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「競争社会をこえて」

 「競争社会をこえて ノーコンテストの時代」(アルフィ・コーン 法政大学出版会)読了。「行き過ぎはよくないが、競争は望ましい」というのが、一般的な考えだと思います。これに対してアメリカの評論家、アルフィ・コーン氏が、競争は人間にとって害悪であると容赦のない議論を展開したのが本書です。なお背表紙の書名が「競走社会」と誤植されていますので、注意してください。
 著者は競争を「ある人の成功が他の人の失敗によって成り立つようなシステム」と定義した上で、そのデメリットを様々なデータや例証をあげながら執拗に主張していきます。「他の人々が敗北するのをこの目で見ようという構造的な動機が、人間関係に楔をうちこみ、敵意を生じさせずにはおかない。」「競争的なやり方は、ほとんどいつも二倍の労力を必要とする。なぜなら、自分ひとりで課題に取り組むには、すでに誰か別の人がでくわして、すでに克服してしまったような問題に時間と能力とを費やさなければならないからである。」 そして当然の如く個人に不安やストレスがたまっていきます。こうした状況の中で生き残るには失敗を避けるようにするのが精一杯です。そして責任逃れ、ごまかし、隠蔽といった行為が横行していくのでしょう。
 しかし競争をしないと、人間は努力しなくなるという思い込みを持っている人もいます。著者はこう述べます。「構造的な協力は、相手を助けることが、同時に自分をも助けることになるというように、状況設定を行ってくれる。今ではもう相手と運命をともにしているのである。協力というのは、賢明で、成功する可能性がとても高い戦略であり、実践的な選択である。」「われわれ人間は、楽しんでやるものこそもっともうまくやれるものなのである。」 ううむ、後者の意見には首肯しますね。「楽しんでやらなきゃなにごとも身につきはしません。No profit grows where is no pleasure ta'en.」というシェークスピアの科白を思い出します。(『じゃじゃ馬ならし』)
 そして重要なのは、こうした競争的な状況により利益を得ているのは誰なのかという問題ですね。
 何の規制ももうけない資本主義こそ「本来的なもの」であるといった考え方や、あるものが現在の姿をとっているのはもともともちあわせていた構造に根ざしているからだといった考え方をすることによって、誰が利益をうるのだろうか。それは、あきらかに現状が維持されているおかげで有利な立場にいる人々である。
 同感。われわれがお互いの足をひっぱいあっているのを、安楽椅子に座ってロマネ・コンティを片手にそれを眺めている人々です。もう競争なんて、みんなでやめませんか。いっせーのせっ。
by sabasaba13 | 2005-06-30 06:07 | | Comments(0)

