カテゴリ:演劇( 4 )

ワハハ本舗

c0051620_6284670.jpg 喜劇や笑いは大好きですね、うん。マルクス兄弟にクレイジーキャッツ、チャップリンにキートン、古今亭志ん生に柳家小三治、彼らから何度、元気をもらったことか。シェ-クスピア曰く、"陽気に笑いさざめきながら老いさらぼうて皴をつけ、酒びたしで肝臓をほてらせるがいい。そのほうが苦しい溜息ついて、その一息ごとに心臓を凍らせるより、よほどましだ。熱い血のかよった人間が、石膏細工の爺様よろしく、どうしてじっとしていなければならないのだ?"。シャンフォール曰く、"人生で最もむなしかった日は、笑わなかった日である"。アンネ・フランク曰く、"こんな薬を10錠飲むより心から笑ったほうがずっと効果があるはず"。チャーリー・チャップリン曰く、"私には傑作は残せなかった。だが人を笑わせた。悪くないだろ"。ニーチェ曰く、"笑いとは、地球上で一番苦しんでいる動物が発明したものである"。
 できるだけ舞台で喜劇を楽しもうとは思っているのですが、小生の霊界アンテナがにぶいのか、あまり上演の情報を手に入れられません。ほんとうは小松政夫と伊東四朗の二人芝居が見たいのですが、叶わぬ夢のようです。DVDの「エニシング ゴーズ」を見て笑いころげましょう。「小倉久寛 祝還暦記念コントライブhttp://sabasaba13.exblog.jp/23530914」は、実に面白かったですね。またこういう舞台を見たいものだと思っていた矢先、「ワハハ本舗」全体公演「ラスト3~最終伝説~」がおこなわれるという情報を得ました。久本雅美の当意即妙のギャグは大好きなので、彼女が所属するコメディ集団の舞台は期待できそうです。

 会場は東京フォーラム、現地で山ノ神と待ち合わせることにしました。入口で渡されたのは、桜の枝の造花。なにかの演出で使われるのでしょうね。さあはじまりはじまり。煌びやかに女装した梅垣義明氏が、股間を隠しながら朗々と歌うシャンソンには度肝をぬかれました。この時に、さきほどの桜の造花を振るように促されました。
 この後は柴田理恵氏と久本雅美氏の一人芝居あり、メンバーによるコントあり、集団によるモダン・ダンスあり、弾き語りありと、笑いのオンパレード…と言いたいところですが、お腹の底から笑えるような場面はありませんでした。あまり練られたギャグは少なく、会場が広いことも災いしたのかな。凡百な下ネタの多さにもちょっと辟易しました。ただお客さんを楽しませようという意気と熱気は十二分に伝わってきたので諒としましょう。ただ柴田氏が言った「面白いから笑うのではない、笑うと面白くなる」という言葉に琴線が触れました。そうですよね、ぐだぐだ言っていないで、笑えばいいんですね。
 会場を去る時に、造花が回収されましたが、財政面での苦労が偲ばれます。これからも身銭を切って、お笑い芸人のみなさんを育てていきたいと思います。そういえば、古今亭志ん生が、林家三平真打披露口上の中で、「小鳥の鳴く音を聴くには、餌をあげて世話をしなくてはいけない」と言っていましたっけ。
by sabasaba13 | 2017-06-13 06:29 | 演劇 | Comments(0)

第三帝国の恐怖と貧困 (2)

