カテゴリ:北海道
  • 札幌・定山渓編(16):三岸好太郎美術館(10.10)
    [ 2012-02-09 06:21 ]
  • 札幌・定山渓編(15):北大植物園(10.10)
    [ 2012-02-08 06:21 ]
  • 札幌・定山渓編(14):清華亭(10.10)
    [ 2012-02-07 06:20 ]
  • 札幌・定山渓編(13):豊平峡(10.10)
    [ 2012-02-06 06:21 ]
  • 札幌・定山渓編(12):定山渓(10.10)
    [ 2012-02-05 08:20 ]
  • 札幌・定山渓編(11):定山渓(10.10)
    [ 2012-02-04 08:28 ]
  • 札幌・定山渓編(10):札幌時計台(10.10)
    [ 2012-02-03 06:18 ]
  • 札幌・定山渓編(9):モエレ沼公園(10.10)
    [ 2012-02-02 06:18 ]
  • 札幌・定山渓編(8):モエレ沼公園(10.10)
    [ 2012-02-01 06:18 ]
  • 札幌・定山渓編(7):モエレ沼公園へ(10.10)
    [ 2012-01-31 06:17 ]
札幌・定山渓編(16):三岸好太郎美術館(10.10)
 それでは三岸好太郎美術館へ行きましょう。植物園から少し離れているので、タクシーを利用しました。緑にあふれる広々とした知事公館の一角にあるのが北海道立三岸好太郎美術館、 札幌出身でわずか31才で夭逝した洋画家三岸好太郎の作品249点を収蔵、そのうち約70点を展示している美術館です。

 だいぶ体が冷えていたので、まずは館内にあるティールーム「きねずみ」で香り高い珈琲をいただきました。珈琲用ミルクのパッケージの蓋に越前大野城の紹介があったのにはびっくり。お城マニアが増えているのでしょうか。

 それでは彼の絵を鑑賞しましょう。アンリ・ルソー風の素朴な画風から出発し、岸田劉生の東洋趣味への傾倒、中国旅行の体験を元にしたエキゾティズム、ジョルジュ・ルオー風のフォーヴィズム、前衛主義と目まぐるしく画風を変えていった彼の画業がよくわかる、充実した展示でした。私が一番気に行ったのは『飛ぶ蝶』、超現実的で詩情にあふれる静謐な絵にしばし見惚れました。なお彼の作品は、美術館公式ホームページのギャラリーで見ることができます。そして彼の生涯を紹介するコーナーを拝見、彼が晩年に力を入れて建設したアトリエの一部を模してこの美術館が作られていることがわかりました。なお美術館トイレの男女表示がなかなか洒落たものでした。

 さて、この美術館の所蔵作品は、妻の三岸節子をはじめ遺族4名から北海道に寄贈されたものですが、そう、同じく画家である三岸節子のことを忘れるわけにはいきません。裕福な実家が破産して、油絵を勉強するために上京、そこで出会った貧乏画家・三岸好太郎と19歳で結婚します。やがて三人の子供を出産しますが、夫の奔放な女性関係と貧困に苦しみ疲れ果て、どちらかが死ぬしかないとまで思いつめ始めていた矢先に、名古屋から好太郎の死の知らせが届きます。その際に「ああ、これで私が生きていかれる」と思ったという凄絶なエピソードがあります。その後、紆余曲折がありますが、画家としての人生を全うし、1999年、94歳の生涯を閉じます。夫の作品を北海道に寄贈したのも、彼との関係に最終的な決着をつけるためだったのかもしれませんね。なお愛知県一宮に、三岸節子記念美術館がありますので、近くに行ったらぜひお立ち寄りを。
 そして知事公館の庭園を抜けて、大通公園へ。たしかこのあたりに、イサム・ノグチ作のユニークな滑り台「ブラック・スライド・マントラ」があったはずですが…見当たりません。雨も激しくなってきたので、探索を断念、市電に乗って地下鉄大通駅に戻りました。そして札幌駅へ、ホームには夜行列車「北斗星」が停車していました。