「靖国問題」

 「靖国問題」(高橋哲哉 ちくま新書532)読了。哲学者の高橋哲哉氏が、靖国問題について、感情・歴史認識・宗教・文化・国立追悼施設という五つの観点から分析し自らの意見を述べた本です。この問題については、感情や面子やナショナリズムが複雑にからみあい、なかなか冷静な議論が成立しません。議論が成り立たないと、価値が共有できず、問題のより良い解決から遠ざかる一方です。議論の前提となる問題点をできるだけ整理して、論路的に明らかにするという著者の意図を感じます。
 読後の第一印象は、とにかくわかりやすいく論理的な言葉で書かれているなということ。他者を意識した、他者に理解してもらうための、他者に奉仕する文章です。日本語はじゅうぶんに論理的な言語であり、ただ非論理的な形で使用しているに過ぎないと痛感しました。内容について要約する力量が私にはありませんので、ぜひご一読ください。少なくとも、論理の破綻は見受けられません。
 一つ、氏の明晰な文章を紹介します。(「させていただきます」という表現が氾濫していますが何故なのでしょう? その意図は?) “戦争で「祖国のために死んだ」兵士たちを英雄として讃え、「感謝と敬意」を捧げ、「彼らの後に続け」と言って新たな戦争に国民を動員していくシステム(中略)は、近代の日本だけの問題ではなく、むしろ近代の日本国家が西欧の国民国家から模倣したものとさえ考えられる…”“この論理は、西欧諸国と日本との間で共通しているだけではない。日本の首相の靖国神社参拝を批判する韓国や中国にも、このようなシステムは存在する。” 戦争責任問題とは切り離して、このシステム・論理が世界に存在する限り、戦争が起きる可能性は常に存在し続けるといことですね。より大きな問題にまで、批判の射程が届いています。
 新たな国立追悼施設については、こう述べられています。靖国神社は“「無宗教の国立戦没者追悼施設」を装う「宗教的な国立戦没者顕彰施設であったのだ。” よって第二の靖国神社化して、前述のシステムが機能する可能性が大きいと。
 かなり売れているようですので、この本が与える影響はかなり大きいと思います。価値を共有するための冷静な議論が起きる一助となりそうな予感があります。
 そして遺族の方々にこうした言葉が届くのか。私がもっとも知りたいのは、肉親を死に追い込んだ責任者への怒り・批判は、遺族の方々にあるのでしょうか、ないのでしょうか。きちんとした感情的な怒りと論理的な批判を表明しないと、また同じ事が繰り返されます。もちろん、日本という国家の政治的意思により戦場に送られた戦没者の死に、意味を与えるべきなのか、与えるべきではないのかという問いへの答えによって違ってくるとは思いますが。
It's time we let the dead die in vain.
                                サリンジャー
 もう一つ。本来戦争責任を負うべき者たちが免罪され、A級戦犯とBC級戦犯がすべての責任を負わされて処刑されたことへの、後ろめたさもあるのではないか。もしそうだとすれば、A級戦犯合祀へのこだわりは十分に理解できます。
by sabasaba13 | 2005-06-29 06:12 | | Comments(0)

「日本語で生きるとは」

 「日本語で生きるとは」(片岡義男 筑摩書房)読了。片岡義男? 「スローなブギにしてくれ」という小説を書いた人だったっけ、♪御中…♪という曲がついて映画化されたような気がするし、まあお手軽気軽に読める若者向けの作品を書いた小説家という貧困な印象しか持っていませんでした。しかし本作を読んで驚天動地。これだけ真剣に英語と日本語、さらには言葉について考えていたんだ。西洋中世史研究者、阿部謹也氏が述べていた、彼の師である上原専禄氏の話を思い出しました。(「自分のなかに歴史をよむ」 ちくまプリマーブックス15) 
 「解るということはいったいどういうことか」という点についても、先生があるとき、「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」といわれたことがありました。それも私には大きなことばでした。もちろん、ある商品の値段や内容を知ったからといって、自分が変わることはないでしょう。何かを知ることだけではそうかんたんに人間は変わらないでしょう。しかし、「解る」ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そのような「解る」体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだとも思えるのです。
 そういう意味で、片岡氏の言いたいことが少し解り、自分が少し変わったという気がします。

