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「亀も空を飛ぶ」

c0051620_2252186.jpg 岩波ホールで「亀も空を飛ぶ」という映画を見てきました。監督はバフマン・ゴバディ、イランとイラクによる共同制作作品です。トルコとの国境に近いイラク北部クルディスタン地方の小さな村が舞台です。イラン・イラク戦争や湾岸戦争で荒廃した村で暮らす、親を失ったクルド人孤児や難民の子どもたちが主人公です。時は2003年春、そうアメリカによる攻撃が始まる直前の時期ですね。孤児たちのリーダーがアメリカへの憧れを抱くサテライトという少年です。そこに現れたのが、クルド人難民の兄妹。兄は地雷で両腕を失い、妹はイラク兵に強姦されて子どもを出産しています。目の不自由なその子をいたわる兄と、憎悪する妹… サテライトは彼女に恋心をいだきますが、やがて悲劇的な破局がおとずれます。

 映画を見る喜びの一つは、見知らぬ土地の見知らぬ人々の暮らしを追体験できるということです。迫害を受け続けているクルド人に、戦争がどのような傷跡を残したのか。村のいたるところに戦車の残骸や薬莢がころがり、市場には武器があふれ、対人地雷が村の周囲を埋めつくしています。そうした中で孤児たちは、対人地雷を掘り起こして商人に売るなど必死に生きていきます。解説で知ったのですが、こうした地雷を国連が回収し、それが武器産業に回されリサイクルされて新しい地雷となり、また各地に埋められていくそうです。何という絶望的な連鎖。イラクが今どういう状況にあるのかを知るためにも、是非多くの人々に見てほしい映画です。特に自衛隊をアメリカ軍の傘下におき、海外での戦闘に従事させたいと考えている方々に見てほしい。重く厳しい映画ですが、子どもたちの逞しさが一縷の希望を与えてくれます。こうした子どもたちを救おうとしていた高遠菜穂子さんが人質になった時に、凄まじい中傷にあったことは記憶にとどめておきましょう。あの時ほど、人間を人間たらしめている知性とか理性とかモラルを欠落させた人が、日本人の中でいかに増えているか痛感したことはありません。

 それにしても、戦時における強姦と対人地雷のおぞましさには慄然とします。前者は上層部による命令である可能性もありますね。生まれた子どもをめぐる不協和音や対立を生じさせて、敵側のコミュニティを破壊する意図があるのではないか。また後者は、あえて生命を奪わず手足を失わせる程度の威力におさえて、被害者を支えるための負担を周囲に負わせ、そして敵側の経済力や軍事力にダメージを与えるのが狙いでしょう。人間の善意につけこんだ悪魔の兵器です。なお自衛隊も百万個ほど保有しているそうですね、どこに埋めるつもりなんですか。そのうちどの程度までが日本製なのかも知りたいところです。

 また直接映画には描かれていませんが、劣化ウラン弾による被害も心配です。湾岸戦争で投下された劣化ウラン弾の影響が、5年間の潜伏期間を経てあらわれ、小児ガンや先天性異常の発生率が急増しているとのことです。イラク戦争ではその二倍の劣化ウラン弾が使用されたので、2008年以降に影響が出ることが懸念されています。あるイラク人医師の叫びです。
 助けてください、医師として辛い毎日を送っています、病気の子どもたちを救えないのです。…病院はベッドも天井も壊れたまま、ない、ない、ない物だらけです。点滴セットも、注射針も、注射薬も、飲み薬もみんな足りません。…助けてください、イラクの子どもたちにも未来をください。
 イラクに対して凄絶な国家テロを行い子供たちの未来を奪いつつあるアメリカとイギリス政府、そしてその片棒をかつぐ日本政府の諸氏は、この言葉をどう受け止めるのでしょうか。そして数百億円の税金を使ってわずかな水を配っている、イラク駐留の自衛隊。この事実だけでも政府は、人道支援を本気で行うつもりはさらさら毛頭ないということがよくわかります。自衛隊を即時撤退させ、数百億円の医薬品や医療機器、そして放射能障害にくわしい医師団を派遣したほうが、どれだけイラクの人々が喜ぶことか。想像力の「そ」の字くらいあるでしょう、ぜひ日本政府は考えてほしい。ま、アメリカ政府は嫌がるでしょうけれどね。