 JR快速エアポートで新千歳空港に着くと、搭乗までまだ時間があります。山ノ神のお土産買いまくりツァーにつきあい、夕食をとることにしました。やはり北海道旅行の掉尾を飾るのは札幌ラーメンでしょう、当該の店に行ったところたいへんな行列ができています。生理的に行列が大嫌いなので、すいている「エアポート・ガーデン」というお店に入りました。注文したのは「厳選素材阿寒ポーク使用 十勝名物 豚丼」ですが、これがなかなかいける。旨味のある柔かい豚肉を醤油味で焙ってご飯に乗せたシンプルな一品ですが、あっという間にたいらげてしまいました。そして飛行機に搭乗して帰郷。

 本日の一枚です。
by sabasaba13 | 2012-02-09 06:21 | 北海道 | Trackback | Comments(0)
札幌・定山渓編(15):北大植物園(10.10)
 それでは植物園に向かいましょう。途中にあったホテルには、「東京電機大学父母懇談会」という大きな立て看板がありました。大学で父母懇談会!? いやはや、これも大学の低年齢化の証左ですかね。工事のための仮設ガードレールを支えているのは可愛いウサギさん、もう社会全体が低年齢化しているようです。

 そして北海道大学農学部附属植物園 に到着、1886(明治19)年に開園され、各種植物約4000種が百十年前の自然地形の中で栽培され、分類・保存されています。また園内には、植物園の設計者であり初代園長を務めた宮部金吾博士の記念館や北方民族資料室、そして北方圏動物・哺乳類鳥類の剥製標本を展示している博物館などがあるとともに、古い文化財な建物群が保存されているのも特徴です。実は以前、京都府立植物園で見事な紅葉に出会えたので、こちらも紅葉の穴場かなと色気を出して来園した次第です。受付には「10月14日更新 一部紅葉しています。雪虫がとび始めました」という掲示がありました。ウィキペディアによると、「雪虫」とはアブラムシのうち、白腺物質を分泌する腺が存在するものの俗称で、体全体が綿で包まれたようになる虫です。"しろばんば"というのも、この虫の俗称なのですね。蝋物質を身にまとって、風になびいて流れ飛ぶ姿が雪を思わせるところから、この名称がつきました。北海道では初雪の降る少し前に出現することから、冬の訪れを告げる風物詩ともなっています。なお雄には口が無く、寿命は一週間ほどで、雌も卵を産むと死んでしまいます。熱に弱く、人間の体温でも弱る、はかない命なのですね。そうか、昨日定山渓を散策している時に出会ったあの虫たちが、この雪虫なのですね、たぶん。

 入園料を払い、中に入ると半八角形の張り出し部分がユニークな門衛所がありました。竣工は1911(明治44)年です。そして肝心の紅葉ですが、うーん、やはりいまひとつです。でも人気のない静寂の中、清冽な空気を肌で感じ、小雨に煙る木々を眺めながら遊歩するのも悪くありません。アイヌの狩猟用具・祭壇・衣服を展示する北方民族資料館を見学し、初代園長宮部金吾の遺品を展示する宮部金吾記念館へ。この建物は札幌農学校動植物学教室を移築したものです。

 しっとりとした木々の香りを楽しみながら歩いていくと、ほぼ中央にある古い建物群に到着。

 1924(大正13)年竣工の鳥舎、1885(明治18)年竣工の倉庫、1901(明治34)年竣工の事務所(※設計は中條精一郎)、1898(明治31)年竣工のバチェラー記念館(※アイヌの教育・文化の向上に意を注いだイギリス人宣教師バチェラーが住んでいた邸宅)など、貴重な物件が目白押しです。

 中でも眼を引かれたのが1903(明治36)年竣工の便所、独立して建てられた便所物件は珍しいですね。なお今、インターネットで調べていたら、現在でも使用可能でした。不覚! いつの日にか再訪してこの貴重な便所を利用することにしましょう。そしてリズミカルに並ぶ三角屋根がファサードを埋める博物館本館、竣工は1882(明治15)年です。館内では、津軽海峡以北に生息した動物や鳥類の剥製など、ブラキストン線・八田線等の動物区界を決定した標本などを展示しています。ブラキストン線とは、幕末から明治期にかけて日本に滞在したイギリス出身の軍人・貿易商・探検家・博物学者であるトーマス・ブラキストンが指摘した、津軽海峡における動物学的分布境界線のことですね。そういえば函館山で彼の記念碑を見たことがあります。八田線とは、両生類・爬虫類などの分布の違いから宗谷境界(樺太-北海道間)に引かれた分布の境界線で、1910年に八田三郎が提唱したもの。多くの動物の北限が北海道にあり、ブランキスト線よりも重要との見方もあるそうです。それはさておき、絶滅したエゾオオカミや南極探検隊のタロの剥製など、これだけたくさんの剥製を見たのは初めてです。博物館の前には、日本初の輸入製粉器の石臼が野外展示されていました。パン食の普及を提言した開拓使御雇教師頭取兼開拓顧問ケプロンが、母国アメリカから輸入したものだそうです。