 彼の主張はこうです。言葉とは、自前の頭でものごとを考え抜くための道具である。そしてさまざまに異質な他者と、しがらみを離れて論理の言葉をつくして対等に論議をし、誰にとっても共通して作用する新しい価値を作り出すための道具である。つまり「公共性」を協力して作り出すのが、言葉の重要な機能であるということでしょう。「公共性」とは、原則として全員にプラスに作用する普遍的な価値のことです。
 しかし、日本語はそういう意味で機能していない。まずは日本語自体の性能が原因です。これはアッと息を呑んだ指摘なのですが、英語の“you”は和訳できないのですね。「あなた」「君」「お前」「てめえ」などと、常にその場の人間関係・上下関係・損得関係を配慮して使い分けないといけない。英語の“you”は、しがらみを離れてどんな他者に対しても使える二人称代名詞です。
 でもこれは日本語自体の責任ではないと、著者は言います。そもそも非論理的な言語などありえない、非論理的な使い方が問題なのだと。少し考えてみたのですが、会議の場で「私は、あなた方の考えは間違っていると思う。」と私は言えません。「みなさんの…」と言います。「私」と「あなた方」を切り離し向かい合わせるのを恐れます。だから両者をあいまいにぼかした「みなさん」という言い方をします。日本語では主体と客体を混然させる表現が好まれるのですね。英語だったら“I think your opinion is wrong.”ですむのにね。でも少し勇気を出せば、主体と客体をきちんと切り離した前述のような表現は可能です。
 要するに、事態や物事を曖昧にごまかすための道具として日本語が使われているのが問題だというのが著者の主張です。
 言葉とはなにのための道具なのか。日本語は良く言ってひとりひとりの心に奉仕するものだ。あらゆるものが、言葉によって、主観という曖昧さのなかに、安住の地を見つける。とにかくすべては主観のなかにある、ということで問題は完結してしまう。英語は人の心の外にあるものに奉仕する。事象や事柄、実際に起きたこと、現実、そこにあるその問題、などに奉仕する。奉仕するとは、それらを可能な限り正確にとらえ、観察し分析を加えて問題を見つけ、論理的に対応して解決していく作業の始まりから終わりまでを意味する。日本語世界では、これとは反対のことが、ごく普通のこととして、常に起こっているのではないか。
 下手に論理的に考えて「公共性」を実現しようとすると、時間がかかってしょうがない、つまり非効率的である。そこで、誰もがなにもわかっていないのに、わかったつもりで先へ進むことができるような言葉、何も考えずにすむ言葉として日本語は機能しているのではないか。著者は一つの例として「少子化」という言葉をあげています。
 (少子化のもっとも大きな原因は)いまこの国で子供を生んで育てるなんてまっぴらだ、と人々が身にしみて痛感しているからという理由だ。こんな理由で人々が子供を生まなくなるような国は、国の運営のしかたとしてはおそらく最大級の失敗を犯している。少子化という言葉を作った人は、そのことをよく承知している。承知しているからこそ、人々には事態を直視させずに隠蔽すべしという方針で、少子化という言葉をひねり出した。人々に事態を直視させないでおく利点は、問題の核心がぼかされ、したがってその核心に関して追求されることがなく、責任が発生しないということだ。
 日本語は責任を逃れるための道具でもあるのですね。この指摘で思いついたのですが、「公害」という言葉もそうですね。「大企業による環境・健康破壊」という事態を曖昧にぼかして責任逃れをするために作られた言葉でしょう。
 日本語は、まっとうに機能していない。その原因はわれわれの社会のシステムや生き方が原因であるということです。日本語の問題とは、このことですね。日本語は美しいと浮かれたり、日本語が乱れていると嘆いている場合ではありません。
 群れのなかの同調者たちには、自前で徹底して考え抜く作業は、単に不必要であるだけではなく、明らかに邪魔なものですらある。だから彼らには、その真の意味においては、じつは言葉すら必要ではない。
 もはや事態は、ここまで進んでいます。われわれが事態を直視し、異質な他者との「公共性」を求めて自前の頭で考え抜いて行動しなければ、日本語は永劫に物事を曖昧にごまかすための道具として腐敗していくしかないでしょう。

 というわけで大変刺激的な本でした。他者に奉仕するという意識を常にもちつつ、下手な文章を書き綴っていこうと思います。なお著者が言う英語とは、ある程度アメリカやイギリスの文化から切り離された、どこの国の人も、その国の人のままで駆使することの出来る、中立度の高い正用法のなかで使っていく英語、という種類のものだということも補足しておきます。また日本の英語教育に対する痛烈かつ根本的な批判も述べられているので、英語教育に関係している方にもぜひ一読して欲しいと思います。
by sabasaba13 | 2005-06-28 06:14 | | Comments(0)

