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隠岐編(38):鳥取空港へ(10.9)

 そして若桜駅に到着、15:16発の列車に乗れば、鳥取空港18:10発のANA298便に余裕の良子さんで間に合う…はずでした。ホームに温度計があるのは珍しいなと写真に収め、ベンチに座って待っていましたが、定刻を過ぎても列車はやってきません。
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 後ろの駅員室では駅員さんたちが電話の応答でてんてこ舞いの様子です。…もしや…事故による不通… あわてて駅員さんをつかまえて事情を訊ねましたがやはり車両故障により運行不能、復旧の見通しはなし、ということでした。鳥取への代替交通手段はと聞いても、そこからバスがあるという木で鼻をくくったようなつれない対応。もうすこし丁寧な対応を望みますね、しようがないので駅前に出ると、おおっ、さきほどのNPO法人「ゆいまぁる」の方がいらっしゃいました。さっそく鳥取への交通手段を訊ねると、やはりバスしかないとのこと。バス停の場所を聞くと、車に乗せてくれて連れていってくれました。ほんとうに助かりました、ディスプレイを借りてお礼を申し上げます。駅から歩いて数分のところにバス停はあり、時刻表を確認すると午後四時ごろに鳥取駅行きのバスがあります。さあ間に合うか、まだ三十分ほど時間があるので近くの喫茶店に入り、珈琲とサンドウィッチを注文、ポケット時刻表でこれからの行程を確認しました。
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 空港行きのバスは鳥取駅17:00発、これに間に合わなければタクシーを利用するしかないですね。バスが何らかの事情で遅れて飛行機に乗り遅れるという最悪のケースはどうするか。時刻表によると、18:40鳥取発のスーパーはくと14号に乗り、新大阪から最終ののぞみに乗り継げば23:45に東京に着くことがわかりました。実は明日は仕事が入っているので、今日中には石にかじりついても帰郷しなければなりません。でも何とかなりそうです。珈琲とサンドウィッチをいただき、バス停に行って待っていると、定刻より十分ほど遅れてバスが到着。ああこれでチェックメイトか、と半分あきらめかけましたが、その後バスは快走、午後五時少し前に鳥取駅に到着。やれやれ、間に合った。空港行きのバスに乗り込み、鳥取空港へ。売店をひやかしていると、「鳥取 カレーメンチカツサンド」という一品に眼がとまりました。もしやご当地B級グルメか、さっそく購入し珈琲とともにいただきましたがまあまあの味でした。何気なくポケットに手を入れると、何か硬いものに触れました。…あっ、さきほど購入した鳥取行きの切符だ! 払い戻すのを失念してしまいました、まあ旅の思い出とういことであきらめましょう。そして飛行機に搭乗、無事に帰郷することができました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-01-21 08:29 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(37):若桜(10.9)

 さて郡家行きの列車は15:16発、それまで四十分ほどあるので、観光案内所でもらった地図を頼りに若桜宿を散策することにしました。なお自転車も借りられますが、小さな町なので徒歩でなめるように徘徊した方が楽しいかと思います。まずは商店街と並行する裏路地へ、ここは蔵通りと呼ばれ、黒板・白壁の蔵が建ち並び往時の繁栄を偲ばせてくれます。中には鏝絵がしつらえてある電灯飾りもありました。
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 マンホールの蓋には、山川、魚、桜、雪の結晶が意匠されており、この地の風物を物語っています。澄円庵には「芭蕉翁の碑」があり、何でも化政時代の文芸復興期にある俳諧師が芭蕉の俳諧を広めるための全国行脚の途中でここ若桜に立ち寄った際の記念碑だそうです。
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 「胃腸と栄養に 膽腸 ワット本舗」というホーロー看板を見かけましたが、何と読むのでしょう。"たんちょう"かな。おっこちらの蔵にしつらえてある鏝絵は素晴らしい、沸き立つ雲と竜ですね。
