散歩の変人:京都
2024-03-26T06:50:27+09:00
sabasaba13
地球を彷徨し、本と音楽の海を漂う
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京都観桜編(10):妙心寺退蔵院(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33291525/
2024-03-26T06:50:00+09:00
2024-03-26T06:50:27+09:00
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sabasaba13
京都
花園駅近くの法金剛院の桜もきれいだった記憶があるので寄ってみたら閉門していました。無念。
そして最後に選んだのは本満寺の枝垂れ桜。京都の桜の中で五指に入れたい銘木なので、ぜひ山ノ神に見せてあげたい。花園駅から二条駅へ、地下鉄を乗り継いで出町柳駅へ。ここから十分ほど歩くと本満寺です。が…葉桜となっていました。再訪を期す。
でも近くのお宅に見事な枝垂れ桜があったので、まあ、諒と…できないか。
橋の上から賀茂川沿いの桜を撮影。
タクシーで今出川駅へ行き、地下鉄に乗って四条駅へ。山ノ神は大丸でお土産ハンティング、私は穴場と聞いた佛光寺に行きましたが閉門でした。垣間見えた桜を撮影してすごすごと撤退。山ノ神と京都駅で落ち合って「蓬莱551」でぶた饅を、「SIZUYA」でたまごサンドを買って新幹線の車内でいただきました。
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京都観桜編(9):山科(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33290744/
2024-03-25T06:01:00+09:00
2024-03-25T06:01:30+09:00
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京都
枝垂れ桜の銘木「般若桜」は満開、その艶やかな姿に見惚れました。
それでは歩いて地下鉄山科駅へ向かいましょう。琵琶湖疏水の桜と菜の花のコラボレーションもお見事。
写真を撮っていると、トンネルから人を乗せた小さな観光船が出てきました。おおっ琵琶湖疏水クルーズが運航されているんだ。2015年に来た時に、「琵琶湖疏水通船 試行事業」という看板がありましたが、いよいよ運航が始まったのですね。これはぜひ乗りに来ましょう。
地下鉄で二条駅へ。さすがにお腹がへったので駅前のラーメン「たかばし」BiVi二条店で遅い昼食をとりました。こてこての豚骨ラーメンを堪能。京風ラーメンは上品なあっさり味という通念がありますが、何をおっしゃるウサギさん、こういうこってり味が主流です。いまは無き「新福菜館」しかり「第一旭」しかり。サイド・メニューの「ガバチョ」という名称が気になったので注文すると、甘辛く味付けた豚バラ肉でした。それにしてもなぜ「ガバチョ」と言うのだろう、訊けばよかったと今はげしく後悔しています。やはり「ひょっこりひょうたん島」に登場するドン・ガバチョと関係あるのかな。それではみんなで歌いましょう。「ドン・ガバチョの未来を信ずる歌」を!
