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『週刊金曜日』

 安倍上等兵内閣が犯した大罪は山ほどありますが、見逃せないのがメディアに対する圧力です。『誰がこの国を動かしているのか』(鳩山友紀夫・白井聡・木村朗 詩想社新書12)から引用します。
 特に深刻なのは、政府・官邸による恐るべき言論統制と情報操作であり、その結果、マスコミの自主規制と世論の委縮、集団同調圧力の高まりと一般市民の沈黙・無関心・思考停止が急速に広がっています。「国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングで日本の報道評価が民主党政権時の11位(2010年)から、22位、53位、59位、61位(2015年)、72位(2016年)と毎年下がり続けているのはその反映だと思います。2016年4月11日に訪日した「表現の自由」に関する国連特別報告書であるデービッド・ケイ氏(米国)の「日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している」、「特定秘密保護法や、『中立性』『公平性』を求める政府の圧力がメディアの自己検閲を生み出している」という発言にも注目する必要があると思います。(p.310~1)
 メディアの役割は"中立で公平な報道"ではなく、"権力の監視"であることを、関係諸氏は今一度肝に銘じていただきたいと思います。しかし媚びず、腰を引かず、権力を監視し舌鋒鋭く批判するメディアがあるのも事実。そうしたメディアを激励し、身銭を切って支援するつもりです。今、定期購読しているのは『DAYS JAPAN』と『しんぶん赤旗』、いずれも硬骨・反骨の信頼できるメディアです。ただ前者は月刊誌で世界の動きが中心、後者はどうしても日本共産党の視点が強い、ということで少々物足りなさを感じていました。そこで三角測量ではありませんが、もうひとつ『週刊金曜日』を定期購読することにしました。
 公式サイトから、誌名の由来がわかりました。反ファシズムのフランス人民戦線が刊行した『Vendredi(ヴァンドルディ=金曜日)』。それに刺激され、治安維持法制下の京都で発刊されるも弾圧により途絶した『土曜日』。戦後日本の民主主義を支え、34年を積み重ねたが部数の低迷により廃刊した『朝日ジャーナル』。この三誌の志を継承し、さらに発展させるものとして、哲学者・久野収が『週刊金曜日』と命名されたそうです。
 同サイトには「創刊のことば」(1993.7.23)も紹介されていたので、引用します。
 歴史学者J・E・アクトンの有名なことば「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」に象徴されますように、権力の腐敗がほとんど法則的であることを前提として、近代の国家は腐敗を構造的に防ぐ手段たる「三権分立」を創出しました。しかしこの三権はいずれも国家権力に属するために、しばしば癒着あるいは独裁化に陥りやすい現象がみられます。
 この「癒着あるいは独裁化」を監視して未然に防ぐための最も有効な働きを示してきたのがジャーナリズムです。腐敗しつつある権力は、国民に「知られる」ことをまず最もおそれます。知られなければ国民の怒りも起きようがないはずなのですから。したがってジャーナリズムは、国家権力としての「三権」からは全く独立した市民のものでなければならず、そこに俗称「第四権力」たる意味も役割もあるわけです。民主主義社会にとって健全なジャーナリズムが必須条件でもあるゆえんでしょう。(中略)
 ジャーナリズムが国民の信頼を失うもう一つの大きな原因に、国家権力との癒着あるいは国家権力の広報機関化があります。三権を監視する役割のはずが、三権の補完物と化しているのでは、第四権力としての存在理由もなくなってしまいます。(後略)
 その意気やよし。定期購読料を払う読者が主たるスポンサーなので、企業や政官権力に遠慮することなく、その圧力にも屈せず、権力を監視することができるのですね。ようがす、その一翼を担いましょう。

 編集委員は、雨宮処凛、石坂啓、宇都宮健児、落合恵子、佐高信、田中優子、中島岳志、本多勝一の諸氏、いずれも一家言のある手練れの皆様です。半数が女性であることに注目しましょう、誌の見識を感じます。ちなみに「世界の中の日本を知る 世界ランキング」によると、日本の国会の女性議員割合は11.60%で、世界ランキングの順位は147位だそうです。
 これまで三冊を拝読しましたが、権力に阿らず、怯えず、遠慮せず、一般市民の目線で言うべきことを言うという姿勢が感じられる記事がほとんどです。1156号(2017.10.13)に掲載された編集部・成澤宗男氏の『脅威を煽るだけの「ミサイル非難訓練」』という記事を紹介しましょう。例のあの鬱陶しい"Jアラート"というしろものですね。もし北朝鮮が日本をミサイル攻撃するとしたら、その優先順位として在日米軍基地と首相官邸・防衛省でしょう。ところが成澤氏によると、米軍基地を抱えた自治体および東京の千代田区・新宿区のなかで、「ミサイル非難訓練」を実施したのは岩国市内の通津(つづ)小学校ただひとつ。しかも基地から10km以上も離れているそうです。本当に差し迫った危険があるのならば、こうした地域での避難訓練を強制してでもやらせるのが政府に責務なのに、何もしない。ということは…安倍上等兵内閣は、北朝鮮によるミサイル攻撃はあり得ないと考えているわけですね。それでは何故、氏曰く…
 …住民を思考停止にして「ミサイルの恐怖」を植え付け、北朝鮮への敵愾心を煽れば、権力基盤の強化になるという、首相の計算があるに違いない。選挙公約の北朝鮮政策では「圧力強化」しか言わず、米日を除く世界の大半の国が求めている対話路線を無視しているのも、「脅威」を利用するにはそちらの方が好都合だからだ。(p.33)
 ったく、オスプレイの方がよほど危険なのだから、"Oアラート"を鳴らすべきだと思いますけれどね。

 安倍上等兵内閣が権力基盤を強化するために、北朝鮮の脅威を煽っているとすれば、宗主国であるアメリカ・トランプ政権の意図は何か。同号で、孫崎享氏が、毎日新聞(17.9.26 ネット版)の報道を紹介されています。
 「北朝鮮特需」に沸く米軍軍産複合体、米上院 政府案を600億ドルも上回る国防権限法案を可決 米国防産業が"北朝鮮特需"に沸いている。米上院は今月18日、2018会計年度の国防予算の大枠を決める国防権限法案を89対9の圧倒的な賛成多数で可決。予算規模は総額約7000億ドル(約77兆円)で、政府案を約600億ドルも上回った。北朝鮮が開発を急ぐ核・弾道ミサイルに備える予算などが上積みされた。主要軍事産業の株価も上伸を続け、「軍産複合体が北朝鮮情勢の『恩恵』を受けている」との声も出ている。(p.23)
 こうした複合的かつ冷静な視点で、安倍上等兵の言う"国難"を考えると、事態のもつ意味が見えてきます。これこそが「第四の権力」、メディアの役割ですね。これからも末永く支え続けていきたいと思います。

 他にも、市民運動から講演・映画・音楽イベントの情報を案内する「きんようびのはらっぱで」や、読書会の紹介なども良い企画ですね。後日、拙ブログで紹介しますが、書評・音楽評・映画評も充実しています。ビル・エヴァンスの『アナザー・タイム』や中川五郎の『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』、映画『エルネスト』、「慰安婦」写真展『重重 消せない痕跡Ⅱ』などにめぐり合わせてもらいました。感謝します。
by sabasaba13 | 2017-10-18 06:28 | | Comments(0)

『一日一言』

 安倍上等兵内閣や官僚諸氏による国会答弁を聞いていると、ほんとうに情けなくなります。事実を曖昧にし、誤魔化し、隠蔽し、己の責任を免れるための虚ろな言葉が虚空を漂うようです。もちろん、今に始まったことではありませんが。その責任の一端はわれわれ有権者にもあります。虚ろな言葉を使う候補者を見分けて、議事堂に入れさせないことが大事なのにね。

 深く心に響く言葉を聞きたい。それによって言葉の真贋を見わける力を持ちたい。常日頃からそう考えて、冬を前にした栗鼠のようにせっせせっせと名言を蓄えております。市販されている名言集を買えば楽なのですが、どうもお手軽な特効薬のようで食指が動きません。志の高い名言集はないものか、と思っていたのですがとうとう出会えました。碩学・桑原武夫氏による『一日一言』(岩波新書)です。氏の本は、『世界の歴史10 フランス革命とナポレオン』(中公文庫)、『論語』(ちくま文庫)、編訳として『啄木 ローマ字日記』(岩波文庫)しか読んだことがありませんが、書名を見てもわかるようにフランス文学にとどまらない裾野の広い知性の持ち主です。その氏が選んだ言葉の数々、いずれもたいへん刺戟となりました。
 冒頭の「はしがき」で、桑原氏はこう述べられています。
 人間の尊ぶべきは、その行為にある、というのは、あくまで正しい。しかし、人間は言語というものをもっており、これによって自己の行為を他の人々の行為に結びつけ、そこに協力の可能性を生み出すのみでなく、自らなすべき、または、なした行為を、これによって考慮し、また反省するのである。言語に支えられぬ人間行為はありえない。そして言語をもつ人類のみが歴史をもち、その歴史は、人類文化の各分野において偉大な行為をなした人々の言葉によって飾られている。それらの言葉は、もとより歴史的社会的条件に規制されているが、しかも、そこにふくまれる知恵は、そうした条件を越えて、後の人々の心によき刺戟をあたえ、思想を強壮にし、よき新行為の源泉となることを決してやめない。これが人類の知恵である。人類の一員として立派に生きるということは、この古くて新しい知恵の泉からいかに汲みとるかにかかる。
 いたらぬ私自身をかえりみても、長年の読書のうちに、深く心にせまった幾十かの言葉を、いつしか記憶のうちにたくわえている。そして、それらの言葉が意識の深いところで私の生活を支えていることを感じざるをえない。もし、こうした支えがなければ、私の生活は一そう貧弱なものとなったに違いないのである。(p.ⅰ)
 "人類の一員として立派に生きる"という理想を高く掲げる政治家はいないのでしょうか。見渡せば「今だけ、金だけ、自分だけ」の現実主義者、機会主義者、そしてポピュリスト、レイシストしか見当たりません。そういう方々にぜひ読んでもらい蒙を啓いていただきたいのですが…無理かな。

 贅言はやめましょう。収録された言葉の中から、今の日本の状況に対する峻烈な批判として受け取れる言葉を選びました。先哲に学びましょう。
植木枝盛
 人民が無気無力にて、すこしも自由独立の精神なく、そのうえ徒らに自分一人一家の事のみこれ知って、国家公けの事の上には一向心を向けることなく、何にもかも一つに政府に委ねまかし、自分に受持つ気象がなければ、その国は弱み衰えざるということはありません。さればあのように専制の政府で、勝手気まま政をなし…民の権利を重んぜず、圧制束縛もって人民の屈従するをのみこれ図り、徒らに政府の…威光十分に輝きたるもののごときは…決してほんまの強きにあらず、盛なるにあらず、ただ民の力を弱めたるのみの事なり。(「民権自由論」 p.13)