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 「ニュージャパンタイヤー」というホーロー看板を撮影してすこし歩くと八東川、そこにかかるが若桜橋です。竣工は1934(昭和9)年、鉄筋コンクリート造の三連アーチ橋で、なかなかモダンな橋梁です。事前に調べたところによると、時局匡救事業の一環として、約13,000人を動員して建設されたそうです。ちなみに時局匡救事業とは、世界恐慌への対策として1932(昭和7)年から1934(昭和9)年にかけて実施された公共事業です。
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 それでは駅へと戻りましょう。新町公民館の前には"従是みきハはりまみち ひたりハいせみち"と刻まれた「伊勢の道しるべ」が残されています。江戸時代の伊勢信仰を物語る物件ですね。町役場に横には、1,550人の人夫を動員してつくったという巨大な忠魂碑があります。なおパンフレットには1920(大正9)年、解説板には1924(大正13)年と、完成時期が食い違って説明されていますが、どちらが正しいのでしょうか。前者だとしたら、第一次世界大戦に従軍して戦死した兵士がこの地にいらしたのでしょうか。
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 そしてカリヤ(仮屋)通りに到着。通りに面して各家々に庇が設けられ、雨や雪の日の往来に便利なようになっています。ところどころに残っているだけで統一感にかけるのがちょっと残念。なおパンフレットによると、この通りにある用水と流雪用の水路では、鯉が飼育されていたとのことです。さきほどマンホールの蓋に描かれていた魚は鯉だったのですね。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-01-20 06:21 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(36):若桜駅(10.9)

 そうこうしているうちに三十分弱で氷ノ山高原の宿「氷太くん」に到着。ここのベランダから棚田を一望できるとのことです。さっそく入館しフロントの方の許可をいただいてベランダへ出ると、眼下に広がる舂米の棚田を見ることができました。ゆるやかな斜面に沿って、短冊状の棚田がまるで階段のように規則正しく並んでいます。やれやれ見られてよかった…
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 写真を撮影して車に戻り、駅前まで戻ってもらいました。丁重にお礼を言ってお別れ、それでは若桜駅の鉄道物件を見学いたしましょう。そうそう、列車に乗り遅れないように、鳥取までの切符を買っておいた方がいいですね。窓口で購入すると切符は昔懐かしい硬券、この存在感がたまりません。まずはレトロな駅舎とプラットホーム、1930(昭和5)年につくられたものです。そして駅員さんの許可を得て構内へ入場、おおっまるで昭和初期にタイムスリップしたような光景が広がっていました。人力で動かす転車台、蒸気機関車のための給水塔、物置、車庫、転轍手箱番所、いずれも1930(昭和5)年につくられたものですが、良好な保存状態で残されていました。蒸気機関車C12も野外展示されていましたが、実際に運転はしていないようです。なおこれらの物件にはちょっといい話がありまして、実はつい最近まで雑草に埋もれひどい状態だったそうです。JR貨物の機関車乗務員だった山根徹さんは大の鉄道ファン、これを惜しみ、神奈川県相模原市から若桜駅にせっせと通い転写台の修復をはじめました。やがて仲間が一人二人と増え、四年後には現状のように回復できました。他の施設に関しても、地元の有志による「若桜駅SL保存会」が結成され、修復と整備が進められたそうです。よく村おこし・町おこしには"若者・馬鹿者・余所者"が必要だと言いますが、この事例を聞いてなるほどなと思いました。柔軟で斬新な発想、行動力、不撓不屈の熱意、そして地元の人が気づかない価値・魅力を見出す眼と感性、山根さんはこのうちの多くを持っていらしたのですね。
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 駅舎内には若桜鉄道に関するお土産コーナーがありました。傑作だったのは「合格祈願 すべり止め砂」、蒸気機関車が上り坂で空転しないように撒く砂が、小さなガラス瓶におさめられています。山田君、座布団一枚! こういうウィットがある限り、若桜鉄道の将来は洋々たるものでしょう。私は「わかてつ」という字が記されたTシャツを購入、テニスの時に着て相手選手の思考を混乱させたいと思います。ふつう、何のことだかわかりませんよね。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2012-01-19 06:22 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(35):若桜(10.9)