 なお両腕のない主人公には予知能力があり、イラク戦争の開始なども予言します。その彼が、開戦の275日後にまた何かが起こるとサテライトに告げたところで映画は終わります。2003年12月22日頃がその日に当たるのですが、調べても何が起きたのかわかりませんでした。ぜひご教示ください。

c0051620_22532820.jpg ふうっ 軽くため息をつきながら、山ノ神と夕食をとりました。このあたりは、餃子の「スヰートポーヅ」、洋食の「キッチン南海」、ロシア料理の「ろしあ亭」と、私好みの店が多々あるのですが、中華料理の「揚子江菜館」を選択。ひさしぶりに上海肉絲炒麺(上海式肉焼そば)を堪能しました。シンプルで深みのある味つけとコシのある細麺の絶妙なバランスには、ぞっこん惚れこんでいます。この玉葱ともやしと木耳の下に、至福の細麺が隠れているのですよ。

 追記 イラク医療支援を行っている日本のNGOや関心のある日本・イラク両国の医師たちが立ち上げたJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)という組織があるそうです。
● 日本イラク医療支援ネットワーク http://www.jim-net.net 
by sabasaba13 | 2005-10-31 06:05 | 映画 | Comments(4)

沖縄編(25):渡嘉敷島(05.8)

 翌日は大事をとって海には入らず、レンタカーで島内めぐりを続けます。今日は逆方向で島を一周しようと港に向かい、東側の林道を南下して港の見える丘展望台を過ぎると、山ノ神が右手山側に何かのモニュメントを見つけました。さっそく確認したところ、「アリラン慰霊のモニュメント」でした。以下、碑文を要約します。大戦中、慶良間諸島は海上特攻艇の秘密基地とされます。アメリカ軍がまず慶良間諸島に上陸したのは、この基地を叩くためだったのですね。「戦跡碑」を建立した海上挺身第三戦隊は、特攻艇部隊だったのでしょう。その際、千人余の朝鮮人男性が軍夫として、21人の朝鮮人女性が慰安婦として慶良間諸島に連れてこられます。そして米軍の上陸前後に、日本軍の迫害と虐殺によって数百人の軍夫が犠牲となり、慰安婦4人も非業の死を遂げます。そして慰安婦の存在に光をあてた記録映画「アリランのうた オキナワからの証言」制作に参加した橘田浜子氏は、1992年、帰郷の道を失い沖縄に取り残された渡嘉敷島の元慰安婦が死後五日目に発見されたことに衝撃を受けます。そこでそうした女性たちを悼み心に刻むために、寄付によってつくられたのがこのモニュメントです。ガイドブック等にも載っておらず、偶然出会えたことを嬉しく思います。合掌。なお案内板が倒れて朽ち果てていましたが、一瞬いやなことを想像してしまいました。まさかそんなことはないと思いたい。
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 さて阿波連に着きふとポスターを見ると、半潜水型ボートによる珊瑚礁ウォッチングがあります。これは面白そう、とりあえず予約をし、出航時間まで時間があるのでもう一度車で港に向かいました。途中に、海を見下ろす眺めの良い場所に小ぶりで瀟洒な別荘があるので、気になって確認したところ、表札に「灰谷健次郎」とありました。一島一有名人第三弾! 港で最終日の船便の時間を変更し、観光案内所で知った伊江村民収容地跡記念碑を拝見。奇跡的に生き残り、アメリカ軍の捕虜となった伊江村民がここ渡嘉敷島に収容されていたのですね。
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 本日の一枚は、阿波連集落で咲き誇っていた季節はずれのデイゴです。
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by sabasaba13 | 2005-10-30 08:26 | 沖縄 | Comments(2)

沖縄編(24):渡嘉敷島(05.8)

