やがてバスは山道をおり、由良比女神社に到着。神前に土俵がありましたが、こちらでも古典相撲が行われているのでしょうか。石灯籠には波間にはねる魚が彫られていました。
![]() 狛犬の顔面が無惨に削り取られているのはなぜでしょう。神社なので廃仏毀釈とは関係ないと思うのですが、博雅の士の教えを乞う。 ![]() その前に広がる浜が「イカ寄せの浜」、毎年十二月から正月にかけてイカの大群が押し寄せるそうです。それを見張るための番小屋が復元され、イカを「拾う」人形が置かれていました。 ![]() そして浦郷港に到着です。予定としては、15:35に別府港から出航する「フェリーどうぜん」で知夫利島に向かいたいのですが、現在の時刻は12:14。ちなみに浦郷から別府への路線バスは本数が少ないので慎重を要します。ターミナルの切符売り場の方に相談すると、13:20から国賀海岸ぞいにクルーズする遊覧船があり所要時間は一時間半、200円を支払えば別府まで送ってあげるので、出航時間には余裕の吉田さんで間に合うというお返事です。乗った! とりあえず一時間ほど時間があるので、浦郷の町を散策しがてら昼食をとることにしましょう。まずは幸先良くターミナルの前で、イカの顔はめ看板をゲット。「イカの活っちゃん」というお名前だそうですが、ちゃんと足が十本あるところにこだわりを感じます。マンホールの蓋もイカ、西ノ島にとってイカが重要な存在であることを痛感しました。 ![]() 路地に入ると、イカを干しているお宅もありました。そしてあるお宅の瓦には、まるで人面疽のように大黒さまのご尊顔がいくつもはめこまれています。うーん、ちょっと怖い。でもこれなら悪鬼も近づかないような気がしないこともありません。 ![]() 古い病院の前でふたたび顔はめ看板を発見。NHK連続テレビ小説「だんだん」のロケ地だったそうです。このシリーズは「おはなはん」以来、まったく見ておらず、特段興味もないので、私にとっては風馬牛。なおこの病院は「浦郷診療所」といい、1958(昭和33)年からつい最近まで、この地の医療を支えてきたそうです。御役目、御苦労さまでした。 ![]() そして近くにあったお食事処「はま」に入って昼食をいただくことにしました。お品書きを見ていると…「もぐり定食」? さっそく女将に質問すると、まるご(ぶり)をすこし蒸して熱々ご飯の上に散らし、その上にまた熱々ご飯をかぶせた一品とのこと。うん、それは美味しそうだ、このもぐり定食と鯵フライを注文しました。そしてお二方がしずしずとご入場、さっそく初めての共同作業…じゃなくて物の怪に憑依されたようにむしゃぶりつきました。香ばしく焙られたまるごとご飯のコラボレーションも素晴らしいし、身のつまった大ぶりの鯵の美味しさにも驚愕、大満足でした。 本日の二枚です。 ![]() ![]()
そして踏切を渡ると、古い商家が散見される本町商家通りで、醤油製造業を営んでいた池上邸が公開されています。
![]() しばらく歩くと、かつて城の外堀として利用されていた紺屋川筋にたどりつきました。このあたりの町並みも卯建、なまこ壁、塗り格子の窓などが見られ、なかなか風情があります。川沿いに建つ高梁基督教会堂は、新島襄の来高がきっかけで1889(明治22)年につくられた瀟洒な教会。 ![]() すぐ近くには頼久寺があります。こちらには小堀遠州の作庭による禅院式枯山水蓬莱庭園「鶴亀の庭」がありました。はるかに望む愛宕山を借景に、石組とサツキの大刈込みがバランスよく配された素敵なお庭でした。どこからともなく現れた猫といっしょに、しばしお庭を鑑賞。 ![]() そして1904(明治37)年につくられた旧高梁北小学校の校舎を利用した郷土資料館へ。解説によると二階が講堂になっているとのこと、てことはおそらく壇上正面に奉安所があるでしょう。いそいそと階段を駆け上がり、展示物であふれた講堂正面に行くと、ありました! ご丁寧に昭和天皇・皇后の写真が飾ってあります。