 さてそれでは智頭駅へと戻りましょう。どこかで見たことがあるような「飛び出し小僧」、火の見櫓、駅前にあった「すぎのまち」というご当地電話ボックスを撮影して、入線してきた11:30発の列車に飛び乗りました。
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 そして11:48に郡家(こおげ)に到着、ここで若桜鉄道に乗り換えますが、一時間弱時間があります。ちょうど小腹もへったので、ここで昼食をとることにしましょう。が、食事がとれるような店が見当たりません。やれやれ…国道53号線に出るとやっと食事処「カキウチ亭」を発見、こちらで炒飯と餃子をいただき事無きを得ました。なおこの店のトイレ男女表示はちょっとユニークなものでした。
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 そして郡家駅前に戻り、「白兎伝説の里 八頭町」という顔はめ看板と「花御所柿の里」と刻まれているマンホールの蓋を撮影して、12:37発の若桜行き列車に乗り込みます。
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 旧国鉄若桜線をを引き継いで運営している、鳥取県などが出資する第三セクター方式の鉄道ですね。お目当ては、終着の若桜駅にある古い鉄道関連施設です。なおさきほど郡家の観光案内所で戴いたパンフレットによると、途中にある隼駅・安部駅・八東駅・丹比駅などにも、登録有形文化財に指定された古い駅舎があるそうです。まさか下りるわけにもいかないので、車窓から撮影しました。長閑な農村風景の中を列車はのててんのててんとのんびり走っていきます。鏝絵がしつらえてある、「寿」と書かれた蔵を発見したので、車窓から撮影。そして13:08に若桜駅に到着。
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 幸い雨はあがっていますが、またいつ降り出すかわからない曇り空です。駅構内の見学は後回しにして、さきに舂米(つきよね)の棚田を見にいくことにしましょう。駅前にはタクシーの「た」の字もありません。幸い観光案内所があったので、観光パンフレットをいただき、タクシーをお願いしたいと頼むと、係りの方の表情がさっと曇りました。なんでもNPO法人が運営している有償輸送システムがあるので、タクシーは来てくれないとのことです。タクシー会社のある地がここから遠いために、忌避しているようです。やれやれ…それではそのシステムはこの風来坊でも利用できるのかと訊ねると、さらに表情が暗くなり、「入会して年会費を払ってくれなければ利用できません」 そんな無体な。念のためその額を聞くと、年会費が2000円、輸送料が片道1000円、つまり計4000円。ん? なんだタクシーより安いじゃないか。さっそく依頼して待つこと十数分、「NPO法人 ゆいまぁる」と車体に記されたワゴン車がやってきました。運転手である中年のご婦人から手渡された入会書に記入し、代金をお支払いしていざ出発。道中、いろいろとお話をうかがいましたが、過疎化の進むこの若桜をなんとか元気付けようと獅子奮迅の努力をされているようです。森まゆみ氏と鎌仲ひとみ氏を足して二で割ったような知的なバイタリティを発散させる、素敵な方でした。"人生意気に感ず、功名誰か論ぜん"、私も多少なりとも力になりたいと思い、若桜の特産品を使ったご当地B級グルメをつくられてはどうかと提案。すこし沈思黙考されたので、もしかしたら近日中に実現するかもしれません。乞うご期待。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-01-18 06:20 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(34):智頭(10.9)

 待っていていただいたタクシーに乗り込み、メインストリートの智頭往来で下ろしてもらい、さあ智頭宿の徘徊を開始です。県内で最大の宿場町として栄え、往時を偲ばせる町並みが残っているとのこと。また登録有形文化財を探すときに重宝する「文化遺産オンライン」というサイトで知ったのですが、智頭消防団本町分団屯所、下町公民館、中町公民館、旧塩屋出店洋館といったしぶい物件を見るのも楽しみ。まずは造り酒屋の諏訪酒造へ、かの名作「夏子の酒」に登場した酒屋さんですね。
