<   2005年 05月 ( 32 )   > この月の画像一覧

沖縄編(8):本島(03.8)

 摩文仁から高速道路で一気に北上し、「安保の見える丘」へ。沖縄の人々から広大な土地を奪って米軍が建設した嘉手納基地を一望できる小高い丘のことです。今回はそのそばにできた「道の駅」から嘉手納基地を眺めました。出発を待つ飢えた狼のような軍用機と壁を一つ隔て、その影に苦しめられながら平和な暮らしを希求する人々の住む家々。議員・官僚の方々は、一週間でいいからぜひここに住んで凄まじい戦闘機の轟音とともに暮らしてみてはいかが。
c0051620_1151341.jpg

 そして一路西へ、読谷村へ向かいます。この村について少し話がしたいのです。読谷村の人口は約3万8千人(04.4)、沖縄県の条例では人口が8千人を超えると町に「昇格」する資格ができるのですが、読谷村は町になろうとしません。前村長の山内徳信氏は「個々の住民と最も近い関係にある『村』という行政単位こそが地方自治の原点だ」と語っています。この志をずっと掲げ続けているのですね。町村合併とは真っ向から対立する発想です。そして山内前村長は、米軍基地返還のためにしたたかに粘り強く戦った方です。彼は村の中央に居座る読谷補助飛行場の返還を米軍に求めるために、日米地位協定にある「軍民共同使用」という方法を選択します。「米軍が使用していない時は、住民がそこを利用できる」ということですが、山内前村長は建物を建ててはならないという項目がないことに着目しました。そこで飛行場敷地内(!)に「平和の森球場」とポールや夜間照明用の鉄塔を次々に建設し、米軍のパラシュート訓練がやりづらい環境をつくってしまいます。さらには村役場新庁舎まで飛行場内につくります。また福祉施設など人の集まる公共施設を、あえて飛行場の敷地すれすれの所につくり、米軍と日本政府に基地の危険性を日常的に意識させ続けたのです。現在、読谷村の米軍基地は真綿で首をしめられるようにじょじょに縮小されているとのことです。
 というわけでこれは行かなくては。なるほど米軍の影も形も見えない広大滑走路の脇に、球場と村役場が誇らしげにたっていました。門柱には「平和の郷」「自治の郷」と刻まれています。以下、山内徳信氏の言葉です。
 魯迅の小説のなかに「喰われる者は喰う」という言葉がある。村長である私が米軍や日本政府や安保に喰われてしまったら、私は職員や村民を喰うしかない。絶対にそうあってはならない。私の信念です。
 全国の自治体の首長室に額に入れて飾って、毎日百回読誦して欲しい言葉ですね。特に、職員を喰いものにしてはならないという部分に、氏の識見を強く感じます。
c0051620_11511953.jpg


 本日の一枚は嘉手納基地です。
c0051620_11514381.jpg

by sabasaba13 | 2005-05-31 06:11 | 沖縄 | Comments(0)