せっかく良好な状態で保存されているのだから、学校儀式によって天皇=国家への忠誠心をすりこむ仕掛けについての解説があってしかるべきではないかな。この仕掛けを復活させるために文部科学省学校教育課長高山敏雄氏(仮名)は、各学校体育館の壇上正面に奉安庫をつくれという指導(事実上の強制)をしようと舌なめずりをしているかもしれません。 ![]() さてそろそろ駅へと向かいましょう。駅前には火の見櫓と消防器庫がありましたが、なんと後者にはドリス式列柱が二本配されていました。これはレアな物件ですね。 ![]() 近くにあるアーケード商店街に行くと人通りも少なく、この町の衰微を物語るようにシャッターが閉まった店がたくさんありました。 ![]() 特急やくもに乗り込み岡山駅へ戻り、駅ビルにあったラーメン屋「宝屋」でチャーシューメンを所望。美味しいスープなので全部飲み干すと、器の底に「そのココロに宝あり」という一文が書いてありました。別にそれほど大層なことではないのだけれど… ![]() そしてバスで岡山空港へ行き、飛行機で帰郷。瀬戸内編、これで一巻の終わりです。 本日の二枚です。 ![]() ![]()
このあたりでは野猿が出没するそうですが出くわさず、正面の唐破風屋根が印象的な天守閣を擁する連郭式山城・備中松山城に到着です。
![]() 鎌倉時代、有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和3)年に水谷勝宗によって3年がかりで修築、今の天守の姿となったそうです。特別、城に関心があるわけではありませんが、江戸時代の天守閣が残ると聞くとついつい寄ってしまいます。ちなみに現存する天守閣は十二、弘前城(青森県弘前市)、松本城(長野県松本市)、丸岡城(福井県坂井市)、犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、 松江城(島根県松江市)、備中松山城(岡山県高梁市)、丸亀城(香川県丸亀市)、松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、高知城(高知県高知市)ですね。なんだかんだいって、いまだ訪れていないのは丸岡城だけとなりました。 内部は石落しや狭間などの遺構がよく残っています。 ![]() 天守閣の最上階に上りましたが、残念ながら木々にさえぎられそれほど眺望はよくありません。さてここから歩いて町の中心部へと行きましょう。一時間ほど山道を下ると、武家屋敷・白壁の長屋門・土蔵が路地の両脇に連なる石火矢町ふるさと村に到着。 ![]() その近くにある高梁高校のあたりは、藩主が日常の政務を執った居館である御根小屋跡、豪壮な石垣が残されています。高校の門の脇には、登録有形文化財に指定されている洋館・有終図書館がありました。 ![]() 本日の二枚です。 ![]() ![]()
裏手には明治につくられた校舎があり、資料館として利用されていました。土足をぬいでスリッパにはきかえようとすると、「スリッパはつま先が自分の方へ向くようにげた箱に入れて下さい」という貼紙。さすがは閑谷学校。
![]() そして約束の時間通りに迎えに来てくれたタクシーに乗り込みました。運転手さん曰く、聖廟の前にある2本の楷(かい)の木が毎年11月初旬に紅葉し、それを目当てに多くの観光客が訪れるそうです。でもあの講堂は、誰もいない森閑とした状況の中で見たほうが絶対にいいですね。運転手さんも賛同してくれました。なお閑谷学校を世界遺産に認定してもらおうという運動もあるそうです。駅に着くと、吉永町の観光地図がありました。ふーん、「黒い雨」「八つ墓村」はこのあたりでロケをしたんだ。その近くには「自衛官募集」の看板。愛国心教育の狙いの一つは、この応募者を増やすためでしょうか。 ![]() やってきた列車に乗り込み、車窓から流れゆく農村風景を眺めていると、「和気清麻呂公碑」という大きな石碑が見えます。