c0051620_6384448.jpg さあ、いよいよベルトルト・ブレヒト作、千田是也訳、松下重人構成・演出、東京演劇アンサンブルによる『第三帝国の恐怖と貧困 (Furcht und Elend des Dritten Reiches)』のはじまりはじまり。劇が演じられるフロアとわれわれが座っている席は指呼の間、役者の息づかいや鼓動までびしびしと伝わってくるようです。まずはまとった白い布をひらめかせながら、役者たちがフロアを駆け巡ります。そして本来この戯曲にはないブレヒトの詩『あとから生まれるひとびとに』の朗読から劇は始まりました。
ほんとうに、ぼくの生きる時代は暗い!
無邪気な言葉は間がぬける。
つややかなひたいは感受性欠乏のしるし。
わらう者はおそろしい知らせをまだ受けとらない者だけだ。
 暗く恐ろしい時代に生きた、感受性を欠く人々の短い14の物語が紡がれていきます。ナチスによる政権獲得から(1933年)からヒトラーのウィーン入城(1936年)まで時系列に沿って、ドイツのいろいろな都市を舞台にストーリーは進んでいきますが、まずは前半の内容について公演パンフレットから紹介します。
1.「国民共同体」 1933年1月30日
 ナチス政権獲得の日の炬火行列の後、酔っぱらった親衛隊員の二人が、ナチスの旗のない貧民街に紛れ込む。
2.「裏切り」 1933年、ブレスラウ。小市民の住居。
 隣人が外国語放送を聞いていたと密告した夫婦。
3.「白墨の十字架」 1933年、ベルリン。上流邸宅の住居。
 お邸の女中アンナのもとへ、突撃隊員になった恋人が訪ねてくる。彼は反体制分子を検挙するトリックを披露するのだが…
4.「泥沼の兵士たち」 1933年、エステルウェーゲンの収容所。
 強制収容所に入れられた左翼たち。社会民主党員、共産党員、神学者たちが、互いの悪口を言い合う。
5.「法の発見」 1934年、アウグスブルク。ある裁判所の会議室。
 めんどうな裁判の話。突撃隊員がユダヤ宝石商を襲撃した。どうも店主と労働者に挑発されたためらしい。裁判官はもちろんユダヤ商人に非ありとみるが…。
 面白かったのは「法の発見」でした。ユダヤ人と突撃隊(SA)が関係した複雑な事件を審理する裁判官。彼は、ただ保身のためにはどういう判決を出せばいいのか四苦八苦します。良心や正義をかなぐり捨て、ナチスのためにひたすら迎合したドイツ司法界の様子がうかがわれます。さすがはブレヒト、ファシズムが民主主義を圧倒する際には、司法の協力が必要不可欠であることを見ぬいています。少数者の権利を擁護せず、"正義"を政府に丸投げして平然としている日本の司法の姿と二重写しに見えてきました。ちょっとストーリーの展開と台詞が冗長だったのが惜しまれます。
 ここで二十分の休憩です。小用を済ませて外で紫煙をくゆらし500円の公演パンフレットを購入しました。劇団の方が手ずからドリップで入れてくれる、300円の珈琲も美味でした。そして後半のはじまりです。
6.「物理学者」 1935年、ゲッティンゲン。物理学研究所。
 ふたりの物理学者にパリから手紙が届く。
7.「ユダヤ生まれの妻」 1935年、フランクフルト。
 医者である夫の妻はユダヤ人。ユダヤ人の公職追放が始まるなか、夫の仕事に影響が出ることを心配した妻は、出国を決意するのだが…。
8.「スパイ」 1935年、ケルン。
 教師の夫と息子の家族。夫は日頃外では言えない批判を口にする。しかし息子はいつの間にかいなくなっていた。
9.「黒い靴」 1935年、ビッターフェルド。労働者住宅の台所。
 貧しい母とひとり娘。娘は田舎に行くのが楽しみで、古い靴は履きたくないと言う。
10.「箱」 1934年、エッセン。労働者住宅。
 突撃隊に引っ張られた労働者がブリキの箱に入れられて帰ってくる。
11.「釈放者」 1936年、ベルリン。労働者の家の台所。
 強制収容所に連行されていた同志が半年ぶりに釈放されて戻って来る。
12.「いましめ」 1937年、ケムニッツ。ヒトラー少年団の一室。
 ヒトラーユーゲント。班長は、戦争の勝利のために命を捧げよという「自戒訓」を暗唱させる。
13.「職業斡旋」 1937年、シュパンダウ。
 景気が良くなり、夫は飛行機の発動機工場の職を得た。そこへ妻の弟が戦闘機の事故でなくなったという報せが届く。
14.「国民投票」 1936年3月13日、ベルリン。
 ラジオからはヒトラーのウィーン入城の歓声が聞こえるなか、労働者街の一角では国民投票に向けてビラ一枚作れないことを嘆いている。
 後半はそれぞれの掌編が短くなり、引き締まったテンポのよい芝居が続きます。申し遅れましたが、劇の緊張感を高める、硬質で鋭いピアノもいいですね。深く心に残った芝居は、まず「ユダヤ生まれの妻」。ユダヤ人である医者の妻は、夫のためを思って彼と別れてオランダへと亡命しようとします。その妻を案じる素振りをしながら、実は安堵する夫。ユダヤ人の妻の複雑な思いを見事に演じた洪美玉氏の演技が素晴らしい。ナチスへの批判を、ヒトラーユーゲントに入っている息子に聞かれたのではないかと怯える夫婦を描いた「スパイ」、学校におけるファシズムの浸透を描いた「いましめ」も面白かったですね。軍需景気によって職につけた労働者がナチスを支持する「職業斡旋」も興味深い芝居でした。司法、学校、家庭、好景気、さまざまな場や局面で、ファシズムがじわりじわりと忍びよってくる恐ろしさ。同時代にその空気を肌で感じ胸に吸い込んだブレヒトならではの筆の冴えです。
 そして役者すべてが登場して、口々に"私たちが駆り立てられていく戦争は、私たちのものではない。黙っていてはいけない。目を背けてはいけない"と朗読する場面で劇は終わります。
 面白く、興味深く、そして恐ろしい芝居でした。強制的同質化、少数者への差別、司法の屈服、手段を選ばぬ好景気への期待、人びとの無気力・無関心・閉塞感。ある日突然に「今日からファシズムだあ」となったのではなく、真綿で首を絞めるように、少しずつ少しずつファシズムへと移行していき気がついたら手遅れだった、というドイツが教えてくれる教訓が痛いほど身に沁みました。ヨハン・ガルトゥング曰く"歴史から学ぶことのない人は、その歴史を再度生きることを運命づけられている"。歴史を学ぼうとする気はさらさらない安倍伍長のもと、日本が同じ道を歩んでいることに深い危惧を覚えました。公園パンフレットの冒頭に、ブレヒトの「ぼくに墓石は必要ないが」という詩が載せられています。
ぼくに墓石は必要ないが
ぼくのかわりに一つ
それがきみらに必要ならば
それにこう記してくれ
-提案したるは彼にして
採用したるは我らなり-
かく記すことにより
名誉をうけるは
きみらとぼくの全員であろう
 「提案したるは安倍伍長にして、採用したるは我らなり」ということにならないよう、黙っていてはいけない。目を背けてはいけない。

