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川越編(7):埼玉県立平和資料館(05.7)

 老若男女で埋めつくされた嵐山渓谷の河原を橋から眺め、源義仲産湯の清水がある鎌形八幡神社、鎌形小学校に残されている旧日本赤十字社の建物を見て回りました。このあたりは馬頭観音が多いですね。さて再び資料館のあたりを走っていると「安岡正篤記念館」がありました。誰だっけ、この人? とるものもとりあえず、入館。「安岡正篤(まさひろ)。1898~1983漢学者。陽明学を修め、大正デモクラシーの風潮や共産主義運動に対抗して、日本主義思想による教化をめざした。国維会を結成し、内務官僚層を中心に<新官僚>運動を展開した。戦時中は地域指導者の精神修養に努めた。敗戦時に玉音放送原案を添削。戦後は全国師友協会を組織し、憲法改正を掲げた。歴代首相に信奉され、吉田茂らの施政方針演説に朱を入れたという。」ということでした。「平成」という元号も彼が考えたらしいですね。
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 森林公園駅で自転車を返却し、東上線を南下して高坂駅で下車。バスに乗ること十数分、大東文化大学で降り、埼玉県平和資料館を見物。侵略戦争という視点はおさえていますが、被害者としての民衆に関する展示が中心です。面白かったのが一時間に三回行われる疑似体験コーナー。当時のままに復元された教室でビデオによる修身の授業を受け、空襲警報が鳴ると隣りにある防空壕に移動して空襲の音や揺れをバーチャルに体験するというものです。一緒に入った老齢のご婦人が「こんなものじゃなかったわよねえ」とおっしゃっておりましたように、音も揺れもしょぼいものでした。アイデアは素晴らしいのですから、ロンドン戦争博物館の「Trench experience (塹壕体験)」を見習ってもっともっとリアルなものに鍛え上げてほしい。そして無差別爆撃が、いかに恐ろしく悲惨で非人間的で、しかも一方的な殺戮であるかを、子供たちに五感で感じてもらいたい。アメリカ軍による東京大空襲、連合国軍によるドレスデン爆撃、ドイツ軍によるゲルニカ爆撃やロンドン空襲、日本軍による重慶爆撃、お互いに無差別爆撃を繰り返した歴史を理解する上で欠かせない体験だと思うし、アメリカ軍がイラクで行った無差別爆撃を批判する視点も生まれるのでは。そしてその行為を日本政府が全面的にバックアップしているという事実が何を意味しているのかについても。しかしこうしてみるとアメリカは無差別爆撃をされた経験がないのですね。Mr. George Walker Bush、ぜひ高坂に来てください。無差別爆撃の禍々しさの1/10000ぐらいは体験できますよ。まともな感性と神経があればの話ですけれど。
 資料館に付属している展望塔は上る価値あり。残念ながら曇天と高い湿度のため、眺望はよくなかったのですが、関東平野を取り巻く連山の位置関係がよくわかります。ここで歴史の講義を受けてみたいな。
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 ●埼玉県立平和資料館 
    http://homepage3.nifty.com/saitamapeacemuseum/index.html
by sabasaba13 | 2005-07-30 05:54 | 関東 | Comments(0)

川越編(6):埼玉県立歴史資料館(05.7)