そして停車した駅が「和気」、なるほど彼はこのあたりの出身だったのか。 ![]() 岡山駅に到着し、伯備線に乗り換えて高梁へと向かいましょう。駅弁「まるまる穴子寿司」を仕入れて、特急やくもに乗り込みさっそくたいらげました。この列車には椅子付きの小さな喫煙室がついているので紫煙を一服、喫煙愛好家にとっては識見を感じる処遇ですね、助かります。 ![]() 三十分強で備中高梁駅に到着。お目当ては日本で一番高所にある山城・備中松山城と、小堀遠州が町割をした古い町並みです。まずは宮本常一氏のご尊父善十郎氏が「村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上がってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなところがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない」と言われたように、町で一番高いところにある備中松山城へと行きましょう。しかし標高430mの臥牛山頂上に建つゆえ、そう簡単にはいきません。まず駅前で客待ちをしていたタクシーに乗り、町中を走りぬけ、山道を上り十数分でふいご峠駐車場に到着。車はここまでしか来られませんので、ここから二十分ほど山道を歩くことになります。途中で、山なみに囲まれた小宇宙のような高梁の町を見晴らせる場所がありました。 ![]() 本日の一枚です。 ![]()
山陽本線に乗って向かうは吉永駅、三十分強で到着しました。閑谷学校は駅からすこし離れたところにあり、路線バスはなく頼みの綱はタクシーのみという情報は入手済み。幸い駅前にタクシー会社があり、すぐに乗ることができました。運転手さんにお願いして、約一時間後の岡山行き列車に間に合うよう迎えにきてもらうことにしましょう。そして十分ほどで到着。そもそも閑谷学校とは何ぞや? 小学館スーパーニッポニカから抄録しましょう。好学の岡山藩主池田光政の創設した庶民教育のための藩営の郷学。学統は「純粋朱説」で、習字・素読を必修とし、入学者は上層庶民の子弟が主で、家中武士の子弟や他領者も含まれた。明治維新後は私立学校などとして存続。国の特別史跡で、国宝の講堂をはじめ遺構は国指定重要文化財、ということです。簡単にいえば、殿様がつくった上流庶民向けの学校ですね。日本の中では最古の部類に入る物件だと思いますので、古い学校ファンの私としては見逃せません。今と昔の教育にはそれぞれ一長一短があるので簡単に比較はできませんが、少なくとも校舎や施設といったハード面では古い学校には逸品が多いという印象を受けます。「教育のためなら金に糸目をつけない」「子どもたちのためにより良い教育環境を整えてあげよう」という真摯な熱意がびしびしと伝わってきます。教育予算が先進国中で最低レベルにある昨今の日本を批判するためにも、こうした学舎を見て過去を振り返るのは有意義でしょう。贅言ながらつけくわえると、しょぼい教育予算に加えておぞましい教育内容、ま、要するに「税金はこれまで通り、いやこれまで以上にふんだくるけど、福祉・医療・教育予算は徹底的に切り捨てて貧乏人を見捨てるから、貧乏人同士助け合いなさい。でも政治家・官僚・財界にとってありあまる余得がある現行の社会システムに包まれて暮らせることを感謝する心、そのシステムを育んだすんばらしい国・日本を愛する心、つまり"愛国心"を忘れてはだめだよ。大阪湾の水は冷たいで」というえげつなくおぞましい教育がなされようとしているのですから、もうこの国に未来はないのかもしれませんね。
