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牛久・土浦編(2):(04.6)

 そしてシャトー・カミヤへ。浅草にある神谷バーをつくった神谷伝兵衛が、1901(明治34)年に建設した日本で始めてのワイン醸造所です。煉瓦づくりと白漆喰、非対称に配置された塔、見応えのある本館です。資料館も併設されており、黴に覆われた漆黒のワインケラーも見学できます。
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 そして土浦へ移動して、まず予科練資料館を見物。現在は自衛隊兵器学校ですが、十五年戦争当時、海軍少年航空兵養成の施設(予科練)が置かれていました。ゲートで氏名・住所を名簿に記入し入場(正直に書いちまっただ!)、当時の兵舎や資料館を見物しました。銅像の碑文に「ただ救国の一念に献身し未曾有の国難に殉じて実に卒業生の八割が散華したのである」と記してあるのを読んで、あきれましたねわたしゃ。まるで戦争を自然災害のごとく捉える知的怠慢と無神経さ。誰が「未曾有の国難」を引き起こしたのか、主語を明記すべきです。これでは犠牲者はうかばれない。そういえば小泉純一郎は有事法制について「備えあれば憂いなし」と言ってましたね。天災に備えても、別に自然は怒りませんが、某国に備えて軍備を強化すれば、相手は警戒して緊張が高まるということが、なぜ分からないのか? こうした貧弱なレトリックに簡単に引っかかるというのは、深刻な学力不足です。子供より大人が心配。ただ一つ救われた光景は、蜘蛛の巣がはった大砲があったことです。A Farewell to Arms !
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 気を取り直して土浦第一高校へ移動。ここには1904(明治37)年につくられたゴシック様式・木造の本館があります。たまたま文化祭にあたり内部を見学できるとの確認をとっていたのですが、残念なことに公開時間は終了。外観をしげしげと眺めましたが、それにしてもよくぞまあこげな校舎をつくったもんだ。とにかくいかにもヨーロッパ、という建物にしたかったのでしょうね。そういえば途中で、大聖堂にくりそつな建物(ラブホテル?レストラン?)を二軒見かけました。土浦にはこういう文化が脈々と受け継がれているようです。でもフィレンツェに金閣寺を模したラブホテルがあったら、さぞ異様でしょうね。
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 さてさて、次は霞ヶ浦遊覧船に乗りましょう。ベンツ製の高速船に乗って、霞ヶ浦を30分ほどかけて周遊しますが、眺望は凡百、エンジン音も騒がしく、旅情にひたる雰囲気ではありません。ちょっとお勧めはできませんね。街の彼方にそびえたつ筑波山は見事でしたけれど。
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 本日の二枚。シャトー・カミヤと土浦第一高校本館です。
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by sabasaba13 | 2005-03-31 06:20 | 関東 | Comments(4)

牛久・土浦編(1):(04.6)

 昨年、山ノ神同伴で牛久・土浦へ行ってきました。「なぜそぎゃん所ね行ったかね?」と出雲弁で呟いたそこのあなた、もっともな疑問です。ま、ご一読ください。さあ天国に一番近い県、茨城へ!
 日暮里から常磐線普通列車に揺られて約40分、牛久駅に到着しました。駅前には、観光案内所も貸自転車屋もレンタカー営業所も交番もなし。風に吹かれて3分ほど茫然自失。態勢を立て直すために喫茶店にはいり、サンドイッチとキッシュを頬張りました。移動手段はタクシー+徒歩か、レンタカーか。かつて雪道で立往生している千葉ナンバーの車を、「とろいわねっ」と捨台詞を残して牛蒡抜きしながら四輪スパイクタイヤで山形蔵王スキー場へと疾走した「鯖街道の黒い風」こと山ノ神は、血がうずいたのでしょう、「くるま」というご託宣をだされました。ポンッ 店の方に営業所を教えてもらい、歩くこと15分、そこで軽自動車を借りて土浦で乗り捨てることにしました。まずは牛久あやめ園へ。三分咲きほどですが、各種の可憐なあやめ・菖蒲・杜若を堪能できました。観光客もほとんどいないし、locationも素晴らしい。微笑むような里山と緑の水田、となりには"大地の笑窪"牛久沼、捕虫網をふりまわしてかけまわる子どもたち…