♪今日がダメなら明日にしまちょ
明日がダメなら明後日にしまちょ
明後日がダメなら明々後日にしまちょ
どこまで行っても明日がある ホイ
ちょいちょいちょーいのドン・ガバチョ ホイ♪
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京都観桜編(8):平安神宮(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33287150/
2024-03-20T07:55:00+09:00
2024-03-20T07:55:15+09:00
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京都
なお平安神宮の神苑は、小川治兵衛(植治)の作庭によるものです。
またこちらには、日本最古の電車が野外展示されています。
解説板を転記します。
この電車は、明治28年1月31日に日本最初の交通輸送業電車として、京都電気鉄道が運行したものである。
当初は伏見線・木屋町線・鴨東線(平安神宮の在る岡崎附近にも敷設されていた)を開通次いで明治33年には北野線、37年に西洞院線を増設・運行し我国電気鉄道の先駆として交通事業に貢献するところが多かった。しかし、明治45年6月京都市が市営にて電気鉄道の営業を開始し、大正7年6月には京都市に合併された。その後、昭和2年4月までの間に、木屋町線・出町線・烏丸丸太町線等の路線が随時廃止され、主要路線は広軌に取り替えられたのだが北野線のみ、同じ狭軌のままで残された。
しかし、時勢の推移は如何ともすることが出来ず、最後のこの線も、昭和36年7月を以って廃止され、永年チンチン電車の愛称で親しまれた我国最古の電車も、その姿を消すこととなった。
ここに展示している電車は、当初のものであり、平安神宮創建とも深い関係があることから京都市より払い下げを受け、記念として保存している。
車体は梅鉢鉄工所の製作、電動機はアメリカゼネラルエレクトリック社の製品である。昭和31年頃、神戸製鉄株式会社によって修理が施された。
路面電車、いいですねえ、私大好きです。悪魔の機械から、街を人間の手に取り戻すために必須のアイテム。現在、路面電車が走っている街は、札幌、函館、東京、富山、高岡、豊橋、福井、大津、京都、大阪、岡山、高知、松山、長崎、熊本、鹿児島ですがもっと増えたらいいな。と思っていたら、なんと宇都宮で路面電車が走ることになりました。ぜひ乗りにいきましょう。
朱印所には長い長い行列ができていましたが、こういうお呪い的なものに惹かれる方が増えたようですね。私はまったく興味がありませんが。
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京都観桜編(7):東山(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33286388/
2024-03-19T06:33:00+09:00
2024-03-19T06:33:44+09:00
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京都
そして南禅寺へ、こちらも満開の桜が咲き誇っていました。
哲学の道へ行く途中にあった喫茶店「サンタムール」で朝食をとることにしました。フルーツいっぱいの美味しいモーニング・サービスを堪能。なおご主人はサラリーマンで、土日のみ店を営業されているそうです。東京の西麻布へよく出張するが、喫茶店に入ったらモーニング・サービスが1200円、高すぎると憤慨されていました。ちなみにこのお店は600円でした。
哲学の道でも満開の桜を満喫。桜を愛でながら銀閣寺までそぞろ歩きました。
西田幾多郎の碑があったのですね、初めて気づきました。
人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行なり 寸心 コノ歌ハ西田幾多郎先生晩年ノ作デ書ハ昭和十四年ノ自筆ニヨッタ 人生ノ指針ヲ示シタ碩学ノ教エトシテ哲学ノ道ヲ散策スル人々ニ愛唱シテホシイ チナミニ寸心トハ先生ノ居士号デアル
昭和五十六年五月
「京都で二番目に美味しい ほんまもんのわらび餅」という看板もありました。一番美味しいわらび餅はどこにあるのだろう?
銀閣寺参道の桜も見事ですね。
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京都観桜編(6):嵐山公園(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33285585/