 本日の三枚です。


by sabasaba13 | 2012-02-08 06:21 | 北海道 | Trackback | Comments(0)
札幌・定山渓編(14):清華亭(10.10)
 そして定山渓温泉に到着、ホテルに預かってもらっていた荷物を受け取り、路線バスで札幌に向かいます。着いたのが午後一時、午後五時ごろの札幌駅発列車に乗れば余裕の吉山君で飛行機の搭乗時刻に間に合います。四時間ほどあるので、札幌における未踏の地をめぐることにしましょう。予定としては、清華亭、北海道大学農学部附属植物園、北海道立三岸好太郎美術館、ブラック・スライド・マントラですね。その前に腹ごしらえ、札幌ご当地B級グルメ「スープカレー」をいただくことにしましょう。駅構内の観光案内所で、スープカレーの美味しいお店が駅近くにあるかと訊ねると、「hiri hiri 2号」を紹介してくれました。歩いて数分、ガード下にあるお店に到着、店の前に顔はめ看板があったのは嬉しいサプライズ。

 さっそく入店して、スープカレーを一つ注文、二人で分けていただきました。大きく切った野菜がごろんごろんと入った、スパイシーな一品、なかなかおいしゅうございました。なおウィキペディアによると、2002年ごろから札幌でブームとなったそうで、その特徴は大ぶりの具を入れたスープ状のカレーです。スープカレー店の多くの店主が「大きな影響を受けた店」として名前を挙げているのが「アジャンタ薬膳カリィ店」で、店主の辰尻宗男氏は薬売りの行商で知られる富山県の生まれで、1971年に喫茶店を開店、家に伝わっていた漢方の薬膳スープと、インドのスパイス料理を融合した「薬膳カリィ」を考案し、一日20食限定で出したところ、口コミで評判となったとのことです。どうやらこれが札幌スープカレーの嚆矢のようですね。私も山ノ神も蕎麦屋の溶岩流のようなカレーを好みますが、これはこれで秀逸な味でした。
 外へ出ると小雨が降りはじめています。まずは駅から歩いて数分のところにある清華亭へ。雨に煙る中、和洋折衷の落ち着いた雰囲気の建物が佇んでいました。1880(明治13)年に、開拓使の貴賓接待所として建てられた、翌年には明治天皇が札幌に行幸の際に休憩したとのことです。設計・監督は、開拓使工業局が担当。その後民間に払い下げられ、会合場所・料亭・貸家として使われました。昭和の初めに明治天皇ゆかりの地を聖蹟(聖跡)として崇拝する運動が現れると、住宅利用が批判され、1933(昭和8)年に「明治天皇札幌御小休所」として国の史蹟に指定されたそうです。この明治天皇聖蹟というのは興味深いですね、金融恐慌・昭和恐慌といった経済的危機の中で、明治天皇を核としてナショナル・アイデンティティを強固にするための社会的・政治的動きがあったのでしょうか。気になるので頭にインプットしておきましょう。入口上部にある星は、開拓使の徽章である北辰星ですね。サッポロビールのマークもここからきているわけだ。中に入ると(無料)、洋室と和室を組み合わせた和洋折衷のしつらえ。シャンデリアの台座には鏝絵がほどこされていました。