 そして住井すゑの旧居と抱樸舎を訪問しました。「橋のない川」全七部を通し被差別部落の人間像を描き、一貫して人間平等の思想を貫いた作家です。後半生をここ牛久沼のほとりで暮らし、1997年に永眠。享年95歳。今でも学習会が行なわれている抱樸舎を見学していると、管理されている方がたまたまやってきて書斎も案内してくれました。八畳ほどの日本間に大きな座卓と火鉢、つくりつけの大きな本棚から溢れんばかりの蔵書。卓上には書きかけの原稿と眼鏡と遺影、右手を見るとあけび棚と木立から垣間見える牛久沼、庭には屹立する桜の古木。思索へと誘われるような静謐な雰囲気に包まれます。彼女が自費で制作し来客に配ったという日本国憲法の小冊子が、卓上にありました。そしてすぐ近くにある小川芋銭のアトリエ雲魚亭へ。小川芋銭、牛久沼の畔の風物に取材した独自の幻想的な南画(筆者注:知識人が趣味で描く水墨画)をかき続けた日本画家、とくに河童を題材としたものが有名ですね。芋を買える銭が稼げればいいという謙虚な画号が好きですね。私だったら酒銭か本銭かな。なお幸徳秋水に見出されて「平民新聞」の挿絵を描いていたとは知りませんでした。大逆事件はかれに大きな衝撃を与えたそうです。木造平屋の質素な和風建築で、芋銭の人柄が偲ばれます。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2005-03-30 07:05 | 関東 | Comments(0)

「余白の美 酒井田柿右衛門」

 「余白の美 酒井田柿右衛門」(十四代酒井田柿右衛門 集英社新書0267F)読了。いつ頃からか突然やきものが好きになりました。以前は見向きもしなかったのに… 火という自然の力と人為とがあいまってつくりだす色や造形が、心ときめかせてくれます。旅行に行く時も、近くに窯元があると立ち寄るようにしています。信楽、唐津、萩、伊賀、瀬戸、有田、備前、九谷、やちむんの里… お土産に安い湯飲みを買い集めては、悦に入っています。やはり見るだけではなく、さわって、口縁に口をつけて茶を飲みたい。愛用していた絵唐津の湯飲みを落として割ってしまった時は、本当に悲しかったです。今は萩焼を使っていますが、君の代わりにはなれないなどと呟いています。
 さて十四代柿右衛門が語る、半生記、芸談、窯元の暮らしなどなど、興味深いですね。やきものをつくるということは、オーケストラで交響曲を演奏するようなものだという喩えに得心しました。柿右衛門という存在は、職人たちを協同させる指揮者なのですね。「ロスは多いですよ。しかしロスからしか学べないことがある」「むかしのものは下手ではないけれど、おおらかです。楽しそうに仕事をしていたんじゃないかって想像仕事がします」「腕はあるけれど美意識がない、それが職人の最大の悩みかも分かりませんね」「いろんな人、技術をひとつに集約していく仕事が日本の工藝作家の仕事であったのかなと思います」といった奥行きのある言葉が泉のように溢れています。一番心に残ったのは「このままだと本当に職人がいなくなってしまいますし、そういう職人の技術、腕を活かすシステムも消えてしまうんじゃないでしょうか。いちど消えてしまいますとそういうものはなかなか復活はしません。これはものではなくて関係、目には見えにくい人間と人間の関係なんですから」という言葉です。人間と人間の関係を分断することによって、市場社会は繁栄してきたという気がします。これについては本気で考えていきたいですね。
 注文を一つ。インタビュー形式なので(笑)という註がよくついているのですが、いろいろな笑いがあるのですから、努力してオノマトペとして表現して欲しっかたな。ウフフ、アハッ、ゲヒヒ、カーッカッカッカッとかね。笑い方で、人となりがけっこうわかります。(フヒョッ)
by sabasaba13 | 2005-03-29 20:02 | | Comments(0)

