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京都錦秋編(7):南禅院(14.11)

 そして南禅寺三門にのぼりました。1295(永仁3)年に創立されましたが、火災により焼失。現在の三門は1628 (寛永5)年に、藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものです。歌舞伎『楼門五三桐』の、石川五右衛門による"絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両…"という名科白でも有名ですね。なお三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称だそうです。(山門とも書きますが) 寺院を代表する正門で、禅宗七堂伽藍(山門、仏殿、法堂、僧堂、庫裏、東司、浴室)の中の一つです。ちなみに南禅寺の三門は、日本三大門の一つに数えられるとのこと。残り二つは知恩院三門身延山久遠寺三門。久遠寺のかわりに東福寺三門を数えるという説もあります。
 絶景かな、絶景かな、と周囲を睥睨していると、山ノ神がつんつんと裾をひっぱります。なんだなんだ、せっかく五右衛門の気分に浸っていたのに。彼女が指さす方を見ると…なんと、天授庵の屋根が新調されています。JR東海キャンペーン「そうだ京都、行こう」でよほど儲かったのですね。御慶。もしかすると、京都のお寺さんで談合をして、修繕の必要なところから持ち回りでキャンペーンに取りあげてもらっているのかもしれません。まあ大変な維持費もかかることでしょうし、目くじらをたてる気は毛頭ありませんが。
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 そして南禅院へ、亀山法皇の離宮跡で南禅寺発祥の地といわれています。山ノ神が伝説の手裏剣座布団を目撃した地としても忘れられません。以前に観光客の少ない穴場だとして紹介したのですが、けっこう人いきれに溢れていました。でも芋を洗うほどではないのでご安心を。曹源池を中心とする池泉回遊式庭園で、鎌倉時代末に作庭されたとのことです。深い樹林に包まれた枯淡で閑寂な雰囲気には魅せられます。盛りを過ぎたとはいえ、池に映えるきれいな紅葉が見どころ。また池・紅葉・方丈を写真におさめられるフォトジェニックな眺めも多々あります。
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 本日の五枚、上二枚が三門からの眺め、下三枚が南禅院です。
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by sabasaba13 | 2016-09-03 06:13 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(6):天授庵(14.11)

 それでは天授庵へと向かいましょう。なお今調べていて分かったのですが、金地院の東照宮築地塀外南に、「戊辰伏見鳥羽之役東軍戦士人追悼碑」、つまり幕府軍戦没者の碑があるとのことです。江戸っ子の末席を汚す者としては見ておきたかったなあ。"江戸伝来の趣味性は九州の足軽風情が経営した俗悪蕪雑な『明治』と一致する事が出来ず"(『深川の唄』)という永井荷風の言葉を胸に刻みながら再訪を期す。
 南禅寺三門あたりの紅葉も見頃を過ぎていました。そういえばこの門にはしばらく登っていません。後でのぼって絶景を楽しむことにしましょう。そして天授庵へ…予想通りからっから。やれやれ、CMで流布されてみんなが見たがるお庭を見たがる、ということなのでしょうか。これでは王侯ではなくて商品ですね。ま、でも、落ち着いて見られるので嬉しいですね。このお寺さんは過去に何度か来たことがあるのですが、いずれも紅葉の見頃を外しましたが、今回も同様。1292(正応4)年に、虎関師錬が、南禅寺開山の無関普門の塔所として建立した塔頭で、1602(暦応2)年に細川幽斎によって再興されました。ん、こかんしれん? 受験用日本史で覚えた記憶がありますね、たしか日本初の仏教通史である『元亨釈書』を書いたお方です。
 まずは小堀遠州の発案とされる方丈東庭へ。白い砂と緑の苔の対比、そこに菱形の石畳が並ぶ斬新な意匠です。これに楓の赤が加われば見事なんですけれど、いかんせん散りかけていました。縁に座って、行く秋の風情を楽しみました。
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 奥に進むと、山里の佇まいを醸すしぶい中門があり、ここをくぐると大小二つの池を回遊できる書院南庭が広がります。参拝客もあまりいない静謐な雰囲気の中、池に沈む散りもみじを愛でながらゆるりと一周。紅葉の盛りの時にぜひ再訪したいものです。
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 なお方丈には長谷川等伯の『禅宗祖師図襖』と『商山四皓図襖』という襖絵があるのですが、残念ながら非公開です。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2016-09-01 06:23 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(5):金地院(14.11)

