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九州編(60):唐津(11.9)

 そして辰野金吾に師事した田中実設計の旧唐津銀行を拝見。竣工は1912(明治45)年、赤煉瓦と白い石を組み合わせた「辰野式」の優美な姿は街のランドマークです。唐津出身の辰野に白羽の矢があたったのですが、彼は東京駅の設計で多忙だったため、愛弟子の田中にこの仕事を委ねたそうです。なお明治期の唐津は唐津炭田の興隆で経済発展めざましく、それを支えたのがこの唐津銀行でした。フィニッシュは唐津駅のとなりにあるアルピノホールで開かれている「唐津焼展」、即売もされているので、前述のように絵唐津皮鯨の湯呑を物色しましたが、帯に短し襷に長し、これだ!という一品が見つかりません。まあいいや、また唐津にやってくる口実ができたというもの、諦めて帰郷することにしましょう。
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 筑肥線に乗って福岡空港へ、夕食をとろうとレストラン「グランシェフ」に行くと、「九州B級グルメ」大集合が開催されていました。ご当地B級グルメもだいぶ認知されてきたようですね。福岡からは「イカと博多明太クリームパスタ」「焼きラーメン」、佐賀からは「シシリアンライス」、長崎からは「トルコライス」、熊本からは「高菜ライス」、大分からは「海鮮丼」、宮崎からは「チキン南蛮定食」、鹿児島からは「生姜焼き定食」、沖縄からは「タコライス」がノミネートされています。この中で食べたことがないのは、「イカと博多明太クリームパスタ」「焼きラーメン」「高菜ライス」「生姜焼き定食」、When in Roma, do as the Romans doということで、後二者は落選、あまり明太子は好きではないので、最終的には「焼きラーメン」を選択。"博多屋台発祥! スープを絡めて焼きあげるラーメンの変化球"に嘘偽りはないか、私の貧弱な味覚中枢で検証してみようではありませんか。伊藤智仁の"流星スライダー"(古いなあ)、松岡弘の"懸河のカーブ"(もっと古いなあ)、安田猛の"パラシュートボール"(知らないだろうなあ)なみの切れ味を期待しましたが、まあそれなりの庶民的な味でした。そしてANA266便に搭乗し、空路羽田へ。
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 本日の一枚です。
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 というわけで、九州編、ここに一巻の終わりです。相も変わらず脂ぎった旅でしたが、やはり水俣が深く心に残りました。あらためて、官僚と政治家と財界が共謀して利権を追求し、民衆を犠牲にしてきたこの国の歴史に思いを馳せたいと思います。結局、政官財の黒い三角形の責任をきちんと追及しなかった結果が、福島第一原発事故を生み出し、この事故の責任をきっちり追及しないと、次の犠牲が生み出されるということでしょう。ボブ・ディランの『風に吹かれて』は、為政者に対する弾劾であるとともに、その責任追及を蔑ろにしてきた私たちへの批判でもありえます。(対訳 片桐ユズル)
何回弾丸の雨がふったなら
武器は永遠に禁止されるのか?
そのこたえは、友だちよ、風に舞っている
こたえは風に舞っている

いくつの耳をつけたら為政者は
民衆のさけびがきこえるのか?
何人死んだら わかるのか
あまりにも多く死にすぎたと?
そのこたえは、友だちよ、風に舞っている
こたえは風に舞っている

by sabasaba13 | 2013-04-10 06:17 | 九州 | Comments(0)

九州編(59):唐津(11.9)