能狂言

 先日ひさびさに能狂言を見てまいりました。渋谷区松涛にある観世能楽堂での興業というのも楽しみ、ここは初めてなので。渋谷駅からブンカムラの方へテクテク歩いて十数分、喧騒が突然消えるとそこは松濤。坂の正面に大きな松の木と、しだれ桜と、咲き誇る梅の古木二本。いいロケーションですね。建物は無個性なコンクリート、いけませんね。一工夫がほしい。梅の香の中を抜けて、堂内に入り脇の前から二列目の席に座りました。こんな至近距離も初体験です、橋掛かりが見えづらいけれど。演目は、狂言「水汲」、仕舞(略式の舞)五曲と、新作能「青丹吉」。俳句誌「ホトトギス」主幹I氏の解説です。まだ続いていたのですね、しかし分かりづらく聞き取りにくく手前味噌ばかりの解説を一時間聞かされたのには、辟易しました。「ホトトギス」も1400号までもたないかな、とちょと不安。そして狂言の始まり始まり、野村万作と野村萬斎の登場です。…何て書いているといかにも「通」みたいに見えますが、とんでもない。能狂言を夢現に見ながら/聞きながらウトウト居眠りをするのが大好きという、ど素人ファンです。でもこれが本当に気持ち良くてやめられない。今回は解説の時間にたっぷり寝たので、ちゃんと起きていました。収穫は二つ。野村万作・萬斎の足捌きを眼前で見られたのですが、凄いですね、感服しました。足は口ほどにモノを言う。もう一つは、大鼓の亀井広忠氏の音。カーンという音が、千変万化のニュアンスとともにこちらの感性を揺さぶります。声もいいし、ファンになってしまった。
 心配なのが、観客に若者が少ないこと。私1960年生まれなのですが、ほとんどの方が年上に見えました。もちろん関係者の方も努力をしていると思いますが、このまま消えてしまうのにはあまりにも惜しい芸能です。あの天国のような睡眠を体験できるだけでも十分存在価値はあるのに。微力ながら助力はするつもりです。なお能狂言を題材にしたマンガ「花よりも花の如く」(成田美名子 白泉社)は面白いですよ、手ごたえ・歯ごたえ十分。このマンガを読んで能楽堂に来る若い人が増えるといいな。なお(株)セクターエイティエイトが作っているホームページに初心者のための能講座があるので、ご参考までに。
●能狂言のホームページ
  http://www.iijnet.or.jp/NOH-KYOGEN/visitor/visitor.html

by sabasaba13 | 2005-03-27 06:28 | 鶏肋 | Comments(0)

大阪編(6):USJ(05.3)

 バスに乗ってUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に到着。ま、簡単に言えばアメリカの映画会社がつくった遊園地なんでしょうね。ゲートの写真を撮っていたら、アメリカ産牛肉のように安全な男に見えたのでしょう、三組のカップルに写真撮影を頼まれました。ふっふっふっ、見かけに騙されちゃいけないぜ。しかし小学生ならいざしらず、高校生や大学生や大人がなぜこんなチンケな遊園地でおおはしゃぎをしているのだろふ? 行き交う人々がみんな何故こんなに楽しそうなのだろふ? 悪口雑言罵詈讒謗はいくらでも飛ばせますが、その理由を本気で本気で考えないといけないと思いました。いまだ結論はでていませんが。かつてベネトンの写真家トスカーニが、原宿で日本の若者200人と話した結果こう語ったそうです。
世界中でこれほど悩みもなく生きているのは彼らだけではないか。そして彼らは社会にも世界にもまったく関心がないし、なにも知らない。私には、彼らが天使に見えてきた。その天使は、これからわれわれが迎えようとしている悲劇を予告する天使のようだった。
この言葉がヒントになるかもしれません。唖然としたのは、N.Y.にあるF.L.ライト設計のグッゲンハイム美術館の巨大な書き割り・張りぼてがあったことです。この無神経・粗雑なあっけらかんとした態度もUSJの特徴ですね。そうそう、今知ったのですが、ライトが設計した山邑邸が芦屋にあったのですね。いやはや勉強不足でした。再訪を期す。
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 そしてスパイダーマンの紙袋を抱えた方々を早足で追い越し、JRに乗って新大阪駅へ。ああ、あわただしい旅でした。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2005-03-26 07:17 | 近畿 | Comments(0)