ロンドン戦争博物館

 遊就館に行った後で、ロンドンの戦争博物館のことを思い出しました。ヨーロッパの都市へ行くと、戦争博物館がよくあることに気づき時間が許す限り見学することにしています。ウィーンの軍事史博物館ではサラエボで暗殺されたフェルディナン皇太子の血塗れの軍服に息を呑み、ストックホルムの武器博物館では剥製の軍馬が機械仕掛けで突然バケツを蹴って心臓が一時止まったり、いろいろと思い出があります。やはりヨーロッパの絶対王政国家・国民国家は戦争と二人三脚で歩んできた歴史があるのだなあと思います。ただ遊就館のように自国の戦争を無条件で賛美するという姿勢はないようです。(もちろん言語が十分に理解できないので雰囲気を感じただけですが) 中でも忘れられないのが、ロンドンの戦争博物館です。機関銃、戦車、毒ガス用マスクなど第一次大戦で使用された新兵器の数々にも興味を惹かれましたが、「Trench experience (塹壕体験)」という展示に圧倒されました。第一次世界大戦は、機関銃が使用されたことにより白兵戦が不可能となり、塹壕を掘って対峙しあう戦いが中心となりました。(塹壕の中で着るためにつくられたのがトレンチコート) その塹壕をまるごと本物そっくりに復元し実際にその様子を体験させてくれるのが、この展示です。塹壕の各所に戦う兵士、傷ついた兵士、倒れた兵士などのリアルな人形が配置され、その隙間をぬって塹壕の中を見学者は歩いていきます。すごいのは、リアルな戦争を五感すべてで体験してもらおうという努力・工夫です。触るとざらざらする塹壕の質感、爆弾の破裂する轟音、不愉快でじめじめした湿度と温度、そしてえもいわれぬ何と表現していいかわからない匂い! 身も心も圧倒されました。お化け屋敷なぞ屁とも思わぬ気丈な山ノ神が、途中で「もういやっ」とうずくまってしまったほどです。今までは頭でしか分かっていなかったことを、私は全身・全神経で理解しました。戦争とは汚いものだ。
 あらためてこうした展示を考えた方々、その実現に尽力したスタッフに、心の底から感謝したいと思います。学芸員が子供たちに展示の解説をしている光景もよく見かけました。賛美するのではなく、目を背けるのでもなく、戦争というものをできるだけ客観的にかつリアルに、次の世代に伝えていこうという姿勢を強く感じました。ぜひ日本でもこうした博物館をつくってほしい。特に「沖縄戦体験」という展示は早急に次の世代に体験して欲しいですね。「軍隊はまず自分たちを、次に給料を払ってくれる政府を守る」という冷厳なる事実をぜひ伝えるべきです。なお、保護者の財政的負担の軽減を理由に、修学旅行費用の上限を厳しく抑える自治体・教育委員会が増えていると聞きました。そのため沖縄への修学旅行が激減しているそうです。これは戦争の真実を子供たちに知らせたいための措置ではないかと、勘ぐってしまいます。
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by sabasaba13 | 2005-06-27 06:15 | 鶏肋 | Comments(0)

靖国神社編(3):(05.5)