 さて、駅にもどり再び東上線に乗って武蔵嵐山で下車、徒歩で埼玉県立歴史資料館へ行く予定でしたが、美術館の受付に貼ってある「サイクリング・マップ」を見ると自転車で直接行けそうではありませんか。渡りに船、行ってみよう。流汗淋漓、30分ほどかかりましたが、歴史資料館に到着。源頼朝に仕えた畠山重忠の屋敷があった可能性が高い菅谷館跡に建てられた資料館です。資料館はこぶりで、菅谷館や中世武士に関する展示が中心です。ここ比企郡は中世においては交通の要衝で、数多くの館や山城がつくられたということははじめて知りました。そして菅谷館跡を見学。建物は残っていませんが、本丸・二の丸・三の丸をそなえた縄張り、土塁、空堀が良好な状態で保存されており、よく中世城郭の面影を残しています。木々が生い茂り、山百合も咲き始め、愛らしいキノコが顔をのぞかせる、ちょっとしたハイキング気分を楽しめました。友人に中世山城フリークがいるのですが、成程これは夢中になりそうですね。廃線・廃墟と山城にはまると抜け出せなくなりそうなので、君子は危うきに近寄らず/君子は多能を恥ず、しばらくおあずけとします。
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 ん、遠くにドイツ表現派風の大仰かつ無骨なコンクリート製建物とおおきな石碑が見えました。忠魂碑フリークの私はすぐピンときましたね、間違いない。近寄るとやはり忠魂碑、そして忠魂祠がありました。これは珍しい、後者は初見です。「この祠(ほこら)は西南戦争以来、各戦役等に散華した本町出身者342柱の御霊を合祀したものであります。」と解説板に説明がありました。プチ靖国神社ですね。靖国神社と、各町村につくられた忠魂祠が補い合いながら戦死者を顕彰し、次の戦死者を準備/再生産するというシステムを実感できました。「御魂(みたま)」ではなくて「御霊(みたま・ごりょう)」と表記してあることに注目。この世に恨みをもって死んでいった戦死者の祟りを鎮めるための祀り、つまり御霊信仰という側面があることを、問わず語りに物語っています。これは貴重な歴史資料です、ぜひ永久保存してほしい。それにしても歴史資料館と名乗る以上、この物件に関する展示や解説が館内になかったのは見識を疑いますね。
 ここでもらった地図をみながら近くの食堂で冷やしうどんを食べプランニング、時間もあるし嵐山渓谷方面に行くことにしました。さあ出発。資料館の正門前を走りぬけようとして、思わずハンドルをきりそこねましたね、わたしゃ。グリッ なんだこれは。「埼玉県立歴史資料館」と染められた赤・青・水色・黄・白の幟が数十メートルにわたって林立しています。中古車販売店か、ここは! 自転車から降りて、事態を冷静に把握するためにしばし沈思黙考。一つの仮説をたてました。入館者が減ると予算を削るぞと県庁に脅された資料館職員たちが、客寄せのためにつくった苦肉の策ではないか。もしあたっているとしたら、これこそ現代日本を象徴する光景、「この国のかたち」ですね。文化的機関・施設に対して、研究や教育の充実ではなく、利益と入館者の数の増加を強要する行政。昨日の大学で言えば、同じく研究や教育の充実ではなく、入学者数の増加を最優先する姿勢。社会からどんどんどんどん「品」がなくなっていくのが、いたたまれません。
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 ●埼玉県立歴史資料館 http://www.ksky.ne.jp/~rekishi/
by sabasaba13 | 2005-07-29 07:26 | 関東 | Comments(0)

川越編(5):丸木美術館(05.7)

 バスで東松山駅にもどり、東上線を北上して森林公園で下車。事前に仕入れた情報どおり、駅前に貸自転車屋がありました。さっそく借りて地図をもらい、めざすは原爆の図丸木美術館です。丸木位里・俊夫妻の共同制作による「原爆の図」を展示するためにつくられた美術館ですね。駅から自転車をこぐこと十数分、林の中川のほとりに美術館は静かに佇んでいました。そして入館。日本画家の位里さん、洋画家の俊さんは、夫婦で協力しながら20世紀の悲劇を描き続けました。その一部である「原爆の図」「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」などの作品が展示されており、その迫力と凄惨さと怒りに圧倒されましたが、圧巻は「水俣の図」。解説にこうあります。
 「水俣は遠いアジア日本のことではない。ブルターニュが危ない。バスクが危ない」 水俣のことを教えてください、とフランスで言われました。帰国してすぐに水俣へ行きました。戸をあけた時、若い娘さんが発作を起こしていました。「早く、タオルを」と母親が叫んでいます。発作のためひざとひざがすれ合って皮がむけ、血が出る、というのです。その娘さんは目鼻だちよく、黒髪が苦しげに汗にぬれていました。弓のようにのけぞってあえぎながら新しい客を見ています。わたしたちは描くこともならず、失礼を心にわびながら立ちすくんでいました。
 白目をむき、涎をたらしながら大きく口を捻じ曲げあけて苦痛を訴える数十人の患者の顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔… 背筋に冷たいものが走りました。この事件を引き起こし、そして救済措置をしばらく取らず患者を放置したという一事だけで、「美しい日本の伝統」「日本人の美徳」などといった言辞はすべてふっとびます。衝撃的な絵でした。
 利益や権力のために民衆の命を蔑ろにする行為への怒り・抗議を生涯描き続けたご夫妻。ご存命でしたら、たぶん「劣化ウラン弾の図」を描いていたのでは、と想像してしまいます。二階には丸木夫妻の遺品が展示されていました。なお「沖縄戦の図」は沖縄にある佐喜眞美術館に永久貸与されています。以前このブログでも紹介しましたが、沖縄に行かれた際はぜひ寄ってみて下さい。
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●原爆の図丸木美術館 http://www.aya.or.jp/~marukimsn/
●佐喜眞美術館      http://sakima.art.museum/