大阪編(5):大阪市環境事業局舞洲工場(05.3)

 いよいよ最終日です。まずは徒歩で此花大橋を渡り、大阪市環境事業局舞洲工場、早い話がゴミ焼却場を訪問しましょう。この建物はフリーデンシュライヒ・フンデルトヴァッサー(1928~2000)というオーストリアの画家・建築家が設計した物件。カラフルな色彩、奇抜なデザイン、そして微妙にうねる曲線を多用した見事な建築です。以前にウィーンで、やはり彼が設計したシュピッテラウ焼却場や市営住宅を見て感銘を受け、ずっと気にしているアーティストです。
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 1938年、彼が10歳の時、オーストリアはナチスドイツによって併合されてしまいます。ユダヤ人であった母方の親戚は、74人のうち69人までが、強制収容所のガス室に送られて殺されてしまいました。そうしたなか母親は、息子をヒトラーの少年親衛隊に加入させます。それは、ユダヤ系の母親が、息子を守るために取った苦肉の策でした。他人からあてがわれた、直線的な教育や生き方。そこには行動の自由も、思想の自由もない。有るのはまやかしと、悲劇だけ。「直線は胸に抱くな!」 彼はまるで、失われた青春時代を取り戻すかのように、直線を敵視したのですね。衣服も住居も、人間を包む皮膚として考えた彼は、そこに自由がなくてはならず、それ自体が病んではならないと、強く主張していました。そして彼にとって、更にそれらを包む二つの皮膚がありました。第四の皮膚は社会環境。そして第五の皮膚は、地球環境です。社会は人間を拘束してはいけない、そして地球環境を、ないがしろにしてはならない。彼は常にそう訴えたのですね。彼の言葉です。
束縛されるな、追随するな、定規で引いたものには不信を。直線は胸に抱くな、自由であれ、そうすれば何者にも脅かされぬであろう
 直線を嫌う彼はパーキングの枠線や地面さえも微妙にうねらせています。煙突の根元付近はモコモコとあちこちが盛り上がり、まるで木の根道を歩いているよう。塀も道も階段もウネウネウネウネウネ… 眩暈を感じながら浮遊してしてしまいます。色とりどりのタイルで覆われた柱が林立し、森を思わせます。建物のあちこちに樹が植えられ、剃り残した髭のように窓から飛び出ているのもユニークです。
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 少し離れた所に、やはり彼の設計によるスレッジ・センター(汚泥処理場)がありました。
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 一階に展示があり、彼の言葉が記されています。
通常巨大な工業用建物というものは、最も危険な環境汚染である視覚的公害をもたらすものです。何故なら、それは人の魂を滅ぼすものだからです。従って、スラッジセンターにおいては、直線や画一性、非情な冷たさ、無感動で心無き残酷性、審美の欠如、不毛な画一性、不能な創造性などによって生ずる視覚的公害を取り除くためのデザインがなされています。
 この建物を美しいと思うかどうかは意見が分かれるでしょうが、少なくとも私は楽しい! ただ見学が随時できないのは、何として下さい。(10日前までに予約+一日三回+時間指定) たまたま見かけてギョッとしてフラッと入りたくなる人もいると思いますよ。氏もそれを望んでいるのではないかな。ま、ともかくこうした税金の使い方は、いくつかの留保をつけた上で基本的に賛成です。大阪市の見識と英断には敬意を表します。至福と恍惚の時間を過ごし、上松食堂で焼きうどんを食し、いざUSJへ。なお、大阪にはフンデルトヴァッサーが内装をデザインした「キッズプラザ大阪」という施設もあるとのこと。ここもいつか行って見たいな。
●キッズプラザ大阪  http://www.kidsplaza.or.jp/