 次は河村美術館、県内初の私立美術館で、所蔵品は、ドイツのビアジョッキ、フランスのエマーユ、そして黒田清輝や和田英作などの近代日本の洋画ですが、久留米出身の青木繁のコレクションが充実しています。絶筆といわれている「夕焼けの海」を堪能。
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 そしていよいよ我が愛する鯛と再会するため、曳山展示場へ。唐津神社の秋祭に奉納され、唐津くんち(11/2~4)の際に巡行する15台の曳山が展示されています。木組み・粘土の原型の上に和紙を数百回張り重ね、麻布を張り、幾種類もの漆で塗りあげ、金銀を施して仕上げる「一閑張」という工法でつくられた曳山は、もう一級の工芸品。中でも魚屋町の5番曳山「鯛」(1845年製作)を贔屓にしております。入口に近づくと、収納庫後部の大きな戸が開いており、中では曳山の修理が行なわれているようです。近づいて指を咥えて見ていると、修理をしている方が「中に入って見てもいいよ」と誘ってくれました。なんたる僥倖! さっそく収納庫に入り、曳山を至近距離で実見・堪能することができました。あいにくお目当ての「鯛」は反対側の収納庫にあるため見られなかったのですが、これは己の不徳の致すところでしょう。
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 丁重にお礼を言い、入場料を支払って入館。動く工芸品とも言うべき、見事な曳山十三基を堪能致しました。(十一番曳山「酒呑童子と源頼光の兜」は修復のためか不在) そしてガラスをはさんで愛しの「鯛」とご対面。ああ何て愛くるしいんだろお。大きな真ん丸の黒目、愛嬌にあふれる分厚い唇、彼が胸鰭をばたつかせながら町々を練り歩く姿を想像しただけで胸が締めつけられ居ても立ってもいられなくなります。よしっ退職したら必ず唐津くんちを見に行くぞ。カナダの紅葉、祇園祭、桜・紅葉の時期の京都長期滞在、流氷、バイロイト音楽祭、「退職したら見に行くぞ」リストにまた一つ候補が増えました。
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 唐津神社と透かしブロックを撮影し、お土産屋さんで「鯛」のTシャツとストラップを購入。
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 古い洋館や商家を撮影しながら近松寺へ。
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 歴代唐津藩主の菩提寺で、曽呂利新左衛門が築いたといわれる庭園(舞鶴園)、織部灯籠(切支丹灯籠)があります。近松門左衛門が幼少の頃に学んだ寺ともいわれ、彼の遺髪塚がありました。また種田山頭火の句碑"空へ山へ まかはんにゃ はらみた 心経"、松尾芭蕉の句碑"春もやや けしきととのふ 月と梅"もあるのでお見逃しなく。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-04-09 06:18 | 九州 | Comments(0)

九州編(58):唐津(11.9)

 腹もくちたし、それでは虹の松原へ向かいましょう。途中にあったのが原子力オフサイトセンター、いったい何のための施設なのでしょうか。後日に読んだ『原発を終わらせる』(石橋克彦編 岩波新書1315)所収の「原子力安全規制を麻痺させた安全神話」の中で、吉岡斉氏がこう述べられていました。"官邸対策本部のサテライトとして原子力災害現地対策本部が、緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)内に置かれ、そこで現地における事故対処作業の指揮をとることが想定されている"(p.132) なるほど、玄海原発で事故が起きた際の対策拠点なのですね。となると気になるのは福島第一原発事故の時にどう機能したのかということ。インターネットで調べてみると、同原発のオフサイトセンターは福島県大熊町にあり、原発から約5キロしか離れていなかった上、空気中の放射性物質を低減する換気装置がなかったため、保安院職員らは撤収を強いられたそうです。やれやれ、原発事故は起こらないという神話、いや妄想にここまでとらわれていたのか。そしてはじめて見るタイプの透かしブロックを撮影。
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 復元された唐津城の「時の太鼓」を拝見して、舞鶴橋からの眺望を楽しみ、すこし走ると虹の松原に到着です。
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 唐津藩初代藩主の寺沢広高が慶長年間に植林させた防潮・防風林で、約100万本の黒松が幅1キロ、長さ5キロにわたって植えられています。三保の松原、気比の松原とならび、日本三大松原とも称されます。その中にあるのが「唐津シーサイドホテル」、以前に泊まったことがあるのですが、眺めも良く海も近く館内や室内の雰囲気も素敵な素晴らしいホテルでした。中でも朝食は特筆もの、あれほど美味しい干物・味噌汁・ご飯にはなかなかめぐりあえません。と思い出にひたりながらペダルをこいでいると「唐津バーガー」の自動車店舗がありました。
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 ご当地B級グルメ第二弾、それほどお腹はへっていないですが、ルビコンを渡りましょう。さっそく注文し、ぱくつきましたが…まあまあ美味しいけれども特筆すべきほどではありません。
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 そしてUターン、舞鶴橋のたもとにあった「甚幸庵」に立ち寄って一休み、珈琲をいただきトイレをお借りしました。唐津城の西側には、お城の石垣が残る静謐な散歩道「石垣の道」があります。武家屋敷の門と透かしブロックを撮影して、旧高取邸へ。杵島炭鉱などの炭鉱主、高取伊好(これよし)の洋間をもつ和風邸宅ですが、その趣味のよい意匠や装飾には圧倒されます。中でも室内にしつらえられた能舞台には驚愕、これまでいろいろな豪邸を拝見しましたがこれは記憶にないですね。残念ながら撮影禁止なので写真はありません。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-04-08 06:21 | 九州 | Comments(0)

九州編(57):唐津(11.9)