ウィリアム・モリス
 適当な秩序のある社会では、労働する意志のあるすべての人々には、次のことが確保されねばならぬ。第一、恥しくない適切な仕事。第二、健康にして美しい住宅。第三、心身の休息のための十分な余暇。…みなさんに考えていただきたいのだが、一方においてこの要求をみたすことが可能であると同じく、他方、現在の金権制度の下ではこれをみたすことは不可能なのだ。この金権制度はわれわれがこの要求を満足させようとするあらゆるまじめな努力を禁止する。(「芸術と社会主義」 p.51)

王安石
 孔子は申しました。「衆人が好んでいても必ず調べてみる。衆人が憎んでいても必ず調べてみる」と。(「王臨川文集」 p.58)

グラックス兄弟
 イタリアの野に草を食う野獣でさえも、穴と寝所とをもっていて、それぞれ自分の休み場としているのに、イタリアのために戦って死ぬ人びとは、空気と光のほか何ものも与えられず、妻や子供と家もなく落着く先もなくさまよい、しかも全権をにぎる将軍は戦場において、兵士に墳墓と神殿のために敵と戦えと励ましてウソをついている。実はこれほど多くのローマ人が、一人として父の祭壇も先祖の宗廟ももたず、他人の贅沢と富のために戦ってたおれ、世界の覇者と称せられながら、自分自身の土地としては土くれ一つないのだ。(「グラックス〔兄〕の演説-『プルターク英雄伝』より p.60)

墨子
 一人を殺せば、不義の行為として、必ず死罪にされる。この論法でゆくと、十人を殺すものは、十不義を重ねたのであり、十倍の死罪にしなければならず、百人を殺すものは、百不義を重ねたのであり、百倍の死罪にしなければならない。ここまでは天下の君子の誰もがわきまえている。しかし、大きく不義を犯してひとの国を攻めると、非難しないで、名誉とし、正義とする。それが不義であることを全然ご存じない。それ故に私はこの書物を書いて後の者に残す。天下の君子は、義と不義の乱れを見わけなければならないのである。(「非攻篇」 p.66)

マックス・ウェーバー
 一世紀にわたる政治教育のおくれは、十年でとりかえせるものではない。(「国民国家と国民経済政策」 p.66)

パール・バック
 貧乏人があまり貧乏になりすき、金持があまり金持になりすぎると、貧乏にはどうすれがいいかをしっている。(「大地」 p.105)

ハロルド・J・ラスキ
 少数者がきわめて富み、多数者がきわめて貧しいために、人びとの心がたえず自分の富もしくは貧困を考えざるをえないような社会は、じつは戦争状態にある社会である。その戦争が公然と行われているか、もしくはひそかに行われているかは問題にならない。…こうした社会は、その内部におけるさまざまの緊張状態のために安定をうばいさられることとなるから、自由な社会ではありえない。したがって、こうした社会は恐怖にみち、理性をもって事に処する力が保証されるような雰囲気がなくなってしまう。(「現代革命の考察」 p.107)

トマス・モア
 こんにち、いたるところに栄えている国家をつらつら考えてみると、なさけないことに、私は、自己の利益を国家の名によって得ようとする金持たちの陰謀のほかは何も見ることができません。かれらは、まず、どうしたら不正にかき集めたものを失う恐れなく安全に保持できるか、そして次には、どうしたらできるだけ少ない金で、貧民の労力をやとって、それを濫用することができるか、ということについての、あらゆる手段と奸策を工夫し案出するのです。(「ユートピア」 p.112)

大久保利通
 我が国、欧米各国とすでに結びたる条約は、もとより平均を得ざる者にして、その条中ほとんど独立国の体裁を失する者少なからず。…英仏のごときに至っては我が国内政いまだ斉整を得ずして、彼が従民を保護するに足らざるをもって口実となし、現に陸上に兵営を構え、兵卒を屯し、ほとんど我が国を見ることおのが属地のごとし。ああこれ外は外国に対し、内は邦家に対し恥ずべきの甚しきにあらずや。かつ、それ条約改定の期すでに近きあり。在朝の大臣よろしく焦思熟慮し、その束縛を解き独立国の体裁を全うするの方略を立てざるべけんや。(「征韓論反対の意見書」 p.132)

ラ・ブリュイエール
 専制政治の下では祖国などない。他のものがそれに代っている。利益、栄誉、帝王への忠勤。(「人さまざま」 p.136)

アリストテレス
 役人を選び出したり、また役人の責任を追及する最終の権威が、大衆にあるとするのは不得策だ、という理論がある。そういう論法には、なにか誤りがありそうだ。…その理由の一つは、専門家が唯一または最良の批評家でないような若干の問題、つまり生みだされた結果に対して、すぐれた専門家ではない人びとの正当な批評が許される問題が存在するからである。たとえば、家の長短を批評する役割をはたすのは、建築家だけではない。家を使う人びと、つまり居住者が実はずっとよい批評家なのだ。(「政治学」 p.169)

渡辺崋山
 御領中にまかりあり候数万人の内、たとえいかに賤しき小民たりとも、一人にても餓死流亡に及び候わば、人君の大罪にて候。さりとて人君自ら御手を下し候事は成されがたく、すべて役人に御任せなされ候事ゆえ、万一行届かざることありとも、しいて人君の罪とは思召されず。下よりもまた左は存じ奉らざるより、家老は奉行の過ちとし、奉行は下役人の過ちとし、誰が罪とも定かならず…表面ばかりの取計らいにて事をすまし候。…家老、年寄の不行届きとは申すものの、実は人君の治政に御心これなきよりかく相成り候。(「凶荒心得書」 p.169)

クレマンソー
 弱い者にたいしてかくも強い国家は、病気や死の原因がむらがっている暗い工場のなかで、弱い者を保護するには無力だろう。…人間は人間を虐待し、生命の体液をすっかりしぼりとるだろう。しかし安穏無事な国家はいうのだ-「自由を黙認しよう」。そうだ。もっとも強い者が、もっとも弱い者を圧迫し、おしつぶす自由、殺人組織の自由を、である。(「1893年8月8日の演説」 p.176)

尾崎行雄
 元来議会なるものは、言論を戦わし、事実と道理の有無を対照し、正邪曲直の区別を明かにし、もって国家民衆の福利を計るがために開くのである。しかして投票の結果が、いかに多数でも、邪を転じて正となし、曲を変じて直となす事はできない。故に事実と道理の前には、いかなる多数党といえども屈従せざるを得ないのが、議会本来の面目であって、議院政治が国家人民の利益を増進する大根本は、実にこの一事にあるのだ。しかるに…表決において多数さえ得れば、それで満足する傾きがある。すなわち議事堂は名ばかりで実は表決堂である。(「憲政の危機」 p.192)

南方熊楠
 かつ小生、従来、一にも二にも官とか政府とかいうて、万事官もたれで、東京のみに書庫や図書館あって、地方には何にもなきのみならず、中央に集権して田舎ものをおどかさんと、万事、田舎を枯らし、市都を肥やす風、学問にまで行わるるを見、大いにこれを忌む。(「土宜法竜への手紙」 p.215)


 追記。「朝日新聞DIGITAL 」(17.4.28)に次のような記事がありました。行政の考える"生涯学習"っていったい何なのでしょうね。
 仏文学者で京都大名誉教授の桑原武夫さん(1904~88)の遺族が京都市に寄贈した蔵書約1万冊について、市教育委員会は無断で廃棄していたと27日発表した。市教委は生涯学習部の担当部長の女性(57)を減給6カ月の懲戒処分にした。
 桑原さんは87年に文化勲章を受章。京大人文科学研究所を拠点に率いた新京都学派から、哲学者の鶴見俊輔さんや梅原猛さんらが育った。学術的価値が高い蔵書は生前に京大に寄贈され、残った全集や文庫本などの約1万冊が没後の88年、市に寄贈された。
 市教委によると、寄贈当初、蔵書は桑原さんの書斎を再現した記念室で保管。2008年から目録を市右京中央図書館で公開し、蔵書は別の場所で段ボール箱数百個に入れて保管した。15年12月に整理した際、当時同館副館長だった担当部長の判断で廃棄したという。
 担当部長は「図書館と蔵書が重複し、目録もあるため廃棄してよいと考えた。遺族に相談すべきだった」と話しているという。市教委は「桑原先生がどんな本を読んでいたかをうかがえる資料だった。廃棄は不適切だった」としている。
 今年2月に市民からの問い合わせで発覚。市教委は遺族に謝罪した。桑原さんの遺族は取材に「重要な資料が行政機関で引き継がれなかったのは信じがたい。残念だ」と話している。

by sabasaba13 | 2017-10-04 06:25 | | Comments(0)

『茶色の朝』再読

 日付は記録しておかなかったので不明なのですが、最近の朝日新聞に、『茶色の朝』(フランク・パヴロフ:物語 ヴィンセント・ギャロ:絵 大月書店)というディストピア掌編小説が静かなブームになっているという記事が載っていました。『茶色の朝』については、以前に拙ブログで書評を掲載しましたので、そこからあらすじを転記します。
 茶色党が支配するある国で、茶色以外の猫や犬を飼うことが禁止される。やがて党が指定したもの以外の新聞や本も消されていく。そして以前に茶色以外の猫や犬を飼っていた者が拘束され、夜の霧のようにいなくなっていく、というシンプルなあらすじです。主人公は、「科学者が言っているから」「法律だから」「感傷的になっても仕方がない」「まわりからよく思われていさえすれば、放っておいてもらえる」「街の流れに逆らわないでいさえすれば、安心が得られて、面倒にまきこまれることもなく、生活も簡単になるかのようだった」「茶色に守られた安心、それも悪くない」「俺には仕事があるし、毎日やらなきゃならないこまごましたことも多い」と呟きながら、こうした事態を傍観していきます。そして茶色の朝早く、以前白に黒のぶちの猫を飼っていた彼の家のドアを誰かがたたきます。彼はこう言います、「いま行くから」
 不安から逃れ安心を得るために、"党"の決めた思考・行動パターンを受け入れ、周囲の人々と一体化し、異物を排除していく。全体主義が浸潤しすべてを覆い尽くす過程を、普通の市民の視点から眺め、そしてそこに彼らがどのように関与するかを描いた恐るべき小説です。なお全体主義とは、『全体主義』(エンツォ・トラヴェルソ 平凡社新書522)にしたがって、下記のようなものであると考えておきます。
 彼女(※ハンナ・アーレント)にしたがえば、全体主義は、ただ単に国家による個人の吸収ではなく、人々の複数性と相違性の表現の場としての(それなくしては自由もありえない)政治的なものの破壊なのである。(p.114)

 それからわれわれは、全体主義とは人間を、その意見、その振舞い、その生活様式を、規格化する意志であると定義した。(p.145)
 しかしこの記事を掲載したのは2005年5月、第二次小泉純一郎内閣のとき。己の書評を読み返すと、どことなく他人事のような呑気な感じがします。いくら自民党だって本気で全体主義化を考えているわけはないだろうし、考えていたとしても実行はまだ先のことだろうと根拠のない楽観をしていたようです。
 甘かったですね。安倍上等兵率いる自民党政権が、特定秘密保護法案や共謀罪法案を強行採決するなど、これほど本気かつ迅速に全体主義化を推し進めるとは思いもしませんでした。そして多くの人びとがこの政権の禍々しさに気づかず投票し支持し棄権し、"俺とシャルリー"のように、事態の推移を傍観しようとは。そう、現今の日本はとうとう「茶色の朝」を迎えてしまいました。これは読み返さなくては、と思って本棚をひっかきまわしましたが見つかりません。インターネットで購入して再読、あらためて肌に粟が生じるとともに、本の最後にあった高橋哲哉氏のメッセージ「やり過ごさないこと、考えつづけること」を読んで考えさせられました。以下、引用します。
 「茶色の朝」は、私たちのだれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因であることを、じつにみごとに描きだしてくれています。(p.41)