 本日の一枚は、大阪環境事業局舞洲工場の全景です。
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by sabasaba13 | 2005-03-25 06:23 | 近畿 | Comments(0)

兵庫編(4):姫路城~有馬温泉(05.3)

 本日はまず姫路城へ。信号機故障のために新快速が遅れて難儀しました。これで二度目ですが、華麗なその立ち姿にはあらためて感服つかまつります。ところで、防御に優れているのは白い城と黒い城か? 何となく黒い城の方が逞しく見えますが、実は白い城。白漆喰で塗り固めているので火に強いのですね。島津家に対する家康の警戒と恐怖を肌で感じます。そして未踏の湯、有馬温泉へ。三宮に戻り阪急で六甲駅まで行き、バスに乗って六甲ケーブル山麓駅へ。ケーブルカーに乗り山上駅へ。この駅はアール・デコ調のなかなか洒落た物件です。そしてすぐそばにある天覧台からの眺めは絶景ですね、神戸の町が一望できます。日本三大夜景の一つはここから見るのでしょう。左手には大阪、そして紀伊半島、右手には淡路島、ううむ地図のとおりだ…
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 しばし堪能・悶絶してさあロープウェーに乗、乗、乗、なんと運転休止中! 仕方なく20分ほど待ってシャトルバスでロープウェー六甲山頂駅へ。眼下に有馬温泉を睥睨しながら、10分ほどで有馬温泉に到着しました。なかなかいいところですね。山間に開けた温泉場で、情緒のある坂道や古い建物も味わい深いし、ほどほどに活気もあります。さて金の湯か銀の湯に入ろうかなと、ふと時計を見るとタイム・アップ。野暮用の為、大阪に向かわなければ。やれやれ。後ろ髪を引かれながら、神戸電鉄に乗り三宮へ戻りました。関西では、エレベーターは右側に並ぶのですね。どのあたりに境界線があるのでしょう、やはり中央構造線かな。JRに乗り換えて大阪駅へ、そして環状線で西九条まで行き、ゆめ咲線(!)に乗り換えてユニバーサル・シティ駅に到着。この電車がまた顔から火がでるような恥ずかしい幼稚な一物。約束の時間に間に合いました。降りた瞬間に気が滅入りましたね。けばけばしくて薄っぺらくて人工的で陳腐で空虚で安っぽくて無秩序で貧相で鬱陶しくて虚飾に溢れて目障りな街並みとディスプレイ。やれやれ。今夜はユニバーサル・スタジオ・ジャパンの前にあるホテルに宿泊です。うなされそう…
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 本日の二枚は以前に撮影した幼稚な物件。高松で見かけたアンパンマン列車と、ムーミンをキャラクターに使った某大学(!)のポスターです。山ノ神の知合いのアメリカ人は、ディズニーのキャラクターを使った預金通帳を見せて、「アメリカだったら、こんな銀行には誰も預金しないわね」と言ったそうです。むべなるかな。
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by sabasaba13 | 2005-03-24 06:32 | 近畿 | Comments(0)