 なお丸木美術館が、経営不振のため存続の危機にあるとのことです。こんな重要な美術館をつぶしては人類に対してに面目が立ちません。詳しくは上記ホームページをご覧ください。
by sabasaba13 | 2005-07-28 07:28 | 関東 | Comments(0)

川越編(4):吉見百穴(05.7)

c0051620_18551272.jpg 今日も曇天にして猛暑。朝六時に目が覚め、ホテルのレストランでモーニング・サービスを食し戦略を練ります。午前8時には出発できそうなので、博物館は後回しにして、おそらく自由に見学できる吉見百穴へ最初に行きましょう。ホテルを出ると眼前にかくの如き看板。腰が引けているなと微笑みながら近づくと、嗚呼、片脚は折られボコボコに凹み、にもかかわらず針金で自らを電柱にしばりつけ不退転の決意で屹立しているではありませんか。その勇気をしかと受け止めました。今日はいい事がありそう。さて東武東上線に乗って東松山で下車。バスに乗ること約十分、さらにバス停から歩くこと約十分、8時45分ごろ吉見百穴に到着です。すると柵で囲ってあり、入場料が必要。幸い開場は午前8時30分だったので、時間のロスは防げました。初めて訪れたのですが、一見の価値がありますね。丘陵の斜面に穿たれた蜂の巣のような無数の横穴… こりゃ奇観です。1887(明治20)年、人類学者の坪井正五郎が発掘して土蜘蛛人(コロボックル)の住居であったと発表しましたが、研究の進展により古墳時代後期の墓穴であることが判明しました。坪井正五郎? そういえば最近読んだ本で、二回彼の名と出会いました。以前に紹介した「アースダイバー」には、増上寺の寺域に点在する小山の群れが古墳群であることを発見したのが坪井であるという記述があります。英国で考古学を学んだ帰路、子供時代によく遊び場にしていた増上寺の裏手の森のことを思い出したそうです。「単一民族神話の起源」(小熊英二 新曜社)では、日本列島の先住民族がアイヌであるとする多数派(鳥居龍蔵・小金井良精)に対して、伝説の絶滅人種コロボックルであると主張した新進気鋭の学者として登場します。彼にそのヒントを与えたのがこの遺跡かもしれません。気になる人物です。斜面を上り下り横穴をじっくりと見物し、ふと脇を見ると「この洞窟は地下軍需工場跡地です」という立て札。なに? 中に入ってみると、松代大本営を髣髴とさせる巨大な空間が広がっています。解説によると、第二次大戦末期に中島飛行機工場のために数十の横穴を破壊して掘削したが、本格的生産が始まる前に敗戦となったとのことです。工事は全国から集められた約3000人の朝鮮人が携わり、そのうちの一人が帰国の際に日本と朝鮮との平和希望して植えたムクゲ(朝鮮の国花)が現在でもこの地で生長をつづけている… もしやと思い受付で尋ねたら、管理棟の裏にあるよという答え。そそくさと行ってみると、清楚に花開く数輪のムクゲがありました。「神の代は かくやありけん 冬籠」という正岡子規の句碑も発見。不思議な因縁を感じます。1891(明治24)年、まだ発病する前に(喀血は1895年)、元気だった子規はここを訪れたのですね。坪井による発掘の四年後です。おそらく先住民族の住居跡という前提で詠んだのでしょう。
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 本日の一枚は、ムクゲの花です。
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by sabasaba13 | 2005-07-27 06:06 | 関東 | Comments(0)