 そして向かうは呼子(よぶこ)、古来、壱岐・対馬を経て朝鮮に至る最短コースの要津、中世には呼子氏など松浦党の勢力下にあり、倭寇の根拠地でした。今では情緒あふれる漁港で、イカ、タイ、イワシ、ハマチなどの水揚げと朝市で名を馳せています。んが、しかし、先述のように本日はイカまつり、運転手さんによると混雑のため町内に車を停めるのは無理のようです。しかし、呼子の港を風から守る自然の防波堤・加部島に展望台があるということなので、寄ってもらいましょう。呼子大橋を渡って高台へとすこしのぼると「風の見える公園」に到着、そこに展望台がありました。ここからは呼子の町や港、大橋を一望することができます。それでは唐津市内へと戻ってもらいますか。
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 対向車線はイカまつりへと向かう車でぱっつんぱっつんの状態です。二十分ちょっとで最後の訪問地、菜畑遺跡に着きました。縄文晩期後半の水田、炭化米、農工具が発見された日本最古の稲作遺跡ですね。現在は遺跡公園として整備され、「末廬国」という展示館も併設されています。
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 十分ほどで唐津駅に到着、あちゃー、四時間ということでしたが三十分以上超過してしまいました。しかし運転手さんは四時間分の料金でよいと仰ってくれます。かたじけない、このご恩は三年ぐらい忘れません、感謝の意を込めて千円をお渡ししました。駅構内にある観光案内所で四時間900円で「楽ちゃり」を借り受け、自転車で唐津の彷徨を開始。そうそう、佐賀県のご当地B級グルメ「シシリアン・ライス」が食べられるお店を訊かなければ。実は昨晩食べようとして、唐津駅の駅員さんやホテルのフロントで訊ねたのですが、シシリアン・ライス自体を知らないとのこと。ちょっと不安になったのですが、さすがは観光案内所、すぐに調べてくれて駅近くの「れいんぼー」と日赤病院そばの「VIVI」で食べられると教えてくれました。今後の行程から判断して前者を選択、「れいんぼー」に入店してシシリアン・ライスを注文。ご飯の上に甘辛いタレで炒めた薄切り肉と玉ねぎを乗せ、その上にレタスやトマト、きゅうりなどの生野菜を盛り付け、目玉焼きを乗せ、仕上げにマヨネーズを網かけした料理です。命名の由来は、トマトの赤と卵の白身と野菜の緑がイタリア国旗をイメージさせるので、シチリア島のライスとしたそうです。イタリアン・ライスでも、トスカーナ・ライスでも、ロンバルディア・ライスでもよさそうなものを、何故シシリアン・ライスとしたのでしょう??? 藤沢道郎氏が『物語 イタリアの歴史』(中公新書1045)の中で"ギリシャ、カルタゴ、ローマ、ゲルマン、ビザンチン、イスラム、ノルマン、これだけ違った人種と文化がこの島を舞台にして衝突し混合し、次々に覇権を握ったのであるから、シチリアの歴史と文化の複雑さは我々の想像を絶するものがあり、日本文化程度の複雑さで「雑種性」を云々するのは気が引けるという感じがするほどである"(p.82)と述べられているように、シチリア文化の分厚い複雑さに敬意を表したのでしょうか。それはともかく、しずしずとご来臨したシシリアン・ライスは、網かけマヨネーズではなく海苔がちりばめられていました。甘辛たれのくどさにしょうしょう辟易しましたが、ボリュームにあふれた庶民的味には満足です。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-04-07 08:42 | 九州 | Comments(0)

九州編(56):名護屋城址(11.9)

 そして十分弱で名護屋城址に到着です。朝鮮侵略(文禄・慶長の役)の基地として豊臣秀吉がつくらせた平山城で、五層七階の天守閣を中心に諸大名の陣屋が構築され、数多の商人も集来するなど、盛時には約20万人の人口があったそうです。秀吉の死、そして朝鮮出兵の終了後は事実上の廃城となり、島原の乱(1637)ののち幕命により破却されたといわれます。当時の建物は残っていませんが、崩れかかっているとはいえその豪壮な石垣には驚かされます。
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 そして天守閣跡へ、いったい秀吉は何を夢見ながらこの海を眺め、その彼方にある朝鮮に想いを馳せていたのでしょうか。中国の征服か、国内を席巻した戦場エナジーの捌け口か、はたまた"際限なき軍役"を継続して権力のさらなる強化を図るためか。ただ忘れてはいけないのは、朝鮮で拉致し連行した人びとがここ名護屋で奴隷として売り捌かれたことです。藤木久志氏は『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』(朝日新聞社)の中でこう述べられています。
 侵略が始まったばかりの天正二十年=文禄元年(1592)春、常陸佐竹軍の平塚滝俊は大本営の肥前名護屋城(佐賀県鎮西町)に着くと、国元へこう書き送った。