2024-03-18T07:12:00+09:00
2024-03-18T07:12:58+09:00
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京都
それでは塒に帰りましょう。自転車を返却し、延長料金を支払おうとしたら、おじさんは「ええから、ええから」と受け取りません。なんて良い人なんだ、ありがとうございました。おまけに駅の足湯200円の券とタオルをくれました。感謝感激雨霰。さっそくホームにある足湯に浸かってほっこりとしました。
嵐電に乗って嵐電天神川駅で地下鉄東西線に乗り換えて山科駅へ、また京阪京津線に乗り換えてびわ湖浜大津駅へ。浜大津駅のタクシー乗り場に客待ちの車がなかったので、歩いてJR大津駅に行くことにしました。途中にあった「下田屋」で夕食。
しめ鯖
サラダ
近江牛の煮込み
近江牛の石焼き
串かつ
近江黒鶏のもも焼き
焼きうどん
大津駅前には満開の桜、夜空に満月。
そして今夜の塒「ホテルテトラ大津」にチェックイン。さっそく窓からJR大津駅を見おろしましたが、屋根がじゃまでよく見えません。働く駅員さんの姿もありません。ツェルマット駅とは違うなあ。「真下に電車 トレインビュープラン」はもう利用することはないでしょう。
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京都観桜編(5):嵯峨野(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33284792/
2024-03-17T07:35:00+09:00
2024-03-17T07:35:25+09:00
2024-03-17T07:35:25+09:00
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京都
二尊院も同様。
二尊院のとなりにある久遠寺は塀ごしに見事な桜が見られるのですが、残念ながら一般公開はされていません。
常寂光寺も同様。
ただこちらには気になるモニュメントが三つあったので、後学のため転記しておきます。まずは「女ひとり生き ここに平和を希う」という石碑です。
碑文を転記します。
1930年代に端を発した第二次世界大戦には、二百万にのぼる若者が戦場で生命を失いました。その陰にあって、それらの若者と結ばれるはずであった多くの女性が、独身のまま自立の道を生きることになりました。その数は五十万余ともいわれます。女性のひとりだちには困難の多い当時の社会にあって、これらの女性たちは懸命に生きてきました。
今、ここに、ひとり生きた女の"あかし"を記し、戦争を二度と繰返してはならない戒めとして後世に傳えたいと切に希います。さらに、この碑が今後ひとり生きる女性たちへの語りかけの場となることを期待します。
この碑は、独身女性の連帯の組織である独身婦人連盟の会員が中心となって、常寂光寺の支援のもとに建立しました。 碑文揮毫 参議院議員市川房枝
1979年12月 女の碑の会
戦争は、こういう形でも女性たちに犠牲を強いたのですね。そして忘れてならないのは、近代の日本社会は、女性を犠牲にすることによって戦争を可能にする強大な軍事力を築きあげたということです。『週刊金曜日』(№1403 22.12.2)から引用します。
「働く」からいまを見つめる 8 働き手を食いつぶす軍事費という放蕩息子 竹信三恵子 「戦争する国」だった戦前の日本の軍事費は、平時から一貫して3割、4割を占め、ほぼ10年ごとに起きる戦争のたびに、それが7割から8割にまで跳ね上がっていた。図表には収まり切らなかったが、日清戦争が起きた1894年にも69・4%、日露戦争が起きた1904年には81・9%にのぼる(帝国書院「歴史統計」サイトから)。
こんな社会で社会保障に回せるカネがひねり出せるわけがなく、保育も介護も、困窮からの救済も、基本的に「戸主」の自己責任となる。その手足とされたのが女性だ。女性に社会進出などされては、家庭内での無償の保育や介護を、公費で代替しなければならなくなる。だから、女性は無権利状態のまま家庭内に留め置かれた。「家」制度と性差別は、こうした低福祉社会の土台だった。(p.42~3)
そして戦後の日本社会は、同じく女性を犠牲にすることによって、経済成長という見えない戦争を戦ってきました。『女性不況サバイバル』(竹信三恵子 岩波新書1981)からの引用です。
つまり、女性は、家庭内で無償労働を担って社会保障費を抑え込む要員とされ、男性は、これを「扶養」する重圧に耐える代わりに、「世帯主」という仕掛けを通じ、給付金など女性に入ってくるカネを管理する立場を与えられるということです。「女性の無償労働力を維持することで成り立ってきた国の諸政策の下請け役」とでも言いましょうか。(p.236)