ジャン・ワンの無伴奏チェロ組曲

c0051620_20185033.jpg 先日、銀座の王子ホール(王子製紙ビル内にある小ホール)で、上海出身のチェリスト、ジャン・ワンの二夜連続J.S.バッハ作曲無伴奏チェロ組曲演奏会を聴いてきました。第一夜は、第1・4・5番。使用楽器がA&H.アマティ(1622)から、マッテオ・ゴフリラー(1736)に変更になったという掲示がありました。。係の方に訊ねたところ、来日直前に不調となり、急遽借用したとのことでした。ん? ゴフリラー? もしやパブロ・カザルスが使ったものでは。先ほど調べましたが、彼の楽器は1733年製なので、違うものでした。
 きっとバッハの頭の中ではこう響いていたろうなと思わせるな、安心してすっと音楽に入っていけるオーソドックスな演奏でした。こういう大言壮語しない素直で落ち着いたバッハも良いですね。ただ慣れない楽器のためか、低弦の発音が時々上手くいかず、音がかすれるケースがあったのは残念。弦を押さえる左手の人差指で、少し絃をはじいてから弾きはじめるなど苦労していたようです。第5番プレリュード冒頭の大事なCの重音がかすれた時には、聴いていて冷や汗が出ました。第二夜は、第2・6・3番。調整の成果か、気になるような瑕疵もなく、集中して音楽に没入できました。ダイナミクスや表情の変化も昨晩より大きくなったような気がします。実は私、この曲を弾きたいがためにチェロを練習しているのですが、肘と柔軟な手首を巧みにコーディネイトさせる技術は大変参考になりました。滑らかな移弦にはいつも苦労しているので、この練習が必要だと痛感。精進精進。「下手くその上級者への道のりは己が下手さを知りて一歩め」(安西監督)ですね。演奏が終わると、最前列に座っていた外国の方が、幸せそうな様子でスタンディング・オベーションをしていた姿が心に残ります。なお7月3日にNHKで、この演奏会が放映されるそうです。お楽しみに。それにしても、番組に圧力をかけた政治家と、それに屈して番組を改編した問題はどうなっているのでしょう。絶対に忘れてはいけない/許してはいけないことだと思います。その政治家の一人が、次の首相も靖国神社参拝をするべきと言っているようですね。この番組に対しても「中国人の演奏は放映するな!」とまた圧力をかけるのかな。やれやれ。
 ジャン・ワンは誰かに似ているとずっと考えていたのですが、やっと思いつきました。マイケル・チャン(テニス・プレーヤー)の試合の時に、必ず付き添って意志の強そうな表情で観戦していた、兄でありコーチでもあるカール・チャンに似ていました。不屈の闘志を知性と冷静さで包むこの兄弟が大好きなのですが、今はどうしているのだろう。

 蛇足。王子ホールはすむかいのビルに「日本吹矢協会」がありました。たぶんスポーツとしての吹き矢が存在するのでしょうね。
by sabasaba13 | 2005-05-30 07:58 | 音楽 | Comments(0)

「就職がこわい」

 「就職がこわい」(香山リカ 講談社)読了。「いいわけえもんが、言い訳していいわけ」などと口走ってしまう歳になりました。「最近の若者」が就職できない/したがらない、ということはうすうす知っていたので、この本で実情を知りたいなと読んでみたわけです。いや、驚きました。
 文部科学省の調査では、2003年度の大学卒業生の就職率は55.0%だそうです。わが目を疑いましたね。大学院や専門学校への進学は含まれていないのですが、いやはやそれにしても凄い数字です。そして2003年の国民生活白書によると、フリーターの数は417万人(2001年)! もちろん、新卒を採用しないという企業側の態度や、その背景にある長期不況ということもあります。しかし、それと同じくらい、いやそれ以上に、若者が自らの意思で就職しないのだ、というのが著者の主張です。
 精神科医である彼女は、現在大学教授の任を勤めながら就職委員として苦労されているとのことなので、その分析にはリアリティがあります。詳細については本書を読んで、愕然としていただきたいと思います。何かとんでもない心理的な重しが、彼ら/彼女らを就職や就職活動から遠ざけているのですね。底なしの不安感、面接における“被害者意識”、体力や気力の極端な低下あるいは枯渇、とてつもない自信のなさ、未来の自分を今の自分の延長として考えられないという一種の解離性障害、職業選択に完璧な理想を求める純粋さ、「自分にしかできないことがきっとあるはず」と、いつ来るともしれない指名を何もしないで待ち続ける自己愛、こうしたものが今の若者を蝕む心理的重しとなり、就職から彼らを遠ざけているというのが、著者の主張です。他にも、パラサイトやジェンダーに関する興味深い指摘も多々あり、あっという間に読み終えてしまいました。要するに、経済が好転しても、就職しようとする若者のパーセンテージはそれほど増えないのでないか、ということですね。
 眼前にゴルディアスの結び目をつきつけられたような気がします。もうこうなったら、「ぐだぐだ言ってねえで、親元を離れてさっさと働け、このたわけもん!」と叫んで一刀両断するしかないのでは… これは是非、若者からの反論や批判も聞いてみたいですね。