 そんな「ふつうの人びと」である私たちは、「俺」とシャルリーがそうであるように、社会が「茶色」に染まっていく傾向に、ときにはとまどい、ときには呆れ、ときには不安や疑問を感じながらも、結局は、さまざまな理由をつけて、そのつど「流れ」を受けいれてしまっているのではないでしょうか? そうでないとしたら、いったいどうして、国内外の非難を浴びた暴言を撤回も謝罪もしない政治家が、選挙で堂々と当選したりするのでしょうか? 市民の自由を奪う法律をつぎつぎに成立させる政治勢力が、国会で絶対多数を占めつづけるのでしょうか? 平和憲法をもつこの国で、イラク攻撃への反戦運動参加者が、ドイツ、フランス、イタリア、韓国、それどころかイラク攻撃当事国のアメリカ、イギリスに比べてさえも、圧倒的に少ないのでしょうか? (p.43)

 「では、どうすればいいのか」と言われるかもしれません。
現状の危険性を訴える議論にたいして、「現状はわかった。では、具体的にどうすればいいのか教えてほしい」という反応が返ってくることはよくありますが、そんなとき、私はいつも一抹の懸念を覚えます。仕事の性格も、生活の場所も、社会的責任の大きさもみなそれぞれ違う人びとに、それぞれが「どうすればいいか」を具体的に指示することは困難だ、というだけではありません。自分が「具体的にどうすればいいか」は、あくまで自分自身が考え、決定すべきことがらです。それさえも他者から指示してもらおうというのは、そこに、国や「お上」の方針に従うことをよしとするのと同型のメンタリティがあるのではないか、と感じられてならないのです。(p.45)

 「茶色の朝」を迎えたくなければ、まず最初に私たちがなすべきこと-それはなにかと問われれば、思考停止をやめることだと私なら答えます。なぜなら、私たち「ふつうの人びと」にとっての最大の問題は、これまで十分に見てきたとおり、社会のなかにファシズムや全体主義につうじる現象が現われたとき、それらに驚きや疑問や違和感を感じながらも、さまざまな理由から、それらをやり過ごしてしまうことにあるからです。
 やり過ごしてしまうとは、驚きや疑問や違和感をみずから封印し、それ以上考えないようにすること、つまりは思考を停止してしまうことにほかなりません。「茶色の朝」を迎えたくなければ、なによりもまずそれをやめること、つまり、自分自身の驚きや疑問や違和感を大事にし、なぜそのように思うのか、その思いにはどんな根拠があるのか、等々を考えつづけることが必要なのです。
 思考停止をやめること、考えつづけること。このことは、じつは、意識を眠らされてでもいないかぎり、仕事や生活や社会的責任の違いを超えて、私たちのだれにとっても可能なことです。そして、勇気をもって発言し、行動することは、考えつづけることのうえにたってのみ可能なのです。(p.46)
 誰かに考えてもらうのではなく、自分で考えること。思考を停止しないこと。怠慢や臆病や自己保身を克服し、他者へ関心をもつこと。そして勇気をもって発言し、行動すること。さもないと「黒い朝」を迎える破目になります。嫌だ。
by sabasaba13 | 2017-09-18 06:28 | | Comments(0)

『茨木のり子詩集』

 年がら年中というわけではありませんが、時として無性に詩が読みたくなります。磨き上げられた言葉の凄みに触れたくなるのかもしれません。好きな詩人は、萩原朔太郎金子光晴山之口獏井伏鱒二宮沢賢治茨木のり子田村隆一、ジャック・プレヴェール、ラングストン・ヒューズ、ディラン・トマス、ベルトルト・ブレヒト…とは言っても失礼なことに読み散らかしただけですが。

 先日、ふらりと本屋に入ると、書棚に『茨木のり子詩集』(谷川俊太郎選 岩波文庫)があるのを見つけました。これは嬉しい、「わたしが一番きれいだったとき」と詩集『倚りかからず』(筑摩書房)しか読んだことがなかったので、彼女の詩をまとめて読む格好の機会です。すぐに購入し、一気に読み終えました。
 以前に読んだ『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書9)の中で、彼女はこう言っておられました。
 つづまるところ詩歌は、一人の人間の喜怒哀楽の表出にすぎないと思うのですが、日本の詩歌はこれまで「哀」において多くの傑作を生んできました。「喜」や「楽」にも見るべきものがあります。ただ「怒」の部門が非常に弱く、外国の詩にくらべると、そこがどうも日本の詩歌のアキレス腱ではあるまいか、というのが私の考えです。
 この詩集を読んで、あらためて茨木のり子が詩で表現する真摯で力強い「怒」を感じることができました。いくつか紹介しましょう。
樫の木の若者を曠野にねむらせ
しなやかなアキレス腱を海底につなぎ
おびただしい死の宝石をついやして
ついに
永遠の一片をも掠め得なかった民族よ (「ひそかに」 p.20)


ひとびとは
怒りの火薬をしめらせてはならない
まことの自己の名において立つ日のために (「内部からくさる桃」 p.25)


ああ わたしたちが
もっともっと貪婪にならないかぎり
なにごとも始まりはしないのだ。(「もっと強く」 p.34)


女たちは長く長く許してきた
あまりに長く許してきたので
どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
生めなくなったのではないか?
このあたりでひとつ
男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
女のひとのやさしさは
長く世界の潤滑油であったけれど
それがなにを生んできたというのだろう? (「怒るときと許すとき」 p.64~5)


どうして こうおとなしいんだろう みんな (「ゆめゆめ疑う」 p.132)


田中正造が白髪ふりみだし
声を限りに呼ばはった足尾鉱毒事件
祖父母ら ちゃらんぽらんに聞き お茶を濁したことどもは
いま拡大再生産されつつある

分別ざかりの大人たち
ゆめ 思うな
われわれの手にあまることどもは
孫子の代が切りひらいてくれるだろうなどと
いま解決できなかったことは くりかえされる
より悪質に より深く 広く
これは厳たる法則のようだ (「くりかえしのうた」 p.145)


戦争責任を問われて
その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる (「四海波静」 p.183)


過去に釣瓶をおろし
ゆったりと一杯の水も汲みあげられない愚鈍さ (「苦い味」 p.192)


言葉が多すぎる
というより
言葉らしきものが多すぎる
というより
言葉と言えるほどのものが無い

この不毛 この荒野
賑々しきなかの亡国のきざし
さびしいなあ
うるさいなあ
顔ひんまがる (「賑々しきなかの」 p.202)


それぞれの土から
陽炎のように
ふっと匂い立った旋律がある
愛されてひとびとに
永くうたいつがれてきた民謡がある
なぜ国歌など
ものものしくうたう必要がありましょう
おおかたは侵略の血でよごれ
腹黒の過去を隠しもちながら
口を拭って起立して
直立不動でうたわなければならないか
聞かなければならないか
   私は立たない 坐っています (「鄙ぶりの唄」 p.236)


車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

  そんなに情報集めてどうするの
  そんなに急いで何をするの
  頭はからっぽのまま (「時代おくれ」 p.241~2)
 こうしてみると、彼女の怒りの矛先は、国家に対してだけではなく、その「腹黒の過去」を「お茶」に濁し、「口を拭」い、その「過去に釣瓶をおろし」て「ゆったりと一杯の水も汲みあげられない愚鈍」な日本の民衆にも向けられているのですね。あらためて「腹黒の過去」を隠し、「拡大再生産」しようとする安倍上等兵政権と自民党、それと癒着する財界に対して、きちんと怒らねば、と思いました。

 追記その一。中国や朝鮮に対して日本が行なった「腹黒の過去」を謳った詩がいくつかあることも知りました。例えば、朝鮮の人々が日本による植民地支配をどう見ているかを詩にした「総督府へ行ってくる」という作品です。
日本人数人が立ったまま日本語を少し喋ったとき
老人の顔に畏怖と嫌悪の情
さっと走るのを視た
千万言を費やされるより強烈に
日本がしてきたことを
そこに視た (p.224~5)
 また中国から北海道へ炭鉱労働者として強制連行され、鉱業所での屈辱に耐えきれず脱走し、終戦を知らずに13年間、北海道の山中での逃避行を続けた劉連仁氏を謳った「りゅうりぇんれんの物語」という詩もあります。
昭和三十三年三月りゅうりぇんれんは雨にけむる東京についた
罪もない 兵士でもない 百姓を
こんなひどい目にあわせた
「華人労務者移入方針」
かつてこの案を練った商工大臣が
今は総理大臣となっている不思議な首都へ

ぬらりくらりとした政府
言いぬけばかりを考える官僚のくらげども (p.120~1)
 罪のない中国人をひどい目に合わせたこの御仁のお孫さんが、今の総理大臣ですね。そしてくらげのような官僚のみなさんは、今だにぬらりくらりと言いぬけばかり考えています。相も変わらず不思議な首都です。

 追記その二。大岡信との対談の中で、茨木のり子はこう語っています。
 わたし選挙を一度も棄権していないのは、やはり明治時代から女の参政権のために闘ってきた人たちがいたわけですから、その人たちへの敬意もあって雨が降ろうが嵐だろうが…。(p.345)

 追記その三。若い頃によく見ていたTVドラマ、『俺は男だ!』に印象的な場面がありました。詳細は憶えていないのですが、何かトラブルがあってクラス全員が国語の授業をボイコットしました。しかし主人公(森田健作)だけが一人教室に残り、先生の前で教科書の詩を朗読します。するとそれに唱和しながら、クラスメートが次々と教室に戻ってきます。その詩がなんと、茨木のり子の「六月」という詩だったのですね。忘れていた旧友に出会えたようで、嬉しくなりました。
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる (p.51~2)

by sabasaba13 | 2017-07-16 05:25 | | Comments(0)