兵庫編(3):兵庫県立美術館(05.3)

c0051620_21235728.jpg そして神戸です。お目当ては兵庫県立美術館で開催されている「ドレスデン国立美術館展」です。阪神岩屋駅から歩いて数分で到着。ザクセン公国の粒よりコレクションを満喫できました。有田焼とマイセン焼の比較展示は興味深かったですね、磁器をつくるために当時の最先端科学技術を駆使していたことがわかりました。巨大な集光器で有田の磁器を熔かし、成分を分析していたんだ。有田磁器を模したマイセン磁器が並べて展示してあって、磁器(東洋文化)への痛烈な憧れと執念をまざまざと実感できました。オスマン・トルコへの憧れを展示してあるコーナーも興味深いですね。こうした「オリエント」への憧れがヨーロッパの「発展」の原動力なのだなあと、あらためて納得しました。目玉はフェルメールの『窓辺で手紙を読む若い女』。まるで異空間のような静謐な時間がただただ流れていきました。ほわあ… 世界中に散らばっているフェルメールの作品を、いつの日にかこの眼ですべて見てみたい。ドイツ・ロマン主義の巨匠、カスパー・ダーヴィット・フリードリヒの作品もいいですね。そして常設展示では、小磯良平の『斉唱』が圧巻。彼は従軍画家として戦争に協力したのですが、やはり平和を祈っていたのでしょうね。やるせなく切ない想いが伝わってきます。一人顔を上げている少女の表情が忘れられません。そして阿部合成の『見送る人々』。制作は1937(昭和12)年、日中全面戦争が始まった年です。初めて知った画家と絵なのですが、これほどまでに戦争の狂気と愚劣さを表現した絵も珍しいですね、圧倒されました。狂ったように打ち振られる「日の丸」… そして三宮に戻り、ポートライナーで中埠頭駅に行き、ホテルに到着。

 本日の一枚はフェルメールです。
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by sabasaba13 | 2005-03-23 06:26 | 近畿 | Comments(0)

広島編(2):宮島(05.3)

 そして路面電車で宮島口へ行き、フェリーに乗って宮島へと渡航。宿に着いて夕食をとった後は、厳島神社のライトアップを見に行ってみました。漆黒の闇の中、四脚造りの紅い大鳥居が海面にそそり立つ姿はそれはそれは幻想的。ええもん見せてもろた。土産屋で「闘魂」と書いてあるしゃもじを二つ購入。
 翌日はフェリー乗場でレンタサイクルを借りて、杉の浦や包ヶ浦を散策し、厳島神社へ。昨年の9月7日、台風18号の暴風と高潮のために大きな被害を受け、まだ傷跡が生々しく残っています。五重塔は全体を足場で覆われて修復中、殿社の桧皮葺もかなりダメージを受けていました。千畳閣を見物し、名物のプリップリッした焼きがきを二つたいらげました。宿の方にかきとグリコーゲンと江崎さんの話を教えてもらったのを思い出し、江崎グリコのHPを開いてみたら、こういうことでした。
1919(大正8)年の春、薬種業を営んでいた江崎利一は、郷里・佐賀県の有明海沿いの堤防で、漁師たちが牡蠣の煮汁を捨てているのを目にしました。その時ひらめいたのが、薬業新聞で見た「牡蠣にはエネルギー代謝に大切なグリコーゲンが多く含まれている」という記事。利一は「煮汁にグリコーゲンが入っているのでは?」と考え、九州大学に分析を依頼、その結果、多量のグリコーゲンとともにカルシウムや銅分が含まれていることがわかりました。そんな矢先、長男が病にかかりました。病状は峠を越したものの、医者もさじを投げるほど衰弱していました。そこで利一は、はしの先にグリコーゲンのエキスをつけ、長男の口に少しずつ運びました。やがて長男は元気を取り戻したのです。
 こうした劇的な出合いから、グリコーゲンの活用を広めたい!という利一の思いが強くなり、まず薬への利用を考えます。しかし九州大学の先生から「治療よりも、病気にならない体をつくる予防が大切だ」とアドバイスされます。なるほど治療よりも予防が第一、それなら健康づくりのために活用しようと決意したのでした。
 なるほど、ドラマだなあ。グリコキャラメルの成分表にはちゃんと「かきエキス」と表記されているそうです。こんど確認してみよう。
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 そうそう、町屋通りに「誓真釣井」という井戸があり、その解説によると、江戸時代後期に誓真という坊さんが宮島にやってきてさまざまな公益事業に尽力したそうです。井戸を掘ったり、石段を築いたり… その一環として、島民に生業を与えるために弁才天の琵琶の形から着想を得た飯杓子をつくらせたそうです。これが宮島名物しゃもじの起源とのこと。いやあなかなか風情のある街並みでした。野良シカもウロウロしているし。自転車を返却してフェリーに乗り、JRで広島駅へ。さあ神戸へ向かいましょう。