 なお若者が安易にナショナリズムに走る傾向があることを、非常に心配しています。著者は「〈私〉の愛国心」(ちくま新書485)という本も書いており、そのことに関しても分析をしていますが、今回の著作では次のように述べています。
 何も考えられず、自分が何をしたいのかもよくわからないので、アイデンティティの一部であることがあらかじめわかっている「日本人」「日本文化」にすがろうとしているわけだ。「日本人として生きる」といった強い決意を秘めての選択などでは、もちろんない。たとえて言うなら、使えるコネのなかでも最も見端(みば)が良いのがこれだった、という感じだ。
 これは鋭い指摘だと思いました。胸のつかえと腹のもたれと頭痛と眼鏡の曇りが、すっと消えたようです。最も深刻な事態は「思考停止」ということなのかもしれない。もちろんわれわれ、いい年こいた大人を含めてのことですが。少なくとも「感動した!」と連呼する首相を、「他の人より良さそう」という理由で支持する方が多いという状況は、相当深刻だと思います。
by sabasaba13 | 2005-05-29 08:17 | | Comments(0)

沖縄編(7):本島(03.8)

 今日もタクシー貸切。まず南風原(はえばる)文化センターで沖縄戦の展示を見学し、南風原にあった陸軍の病院壕を訪問。「ひめゆり学徒隊」が動員された病院で、30余の壕の中に設置されました。1945年5月22日、第32軍司令部の摩文仁への撤退にともないこの病院も南部へと移動します。その際に重症患者に青酸カリを配り自決を強要したケースも多々あったとのことです。しばし合掌。まるで自然災害で亡くなった方を悼むようなそっけない碑(佐藤栄作書)が気になりましたが。
c0051620_9334946.jpg

 さてわれわれも南部へと移動しましょう。途中の展望台で、エメラルドグリーンやコバルトブルーなどといった言葉が陳腐に思えるような知念の海の色を鑑賞。まず沖縄最高の聖地・斎場御嶽(セイーファーウタキ)を拝見いたしました。斎場御嶽は琉球王国最高の御嶽で、国家的儀式が執り行われた沖縄で一番重要とされた霊地です。首里王家の女性・聞得大君(きこえおおきみ)を最高の神官とする神女(ノロ)組織が維持し祈祷を捧げてきた場所で、昔は男子禁制であり、国王といえども入口から奥には立ち入れなかったとのこと。点在する巨岩・奇岩と鬱蒼とした樹林、聖なる地を体感できます。拝所では、ノロらしき女性と一組の夫婦が一心不乱に何かを祈っていました。今も息づく信仰なのですね。ここのシンボルである三庫裏(さんぐーい)という、二つの巨大な岩の縦長直角三角形の洞門をくぐると、アマミキヨが国造りを始めた地と言われる神の島、久高島をはっきりと臨むことができます。ここから久高島を遥拝するわけです。
c0051620_9341380.jpg

 そして平和祈念資料館・平和の礎・魂魄の塔・韓国人慰霊塔を訪問。運転手さん御用達の旧家を利用したそば屋「真壁ちなー」で昼食。
c0051620_9412567.jpg


 本日の二枚は知念の海と斎場御嶽です。この海の色といったら…
c0051620_9413624.jpg

c0051620_941509.jpg

by sabasaba13 | 2005-05-28 06:17 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(6):本島(03.8)