 本日の二枚です。

by sabasaba13 | 2012-02-07 06:20 | 北海道 | Trackback(1) | Comments(0)
札幌・定山渓編(13):豊平峡(10.10)
 そして朝食をいただき、これから豊平峡へと向かいます。豊平峡ダムと、それによってできた定山湖が、紅葉の名所ということです。定山渓温泉から出発する、朝一番の無料シャトルバスに乗りましょう。バスが出発する観光案内所に行く途中に、小学生がつくった交通標語が掲示してありました。〈〉内は筆者のコメントです。「すべる道 車がすべる つるつると」〈セーフティ・ネットなきままどん底への競争を強いられる現代人の悲哀がよく表現されています〉、「右オッケー! 左オッケー! 本当に?」〈「コギト・エルゴ・スム」的な発想が秀逸〉、「ハンドルをにぎってないとあぶないよ」〈ハンドルを握らないと運転できないよ〉、などと健気な小学生が作った力作に半畳を入れる性悪おやじでした。

 観光案内所の付近には山男・山女のみなさんがたくさん集まっていました。これからトレッキングに行くのでしょうか。そして停車していたシャトルバスに乗り込み、二十分ほどでダム駐車場に到着。

 ここからは徒歩か有料ハイブリッドバスでダムに行きますが、われわれは徒歩を選択しました。冷水トンネルをてくてくと歩き抜けると、千丈岩や九段の滝を眺望できるポイントがあります。そしてふたたび豊平峡トンネルへ、ここを抜けるとやっと豊平峡ダムに到着です。結局、二十数分かかりましたが、そのほとんどがトンネルなのであまりお薦めできる径路ではありません。

 ダムの上からは雄大な渓谷の景観とそこを彩る紅葉を眺望することができます。ただ紅葉の色づきがいまひとつなのは、もう想定内。

 そして振り返ると満々と水を湛える定山湖と連山、そして錦なす紅葉が眼を楽しませてくれます。

 小高いところにあるレストハウス行きの無料小型リフトカーがありましたが、長い行列ができていたので、徒歩で行きました。

 ここは、ダムの全貌を眺めることができる格好のビューポイント。この先に見晴らし展望台があるとのことですが、もう時間がありません。10:50の定山渓温泉行きシャトルバスに乗れないと、次の便は12:10、以後の行程に影響してきます。シャトルバス乗り場に降りていくと、おーまいがっ、長い長い行列ができていました。しかし次から次へとバスがやってきてピストン輸送をしているので、何とかなるかな。指をくわえて乗り込む客を眺めているうちに、やっと三台目に乗ることができました。

 しかし冷水トンネル内を走っているうちに時刻はすでに10:50を回っています。万事休すか、いや諦めたらそこで試合終了、絶望は愚か者の結論、たとえ一縷でも望みを捨ててはいけない。駐車場に到着したのが10:52、バスから駆け降りると、おおっ、シャトルバスが待ってくれているぞ。♪風呂出で詩へ寝る月輝る粉健…♪と歌いながらバスに駆け込み、事なきを得ました。そして出発、駐車場はすでに満車、登りの対向車線は車がパッツンパッツンにつまって亀の煮凝状態、大渋滞です。やれやれ、早起きは三文の得、朝一番で来てよかった。


 本日の四枚、一番上が九段の滝、二番目が千丈岩です。



by sabasaba13 | 2012-02-06 06:21 | 北海道 | Trackback | Comments(0)
札幌・定山渓編(12):定山渓(10.10)
 朝、目覚めてカーテンを開けると、♪Good day sunshine♪、川向うに聳える山が朝日を浴びて眠りからさめようとしています。右手の山なみは朝靄に包まれてまだまどろんでいますが。

 ただ天気情報によると、これから曇り、そして午後から雨が降りはじめるようです。朝飯前の散歩に行かないかと山ノ神を誘いましたが、低血圧の彼女は留守番を希望。一人で二見吊り橋まで行ってみました。朝日を浴びた紅葉は、曇天だった昨日よりははるかに綺麗でした。鏡のような川面に映る断崖と紅葉を撮影し、かっぱ渕公園まで散策をしましたが、これですこしは溜飲が下がりました。

 ホテルに帰る途中、この温泉を開湯したと言われる修験者・定山の銅像がありました。へえー、昨日地酒を購入した商店は「コンビニのようなお店」だったんだ。

 頑丈な造りのゴミ箱には「カラスまいったー」というステッカーが貼ってありましたが、カラスの気持ちを代弁しているのでしょうか。ホテルの近くには、「仙境 定山渓 大阪旅行クラブ」という碑がありました。似たような碑をでも見かけましたが、有志の観光旅行団体が訪れた地に石碑を建てるという流行があったのでしょうか。いずれも大阪の団体であったのも気になります。