 というわけで、小堀遠州の手によるお庭と茶室、満喫いたしました。これまでも頼久寺円徳院、近江の孤篷庵を訪れましたが、遠州の魅力には奥深いものがあります。これからも折りを見つけて訪れる所存です。なお『シリーズ 京の庭の巨匠たち 小堀遠州』(京都通信社)の中で、熊倉功夫氏が次のように述べられていました。
 私はあくまでも茶の湯で遠州を位置づけることになりますが、利休さんが大きな文化に仕立てあげた茶の湯というのは、本来は個人的な楽しみですね。ところが、あの時代は茶の湯が政治的・社会的に大きな影響力をもった。そういう時代を演出したのが利休と秀吉、もう少しいえば戦国の大名たちです。
 しかし、そういう時代はやがて終わります。下剋上の時代は終わる。いわば下剋上の波に乗って登場した利休や秀吉が頂点に立ったとたん、下剋上は凍結させなきゃいかん。二度と下剋上が起こっては困るからです。それを政策として次々に打ち出すが、すぐには効果を発揮しない。信長は下剋上の凍結に失敗して倒れた。秀吉も太閤検地や刀狩りをやり、都市への武士の集住を進める。そういうなかで、文化の下剋上を止める政策が利休の死だと思います。秀吉は利休を殺すことで文化の下剋上を凍結しようとした。
 その秀吉もやはり倒れる。ようやく効き目が出てくるのは家康の時代ですが、そう簡単ではない。押さえ込んだものが脇からはみ出して、まともな方向から出てこない。押し曲げられ、へし曲げられた形で出てくる。これがカブキです。傾いて、まともならざるもの、これが織部です。下剋上が終わって権力者に押しつぶされようとしたとき、なにがなんでも頭をもたげようとする若者たちのエネルギーが爆発する。でも、これも押しつぶされる。幕府はカブキ物を徹底して弾圧したからです。こうして社会は安定してくる。これが遠州の時代、寛永です。
 カブキの慶長の時代が終わり、つづく元和の夏の陣で戦争は終わった。そして、寛永という時代がくる。戦国の遺風はまだまだ残るものの、社会的には寛永の時代ははるかに安定します。求められる美は、押し曲げ、へし曲げられたものではなく、伸びやかで協調性があって全体の調和を求める、それでいて斬新な美。これが寛永文化で、その寛永文化をまさに象徴するのが小堀遠州です。(p.95~6)
 なるほど、伸びやかで協調性があって全体の調和を求める、それでいて斬新な美、これこそが「きれいさび」の本質なのかもしれません。またこの旅の後に読んだ『茶の本』(岩波文庫)には、岡倉覚三(天心)の次の言葉がありました。
 宗匠小堀遠州は、みずから大名でありながら、次のような忘れがたい言葉を残している。「偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとくせよ。」 傑作を理解しようとするには、その前に身を低うして息を殺し、一言一句も聞きもらさじと待っていなければならない。(p.69)

 遠州はかつてその門人たちから、彼が収集する物の好みに現れている立派な趣味を、お世辞を言ってほめられた。「どのお品も、実に立派なもので、人皆嘆賞おくあたわざるところであります。これによって先生は、利休にもまさる趣味をお持ちになっていることがわかります。というのは、利休の集めた物は、ただ千人に一人しか真にわかるものがいなかったのでありますから。」と、遠州は嘆じて、「これはただいかにも自分が凡俗であることを証するのみである。偉い利休は、自分だけにおもしろいと思われる物をのみ愛好する勇気があったのだ。しかるに私は、知らず知らず一般の人の趣味にこびている。実際、利休は千人に一人の宗匠であった。」と答えた。(p.73~4)
 これも含蓄のある言葉です。王侯に接するが如き念で偉大なる芸術作品に対峙すること、そして誰が王侯かを見抜く眼力を養うこと。そして自分だけにおもしろいと思われる物をのみ愛好する勇気を持つこと。肝に銘じましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-08-31 06:16 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(4):金地院(14.11)