 美ら海水族館のちょっと北にある備瀬という集落の大アカギ防風林は見事。しばし濃密な緑のカーテンの間をさまよいました。
c0051620_918271.jpg

 そして今帰仁(なきじん)城へ。三山時代の13世紀に北山王の難攻不落の山城としてつくられたとのことですが、築城者は不明だそうです。いきなり鳥居があったのには驚愕。どうやら昭和初期に皇国思想宣揚のために北山神社が建設される予定だったそうです。(実現せず) 民間信仰を貪欲に取り込んでいった国家神道のあり方を髣髴とさせてくれますね。「昭和に建設されたグスク本来の姿とは関係のないもので、撤去を予定しております」という看板があり、ウチナンチュの矜持を感じました。教訓を後世に伝えれ歴史遺物として保存して欲しいような気もしますが、やはり現地の方の想いが優先かな。このグスクは総延長約1.5kmにおよぶ優美な曲線を持った城壁が特徴です。決壊箇所が多いのと、眺望があまりよくないのが難点ですが。広大な城跡を、潮風を浴びながらしばし散策。
c0051620_9184529.jpg

  そして運転手さんに無理をいって、普天間基地の代替基地建設が予定されている辺野古に連れて行ってもらいました。おいおい、キャンプ・シュワブの眼前に広がるこの美しい海や環礁をぶちこわすのか。基地反対の団結小屋は夏期休業中の様子。
c0051620_919418.jpg

 そして一路那覇へと向かう途中、幸地さんが金武(きゃん:キャンプ・ハンセンの所在地)にある美味しいタコス屋に案内してくれました。ちなみにタコスの具をご飯にのせたものが“タコライス”です。彼の話によると、最近ヒスパニック系の米兵が増えているので、こうした食べ物が普及したとのことです。ハタ(膝を打った音) ガッテンガッテンガッテン(合点した音) 今、アメリカ軍は徴兵制ではなく志願制なのですが、志願した兵士に対して公民権や年金や教育面での優遇措置などを与えています。そのためこうした恩恵を得るために、貧しく差別されている黒人・ヒスパニック系・違法入国者たちが志願しているのですね。運転手さんの話では、彼らは給料をほとんど仕送りにまわし、基地内にとじこもって節約し、週末に安い飲み屋で羽目をはずしているそうです。米兵による犯罪増加の一因だと思います。それと関係しているのか、キャンプ・ハンセンのゲート近くにある飲み屋にこんな張り紙がありました。そんなに危険なのか!
c0051620_919256.jpg


 本日の一枚は辺野古です。この美ら海を破壊して米軍・アメリカ政府・日本政府は軍事基地をつくろうとしているのだと、怒りに燃える二つの影法師。
c0051620_9194382.jpg


 追記 辺野古をめぐる情勢が緊迫してきました。沖縄タイムズの記事です。
 http://www.okinawatimes.co.jp/day/200505231300_03.html
by sabasaba13 | 2005-05-27 06:11 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(5):本島(03.8)

 というわけで、中城(なかぐすく)城は15世紀の第一次尚氏王朝の時代につくられたグスクです。まだ首里王府の権力が確立しておらず、勢力の強い勝連城主の阿麻和利(あまわり)を牽制するために、築城の名人護佐丸(座喜味城主)につくらせたとのことです。広大な敷地のほぼ往時の姿をとどめた見事な城ですね。印象的な石造のアーチ門をいくつかくぐりぬけ、城壁の上に立つと太平洋が一望できます。そして何といってもグスクの魅力は、素晴らしい石積み・石組みと、優美になだらかにリズミカルにうねる壁面の曲線です。ヤマトンチュの城郭にはまず見られない文化史的に興味深い特徴ですね。しばし音符になった気持ちで散策。ところどころにある拝所(うがんじゅ)が、久高島に向いているのは要注意。(後述)
c0051620_8312282.jpg
 すぐ近くにある約280年前の富農の屋敷旧中村家住宅も拝見。重厚な赤瓦の屋根、石壁、シーサー、ヒンプン(入口前にある魔除けの壁)など、沖縄の住居建築の特徴を全てそなえています。便所の排泄物はフール(豚小屋)に流れ込み豚の餌となる仕組みです。大陸文化の影響でしょう。
c0051620_8313882.jpg