 外に出ると、軍用馬、軍用犬、軍用鳩をそれぞれ顕彰した慰霊碑が三つ並んでいます。
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 右手の図書館「靖國偕行文庫」の前を奥に進むと招魂斎庭跡、相撲場、行雲亭・靖泉亭・洗心亭という三つの茶室、そして復元された神池庭園があります。自然のままではなく、人為的に構成された滝石組のある池泉回遊式庭園ですが、水のあまりの汚さには驚きました。故障している鯉の餌自動販売機を横目に、本殿の後ろ側を左へ左へぐるっと回り、拝殿に戻ってきます。途中に「守護憲兵の碑」がありました。「昭和二十年三月十日の東京大空襲の戦火が靖國の神域を襲うが神殿を挺身護持したのも憲兵であった」という由来書があります。付近の住民は救助しなかったのかな。「憲兵の任務は監軍護法に存したが、大東亜戦争中は更に占領地の行政に、或は現地民族の独立指導に至誠を尽した。」という言葉が印象深いですね。そして否応なく目につくのが、樹木に下がっているプレート類です。部隊ごとに樹木を寄進しているのですね。これを見つけたかつての仲間が連絡を取れるように、連絡先が記入されているケースが多いですね。今でも深い精神的紐帯をもって集っていることがよくわかります。「もっこく」の木が多いのには何か謂れがあるのでしょうか。ご教示を乞う。なお後日知ったのですが、境内の片隅に1965年につくられた「鎮霊社」があるそうです。パンフレットによると「本殿に祀られていない方々の御霊と、世界各国すべての戦死者や戦争で亡くなられた方々の霊が祀られています。」とのこと。しかし案内も解説もなく、気づかずに見過ごしてしまいました。重要視されている施設ではないことは明らかですね。
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 というわけで、二時間ほどの散策でした。(無理な話かもしれませんが)先入観なしで印象を一言で言うと、ここは間違いなく神社=宗教施設であるということです。神社を構成する施設はみな揃っています。しかもきわめて歴史が浅くかつ人工的・作為的・政治的につくられた神社だと感じました。普通、神社には、信仰心が薄い小生でも思わず畏敬の念を感じるようなオーラがただよう一帯や物件があります。巨木・奇木・巨岩・奇岩や、清浄な池や川ですね。それが全くありません。伝統的な神道とは、人間の力を超えたマジカルな存在である神がいっぱいいて、大きい物や変わった形の物やきれいな形の物[ex.山・木・岩…]である依代にのりうつるという民間信仰だと考えます。そして、この列島の神々は汚いものが大っ嫌いなので、徹底的にきれいにすると神々は大喜びして恵みをもたらしてくれる。ここから中を汚すなよ、という目印が注連縄(しめなわ)です。目に見えない汚れ[…ケガレ]も落とさなければなりません。そのために行なう儀式が祓(はらい)で、特に有効なのが水ですべての汚れを流し落とす禊(みそぎ)です。そう考えると、神の宿りそうな依代もなく、池も汚れているこの神社は、伝統的神道とは断絶したものだと判断します。そして天皇・政府の命によって死んだ死者のみを顕彰する施設であるということ。追悼、鎮魂、慰霊といった行為と、顕彰という行為は両立しうると思いますが、遊就館の展示から判断しても後者の要素は強いですね。そしてこの神社を心のよりどころとしている戦友や遺族が、間違いなく存在しているということ。寄進された樹木や記念写真、催し物のお知らせなどを見ると、それをひしひしと感じます。
 百聞は一見に如かず。やはり一度は行って視ていろいろなことを感じる価値はあると思いますよ。よしっ、それでは「靖国問題」(高橋哲哉 ちくま新書532)を読んでみることにしよう。
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by sabasaba13 | 2005-06-26 07:45 | 東京 | Comments(0)

靖国神社編(2):(05.5)

 小鳥居を出て右手に行くと、遊就館があります。1882(明治15)年に創立された日本初の軍事博物館です。芥川龍之介が『侏儒の言葉』の中でこう言っていたのを思い出します。(「武器」より) 
 正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。古来「正義の敵」と云う名は砲弾のように投げかわされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの「正義の敵」だか、滅多に判然したためしはない。…日本は二千年来、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかったらしい。
 …わたしは歴史を翻えす度に、遊就館を想うことを禁じ得ない。過去の廊下には薄暗い中にさまざまの正義が陳列してある。青竜刀に似ているのは儒教の教える正義であろう。騎士の槍に似ているのは基督教の教える正義であろう。此処に太い棍棒がある。これは社会主義者の正義であろう。彼処に房のついた長剣がある。あれは国家主義者の正義であろう。わたしはそう云う武器を見ながら、幾多の戦いを想像し、おのずから心悸の高まることがある、しかしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執りたいと思った記憶はない。
 龍之介の時代には(大正期?)、各国の武器も展示していたのですね。現在は武器博物館という色合いは消え、日本近代の戦争を紹介する展示が中心です。2002(平成14)年にリニューアルされてからは、初めて訪れました。玄関ホールには零戦、砲二門、泰緬鉄道で使用されていたC56型機関車が展示されています。入場すると、以前よりすっきりとした見やすい展示になっています。展示のコンセプトは「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊を武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が生まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館の使命」というものです(パンフレットより)。その言葉どおり、近代日本の戦争は全てやむをえず行ったものだ、つまり日本側に非や責任はない、という観点で見事なまでに一貫した展示です。大展示室には九七式中戦車、艦上爆撃機「彗星」、人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」が展示されていました。その隣にある「靖國の神々」というコーナーでは、祀られている人々の顔写真や履歴が展示されていますが、「○山○男命」と必ず命(みこと)という称号が付けられています。ミュージアム・ショップをひやかしたところ、以前は販売していた教育勅語の朗読テープがなかったですね。
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by sabasaba13 | 2005-06-25 07:33 | 東京 | Comments(0)