 そして沖縄青年の家の近くにある渡嘉敷島の戦争犠牲者を慰霊した「白玉之塔」を見学して、阿波連ビーチへと向かいます。途中に「戦跡碑」がありました。建立したのは海上挺身第三戦隊で、碑文の中で曽野綾子氏がこう記しています。「島の住民たちは…翌二十八日、敵の手にかかるより自らの手で自決する道を選んだ。…そこにあるのは愛であった。」 わが目を疑いましたね。誰が島民を追い詰めたのかについての思考を停止し、事実を隠蔽し、集団自決を愛として美化するその態度。この碑はいろいろな意味で一見の価値があります。
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 さてこの碑の脇の道に入り、長い階段をのぼって照山展望台へ。文句なし、渡嘉敷島で最高の眺望です。360度の大パノラマ、お勧めですね。
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 そしてその先にある森林公園へ。惨劇はここで起こります。海や島々を眺めながら滑り降りる長い長い滑り台があるのですが、もちろん試しました。たしかに眺めは素晴らしいのですが、 ゴロゴロズリズリゴロゴロズリズリ ローラー式の滑り台なので尻が異様に痛い。途中でこれはやばいと思い、止まったり尻を浮かせたり、致命傷にならないように気をつけて何とか終点に到着しました、やれやれ。さきに滑り降りた山ノ神の安否を気づかい駆け寄ると…、どうやらお尻をずるずるに擦り剥いてしまったようです。海に来て擦り傷を負うとどうなるか、因幡の白兎の例を見るまでもなく、痛くて痛くて海に入れなくなります。美しい阿波連ビーチでためしに海に入りましたが、あまりの激痛のため彼女はすぐに出てしまいました。
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 とりあえずホテルに帰り、夕食をとり、ビーチを散歩。美しい夕映えに、山ノ神の回復を祈りました。大黒様は現れるのか、そして彼女は渡嘉敷の美しい海に再び入れるようになるのか。乞うご期待。

 本日の二枚。照山展望台から見たトカシクビーチと、夕映えです。
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by sabasaba13 | 2005-10-29 09:00 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(23):渡嘉敷島(05.8)

 そして港の北にある国立沖縄青年の家へ向かい、受付で一言ことわりをいれ入場、西の展望台と東の展望台で眺望を堪能しました。
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 実は一番見たかったのが、ここにある「集団自決跡地」の碑です。米軍は1941年4月1日に沖縄本島に上陸するのですが、その前に慶良間諸島に上陸しています。その際の3月28日に、パニックに陥った329名の島民が集団自決に追い込まれますが、その慰霊碑がこれです。なおこの集団自決が軍命によるものであったのかどうかをめぐり、今でも問題になっています。今年の7月には、守備隊の遺族が、これが軍命であったと『沖縄ノート』で記述した大江健三郎氏と、出版社の岩波書店を名誉毀損で提訴する意向だというニュースがありました。遺族年金をもらうための偽証であったということです。また曽野綾子氏も『ある神話の風景』(文芸春秋)で同様の主張をしています。藤岡信勝氏ひきいる自由主義史観研究会も産経新聞も勢いづいて、この問題に取り組んでいるようです。要するに日本軍は住民を虐殺もしないし自決にも追い込んでいない、という主張です。
(関連記事のURLはhttp://blog.satohs.jp/200507/article_88.html
 これに対して8月26日、集団自決の真実を探るツァーが沖縄平和ネット主催で行われ、かつて自らも家族を手にかけた金城重明氏がこう証言されています。「自決を命令する言葉があったかなかったではなく、軍隊によって住民が追い詰められていったことが問題だ。上陸一週間前に自決用の手りゅう弾を渡すなど、日本軍は巧妙に住民を追い詰めていった。」
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200508271300_09.html
 私は金城氏の証言を信じます。教育や広報によって、捕虜になるよりも自決せよという思考を住民に刷り込み、追い詰めて行ったのは日本政府と日本軍です。何回でもくりかえします。「軍隊はまず自分を守る。次に、軍隊は給料を出す所を守る。すなわちその国の政権を守る。…軍隊は内敵と外敵から政権を守る。内敵とは、その国の政権に反対する国内の民衆である。」 旧日本軍の行ったことをきちんと見つめるべきですね、そうしないと同じことが繰り返されます。過去の歴史的事実に正面から対峙し未来のために生かすことは、自虐ではないでしょう。なおこの碑の碑文には、日本軍による軍命あるいは事実上の強制という文言は一切ありませんでした。建立したのは渡嘉敷村です。そしてびっくりしたのは、青年の家をぐるりと取り囲むハブ侵入防止用のフェンスです。そんなにハブが多いのか…
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 そして惨劇は          まだ起こりません。

 本日の一枚です。
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 なお05/10/26の日米審議官級会議は、普天間基地を辺野古に移転することに合意しました。まったくもう、この美しく小さな島々にどれくらい犠牲と負担と恐怖を押しつければわれわれは気が済むのでしょうか。決定権をもつ方々が住んでいる所に移転してほしいですね。東京にもっと米軍基地を! そして東京に原子力発電所と放射性廃物貯蔵施設を!
by sabasaba13 | 2005-10-28 06:17 | 沖縄 | Comments(2)