 それでは茶室を拝見しましょう。まずは方丈に上がりますが、ここから見るお庭も素敵ですね、障子と鴨居でフレーミングされた一幅の絵です。座観式の額縁庭園なのかもしれません。ここから先は、事前に予約しておかないと入れません。なおここからは写真撮影は禁止とのことでした。なぜなんだろう? フラッシュをたかなければ問題はないと思うのですが。せめて一言、理由を説明してほしいものです。係の方の案内にしたがってしずしずと奥へ進むと、八窓席の襖に長谷川等伯が描いた「猿猴捉月図」と「老松」がありました。前者は手長猿が池に映った月を取ろうと手を伸ばすところを描いた絵、後者は恰幅のよい松の古木を描いた絵です。等伯が描く動物って、ほんとに生き生きとしていますね。
 そしてお目当ての、以心崇伝の依頼により小堀遠州が既存の建物を改造して建てた茶室、八窓席です。写真を撮れなかったので、京都文化観光資源保護財団のサイトをご覧ください。まず目を奪われるのが、室内の明るさです。外に面した三つの連子窓と一つの下地窓の障子をとおして入ってくる、柔らかい光が茶席を充たしています。なお室内に飾り窓である床脇の墨跡窓、袖壁の下地窓があるので、合わせて窓は六つ。八という数字は、多くの数という意味か、改修されているので元は八つの窓があったの、諸説あるそうです。空間構成もいいですね。天井は二分され、平天井と片流れ屋根の化粧屋根裏(掛込天井)が絶妙のバランスです。床柱の松皮と、床框(とこがまち)の黒漆の、対比の妙も洒落ています。遠州の「きれいさび」、堪能いたしました。
 なおこの茶室と、大徳寺・孤篷庵の忘筌席、曼殊院の八窓軒を合わせて京都三名席と言うそうです。忘筌は時々特別拝観が行なわれているようなので、是非拝見してみたいものです。八窓軒について調べたところ、電話で予約すれば拝見できるとのこと。うーむ、また京都を訪れる理由ができてしまった。また国宝茶席三名席もあり、京都山崎妙喜庵の待庵、京都建仁寺正伝院にかつてあり、現在は犬山城下有楽苑にある如庵、そして大徳寺龍光院の密庵だそうです。前二者は訪れたことがあるのですが、密庵は完全非公開。惜しいなあ。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-08-29 08:55 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(3):金地院(14.11)