靖国神社編(1):(05.5)

 ロベスピエールを称える人も、憎む人も後生だからお願いだ。ロベスピエールとは何者であったのか、それだけを言ってくれたまえ。
                                                 ~マルク・ブロック 『歴史のための弁明』より~

 というわけで、靖国神社参拝問題を考える前に、ひとつ神社そのものを虚心坦懐じっくり見てやろうと、先日行ってまいりました。まず、靖国神社とはどういう神社なのか? 岩波日本史辞典から引用します。「明治期の創建神社で、天皇の忠臣を祀る旧別格官幣社の一つ。東京都千代田区に鎮座。幕末維新期の官軍側の<国事殉難者>を祀るため、1869年6月東京招魂社が創建され、79年6月靖国神社と改称。陸海軍省の所管に属し、日清戦争以後は対外戦争の戦死者を合祀し、日本軍国主義の精神的基礎を形づくる施設の一つとなった。第2次大戦後、神道指令で国家と分離され、単立の宗教法人となる。しかし日本遺族会や自民党の一部はその国家護持をめざし、靖国神社国営化法案は1969年から連続5回国会に上程されたが、74年廃案となった。」
 地下鉄九段下駅で降りて、九段坂を少しのぼると1974(昭和49)年に再建された高さ25mの大鳥居が見えてきます。両側に並木と灯篭が続く広い参道の正面には、高い台座の上に立つ大村益次郎の銅像が見えます。長州藩の軍事指導者で、上野にたてこもった彰義隊(旧幕府の武士)を壊滅させた人物です。その際、新政府側の戦死者を弔う地として、ここを選んだのが彼だそうです。灯篭には「明治十一年 華族」というシンプルな銘がありました。西南戦争の翌年だし、この灯篭群の寄進には何か事情がありそうですね。
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 右手の木立の中には「常陸丸殉難記念碑」と「西伯利亜(シベリア)出兵田中支隊忠魂碑」があります。前者は、日露戦争の際に撃沈された輸送船のことですね。当時、詩歌にも歌われ人口に膾炙したそうです。銅像を通り過ぎて、車道を渡り第二鳥居をくぐると直径1.5mの巨大な菊の紋章がある神門があります。記念写真屋さんが、両脇で待機しておりました。ここをくぐると左手には参拝記念樹の売店があります。
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 そして小さな鳥居を抜けると、拝殿・本殿・霊璽簿奉安殿が縦に並んでいます。この鳥居の右脇に「皇族下乗」という印象的な立て札があります。また左脇には、「今月の遺書」という感じで、沖縄戦で戦死した陸軍中佐の遺書と明治天皇作の「國のため いのちをすてし もののふの 魂や鏡に いまうつるらむ」という歌が大きく掲示されていました。拝殿は1901(明治34)年につくられたもので、唐破風+千鳥破風を組み合わせた霊廟建築です。菊の紋章を四つそめこんだ垂れ幕がかかっており、ここでお参りをするのですね。神社の常として、ここから先は立ち入りできません。霊璽簿というのは、個々に祀られている人の名前を記した和紙を綴じてあるものだそうです。
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by sabasaba13 | 2005-06-24 06:20 | 東京 | Comments(0)