『日本国憲法を口語訳してみたら』

 都議会選挙での自民党の惨敗、「御慶」と叫びたいですね。これで憲法改悪の野望も潰えたかと思いきや、安倍上等兵は往生際も悪く諦めていないようです。それを頓挫させるためにも、多くの方々に(特に若い人に)憲法について考えてもらいたいものです。そもそも憲法とは何か? 無知な私の蒙を啓いてくれたのが、小室直樹氏です。『痛快! 憲法学』(集英社インターナショナル)から引用します。
 一人の犯罪者ができる悪事より、国家が行なう悪事のほうがずっとスケールが大きいのです。…憲法とは国民に向けて書かれたものではない。誰のために書かれたものかといえば、国家権力すべてを縛るために書かれたものです。司法、行政、立法…これらの権力に対する命令が、憲法には書かれている。国家権力というのは、恐ろしい力を持っている。警察だって軍隊だって動かすことができる。そんな怪物のようなものを縛るための、最強の鎖が憲法というわけです。(中略)
 ホッブズは、国家とはリヴァイアサンであると言った。これはまさしく万古不易の名言です。国家権力が自由に動き出したら、それをくい止める手だてはありません。何しろ近代国家には軍隊や警察という暴力装置がある。また人民の手から財産を丸ごと奪うこともできる。さらに国家の命令一つで、人民は徴兵され、命を戦場に投げ出さなければならない。こんな怪物を野放しにしていたのでは、夜もおちおち寝ていることはできないでしょう。だからこそ、近代西洋文明は持てるかぎりの知恵を振り絞って、この怪物を取り押さえようとした。…そこで法律や制度でぐるぐる巻きにしたうえに、さらに太い鎖をかけることにした。それが憲法というわけです。だから、憲法はあくまでも国家を縛るためのもの。一般国民に対して「仲良くせよ」「平和を愛せ」なんて、訓辞を垂れている余裕はない。敵はリヴァイアサン、そんな悠長なことは言っていられないのです。(p.28~31)
 また最近、『転換期を生きる君たちへ』(晶文社)を読んでいて、岡田憲治氏の一文にも出会えました。
 憲法は、学校の校則を偉くしたみたいなものだと、いい歳をした多数の大人がひどい勘違いをしているので言っておくが、憲法とはそんなものでは断じてない。
 軍隊(大砲)や警察(拳銃)を使って、必要となれば人間を殺したり(戦争)、脅し付けて静かにさせたりすること(治安維持)が例外的に認められている団体は、国家だけだから、暴走して人間や社会を破滅に追い込むことがないように、人々ではなく国家「を」きびしく縛るものが必要だ。そしてそれこそが、憲法がこの世にある最大の理由だ。だから縛られる側である政府にこそ、率先して憲法を守る義務があると書かれている。(p.154)
 はい、よくわかりました。国家という恐るべき怪物を縛る鎖、それが憲法です。よってその怪物が憲法を変えようとしたら要注意、どう考えても暴れるためにその鎖を緩めようとするのは目に見えていますから。自由民主党の改憲案を読めば一目瞭然です。この緊要な本質を理解せず、「押し付けられたから」とか「一度も改正されていないから」とか「時代遅れ」とかいう安直な理由で改正に賛成する方がいることに危惧を覚えます。繰り返しますが、重要なのは、怪物を縛る鎖を、緩めるのか締めるのかという点です。

 ぜひ多くの方々に日本国憲法全文を読んでいただき、その重厚な鎖の質感を感じてほしいのですが、取っつきにくいと思われる方も多いでしょう。そうした方にお薦めしたいのが、『日本国憲法を口語訳してみたら』(幻冬舎)です。法学部学生だった塚田薫氏が、「憲法って何?」という友人の質問に「こんな感じ」と答えたのが好評となり、それを「2ちゃんねる」に書き込んで大きな反響を呼びました。その内容を一冊にまとめたのが本書です。いくつか紹介しましょう。なお括弧内の斜体が原文です。
第17条 俺たちは、もし国や公務員がちゃんとした理由がないのに、俺たちの権利を侵したら、国とか公的なとこに、その補償をしろって要求できるよ。

(第17条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる)

第19条 どんな考えでも、それはお前の考えなんだから、大事にされるよ。もし公権力がお前の考えや良心に反することを要求しても、全部無視していいよ。

(第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない)

第21条 みんなで集まって考えたり、自分の考えをしゃべったり、本とかにしたりして表現することは、すべて自由だぜ。どんな表現でも、それはお前の権利だから、胸はってやれよ。
2項 国は検閲っていって、発表される前の本なんかの内容をチェックしたり、いちゃもんをつけたりしちゃだめだよ。あと、どんな話をしたとか、どんな考えをもってるとか探っちゃだめだよ。検閲の禁止と通信の秘密な。

(第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない
)

第25条 俺たちはみんな、健康で人間らしい最低限の生活をする権利があるよ。
2項 国は、このためにできることをちゃんとやれよ。

(第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない
)

第36条 公務員は、刑罰とかでエグいことすんなよ。拷問なんてもってのほかだからな。絶対な。

(第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる)

第83条 国のお金は、国会が決めたことにしたがって使えよ。

(第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない)

第97条 この憲法が大事にしてる基本的人権っていうのは、世界中の人たちがこれまで何百年もずーっとがんばって考えて、闘って、そして勝ち取った結果だよ。これは俺たちと俺たちのガキ、またそのずっと先のガキまで永久に受け取った、誰にも侵されない超重要な権利なんだ。

(第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである)

第98条 この憲法は日本で一番偉いルールだから、それに逆らうようなことを国がしたら、全部無視していいよ。[※2項は省略]

(第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。[※2項は省略])

第99条 総理大臣やほかの大臣、国会議員、裁判官、公務員、天皇や摂政は、この憲法をきちっと守ってね。これ、義務だからな。

(第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ)
 うわお、これはお見事。ざっくばらんな親しみやすさ、スピード感と力強さが素晴らしい。何よりも国家に対する「上から目線」が、びしびしと伝わってきます。国家権力に対して「~するなよ」「~に逆らうなよ」「~を守れよ」という小気味のよい命令が、フリッカー・ジャブのように次々とくりだされる爽快さ。ぜひ多くの方々が読み、鎖の重要性を実感し、そして原文を読み、憲法改正の国民投票がもし行われた際には参考にしていただきたいと思います。

 余談です。自民党の改憲案では、第97条はそっくり削除され、第36条からは「絶対に」という文言が削除され、第99条には「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という文言が追加されています。語るに落ちるとはこのこと、彼等の考える憲法とは「国民を縛る鎖」なのですね。また第21条には次の条項が追加されています。
 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
 この改憲案全体の主語が、国民ではなく、国家権力を行使する官僚・政治家であるという印象を強く受けますが、これもそうですね。口語訳してみましょうか。
 表現の自由は認めるけど、俺ら官僚・政治家に損をさせ、俺らの顔にドロをぬるようなことはさせないし、そんなことをするグループはつぶすぜ。
 誰か自民党の改憲案全文を口語訳してくれないかなあ。そして本書と読み比べれば、その違いがいっそう鮮明になると思います。
by sabasaba13 | 2017-07-15 06:19 | | Comments(0)

『共謀罪の何が問題か』

 なりふりかまわずに共謀罪法案を成立させようとしている安倍上等兵内閣。自由と民主主義を守るために抗い声をあげている少数の人びと、そしてこの問題に無知・無関心な、あるいは「他に適当な人がいない」という理由でこの内閣を支持している多数の人びと。状況はいよいよ最終局面に至っています。
 そもそも共謀罪法案とは何か、安倍でんでん内閣が意地になって成立をめざす理由は何か、そして問題点は何か、私たちはしっかりと知り、考えるべきだと思います。そのために導きの糸となってくれる好書『共謀罪の何が問題か』(髙山佳奈子 岩波ブックレット966)をぜひ紹介します。なお髙山氏は、第一線で活躍する刑事法の研究者です。

 まずは表紙にある一文を見て、驚きましょう。
 「テロ対策のため」「オリンピックのため」「国際条約のため」「組織的犯罪集団に限定し、構成要件を厳しくした」… →全部ウソです
 一読して納得しました、はい、ほんとうに、全部、ウソです。このようなウソつき内閣を支持している、あるいは自民党・公明党の候補者に投票する方々、このブックレットを読んでぜひ直視してほしいものです。

 「テロ対策のため」…ウソです。引用します。
 このように、テロを中心とする危険な事態には、国際条約や決議、またそれらに対応する国内立法や独自の国内法によって、すでに対応可能な体制が整っています。そして、法案の内容自体に、テロ対策が規定されていません。(p.40~1)
 "驚き桃の木山椒の木、錻力に狸に蓄音機"なのですが、2017年2月末に、法案の内容が明らかにされたとき、「テロ」という語がまったく含まれていなかったそうです。その後慌てた自民党・公明党は、適用対象についての条文に「テロリズム集団その他」という文言を挿入しましたが、テロ用に設けられた条文がただの一か条も存在しないという事実は変わっていません。(p.39~40)

 「オリンピックのため」…ウソです。引用します。
 …共謀罪立法はオリンピック・パラリンピックの文脈で議論されたことがなく、政府の公式文書でも一貫してそのような扱いになっていることが明らかになりました。(p.34)
 「国際条約のため」…ウソです。引用します。
 まず、条約が何を要求しているのかを見てみましょう。本条約は、シチリア州都パレルモ市で調印されたことに象徴されるとおり、マフィア対策を内容としています。そのターゲットの中心は組織的な経済犯罪です。2000年の国連総会で採択されており、2001年9月の同時多発テロ事件よりも前にできた条約であることがわかります。…テロ対策の一連の条約や国連決議は、マフィア対策とは別の体系をなしていますから、本条約を締結するために「テロ等準備罪」の処罰を導入する、という話は、そもそも眉唾ものです。(p.15)

 条約は共謀罪立法を義務づけていない。(p.20~3)
 「組織的犯罪集団に限定し、構成要件を厳しくした」…ウソです。引用します。
 2017年3月31日に自民党政務調査会が「党所属国会議員各位」に送付した「『テロ等準備罪』に関する資料」は、対象となる人の範囲について、「組織的犯罪集団に入っていない一般の方々が、処罰の対象になることはありません」としています。しかし、ある人が組織的犯罪集団に入っているかどうかは、その都度、捜査機関が判断するのですから、「入っていない一般の方々」が処罰対象にならないと言ってみても、意味をなしません。同じ資料には「一般のメールやSNS上のやり取りで処罰されることもありません」とも書かれています。これも、「一般の」メールやSNSと、「一般のでない」メールやSNSとの区別が法案に書かれているわけではなく、それは捜査機関によって判断されるわけですから、ナンセンスだといえます。(p.52)
 そう、捜査機関にフリーハンドを与えるようなものですね。警察関係諸氏は欣喜雀躍でしょうが。
 なお組織的は経済犯罪を取り締まるというのがパレルモ条約の趣旨ですが、この法案では、公権力を私物化する罪や、民間の汚職などの経済犯罪が、法定刑の重さにもかかわらず、対象犯罪から除外されています。(p.28) 本書にしたがって列挙して見ましょうか、これも"驚き桃の木(以下略)"です。業務上横領罪、特別背任罪、公職選挙法違反、政治資金規正法違反、政党助成法違反、警察などによる職権濫用・暴行凌辱罪、新聞・雑誌の不法利用罪、株式会社の役員・従業員による収賄罪、金融商品取引法違反、商品先物取引法違反、投資信託・投資法人法違反、医薬品・医療機器法違反、労働安全衛生法違反、貸金業違反、資産流動化法違反、仲裁法違反、一般社団・財団法人法における収賄罪、たばこ税法違反、石油石炭税法違反、石油ガス税法違反、航空機燃料税法違反、揮発油税法違反、相続税法違反、独占禁止法違反などなど。これらはすべて、共謀罪の対象犯罪から除外されています。私の理解を超えている犯罪も多々ありますが、政治家・大企業・警察にきわめて有利な法案であることは素人でもわかります。政治家・大企業・警察にとっては"ザル法"なのですね。