 本日の二枚です。

by sabasaba13 | 2012-02-05 08:20 | 北海道 | Trackback | Comments(0)
札幌・定山渓編(11):定山渓(10.10)
 そしてテレビ塔へと戻り、宿が用意してくれた送迎バスに乗り込みました。めざすは定山渓温泉、一時間ほどで着いたのですが、廃屋が目立つのがきがかり、「北海道秘宝館」はだいじょうぶなのでしょうか、後学のため見…もといっ今回は一人旅ではなかった。前言撤回。こういう下劣で猥褻な施設は、即刻撤去すべきですね。

 宿は定山渓観光ホテル山渓苑、楽天トラベルで調べて一番安価だったので予約しました。よって設備や雰囲気についてまったく期待はしていなかったのですが…予想通りでした。まあ言わぬが花、料金と釣り合った宿ということにしておきましょう。なおウィキペディアによると、札幌市の奥座敷という位置づけもあり、多くのホテルが一昔前の「宴会を行う団体客向け」の構造となっているため、個人客が主流となった現在の旅行形態とミスマッチを起こしており、各ホテルは経営に苦心しているそうです。こうした流れを打開するため21世紀に入る頃から、台湾・香港・韓国からの団体観光客を積極的に受け入れるようになったとのこと。たしかにその雰囲気はひしひしと感じました。

 さてそれではなぜ定山渓温泉を選んだのか。実は数年前の十月、札幌から昭和新山・洞爺湖にバスで向かった時に、車窓から垣間見たこちらの見事な紅葉が忘れられず、いつか訪れようと誓ったためです。しかし…部屋の窓から見たかぎりでは、いまひとつ色づきがよくありません。フロントの方に訊ねると、やはり猛暑の影響で今年はダメだとのこと。やれやれ、いたしかたない。とにかく散策に行きましょう。まずは二見公園を抜けて、紅葉の絶景スポットという二見吊り橋へ。うーん、いまひとつ。

 と紅葉を撮影して定山渓大橋へ、こちらも紅葉の名所だそうですが、うーん。

 白糸の滝、玉川橋のあたりもうーん。なおこのあたりで、風に流されふわふわと飛ぶ無数の虫たちと遭遇しました。何という虫なのでしょう。

 毒を食らわば皿まで(ちょっと違うな)、時雨橋・紅葉橋・定山渓ダムまで三十分ほどかけて歩いていきましたが、うーん。

 すごすごと引き返すと、見てはいけないものを見てしまいました。「熊出没注意」… どき あわてて周囲を見回すと、時々車が通り過ぎる閑寂な一本道、両側は鬱蒼とした森林、そこにはただ風が吹いているだけ、これで熊と遭遇したらひとたまりもないな。

 異常気象による食物不足のためか、人間による開発により熊の生存圏が脅かされたためか、熊に襲われるというニュースを頻繁に聞くような気がします。効果があるのかないのかわかりませが、熊鈴をもってくればよかった。でも気になりますね、熊鈴の効果のほどインターネットで調べてみましたが、議論百出・賛否両論です。ただ「ヤフー知恵袋」で回答されていたjonny さんの意見には首肯しました。
 クマは熊鈴の音に驚くというよりも、人の姿を見れば普通は逃げます。実際にはそれほど臆病な生き物なんです。ですから人の姿を見てすぐに逃げるクマは人馴れしていないクマで、人馴れしたクマには出会わないことを祈るしかないです。それ以前に周囲の動物の気配に気づかないようでは山へ登る資格もありません。人を知っているクマと人馴れしているクマでは意味が違いますからね。
 はい、人馴れしている熊に出会わないことを祈りましょう。今回は幸いどちらの熊さんにも出会わずにすみました、やれやれ。そして途中にあったコンビニエンスストアで地酒を買い、ホテルへと戻り、温泉につかり、部屋で夕食をとり、一献傾けて就寝。