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 付近には古い洋館や海鼠壁の土蔵もあり、真っ直ぐに伸びる道の彼方には山なみが見通せるなど、なかなか魅力的な景観です。そして下町公民館がありました。竣工は1914(大正3)年、かつては智頭町役場として使用された、地方における洋風庁舎建築の一事例だそうです。玄関ポーチの三角屋根がコケティッシュ。
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 路地に入り足の向くまま気の向くまま散策を楽しんでいると、格子窓が印象的な古い商家、塩谷出店がありました。どうやら休憩所として公開されているようで、内部を見学することができます。中庭に面してしつらえてある一面の硝子戸が見事です。庭の一角には白く塗られた下見板張り、和風テイストをからめた瀟洒な洋館がありました。かつては教会だったそうですが、現在では西河克己映画記念館として公開されています。
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 塩谷出店の近くには、豪壮な商家建築の米原家住宅がありますが、残念ながら非公開。そして1922(大正11)年ごろ竣工の中町公民館へ、下見板張り+寄棟造・桟瓦葺での和洋折衷建築です。何でも当初は個人病院として建てられましたが、その後幼稚園、そして現在は公民館として余生を送っているそうです。
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 ふたたび智頭往来に戻ると、おおっ、周囲を睥睨するかのように屹立する智頭消防団本町分団屯所がありました。竣工は1941(昭和16)年、正面の大きな切妻破風、その上部にちょこんと鎮座する切妻屋根の火の見櫓、破風を貫通して櫓へとつながる梯子段、いいですねえ、素晴らしいランドマークです。こうした味な物件を大切に保存されている智頭のみなさんに敬意を表します。
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 その前にあるのが石谷家住宅、鳥取城下で塩の卸問屋を稼業とし、その後智頭の大庄屋に命じられ、問屋業や山林業を営み智頭宿の発展に寄与した旧家です。この邸宅は、近世から近代への建築技術の推移を示す貴重な歴史的建造物だそうです。よろしい見物させてもらいましょう。土間の豪快な梁組を見ただけでも、金に糸目をつけず当時の建築技術の粋を集めて建てたことがわかります。
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 牛臥山を借景にした池泉式庭園も見事なものでした。洋風螺旋階段とその吹き抜け部にかかる太鼓橋は意表をついた空間構成ですね。
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 そして何といっても、室内調度を飾る意匠の素晴らしさ! 鳳凰や唐草文様、そして石谷家住宅や諏訪神社など智頭の町並みを精緻に彫り上げた透かし彫りの欄間には、おじさん、まいりました。また障子の意匠も、扇やハート型など遊び心にあふれたもので、その桟の精巧なつくりにも瞠目します。施主の美意識と財力、職人の技が一体となった完璧なコラボレーション。昨今の資産家も、ガレの花瓶やマイセンの皿に泡銭を注ぎ込むより、こういう匠たちに金を払っていいものをつくらせれば、日本文化の維持発展に多少なりとも寄与できるのにね。おっ予報どおり、小雨が降ってきました。二階から眺める、雨に濡れた甍の波もまたおつなものです。
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 本日の八枚です。
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by sabasaba13 | 2012-01-17 06:24 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(33):板井原集落(10.9)

 そして入線した列車に乗り込み、山陰本線で鳥取へ戻ります。途中の岩駅近くでグリーンモンスターをゲット。
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 鳥取駅で8:53発の因美線特急スーパーはくとに乗り換え、9:19に智頭(ちず)駅に到着、幸い駅前に立派な観光案内所があったのでこちらで情報を入手しましょう。