 まずは金地院を紹介しましょう。もともとは室町時代に4代将軍足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺です。1605年、家康・家忠・家光の徳川三代に仕えて外交や寺社政策にたずさわった「黒衣の宰相」以心崇伝が、南禅寺の塔頭として現在地に移しました。そして家康の遺髪と念持仏を祀る東照宮、二つの茶室をそなえた数寄屋、徳川家の永久の繁栄を願う庭の設計を小堀遠州に依頼しました。その関与について、崇伝は日記『本光国師日記』に詳細に記しており、確実に遠州作と示し史料が残っているのはここのお庭だけだそうです。
 小堀遠州については、岩波日本史辞典から引用します。
小堀遠州 1579‐1647(天正7‐正保4.2.6) 江戸初期の大名、茶人。名は政一。号は大有宗甫。近江小堀村に生れ、1604(慶長9)父小堀新介正次の遺領備中松山1万2000石余を継承(のち近江小室に移る)。08年遠江守。江戸幕府の作事奉行、国奉行をはじめ、伏見奉行などの役職を歴任。茶の湯・造庭にすぐれ、茶は古田織部に師事、のちに3代将軍徳川家光の茶の湯指南。利休風のわび茶を基本にしながらも、東山時代以来の書院の茶を復活させて優雅な王朝文化の要素をとり入れ、<きれいさび>といわれる茶風を軸に、寛永文化の中心として活躍した。
 きれいさびのお庭と茶室、楽しみです。まずは弁天池をぐるりとまわりますが、紅葉の盛りは過ぎていました。無念。雨にしっとりと濡れた散りもみじは綺麗でしたが。東照宮を拝見して長い石段を下っていきます。降りたところにあった切石の飛石は、自然石をまじえた「遠州好み」の洒落た意匠でした。『京の庭の巨匠たち』によると"加工石(切石)の「真」、加工石と自然石の「行」、自然石の「草」"と言うそうです。さしずめ"行"でしょうか。
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 そして方丈の前にひろがる「鶴亀の庭」に着きました。広く敷かれた白砂の奥に、石組と刈込が配置された「鶴亀蓬莱様式」の枯山水です。中央には、仏教の三尊仏を三個の立石で現わした三尊石組、背の高い主石(中尊石)と背の低い添石(脇侍石)を配した構成です。不老不死の仙人が住む理想郷である蓬莱山に見立てています。長寿延年を祈願する亀島が左に、鶴島が右に配されています。力強さにあふれたバランスの良い石組ですね。端正で小ぶりな燈篭がよいアクセントとなって、全体の構成をぴりりと引き締めています。なお遠州の関わった庭には、花押のごとく必ず置かれる富士山石も灯籠の左手前にありました。以心崇伝を祀る開山堂へと続く、大きく曲がりながら打たれた飛石も印象的です。微妙に角度を変えて置かれた少々ふぞろいの切石に、遊び心を感じます。
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 石組の背後にわきたつようにもこもこと植えられた刈込が、石組の厳しい表情を和らげて、優しい雰囲気を醸し出しています。なお重森氏によると、日本庭園における植木の剪定は、夏の京都という高温多湿の場所で、庭園内が涼しげに見えるようにという理由で始まりました。これがのちに、木々を寄せて植え、ひとつの固まりにしたところ、茶畑のような美しさに見えることから大刈込という手法が生まれたそうです。
 なお小堀遠州は庭の細部にわたって設計・指図をしましたが、実際に仕上げた職人は後陽成天皇に「天下第一の名手」と絶賛された賢庭です。彼は醍醐寺三宝院も作庭しています。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2016-08-28 11:37 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(2):金地院(14.11)

 朝、目覚めてベランダに出ると、琵琶湖も比叡山も朝靄にかすんでいます。テレビの天気予報を見ると、今日は曇りのようです。ま、雨が降らないだけでも諒としましょう。曇りの方が、紅葉の色が綺麗に撮れるしね、と引かれ者の小唄で朝食会場へ。
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 バイキングですが、その場でオムレツを焼いてくれるのが嬉しいサービスです。具を全部入れてもらったオムレツに舌鼓を打ちながら、半分上の空の山ノ神に本日の行程をレクチャー。
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 まずは事前に予約をしておいた金地院のお庭と八窓席を拝見。そして昨年はJR東海キャンペーン「そうだ京都、行こう」で取り上げられて黒山の人だった天授庵を訪れましょう。私の見立てでは、今年はガラッガラでしょう。ちなみに今年のキャンペーンで取りあげられたのは鷹峯の源光庵、きっとパッツンパッツンに混んでいて来年はガラッガラでしょう。そして久しぶりに南禅寺の三門にのぼって「絶景かな」とあたりを睥睨しますか。穴場の南禅院を見て、小堀遠州作と伝えられる南禅寺方丈庭園を拝見。すこし歩いて小川治兵衛(植治)作の白河院庭園を訪問。ここからはタクシーを利用することにしましょう。穴場の日向大神宮に寄ってもらった後、将軍塚へ。京都の町を眺望して清水寺へ。清水寺を散策しながら、その奥にあるという未踏の穴場、清閑寺に寄りましょう。三年坂・二年坂を歩いて東大路通りへ行き、バスと地下鉄を乗り継いで小川治兵衛(植治)作のがんこ二条苑を見学。ふたたび地下鉄に乗って、予約をして置いた陶然亭で夕食をとり、京阪電車に乗ってホテルへ、いかが。
 もぐもぐ あっ聞いていない。ま、小生に対する全幅の信頼の証と、好意的に解釈しましょう。部屋に戻って準備を整え、いざ出発。浜大津ホールとなりの大銀杏は落葉しはじめていました。うーむ、紅葉の盛りは過ぎてしまったかな。浜大津駅から京阪電車に乗って蹴上駅で下車。地上にでると粉糠雨が降っています。やれやれ、天下無双の晴れ男という看板もそろそろおろさにゃならんか。
 インクラインの下を通るトンネルを抜け、対龍山荘の門前を、指をくわえて通り過ぎ金地院へ。受付で予約の確認葉書を提示して拝観料を支払いました。そちらに置いてあったのが栗の皮で作った茶杓、しぶいですね。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-08-26 08:29 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(1):前口上(14.11)