閑話休題。タクシーを下りて少し歩くと低い石塀に囲まれた広い空間が見えてきます。切り石を蒲鉾型にかっちりと組み上げたこの石塀がまたお見事! たいへんな技術ですね。 ![]() 入場料を払って中に入ると、広々とした広場の向こうにどっしりとしかも優美に佇む閑谷学校が見えます。 ![]() 時刻は午前九時、幸い観光客は一人もいない中で、落ち着いて拝見できそうです。近づいていくと母屋造りの大きな屋根には備前焼の瓦がしきつめられ、陽光に赤く輝いていました。 ![]() 内部は三方に窓がある板敷きの大広間になっており、ここが教場です。花頭窓からさしこむ光がおりなす陰翳もすばらしいのですが、見事に磨き上げられた床板の美しさには圧倒されました。 ![]() つくられたのが1666(寛文6)年ですから、三百年以上にわたって生徒たちが雑巾がけをしてきた結果なのでしょう。生徒と教授たちの学問に対する真剣な想いを眼前に見たようで、荘厳さすら感じます。なんてことを書くと、これを読んだ文部科学省学校教育課長高山敏雄氏(仮名)は「よし各学校で雑巾がけを励行するよう指導(事実上の強制だが結果責任は学校現場に押しつける)しよう」などと早とちりするかもしれませんが、ちゃうちゃう。ソフト面、ハード面、教育をとりまく社会環境、そのすべてが「子どもと教育と未来は大事だ」という一点でスクラムを組む中だからこそ、教場を大切に綺麗にしようという行為が自然となされるのだと思います。原因と結果をとりちがえないでくださいね、高山課長(仮名)。 本日の二枚です。 ![]() ![]()
いよいよ最終日です。まずは岡山市内にある、登録有形文化財に指定されたという火の見櫓を拝みにいきましょう。事前に入手した情報によると、京橋にあるとか。駅前にある路面電車の地図で確認すると、旭川にかかる京橋がありました。路面電車の東山線に乗ること約十分、西大寺町で下車し、川の方向へ少し歩くと川沿いにすらりと屹立するスレンダーな火の見櫓が見えます。百済観音像のようなスマートなお姿に見惚れ、いそいそと近づき頬擦りをし優しく愛撫。解説板によると、1924(大正13)年に、「万納屋(よろず屋)」こと坪田利吉氏が大八車による行商で稼いだ私財を投じて寄贈した十二基のうちの一つだそうです。(四基が現存) 岡山空襲の時にも急を知らせるなど人々の暮らしを見守ってきたのですが、数年前に老朽化のため撤去されそうになりました。しかし町内会の尽力により保存が決まり、補修・錆落とし・塗装がなされてこうして見事によみがえりました。いい話だなあ。なおすぐ近くにある京橋は日本建築会推薦土木遺産に、京橋水菅橋も登録有形文化財にそれぞれ指定されています。
![]() さて再び路面電車に乗って岡山駅に戻り、閑谷学校へと向かいましょう。通勤・通学時間にあたっているためでしょうか、次から次に客が乗り込んできてあっという間に満員。路面電車は人間的な速度で、のてのてと駅へと向かいます。お年寄りにも乗降が容易で、環境汚染および交通渋滞の解消に貢献する路面電車。いつまでも走り続けてほしいですね。また、新たに路面電車を導入するという英断を各自治体にお願いしたいものです。我が物顔にのさばる自動車どもから、人間の手に街を取り戻りましょう。 ![]() 岡山駅に到着し、駅前を歩いているとさっそく見つけました、御当地ポスト(と私が勝手に命名)。こちらでは桃太郎が頬杖をつき物欲しげな目で虚空を見つめていました。もちろん、桃太郎が、G・W・ブッシュのようにただただ財宝を掠め取るための侵略にいざ行かんとしている本格的な銅像もありました。お供の猿・犬・雉に日本国の姿がオーバーラップしてしまうのは私だけ? ![]() 弊衣破帽に高下駄をはいた蛮カラ(⇔ハイカラ)学生の銅像は旧制第六高等学校(現岡山大学)の生徒を模したものでしょうか。何故このような銅像を駅前に置いたのか、よく意図がわかりません。その近くで、いやに恰幅がよくて背の高い運動着姿のうら若き女性たちが「お願いしまああああす」と声を張り上げていたので、どりゃどりゃと行ってみると、"岡山シーガルズ"というバレーボールチームの広報活動でした。 ![]() さて列車の発車時刻まで少し時間があるので、旅の定番、駅構内にあった喫茶店でモーニング・サービスをいただきました。慌しく行き交う会社員や学生のみなさんを横目で見ながら、ゆで卵とトーストとサラダを食し香り高い珈琲を堪能する至福のひととき。さてそろそろ時間です。 本日の一枚です。 ![]()