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 お目当ては智頭宿の古い町並みと、山村の原風景が残るという板井原集落です。係りの方に相談をし、タクシーを配車してもらい、小学校建築の逸品があるという富沢集落に寄ってもらい、智頭駅かから車で十五分ほどかかる板井原集落に行って散策、そして智頭宿の中心部で下ろしてもらうことにしました。なお今回は利用しませんでしたが、こちらで自転車を借りることもできます。電話で配車してもらったタクシーに乗り込み、まずは十分ほど走ると富沢集落に到着です。そして山の懐に抱かれるように佇む木造二階建ての富沢小学校に連れていってもらいました。開放的な大きな窓が横長の校舎によくマッチしています。いいなあ、この学び舎で過ごした日々はきっと一生忘れないだろうなあ。なお校庭には「とぎすませ何が差別か見ぬく心」という標語を記した木柱がありました。なかなか志の高い標語ですね。
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 そして板井原集落へと向かいます。途中から山道となって路幅も狭くなり、対向車が来たらすれ違えないのではと心配になります。十五分ほどで集落の入口に到着、タクシーにはここで待っていてもらって徒歩で散策をすることにしました。ここ板井原集落は平家落人の隠れ里として伝えられ、伝統的建造物群保存地区に指定されている、希少な山村集落とのことです。生業は稲作と焼畑、炭焼き、養蚕、杉樽材の産出で、自動車が通らないために、周囲の自然環境と一体となった景観がよく保存されているそうです。車を降りてすぐ目の前にあるのが、登録有形文化財に指定されている板井原公民館で、もともとは昭和前期に分校として建てられたそうです。集落内を貫く道は六尺道、幅員2mもなく車が通らないため昔の地割りがそのまま残っています。
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 さすがに茅葺屋根はほとんど残っていませんが、土壁の土蔵や家屋など昔日の雰囲気を色濃く残す家並みです。ただ廃墟らしき住居や、手入れがされておらず崩れかかったお宅などが散見され、歩いていていたたまれなくなってきました。そうとう過疎化が進んでいるようですが、もうこの地で暮らしていく術はないのでしょうか。いくら伝統的建造物を保存しても(本気に取り組んでいるようには見えませんが)、そこで暮らす人間がいなければ、単なる形骸です。良いアイデアがあればよいのですが、思いもつきません。今も、各地で、こうした古い集落が朽ち果てつつあるのかと思うと暗澹たる気持ちになってきます。道端の水路で野菜を洗っている老婦人に挨拶をして、板井原集落を後にしました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-01-16 06:22 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(32):浦富海岸(10.9)

 それでは岩美駅へと戻ってもらいましょう。運転手さんに餘部鉄橋のことを伺うと、記念として橋桁二本を残し、解体作業が進んでいるということです。餘部鉄橋のところは冬に強風が吹くため、列車がしばしばストップしてダイヤはずたずたになったそうです。そのため京阪方面に行くときは因美線が使われ、鳥取以東はとりのこされてしまいました。なお新しい橋梁は、強風対策もきちんと施されているとのこと。それにしてもこの名橋が健在のときに、この眼で見ておきたかったなあ。実は数年前、三仏寺投入堂を見に行く途中、山陰本線でこの橋の上を通過しました。その時、餘部駅で下車して下から拝見しようかなとふと思ったのですが、次の列車が一時間後ということでやめてしまいました。後悔だらけの人生ですが、これはその中でもベスト10にノミネートしたいですね。"過而不改 是謂過矣"、それ以後は見るべきものは万難を排して見るようにしています。さてタクシーは岩井温泉を通り過ぎましたが、後で持参したガイドブックを読んでいたところ、こちらには明治期の小学校建築があったことが判明しました。あちゃー、見落とした。これはunforced errorですね、自戒自戒。ま、いいや、「偉大なるローカル線」山陰本線の沿線はまた訪れる機会があるでしょう。時計を見るとまだ三十分ほどありますので、運転手さんに付近の見どころに寄れないかと訊ねると、駅からすぐ近くにある浦富(うらどめ)海岸を紹介してくれました。なんでも、このあたり一帯は「山陰海岸ジオパーク・ジオエリア」という公園として売り出しており、浦富海岸はそこに含まれる景勝地だそうです。よし乗った、駅から十分ほど走ると海岸に到着、たしかに奇岩・巨岩が目につきますが、それほどのスケールは感じられません。ここから西に向かって鳥取砂丘まで連なっているということなので、このあたりはさわり、先にはもっと見どころがあるのかもしれませんが時間切れです。