 高麗のうち二、三城せめ落し、男女いけ取り、日々参り候よし、くびを積みたる舟も参り候よし申し候、これは見申さず候。女男は何も見申し候。

 朝鮮の戦場では勝ち戦さが続き、戦場で生け捕られた男女が日ごと名護屋の港へ送り込まれている。自分もそれを確かに見た。首を積んだ船も来ているそうだ。敵の首は大名の手柄として秀吉の首実検に備え、戦功を認めてもらうためであったが、男女の生捕りは海賊商人たちの船に積まれ、名護屋・呼子の一帯に広がる舟入りから、名護屋の町へ歩かされていたのであろう。(p.57)
 またイエズス会も、日本人が無数の朝鮮人を捕虜として日本に連行し、ひどい安値で売り払っていると告発したそうです。中心となったのは長崎の商人で、彼らは朝鮮人をポルトガル人に転売し巨利を得、当時の長崎や平戸は世界有数の奴隷市場として知られていました。もちろん、今の価値体系でこうした行為を断罪する気は毛頭ありませんが、ただその後の日朝関係にどのような影響を与えたのか、あるいは朝鮮半島の人びとの心性にどのような痕を残したのかといった歴史的な思考は怠るべきではないと思います。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-04-06 07:49 | 九州 | Comments(0)

九州編(55):玄海原子力発電所(11.9)