 すっかり高齢、もといっ恒例となった京都錦秋の旅、2014年はお庭めぐりをからめて紅葉を楽しむことにしました。小堀遠州による金地院庭園と南禅寺方丈庭園と二条城庭園、小川治兵衛(植治)による白河院庭園とがんこ二条苑、重森三玲による東福寺方丈庭園と竜吟庵庭園と光明院庭園を拝見する予定です。なお金地院にある京都三名席の一つ「八窓席」の見学は事前予約が必要なので、往復はがきで手続きをとっておきました。二日目の夕食は、もうすっかり病みつきになった名店・陶然亭を予約。定宿の琵琶湖ホテルと往復の新幹線をJTBのフリー・プランでおさえてもらい、準備完了です。持参した本は『怠ける権利』(ポール・ラファルグ 平凡社ライブラリー)です。なお出発直前に読み終えた『日本の10大庭園 -何を見ればいいのか』(重森千靑[ちさを] 祥伝社新書)がなかなか参考になりました。そう、わが敬愛する重森三玲のお孫さんにあたる方です。作庭と庭園研究をされており、体験に基づいた平易な語り口で、小生のようなど素人にも分かるように庭についての基礎知識を授けてくれます。例えば…
 日本庭園は、池の表現であると同時に、石組の表現である。このうち、池の部分をとくに取り上げて呼んだものが「池泉庭園」であり、石組の部分がとくに強調されたものが「枯山水」と考えてよいだろう。(p.18)

 「いかにして、人工と自然のバランスをとるか」が、作庭の最重要テーマだった。(p.50)
 また私の愛読書、『シリーズ 京の庭の巨匠たち』(京都通信社)の「小堀遠州」「植治」「重森三玲」も、関連したところを読みなおしました。

 霜月の末日、金曜日の夜に東京駅で山ノ神と待ち合わせ、駅弁「牛肉道場」を購入。「天下無双」という、ラベルにあったキャッチ・コピーについはめられてしまいました。おっ、屋久島の焼酎「三岳」を売っているぞ、もちろんこれも買い。新幹線に乗り込んでさっそくいただきましたが、「天下無双」というほどでもなかったですね。ま、それなりに美味でしたが。
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 京都駅から東海道線に乗り換えて大津へ、タクシーに乗って琵琶湖ホテルに到着しました。大浴場につかり、部屋のベランダで夜の琵琶湖と比叡山を眺めながら、缶ビールと「三岳」を堪能しました。
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by sabasaba13 | 2016-08-25 08:40 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(20):帰郷(13.11)