川越編(3):(05.7)

 博物館の喫茶室で珈琲を飲んでいると、窓を斜めに雨粒が走りました。江戸時代の川越の繁栄を支えた新河岸川を見て、川越城本丸御殿を見物して外に出る頃には、雷鳴をともなった夕立となりました。近くの三芳野神社の鎮守の森で雨宿り。ここは川越城内にあったため、一般の人の参詣が難しく、その様子が「とおりゃんせ」というわらべ歌となって伝えられたそうです。記念碑がありました。驟雨はやむ気配もなく、人間の無力さをかみしめながら半時ほど木立や空や野球少年たちを眺めて暇つぶし。
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 やっと雨も上がり喜多院へ行きましたが、残念ながら参拝時間終了。五百羅漢が見たかったのにい。もし明日時間があれば寄ることにして気を取り直し、街中へ。川越キリスト教会、ハーフチンバー様式で黄土色がチャーミングな中成堂歯科医院、ドーリア式の柱が九本壁面を埋めつくす商工会議所などを見物して、最近できたばかりらしいキーボードを打ちながらも赤面してしまう「大正浪漫夢通り」をそそくさと抜けて、料理屋で焼きさば定食をたいらげ、寝酒に「時の鐘」をしこんで、ホテルへと直行。明日も暑くなりそう。
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by sabasaba13 | 2005-07-26 06:14 | 関東 | Comments(2)

川越編(2):(05.7)

 さて駅に戻り、春日部まで行き東武野田線に乗り換えて大宮へ。JRに乗り換えて川越に到着です。本川越駅から続く中央通りはなかなかの見ものでした。昭和三十年代の商店街がそのまま生存しているという感じです。演芸場あり、庚申塔あり、川越警察に対する憤怒をぶちまけた張り紙を一面に貼り付けたお宅あり。いいですね。
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 そしてお目当ての蔵造りの街並みへ。1893(明治26)年の川越大火の教訓から生まれた街並みとのことですが、お見事。黒漆喰の重厚な蔵が建ち並び、旧第八十五銀行や時の鐘といった物件がアクセントをつけています。栃木の蔵造りも見事なものでしたが、こちらは鬼瓦部分の盛り上がり方が尋常ではありません。まるで力瘤のよう。そして蔵造り資料館へ。二階からは時の鐘が良く見えました。川越祭り会館を拝見した後、駄菓子屋が数軒ならんでいる菓子屋横丁へ。私が川越市長だったら、駄菓子屋を一軒にして、身を隠せる路地や物をちりばめた「かんけり横丁」をつくるんだけどな。ああ無性にかんけりがしたくなった! 体力、戦略、技術が要求される、本気でやるとかなり面白い遊び(スポーツ)だと思います。オリンピックの正式種目にならないかな、IOCの英断に期待します。
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 そして旭湯という銭湯を発見。シンメトリックな前面と、その上部のリボン・ウィンドウがなかなか洒落たデザインでした。ここから市立美術館・博物館に行く途中で凄い物件を発見。もと釣具屋、現蕎麦屋のようですが、前面・側面を銅版でしきつめ、窓の上部飾りのデザインがすべて異なり、何式だかわからぬギリシア建築風列柱を二階部分に配した建物です。このくどさ、油っぽさ、いかがわしさは必見。ひさびさに「いいし…」ではなくて「ええもん見せてもろた」という科白がでました。美術館では、大好きな松本竣介の小品が二点見られたのが嬉しい。博物館も小粒ながら見やすく整理された展示でいいですね。
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 本日の一枚は、時の鐘です。
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by sabasaba13 | 2005-07-25 06:04 | 関東 | Comments(2)

川越編(1):工業技術博物館(05.7)