 そして数分ほどで玄海原子力発電所に到着。御多聞にもれずこちらにも、「原発は安全」というデマゴギーを、金をかけた大仰な展示で信じ込ませるためのPR施設があります。人呼んで「玄海エネルギーパーク」、後学のため見物することにしましょう。拍子抜けしたのは、福島第一原発事故を受けてなんらかのリアクションやエクスキューズ(ここでは絶対に津波は起こらんですたい、とかね)があるかと思ったのですが、まったくの自然体であったことです。まるで原発事故などなかったかのように… 4号機の実物大原子炉模型や、原子力発電のしくみや安全性などについての解説など、ざっと眼を通しましたが、福島の事故で完全に破綻した"放射性物資を閉じ込める「5重の壁」"が平然と掲げられているのには驚きました。
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 第1の壁:ペレット(燃料)、第2の壁:燃料被覆管、第3の壁:原子炉容器、第4の壁:原子炉格納容器(鋼板の内張り)、第5の壁:原子炉格納容器(コンクリートの壁)というものですが、これにはその筋では有名なアネクドートがありますね。
 見学に来ていた小学生が係員に訊ねました。「第1の壁が壊れたらどうするの?」「第2の壁があります」「それが壊れたら?」「第3の壁があります」「それが壊れたら?」「第4の壁があります」「それが壊れたら?」「第5の壁があります」「それが壊れたら?」「…」「壊れたら?」「壊れません!」 ちゃんちゃん。
 それにしても、こちらの展示では、あんぜんあんぜんあんぜんあんぜんとマントラのように唱えておられますが、ほんとうに安全なのでしょうか。広瀬隆氏は、『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』(朝日新書298)の中でこう述べられています。
 1号機の運転開始が1975年、二号機は1981年。いずれもすでに30年以上経つ古い原発です。90年代に完成した3・4号機とあわせて、現在、四基の原子炉が稼働しています。このうち三号機は、2009年12月に全国に先駆けてプルトニウムを含むMOX燃料を使用するプルサーマル運転を開始し、全国から怒号を浴びた原子炉として、悪名高いものです。
 さらに2010年10月に、玄海一号機では、2009年の定期検査で原子炉から取り出した監視試験片で脆性遷移温度が98度に達していたことが明らかにされたのです。このむずかしい言葉は、原子炉の分厚い鋼鉄が毎日、中性子を浴びて脆くなり、ある温度以下で破壊される現象を意味します。それは、大事故が発生したときに、原子炉に冷たい水をドッと流しこむと、ガラスのコップに熱湯を注いだときに割れるようになることです。脆くなっている鋼鉄の原子炉が、一気にバリンと割れて破壊されてしまうという、これまで地球上で起こったことのない恐怖の原発事故を意味します。大きな船が一気に破壊する事故によって人類が学んだ科学です。ところが九州電力は、この老朽化原発を安全であるとして、平然と運転を続けているのです。
 では、そうした事故を誘発する地震はどうなのでしょうか。玄海原発の周辺地域は、古来から、大きな地震が少ない地域として知られてきました。…ところが2005年3月20日、突如、マグニチュード7.0の福岡県西方沖地震が発生しました。震源は玄海原発から直線距離でほんの40キロメートルほどの海底です。この付近には海底断層があることも知られていませんでした。断層がないと思っていたところに、実は断層が隠れていて、今まで観測されたことがない大地震を起こす可能性があるということが分かったのです。
 …玄海原発から約20キロメートルしか離れていない「糸島半島沖断層群」には、相当な注意を払う必要があります。…この断層は、長さ23キロメートルもある海底断層です。ここが動けばマグニチュード7.1クラスの地震の可能性があると九州電力は計算していますが、私はこの評価はあまりに甘すぎると思います。何しろ、玄海原発の耐震性は、2006年の耐震指針改訂後も全国の原発の平均より低い540ガルとなっていますので、最近は2000ガル規模の地震が続発しているこの国で、電力会社は一体何を考えているのだろうと、胸騒ぎを覚えます。しかもプルサーマルという最も危険な運転をしている九州電力の神経が理解できません。三号機が大事故に巻き込まれれば、九州全土がプルトニウムを浴びて、すべて廃墟になると分っているのですから。(p.204~7)
 どう言い繕えば"安全"という言葉が出てくるのでしょうか、九州電力、そして政官財学報=原子力マフィアのみなさん。これほど致命的な危険を冒してまで原発を稼働したい、その本音をぜひ聞かせていただきたいものです。電力の安定供給? ま、それもあるでしょうが、政治献金や省益、莫大な原子力関係の予算といった利権が目当てなのではないですか。さらに2012.6.20に成立した原子力基本法に「我が国の安全保障に資することを目的として」という文言をしのばせたように、核兵器所有への布石ということもあるのでしょう。天下無双の御用新聞・産経新聞ニュースは否定していますが。最近、『物語 イタリアの歴史』(藤沢道郎 中公新書1045)という超弩級に面白い本を読んだのですが、その中で西ローマ帝国初の皇帝ホノリウスを評したこんな言葉がありました。「決してばかではなく、保身と陰謀にかけてはなかなかの手腕を発揮したが、義務感と責任感と正義感をまったく持ち合わせていない人で、ローマ帝国がどうなろうと自分の身の安泰さえ確保されればそれで結構という態度を、露骨に示すことがたびたびあった」(p.13) 思わず噴飯し苦笑してしまったのですが、"ローマ帝国"を"日本"に言い換えて、"自分の身の安泰"に"核(原子力)発電所の存在"をつけ加えれば、原子力マフィアの皆々様方にそっくりあてはまります。さあ、アンデルセン童話の『赤い靴』の少女のように、彼らは原発をパートナーにしたチーク・ダンスをどこまで踊り狂うのでしょうか。そしてゲーテの『魔法使いの弟子』のように、使い方を知悉していない箒が凶暴に暴れ出した時に、それを停めてくれる老師は現れるのでしょうか。
 そして彼らのばらまく"安全"という言葉に安々と騙されてきた/いる私たちにも大きな責任があります。故ハロルド・ピンター氏の物言いを借りれば、この"安全"という言葉が、安心感という深々としたクッションとなり、私たちは頭を使わずずっともたれかかってきたのではないか。そしてこのクッションは知性や批判精神を窒息させてきたかもしれませんが、ひどく快適だった…
 なお迂闊にもあとで気づいたのですが、四階に発電所を見渡せる展望室がありました。原発写真愛好家(いるのかなあ)はお忘れなく。また玄海原発のキャラクターを使った顔はめ看板もあるので、顔はめ看板写真愛好家(これは一人はいる)はお見逃しなく。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-04-05 06:20 | 九州 | Comments(0)

九州編(54):大浦・浜野浦の棚田(11.9)