 追記。ユダヤ人の妻を熱演した洪美玉氏が、パンフレットに「危機感」という一文を書かれていました。ぜひ紹介したいので、一部ですが引用します。
 2012年、中国に残された朝鮮人『従軍慰安婦』の写真展が、ニコンから突然、中止の通告を受けた。写真家の安世鴻(アン・セホン)さんは異議申し立てをして、東京地裁は会場を使わせることをニコン側に命令した。あまり広くないニコンサロンに警備員が三人、入り口には金属探知機ゲートが設置され物々しい雰囲気だった。私は、在特会と呼ばれる人たちと至近距離で出会った。彼(女)らは何時間かおきに会場に乗り込んできて、ハルモニの背景に写っている小さなテレビを指さして「金持ってるんじゃねぇか」とか、写真の中の彼女たちをおとしめることをまくしたてていく。受付だった私は我慢できず「後ろのお客様もいますので、先に進んで下さい」と声を荒げた。すると「お前もどうせ在日だろう」「じゃあ、どうせ色んな男に股開いてんだろう」 怒りで体が震えた。「全部録音していますから」というスタッフの言葉がなかったら、殴りかかっていたかも知れない。その経験はショックであり、恐怖だった。(p.34~5)
 まだ気骨のある司法は存在していること、彼(女)らの発言の下劣さに唖然とすること、そしていよいよ日本も「第二帝国」になりつつあること、いろいろな思いが脳裏をよぎりました。
by sabasaba13 | 2015-04-18 06:39 | 演劇 | Comments(0)

第三帝国の恐怖と貧困 (1)