 それでは、なぜこのような嘘にまみれた胡散臭い法律を、安倍内閣および自民党・公明党は躍起になって成立させようとしているのか。髙山氏は、その理由を二点指摘されています。
 まずひとつめ。警察の権益を守り、さらに拡充するための共謀罪法と言えそうです。
 こんな奇怪な法案を、なぜ、与党は、虚偽の看板を掲げて国民をだましてまで強行しようとするのでしょうか。…ここでは、「犯罪が減って仕事のなくなった警察が権限を保持するため」という理由を書いておきましょう。(p.40~1)
 実は、近年、犯罪が激減しているのですね。政府の『犯罪白書』の統計によれば、刑法犯の2012年の認知件数は203万6392件であったのに対し、2015年は161万6442件で、わずか三年間に二割以上も減っています。(p.30) 犯罪の認知件数は、戦後最低新記録を更新中です。警察の仕事は減った、しかし警察職員の数は増えている。そこで本来必要のない処罰規定をわざわざ作ることにより、犯罪ではなかったものを犯罪と呼び、警察の実績を上げようとしている。最近、今まで摘発の対象になっていなかった行為の摘発を始めているのも、その傍証だとされています。例えば、沖縄の基地反対運動への弾圧、ダンス営業規制によるクラブの一斉摘発、女性タレントの線路立入り、右翼団体メンバーによる道路交通法上の共同危険行為など。

 ふたつめ、アメリカ政府の要請に応じた可能性です。『スノーデンの警告 「僕は日本のみなさんを本気で心配しています」』の中で、エドワード・スノーデン氏は、特定秘密保護法をデザインしたのは米国であり、「テロ」は口実であって、米国の監視体制は米国への協力者や無関係な人々まで対象にしていると証言されています。
 実際に日本で情報活動にあたっていた人がこのように述べている過去の経緯からしますと、共謀罪立法についても、特定秘密保護法や安保法制の場合と同じく、米国の求めに応じているものである可能性が否定できません。確かに、米国の諜報機関には日本語の使える職員が足りませんので、日本の警察に集めさせた情報を入手するのが効果的です。(p.66)
 みっつめ。髙山氏は直接には指摘されてはいませんが、文脈からは見えてきます。
 刑事法研究者の声明でも「大分県警別府署違法盗撮事件」が例として挙げられていますように、現行法の下でも、一定の範囲で捜査権限の濫用が発生していることは事実です。鹿児島の志布志事件のような大規模な冤罪事件も起きています。最近では、福島の被災地への反原発ツァーで、レンタカー代を割り勘にした埼玉県加須市の職員らが、白タクの無許可経営罪の疑いで逮捕されたという事件がありました。また、沖縄では、極めて軽微な違法行為の疑いで、強制捜査によって大幅な人権の制約が行われる事案が相次いでいることも報告されています。(p.59)
 そう、反原発運動や反米軍基地運動など、政府の政策を批判し、それに抗議して反対運動を起こしている方々、日本政府とアメリカ政府に抗う方々への弾圧と威嚇です。辺野古での基地反対運動のリーダーである山城博治氏が検挙され、その取調べの模様を次のように証言されています。
 検察の取り調べでは、「共犯」「共謀」という言葉が頻繁に使われた。

 (山城) 共犯者は誰だ、カメラに映っているこの人物は誰だ、名前は? どこから来た人物だ?と。あぁ彼らは、私に、"共謀"したということでたくさんの逮捕者を出すつもりだなと思った。運動をしてきた人がみんな犯罪者にされてしまう。だから黙秘した。…警察や検察の主張では、常時私と行動を共にしていた者のみならず、たまたまゲート前の座り込み行動に参加して私の話を聞き、拍手を送った者まで、"共謀"したとされています。
 そして問題点です。これまで基本的に許されないと解されてきた、犯罪の実行に着手する前の逮捕・拘留、捜査・差押えなどの強制捜査が可能になるということです。しかも、対象となる犯罪が確実に実現するだろうという見込みをもってなされたことを必要とせず、「実現するかもしれないし、しないかもしれない」という程度の認識(「未必の故意」)があれば、共謀罪とされてしまいます。しかし、何も危険な物や手段が登場していない事前の計画の段階で、共謀罪を摘発するとしたら、どうすればよいのでしょうか。髙山氏は、二つの方向性を指摘されています。一つは、犯罪の計画を立てそうであると判断した人物を監視すること。もう一つは、十分な証拠がなくても摘発してしまうことです。(p.56) 前者は、本格的な監視社会の到来ですね。共謀罪の摘発の必要性を名目とする電子メールの盗聴や身分秘匿捜査官の投入といった、歯止めのない捜査権限の拡大につながるおそれもあります。後者は冤罪の横行ですね。

 というわけで、警察の権限と利益を拡充し、監視の目を社会のすみずみまで張り巡らし、日米政府に抗う人々を弾圧・威嚇し、政治家・財界・警察の共謀は見逃す。これが共謀罪法案の本質であることがよくわかりました。あらためて反対したいと思います。
 それにしても、580円の身銭を切ってブックレットを二時間ほど読めばこれくらいのことは分かるのに。なぜ真実を知らない人が、知ろうとしない人が、そして知ることに興味がない人が、多いのでしょう。イグノランスの深淵は計りがたい。(『暗黒日記』 清沢洌)

 付言その一。心に残った一文です。ほんとにそうですよね。
 テロの危険が高まったとすれば、それは、安保法制が強行されたことにより、日本が「アメリカと一緒に武力を行使する国」と見られて、イスラム過激派から敵視されるようになったからではないでしょうか。そうであれば、原因となった安保法制をやめればよいことになります。東アジア情勢の緊迫は、北朝鮮が米国の脅威に対抗するために生じるものなのですから、本来外交によって対処すべき事態です。(p.31)
 付言その二。この一文も心に残りました。
 真の国益とは、国に住む人々が安全で幸福に暮らせることにほかなりません。安全に貢献せず、権利や自由を制限するだけの立法はこれに反します。私たちは市民として何をすべきなのか、つねに自らに問いかけ、社会的責任を自覚することが必要だと思います。(p.71)
 私たちが、安全で幸福に暮らせることが"国益"、その暮らしを保障するのが"安全保障"。この視点を銘肝しましょう。私たちの暮らしを、自由を、権利を踏みにじりながら、"国益"や"安全保障"を怒号する候補者には一票を投じない。またそうした政党を支持しない。そこから始めましょう。

 付言その三。こういう一文もありました。
 マフィアや暴力団などの組織的犯罪集団は、組織として時間的に継続することを想定しており、その中で、さまざまな利益の獲得や、そのための公権力に対する不当な影響力の行使を目的としています。これに対し、テロリズムは、宗教的動機や政治的動機に基づいており、組織性や継続性を要件としません。単独の犯人が行う自爆テロも、典型的なテロリズムの一つです。両者は、目的も態様も異なるのです。(p.35)
 「さまざまな利益を獲得するために公権力に対する不当な影響力を行使する、時間的に継続する組織」が、組織的犯罪集団の定義です。…ん?…あれっ…これは自由民主党も該当しませんか。そうか、自民党は組織的犯罪集団だったんだ。組織的犯罪集団がつくった組織的犯罪集団を取り締まるためにつくった法律。まともなものになるわけがありません。
by sabasaba13 | 2017-06-12 08:26 | | Comments(0)

『スノーデン 日本への警告』

 映画『スノーデン』と『シチズンフォー』を見て、エドワード・スノーデン氏の高い志と不屈の勇気にいたく感銘を受けました。彼に関することをもっと知りたいと思っていたところ、『スノーデン 日本への警告』(エドワード・スノーデン 青木理 井桁大介 金昌浩 ベン・ワイズナー マリコ・ヒロセ 宮下紘 集英社新書0876)という本が出版されていることが分かり、さっそく購入して読了しましました。
 2016年6月4日に行なわれた、自由人権協会(JCLU)70周年プレシンポジウム「監視の"今"を考える」に参加したスノーデン氏の発言をまとめたものです。なお周知のように彼は今、アメリカ政府の追及から逃れるためにロシアにいるので、衛星テレビを通しての参加となっています。
 書名の通り、アメリカと同様に、市民の自由やプライバシーを脅かしている日本政府の実態を告発し、それを私たちに警告するという内容です。なにはさておき、彼の発言をいくつか紹介しましょう。
 暗号化という技術は、適切に用いられればすべての人を平等に保護します。しかし、私は軍拡競争を提唱したいわけではありません。テクノロジーの専門家たちのコミュニティはこの競争に勝てる可能性があるとは思いますが、そのような競争は望ましいものではありません。技術による人権保障は、最終手段だと考えています。むしろ政治的な状況や、私たち自身の無関心と知識の欠如がもたらす脅威に目を向ける必要があります。
 このテーマは現在の日本にとっても極めて重要な問題です。ここ数年の日本をみると、残念ながら市民が政府を監督する力が低下しつつあるといわざるを得ません。2013年には、政府がほとんどフリーハンドで情報を機密とできる特定秘密保護法が、多数の反対にもかかわらず制定されてしまいました。(p.43)

 より便利であるという理由だけで、政府の求めに応じて無制限の権力を与えることは大変危険なことです。民衆が政策に反対しているのに、政府が民意を無視することを何とも思っていない時にはとりわけ危険です。ここで私が問題にしているのは、日本国憲法第九条の解釈のことです。
 安倍政権にとって、憲法を改正したいのであればそれもひとつの政策でしょう。しかし、改正をしたいのであれば手続きを踏む必要があります。安倍政権はその手続きを踏むべきでした。有権者の三分の二が、日本をより軍国主義的にするような憲法九条の削除、改正、そして再解釈に反対しているにもかかわらず、安倍政権は、憲法改正という正攻法ではなく、裏口入学のような法律解釈の行ってしまいました。これは世論、さらには政府に対する憲法の制約を意図的に破壊したといえます。
 もちろん私は、日本にとって何が正しいかということを言う立場にはありません。でもこれだけは言えるでしょう。政府が、「世論は関係ない」、「三分の二の国民が政策に反対しても関係がない」、「国民の支持がなくてもどうでもいい」と言い始めているのは、大変危険です。
 このような時こそ、ジャーナリストは政府が何をしているかを把握しなければなりません。にもかかわらず、すべての情報が特定秘密として閉じられてしまう。これは非常に危険です。こうした問題に関しては公共での議論が必要です。また、メディアも連帯を確保して、政府の政策や活動を批判しないようプレッシャーを掛けてくる政府に対抗する必要があるでしょう。(p.49~50)