 そして次は大浦の棚田へと向かいますが、途中で初めて見る「飛び出し娘」があったので車を停めてもらい撮影しました。運転手さんは怪訝な顔をされていましたが、ま、これも性というもの。ご海容ください。車窓から案山子やはさがけや茶畑を撮影しているとやがて海が見えてきました。
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 45分くらいで大浦の棚田に到着です。うーん、こちらも素晴らしい… 海へとつながる斜面にひろがる棚田、そして波静かな伊万里湾にちらばる大小の島々(いろは島)、まるで一幅の絵のようです。
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 なお近くの高台にいろは島展望台があるということなので連れていってもらいました。なるほど、弘法大師がほんとうに筆を落としかどうかは知りませんが、山なみと島々と内海が素晴らしい景観をかたちづくっています。眼福眼福。
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 そして海沿いに20分ほど走ると浜野浦の棚田です。二つの小山にはさまれたU字状の谷を埋めつくす棚田とその向こうに広がる海原。
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 田に水を張った頃の夕刻にくると、夕陽が海と棚田をオレンジ色に染め上げる光景が見られるとのこと、これはぜひ再訪を期したいですね。なおこちらは「恋人の聖地」に指定されていて、「エターナル・ロック」というモニュメントが建っていました。そのせいか、展望所もきちんと小奇麗に整備されており、ベンチ・テーブルも備えられています。人為的につくられ設置されている金網には定番の南京錠ではなく、ハート型のプラスチック板が風に揺れていました。なんでも「らぶ絵馬」というそうで、近くのお店で300円で購入し、カップルの願い事を書いてここにかけるのだとか。ちなみに2009年のグランプリ作品は「なつがいれば他に何もいらない。その笑顔をずっと見ていたいから、一生そばにいて。心から愛してる」だそうで。ま、リビドーの捌け口は十人十色ですので、別段コメントはありません。私だったら何て書くかな、「引くべきところは引いて、押すべきところは押さない」かな。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2013-04-04 07:11 | 九州 | Comments(0)

九州編(53):蕨野の棚田(11.9)

 朝目覚めてカーテンを開けるとお天道様が微笑んでおられました。テレビをつけて天気情報を見ると、雲が多いもののおおむね晴れという予報。本日は、タクシーを四時間借り切って蕨野の棚田→大浦の棚田→浜野浦の棚田とまわってもらい、玄海原発・名護屋城址・呼子・菜畑遺跡を拝見、午後は自転車を借りて唐津市内を徘徊、そして駅となりのアルピノホールで開かれている唐津焼展をひやかして、福岡空港から飛行機で帰郷する予定です。ホテルで朝食をいただきチェックアウトをし、駅へ向かおうとするとロビーに「呼子町イカまつり」という観光ポスターが貼ってありました。ありゃ今日だ、こりゃまいったなあ、たいへんな混雑が予想されますね。場合によってはタッチ・アンド・ゴーにしましょう。途中に「日本をいちばんの国へ。」というわけのわからない自民党のポスターがありました。いやいや、あなた方のおかげで日本はもうアジアでいちばん危ない国になっていますよ。日常的に放射性物質をまきちらす核(原子力)発電所が林立し、巨大地震におそわれたらそれらが深刻な事故を起こして近隣地域に凄まじい量の放射性物質をばらまいてしまう国。プルトニウムをしこたま溜めこんでいる国。核武装する可能性を十二分にもっている国。ねっ。
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 そして唐津駅に到着、昨晩は暗くてわからなかったのですが、マンホールの蓋には虹の松原が描かれていました。駅前には唐津焼でつくられた曳山・赤獅子の大きなモニュメント。そしてドアの引き手も唐津焼でした。
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 駅のコインロッカーに荷物を預け、ここ唐津には「観タクン」がないことは昨晩確認したので、駅前で客待ちをしているタクシーに乗り込み、四時間貸し切り(一時間3900円)にしていただきました。まず向かっていただいたのは蕨野の棚田。唐津駅から四十分ほど走ると交流広場があり、こちらで「蕨野の棚田 遊歩マップ」という正確な地図をいただけます。
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 まずは見晴らしの良いところへ、地図によると大平展望所があったのでそちらに寄っていただきました。棚田の間を縫うようにのぼり展望所に到着…とはいっても車道の脇にあるちょっとした駐車スペースでした。車からいそいそとおりて見下ろすと、山々の斜面にひろがる棚田を一望することができます。
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 いったいどれくらいの手間ひまや苦労がかかったのだろう、想像するだけで立ち眩みがしてきます。子孫や、自分たちが暮らす地域の末来の世代の幸福を思って、木を伐り土地をならし石を組み水を引いたのでしょう。尊いとすら思えるその行為に頭を垂れましょう。最近読んだ『夢よりも深い覚醒へ』(大澤真幸 岩波新書1356)に次のような一節がありました。
 ところで、あるところで、カントは、一つの「不可解な謎」として、次のようなことを指摘している。人は、しばしば、その成果として得られる幸福を享受できるのがずっと後世の世代であって、自分自身でないことがわかっているような骨の折れる仕事にも、営々と従事する。これは不思議なことではないか、と。確かに、人は、まず自分自身の幸福のために生きているとすると、これは奇妙なことである。しかし、こういう仕事に取り組んでいるとき、人は、自分が生きている間には仕事は完成せず、その「果実」を楽しむのは、自分が死んだ後の者であろうことはよく理解しているが、かといって、自分の本性や自然な欲望に反して、無理やりそうしているわけではない。むしろ、多くの人は、自分がやりたいようにやっているのだが、結果として、専ら後の世代の幸福にしか役立たないことにも熱心に従事するのである。(p.134~5)
 未来の他者へと配慮を向けてしまうのが人間だし、また己の利益のために末来の他者を犠牲にするのも人間なのでしょうね、原発のように。もう一つある五百羅漢展望所にも行って眺望を楽しみ、日本一の高石積みにも寄ってもらいました。ここ蕨野の棚田は土坡の石積みが見事なのですが、これは手間講という共同作業によって農民の手で積まれたそうです。中でも南川原にある石積みは高さ8.5mで日本一高いもの。残念ながら近くには行けませんでしたが、遠目にもその圧倒的な迫力を感じることができました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2013-04-03 06:20 | 九州 | Comments(0)