「日本全国路面電車の旅」

 「日本全国路面電車の旅」(小川裕夫編著 平凡社新書275)読了。旅をする時に必ず立ち寄り関わるものがいくつかあります。灯台、史跡、近代化遺産、古い学校や建物、牛肉、棚田、鯖、トマソン(赤瀬川原平氏の定義で「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」 興味のある方はホーム・ページ「お散歩 Photo Album」をご覧ください)、変な張り紙などなど。この本を読んで、これからは路面電車が加わりそうです。鉄道事業法で運行すると線路を道路に敷設できず、軌道法で運行すると線路を道路にしか敷設できない、という区別があるそうです。実際には例外措置などもあり、厳密には路面電車の定義は難しい。ま、「道路を走る電車」とおおざっぱに考えましょう。車窓からゆっくりと街を眺められ、乗り降りが便利で、地元の人々の暮らしの様子が感じられ、運転士を間近に見られるのが魅力です。古い車体だとなお結構、木やニスやシートの匂いに幼き日々を思い出します。この本で知ったのですが、LRV(Light Rail Vehicle)、軽快な電車を走らせて街全体を歩行者優先の環境にしようという考え方が一部の自治体に浸透しつつあり、路面電車の保存・復活・延長・新設の動きがはじまっています。また自動車社会により荒廃した中心市街地の活性化も意図しています。ブラーバ!
 というわけで、札幌、函館、都電、江ノ電、高岡、豊橋、岡山、広島、松山、高知、長崎、熊本、鹿児島の路面電車が紹介されています。路面電車を使った観光ガイドではなく、その保存と整備に尽力した方々の証言や運動を紹介した本です。「どうすれば、自分の街がみんなにとって暮らしやすくなるのか」という熱い思いに共感。路面電車というのは、走る公共性なのですね。「古い車両は自分の意思で操作できるし、快適な運転ができる」というベテラン運転士の話が心に残ります。機械に操作されるのではなく、機械を操作する。もう一度取り戻すべき、真っ当な人間のあり方だと思います。JR西日本幹部の方々、耳を傾けてください。
 路線図と名所・旧跡等を組み合わせた地図や、素敵な街並みの中を走る路面電車のカラー写真があればいいなと思いましたが、これは贅沢な望みでしょう。自分で作り写すことにします。
 路面電車の走る街に行きたくなりました。これからは意識的に旅程に組み込むことにします。私が過去に撮影した路面電車を、おまけとしてのせました。チンチン
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 ①アムステルダム ②ウィーン ③ポルト ④リスボン ⑤岡山 ⑥広島 ⑦松山 ⑧東京
by sabasaba13 | 2005-06-23 06:14 | | Comments(0)

「日本ナショナリズムの源流」

 「日本ナショナリズムの源流」(橋川文三著作集2 筑摩書房)読了。どうも最近の小泉首相の発言を聞いていると、一人でチキン・レースをしているように感じます。(断崖めがけて全速力で車やバイクを走らせ、止まった地点が崖に近い方が勝ちという我慢比べレース) いやはや彼と一緒に海の藻屑になるのはまっぴらごめんです。早々にご退職されて、私人としての立場で、柳条湖へ行って「靖国神社を参拝してどこが悪い」と好きなように叫んで下さい。
 それにしても彼の一連の発言は、有権者の支持を得られるという見通しの上でなされていると考えます。それぐらい、ナショナリズムがわれわれの間で高まっているのでしょうか。政府への支持を集めるためにナショナリズムを煽ると、加熱・沸騰したナショナリズムによって政策を縛られ国家理性を喪失してしまう。何度も何度も何度も繰り返された、歴史から学ぶべき教訓です。実際、中国でもソ連解体+東欧の民主化という激動に対して、江沢民政権が国内の同様を抑えるために行過ぎた愛国反日教育をほどこしました。その大きなつけを今払っているのだと思います。歴史的事実を伝えた結果、反日感情を抱くのはやむを得ないでしょうが、反日感情を煽りナショナリズムを掻き立てるための歴史教育は問題だと思います。もちろんだからといって、日本の戦争責任から目をそむけるのは筋違いですが。いずれにせよナショナリズムという魔物についてきちんと考えないといけないなと痛感しています。
 さてこの本は日本思想史の研究者である橋川文三の、日本ナショナリズムに関する論考です。「F.シューマンが、ヨーロッパ文明におけるナショナリズムの発生について「たえまない自己追求の努力をつづける西欧人にとっても、恐らくそれは決して十分に理解することのできない謎の一つである」と記しているそうです。その難問に挑んだ試論を集めたのが本書。結論から言ってしまえば、「近代ナショナリストとは、ネーションの鏡の中に映る己れの美貌に陶然とするナルシズムにほかならないといわれるが、我国におけるそのような鏡に相当するものは、実に現人神として一般意志を象徴する天皇にほかならなかった」ということです。それは「何か大いなる力、あるいは崇高なる権威に所属しているという一体感の意識、いいかえれば一種の幸福の意識」とも表現されています。ワールドカップ・ドイツ大会出場を喜ぶサポーターのみなさんの恍惚とした表情をみていると実感でします。その大いなる力・崇高なる権威とは、戦前では(あるいは今でも)「日本的なるもの」「日本文化」「国体」「天皇制」と考えられたものです。ところがこうした言葉はあまりにも多義的かつ曖昧なものであった。併録された「柳田國男」の中で、氏はこう述べています。「彼は世の指導者たちが、日本的ということを説きながら何が日本的かを調べようともしないではないかという憤りをいだいていたと見てよいであろう。」 よく日本的なるものを知らないで/知ろうとしないで、真に日本的であろうとするとその当否は「その主体的意欲の大きさ―「精進」の深さや激しさによって相対的に決定されるしかない」ということになります。怒号の声の大きさや、非日本的とみなされたものへの攻撃力の大きさによって、測られるということですね。鋭い指摘です。
 日本のナショナリズムを考える上で、大変参考となる好著です。紹介しておきながら無責任なのですが、残念ながら品切れです。古本屋のサイトでこまめに探していれば、必ず入手はできると思います。
by sabasaba13 | 2005-06-22 06:11 | | Comments(0)