 そして景勝地・万座毛へ。運転手さんにYナンバーの車は米軍関係者だと教わり、行き交う車のプレートをチェックしました。あの車にぶつけられても、何の補償も得られないと慄きながら。さて万座毛に到着したその時、ずどんというにぶい音が… そしてむこうの山に黒煙… 米軍の実弾演習でした。それにしても住宅地を見下ろせる山頂付近ですよ、危険極まりない。
c0051620_8315746.jpg

 そしてサミットが行われたブセナの「万国津梁館」をひやかして、名護にある運転手さん御用達の「宮里そば」で昼食、沖縄そばに舌鼓をうちました。いよいよ山ノ神最大のお目当て「美(ちゅ)ら海水族館」へ。よっぽどジンベイザメに会いたかったようですね、はしゃぎまわっていました。過去に何かあったのかな。私はケッという感じでつきあいましたが、これが意外といける。巨大な水槽の中で悠々と泳ぐジンベイザメとマンタは、圧巻でした。
c0051620_8321237.jpg


 本日の一枚は、中城城です。曲線美に注目してください。
c0051620_8322458.jpg

by sabasaba13 | 2005-05-26 06:18 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(4):本島(03.8)

 翌日はタクシーを一日借り切って本島北部・中部を徘徊しました。まずは佐喜眞美術館を見学。丸木俊・位里さんの「沖縄戦の図」を委託され、この絵を展示するために佐喜眞道夫さんが建てた個人美術館です。在日米軍と交渉して、奪われた土地の一角を取り戻しつくられたので、普天間基地に食い込むように建っています。沖縄戦の悲惨を描きつくすかのような400×850cmの巨大な絵には圧倒されます。他にもケーテ・コルヴィッツやルオーの作品もありました。ここの屋上からは普天間基地を一望できます。ドーナツのようにまあるい宜野湾市のど真ん中を占める暗黒の空虚のような米軍基地。市街地の中に基地があるという恐るべき現実をまざまざと実感できます。館の前には、佐喜眞家の大きな亀甲墓があります。そして凄まじい騒音をばらまきながら、米軍のヘリコプターが上空を疾駆していきました…
 追記。2005年4月1日、イラクに派遣されたヘリコプター22機が普天間と嘉手納に帰還。ヘリ部隊のイラク派遣から八カ月続いた静かな日々は終わり、街に再び爆音がとどろいたとのことです。その中には04年8月、沖縄国際大学に墜落したCH53D大型輸送ヘリの同型機も含まれています。こうしたニュースをきちっと報道して欲しいですね。
c0051620_8184981.jpg