沖縄編(22):渡嘉敷島(05.8)

 翌日はレンタカーを借りて島内探検です。恐ろしい惨劇が待っていることを知らぬ能天気な二人はさっそうと車に乗り込んだのでした。天気も快晴、まずは阿波連ビーチ展望台で眺望を楽しみ、林道を南下します。島の南端は岩山が聳え立ちなかなかの絶景、ウン島の灯台も遠望できます。海岸に下りると、アラビア語の書いてある紙パックやら、ドイツ製のスティック糊やらがちらばっています。はるばる流れ着いてきたのでしょうね、ビーチ・コーミングにも手を出してみようかな。
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 もう一本ある林道を北上しますが、一台も車とすれちがわず、しかも数箇所に土砂崩れがあるしろものでした。なぜこの道をつくったのだろう、道路建設予算の消化としか思えません。小動物にやさしいスロープ式側溝とやらもありましたが、言い訳めいていますね。あっ、惨劇はここでは起こりません。山ノ神は見事なドライビング・テクニックで崩壊箇所をすりぬけ、快適なドライブが続きます。
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 アラン展望台、港の見える丘展望台で島の東側の眺望を楽しみ、渡嘉敷港のある集落に着きました。根元家の石垣と近くの御嶽を拝見、ここの鳥居は1937(昭和12)年1月、日中戦争の半年前に建立されたものでした。
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 本日の一枚はウン島の近くにある中頭(なかちぶる)の海です。
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by sabasaba13 | 2005-10-27 06:06 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(21):渡嘉敷島(05.8)

 翌日は渡嘉敷島へ移動です。タクシーで石垣空港まで行ったのですが、運転手さんが石垣島米原海岸のシュノーケリングが絶品だとおっしゃっていました。要チェックです。飛行機で那覇まで飛び、タクシーで埠頭へ行きました。待合室の前が外人墓地、時間があったので行ってみたら立入禁止でした。ゴミをちらかす人が多いため、やむをえない措置のようです。門の隙間から「ペルリ提督上陸之地」という記念碑を撮影。
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 そして高速船に乗って約30分で渡嘉敷島に到着です。船内の椅子に安全ベルトと嘔吐用の袋がついていたのにはかなり不安を感じましたが、大丈夫あまり揺れませんでした。ここ慶良間諸島には、渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島、慶良間島、外地島があるのですが、今回は一番大きく観光地化されている渡嘉敷島を選びました。
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 船が近づくにつれ、山が多く急峻な地形であることを認識、これでは自転車での移動は無理ですね。港には宿の車が迎えに来てくれており、一山越えて西側のトカシクビーチに面した宿に向かいました。ここには集落がないので、食事はこの宿でしかとれません。さっそくビーチに行きましたが、なかなかいいですね。人も少なく、白砂も海の色きれいで、すぐ目の前に慶良間海峡、座間味島、阿嘉島が見えます。少し沖まで泳ぐときれいな珊瑚礁も点在していました。
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 途中である子どもが、「ウミガメがいたよ!」と叫んでいます。へえー運がいいなあ、見てみたいもんだ。さてシュノーケリングを楽しみ、浜に向かって泳いでいると、草が生えている海底に黒い影が… ん? え? まさか… ウ、ウ、ウ、ウ、ウ、ウミガメだあっ! 体長1m50cmぐらいのウミガメが草を食べながら、悠々と泳いでいるではありませんか。あわてふためいて山ノ神に教え、二人で見ていると今度は彼女があわてて指をさします。その方向を見ると2mを越える巨大なウミガメが、腹にコバンザメを二匹くっつけて泳いでいました。風格をたたえながら泳ぐその優美な姿には感動しましたね。時々、海上に浮き上がりプハッと息継ぎをするのですが、その様も愛らしい。目も心も奪われながら後をついていきしばらく眺めていましたが、遊泳禁止区域の方へ泳ぎ去ったため追跡を断念。ええもん見せてもろたあ… 水中カメラをもっていなかったのが残念です。
 そして部屋にもどり窓から夕焼けを堪能。海と空と雲をさまざまな色に染めながら、阿嘉島の向こうに沈んでいく夕日はみごとなものでした。