「コーラス」

 映画「コーラス」を山ノ神といっしょに銀座シネ・スイッチで見てきました。1949年のフランスが舞台、更生施設のような小学校で合唱を教えることにより子供たちの心を開かせていく中年教師が主人公です。まあよくあるテーマだし駄作にしようがないな、などと減らず口を叩きながら見に行ったわけですが、思ったよりよくできた作品でした。何より主人公の音楽教師を演じたジェラール・ジュニョがいいっ! 戸惑い怯えながらも悪餓鬼にせいいっぱい毅然とした態度をとるところなど、リアリティがありました。哀愁と疲れと倦怠とユーモアと希望を抱きながら、日々を送る主人公を上手く演じていました。いい役者ですね。犯罪的ないたずらを平然とする子供役の諸君もうまい。最後まで、主人公に心を開かず、音楽を受け入れず、特別施設へと送られていった凶暴な超弩級の悪餓鬼モンダンの存在も、機械仕掛けの神に操られる流れに棹差し程好いスパイスとなっていました。なおモンダンの役を演じた少年は、実際に更生施設に入っている現役の不良少年だそうです。なるほど凄みのある目でした。合唱の場面はやはり予想どおり目が潤んでしまいましたが、少し上手すぎるかなあ。音楽としては結構なものですが、映画音楽としてはもう一工夫ほしい。でも身銭を切って見る価値は十二分にあると思います。期待通りの感動を得られますよ。いや別に皮肉ではなく、予定調和的な感動もいいものです。
 この映画はフランスで爆発的にヒットしたそうですね。EU憲法を国民投票で拒否したこととつながる面がありそうです。人間を無視して競争や効率をひたすら追求する動き(グローバリゼーション)に対する“NON!”という叫びのような気がします。映画の中の少年たちの世界には、夢はあるけれど競争はありません。(ある少年は、熱気球を手に入れるために校長から大金を盗んでしまう) 競争はあるけれど夢はない子供たちと、どちらが幸せなのだろう。

 昼飯は「煉瓦亭」、と思ったら休みでした。すぐ近くの洋食屋「スイス」でカツカレーをいただきました。なんでも巨人の“猛牛”千葉茂がこの店でつくらせたのがカツカレーの嚆矢だそうです。カレーの味は並でしたが、柔らかい肉をサクッとあげたトンカツは美味いですね。その隣りにあるのが社交場「白いばら」。女性と楽しく会話をする店という謳い文句が謎めいています。店の前に大きな日本地図があり、ホステスが何県出身であるか表示してあります。創業は1931(昭和6)年、そう、昭和恐慌の最中かつ満州事変を起こした年です。かなり気になる店ですね。
by sabasaba13 | 2005-06-21 06:10 | 映画 | Comments(0)