戦争であれ、経済成長であれ、女性を犠牲にしないと維持できないシステムから一刻も早く脱却すべきです。そして女性も、障碍者も、過疎地域も、高齢者も、子供や若者も、外国人も、誰も犠牲にならず皆が幸せになれるシステムを構築しましょう。
二つ目は、砂田明の記念碑です。
碑文を転記します。
「あねさん。魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんをただで、我がいると思うしことってその日を暮らす。これより以上の栄華のどけえいけばあろうかい。」
石牟礼道子原作 砂田明脚色
現代夢幻能「天の魚」 砂田明は1928年京都に生まれる。47年神戸高等商船学校卒業後上京、新劇俳優としての活動を始める。70年石牟礼道子「苦海浄土」に触発されて水俣巡礼行脚。72年水俣に移住。75年「祖さまの郷土水俣より」を上梓。79年袋神川に生類合祀廟「乙女塚」を建立。一人芝居「天の魚」の全国勧進行脚を始める。81年紀伊国屋演劇賞特別賞を受賞。82年金城実作「海の母子像」を水俣、沖縄、長崎等に建立する運動を始める。詩劇「鎮魂歌」を上演。92年「天の魚」上演実に556回に及んだところで病を得、93年享年65才で没す。
当山志縁廟への納骨を機縁に、故人を敬愛する多くの人々相集い金城実作のレリーフでこの記念碑をつくる。
1997年4月吉日
石牟礼道子が現代夢幻能をつくったことは知っていましたが、それを一人芝居で演じた砂田明という俳優の存在は知りませんでした。不勉強ですね。彼の名前は頭にしっかりとインプットしておきます。
三つめは『塵劫記』の記念碑です。
碑文を転記します。
塵劫記の著者吉田光由幼名与七のち七兵衛久菴と号した 京都嵯峨の角倉家の一員である 寛文十二年十一月廿一日没 寿七十五 詳略数種の塵劫記を刊行し草創期のわが国算学の発展に貢献した 以後の珠算書及び算学書はほとんどこれにならった また兄光長とともに数学と土木技術を駆使し菖蒲谷隧道を通して嵯峨の地をうるおした
塵劫記刊行三百五十年を記念し角倉家ゆかりの常寂光寺にこの顕彰の碑を建てる
昭和五十二年十月十日
塵劫記に吉田光由か、懐かしいですね。大学受験のときに一所懸命暗記した覚えがあります。彼が角倉家の一員だとは知りませんでした。でも富士川や高瀬川の開削をしたのが角倉家ですから、そうした土木工事を行なうにあたって必要な数学や計算を吉田光由に学ばせたのかもしれません。歴史の奥は深い。
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京都観桜編(4):京都平安郷(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33279476/
2024-03-10T07:10:00+09:00
2024-03-10T07:10:57+09:00
2024-03-10T07:10:57+09:00
sabasaba13
京都
京都・嵯峨野の中でも特に平安時代の面影を残していると言われる一角に平安郷(敷地面積約3万坪)があります。この地域は歴史的風土保存特別地区に指定され、美観や歴史的風情が保たれています。
柔らかな山並みの麓、広沢池の畔に位置する平安郷は、広々とした庭(約1万5千坪)に2本の小川が配され、梅、桜、楓など季節を彩る花木や約100種類もの山野草が植えられています。さらに庭の奥には、閑静な竹林(約3千坪)や嵯峨野を一望できるスポットもあり、四季折々の美しさを満喫できます。
広沢池は古くから月の名所として知られていますが、桜の時期や名月の頃には、平安郷の庭を広く市民に開放しています。広沢池越しの借景が心地よい野点をはじめ、特設ステージで催される雅楽や邦楽などを楽しむことができます。
また平成27年4月、平安郷参道入口の南東に岡田茂吉記念館が開館しました。教祖の書画の展示をはじめ、平安郷庭園の四季の情景などを紹介しています。
「春の一般公開」ということで、無料で拝見することができました。桜はそれほど多くはないのですが、堂々とした古木が何本かありました。
すぐ近くに岡田茂吉記念館がありましたが、彼が教祖のようですね。
解説板を転記します。
岡田茂吉記念館は、宗教法人「世界救世教」教祖である岡田茂吉師の宗教的・社会的偉業を記念して建設されました。病貧争の克服と地上天国の実現という岡田茂吉師の願いと教えは、世界救世教の活動の根幹として国内外で多くの人々に受けとめられ継承されてきました。今日では、地上天国の雛型である聖地の建設が、箱根神仙郷、熱海瑞雲郷、京都平安郷に、そしてタイやブラジルにおいても実現しています。箱根と熱海の聖地では、教祖の「美による救い」という教えに基づく美術館(箱根美術館、MOA美術館)が付置されていますが、ここ京都平安郷の岡田茂吉記念館では、教祖揮毫の書画を中心に展示を行っています。