 今、日本のプレスは脅威にさらされています。その態様はピストルを突き付けられたり、ドアを蹴られたり、ハードドライブを壊されたりという形の恐怖ではありません。日本における恐怖は、静かなる圧力、企業による圧力、インセンティブによる圧力、あるいは取材源へのアクセスの圧力です。テレビ朝日、TBS、NHKといったような大きなメディアは、何年にもわたって視聴率の高い番組のニュースキャスターを務めた方を、政府の意に沿わない論調であるという理由で降板させました。
 政府は自分たちの持つ地位と権力を理解しています。政府は放送法の再解釈を通じてプレッシャーをかけています。政府はあたかも公平性を装った警察のようにふるまいます。「この報道は公平ではないように思われますね。報道が公平でないからといって具体的に政府として何かをするわけではありませんが、公平でない報道は報道規制に反する可能性がありますね」などとほのめかすのです。
 こうした類の脅迫は、メディア各社の上層部に明確に伝わっています。これは驚くことではありません。メディアの事情も理解はできますが、脅威に屈してはいけません。政府が嫌いなニュース会社やニュースキャスターを排除してはなりません。今求められていることは連帯です。
 ニュース組織、TBS、NHK、テレビ朝日、その他のさまざまなテレビ・チャンネル、そしてジャーナリスト団体が一緒になって、自由な報道というものは政府の言いなりになって書くのではないこと、開かれた社会における報道の自由の目的は政府による情報の独占に対抗することにあることを訴え続ける必要があります。
 とりわけ、日本社会や日本で暮らす人々の権利に大きな影響を及ぼす事項については、対抗していく必要があります。政府の働きを調査できなければ、企業の動きを調査できなければ、また調査の結果判明した実態を人々に伝えることができなければ、ジャーナリストではなくなってしまいます。ジャーナリストではなくただの速記者です。それは日本の市民社会にとって非常に大きな損失であり、ひいては日本にとっても大きな損失だと思います。(p.53~4)

 市民が反対しているのに政府が意に介さず法律を成立させるような社会では、政府は制御不可能となります。あらゆることのコントロールが失われます。人々は政府と対等のパートナーではなくなります。全体主義にならない保証はありません。(p.82)

 人と話して下さい。価値観を共有して下さい。会話をして下さい。議論をして下さい。そして決して恐れないで下さい。リスクを認識すること、それが現実にあると認識することは大事なことです。
 手榴弾の上に身を投げ出しましょうなどと言っているわけではありません。誰もそんなことしたくありません。殉教者など必要ありません。
 けれども行動を怖がらないで下さい。過ちを見つけたならば、すぐに行動に移して下さい。既定路線になる前に動いて下さい。政府の方針となることを待たないで下さい。物事を注意深く見て下さい。よく考えて下さい。受け身にならないで下さい。そして最後のこのことを忘れないで下さい。自由を享受できる社会は市民が主役になって初めて実現されるということを。
 あなたは誰かをサポートする脇役ではなく主役なのです。(p.83~4)
 最新テクノロジーを駆使して情報を独占し、私たちを監視し、ジャーナリズムを屈服させ、市民によるコントロールから自由となって暴走・腐敗する国家権力。アメリカと同様の状況が日本においても起こっていることを、スノーデン氏は的確に指摘されています。そしてその行き着く先は全体主義であることも。特定秘密保護法や共謀罪を遮二無二求める安倍政権の姿勢を見れば、一目瞭然です。事態がここまで進んだのは、私たち市民の知識の欠如と無関心に責任があるという指摘にも汗顔の至りです。
 こうした動きに抗い、自由を守るためには、人と話すこと、恐れないこと、行動すること、そして自分が主役だと認識すること大事であるという氏の言葉を銘肝したいと思います。

 パネリストとして参加した四人による討論も興味深く、たいへん参考になりました。スノーデン氏の法律アドバイザーであるベン・ワイズナー氏、ニューヨーク市警によるムスリム監視の差止を求める訴訟の代理人を務めるマリコ・ヒロセ氏、プライバシーの専門家である中央大学准教授の宮下紘氏、そして日本の警察組織を取材するジャーナリストの青木理氏です。
 ベン・ワイズナー氏と青木理氏の発言を紹介しましょう。
(ベン・ワイズナー) 確かに脅威が存在しないわけではありません。しかしスノーデン氏が指摘する通り、テロリストによって殺される確率よりバスタブで溺れる確率の方が高いのです。テロの脅威は、政府が毎年800億ドルを費やして対策すべきほどの脅威なのか、改めて考えるべきです。
 情報当局にとってはテロの危険は大きければ大きいほど良いわけですが、私はこれを、"脅威という燃料"と呼んでいます。諜報機関という装置が自らの存在を正当化するために必要とする燃料です。(p.136)

(青木理) 僕はアメリカが全部いいなんてまったく思いませんけれども、こうしたアメリカなどの状況と比べ、日本ではジャーナリストやメディアの仕事に対する理解が、政権レベルでも市民レベルでも非常に低いと思います。これは僕らがサボってきたという面もあると思うのですが、紛争地取材にあたるジャーナリストを「自己責任だ」などと言って切り捨ててしまうという風潮が強まれば、僕たちは紛争地の真実を知ることができない。あえて攻撃的に言えば、この程度の市民があってこそ、この程度のメディアと言えるのかもしれません。(p.148)
 ベン・ワイズナー氏が言う"脅威という燃料"という言葉は、政府の行為を批判的な視点で考える際に非常に有効だと思います。例えば、北朝鮮の発射するミサイルはほんとうに"脅威"なのか。"脅威"だとしたら、それが命中した時にはかなりの確率で日本を破滅させる原子力発電所をなぜ再稼働させるのか。ほんとうは"脅威"ではなく、安倍政権および官僚機構が、己の権力や利益を増進させるための"燃料"に過ぎないのではないのか。

 二本の映画ともども、私たちを勇気づけてくれるお薦めの一冊です。
by sabasaba13 | 2017-05-31 06:25 | | Comments(0)

『ボタン穴から見た戦争』

 『ボタン穴から見た戦争 白ロシアの子供たちの証言』(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ 岩波現代文庫)読了。
 裏表紙の紹介文を引用します。
 1941年にナチス・ドイツの侵攻を受けたソ連白ロシア(ベラルーシ)では数百の村々で村人が納屋に閉じ込められて焼き殺された。約四十年後、当時15歳以下の子供だった101人に、戦争の記憶をインタビューした戦争証言集。
 『戦争は女の顔をしていない』は女性の眼から見た戦争でしたが、本書は子供の眼から見た戦争です。子供の眼に焼きつけられた残虐非道な戦争の実相に息を呑むとともに、子供たちを体を張って守り、人間らしく育てようとするベラルーシの人びとの姿に感銘を受けました。そして"過去を忘れてしまう人は悪を生みます。そして悪意以外の何も生み出しません"(p.5~6)と述べるスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの姿勢に、そうした惨劇を二度と繰り返さないためにも過去を記憶に留めなければいけないという強固な意志を感じました。安倍上等兵にぜひ読んでいただきたい本です。
ヴォロージャ・コルシュク 六歳
 お金はいらない。辛い時には人間らしい同情や尊敬の念はどんなお金よりも得がたいものだと。このことは忘れられない。(p.79)

エドゥアルド・ヴォロシーロフ 十一歳
 何の理由もなく誰かをなぐっていいなんて理解できなかった。(p.88)

マーシャ・イワノワ 八歳
 おばあちゃんは、家の中で、嘆いていました。「神はどこにいるの、どこに隠れちまったのさ?」 (p.106)

ファイナ・リュツコ 十五歳
 私はどこかに遠のけられた。それからまず子供たちが撃ち殺されるのを見たんです。撃ち殺して、親たちがそれを見て苦しむのを観察しているんです。私の二人の姉と二人の兄が殺されました。子供たちを殺してしまってから、親たちに移りました。女の人が乳のみ児を抱いて立っていました。赤ん坊は瓶で水をすすっていました。奴らはまず瓶を撃ち抜いて、次に赤ん坊、そのあとでお母さんを殺したんです。
 私は気が狂ってしまうと思いました…私はもう生きていけない、と…どうしてお母さんは私を救ってしまったのでしょう? (p.135)

タイーサ・ナスヴェトニコワ 七歳
 44年の末に初めてドイツ人の捕虜を見ました。大きな隊列を組んで歩いて行ったのです。驚いたことに、人々がその隊列に近寄ってはパンをあげたりしていました。私はあんまりびっくりしたので、お母さんが仕事をしているところへ行って、きいたほどです。「どうして、ドイツ人にパンをあげるの?」 お母さんは何も言わないで、泣き出しました。(p.141)

リーダ・ポゴジェリスカヤ 七歳
 でも、私と妹と弟、三人とも成長して、高等教育をうけました。私たちは意地の悪い人になりませんでした。もっともっと人々を信じ、もっと愛するようになりました。それぞれに子供があります。お母さんは一人の力ではこんなふうに私たちを育てることはできなかったでしょう。私たち、戦中の子供は、皆が大切に、育てあげてくれたのです。(p.146)

リーリャ・メリニコワ 七歳
 とてもかわいがってくれて、行儀も教えてくれました。こんなことがありました。「だれかにごちそうしようという時、チョコレートの袋から一つ取り出してあげるのではなく、袋全部をすすめなさい。もらう方は、袋全部をもらわないで、そこから一つとるのです」という話がありました。この話があった日、一人の男の子が欠席していました。ある女の子のお姉さんがやってきて、チョコレートを一箱くれました。この女の子-孤児院で育った子-がそのチョコレートの箱を男の子のところに持っていくと、男の子はそれを箱ごともらってしまいました。私たちはどっと笑いました。その子は困って、きくんです。「どうすればいいのさ?」「一つだけとるのよ」と教えられて、その子は気がつきました。「どうして一つしかとっちゃいけないか分かるよ、僕が全部もらっちゃうとみんなのがないからでしょう?」 そう、ひとりだけでなく、皆が楽しくなるようにと教えられたんです。(p.198)

ワーシャ・シガリョフ‐クニャーゼフ 六歳
 大尉は僕に長いこと説明した。「子供は皆いい子なのだ。何も罪はない。戦争が終わった今、ロシア人の子もドイツ人の子も仲良くするのだ」と。(p.255)

訳者あとがき 三浦みどり
 101人の子供たちの話を聞いて、あの国に101人の知り合いができたように感じていただけれることを祈り、どこかの国の人々のことを自分のことのように気遣うことができるというその感覚が、次々繰り出されてくる軍事的な暴力に対する、確実で最終的な歯止めになることを静かに念じている。(p.347)
 気になったのは、アジア・太平洋戦争下において、日本の子供たちは戦争をどう見ていたのでしょうか。そして日本の大人たちは、子供たちを人間らしく育てようと力を尽くしたのでしょうか。後者については、管見の限りではそうではなさそうですね。日本版『ボタン穴から見た戦争』をぜひ読みたいところです。

 追記です。ソ連におけるドイツ軍の凄まじい蛮行が印象的ですが、『第二次世界大戦 1939-45』(アントニー・ビーヴァー 白水社)を読んでいたら、次のような記述がありました。
 (※1941年)6月6日には、ドイツ国防軍の悪名高き「コミッサール指令」が出ている。この指令には「捕虜の扱いにかんするジュネーブ条約」等々、いかなる国際条約の遵守も等閑視すべしと具体的に述べられていた。同指令とその関連規定は、ソ連の"ポリトルーク(政治指導員)"、すなわち軍内部の政治将校やソ連共産党の正規党員、ならびに破壊分子、男性ユダヤ人は、すべからくパルチザンと見なし、残らず射殺すべしと要求していた。(上p.384)

