮に到着。祭神は神功皇后・仲哀天皇・応神天皇です。西門は加藤清正が寄進、南門は鍋島直茂が寄進したものだそうです。 ![]() もうすこし歩くと海に出ます。堤防のところには真新しい波切不動明王と、自然石を祀った海のお地蔵さんがありました。 ![]() ここから漁港に沿って歩いていきましょう。厳島神社の前にある小祠はお稲荷さん、なんとオレンジ色に塗られた煉瓦造りの祠です。港には数多の漁船が繋留され、気持ち良さそうに波に揺れていました。われらは漁業で生きていくという気概がびしびしと伝わってきます。 ![]() 永取家の前には、「鯨供養塔」がありました。その先には「芭蕉高弟 河合曽良終焉之地」という碑。 ![]() 本日の七枚です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
そして車道に出てほんの少し歩くと、「ようこそイルカの里かつもとへ」という大きな看板がありました。街灯にもイルカのレリーフがあります。
![]() 車道から海へと続く坂道を下りると、そこが勝本。先述の「宮本常一の足跡」によると、明治以前の建築物が40件、戦前の建築物が130件も残っているそうです。これは楽しみだ。また同書によると、宮本常一との関係も浅からぬ漁港です。すこし紹介しましょうか。ここ勝本は、古くからの壱岐の北の玄関口として栄えた港です。戦後、漁業が低迷した時期に宮本常一がここを訪れ、活を入れたそうです。当時の漁業協同組合の専務理事の回顧談です。「昭和25年に先生が来られたとき…スルメの中から裂けたものを白糸でぬいあわせてあるのを見つけて大きな声でどなられてなァ。あのときほどおどろいたことはなかった。商売人でも役人でもない人から、こんなみっともないことをしているから漁師はいつまでも貧乏しているのだ。といわれたのが腸(はらわた)までこたえましたなァ。あれが私らの眼をさましてくれました」 これがきっかけで漁協が中心となって、生活の向上や漁獲高のアップを真剣に考えるようになりました。宮本常一はこう語っています。「漁家全体の生活はこれからよくなっていくであろうと思って心からうれしくなった。何よりも大切なことはみんなにやる気があったからである」 漁業一本で暮らしていこうと決意した勝本の人々は、まず定期客船の寄港をやめ漁業専用港に変えました。そして、①離島振興法による漁港の整備促進、②漁協を強化し貯蓄増強運動を推進した漁民たちの自主自立の心、③漁船の大型化、これらがあいまって所得の向上と生活の安定を導くことになりました。1980(昭和55)年、イルカの捕獲問題で国際的論議を起こしますが、イルカパークをつくってイメージの向上もはかります。組合参事の石井敏夫氏は『私は将来に向かって「海を汚さない運動」に重点をおいて努力さえすれば必ずや水産業は明るい夢と希望のある産業になる事を信じている。その意味でも若い漁業後継者は明るい未来に向かって頑張ってもらいたい』と語ります。そして宮本常一の言葉です。「自分たちの生活を充実するためにしっかりした足どりであるき、自主性を失いさえしなければ島はいつまでも若さを失わないであろう」 いずれも勇気と希望を与えられるような言葉ですね。というわけで、元気な漁村、勝本の徘徊開始です。 坂道から見下ろす、密集した家々の瓦が美しく輝いています。小さな池廼神社の周りを重厚な瓦塀が取り囲んでいたのにはびっくら仰天。激しい風雨への対処策なのでしょうか。市神として祀られているという諏訪大社の御柱の前の路地では、賑やかに朝市が開かれていました。 ![]() 触(ふれ)と呼ばれる農村と、浦と呼ばれる漁村との間で行われた、農産物と海産物の交換が原型ですね。道端に山の幸・海の幸を並べた女性たちと、楽しげに語らいながら買い物をする地元の人々や観光客。ほっとする光景ですね。一言も会話を交わさずに買い物ができてしまうコンビニエンス・ストアが異様なものに思えてしまいます。おっ勝本町浦部青年団による「必笑演芸祭」が開かれるのか、若者も頑張っているようです。 ![]() 中央市場フードセンターもなかなかの賑わいでした。 ![]() 本日の三枚です。 ![]() ![]() ![]()