 本日の一枚はトカシクビーチの夕焼けです。
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by sabasaba13 | 2005-10-26 06:20 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(20):竹富島(05.8)

 世持御嶽を拝見して、近くの店でアイスクリームを食べているとこんな張り紙がありました。そういえば沖縄ではあまり野良猫を見かけません。猫フリークのわれわれとしてはちょっと寂しい。46匹もいれば、そのうち一匹ぐらいには出会えるでしょう。竹富名物、水牛の引く車と何回もすれちがいながら集落を散策。
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 珊瑚でつくられた石垣、昔ながらの民家、フクギの屋敷林、舗装されていない海岸の白砂をしきつめた道、親切な道しるべ。観光で生きていくんだという気概をひしひしと感じます。小浜島とは違う意味で、その意気やよし。魔除けのシーサーもバラエティに富んでいて面白いですね、ハンティングをしてしまいました。
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 小学校、仲筋井戸を見て自転車を返却し、船着場へ車で送っていってもらい、石垣行きの船を待ちます。外で煙草を吸っていると、野良猫発見! ぎすぎすに痩せており、しかもゴミ箱に飛び乗り中を物色しているではありませんか。うむむむむむ、もしや離島では猫は迫害されているのでは… なお待合所に立てかけられていたこの御仁の身元がわかりません。ご存知の方はご一報をおよせください。
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 夕食は石垣港近くにある「パポイヤ」。前回の旅行では臨時休業のため涙を呑んだのですが、今回は開店していました。お目当ては石垣牛のステーキです。ちょっとサシが多いかなあとは思いましたが、美味でした。さてタクシーでホテルに戻る途中、「舟蔵の里」という料理店前に車がぎっしりと路上駐車をしています。何だ何だと思ったら、ジャズ・トランペッター日野皓正のディナー・ショーでした。一島一有名人第二弾です。私としては、山下洋輔(p)+坂田明(as)+森山威男(ds)トリオを再結成していただいて招来した方が、沖縄の鮮烈な風土に合うのではないかと思いますが、客は来ないかな。

 本日の一枚は竹富島の集落です。
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by sabasaba13 | 2005-10-25 06:07 | 沖縄 | Comments(2)

沖縄編(19):竹富島(05.8)

 翌日は鳩間島シュノーケリング・ツァーの予定でしたが、業者から電話連絡があり晴天ですが台風の影響で波がうねり中止とのこと。マイクから鳩間島の美しさをきいていただけに、かえすがえすも残念。せっかく「忘勿石(わするないし)」を見に行こうと、タクシーを予約していたのにい。没法子。さてじゃあ今日はどうしよう。山ノ神と協議の上、困った時の竹富島に行くことにしました。さすがに船は揺れましたが、十数分で到着。自転車を借りて、コンドイ浜に行きました。珊瑚礁や熱帯魚が少ないのが難ですが、きれいな遠浅の白い砂浜なのでのんびりするにはいいところです。蟹を一匹拉致してしばしの間、遊んでもらいました。そして安里屋クヤマの墓(「安里屋ユンタ」で唄われた女性)、美崎御嶽を見学。説明板に「御嶽は神聖な場所なので、むやみに立ち入らないでください」と書いてあります。合点承知。
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 昔、狼煙をあげるために使われた小城盛(クスクムリ)を見て、ふと脇を眺めると、「竹富町出身戦没者 慰霊之塔」があり、百数十人ほどの名が刻まれています。それにしても中央政府からこんなに離れた小さな島の人々をも調べあげて戦争に動員していったのですね。金子光晴の「富士」の一節を思い出します。
 重箱のように狭っくるしいこの日本。すみからすみまでみみっちく俺達は数えあげられているのだ。
 隣には忠魂碑があり、碑文の部分がえぐりとられています。何かいわくがありそう。
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 本日の一枚はコンドイ浜です。
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by sabasaba13 | 2005-10-24 09:07 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(18):小浜島(05.8)