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 岩美駅に戻ってもらい、丁重にお礼を言って運転手さんとお別れしました。駅前にあるトイレに入ると、「ポイ捨て禁止 ポイ捨てされたらあなたはどう思いますか?」という中学生が制作したポスターが貼ってありました。岩美中学校Bグループのみなさん、捨てられる側の立場に立ってものを考える、素晴らしい発想ですね。ここはぜひ一つ、さらに発想をふくらませて、"ポイ捨てされる恐怖"を蔓延させて労働者を地獄の競争に叩き落し、経済の活性化を企てている財界・政治家・官僚のおじさんたちの存在にまで思いを馳せてください。こうした御仁をどうやって退場させるか、それを考えるのも大切な学力です。駅前にある「イツバタ書店」はもう廃業されてしまったのでしょうか、古風な煙草売り場が設置されていたので「コバタ物件」を探しましたが発見できず。
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by sabasaba13 | 2012-01-15 09:45 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(31):横尾の棚田(10.9)

 朝六時にモーニングコールの音で叩き起こされ、カーテンを開けるとどんよりとした曇天です。天気予報によると、午後からは雨、迅速に行動することにしましょう。本日の予定は、横尾の棚田を見て、智頭を散策して、その付近にある板井原集落を彷徨して、舂米の棚田を拝見して、若桜駅の転車台を見学して、若桜の町を徘徊して、鳥取空港から帰郷、という予定です。やれやれ、こんなパッツンパッツンにタイトな旅程を誰が組んだのでしょうね。(お前だ) 泣きごとを言ってもはじまらない、潔く行動を開始しましょう。
 まずは6:52鳥取駅発、山陰本線浜坂行きに乗って岩美へと向かいます。鳥取駅前には大黒さまと因幡の白兎の銅像があり、その前のプレートには「日本のふるさとメロディーの箱」と記してあり、「ふるさと」の作曲者岡野貞一が鳥取市出身、「大こくさま」の作詞者田村虎蔵が岩美町出身であると紹介されています。なお余談ですが、「ふるさと」の作詞者である高野辰之を描いた、「唱歌誕生 ふるさとを創った男」(猪瀬直樹 文春文庫)はたいへんおもしろうございました。(残念ながら廃刊) この岡野+高野コンビがつくった唱歌は名作ぞろいですね。私が一番好きなのが「朧月夜」、これを国歌にしてくれたら喜んで歌うのですけれどね。
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 そして列車に乗り込み、7:16に岩美駅に到着、鳥取へ戻る列車は8:23なので、一時間強ほどふらつけます。と言ってもタクシーで行くしかないのですが、幸い駅前に一台客待ちをしていました。さっそく乗り込んで、横尾の棚田へ連れていってもらいました。二十分ほど走ると到着、残念ながら稲を刈りとったあとでやや索漠としていましたが、なだらかな斜面を見事に埋めつくす棚田にご対面です。運転手さんにはしばらく待っていてもらって、写真を撮りまくり。そして紫煙をくゆらしながら棚田を見下ろし、先人の労苦に思いを馳せました。"人無遠慮難成大業"、地域と子孫の未来を真摯に考えた結果が、この大業なのですね。核(原子力)発電所建設に血眼になっている方々とは対極をなす行為です。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-01-14 06:20 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(30):鳥取へ(10.9)

 それでは米子駅へと向かいましょう。途中にあったのが「安宅ロクロ店」、中を覗いても何を生業にしているのかよくわかりません。黒板と白漆喰のきれいな蔵がある路地もありました。
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 郵便ポストとゴミ箱でフェイス・ハンティングをして、見るべき程の事をば見つ、でも自害はしたくないので、今夜の塒がある鳥取へと向かいましょう。