 そして中城(なかぐすく)城へ。せっかくですので、沖縄の古代・中世史を簡単にまとめてみます。沖縄人のルーツは不明です。おそらく九州・奄美からやってきた人々が沖縄諸島に住みつき、南方から台湾経由でやってきた人々が宮古・八重山諸島に住みついたと考えられます。本土では、約2300年前から稲作が開始されますが(弥生時代)、琉球列島ではその後も漁労と狩猟を主とした採集経済の時代が続きます。12世紀頃になると、沖縄は大きな激動の時代を迎えました。農業の開始、鉄器の使用、そして各地に按司(あじ)と呼ばれる豪族が登場し、グスクという砦をつくって対立を始めたのです。また彼らは海を越えた交易にも力を入れました。14世紀になると按司たちによって北山・中山・南山という大きな3つの勢力圏が生まれます。1368年、モンゴル人の国家である元が滅び、漢族の国家である明が成立しました。明はさっそくアジア各国に使いを送り、服属をうながし、中国を中心としたアジア世界の秩序(冊封関係)を作ろうとしたのです。1372年、この使節が琉球にもやってきました。三山の王は争って明と外交関係を結び、他の勢力を圧倒しようとしたのです。そうした中、中山王を滅ぼし国を乗っ取った尚巴志が勢力を伸ばしました。彼は首府を首里城に移し、北山・南山を次々と滅ぼし、1429年ここに琉球王国が成立しました。これを第1尚氏王朝といいます。しかしこの王朝は、有力な按司たちをおさえられず、1469年に滅亡。そして有力な按司である金丸が王位につき、尚円となのります。これが第2尚氏王朝です。以後14~15世紀にかけて、琉球は繁栄し「黄金時代」を迎えることとなります。
 なぜ琉球王国は繁栄したのか? この当時の中国(明)製品は、アジアの人々にとって非常に魅力的なものでした。(ex.陶磁器・絹織物…) しかし明は倭寇といった海賊に中国が荒らされるのを恐れ、厳しい貿易制限策を行ないます。中国と冊封関係を結んだ国としか貿易を許さず、また中国人が海外へ行って貿易をするのも禁止します[=海禁政策]。よってみんなが欲しがる中国製品を、正式なル-トで大量に手に入れることができる国が東アジア貿易を制覇するチャンスが生まれたのです。それが琉球王国でした。琉球は中国によって最も優遇された国で、その進貢の回数は群を抜いています。[明の時代(1368~1644)に171回!] そして琉球は、大量の中国製品を持ち帰り、それを東南アジア・日本・朝鮮で売りさばき、帰りにその国の特産物を船に満載して、琉球の特産物とともに中国で売りさばき、莫大な富を得たのでした。
 というわけで琉球王国は中継貿易により東アジア貿易を制した貿易立国でした。しかし16世紀に入ると、この繁栄にかげりが出てきます。まず明が弱体化し、中国商人が密貿易を活発に行ない始めたこと、そしてポルトガル・スペインが東アジアに進出し琉球にかわって中継貿易を始めたこと、そして日本商人もこの貿易に積極的に加わったことがその理由です。これにより琉球王国の東アジア貿易における独占的地位は、崩壊することになりました。
c0051620_8191358.jpg


 本日の一枚は、佐喜眞美術館屋上から見た普天間基地です。
c0051620_8201861.jpg

by sabasaba13 | 2005-05-25 06:15 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(3):那覇(03.8)

 儀保駅から沖縄唯一の鉄道「ゆいレール」に乗りました。いやあああ、おじい・おばあでいっぱい。あとで地元の方からきいたら、沖縄各地の町内会がツァーを組んで乗りにきているそうです。そして国際通り・牧志公設市場を散策。後者は、沖縄で大好きな場所のひとつです。ある沖縄の方が、「沖縄に来て是非見て欲しいものは二つ、県立博物館と牧志公設市場。時間がなくて一つだったら牧志公設市場。」と言われておりました。迷宮のように道が入り組み、現代美術のように商品が積み上げられ、南国の食材があふれ、元気な女性が楽しく忙しそうに働く、本当に楽しくて魅力的な場所です。第一市場では、一階の店で買った魚を、二階の食堂で調理して食べさせてくれます。イラブー(海蛇)の燻製も調理してくれるのかな。いつも気になるのですが、棒状ととぐろ状の二種類があるのですね。ある本で読んだのですが、客に求められた品物がないと隣の店の方が「これを売りなさい」と渡してくれるそうです。競争原理ではなくて共同原理が息づいているのですね。敗戦の衝撃で打ちひしがれていた男性を尻目に、女性たちが元気に働きはじめた闇市がその嚆矢だそうです。すぐ近くにある、猫がいっぱいたむろしている希望ヶ丘公園をふらついて、飲み屋で夕食。頭から尻尾の先まで丸ごとかじれるグルクン(沖縄の県魚?)のから揚げを賞味。これは美味でしたね。
c0051620_840477.jpg

 今回は時間がなくて行けませんでしたが、すぐ裏手にある壺屋も趣がある町並みです。焼き物(ヤチムン)が好きな方は、建ち並ぶ壺屋焼の店にはまって抜けられなくなるでしょう。

 本日の一枚は、以前に撮影した壺屋の写真です。
c0051620_8401919.jpg

by sabasaba13 | 2005-05-24 21:01 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(2):那覇(03.8)

