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青森・秋田編(3):寺山修司記念館(05.9)

 さてやってきたタクシーに乗り込み、運転手さんとの会話がはずみだすと、どうやら原子力発電所に強い興味・関心をもっている方だということがわかりました。実は六ヶ所村に是非行きたかったが、小川原湖の北方に位置し遠距離なため断念したのだと話すと、彼は運転しながらしばし沈思黙考。そして料金が折り合えば、今日一日貸し切りにして、こちらの行きたい処を可能な限りすべて面倒見るというオファーがありました。寺山修司記念館、六ヶ所村原子力関連施設、尻屋岬灯台、そして飛行機の中でガイドブックを読んで見落としに気づいた大湊水源地公園を列挙すると、可能だという回答です。今度はこちらが沈思黙考。地元の方の話も聞きたいし、誠実そうな人だし、聞き取りやすい下北弁だし、よろしい、お願いしましょう。
 十分ほどで寺山修司記念館に到着。一棟には巨大なピエロの顔、もう一棟には彼の言葉や劇団「天井桟敷」関係の絵などが色紙状に貼り付けてあり、扉のデザインは横尾忠則。「便所より青空見えて啄木忌」「百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」「偉大な思想などにはならなくともいいから、偉大な質問になりたい」 いきなり寺山ワールドです。ちなみに彼は弘前で生まれ、三沢で育った青森人。展示は、成績表(!)など彼の遺品や原稿、「天井桟敷」の舞台装置、机の引き出しを開けながら見るさまざまな資料など、大変充実したものです。自伝的映画「田園に死す」の中で主人公が
 その晩遅くなってからわが家に火事があり、近所の家まで焼けてしまった。警察では漏電だといったが嘘だった。ほんとはおれが机の引き出しにかくしておいた一匹の蛍が原因だったのだ。
と言っているそうですが、寺山が机と引き出しに対して持っていた愛着を意識した展示です。そうそう、寺山修司といっしょに撮れるはめこみもありました、これはファンにとってはたまらないだろうなあ。彼の演劇・映画は見たことがなく、読んだ著書も短歌集と数冊の随筆だけというとてもファンとは言えない私ですが、彼のことはずっと気になっていました。生涯青森弁を矯正(悪?)しようとしなかった、ローカリティへの愛着と、中央への反発、そして猥雑でエネルギッシュな想像力。これから長いつきあいになりそうな予感がします。よろしく。
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 彼の文学碑があるというので、外へ出てみました。鬱蒼とした雑木林の中を抜ける心地よい遊歩道には、彼の短歌を記した木柱が点在しています。小川原湖が眼前に姿を現し、湖面を右手に見ながらしばらく行くと美しい沼を見下ろすように文学碑がたっていました。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや
 ない。
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 ●寺山修司記念館 http://www.misawasi.com/~shuji-museum/

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2005-11-30 06:08 | 東北 | Comments(2)

青森・秋田編(2):斗南藩記念観光村(05.9)