九州編(52):唐津(11.9)

 ここから熊本駅まではペダルをこいで五分ほど、白川橋から熊本の街に別れを告げ、自転車をレンタカー事務所に返却し、コインロッカーから荷物を取り出して16:47発の博多行き新幹線に飛び乗ることができました。一時間弱で博多駅に到着、福岡地下鉄空港線快速西唐津行に乗り換えようと地下へおりていくと、官僚・自民党・財界の走狗、「社会の木鐸」「炭坑のカナリア」としての責務を放棄した、読売新聞と双璧をなす天下無敵の御用新聞、産経新聞の広告がありました。「日本を愛するなら産経新聞」
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 ふーん、「日本を愛するなら(水俣病も原発事故も我慢して泣き寝入りして官僚・自民党・財界に抗うなよ、そんなことをしたらこの)産経新聞(が大々的なキャンペーンを打ってバッシングをして社会から抹殺してやるぜ)」と補足をしたいところですね。"愛国主義は悪党の最後の隠れ家である"(サミュエル・ジョンソン)
 一時間ちょっとで唐津駅に到着。駅構内には「金持ち神社」がありました。パワー・スポットのブームとはいえ、あまりにも身も蓋もない露骨な命名。いったいどんな縁起があるのでしょう、近づいてみると御神体は貧相な(失礼)容貌をした男性の肖像でした。なになに、唐津駅営業主任で縁起の良い名前をお持ちの金持正紀さんが、お客の強い容貌に寄って神様としてデビューしたそうです。趣味は宝くじ、小判収集、貯蓄、好きな色はゴールド、尊敬する人物は聖徳太子と福沢諭吉。駅前には「五足の靴文学碑」がありました。
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 解説を転記します。
 明治四十年八月四日、与謝野寛(鉄幹)は北原白秋木下杢太郎、吉井勇、平野万里らの若き詩人たちを連れて唐津にやってきた。近松寺で文芸同好会に出席し、鏡山に登り万葉の世界に浸った後、刀町の「中住屋」で懇親会に参加、唐津駅前の旅館「博多屋」に宿泊した。翌朝は呼子、名護屋に向けて出発した。
 この九州西部を巡る「五足の靴」と呼ばれる旅は、近代文学史上に残る旅と言われている。
 日本耽美派文学の出発点と言われる旅ですね、小耳にはさんだことはあるのですが未読です。帰郷後、ぜひ読んでみることにしましょう。
 現在の時刻は午後七時ちょっと過ぎ、はやシャッターが閉まり人気のないアーケード商店街をひたひたと歩き、市役所前を左折して今夜の塒・唐津第一ホテルに到着。チェックインをし荷物を部屋に置いて夕食をとりに出かけました。しかし帯に短し襷に長し、なかなか食指をそそられるお店がありません。おっ伊万里牛のステーキ、でもここは唐津、「豆腐と牛肉に旅をさせるな」と言うからなあ(言わない言わない)。さんざ迷った挙句、「旬風」という店でのからあげをいただくことにしました。うん、これは当たった、クリスプなころもと滋味あふれる鯖が絶妙のマッチングでした。
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 酒屋で地酒を買い、ホテルに戻ってシャワーを浴び、一献傾けながら駅でもらった観光パンフレットを眺めていると、唐津焼の紹介がありました。絵唐津、朝鮮唐津、斑唐津、三島唐津、粉引唐津…どれもいいなあ。実は以前に一度唐津を訪れたことがあり、その時に購入した絵唐津皮鯨の湯呑をしばらく愛用していたのですが、ところが迂闊にも割ってしまい風景が涙に揺すれるほどのショックでした。今では萩焼の湯呑を使っていますが、あの湯呑が忘れられません。というわけでもし好みに合うような唐津焼があったら、買おうかと思っています。それでは明日に備えて寝ることにしましょう。zzzzzzzzz