丁重にお礼を言ってバスから降り、すこし歩くと河合曽良の句碑があります。「行々て たふれ伏とも 萩の原」 「奥の細道」の最中、腹痛のため芭蕉と別れることになった曽良が、加賀の山中温泉でつくった句です。これに応えて、笠に書いた「乾坤無住 同行二人」という文字を消さないといけないと悲しんだ芭蕉は「今日よりは 書付消さん 笠の露」という句をつくります。その後、曽良は幕府巡見使として壱岐を訪れて病気となり、ここ勝本で没したそうです。時は1710(宝永7)年5月22日、享年62歳。句碑のとなりには、曽良の出身地である諏訪市から贈られた、御柱祭の際に立てられた神木が屹立していました。なお近くには、きれいな公衆トイレがありました。
![]() そして石段をすこし上ると、石垣がわずかに残されている勝本城跡です。安土桃山時代の山城で、朝鮮出兵の際に名護屋城の支城、そして朝鮮への補給路の要衝として秀吉が築いたものです。 ![]() こちらには展望台があり、眼下に広がる勝本の町並みや島々、コバルトブルーに輝く海を一望できました。いやあ絶景、絶景。 ![]() 付近をうろつくと、ここにも曽良の「春にわれ 乞食やめても 筑紫かな」という、九州への旅立ちの前に江戸で詠んだ句碑がありました。その近くにあるのが「珠丸慰霊碑」、先述したように1945(昭和20)年10月14日、大陸からの引揚げ者や復員軍人を乗せた珠丸(たままる)が厳原港を出航し博多に向かう途中、日本海軍が敷設した機雷に触れてこの勝本沖で爆沈したという事件です。合掌。対馬の厳原であの碑と出会わなければ、何のことやらわからなかったでしょうね。やはり知識があると旅も興味深いものになります。さきほどの展望台から見晴らしたきれいな海のどこかに沈んでいるのかと思うと、言葉もありません。ふと考えたのですが、非戦闘員を殺傷する可能性がある機雷は、国際法やジュネーブ条約などで禁止されていなかったのでしょうか。また現在ではどうなのでしょう。また、米軍によって日本近海に大量にまかれた機雷の撤去は気の遠くなるような困難な作業だったと思いますが、どのような組織がどのようにして行なったのでしょう。いずれもすごく気になりますね。ご教示いただければ幸甚です。 ![]() すぐ近くにあった下りの山道には「行きゆきて…」という小さな表示がありました。さきほどあった曽良の句碑へと続く近道ですね。これも知識がないと見過ごしてしまうでしょう。違う山道をしばらく下り、案内標識に沿って行くと河合曽良のお墓がありました。合掌。 ![]() 本日の一枚です。 ![]()
いよいよ最終日です。カーテンを開けるとお天道様が莞爾として雲間から顔をのぞかせています。今日も天気は良さそうですね。ホテルのレストランで、ボリュームいっぱいの朝食をいただきながら地元のタブロイド版新聞「壱岐日々新聞」と「壱岐日報」を拝読。昨日遠望した一支国博物館についての記事がありました。"視察した市議の中には、建物の巨大さに圧倒され、不安を隠さず「市で面倒を見ていけるだろうか」と心配する声や、「ここまで来たら応援するしかない」という厳しい表情も" そして市議会の議場を写した写真の中で議員が着ているのが、ガイドさんが行っていた噂の貫頭衣ですね。ほんとだったんだ。