 なにやら山ノ神が冷蔵庫の前でブツブツ言っています。「甘いもの食べよう」「太るぞ」「やっぱりやめよう」「えらい」 一人芝居か多重人格か腹話術か、よくわかりませんが。
 それはさておき実は私、川越に行ったことがありません。ま、なにかと人口に膾炙するようですし、沽券にもかかわるし、行ってみました。東武東上線沿線に面白そうな資料館・美術館や物件があるので、それとからめて一泊二日の小旅行にしてみましょう。ウキウキ さて本は何を持っていこう。旅行に持っていく本の選択って結構迷います。女性が服選びに迷うのもよく分かります。今回は、寺田寅彦が絶賛していた正岡子規の「仰臥漫録」にしました。北千住から東武伊勢崎線に乗り込んで、さっそく読み始めると次のような一節に出会いました。「新聞ナドニテ人ノ旅行記ヲ見ルト吾モチヨイト旅行シテ見ヨウト思フ気ニナル」(1901.9.16) 当時子規は脊椎カリエスに苦しみ、とても動けるような状態ではなかったのですね。子規のような俳句をつくるのは無理ですが、せめて徘徊ができる健康な肉体に感謝しながら彼の分まで動き回ろうと決意。なおこの一節は次のように続きます。「谷川ノ岩ニ激スルヤウナ涼シイ岸ニ小亭ガアツテソコデ浴衣一枚ニナツテ一杯ヤリタイト思フタ」 簡単なことなのですが、それすらも子規の病状は許さなかったのですね。
 東武動物公園で下車して、徒歩で約十五分。まずは日本工業大学工業技術博物館をめざしました。曇天にして炎暑、喪家の狗のようにフラフラと歩いていると、青いTシャツを着てプラカードを持った学生諸君が処々で道案内をしていました。今日はオープン・キャンパスのようです。でも住宅展示場の販売員のようで違和感を覚えました。経営が苦しいという大学側の事情も理解できますが、これでは「客引き」ですよ。ちなみに、彼らは大学から手当てはもらっているのかな。もし愛校心故の無償の行為だとしたら、ちょっと怖いですね。桑原桑原。
 ここは旋盤や織機などさまざまな工作機械を展示してある博物館です。解説が少なく素人には分かりづらいのが難点。せっかくいつでも動かせるように整備してあるのだから、実際に使用しているところを見たいな。一角に再現された町工場はいいですね。油の匂いやモーターやベルトのうなりが、「物をつくってるんだ!」という雰囲気をかもしだしています。以前紹介した小関智弘さんも、こんな町工場で働いていたんだろうなあ。墨田区にはこうした町工場がたくさんあったので、懐かしくなりました。外には2109号蒸気機関車が火入れをされて、もくもくと煙をはいていました。ただ構内に線路がないので、時々整備されるだけのようです。鉄路を駆け抜けたいであろうに、可哀そう。
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by sabasaba13 | 2005-07-24 21:42 | 関東 | Comments(0)

「日本全国 近代歴史遺産を歩く」

 「日本全国 近代歴史遺産を歩く」(阿曽村孝雄 講談社+α新書255-1D)読了。何の因果か因縁か、近代化遺産に興味をもってから旅行・散歩の幅が非常に広がりました。鉄道、学校、橋梁、ダム、配水塔、工場、鉱山、灯台… そろそろ近代化遺産めぐりも市民権をもちはじめたようで、嬉しいかぎりです。ガイドブックもそろいはじめ、また新しい一冊が出版されたので紹介します。
 著者はバイクに乗って、全国各地の近代化遺産をめぐっておられる方です。なお観光レジャーとしてのインパクトを与えるために「ヘリテージ」という呼称の使用を提唱されていますが、一理ありますね。たしかに近代化遺産という言葉は堅苦しい。また近代化という言葉には西洋化というニュアンスが含まれるので、近代以降に伝統的な手法でつくられた物件(ex.川越の土蔵群)が排除されてしまうという主張にも首肯します。ただ「ヘリテージ」という言葉は、日常的に使うにはちと赤面しそう。何かいい言葉はないかしらん。
 それはさておき、過不足なくコンパクトにまとめられたなかなかよい入門書だと思います。いわゆる定番の物件はほぼ網羅されており、私の知らなかった物件も散見されます。キノコのような名古屋の東山配水塔や、夏の間だけダムの水底から姿を現す鹿児島の曽木発電所、純白の緞帳のように水が流れ落ちる大分の白水堰堤なぞは、初耳でした。ぜひ行ってみたい。くだけたざっかけない文章も、好みはあるでしょうか私は好きです。
 情報交換ということで、小生が心底衝撃を受けた二つの物件が載っていないので紹介します。一つは讃岐平野の豊稔池ダム。もう「ゆるぬき」は終わったろうな。もう一つは福岡にある志免炭田竪坑櫓(たてこうやぐら)です。阿曽村さん、これには文字通り圧倒されますよ。
 寝る前に、ウィスキーを飲みながらこうした本を読んで、次は何処に行こうかなとうつらうつら思案するのは至高の時間です。