 本日の三枚です。


by sabasaba13 | 2012-02-04 08:28 | 北海道 | Trackback | Comments(2)
札幌・定山渓編(10):札幌時計台(10.10)
 環状通東駅で降りてコインロッカーから荷物を取り出し、地下鉄東豊線に乗って大通駅で下車。テレビ塔のとなりで、13:30に宿の送迎車に乗る予定ですが、まだ三十分ほど時間がありますが、山ノ神が時計台の中を見たことがないというので、寄ってみることにしました。歩いて五分ほどで、定番中の定番、「日本三大がっかり」の一つ、札幌時計台に到着です。まあ過大な期待をするからいけないのであって、虚心坦懐に対面すればなかなかプロポーションのよい洒落た洋館です。北海道大学の前身である札幌農学校の演武場として1878 (明治11)年10月に建築されました。入場料を支払おうとすると…「本日10月16日は時計台創建132周年を記念し、無料開放を行っています」という張り紙。ありがたい! ありがたいてえ字にシンニョウがつくくらいです。こいつは秋から縁起がいいわい、二人で手を組んで小槍の上でアルペン踊りを踊るのも大人げないので、喜びを胸に噛みしめながら(大袈裟だなあ)入場しました。一階は研究室・講義室として、二階は兵式訓練や体育のための体育館として利用されたそうです。二階に上がると、板敷きの広い空間とシンプルな屋根構造が印象的です。正面にある「演武場」と書かれた木額は、明治維新の元勲岩倉具視の筆。時計台の歴史や、機械式時計の仕組みなどの展示を見ていると、設置当時のまま稼働している機械式時計はもう三例しかないそうです。ここ(1881年始動)と、山形県郷土館(旧県庁舎)(1916年始動)と、立教大学モリス館(1919年始動)のみ。安芸の野良時計がつい最近まで稼働していたのですが、保守作業に携わっていたご子孫が亡くなったので今は動いていないという注がありました。ん? ということは、現役機械式時計台をすべて制覇したわけだ、やりい! So whatと言われたらSo it goes onとしか答えられませんが。

 さてそれではなぜ農学校において、わざわざこうした演武場を建てて兵式訓練をしたのか? これについては「建築探偵 東奔西走」(藤森照信 朝日新聞社)の中に興味深い指摘がありましたので紹介します。南北戦争(1861-65)の後、農業生産の立て直しを図るために、「北軍」政府のお声がかりで創設されたマサチューセッツ州の農科大学は、農村を支持基盤とした南軍の抵抗に懲りたこともあり、兵・農一致の教育をめざしました。卒業生は、アメリカ各地に散って開拓の指導にあたると同時に、ひとたび事ある時には政府の指揮下で鍬を銃に持ちかえる手はずになっていました。そのための軍事教練の中心施設として大学にはドリル・ホールと呼ばれる体育館が設けられたのですが、その創立者がクラーク博士。彼が明治政府の招きにより北海道にやってきて、わずか九カ月の滞在中に作り上げたのが札幌農学校です。よってとりあえずマサチューセッツのやり方をそのまま札幌に移植してあわただしく帰国したそうです。設計を担当したのは彼が連れてきたホイーラーという技師で、アメリカの開拓者たちが作り上げた独自の建築スタイル"アーリー・アメリカン"のプロ中のプロ。よってこの時計台も、傾斜の強い屋根、ちょっこり乗る塔、白いペンキ塗りの下見板の壁という典型的なアーリー・アメリカンとなったそうです。なるほどねえ、でも屯田兵の育成にも資させたいという明治政府の思惑は影響していなかったのでしょうか。博雅の士の教えを乞う。余談ですが、一階で授業をしている時、二階で軍事教練をやっていて、うるさくてしょうがなかったそうです。

 本日の一枚です。
by sabasaba13 | 2012-02-03 06:18 | 北海道 | Trackback | Comments(0)
札幌・定山渓編(9):モエレ沼公園(10.10)
 この時期は閑散としているモエレビーチの脇を走り抜け、高さ30mのプレイマウンテンへ。青い空と白い雲、緑の芝生とおおらかで優しい山の稜線、頂上へと続くゆるやかに曲った一本道、まるで絵のような光景です。