c0051620_6324099.jpg 「小倉久寛 祝還暦記念コントライブ」の際にいただいたチラシの中に、東京演劇アンサンブルによるブレヒト作「第三帝国の恐怖と貧困」公演がありました。「三文オペラ」「母アンナの子連れ従軍記」「ガリレイの生涯」を書いたベルトルト・ブレヒトの演劇は、お恥ずかしい話、実演を見たことがありません。チラシのキャッチ・コピーには"遠い昔の話ではない。遠い(昔の)国の話でもない。今。""戦争なんてまっぴらだ。戦争したいのは君だ!""オムニバス14編から浮かびあがるのは、ナチス支配下で徐々に日常を奪われ、価値観を狂わされていく庶民の姿"とあります。戦争への道をぶいぶいと突っ走る、最近とみにアドルフ・ヒトラーに似てきた安倍晋三伍長、スマホやらSNSにうつつをぬかして無関心な庶民、日本の現状を考える上で何か触発されそうな劇ですね、これは面白そうです。さっそくチケットをインターネットで購入し、芝居好きの山ノ神を誘って、観劇することにしました。
 弥生好日、西武新宿線の武蔵関駅で下車し、持参した地図を頼りに公演会場の「ブレヒトの芝居小屋」に辿り着くと…ふたりして目が ・ になりました、いやほんと。まるで潰れかかった場末の町工場(失礼)。しかしちゃんと切符をもぎる方もいるし、本日は千秋楽ということなのかけっこうお客さんもいるし、一安心しました。劇場に入るとまたびっくり。ステージではなく、石畳を敷いたフロアと、それを三方から取り囲む野球場のような階段状の座席。収容人数は100人ほどでしょうか。役者の演技を至近距離で見られるわけですね、これは楽しみです。なお後でわかったのですが、この建物も舞台もすべて団員の手作りで、ここで暮らしながら演劇活動に取り組んでいるとのことです。
 まずはパンフレットを参考に、東京演劇アンサンブル(TEE)を紹介しましょう。結成は1954年、都市だけで演じられている芝居を全国にもっていこう、その時代をビビッドに反映している芝居を創ろう、という思いから平均年齢20才の18人の若者たちが立ち上げました。そして同じ頃に出逢ったのがブレヒトの演劇でした。変革するものとして世界を構造的に捉えながら、細部にはこまやかなリリシズムがみちあふれるブレヒトの戯曲。衝撃を受けた彼らは、ブレヒト作品を連続上演し、劇場の名を「ブレヒトの芝居小屋」とし、劇団の名を「東京演劇アンサンブル」としました。ブレヒトが主宰した劇団の名が「ベルリーナー・アンサンブル」だったのですね。
 なおベルトルト・ブレヒトについても、スーパーニッポニカ(小学館)から紹介します。
 ベルトルト・ブレヒト Bertolt Brecht (1898―1956) ドイツの劇作家、演出家
 1898年2月10日、アウクスブルクの工場支配人の子として生まれる。ミュンヘン大学の医学生であったが劇場の仕事に転じ、1922年『夜鳴る太鼓』でクライスト賞を受けた。24年ベルリンへ移り、演出家マックス・ラインハルトのもとで活躍、そのころからマルクスを学ぶ。28年には女優ヘレーネ・ワイゲルと結婚、同年初演の『三文オペラ』で大成功を収めた。30年からは『試み』と題して続々作品を出版、音楽家ハンス・アイスラーと協力、映画『クーレ・ワンペ』をつくる。33年、オーストリア、スイスなどを経てデンマークに亡命。35年にはパリの国際作家会議に出席して反ナチスの活動を推進、36年からモスクワでドイツ亡命作家の機関誌『ことば』をフォイヒトワンガーやビリー・ブレーデルと協力して発行。41年アメリカに亡命したが、第二次世界大戦後の47年、非米活動審査委員会の審問を受け、かろうじてヨーロッパへ脱出。スイスを経て48年東ドイツに戻り、翌49年には妻のヘレーネ・ワイゲルとドイツ民主共和国の首都ベルリンで劇団「ベルリーナー・アンサンブル」を設立。52年、ブレヒトの全著作に対して国民賞、54年にはレーニン平和賞が贈られた。
56年8月14日、多くの仕事を残してベルリンで逝去。
 さて、本作は1935年から38年にかけて、亡命先のスヴェンボル(デンマーク)で、友人たちの情報や新聞記事をもとに書かれました。ナチスを批判したために弾圧を受けたブレヒトは、国会議事堂放火事件の翌日(1933年2月28日)に入院中だった病院を抜け出し、ユダヤ人であった妻のヴァイゲルと長男シュテファンを連れてドイツから脱出しました。そしてプラハ・ウィーン・チューリッヒを経由してデンマークのスヴェンボルに亡命します。この間、ナチ党政府はブレヒトの著作の刊行を禁止して焚書の対象とし、1935年には彼のドイツ市民権を剥奪しました。余談ですが、その亡命生活の悲痛を綴った彼の詩に、友人の作曲家ハンス・アイスラーが曲をつけたのが「小さなラジオに (An den kleinen Radioapparal)」です。『Melodie』というアルバムに収録されていますが素晴らしい曲です。
小さなラジオよ、亡命の間も
真空管がこわれないように
気をつけて家から船に、船から汽車にお前を運んだ
敵どもの声がこれからも私に届くように

僕のベッドの脇でお前は僕を苦しめる
最終放送は真夜中、一番は早朝
敵の大勝利ばかり知らせ、僕には苦痛だ
約束してくれ、お前は突然黙り込んだりしないと
 なおアラン・レネが監督した映画『夜と霧』の音楽を担当したのもハンス・アイスラーでした。
by sabasaba13 | 2015-04-17 06:33 | 演劇 | Comments(0)