 金城町の五百年の風説と戦乱に耐えた見事な石畳には、何時来ても唸ってしまいます。今回は石畳についての解説板を発見しました。
石畳に落ちた雨水は特別に加工された土床により、吸水、浸透、ろ過される。また瓦れき、砂利等を敷くことにより、スーフカと称する用水講(ママ)へ注がれ、任意の村井(ムラガー=共同井戸)へと誘導される。島国で限りある小数の(ママ)可働力のみで、長い年月を費やし、失敗を繰り返し、血のにじむ苦労を重ね、遂に命の水を口にした。辻々の村井はすべて豊富な水で潤った。
 石畳が神々しく見えてきて、踏むをためらってしまいます。
c0051620_8365770.jpg

 すぐ脇に入ると、これも後光を放つような、戦災に焼け残った大アカギの群落があります。とても街中とは思えない森閑とした静謐な空間に林立する大アカギ。拝所があるので、御嶽(後述)として日常の信仰の対象になっているようです。巨木信仰を実感できる異空間です。歩いて儀保駅へ向かう途中で安谷川嶽(アダニガーウタキ)を発見。以下、スーパー・ニッポニカからの引用です。
御嶽(うたき)。奄美諸島と沖縄で、神社に相当する聖地をいう。森あるいはオガミともいう。たいていは樹叢をなし、本殿にあたる神聖な部分をイベ、ウブなどといい、樹木や岩石を祀る。礼拝や祭儀は、その前方の拝殿にあたる場所で行う。
 いろいろな姿の御嶽を拝見するのも、沖縄旅行の楽しみの一つ。植物に神を感じ、畏敬の念をもつというのは、我々が忘れてしまった幾多の感性の中で最も重要なものの一つだと思います。この御嶽は、アーチ門と石畳がある立派なものでした。
c0051620_8371460.jpg


 本日の一枚は、金城町の石畳。どうしてもこのアングルになってしまいます。
c0051620_8373048.jpg

by sabasaba13 | 2005-05-23 06:12 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(1):那覇(03.8)

 二年前に山ノ神同伴で沖縄本島・宮古島・石垣島を彷徨してきました。台風が心配だったのですが、そこは小生の日頃の行いと、山ノ神の愛の力で見事でっくわさずにすみました。必ず最後に愛は勝つ!?
 お昼頃、那覇空港に到着。空港に着陸する際の超低空飛行にはいつもヒヤヒヤします。米軍が管制権を握っているためですね。低空飛行で着陸するのは大変難しい技術がいるときいたことがありますが、米軍が民間機にこうした危険を強いているという事実は銘肝しましょう。ホテルに荷物を置いて短パンに着替え、「かねひで」というとんでもない安売りの地元スーパーでサンピン茶とウコン茶(後者はとてつもなくまずいので要注意!)を仕入れてまずは県立博物館へ行き、沖縄の歴史と文化と自然を勉強しました。ソテツの実がもりもりと実っているところを初めて見ることができました。第一次大戦後の不況で砂糖相場が暴落し、飢えをしのぐために猛毒のソテツを食べ死亡する者も多かったという「ソテツ地獄」という話があります。この実なのか。そして龍潭(首里城付属の池)・弁財堂をめぐって首里城へ。
c0051620_8283433.jpg

 守礼門、第三十二軍司令部本部壕を見物して、歴代琉球王家の墓である玉陵(たまうどぅん)へ。琉球の石造文化には圧倒されますね。そして沖縄戦で殺された一中健児之塔へ。「非戦闘員であるべき学業年端もゆかぬ二百有余の学徒兵は、いまだかたい蕾のまま散華した」という碑文に胸がきしみます。
c0051620_8285021.jpg


 本日の一枚は玉陵です。芸術的な石組みでした。
c0051620_829518.jpg

by sabasaba13 | 2005-05-22 07:35 | 沖縄 | Comments(0)