 スターリンは(※1941年)翌7月1日、クレムリンに復帰した。みずからマイクの前に立ち、ソ連人民にむけたラジオ演説をおこなった。かれは直感の赴くまま、人心を見事に掌握してみせた。スターリンはまず「同志、市民、兄弟姉妹のみなさん」と語りかけて、聴取者たちを驚かせた。クレムリンの主が、人々に対して、家族の一員のような挨拶をした例はこれまで一度もなかったから。続いて、この全面戦争においては、焦土作戦を実施し、なんとしても祖国を守らなければならないと呼びかけた。ナポレオン相手の「1812年祖国戦争」の記憶をかき立てる意図がそこにはあった。ソ連人民は、共産主義のイデオロギーなどよりも、愛する国土のためにこそ、命を投げだす可能性がはるかに高いことを、スターリンは熟知していた。この種の愛国主義は、過去の戦争によって形成されたものであり、ゆえに今回の侵略においても、国民のそうした熱き想いをかき立てることは可能であるとかれは踏んでいた。現在の壊滅的事態を、スターリンは隠し立てすることなく国民に伝えた。ただ、その責任の一端が自分にあることはオクビにも出さなかった。スターリンはまた、"民兵大隊"の創設も命じた。大した装備も与えられず、大砲の餌食になることがほぼ確定した素人の集まりだ。かれら"民兵"たちに期待されたこと、それはその肉体をもって、ドイツ装甲師団の進捗スピードを遅らせる-ただその一点だった。
 「焦土作戦」を実施すれば、民間人が戦闘に巻きこまれ、悲惨な目に遭うことは必定だったけれど、そんなことはスターリンの眼中にはなかった。かくして避難民は、それぞれの集団農場から、家畜を追い立てつつ、個々別々に逃避行を開始した。ドイツの装甲師団に追いつかれまいと、当人たちは必死だったけれど、およそ無駄な努力だった。(上p.395~6)

 スターリンは民間人に対しても、いっさい同情しなかった。ドイツ軍が「老人、女性、母子」などを人間の盾につかったり、あるいは降伏を呼びかける使者にもちいたなどという話を耳にすると、ならばいっそのことそいつらに銃弾を浴びせてやれと命じている。「余計な感傷は無用-それが私の答えだ。敵と共謀するものは、病人だろうが健常者だろうが、ただちに粉砕せねばならない。戦争とは本来、容赦のないものであり、弱みを見せたもの、動揺に身を委ねたものが、真っ先に敗れ去るのだ」。(上p.412)

 占領した大地に入植民を送り込み、「エデンの園」を築くというのがヒトラーの基本構想だった。だが、パルチザンの"跋扈"は当然ながら、そこに自分の土地を得て、楽園づくりに勤しむ可能性のあるドイツ人や"フォルクスドイチェ(民族ドイツ人)"の意欲を削ぎ、結果、構想は足踏み状態となった。国境の東方、そこにドイツ民族のための"レーベンスラウム(生存圏)"を建設するという一大構想を実現するには、「浄化」された土地と、徹頭徹尾、従属的な小作人階級という二つの要素が不可欠だった。予期されたことではあるけれど、ナチによる"匪賊討伐"は、しだいにその残酷の度を強めていった。パルチザンの襲撃があると、その周辺の村々が「復仇」の名のもとに焼き尽くされた。取っていた人質は処刑された。パルチザンに手を貸したと見なされた若い女性や少女たちが、敢えて公開の場でつるし首にされるなど、とりわけ人目を引くような、限度を超えた処刑方法も実施された。だが、報復行為が苛酷になればなるほど、当然ながら抵抗への決意もそれだけ強くなった。ソ連のパルチザン指導者は多くの場合、侵略者への憎悪をいっそうかき立てるため、ドイツ側の報復を招くことをあえて狙って、意図的挑発をおこなったりもした。まさに、慈悲の心とは無縁の「鋼の時代」が到来したのである。紛争の当事者たる独ソの両国家にとって、いまや個々人の生活などはなんの価値もなくなってしまった。特にドイツ人の目に、その個々人が"ユダヤ人"として映っている場合は、尚更である。(上p.425)
 ドイツ軍による「コミッサール指令」と「人間の盾」、ソ連による「焦土作戦」と「民兵大隊」。やれやれ、やはり悪魔に鏡を突きつけねばなりませんね。
by sabasaba13 | 2017-05-07 07:21 | | Comments(0)

『戦争は女の顔をしていない』

 『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ 岩波現代文庫)読了。
 前回の書評で紹介したスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの主著です。裏表紙に記されていた紹介文を引用します。
 ソ連では第二次世界大戦で百万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった…。五百人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞作家の主著。
 愛する人びとと故郷を守るための女性たちの奮闘、しかし白眼視される口惜しさ、ドイツ軍の残虐な行為、ユダヤ人への差別と虐殺、過酷な戦場の中でも人間らしく振る舞おうとする崇高さ、女性の眼から見た戦争の諸実相が圧巻の思いとともに語られます。いや、贅言はやめましょう。ぜひ彼女たちの言葉に耳を傾けてください。
マリヤ・セミョーノヴナ・カリベルダ 上級軍曹(通信係)
 1943年の6月、クールスクの激戦で、私たちは連隊の旗を授けられました。私たちの第65軍125通信連隊は八割が女性だった。想像できるように話してあげたいわ…。分かってもらえるように…。私たちの心の中で何が起きたのか、あの頃の私たちのような人たちはもう二度と出てこないわ、決して。あれほど純真で、一生懸命な人たちは。あれほど深く信じ込んでいる人たちは。連隊長が連隊の旗を受け取って、「連隊、旗に跪いて敬礼!」と号令をかけたとき、私たちは幸福だった。信頼されたということで。私たちはこれで他の連隊、歩兵連隊とか戦車連隊と対等の一人前の連隊になったんだわ。突っ立って、泣いていた。みな涙を浮かべていた。信じられないかもしれないけれど、私はこの感動で全身が緊張したあまりに、栄養失調や神経の使い過ぎからなった鳥目が直ってしまったの。すごいでしょ? 翌日には健康になっていた。それほど心からの感動だった…。(p.78)

アリヴィナ・アレクサンドロヴナ・ガンチムロワ 上級軍曹(斥候)
 そして有名なスターリンの命令227号があったんです。「一歩もひいてはならない!」 後退したら銃殺だ! その場で銃殺。でなければ軍事法廷か特設の懲罰大隊に入れられる。そこに入れられた人は死刑囚と呼ばれていた。包囲から脱出した者や捕虜で脱走したものは選別収容所行き。私たちの後は阻止分遣隊で退路が断たれていたんです。味方が味方を撃ち殺す… (p.85)

アンナ・ヨーシフォヴナ パルチザン
 でも…そう言われたの。町はドイツ軍に占領されたって。あたしは自分がユダヤ人だということを知ったの。戦前はみな一緒に仲良く住んでいたのよ。ロシア人もタタール人もドイツ人もユダヤ人も、みな同じに。そうなのよ、あなた。(p.101)

 町中に貼り紙があった。「ユダヤ人には次のことを禁ずる-歩道を歩くこと、美容院へ行くこと。店で何かを買うこと、笑うこと、泣くこと」 そうなんですよ、あなた。(p.101)

ワレンチーナ・パープロヴナ・チュダーエワ 軍曹(高射砲指揮官)
 男たちは戦争に勝ち、英雄になり、理想の花婿になった。でも女たちに向けられる眼は全く違っていた。私たちの勝利は取り上げられてしまったの。〈普通の女性の幸せ〉とかいうものにこっそりすり替えられてしまった。男たちは勝利を分かち合ってくれなかった。悔しかった。理解できなかった。(p.182~3)

 みんなが好いてくれた。先生方も学生たちも。なぜって、私の中にみんなを好きになりたいって気持ちが、喜びがたまっていたからね。生きているってそういうことだと思ったんだよ、戦争のあとはそれ以外ないと思ってた。神様が人間を作ったのは人間が銃を撃つためじゃない、愛するためよ。どう思う? (p.185)

 思い出すのは恐ろしいことだけど、思い出さないってことほど恐ろしいことはないからね。(p.187)

第5257野戦病院メンバーの女性たち
 その時も思いました、生き物の見ている前で何という恐ろしいことをしたんだろう、馬は全て見ていたのよ… (p.206)

 私の病室には負傷者が二人いた。ドイツ兵と味方のやけどした戦車兵が。そばに行って、「気分はどうですか?」と訊くと、「俺はいいが、こいつはだめだ」と戦車兵が答えます。「でも、ファシストよ」「いや、自分は大丈夫だ。こいつを…」
 あの人たちは敵同士じゃないんです。ただ怪我をした二人の人が横たわっていただけ。二人の間には何か人間的なものが芽生えていきました。こういうことがたちまち起きるのを何度も眼にしました。(p.207)

オリガ・ヤーコヴレヴナ・オメリチェンコ 歩兵中隊(衛生指導員)
 戦争で人間は心が老いていきます。(p.222)

 道はただ一つ。人間を愛すること。愛をもって理解しようとすること。(p.224)

タマーラ・ルキヤーノヴナ・トロプ 二等兵(土木工事担当)
 私にとって橋は戦略上の施設ではなく、生き物のようでした-私は泣いていました…移動のときに破壊された橋を何百と見ました。大きいのも小さいのも、戦争では橋が真っ先に壊されます。がれきの山となっているところを通り過ぎるとき、いつも思ったのです。これをまた新たに建造するのにどれだけの年月がかかるだろう、と。戦争は人が持っている時間を潰してしまいます、貴重な時間を。(p.267)

 あの人たちが信じたのはスターリンでもレーニンでもなく、共産主義という思想です。人間の顔をした社会主義、と後によばれるようになった、そういう思想を。すべてのものにとっての幸せを。一人一人の幸せを。夢見る人だ、理想主義者だ、と言うならそのとおり、でも目が見えていなかった、なんて決してそんなんじゃありません。賛成できません、どんなことがあったって。戦争の半ばになってわが国にも素晴らしい戦車や飛行機、性能のいい兵器がでてきました。でも、信じるという力を持っていなかったら、強力で規律があって全ヨーロッパを征服してしまったヒットラー軍のような恐ろしい敵を私たちは決して打ち負かすことができなかったでしょう。その背骨をへし折ってやることは。私たちの最大の武器は「信じていた」ということです。恐怖にかられてやったわけじゃありません。(p.267~8)

アナスタシア・イワーノヴナ・メドヴェドゥキナ 二等兵(機関銃射手)
 一つだけ分かっているのは、戦争で人間はものすごく怖いものに、理解できないものになるってこと。それをどうやって理解するっていうの? (p.311)

オリガ・ニキーチチュナ・ザベーリナ 軍医(外科)
 戦争の映画を見ても嘘だし、本を読んでも本当のことじゃない。違う…違うものになってしまう。自分で話し始めても、やはり、事実ほど恐ろしくないし、あれほど美しくない。戦時中どんなに美しい朝があったかご存知? 戦闘が始まる前…これが見納めかもしれないと思った朝。大地がそれは美しいの、空気も…太陽も… (p.312~3)