 斗南藩記念観光村の続きです。次に訪れたい寺山修司記念館へのバスも当然ないので、前もって土産屋の方に相談したところ、一時間後ぐらいに来てもらえるようタクシー会社に連絡してくれました。そうか、その手があったんだ。名古屋旅行の時も、あらかじめタクシー会社に連絡して指定した時間に長島駅に来てもらえばよかったのですね。一つ勉強になりました。
 広い敷地には、観光や総合学習のための牧場があり、その一角に資料館と開拓当時の様子を再現した銅像群と集落がありました。空を見上げると、常時米軍機が轟音をたてて飛び交っています。当時の会津人が今生きていたら、どんな気持ちで眺めるでしょう。資料館(先人記念館)は小規模ながらも解説が見やすく分かりやすい充実したもの。初の近代民間洋式牧場をつくりあげ、会津人に希望を与えた指導者、廣澤安任(やすとう)に関する興味深い展示が多々ありました。大久保利通に入閣を勧められた時に、彼はこれを断り「野にあって国家に尽くす」一介の牧夫としてこの地に残ると告げたそうです。会津人に辛酸をなめさせた「国家」と、彼が尽くそうとした「国家」、その関係が彼の心中でどう整理されていたのかは展示でわかりません。ただ彼にとっては「国家」とは既成のもので忠誠を尽す対象であり、みんなで作り上げより良く変えていくものではなかったようです。それにしても便のよくない地域を放置し、そこに反逆者・敗北者を配流し、そして国家権力には必要だが危険な施設(原発・米軍基地…)を設置するという構造は変わっていませんね。資料館の一画には、「三沢市いじめ根絶対策推進協議会標語」が貼りだしてありました。名称からして相当入れ込んでいるようですが、米軍および自衛隊基地や原発にともなう補助金がばらまかれて人間関係はずたずたに切り裂かれた結果なのか、あるいは地域の将来像に希望が持てないゆえなのか。
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 タクシーを待っていると、穴の開いた部分に顔を入れて記念写真をとるボード(仮に「はめこみ」としておきます)を発見。「野にあって国家に尽くす」という廣澤安任の言葉が記されておりますが、裏を見ると「おねがい たおれます よりかからないでくださいネ!!」 なるほど、日本という国家の脆弱さをさりげなく表現したオブジェだったのですね。顔をはめこむ部分が、家畜なのも納得しました。倒れそうな危なっかしい国家を支えさせるために、愛国心をストーカーの如く強要しているわけだ。何が愛するに値するか/値しないかを判断するの学力の一面です。そういう意味で、確かに昨今の学力不足問題は深刻ですね、いや子どもではなく大人のそれですよ。それはさておき、「はめこみ」の面白さに開眼。そこの場所でしか使えないのですから、完璧なオリジナリティをもった手作りの作品ということです。よしっ、これからは気をつけて捜してみよう。
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●斗南藩記念観光村 http://www.misawasi.com/~tonamihan/

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2005-11-29 06:19 | 東北 | Comments(0)

青森・秋田編(1):三沢(05.9)

 いやはや、結局沖縄旅行では落ち着きなく動き回ってしまいました。どうやらシックでロマンス・グレー紳士風のエスタブリッシュな旅は当分できそうもなく、修羅の如く“何でも見てやろう”という姿勢に徹底した方がいいのかもしれません。さて9月下旬に青森・秋田方面に、四泊五日で行ってきました。以前の青森旅行で行けなかった津軽半島を中心に、下北半島の尻屋岬灯台、花岡事件関連の史跡、小坂の芝居小屋(康楽館)を中心にプランを組んでみました。閉口したのは公共輸送機関の不便さですね。一時間に一本程度ならば何とかやりくりできますが、二時間・三時間に一本だともうお手上げです。地元の方々の御苦労がしのばれます。というわけで、今回はタクシーを多用せざるをえなくなるのを覚悟しましょう。本は太宰治の「晩年」を持参しました。
 三沢空港に飛行機が着陸する際、かなり長い時間低空飛行をしました。米軍三沢基地による航空管制のためでしょうね。空港には米軍のジェット戦闘機が並んでおり、物々しさを感じます。出口に迷彩服を着た女性兵士がいたのにはびっくり。
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 まずは斗南藩記念観光村をめざします。土日しか路線バスは通っていないので、いきなりタクシーを利用し、約15分で到着。戊辰戦争で敗れお家断絶にされた会津藩が、再興を許され斗南(となみ)藩として酷寒の地下北半島に移封されます。「北斗以南皆帝州」つまり天皇の支配する領土から追い出したのではないとして明治新政府は斗南藩と命名しますが、これは明らかに報復ですね。表向きは三万石、実収は七千石、その苦労たるや想像を絶するものだったようです。「ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書」(石光真人編著 中公新書252)には「陸奥湾より吹きつくる北風強く部屋を吹き貫け、炉辺にありても氷点下十度十五度なり。炊きたる粥も石のごとく凍り、これを解かして啜る」とあります。
by sabasaba13 | 2005-11-28 06:02 | 東北 | Comments(0)

「漱石日記」

c0051620_194013.jpg 「漱石日記」(夏目漱石 岩波文庫)読了。「ベルツの日記」の次の厠上本(便所で読む本)でした、漱石先生御免なさい。彼は日常的には日記はつけず、旅や留学の最中に日記を残していたのですね。「ロンドン留学日記」「『それから』日記」「満韓紀行日記」「修善寺大患日記」「明治の終焉日記」「大正三年家庭日記」「大正五年最終日記」から編集されています。
 留学日記では、欧米の文明に対する劣等感と、それに飲み込まれまいとする矜持が綯い交ぜとなった記述が興味深いですね。漱石の苦悩と呻吟がよく窺われます。ロンドンの悪天候に関する論及も多いので、よほどこたえたのでしょう、ノイローゼになるのも得心します。
 日本は三十年前に覚めたりという。しかれども半鐘の声で急に飛び起きたるなり。その覚めたるは本当の覚めたるにあらず。狼狽しつつあるなり。ただ西洋から吸収するに急にして消化するに暇なきなり。文学も政治も商業も皆然らん。日本は真に醒ねばだめだ。(1901.3.16)