 蛇足ですが、小生が日頃お世話になっているガイドブックをいくつか紹介します。ご参考までに。
 ●新全国歴史散歩シリーズ (山川出版社)
   …旅の計画を立てる際の必読書。全都道府県ごとに出版されており、史跡や歴史的物件がほ
    ぼ網羅されています。ほとんどがアカデミックなものでちよっと堅苦しいですが、歴史にかけ
    る著者諸子の情熱には感服します。旅行をする前に買い続け、残るは宮城県と岐阜県のみ
    となりました。
 ●近代化遺産を歩く (増田彰久 中公新書1604)
   …情報量は少ないですが、著者はプロのカメラマンだけあって写真が素晴らしい。
 ●日本の近代化遺産を歩く (JTB)
   …詳しい地図・データもついており、役に立ちます。
 ●明治の学舎 (小学館ショトルシリーズ)
   …明治期の学校建築を紹介。
 ●あなたが選んだ日本の灯台50選 (燈光会)
   …内部公開をしている灯台で購入できます。
 ●保存版ガイド 日本の戦争遺跡 (平凡社新書240)
   …質量ともに申し分なし。よくぞ調べたものだと思います。
by sabasaba13 | 2005-07-22 06:09 | | Comments(0)

「ちゃんと話すための敬語の本」

 「ちゃんと話すための敬語の本」(橋本治 ちくまプリマー新書001)読了。橋本氏は凄い。他人の言葉を借りず、とにかく自分の言葉と頭だけで、徹底的に考えぬき、表現しぬこうとする態度には畏敬の念をおぼえます。いつか私も、自分の言葉で考えぬきたい。この本は、敬語という厄介な表現を、彼独特の語り口でわかりやすく明快に説明してくれています。
 「ランクが下の人には、命令口調だけでいい」―これが、隠された敬語の暗黒面です。「敬語を使え」と言うことは、じつは、「おまえはオレに対して、尊敬と謙譲と丁寧の敬語を使え。オレはおまえには使わない。オレはえらいんだからな」と言うことと同じなんです。

 現代で敬語が必要なのは、「目上の人をちゃんと尊敬するため」ではありません。「人と人との間にある距離をちゃんと確認して、人間関係をきちんと動かすため」です。

 日本語の二人称の代名詞は、「知っている人」だけなんです。…「知らない人が目の前にいる時に使う二人称の代名詞は、ないのです。ふしぎでしょう?
 なるほどねえ。たしかにそうだ。例えば、近い距離にいる身近な人や、遠い距離にいる見知らぬ人に対しては、平気で二人称代名詞を使えます。困るのは少し接点がある他人ですね。ブログでコメントを書き込む時に、「あなたは…」という言い方はなかなかできません。結局、二人称代名詞を使わずにすませてしまいます。おそらくどの代名詞を選ぶかによって、先方をどう評価しているかが明らかになり、それに対する先方の反応を気にしてしまうということだと思います。著者はこれを日本語表現の豊かさと言っておりますが、めんどくさい時や困ってしまう時もしばしばあります。常に他者との距離を意識してつきあっていくという、この列島の文化は何故生まれたのでしょうね。やはり異文化をもつ他者との接触があまりにも少なかったということなのかな。それはともかく、敬語と対人関係の距離の関係について分かりやすく分析した著者の力量には恐れ入ります。
 また「身分のある人」と「身分のない人」にまず大きく分けて、「身分のある人」をもっと細かくランク分けするというのが、日本の身分制度だという指摘も鋭いです。今でも、大学を出ているかいないか、大学出だとその偏差値を気にするのも、確かにその名残かもしれません。
 「ひらがな日本美術史」(新潮社)も面白いですよ。