リュボーフィ・エドゥアルドヴナ・クレソワ 地下活動家
 ゲットーでは私たちは鉄条網に囲まれた中に住んでた…あれは火曜日だったことまで憶えています。それが火曜日だということがなぜか気にとまった…何月だったか何日だったかも憶えていませんが…でも火曜日だった…たまたま窓に近づくと…私たちがいた建物の向かいのベンチで、少年と少女がキスをしているんです。私は胸をつかれる思いでした。ユダヤ人を対象にした焼き討ち(ポグロム)や銃殺のまっただなかで。この二人はキスをしあっている…胸がいっぱいになりました。この平和な光景に。
 通りの向こう、短い道でしたがその端に、ドイツのパトロールが姿を現しました。奴らもこっちに気づきました、とてもめざといんです。何がなんだか分かる間もありませんでした…もちろん、一瞬のことでしたから…悲鳴、轟音、銃声…私は何も考えられませんでした…何も…最初の感覚は恐怖です。私が見たのはただ少年と少女が一瞬立ち上ったとたんに倒れたこと。倒れるのも一緒でした。
 それから…一日たち、二日たって…三日が過ぎました…私の中で一つの考えがぐるぐる回っていました。理解したかったんです。家の中でじゃなくて、外でキスをしていた。どうして? そういうふうに死にたかったということ…もちろん…どうせゲットーで死ぬんだから、ゲットーでの死ではなく、自分たちらしく死にたかったんでしょう。もちろん、恋です。他ならぬ恋。ほかに何があります? 恋しかありません。
 ほんとうに美しかった。でも現実はね…現実はすさまじいものだった…いま思うんです。あの子たちは戦っていた…美しく死にたかったんです。あれは、あの子たちが選んだこと。まちがいありません。(p.313~4)

ヴェーラ・ヴラジーミロヴナ・シェワルディシェワ 上級中尉(外科医)
 毎日見ていたけれど…受け入れることができなかった…若くて、ハンサムな男が死んでいく…せめてキスしてあげたい、医者として何もできないのなら、せめて女性としてなにかを。にっこりするとか。なでてあげるとか、手を握ってあげるとか…
 戦後何年もして、ある男の人に「あなたの若々しい微笑みを憶えていますよ」と告白されたことがあります。私にとってその人は何人もいる負傷者の一人にすぎず、憶えてもいませんでした。でも、その人は私の笑顔が彼を再び生きる気にさせたと言いました。あの世から引き戻したのだ、と。女の笑顔が… (p.346~7)

 もし戦争で恋に落ちなかったら、私は生き延びられなかったでしょう。恋の気持ちが救ってくれていました、私を救ってくれたのは恋です… (p.347)

ワレンチーナ・ミハイロヴナ・イリケーヴィチ パルチザン(連絡係)
 奴らは銃を発射し、しかも楽しんでいた…最後に乳飲み子の男の子が残って、ファシストは「空中に放りあげろ、そしたらしとめてやるから」と身ぶりでうながした。女の人は赤ちゃんを自分の手で地面に投げつけて殺した…自分の子供を…ファシストが撃ち殺す前に。その人は生きていたくないと言いました。そんなことがあったあと、この世で生きていることなんかできない、あの世でしか…生きていたくない…
 私は殺したくなかった。誰かを殺すために生まれて来たのではありません。私は先生になりたかったんです。村が焼かれるのを見たことがあります。叫ぶこともできなかった。大声で泣くことも。私たちは任務に出て、その村にさしかかった。じっと息を殺して手を血が出るほど、肉がちぎれるほどきつくかんでいるしかできなかった。今でもその傷が残っています。人々が泣き叫ぶ声、牛、鶏、何もかもが人間の言葉を叫んでいるように聞こえました。生きとし生けるものがみな、焼かれながら、泣き叫んでいる…
 これは私が話しているんじゃありません。私の悲しみが語っているんです。(p.380~1)

アグラーヤ・ボリーソヴナ・ネスチェルク 軍曹(通信係)
 ドイツの家でははやはり弾丸で打ち砕かれたコーヒーセットを見たことがあります。花が植わっている鉢とか、クッションとか…乳母車とか…でもやはり奴らが私たちにやったのと同じことはできませんでした。私たちが苦しんだように、奴らを苦しませることは。
 奴らの憎しみがどうして生まれたのか、理解に苦しみました? 私たちが憎むのは分かるけど、奴らはなぜ? (p.451)

タマーラ・ステパノヴナ・ウムニャギナ 赤軍伍長(衛生指導員)
 戦場に行ったことのない人にこんなこと分かるかね? どうやって話したらいいのか、どんな言葉を使って? どんな顔をして? 言ってご覧よ、どんな顔してこういうことを思い出しゃいいのか? 話せる人もいるけど、私はできないよ…泣けてきちゃうよ。でもこれは残るようにしなけりゃいけないよ、いけない。伝えなければ。世界のどこかにあたしたちの悲鳴が残されなければ。あたしたちの泣き叫ぶ声が。(p.480)

 だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵みさ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから… (p.480~1)

 戦争中どんなことに憧れていたか分かるかい? あたしたち、夢見ていた、「戦争が終わるまで生き延びられたら、戦争のあとの人々はどんなに幸せな人たちだろう! どんなにすばらしい生活が始まるんだろう。こんなにつらい思いをした人たちはお互いをいたわりある。それはもう違う人になるんだね」ってね。そのことを疑わなかった。これっぽちも。
 ところが、どうよ…え? またまた、殺し合っている。一番理解できないことよ…いったいこれはどういうことなんだろう? え? 私たちってのは… (p.481)
 中でも、もっとも心に残った、おそらく生きている限り私の心に刻まれたエピソードと言葉を二つ紹介します。
 まずはナターリヤ・イワノーヴナ・セルゲーエワ二等兵(衛生係)の言葉です。厳寒の中、涙が凍りついたドイツ軍の少年兵士が、彼女が押すパンの入った手押し車を見つめています。いくら憎んでもあきたらないドイツ兵、しかし彼女はパンを半分に割って彼にあげます。
 私は嬉しかった… 憎むことができないということが嬉しかった。自分でも驚いたわ… (p.129)
 あまりに苛酷で辛い体験に口ごもる女性たちに対して、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチは…
 私は、そういう人たちに頼む、話してください…黙っていてはだめ。悪魔には鏡を突きつけてやらなければ。「姿が見えなければ、痕跡は残らない」なんて悪魔に思わせないために。その人たちを説得する…先に進んでいくために、自分自身も説得しなければならない。(p372)
 "悪魔に鏡を突きつける"、この言葉は絶対に忘れません。
by sabasaba13 | 2017-05-06 06:29 | | Comments(0)

『チェルノブイリの祈り』

 『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(スベトラーナ・アレクシェービッチ 岩波現代文庫)読了。
 最近、彼女の本を立て続けに読んでいます。まずは本書から、彼女の略歴を紹介しましょう。
スベトラーナ・アレクシェービッチ 1948年ウクライナ生まれ。国立ベラルーシ大学卒業後、ジャーナリストの道を歩む。民の視点に立って、戦争の英雄神話をうちこわし、国家の圧迫に抗い続けながら執筆活動を続ける2015年ノーベル文学賞受賞。
 福島の原発事故を、まるでなかったかの如く振舞う安倍伍長率いる自民党、官僚、財界、メディアを見るにつけどす黒い憂慮を憶えます。挙句の果てに、福島の方々に「自己責任」と暴言を吐く大臣も現われ責任を取らない始末です。暴言を重ねてやっと解任されましたが。
 福島の方々は、いまどういう思いなのか。そしてそれに先立つ事故に見舞われたチェルノブイリの方々は、いまどうしているのか。あらためて知りたいと思っていた矢先に出会った本です。本書は、普通の人々が黙してきたことを、被災地での丹念な取材で聞き取ったドキュメントです。
 「あとがき」で、訳者の松本妙子がアレクシェービッチの発言を紹介されているので、引用します。彼女の立ち位置がよくわかります。
 わたしはチェルノブイリの本を書かずにはいられませんでした。ベラルーシはほかの世界の中に浮かぶチェルノブイリの孤島です。チェルノブイリは第三次世界大戦なのです。しかし、わたしたちはそれが始まったことに気づきさえしませんでした。この戦争がどう展開し、人間や人間の本質になにが起き、国家が人間に対していかに恥知らずな振る舞いをするか、こんなことを知ったのはわたしたちが最初なのです。国家というものは自分の問題や政府を守ることだけに専念し、人間は歴史のなかに消えていくのです。革命や第二次世界大戦の中に一人ひとりの人間が消えてしまったように。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことがたいせつなのです。(p.302~3)
 "国家の恥知らずな振る舞いを歴史の中に消さないよう、個々の人間の記憶を残す" 彼女の仕事の真髄はこれに尽きるでしょう。例えば…
セルゲイ・ワシーリエビッチ・ソボリョフ
 国は詐欺師ですよ、この人たちをみすててしまった。(p.146)

ゾーヤ・ダニーロブナ・ブルーク
 私はすぐにはわからなかった。何年かたってわかったんです。犯罪や、陰謀に手をかしていたのは私たち全員なのだということが。(沈黙) (p.189)

 人間は、私が思っていた以上に悪者だったんです。(p.189)

 ひとりひとりが自分を正当化し、なにかしらいいわけを思いつく。私も経験しました。そもそも、私はわかったんです。実生活のなかで、恐ろしいことは静かにさりげなく起きるということが。(p.190)

ビクトル・ラトゥン
 わが国の政治家は命の価値を考える頭がないが、国民もそうなんです。(p.214)

ワシーリイ・ボリソビッチ・ネステレンコ
 私は人文学者ではない。物理学者です。ですから事実をお話ししたい。事実のみです。チェルノブイリの責任はいつか必ず問われることになるでしょう。1937年〔スターリンによる大粛清〕の責任が問われたように、そういう時代がきますよ。五〇年たっていようが、連中が年老いていようが、死んでいようが、彼らは犯罪者なんです! (沈黙) 事実の残さなくてはならない。事実が必要になるのです。(p.237)

ナターリヤ・アルセーニエブナ・ロスロワ
 でも、これもやはり一種の無知なんです。自分の身に危険を感じないということは。私たちはいつも〈われわれ〉といい〈私〉とはいわなかった。〈われわれはソビエト的ヒロイズムを示そう〉、〈われわれはソビエト人の性格を示そう〉。全世界に! でも、これは〈私〉よ! 〈私〉は死にたくない。〈私〉はこわい。チェルノブイリのあと、私たちは〈私〉を語ることを学びはじめたのです、自然に。(p.253)
 事故を隠蔽し被災者に救いの手を差し出そうとしない恥知らずな政府、その政府を支持する人びと、あるいは事故について知ろうとしない/考えようとしない人びと。それらに対して血を吐くような言葉を紡ぐ一人の人間。そう、まったく他人事ではありません。そしてこうした声は、聞く耳がなければ虚ろに宙に消えてしまいます。せめてその耳になろうと思います。チェルノブイリの方の声を、福島の方の声を聞こうとする耳に。

 追記。いまだノーベル文学賞を受賞していない(私にはどうでもよいことですが)村上春樹氏が、2009年2月にエルサレム賞を受賞した時のスピーチも彼女の発言に共振しています。
 もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。(中略)

 さて、このメタファーはいったい何を意味するか? ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です。
 しかしそれだけではありません。そこにはより深い意味もあります。こう考えてみて下さい。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。
 壁といっしょになって卵を割ろうとする卵も増えているのが気がかりです。やれやれ。
by sabasaba13 | 2017-05-03 07:14 | | Comments(0)