MOA美術館と世界救世教の関係については何となく知っていましたが、箱根美術館もそうだったのか。
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京都観桜編(3):佐野藤右衛門邸(植藤造園)(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33278676/
2024-03-09T06:58:00+09:00
2024-03-09T06:58:09+09:00
2024-03-09T06:58:09+09:00
sabasaba13
京都
自転車で十数分走ると佐野藤右衛門邸(植藤造園)に到着です。公式サイトから引用します。
植藤造園は創業天保3年、代々御室御所に仕え、植木職人として御室仁和寺の造園工事に携わった家業の植木屋を前身です。明治より造園業を営み14代目より滅び行く桜を憂い、日本各地の名桜の保存に努め、現在約200種を保存してきました。また、各国で桜の育成にも努めてきました。 造園工事についても積極的に施工し、多くの作品を手掛けてきました。造園工事設計・施工並びに造園材料の販路は遠くヨーロッパ、アメリカ各地に及び、海外各地の要望に応えています。
私たちの手掛ける桜や庭園が、皆様にいつも新たな感激や感動をもたらすことがでできるよう努めてまいります。「植藤」をどうぞよろしくお願いいたします。佐野藤右衛門 古く仁和寺御室御所に仕えた家の十六代目。
イサム・ノグチ設計のパリの日本庭園や京都迎賓館の作庭に携わるいっぽう「桜狂い」と称されながら、私財を投じて日本全国の桜の調査、苗の保存に尽くした祖父、父の志と情熱を継ぎ自らもまた、稀代の桜守、花咲爺として国内外を飛び回る。話し上手の遊び上手、手すさびに琴や尺八を奏でる粋人でもある。
「桜狂い」の植木職人が集めた種々の桜をまとめて、しかもロハで拝見できるところです。こちらの桜もお見事ですね。いろいろな桜が競うように咲き誇っていました。またあまり有名でないためか、観光客もまばらです。ここもお薦め。
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京都観桜編(2):大覚寺(18.3)
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2024-03-08T07:37:00+09:00
2024-03-09T17:08:52+09:00
2024-03-08T07:37:42+09:00
sabasaba13
京都
大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、唐(中国)の洞庭湖を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれる。当時は最先端の文化の発信地となった。池のほとりには、茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡があり、国指定の名勝地になっている。
池の周囲にはたくさんの桜があり、ここを先途と咲き誇っていました。一花繚乱! 池の面に映る桜花も素晴らしい。さらにオーバーツーリズムなんて何処吹く風、観光客も少なく、広大な面積なのでほとんど気になりません。もう写真を撮りまくり。
というわけで大覚寺大沢池は桜の穴場、お薦めです。なお公式サイトに下記の注意事項がありましたので、その趣味がある方はご留意を。
個人的・趣味的撮影を含み、コスプレ撮影禁止 ※七五三や成人式・ブライダルなどの前撮り含む]]>
京都観桜編(1):大覚寺(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33277071/
2024-03-07T05:59:00+09:00
2024-03-09T17:09:33+09:00
2024-03-07T05:59:24+09:00
sabasaba13
京都
この時は私の仕事の都合で、一泊二日の旅とあいなりました。さら定宿の「琵琶湖ホテル」は満室。京都に泊まるのは至難だろうなあ、インターネットで滋賀県にある宿を探していたら「ホテルテトラ大津」に空きがありました。謳い文句はこれ。
↓真下に電車↓ トレインビュープラン【大津駅側確約!】大津駅直結!京都まで9分!