小倉久寛 祝還暦記念コントライブ

c0051620_6282413.jpg 「チケットぴあ」で、山田和樹のマーラー・ツィクルス、交響曲第二番の切符を買おうとしたところ、たまたま見つけたのが「小倉久寛 祝還暦記念コントライブ ザ・タイトルマッチ2 ~笑いのDeath Fight~」という演目でした。小倉さんか…じつは私の好きなコメディアンの一人です。ぬいぐるみのような体型、縄文人のような毛深さ、生まれついての子分肌、内気で弱気、そこはかとなく漂うペーソス、時々ふるう匹夫の勇、いい味をだしています。その彼が師匠とも言うべき、手八丁口八丁の三宅裕司とからみあう二人コント。これはつまらないわけがない。さっそく山ノ神を誘ったのですが、「えー、こんとお、ま、いいや、閑だからつきあうわ」というレイジーなお返事。見てなさい、その烏の足跡を二本ほど増やしてあげませう。
 二月好日、山ノ神とともに下北沢にある本多劇場へと参りました。ほんとうにここでいいのかしらんと思うような雑居ビルの中に入ると、胡散臭げな小店舗が櫛比しています。いいですね、この猥雑な雰囲気。入場するとそれほど広くない劇場内はほぼ満員、「笑ってやるぞ」という熱気で息苦しいほどでした。そして開幕です。観客に肩透かしをくわせるように、そこは楽屋。二人が舞台衣装に着替えながら、ぼそぼそと軽妙なトークを交わしています。「今日は天気がよくてよかったね。この前の雪の日は、早くお客さんを帰してあげようとして早口になっちゃった」という三宅氏のセリフ、こうして書くと何でもないのですが、生で聞くとほんとうにおかしいのです。そして舞台が廻るとそこはビルの屋上、飛び降り自殺をしようとしている脚本家の小倉氏と、それを止めようとしているかしていないのかよくわからないプロデューサーの三宅氏の抱腹絶倒のかけあい、「まだ死なないで!」というコントの始まりです。それが終わるとまた舞台が回転して楽屋となり、コントを終えた二人がやってきてぶつぶつやりあいながら次の衣装に着替えます。こうして楽屋風景を間にはさみながら「人力車と客」「世紀の発明」「浮気調査の報告」「ブルースギター教室」と五つのコントに大笑いしました。このコントと楽屋風景を繰り返すという構成が、緩と急、弛緩と緊張というメリハリのきいたリズムを生み、休憩なしの二時間があっという間に過ぎました。山ノ神も涙を流しながら爆笑、ご満悦の様子に一安心しました。なお余禄として、最後の楽屋に日替わりのゲストが登場するという趣向がありました。本日は松本明子氏が花束を持ってあらわれ、見事な歌声を聞かせてくれました。ほんとうは伊東四朗氏に会いたかったのですが、諒としましょう。
 さてこの二人のコントはなぜこんなに面白いのか、野暮ですがちょっと分析してみました。まずプロットがしっかりしていること。しっかりとした骨組みがあってこそ、二人のギャグも映えるというものです。作家の吉高寿男氏、吉井三奈子氏、小峯裕之氏にお礼を言いたいと思います。そして十分に稽古をした上で演じられるコント。購入したパンフレットに掲載されていた加山雄三氏との対談で、次のような対話がありました。(p.23)
加山 今回のライブってコントだけ?
三宅 はい。コントだけで2時間。
加山 アドリブなしで?
小倉 なしです。
加山 よくまあ台詞を覚えられるもんだね。
三宅 むしろ覚えないと辛いんです。
小倉 それに稽古も1ヶ月やりますから。
 これは驚きでした。丁々発止の軽妙洒脱なやりとりは、すべて台詞だったのですね。しかも1ヶ月というしっかりとした稽古をかさねたうえでの芝居。たぶん、自然に聞こえるように、アドリブに見えるように、何度も何度も練習されたのだと思います。
 そして小倉久寛氏が醸し出す魅力も見逃せません。作家の吉井三奈子氏がパンフレットの中で、「乙女心」「純粋でまっすぐで可憐」と評されていますが、なるほど、言われてみればそうですね。しょぼくれてむくつけき容貌(御免なさい)とヌイグルミのような体型・体毛の内に秘めた乙女心、そのアンバランスさに惹かれるのかもしれません。
 心の底から清々しく笑えた素晴らしく楽しい二時間でした。また機会を見つけてお二人のコント・ライブを拝見したいと思います。
by sabasaba13 | 2015-02-19 06:28 | 演劇 | Comments(0)