雨も上がったようなので、彷徨を再開。せっかくなので船で仙酔島に渡ってみることにしました。市営渡船場から20分間隔で小さな渡し船が出ており、わずか五分ほどで到着です。
![]() 国民宿舎や遊歩道、展望台、ハイキングコースなどがある、ちょっとしたレジャーに向いたきれいな島ですが、時間もないので次の船で戻ることにしましょう。国民宿舎を右手に数分歩くと、鞆を一望できる展望台がありました。途中に「大阪探勝わらぢ会 大正十四年五月十日建」という小さな石の碑がありましたが、これは何だろう??? 小さな港には朝鮮通信使の船を模した渡し船が繋留されていました。 ![]() そして船で鞆に戻り、すぐ近くにある福禅寺対潮楼へ。門のところに「大坂探勝青遊会 第三十一回旅行紀念」という石碑がありました。うーむ、さきほどの碑と考え合わせると、大正時代に有志の観光旅行団体が訪れた地に石碑を建てるという流行があったのでしょうか。だとしたら何故? 頭の片隅にインプットしておきましょう。 ![]() ここは朝鮮通信使をもてなすために建てられた迎賓館です。六代将軍の慶賀使として来日した李邦彦がここからの眺めは日本一だと誉めたたえ「日東第一形勝」の書を残したそうです。大きな広間からは、なるほど仙酔島と手前にある弁天島を一望できますが、間に民家が建ち並んでしまったためちょっと景観が損なわれているのが惜しい。なおこの広間には通信使が書き残した扁額がいくつか飾られていました。 ![]() 外へ出て公道のど真ん中に悠然と座り込むカメラ目線の猫を撮影し、いろは丸事件談判跡、龍馬宿泊所跡をまわって、観光情報センターに到着。 ![]() バスに乗って福山駅へと向かいましょう。駅前にあるのが「センイビル」、繊維産業が隆盛をきわめた時代の名残でしょうか。駅構内にはひな人形の顔はめ看板がありました。 ![]() 列車に乗り込み一時間ほどで岡山着。夕飯は駅ビルにあった「めりけんや」のきつねうどん。甘く煮付けた、麺が見えないほどの大きな油揚げがいいですね。西国にいるのだなと実感できます。すぐ前にある「吾妻寿司」で夜食用のままかり寿司も購入。駅前のホテルにチェックインをし、ひとっ風呂あびて、さっそくままかり寿司をつまみに一人で酒宴兼作戦会議を開きました。 ![]() 当初の計画では、明日は安藤忠雄設計の地中美術館がある直島に行くつもりだったのですが、島への船便や、島内での移動などアクセスの点でちょっと不安を覚えます。閑谷学校はどうしても外したくないので、この際いさぎよく戦線を縮小しようかなあ。閑谷学校だけだと時間が余りそうなので、創建当時の天守閣と古い町並みが残る高梁(たかはし)と組み合わせてみましょう。うしっ、これでいこう。 本日の四枚です。 ![]() ![]() ![]() ![]()
さてそれでは港のほうへ行ってみましょう。途中にあったのが平賀源内生祠。源内が長崎で学んだ後、鞆の溝川家に立ち寄った時に、陶土を発見して源内焼の製法を伝えたそうです。その彼を、生きているうちに神として溝川家が祀ったのですね。
![]() 海沿いの道路にはセンターラインもなく、上には「譲り合って通行して下さい」という標識が掲げられていました。上を見ながらぼーっと歩いていると、地元の方に呼び止められ署名を頼まれました。なんでも、港の附近を埋め立てて橋を架ける計画があるそうで、それに反対する署名だそうです。おじさんは、トンネルの方が建設費は安くすむし景観も破壊されないのに、とおっしゃっていました。一筆記入して、頑張ってくださいと激励。 ![]() そして港のあたりに着きましたが、この近辺も落ち着いた味わい深い雰囲気です。狭い路地を包み込むように格子戸・白壁・腰板の民家や土蔵が建ち並んでいます。 ![]() まずは「いろは丸展示館」へ。