![]() そして腹ごなしにホテルの前にある弁天崎公園を、朝焼けの雲や静謐な海を眺めながらのんびりと散策しました。太公望の姿もちらほら見かけました。こちらにある市杵島神社の鳥居は海に向かって立っています。かつては舟で参拝したのでしょうね。 ![]() 玄関で出迎えてくれた猫を撮影しチェックアウト、どうやらファックスは届いていないようなので、左京鼻事件の詳細はいまだ不明のようです。朝日に包まれた街を眺めながら郷ノ浦大橋を渡り、暇そうな猫を撮影し、バスターミナルで7:55発のバスを待ちます。ひなたぼっこをしている猫を撮影していると、お遍路姿のご老人四人組がバス停に現われました。壱岐にも何かの札所があるようですね。 ![]() 定刻通りやってきたバスに乗り込み、左側最前列のお誕生日席をゲット。さあ出発です。それにしても、何と摩訶不思議な地名のバス停が多いことよ。「綱引場」「祈祷所」「塞ノ神」… それぞれをテーマに論文が一つ書けそうですね。壱岐の歴史の奥深さを感じるとともに、こうした地名を変えずに守り続けてきた島の人々に畏敬の念を覚えます。黒崎のあたりであまりにも海がきれいなので、窓ガラスにへばりついて写真をとっていたら、運転手さんが「すこし停めますので、ゆっくり写真を撮ってください」と言ってくれました。感謝感激雨あられ、これをきっかけに四方山話に花が咲くことになりました。ほんとはいけないのでしょうが、地方のバスで運転手さんと雑談をしながら流れゆく風景を車窓から見るのが大好きです。黄金色の稲がたわわに実る棚田もあり、美しい海の眺望とあいまって、思わず見惚れてしまいます。そうそう、昨日の左京鼻事件について訊いたところ、存じないということでした。よほど厳しい緘口令がしかれているのか、あるいは島のコミュニケーション力に陰りがでているのか、よくわかりませんが。勝本からの帰路も路線バスを使うというと、一日乗車券を薦めてくれました。1000円で乗り放題、この後芦辺港に移動することを考えるとこれはかなりお得です。さっそく購入。そして途中にある城山公園からの眺めがいいですよ、と教えてくれました。そこからなら勝本まで歩いてもすぐということなので、下ろしてもらうことにしましょう。ディスプレイを借りて、この親切な運転手さんにお礼を言います。どうもありがとうございました。 ![]() 本日の三枚です。 ![]() ![]() ![]()
市街地から郷ノ浦大橋を渡ってすこし離れたところにあるホテルまで送ってもらい、丁重にお礼を言ってお別れしました。チェックインをして旅装を解き、それでは夕食を食べに、郷ノ浦までくりだすことにしますか。郷ノ浦大橋からは港と町を一望できます。今回の旅では利用しませんが、郷ノ浦港ターミナルビルを表敬訪問。
![]() そして数分歩くと小さな市街地に到着です。「小川鉄工所」の手作り看板に職人の矜持を感じ、入り江にかかる橋を渡ろうとすると、「百合若大臣の鬼退治」という碑がありました。昔、壱岐には五万人の鬼を率いる悪毒王という鬼の大将がいたそうです。都の百合若大臣という武者がやってきて鬼たちを退治し、最後は悪毒王と一騎打ちの末にその首を切り落としますが、ところがその首は空高く舞い上がり、首をつなぐ薬を手に入れるために消え去ってしまいました。大臣はその胴体を岩陰に隠し待ちうけ、ふたたび戻ってきた首と格闘、兜に噛みつき必至に抵抗するもとうとう絶命してしまった、というお話です。橋の上には、悪毒王と百合若大臣の石像もありました。 ![]() 川面にその姿を映す火の見櫓をみながら直進すると、つきあたりにあるのが塞(さえ)神社です。さえの神=道祖神ですから、何やらいわくありげな神社ですね。由来の解説を読むと、祭神は、天の岩戸の裸踊りで知られるアメノウズメノミコトとサルタヒコが一体となった猿女君(サルメノキミ)。良縁・安産・夫婦和合・性病・子どもの守護に霊験あらたかと言われ、かつて壱岐に上陸した男たちは必ずこの神社で一物を照覧したそうです。「何を祈るか丑満に女性の詣りが多い」という最後の一文が何とも言えない余韻を残します。