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 自由席特急券を購入すると列車の到着まであと十数分、駅構内にあった本屋に入り「米子88の宝」という本を何気なく立ち読みしていると…米子駅の転車台と扇形車庫! おいちゃんは迂闊にも気づかなかったよお。さっそく駅員さんのところへすっとんでゆき、その所在を訊ねると、あるにはあるが見学はできないとのつれないお返事。ま、普通はそうだよね。ホームの端まで行って眺めても視認できません。列車を一本遅らせて、一か八かのるかそるか、外から見える場所を探すか、潔く撤退するか。ハックルベリー・フィンのように"息をこらすやうにして、一分間じつと考へた。それからかう心の中で言ふ"。やーめた。偃鼠河に飲むも満腹に過ぎず、あまり無理をするのはやめましょう。(お腹もへったし) 予定通り17:10発の鳥取行き特急スーパーおきに乗り込みました。しばらくすると、左手にさきほど見た旧日野橋の優美な姿が車窓を流れていきました。
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 そして一時間ほどで鳥取駅に到着。駅前に砂丘を乗せたご当地ポストがあるのかなと期待したのですが、これはありませんでした。予約を入れておいた駅近くのホテルでチェックインをし、荷物を置いてさあディナーを食べにいきましょう。お目当ては、ガイドブックで唾をつけておいた鳥取ご当地B級グルメ「ホルモンそば」が食べられる「まつや」です。鳥取駅から二十分弱歩き、店に入ると超満員。幸いカウンター席が一つ空いていたのでそこにおさまりました。いやはやたいへんな人気店のようですね。ひっきりなしにテイクアウトの注文をする電話がかかってきて、店主もてんてこ舞いの模様です。とうとう女将に「電話、出んでええ!」と叫ぶ始末です。そしておでん(がんもどき・豆腐・卵)とホルモンそばがしずしずとご来臨。旨味のあるホルモンと辛目のタレと腰のある太麺のコラボレーションが素晴らしい、一瀉千里にたいらげてしまいました。これで1020円とは安い、かなり騒がしい店でしたが大満足でした。駅ビルの土産屋で地酒を購入し、部屋に戻り、シャワーを浴びて、一献傾け、眠りにつきました。明日はいよいよ最終日です。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-01-10 06:18 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(29):米子(10.9)

 そして加茂川のほとりにひっそりと佇んでいたのが、ここ米子出身である西田税(みつぎ)の碑です。後学のため、スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
西田税(1901―37) いわゆる昭和維新、国家改造運動における青年将校のリーダー。明治34年10月3日鳥取県米子市の仏具屋の家に生まれる。陸軍士官学校34期在校中から大アジア主義の影響を受け、さらに北一輝の『支那革命外史』『日本改造法案大綱』を読んでこれに傾倒、陸士同期の秩父宮雍仁に国家改造の必要を説き、『日本改造法案大綱』などを贈呈した。1922年(大正11)騎兵少尉に任官したが、25年病気のため退官、予備役に編入され、大川周明主宰の行地社に入り、機関誌『月刊日本』の編集を担当、かたわら大学寮の寮監兼軍事学の講師となった。26年大川と対立、北一輝の門下に走り、以後北の忠実な弟子として生涯をともにする。この間多数の青年将校と交わり、代々木の自宅の集まりを「士林荘」とよび、27年(昭和2)7月「天剣党規約」「天剣党大綱」などを配布して憲兵隊の取調べを受けた。32年の五・一五事件では計画の途中で陸軍青年将校の参加を拒んだためスパイ視され、15日自宅で井上日召の弟子川崎長光に拳銃で撃たれ瀕死の重傷を負った。36年の二・二六事件に連座、翌年8月19日北一輝とともに銃殺された。
 彼の指導下にあった磯部浅一らが中心となって2・26事件を起こしたため、民間側の首謀者と見なされて、北一輝とともに処刑されたのですね。碑には「ふる里の加茂の川辺の川柳 真さをに萌えむ朝げこひしも」という彼の歌が刻んでありました。田舎漢の小生にはこの事件にコメントをする力量はありませんので、これ以上はふれません。なお民間人として唯一参加した渋川善助の生家、会津若松の渋川問屋を訪れたことを思い出しました。なおこの碑の近くで、緑に覆われたグリーンモンスター物件を発見。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-01-09 08:57 | 山陰 | Comments(0)