 物理的にも心理的にも、距離感の喪失という事態は急速に進んでいるようです。電車のドアの脇で本を読んでいると、空間は十分にあるのにすぐ眼前でドアにもたれかかり携帯電話をいじりはじめる方と良く出くわします。鼻先10インチ! 私の空間を侵されていると感じて不快に思います。人にぶつかってもあやまらない人が増えていると、「ヨミウリ・ウィークリー」(05.7.24)の特集記事にもありました。(あまりに国家主義的立場をとっているので読売・サンケイ系列は敬遠しています。よって立ち読み。) 朝日新聞には「敬語の間違いが増えていると思う人が8割を超え、自分の使っている敬語に自信のない人が4割に近いことが、文化庁が12日に発表した国語に関する世論調査の結果でわかった。」という記事もありました。(05.7.13朝刊) 何かとんでもない事態が進んでいます。他者との距離をとりすぎて孤立し引きこもるか、距離をとれなくて他者との軋轢を引き起こすか、現代人は両極分解していくのかもしれません。でもなぜなのだろう?

  私の鼻先30インチに
  私の人格の前哨線がある
  その間の未耕の空間は
  それは私の内庭であり、直轄領である。
  枕を共にする人と交わす
  親しい眼差しで迎えない限り、
  異邦人よ、
  無断でそこを横切れば
  銃はなくとも唾を吐きかけることはできるのだ

             ~W.H.オ-デン~
by sabasaba13 | 2005-07-21 06:04 | | Comments(0)

「歴史家の書見台」

 「歴史家の書見台」(山内昌之 みすず書房)読了。著者はイスラーム研究の第一人者です。以前から、その論理的で明晰な思考と文章に憧れていたのですが、ひさびさの書評集ということで早速購入、一気呵成に読んでしまいました。「イスラーム社会を知るために」「帝国とはなにか」「歴史と教育」「アジアのなかの日本」「楽しみとしての読書」という五章仕立てで、それぞれの項目に関連のある書評をまとめてあります。
 私も時々下手な書評を書いておりますが、その難しさが分かってきました。著作・著者に関する知識、内容の過不足ない要約、それに対する自らの意見・批判・疑問、そして何よりも読書の喜びを伝える文章… 氏の書評は、どれをとっても申し分ありません。何より感銘を受けたのが、感情に流されない冷静さとリアリズムです。話題・問題となっている「つくる会」の「新しい歴史教科書」についての書評の一部を紹介します。
 個性的な本であるが、教科書としては相当に改善すべき余地が残っている。どの国の歴史にも正負、明暗、良い側面と悪い側面が必ずつきまとう。その二面性について勇気とバランス感覚をもって開示するのも、日本人にとって真に必要な教科書の使命であることをあえて指摘しておきたい。もちろん、こうした課題が他の教科書にもあてはまることはいうまでもない。
 物足りないと思う方もおられるでしょうが、こうした冷静な批判だと「つくる会」の方々との論争も成立し、事態がをより良い方向へ進めることが可能になるのでは。ウィリアム・モリスが「誰も敗者とならぬ戦いに参加しよう。たとえ死が訪れても、その行ないは永遠なり。」と言っていますが、考えが違う他者、文化が違う他者との会話、論争、そして理解が成立するかどうかに地球の運命がかかっている現在、氏の冷静さとリアリズムには学ぶところが多々あると思います。
 ここで紹介されている何冊かの本を、さっそく読んでみたくなりました。なおあとがきで紹介されているトマス・ディッシュの言葉です。
 読書は死にかかった技術だ。もう一世紀あまりもむかし、映画が発明されたときから、読書は落ち目になった。そしていま現在、本物の読書家はシロサイのような絶滅危機種になっている。わたしがいう読書家とは、毎日数時間かならず本を手にとり、ページをめくり、そのページに印刷された活字を読む人間だ。それは自然な活動ではない。訓練と、応用と、野心が必要だ。
 私も、何とかしてシロサイの末席に加わりたいものです。
by sabasaba13 | 2005-07-20 06:17 | | Comments(0)