 当地のものは天気を気にかけない。禽獣に近い。(1901.2.13)

 彼らは人に席を譲る。本邦人の如く我儘ならず。彼らは己の権利を主張す。本邦人の如く面倒くさがらず。彼らは英国を自慢す。本邦人の日本を自慢するが如し。いずれが自慢する価値ありや試みに思え。(1901.1.3)

 英国人なればとて文学上の智識において必ずしも我より上なりと思うなかれ。彼らの大部分は家業に忙しくて文学などを繙く余裕はなきなり。(1901.1.12)
 「修善寺大患日記」は少々期待はずれでした。もっと壮絶な独白が読めると思ったのですが… 「生き返るわれ嬉しさよ菊の秋」という一句は心に残ります。「家庭日記」における鏡子夫人への痛罵と嫌悪は凄まじい。これについては漱石の病的な妄想と夫人は述懐しており、次男伸六もそれを支持しています。もはや真相は藪の中か。
c0051620_19401855.jpg 気になる点が二つあります。行啓能に来ていた皇后・皇太子が、一般観衆は禁煙なのに平然と喫煙していることを批判し、そして従者がその煙管に煙草をつめたり火をつけているのを見て、漱石は「死人か片輪にあらざればこんな事を人に頼むものあるべからず」と憤慨しています。(1912.6.10) その文の右に小さく「原」と字がふってあります。明らかな誤字の場合に「原文のまま」という意味でつけられている記号ですが、このケースでは皇族への不敬な表現の責任を漱石に帰すためでしょう。皇室に関するタブーが生きている証左ですね、いいかげん削除すればいいのに。このすぐ後に漱石は「言葉さえぞんざいならすぐ不敬事件に問うたところで本当の不敬罪人はどうする考にや」と言っていますよ。
 もう一つ。この日記で大逆事件に対する言及がないことです。幸徳秋水の逮捕が1910年6月10日、漱石が修善寺に来たのが同年8月6日、菊屋で大量に吐血したのが8月24日、日記を再び書き始めたのが9月8日、事件関係者の死刑執行が翌年1月24~25日。ほぼ同時進行しており、漱石が知らなかったはずはありません。周知のように、天皇制を否定し無政府主義を信奉しただけで国家権力に殺された幸徳秋水や大石誠之助たち。明治憲法下において、思想・表現の自由が抹殺された重要な事件です。当然、文学者たちも(立場により違いはありますが)さまざまな反応をしています。森鴎外、石川啄木、徳富蘆花、永井荷風… しかし漱石は何も言っていない。大いなる謎です。

 漱石のいろいろな顔を知ることができました。それにしても他人の日記を読むって面白いですね。フフフフ 今は便所で啄木の「ローマ字日記」を読んでいます。なお以下の一節は銘肝します。
 未来は如何あるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となって現わるべし。(1901.3.21)
 本日の二枚は、漱石が滞在したロンドンの下宿と、修善寺の菊屋旅館です。
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by sabasaba13 | 2005-11-27 19:42 | | Comments(0)