本殿前にも中にも巨大な陽根があり、右手のガラスケース内には「ちょっとのぞいて見てごらん」と手招きする、正座をした猿女君の小像がありました。そこまでおっしゃるのなら覗かせてもらいましょう、でもどこをどうやって覗けばいいの? 像はガラスの上に坐っているので、どうやら下から覗けるようです。すると… はい、女陰を拝めました。なんともおおらかな神社です。 ![]() 懐かしい雰囲気を残す商店街や、ビルを貫く通路に密集する商店を眺めながら、「トロル」というレストランに到着。 ![]() はい、壱岐牛のサーロイン・ステーキがお目当てです。柔らかいけれどもしっかりとした味のステーキに舌鼓を打ちました。ステーキセットが3800円というのも納得のお値段です。夜風を浴び港や町の夜景を眺めながらホテルに戻って露天風呂に入り、壱岐焼酎「壱岐っ娘」を呑みながら、明日の旅程を検討しました。路線バスで勝本に行き町を散策、もし時間があれば帰りに湯ノ本で途中下車して温泉街を徘徊。そして郷ノ浦から芦辺港までバスで行き、時間があればターミナル近くの「うめしま」で再び壱岐牛を所望。そして14:25発のジェットフォイルに乗って15:30に博多港に到着。さてここからが問題。帰路の飛行機は福岡空港19:10発の便です。その間、だいたい三時間ほどありますので、どこをふらつきましょう。金印が発見された志賀島か、うーん船を使うので時間がかかりそうだな。いっそのこと福岡市博物館で本物の金印を見てみますか、近くには福岡タワーもあるし、ガイドブックによると元寇防塁跡もあるようです。よしっ決まり! それでは明日に備えて爆睡することにしましょう。 本日の三枚です。 ![]() ![]() ![]()
そして本日の掉尾を飾るうに工場へ。その間、ガイドさんが壱岐出身の有名人を紹介してくれました。笑福亭仁鶴の奥さん、とらやのおいちゃん(下條正巳/下條アトムの父)、クールファイブの誰か。うわあ、ディープだなあ。そして二十分ほどであまごころ本舗うに工場に到着です。工場は稼動しておらず、ウニに関する展示がすこしあるだけ。壱岐土産の販売がメインの施設、おそらく壱岐交通にキックバックを払って観光客を誘致しているのでしょう、ま、いたしかたないかな。なお入口に「離島戦隊 イキツシマン」の顔はめ看板があったのは、今回の旅ではお目にかかれないと諦めていましたので嬉しいサプライズ。三々五々買い物をしましたが、私のお目当てはもちろん壱岐焼酎。かなりいけそうな感じのガイドさんにお薦めの逸品を訊ねると、アルコール度数が高い方が美味しいということで薦めてくれたのが「壱岐っ娘」の40度。さっそく購入し、二階の喫茶室で珈琲をいただき時間をつぶしました。
![]() そして郷ノ浦へ。ガイドさんの解説では、港の前に風よけ・波よけとなる大島・長島・原島があって、天然の良港だそうです。「王・長嶋・原、そろいぶみですね」、うまいっ、座布団一枚。大島には保存状態の良好な大砲があるとの情報もいただきましたが、アクセスは良くないとのこと。残念、再訪を期しましょう。なお明日の観光午前コースのキャンセルを申し出ると、問題ないとのことでした。最後に、一人でも参加できるのが素晴らしいと賛辞を送ると、経営不振で来年以降は断るかもしれないとのお答え。それは残念だなあ。このコースで料金は2450円ですから財政的に厳しいのかもしれませんね。多少の値上げはいたしかたありませんから、単独行動の好きな風来坊のために、一人からの参加もOKという姿勢をこれからも続けてほしいなと切望する次第です。 本日の一枚です。 ![]() < 前のページ次のページ >
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。 カテゴリ
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