 自転車から降りててくてくと歩き頂上に到着、公園の全貌、街並みと山並み、そして札幌まで遠望できる素晴らしい眺望を楽しめます。反対側の急斜面には花崗岩が階段状にしつらえてあり、そこに座って読書をする人、昼寝をする人、愛を囁き合うカップルなど、思い思いに晩秋のよく晴れた一日を楽しんでおられました。もう一方の緩斜面では、段ボールに乗って滑り下りる子供たち、グラススキーに興じる若者など、アクティブな楽しみ方ができます。プレイマウンテン…遊び山…どう遊び楽しむかは個人で工夫してほしい、それを考えるのも喜びなのだというイサム・ノグチのメッセージが伝わってきます。♪Fun is the one thing that money can't buy♪

 そしてテトラマウンドという巨大な造形、ミュージックシェルという野外ステージを拝見していると、そろそろ札幌に戻らねばならない時間です。自転車を返却してやってきた路線バスに乗り込み、モエレ沼公園に別れを告げました。今度は春、桜の咲く頃、冬、雪の降り積もる頃、また来たいと思います。


 本日の四枚です。



by sabasaba13 | 2012-02-02 06:18 | 北海道 | Trackback | Comments(0)
札幌・定山渓編(8):モエレ沼公園(10.10)
 まずは「海の噴水」を見にいきましょう。幸いなるかな本日は運転最終日、これからはじまる冬季には見ることができません。ほんとうは40分のフルプログラムを山ノ神に見せてあげたかったのですが、時間の関係で15分のショートプログラムしか見られません。それでもイサム・ノグチが追い求めた「水の彫刻」を満喫することができました。高さ25mまで噴き上げるビッグワン、まるで毛皮のネックレスのようなフォッグ、アーチ噴射と、水による造形の妙に見惚れているとあっという間に時間は過ぎていきました。

 そして公園の中心施設で、ギャラリー、多目的スペース、レストラン、ショップなどがある総ガラス張りのモダンな建物「ガラスのピラミッド HIDAMARI」へ。ここの屋上からは、公園のほぼ全貌を眺望することができます。また彼について紹介するイサム・ノグチギャラリーや、「あかり」を展示しているコーナーもありました。なおこちらには次世代エネルギーの一つである雪氷熱を利用しているそうです。貯雪庫を内包し、6~9月の間、ガラス張りのアトリウム部分の冷房に役立てているとのこと。(「DAYS JAPAN」Vol.8 No.2)

 再び自転車にまたがり、「サクラの森」へ。ここは園路で結ばれた7ヵ所の遊具エリアを含む緑豊かなゾーンです。遊具は全てイサム・ノグチのデザインによるものであり、見ていて美しく、遊んでいて楽しく、"不思議な感情を喚起する、形態と機能への入門書"という彼の言葉が具現化されているようです。歓声をあげて駆け回り遊び回る子供たち、そしていつ来てもそうなのですが、この遊具で遊ぶ大人たちの姿をよく見かけます。わかるわかる、こんなにきれいで素敵でユニークな遊具を見せられたら、じっとしていられません。私も山ノ神も全遊具を制覇しました。プレイステーションといういかがわしい遊具で子供たちを食い物にする方々と、こんな素敵な遊具を無料で提供してくれるイサム・ノグチと札幌市、その志の違いには愕然としてしまいます。「それが人間のすることか!」と叫びたい気持ちですが、「それが人間のすることだ」と言い返されそうですね。森の中に点在する七つのゾーンをすべて経巡りましたが、これもイサム・ノグチの「子供たちはひとしきり遊ぶと飽きる、しかし、森の中に違う遊具が見えて、またそれに向かって走り出す」という考えが反映されているそうです。

 そうそう肝心の紅葉ですが、期待したほどではありませんでした。きれいに色づいた蔦がありましたが、猛暑の影響で今年は遅いのかなあ。おっ、見上げると、紺碧の空を切って、白鳥の群れがU字型に並んで優雅に飛んでいきました。


 本日の五枚です。




by sabasaba13 | 2012-02-01 06:18 | 北海道 | Trackback | Comments(0)
札幌・定山渓編(7):モエレ沼公園へ(10.10)
 そしてホテルに戻り朝食です。学生食堂のようなトレイはちょいとしょぼかったですが、豊富なメニューと落ち着いた雰囲気には満足。身も心も癒してくれたマッサージチェアにお別れを言い、チェックアウトをして、さあモエレ沼公園へと向かいましょう。