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-04-02 07:28 | 九州 | Comments(0)

九州編(51):熊本(11.9)

 そして本日最高の異形の物件、長崎次郎書店に到着。何と表現すればよいのでしょう、和風・中国風・洋風をごった煮にして、「目立ちゃいいじゃん」というスパイスをやめてっというくらいにふりかけた建物です。個人的には、熊本市内で一押しの物件ですね。その近くにあるのが明八、熊本の「通潤橋」や「霊台橋」を造った明治の名石工・橋本勘五郎が、東京の「日本橋」「江戸橋」、皇居の「二重橋」を架設したのち、帰郷して手がけた石橋のうちの一つ。明治8(1875)年に架設されたので「明八橋」と呼ばれます。旧第一銀行熊本支店は連続するアーチと両サイドに配置された塔屋が印象的なオフィスビルで、竣工は1919(大正8)年。一時、取り壊しの危機に際しましたが、空調メーカー「ピーエス」の所有となって蘇ったそうです。
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 その前にかかる明十橋も、橋本勘五郎の手によって造られた石橋。明治10 (1877)年に架設されたので「明十橋」と呼ばれています。このあたりは鍛冶屋町、唐人町、呉服町、魚屋町、紺屋町など、熊本城の城下町として栄えたところで、明治に入り往来が活発になるにつれ、これらの橋の架設が待ち望まれたそうです。ちょっと通り過ぎただけでも、レトロな物件が蝟集していることがわかる地域です。そして冨重写真所は明治時代の写真館遺構として貴重な物件だそうですが、正面はすっかり改修され昔日の俤はありません。裏にまわって川沿いから見るとかろうじてその雰囲気は感じますが、いかんせんまともな逆光のため上手く写真におさめられませんでした。
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 そして本日最後の訪問先、石光真清記念館へ。
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 「石光真清 生誕の地」という木標に記してあった解説を転記します。
 石光真清は、慶応四年(1868)この地に生まれ、少年時代を神風連の乱や西南戦争などで激動する熊本で過ごしました。その後軍人となり日清戦争・日露戦争に出征、また生涯の大半をシベリア・満州での諜報活動に従事し波瀾に富む人生を送りました。自伝的な手記は没後「城下の人」「曠野の花」「望郷の歌」「誰のために」の四部作として出版され、近代日本の側面史を伝える資料また文学作品として全国で高い評価を受けました。
 はいっ中公文庫で読みました。その波瀾万丈の人生、信じ難い記憶力、そしてソリッドで的確な描写力、いずれも圧倒されたのですが、何といっても己の眼で事実を見詰め己の頭でそれについて考え抜く、およそ凡百の軍人にはありえない自立した冷徹な精神に感銘を受けました。例えば、以下のような文章を書ける人物が、日本の近代史において何人いたでしょうか。
 国籍が違っても階級が違っても、人間の生活感情や思想は互いに共通する部分の方が、相違する部分より遥かに多いのに、相違点を誇大に強調して対立抗争をしている。僅かな意見の相違や派閥や行きがかりのために、ただでさえ不幸になりがちな人生を救い難い不幸に追い込んでしまう。情けないことである。なにか大きいものが間違っていて、私たち人間を奴隷のようにかりたてている。一国の歴史、一民族の歴史は、英雄と賢者と聖人によって作られたかのように教えられた。教えられ、そう信じ己れを律して暮して来たが……だが待て、それは間違っていなかったか。野心と打算と怯懦と誤解と無知と惰性によって作られたことはなかったか。胸の中が熱くなり、また冷えた。(『誰のために』より)
 私たちの後頭部を痛打するバールのような一文です。核(原子力)発電の歴史にあてはめると、それは原子力マフィア(メディアは何故"原子力村"などという牧歌的な名称で呼ぶのでしょう?)の野心と打算によって、そして民衆の誤解と無知と惰性によって作られてきたと言えそうですね。いったい何が間違っているのでしょう、彼の問いかけはいまだに執拗低音のようにこの社会で不気味に鳴り響いています。なおこの記念館は、真清の生家があった地元の人たちの熱意により現在地に保存、修復されたもので、普段は施錠されていますが、事前に問い合わせれば内部を見学できるそうです。今回は事前の連絡を忘れたために、涙を飲んで見学は断念。彼の故地を訪れることができたので良しとしましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-03-27 06:18 | 九州 | Comments(0)