いろは丸とは、坂本龍馬ら海援隊が乗り組んだ商船で、鞆の沖で紀州藩の軍艦と衝突して沈没、その引き揚げ品などが展示してあります。 ![]() すぐ近くには江戸時代につくられた高さ11mの常夜灯(灯台)や、200mにわたって残されている雁木がありました。 ![]() 重要文化財に指定されている太田家住宅は薬酒「保命酒」の造り酒屋で、ここも七卿落遺跡。1863(文久3)年8月18日の政変で、薩摩・会津によって京都を追われた三条実美ら尊攘派七公卿がここに滞在したとのこと。創業三百年を超えるという澤村船具店は、堂々たる風格です。 ![]() この一帯は、どこを切り取っても絵になるピクチャレスクな景観で、憑かれたように浮かれたように酔い痴れたように歩き回りながら写真を撮りまくりました。すると暗雲がにわかにたちこめ、突然の驟雨。珈琲を飲みながら一休みしようかな、ときょろきょろしているとある店に目がとまりました。二つの半円アーチに、意匠を凝らした窓枠、これはもしや戦前のカフェではないのか。さっそく中に入って仰天、レトロなカウンターや調度品や照明、タイル貼りの床、アール・デコ風の窓、間違いないですね。香り高い珈琲をいただきながら女将に聞いたところ、やはり戦前の物件でほとんど手を加えていないそうです。はい、紹介しましょう、その名ぞわれらの「友光軒」。 ![]() 本日の五枚です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 追記。2009.10.1、広島地裁は、「景観は国民の財産である」として埋め立てを差し止める判決をだしました。何はともあれ、よかったですね。
そして安国寺へ、その手前には鎌倉末期につくられたという日本最古の地蔵仏をおさめた地蔵堂がありました。するとどこからともなく現れた地元のおじさん、うらぶれた中年男性を見て不憫に思ったのかお地蔵さんや安国寺についての説明をしてくれました。んが、やがて話は南北朝動乱から室町、戦国、安土桃山と進み、壮大な歴史ロマンの様相を呈してきました。これはやばい、そろそろ徘徊を再開しないと日が暮れてしまう。「安国寺恵瓊が…」のところで、申し訳ないと話の腰を折り、丁重にお礼を言ってお別れしました。
![]() しばらく歩くと「こばた」物件を発見、しかも透かし彫りになっています。これは逸品ですね、恐るべし鞆の浦。 ![]() そして沼名前(ぬなくま)神社に到着。こちらにはかつて伏見城にあった秀吉愛用の能舞台があります。組立て式で、分解して戦場にも持ち運べるようになっているとか。門前の鳥居をふと見上げると、道幅いっぱいに広がっている笠木が民家の二階近くまで食い込み、おそれをなしたアルミサッシの手すりが先端部を避けるようにしつらえてあります。そういえば、以前に京都錦市場のあたりで笠木の先端が、完全にレストランの二階に食い込んでいる鳥居を見かけました。内部はどうなっているのかと無性に気になり、そそくさと入店して珈琲を注文してその席につくと… 壁から先端部が少し飛び出ていました。以上二件、自信をもって「日本三大鳥居に遠慮物件」として言上したいと思います。あと一つ? そのうち見つかるでしょう。 ![]() 町の中央には古い民家・商家が集まる一角があるので、のんびりと散策。「公徳心を高めましょう 鞆体育会」という謎の掲示板がありましたが、"公徳心"なんてひさしぶりにお目にかかったなあ。"鞆体育会"という組織も気になります。そして医王寺へと向かいましょう。 ![]() 途中にあったのが「ささやき橋」、なんでも応神天皇の頃、百済使節の接待役と官妓が役目を忘れて夜毎にここで恋を語り合っていたそうです。それが発覚して二人とも海に沈められたという伝説。*が小さいなあ、それぐらいいいじゃん、とつい思ってしまういい加減な私。近くには山中鹿之助の首塚がありました。 ![]() このあたりでもしぶい洋館や民家が散見されます。 ![]() そして医王寺に着きましたが、ここからの眺望は素晴らしいですね。鞆の町並みと仙酔島を一望することができます。絶景絶景。ん? ここから二十分ほど山道を登るとさらに眺めがよい太子殿があるよ、という看板が立っています。据え膳、もといっ、誘われたら嫌とは言えない内気な私、ようがす、行ってみましょう。ナンバリングが彫ってある、それほどきつくない石段を上って太子殿に到着すると、おおっ、さらに見事な眺望が開けます。ここはお薦めです。 本日の三枚です。 ![]() ![]() ![]()