 午後は小浜島徘徊です。NHK朝の連続ドラマ「ちゅらさん」の舞台となった島ですが、興味ないのでそれはどうでもよろし。那覇空港で「沖縄・奄美《島旅》紀行」(斎藤潤 光文社新書216)を購入して読み終わり、小浜島に関するいろいろな噂を知りました。アカマタ・クロマタという秘祭があり、撮影・録音・スケッチ・メモ・携帯電話持参・祭りのようすを他人に話すこと、すべて厳禁で、これをやぶった人が翌日冷たくなって見つかった… ヤマハがはいむるぶし(南十字星)がというリゾートホテルをつくろうとした時、島民は観光客が押し寄せることに気が進まなかったが、そこはハブが多い所なのでまあいいやと(それを黙って)土地を売った… ハブが多いことに仰天した建設業者が、コブラの天敵である孔雀を飼い、それが野良となって島内を徘徊している… そそられますね。港の近くにある民宿で自転車を借り、若い男性に「この島では御嶽の見学はできますか」と訊ねたところ、「小さい頃中に入ってこっぴどく叱られました」という答。気をつけましょう。さっそく出発ですが、しかし数分後にすぐとりかえしのつかないことをしてしまったと後悔するはめになりました。と、に、か、く、アップ・ダウンが多い! きつかったですね、腰を引いてバイクか車を借りたほうが無難でした。まずは標高99mの大岳(うふだき)展望台に行こうとしましたが、道しるべや案内板がまったくありません。右往左往してようやく発見して、登頂。このあたりの島々の中でもっとも高い展望台なので、眺めは絶品です。さきほど行ったカヤマ島、西表島、黒島、竹富島、石垣島をぐるりと見渡せます。下りる途中で、何やらけばい鳥を発見、野良孔雀だ! あの噂は本当だったのですね。
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 そして放映を記念してつくられたらしいちゅらさん展望台へ。こちらでは、マンタ(イトマキエイ)の通り道として有名なヨナラ水道、海中に長い石垣をつくって引き潮の時に魚をつかまえる魚垣(ながき)、そして「ちゅらさん」に出てきたという和也の木(台風により枯れていましたが)を見ることが出来ます。さて細長い岬である細崎(くばざき)へ行こうとしたら、道しるべもなく、民宿でもらった地図もわかりづらく、おまけにすごいアップ・ダウン。断念しましたが、ようやくわかりました。小浜島の人たちは、観光客に来てほしくないんだ! 静かで落ち着いた島の暮らしを脅かされたくないという気持ちを、しかと受け止めました。中央にある集落に行き、御嶽を外から眺め、シュガーロードというサトウキビ畑の中を貫く長い一本道を駆け抜け、港に戻りました。
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 石垣港に高速船で戻り、「麦わらぼうし」で夕食をとり、いよいよヨットによるサンセット・クルーズです。情報誌で知った「Hanalee(ハナリ)」というヨットで、船主はテキサス生まれのマイクさん。車で迎えに来てくれて、さっそく乗船しました。残念ながら雲に隠れて夕陽は見られませんでしたが、静かに海を滑り進むヨット、潮風、移ろいゆく雲と空の色、市内の夜景を十分に堪能。ヨットの操縦をさせてくれるというおまけつき。彼はこのヨットで東南アジアを旅し、ここ石垣島に落ち着き日本人女性と結婚しているそうです。他にもシュノーケリング、カヤック、ジャングルトレッキングといった企画もあるそうですので、また参加したいな。ちなみに彼が好きな沖縄の海は、鳩間島と阿嘉島だそうです。URLはhttp://www2.ocn.ne.jp/~hanalee1/index.html
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by sabasaba13 | 2005-10-23 23:30 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄編(17):嘉弥真島(05.8)

 翌日は小浜島の沖にあるカヤマ(嘉弥真)島という無人島へのツァーに参加しました。この島はミヤヒラというホテルが所有しているそうですね。高速船で小浜島へ行き、小船に乗り換えて約10分で到着です。中央に小高い丘がある小さな島で、貧相な休憩所が一軒ぽつねんと建っているだけ。小さな家型をした白い枠組みがあったのでダイビング用具を干すところかなと思ったら、これが何とチャペル! すぐそばにここで式を挙げたカップルの名を書いた墓標のような杭が数本立てられています。さて1時間ほどシュノーケリングを楽しみ、後は島内を散策。丘の上からの眺望はいいですね、小浜島、西表島、石垣島を一望できます。きれいな砂浜は少ないのですが、岩場と潮溜まりが多く磯遊びには向いています。野生のウサギがたくさんいるという情報だったのですが、一匹も見かけず。糞はたくさんあったのですが。
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by sabasaba13 | 2005-10-21 05:16 | 沖縄 | Comments(0)