 本日の一枚は大鳥居のライトアップです。
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by sabasaba13 | 2005-03-22 06:16 | 山陽 | Comments(0)

広島編(1):平和記念公園(05.3)

 先日広島~神戸~大阪の旅行に行ってまいりました。のぞみに乗り込み、まずは広島へ。車窓からクリアに見える富嶽が前途を祝福しているかのようでした。が、しかし、到着すると小雪が舞い散る寒さ。まずは平和記念公園へ。資料館を見学した後、公園を散策しました。まずは原爆慰霊碑、原爆ドームへ。
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 原爆ドーム(旧産業奨励館)は、チェコ人建築家のヤン・レツルの設計です。日本と関係の深いチェコ人建築家は他にも、聖路加国際病院の設計に関わったフォイエルシュタイン、軽井沢セントポール教会を設計したアントニン・レーモンドなどがいます。ジャポニズムの影響で日本文化に憧れていたのですね。そうそう浮世絵に魅せられたミュシャもチェコ人です。そういえば世界的なミュシャのコレクターであるテニス選手のイワン・レンドルもチェコ人です。ああ彼の下手なボレーが懐かしい。ちなみにフォイエルシュタインは、カレル・チャペックの劇「R.U.R」(ロボットの語源はこの劇)の舞台装置も手がけました。レーモンドは、第二次大戦中、アメリカ軍部に協力して日本の木造都市への無差別爆撃の方法を指導したとのこと。彼はユダヤ人です。ホロコーストにより縁者が消息不明になっていたので、ナチス・ドイツと同盟を組む日本を叩くことに手を貸したのかもしれません。なおこの焼夷弾による無差別爆撃をバックアップし莫大な利益を得たのがスタンダード石油(現エクソンモービル)だということも忘れないようにしましょう。そして峠三吉や原民喜の碑、韓国人慰霊碑、全日本損害保険労働組合(全損保)被爆20周年記念碑を見学。最後の碑は
なぜ/あの日は/あった/なぜいまもつづく/
忘れまい/あのにくしみを/この誓いを
 という碑文で、唯一原爆投下の理由とその犯罪性を告発したものです。なぜアメリカ政府は原爆を投下したのか? アメリカの軍事力で日本を降伏させたという印象をつくり戦後の日本を勢力範囲に入れること、ソ連に核兵器の威力を見せつけること、莫大な予算を使ったことに対する議会へのexcuse 、人体実験、世界のウラン鉱山を支配している大財閥ロックフェラー(スタンダード石油も支配)とモルガンからの圧力、といった理由でしょうか。そして資料館のすぐそばにある、イサム・ノグチ設計の平和大橋・西平和大橋を拝見。日の出と日の入りをデザインしたものだそうです。なお公園の中心となる原爆慰霊碑のデザインも彼に依託されましたが、アメリカ人の血が混じっているという理由で猛反対にあい、実現しなかったとのこと。嗚呼、何て尻の穴が狭い! *
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 本日の一枚は、原爆ドームと薄日。今現在でも、核兵器を手軽・気軽に使おうとする国があるかと思うと、心の底から暗澹としてしまいます。カート・ヴォネガットの小節にこんな一節がありました。
われわれは自分たちを
救えたかもしれないが
呪わしいほどなまけものであったため
その努力をしなかった
それにわれわれは
呪わしいほど下劣であった
                   人類

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by sabasaba13 | 2005-03-21 07:51 | 山陽 | Comments(0)