ここから鞆までのバスは一時間に四本、頻繁に出ています。駅にあった観光案内所で確認しておいたのですが、このバスが芦田川を渡る橋から一本上流側にある法音寺橋の下あたりが、草戸千軒遺跡の発掘場所なのですね。通り過ぎる時に、しっかりと網膜に焼きつけておきました。
![]() 芦田川の右岸を30分ほど南下すると、鞆の浦に到着です。鞆、または鞆の浦、神功皇后が征韓の帰途、手に巻いていた鞆を沼名前(ぬなくま)神社に納めたことに由来するという地名です。古くから瀬戸内海の要津として知られ、大宰府からの帰路、ここに寄港した大伴旅人もこの地を詠んでいそうです。中世以降、軍事上の拠点として、また近世には諸大名や朝鮮通信使の利用も多かったそうな。バスから下りると、すぐ眼前に瀬戸内の海が広がっています。天日干しされているサヨリがいい風情ですね。 ![]() まずは鞆の浦バス停前にある観光情報センターに入って観光案内地図を所望、すると、町並ひな祭りが開催されていることがわかりました。旧家などにある雛人形を玄関の目につくところに並べ、それを観光客が愛でるという今流行のお祭りですね。道理で人手が多いわけだ。わたしゃ別段ひな人形に興味はありませんのでどうでもいいのですが、それにしてもこの手のお祭りが各地で流行しているようですが何故なんでしょうね。すぐ隣にある喫茶店で珈琲をいただきながら、一人作戦会議を主催、歩くコースをシミュレートしてだいたい頭に入れました。Here we go ! まずは町の中央部に食い込んで、安国寺方面へと北上してみましょう。 観光情報センターの脇道から街中に入ると、古い民家・商家が特別に自己主張するわけでもなく、当たり前に力みもせずに町の雰囲気に溶け込んでいます。自然体という感じで、いいですね。土壁、亀甲型・鱗型のちょっと変わったなまこ壁、虫籠窓、漆喰による装飾、波打つうだつ、などなど細部も見どころ十分。 ![]() おっ、御手洗で見かけた「靖国英霊の家」というプレートがあった。実はこの後、数ヶ所で見つけました。 ![]() 古い雛人形を公開している家もいくつかありましたが、街の侘び寂びた雰囲気にマッチしてなかなかよいものですね。 ![]() 小さな社と住宅が一体化している摩訶不思議なお宅もありました。ある家の玄関には「蘇民将来之子孫」という護符がありました。『備後国風土記』逸文によると、須佐雄神(すさのおのかみ)が一夜の宿を借りようとして、裕福な弟の巨旦将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来には迎えられて粟飯などを御馳走になったそうです。そこでそのお礼にと、「蘇民将来之子孫」といって茅の輪を腰に着けていれば厄病を免れることができると告げると、はたしてまもなくみんな死んでしまったが、その教えのとおりにした蘇民将来の娘は命を助かったとな。古風を感じさせる護符ですね。 ![]() 途中にあったのが史蹟「小烏の森古戦場」。中国探題として鞆の大可島に居城を構えた足利直冬(尊氏の子→直義の養子)が、ここで足利尊氏軍に敗れ九州に落ちたそうです。 ![]() 本日の二枚です。 ![]() ![]() < 前のページ次のページ >
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。 カテゴリ
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