自称鉄三郎としてはそそられますね。二人で21800円と宿代は少々高いのですが、ここに決めました。新幹線の指定席を押さえて準備完了。持参した本は『イギリス人の患者』(M・オンダーチェ 新潮文庫)です。
弥生末日、東京駅の地下にある吾々ご用達の駅弁屋『祭』で「唐揚げざんまい弁当」を購入して新幹線に乗車。すぐに食べましたが、生姜醤油風味とにんにく醤油風味と南蛮黒酢たれ和えという、味のトリコロールを楽しめました。
静岡県に入り右手を見やりますが、残念ながら富士山は雲の中。
京都駅で下車して、駅のコインロッカーに荷物を預け、嵯峨野線に乗り換えて嵯峨嵐山駅に着きました。すこし歩いて嵐電の嵐山駅に行きこちらで自転車を借りました。まず目指すは大覚寺です。街で見かけた顔はめ看板を撮影、でもこれは何だ? コロッケパンか? さらに「世界一当たる!」というおみくじ機を撮影。
十数分ほど走ると、大覚寺に着きました。おおっ、いきなり満開の桜のお出迎え。
お堂に入ると、桜と勅使門という豪華なツー・ショットを撮影できました。
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京都観桜編(37):祇園白川(23.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33150114/
2023-11-15T06:03:00+09:00
2023-11-15T06:03:05+09:00
2023-11-15T06:03:05+09:00
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京都
白川を眺めながら食事をしたいので選んだお店がステーキ屋の「伊藤ダイニング京都」。ちょうど吉井勇歌碑の向かいにあります。残念ながら桜はよく見えませんでしたが、白川を流れゆく花びらと働くおじさんが見られたので諒としましょう。
さてステーキのコースを注文するつもりでしたが、嫌な予感がして店員さんに所要時間を訊くと一時間半~二時間かかるとのこと。それでは新幹線に乗り遅れてしまう。ア・ラ・カルトにして美味しいステーキに舌鼓を打ちました。
東西線京阪三条駅まで歩き、地下鉄に乗って山科駅へ。ホテル山楽に寄って荷物を受け取り、地下街にあった「志津屋」でカルネとタマゴサンドを購入。JRに乗って京都駅へ(ほんとに便利ですね)。
復路は山ノ神の要望でグリーン車です。19:30発のぞみ250号に乗り込みリクライニング、やはりグリーン車は楽ですね。カルネとタマゴサンドをいただきながら、新幹線の車内誌「ひととき」を読んでいたら京都迎賓館のことが紹介されていました。
御苑内には早咲きから遅咲きまで桜樹は約1000本。見どころには事欠かないが、一路「京都迎賓館」へ。2005(平成17)年の開館以来、多くの賓客を迎えてきたこの施設が、事前予約優先とはいえ、ひろく公開されていることは案外知る人も少なく、御苑の贅沢極まりない穴場である。
参観は少人数ガイドツァーが基本。心地よい解説にいざなわれ、建具や調度品ひとつひとつに、漆、截金(きりかね)、西陣織…と日本の伝統技能の粋を凝らした空間に身を置くひとときは、今年の桜の思い出をより優雅に彩ってくれるだろう。さらに時折実施される「プレミアムガイドツァー」では、通常非公開の「滝の間」や「水明の間」に足を踏み入れ、賓客と同じ目線で庭を眺める、滝の音を聴く、という特別な体験も。
京都迎賓館内で出会う桜は、たった1本。現代の桜守と名高い16代佐野藤右衛門がこれと選んだ、ほの白い花が風に揺れる姿が清楚な枝垂桜。例年なら4月の1週目あたりが見頃である。
これはいいことを知った。グリーン車に乗ったおかげですね。玉川、京都国際会館、毘沙門堂に加えて京都迎賓館の孤高の枝垂れ桜。来年のお花見がもう楽しみになりました。
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京都観桜編(37):長岡天神八条ヶ池(23.3)
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2023-11-14T05:41:00+09:00
2023-11-14T05:41:13+09:00
2023-11-14T05:41:13+09:00