 さて帰りの新幹線発車時刻までまだ時間があるので、嵐山をちょいと見に行くことにしました。今出川駅から地下鉄烏丸線で烏丸御池駅へ、地下鉄東西線に乗り換えて太秦天神川駅へ。ここで嵐電に乗り換えて嵐山駅に到着。さすがは嵐山、もう午後四時半だというのにたいへんな混雑です。渡月橋に行き、嵐山を撮影。残念ながら曇天のため、きれいな紅葉には出会えませんでした。
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 ふたたび嵐電と地下鉄を乗り継いで四条駅へ、山ノ神のリクエストに応えて錦市場に寄りましょう。香味ちりめん山椒を大丸の地下で、わが家御用達の卵焼きを「三木鶏卵」で購入。私の大好きな、笠木が両側の建物にめりこんだ錦天満宮の鳥居をまた撮影。
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 新京極の「田丸印房」で源頼朝のゴム印をゲット。この方は足利直義だという説が有力なのですけれどね。まだ時間があるので、ひさしぶりに「鍵善良房」でくずきりを食べようということになりました。鴨川を渡ると、カップルが等間隔で河辺に座り二人の世界にひたっています。
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 四条大橋を渡って「鍵善良房」に行くと…やれやれもう店は閉まっていました。いたしかたない、早めに京都駅に行くことにしましょう。途中でデパートに寄って、近江牛ミンチカツと関西風うなぎ弁当と焼鯖すしを購入。新幹線の中で美味しくいただきました。
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 というわけで、紅葉と植治の庭めぐり、一巻の終わりです。後日談ですが、2015年1/1(木)と1/2(金)の15:00~16:00に、NHK Eテレで「京都・南禅寺界隈別荘群」という番組を視聴しました。庭師さんたちが、いかに心をこめて庭の手入れをされているか、よくわかる好番組でした。赤松の落ち葉で苔を覆い保護する(敷松葉)。水が石の隙間に入らぬよう、赤松の落ち葉を束ねて石の縁に置く。赤松の松葉を、遠くは濃く、手前は薄く、手で梳く。濃淡遠近法を演出するためですね。石組の置き方を微妙に変えて水の音に変化をつける。對龍山荘を世話する庭師の山崎さんは週に六日手入れのために通うそうです。これからはそうした庭師さんたちの心遣いにも眼が届くようになりたいものです。と同時に、良い庭を良い状態で維持するためには、莫大なお金がかかることも納得。そう簡単には公開できないのですね。でも、でも、でも、見せてほしい。
 なお公開されている小川治兵衛の庭は、白河院庭園、がんこ高瀬川二条苑、楽々荘、仁和寺北庭、京都国立博物館庭園、高台寺土井庭園、旧上田秋成邸庭園(現・京料理とお庭の宿 八千代)があるそうです。京都を訪れる楽しみがまたひとつ増えました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-06-29 06:33 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(19):京都平安ホテル(13.11)

 登録有形文化財に指定されている平安神宮の大鳥居を撮影して、地下鉄東山駅へ向かって歩いていると「桝富」というお店に長蛇の列ができていました。今調べてみると、鴨肉の美味しい蕎麦屋さんだそうです。よろしい、覚えておきましょう。
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 東山駅から地下鉄東西線で烏丸御池駅へ、地下鉄烏丸線に乗り換えて今出川駅で下車。めざすは京都平安ホテルの日本庭園です。とはいえ時刻は午後三時すこし前、何も食べずに徘徊していたので♪お腹と背中がくっつくぞ♪状態です。近くに地元民経営の喫茶店はないものかと見まわしましたが、ありません。ホテルに向かって歩いていると「府民ホール ALTI」があり、その中に喫茶店があるようです。さっそく入店してサンドイッチと珈琲を所望。やれやれ一息つけました。
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 そして京都平安ホテルに到着。フロントで見学をしたい旨を告げると、快く了承してくれました。ここは公家屋敷の庭園として江戸時代に造られた池泉回遊式お庭で、大正年間に小川治兵衛氏の手により改造されたそうです。それではさっそく拝見いたしましょう。池と滝、築山で構成された小振りなお庭ですが、植治の魅力がぎゅっと凝縮されているようです。遊び心にあふれた石橋や沢渡石、景観にあわせて配置されたさまざまな意匠の石灯籠、飛び石・石組・景石の妙、満喫させていただきました。惜しむらくは、無味乾燥で無粋なホテルが水面にきれいに映ってしまうこと。ほんとに何とかなりませんかねえ。
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 なおこのお庭は、米国の日本庭園専門誌「Journal of Japanese Gardening」の「2014年日本庭園ランキング」の4位に選ばれたそうです。これは、米国在住のダグラス・ロス氏が日本庭園を世界中に紹介するために1998年に創刊した英語の隔月刊誌で、ただ「大きい」「有名」であるだけの庭園よりも、本当にゆったりとした美しい空間に人々の目を向けようと、日・米・豪の専門家たちが日本全国の日本庭園を調査し、庭そのものの質、建物との調和、利用者への対応などを総合的に判断し順位をつけたそうです。参考までに2014年のランキングを紹介しましょう。
第1位 足立美術館 (島根 美術館)
第2位 桂離宮 (京都 国有財産)
第3位 湯村-常磐ホテル (山梨 旅館ホテル)
第4位 御所西 京都平安ホテル (京都 ホテル)
第5位 山本亭 (東京 旧個人邸)
第6位 養浩館庭園 (福井 旧藩主別邸)
第7位 無鄰菴 (京都 旧山県有朋邸)
第8位 佳水園皆美 (島根 旅館ホテル)
第9位 栗林公園 (高松 旧藩別邸)
第10位 庭園の宿 石亭 (広島 旅館)
 まだまだ拝見していないお庭がたくさんあり、嬉しく思います。他者の評価にふりまわされる気はありませんが、それなりの根拠もあるでしょう。機会を見つけてぼちぼち訪れてみましょう。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2015-06-28 08:19 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(18):青蓮院・平安神宮(13.11)