 札幌駅から地下鉄東豊線に乗りますが、こちらの地下鉄は車内が広々として気持ちいいですね、都営地下鉄12号線とは雲泥の差です。なお我が家では、石原強制収容所所長が勝手に命名した「大江戸線」という名称は使いません。

 環状通東駅で降りて荷物をコインロッカーに入れ、バスに乗り換えます。車窓から、玄関をガラスで覆った住宅や、雪下ろしのために設置されている梯子を見ていると、あらためて酷寒の地であることが実感できます。

 二十分ほどすると家々の向こうにモエレ山の稜線が見えてきました。そしてモエレ沼公園に到着、私は2004年2005年に訪れたことがありますが、山ノ神ははじめてです。今回は、自転車を借りて散策することにしました。それではこの素晴らしき公園について、ウィキペディアから引用して紹介しましょう。
 半円状のモエレ沼の内側を中心に、沼の岸も含む。1988年に着工し、2005年7月1日に完成、オープンした。モエレ沼公園の整備は、札幌市の市街地の周囲を緑化しようという「緑化環状グリーンベルト構想」で始まった。1979年からゴミの搬入・埋め立てが始まり、公園の基盤整備は1982年から始まった。ゴミの埋め立てが終了したのは1990年である。
 公園の基本設計は、日系米国人の彫刻家イサム・ノグチ、監修はイサム・ノグチ財団ショージ・サダオ(貞尾昭二)、はアーキテクトファイブによる(ママ)。設計監理統括者は川村純一。彼は若い頃から彫刻作品を作る一方で「大地を彫刻する」公園計画などに興味を持ち、1930年代以来「プレイマウンテン」など様々な模型を製作し、コンペにも参加していたがなかなか果たせなかった。しかし札幌市が市街地の周りを公園や緑地など8つの緑地帯で包み込もうとする計画を建て、市長への推薦からノグチへオファーが舞い込んだ。
 1988年3月に札幌を初めて訪れたノグチは、ゴミ埋立地だったモエレ沼のために公園を設計した。この計画の中には、彼の数十年来の構想であったプレイマウンテンも含まれていた。彼はそれが形になるのを見ずに同年末に死去したが、その後も基本設計に基づき工事は進められた。当初、全施設の完成予定は2004年とされていたが、それ以前から完成済みの設備から順次利用に供用されている。2005年には最後に残された中央噴水「海の噴水」の工事が完成し、同年7月1日にグランドオープンを迎えた。
 『イサム・ノグチ 宿命の越境者(下)』(ドウス昌代 講談社文庫)を参考に、もうすこし補足します。「ぼくのベストの仕事はまだ実現していない」 ことあるごとにイサムがくり返した言葉です。彼はその仕事を、《地球そのものが彫刻》、《彫刻的風景としての遊園地》、《全体をひとつの彫刻とみなした、宇宙の庭になるような公園》と表現しています。彼の言です。「私にとって遊園地は、ひとつの世界を作りだすことを意味する。いわば理想の国を、縮小した形で建設することなのだ。それは、子供の背丈で、駆け回れる国である」「遊園地を、単純な、不思議な感情を喚起する、形態と機能への入門書として、したがって教育的なものと考えたい。子供の世界は新鮮で明るく澄んだ、はじまりの世界であろう」 子供がなく、また友人の子供にすら関心を示さなかったイサムが、なぜ遊園地づくりにこだわりつづけたのか。「レオニー」の映画評でも触れましたが、父・野口米次郎に見捨てられたイサムと母・レオニー・ギルモアは、彼を求めて異国の地日本にやってきて、母親の女手一つで育てられるという苛酷な少年時代を過ごしたのですね。「幼い子供が楽しむ普通のもろもろのものを、ぼくはあたえられずにきた」 彼が生涯にわたって抱えてきた心の傷を癒すこと、そして子供たちに理想の国をプレゼントすること、それが彼の一番したかった仕事なのですね。完成を見ずに逝去されたとはいえ、その思いがほぼ結実した作品が、ここモエレ沼公園です。

 本日の一枚は、モエレ山です。
by sabasaba13 | 2012-01-31 06:17 | 北海道 | Trackback | Comments(0)