sabasaba13
京都
残念ながら枝垂れ桜はほぼ散っていました。
しかたない、再びシャトルバスに乗ろうとバス停で待っていると、3年前に訪れた背割堤の桜並木が遠望できました。
バスに乗って大山崎駅へ、阪急に乗って長岡天神駅で下車。十数分歩いて長岡天神八条ヶ池の桜を愛でました。ま、それなりに綺麗ですがこれまで物凄い桜をたくさん見たので感興も薄れます。桜さん、ごめんなさい。
阪急長岡天神駅の近くでは巨大なタワーマンションを建設中でした。これから祇園白川に行って「伊藤ダイニング京都」で夕食をいただきますが、予約した時間の午後5時までまだ余裕があるので駅前の喫茶店「カンパニュラ」で一休み。私はコーヒー、山ノ神はミックス・ジュースを注文しました。山ノ神によると、後者は東京ではメニューにないとのこと。「秘密のケンミンSHOW」で知ったそうです。そして一服、京都では喫煙可能な喫茶店が多いのが嬉しい。タワマンの話を女将にしたら、このあたりの人口が増えているとのことでした。京都にも大阪にも近く、特急も停まり、学校も病院も多いそうです。
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京都観桜編(35):大山崎(23.3)
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2023-11-13T14:03:00+09:00
2023-11-13T14:03:58+09:00
2023-11-13T14:03:58+09:00
sabasaba13
京都
さてこれから駅前でタクシーをつかまえて、前掲書に載っていた桜の穴場・東一口(いもあらい)、名所の背割堤をまわってもらい、大山崎山荘美術館でおろしてもらい、同じく穴場の宝積寺と山崎聖天を歩いてまわる予定です。しかし駅前にタクシー乗り場がありません。目の前にレンタサイクルの店があったのですが、地図を持っていないので自転車でまわるのは無理でしょう。駅員さんに訊くと、あるいて数分のところにJR山崎駅があり、タクシー乗り場があるはずだとのこと。はい、行ってみます。街角に「荏胡麻で繁栄した大山崎」という解説板があったので後学のために転記しておきます。
荏胡麻はシソ科の植物です。完熟した実を乾燥させて搾り、油をとります。平安時代(9世紀後半)に、離宮八幡宮司が「長木」という道具を考案して荏胡麻作りを始めたといわれます。『信貴山縁起絵巻』(11世紀後半)の山崎長者の巻にも、油を搾る道具が描かれています。一方、文献資料に大山崎の油売りが初めて登場するのは貞応元年(1222)12月、美濃国司が出した文書です。これによれば、大山崎神人(じにん)が荏胡麻の買い付けや販売に出かける際に不破関(岐阜県関ケ原町)の通行料を免除されています。離宮八幡宮に奉仕する神人=神職として幕府や朝廷からの特権を与えられた彼らは、こうして活動範囲を広めていったのです。
では、大山崎のどこで油は生産されていたのでしょうか。阪急電鉄大山崎駅前で実施した発掘調査で油搾りに関連する遺物が出土しています。Aは備前焼の大甕、内部から荏胡麻油の成分が検出されました。Bは唐臼。荏胡麻の実をすりつぶしていた可能性があります。ともに室町時代の地層から出土しています。
大山崎で搾られた荏胡麻油は、おもに灯明用として京都や周辺の寺社などに売られました。『七十一番職人歌合』に登場する「宵ことに都に出るあふらうり、更てのみ見る山崎の月」は、京都の油売りが忙しく、なかなか山崎に帰れない様子を描いたものです。当時は油の代名詞として「大山崎」の地名が全国に知られていました。
中世の大山崎は、荏胡麻油によって栄えた豊かな街だったのです。
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京都観桜編(34):大山崎駅(23.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33144276/
2023-11-08T06:00:00+09:00
2023-11-08T06:01:53+09:00
2023-11-08T06:00:50+09:00
sabasaba13
京都