 そして青蓮院に立ち寄りました。門前にある、根に苔をまとった大きな楠はいつ見ても圧倒されます。紅葉はそれほど多くはないのですが、それなりに晩秋の風情を楽しむことができました。なお昨日に並河靖之七宝記念館で見たものと似ている手水鉢がありましたが、作庭の伝統が植治の中に脈々と受け継がれているのを実感しました。
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 青蓮院のすこし先にある粟田神社は、紅葉の穴場です。本殿へ続くゆるやかな石段を、楓のトンネルが埋めつくしています。
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 しばらく歩いて岡崎疏水を渡り平安神宮に到着。1895 (明治28)年の平安遷都1100年を記念して桓武天皇を祀る神社として創祀されました。こちらの神苑が小川治兵衛の作庭によるものなので、拝見することにしましょう。まずは西神苑へ、「野筋」(入り組んだ細い道筋)と「遣水」(幾重にも流れ込んでいる小川)で構成されており、鄙びた山里の雰囲気です。変化に富んだ護岸石組や洒落た意匠の石橋を楽しむことができます。なおこのあたりは紅枝垂れ桜が密集しているので、ぜひ春に再訪したいものです。
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 白虎池をめぐり、流れに沿って歩いていくと蒼龍池のある中神苑です。この池にかかるのが臥龍橋、京都三条と五条の橋杭に用いられた円柱状の石を池のなかに据えてあります。もちろん実際に渡ることができますが、これが実に楽しい。すこしスリルを感じる程度に離して置かれた、しかも緩やかにうねる石をぴょんぴょんと渡っていると、龍の背中に乗って池の上を闊歩しているような気がします。こうした楽しさ、面白さ、分かりやすさも植治の庭の魅力なのですね。
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 『庭師小川治兵衛とその時代』の中で、鈴木博之氏は次のように述べられています。
 平安神宮で用いた三条大橋や五条大橋の橋杭の石、そして紅枝垂桜は、名石、名木を重視しなかった植治にとってはめずらしい、ポピュラーな人気を集める名物となった。谷崎潤一郎の『細雪』には主人公の蒔岡家の人々がこの枝垂桜を愛でに訪れる場面が魅力的に描かれている。谷崎はそこで「まことにここの花を措いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい」とまで述べている。
 富豪たちの私的な大庭園を作庭することの多かった小川治兵衛にとって、平安神宮神苑は、多くの人々の目に触れる数少ない庭園であり、そのことを意識して彼は、橋杭や桜などによって、華やかさとわかりやすさをもち込んだのであろう。結果、平安神宮神苑は広闊で明るい庭園となった。(p.91)
 そして東神苑へ。蒼龍池のくびれたところには大小さまざまな石が置かれて、水の流れと水音に変化を与えています。ひろびろとした池の周囲にもやはり紅枝垂れ桜が植えられています。池を渡る橋殿(泰平閣)は、植治の作庭にあわせて大正時代に京都御所から移築されたものだそうです。
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 というわけで、平安神宮神苑を十二分に堪能いたしました。今度はぜひ、花菖蒲や睡蓮や河骨や杜若が咲く頃、そして何より紅枝垂れ桜が妍を競うときに訪れたいと思います。

 本日の八枚、上から青蓮院(3枚)、粟田神社(1枚)、平安神宮神苑(4枚)です。
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by sabasaba13 | 2015-06-27 13:38 | 京都 | Comments(0)