非正規労働者の増加、上がらない給料と、労働者の暮らしが脅かされているのは、自民党政権による長年にわたる労働組合弱体化政策の結果だと考えます。しかしもう限界です。いまこそ労働組合に労働者が結集して闘うべきです。しかし自公政権はそれを十分承知しているので、なりふりかまわぬ弾圧と懐柔を労働組合に加えるでしょう。生コン業界の産業別労組「全日建関西地区生コン支部」への凄まじい弾圧がそれを物語っています。『週刊金曜日』(№1418 23.3.31)から引用します。
警察・検察による産業労働組合「関生支部」弾圧事件(下) 中川七海・渡辺周 なぜ今、最大の弾圧なのか。
私は産業労働組合への政治・経済権力の警戒感がかつてなく高まっているからではないかと考える。
背景には非正規労働者が増え、給与も上がらない日本の経済状況がある。
22年の非正規労働者は2101万人。労働者全体の4割近くだ。1990年の非正規労働者は881万人だったから、約30年で約2・4倍に増えたことになる。
年間給与も90年には平均463万円だったが、2020年は433万円に下がっている。
この状況では、労働者が産業労働組合で活動するようになる可能性は高まる。関生支部への弾圧は、そうした動きを牽制するための「見せしめ」ではないだろうか。
だがこうした警察と検察による弾圧に、待ったをかける裁判所が出てきた。大阪高裁である。
23年3月6日、大阪高裁は、関生支部の武谷新吾・書記次長ら3人に無罪を言い渡したのだ。一審の和歌山地裁では、威力業務妨害で次のように述べている。
「産業別労働組合である関生支部は、業界企業の経営者・使用者あるいはその団体と、労働関係上の当事者にあたるというべきだから、憲法28条の団結権等の保障を受け、これを真折るための正当な行為は、違法性が阻却される」
大阪高裁は21年12月にも、京都地裁で有罪判決が下った関生支部の組合員に逆転無罪を出している。
代理人として、国を相手取って訴訟を起こしている弁護士たちもいる。海渡雄一、太田健義、萩尾健太、木下徹郎、小川隆太郎の各氏だ。18年以降の関生支部の組合員たちの逮捕や起訴を「ありとあらゆる不当な刑事訴追が繰り広げられている」と主張している。
Tansaも、捜査当局による関生支部組合員の逮捕・起訴は、労働者運動への弾圧であると捉える。今回の弾圧が誰の意思と指示により行なわれているのか。その中枢を特定するため取材を続ける。
これは関生支部だけの問題ではない。非正規労働者が増え、賃金が下がり、生活が苦しくなるこの国で生きる全ての人々にとっての問題である。(p.42~3)
頑張れ、労働組合。頑張ろう、労働組合。
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京都観桜編(33):高瀬川(23.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33143453/
2023-11-07T05:57:00+09:00
2023-11-08T06:02:16+09:00
2023-11-07T05:57:49+09:00
sabasaba13
京都
京阪電車に乗って祇園四条駅へ、地上へ出て鴨川を渡ります。
近くに「フランソア喫茶室」という喫茶店があるのですが、時間の関係でカット。きっと混雑しているでしょうけれど。
高瀬川のあたりは桜並木がきれいですが、たいへんな人混み。
前掲書から引用します。
高野川と賀茂川は今出川の出町で出合い、鴨川と名を変えて流れ下る。
その鴨川の二条に角倉了以が、物資運搬の運河として引いた高瀬川がある。木屋町のネオン街を流れるこの川を有名にしたのは、森鴎外の『高瀬舟』である。
『高瀬舟』は江戸時代を舞台に、護送される罪人と護送する同心との船の上でもやり取りでああるが、今でもよく話題にされるのは、ここに出てくる安楽死の話。現在行われている延命治療と尊厳死の問題で、社会に波紋を投げかけている。
そのモニュメントの高瀬舟は二条にあるが、木屋町を下がった四条以南から五条通りまでの高瀬河川畔にソメイヨシノの並木があり、夜のライトアップもされる。この辺りは歓楽街なので、ひときわ華やぎに包まれ、酔客も思わぬ花見ができて、さぞ満足であろう。(p.84)
なお愛煙家の方に朗報ですが、喫煙場所を発見しました。
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