「DAYS JAPAN 12月号 世界を動かした写真の50年」

 「DAYS JAPAN 12月号 世界を動かした写真の50年」観了・読了。以前にも紹介しましたが、今世界で起きている現実を写真によって報道し状況を変える一石になろうという志をもった気鋭の写真月刊誌です。昨今の萎縮した日本のジャーナリズムの中で、天狼星のように孤高に輝く稀有な写真誌、一人でも多くの人に読んでいただきたいな。12月号は「世界を動かした写真の50年」という特集で、1955(昭和30)年にオランダで設立された世界報道写真財団のコンテストで大賞となった作品のうち代表的なものを掲載しています。著作権の関係でこのブログでは公開できないのですが、見れば「ああっあの写真だ」と思い当たる方も多いと思います。ベトナム戦争関係では、川を渡って必死に逃げる母と子(沢田教一撮影)、ナパーム弾から逃げまどう裸体の少女、焼身自殺をする僧の写真。山口二矢が浅沼稲次郎を刺殺した瞬間の写真。そして私にとって最も印象に残る、天安門事件の際に素手で戦車の前に立ちはだかり対峙する男。下記のような注があります。
 チャーリー・コールは、写真がぶれないように、息を整えてシャッターを切った。彼は「この学生が命がけで抗議行動をするのなら、私も命がけでこの写真を撮る義務がある」と思ったという。
 第二次大戦後の歴史の証言として、いずれもおとらぬ貴重な写真の数々です。そして命を懸けて現実をフィルムにおさめ続けたカメラマン諸氏に敬意を表したいと思います。

 そしてトピックスとコラムでは、ジャーナリズムがまともに報道していない、そして私たちも知ろうとしていない、きわめて重要な記事がありました。
 まず11月4日と5日に、アルゼンチンのマルデルプラタで開かれた米州34カ国のサミットについて。米州自由貿易地域(FTAA)条約の締結が目的ですが、この条約が成立すると圧倒的な経済力を持つアメリカ資本や商品が米州全域を制覇し、現地産業を壊滅させることが予想されます。よってベネズエラ・アルゼンチン・ブラジルなどとの対立が激しく、ついに合意に至らなかったことです。注目すべきは二つ。まずこうした国々は「貧困廃絶」を最優先課題とする左派政権であり、アメリカの市場優先の新自由主義政策に対抗していることです。そして5万人の反グローバリゼーション派が、このサミットに対して抗議デモを繰り広げたこと。デモを呼びかけたのは、FTAAに反対するために国際的に組織された「西半球社会連合(HSA)」で、すでに米州を中心に労働組合、農民、女性、学生などの400以上の組織が加盟しているそうです。
 二つ目は、2005年のノーベル平和賞が、国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長に贈られたこと。これは周知の事実ですが、イスラエルは核兵器を所有しています。核拡散防止条約への署名を拒み、ディモナ核施設へIAEAの査察が入ることを認めていません。なおディモナ原発が核爆弾製造工場であることを告発したモルデハイ・バヌヌ氏は国家反逆罪により18年間もイスラエル獄中に収監されました。エルバラダイ氏はイスラエルに対して何の行動も起こさず、バヌヌ氏に会おうともしません。なぜこのような人物がノーベル平和賞に値するのか? (ま、佐藤栄作も受賞しましたが) 同様の事をしたイラク(まだイスラエルよりIAEAに協力的だったと思いますが)に対しては攻撃・殺戮を行い、イスラエルには軍事援助を行うアメリカ。そして見て見ぬふりをする国際社会。恐るべき二重基準です。バヌヌ氏にノーベル平和賞を贈れば、世界の反核運動に弾みがついたのに。

 なぜ、こうした極めて重要な動きを日本のジャーナリズムはきちんと報道しないのか。ワールド・カップで浮かれている場合ではないでしょ。そしてそれを支えるべき一般市民の知的怠慢(もちろん自分も含めて)の度し難さ。せめて身銭を切って、良質なジャーナリズムを応援し続けたいと思います。
 なお最後のページにラージガードに刻まれたガンジーの碑文が紹介されていました。
七つの社会的罪
1,理念なき政治
2,労働なき富
3,良心なき快楽
4,人格なき学識
5,道徳なき商業
6,人間性なき科学
7,献身なき信仰
 マハトマ、その通りです。

●DAYS JAPAN http://www.daysjapan.net/
by sabasaba13 | 2005-11-25 06:07 | | Comments(2)

「ブラザーズ・グリム」

 「ブラザーズ・グリム」を見てきました。ま、簡単に言ってしまうと、いんちき悪魔祓いで稼いでいたペテン師グリム兄弟が、本物の魔術と立ち向かうはめとなった… もちろんフィクションですけれど。4段階でいえば竹の中、時間はあっという間に過ぎました。グリム童話をちりばめ、魔女との対決シーンでの特殊撮影もそこそこ楽しめました。人を飲み込むようなドイツの森の表現は圧倒的。ちょうどナポレオン率いるフランス軍がドイツ(という国は未だなかったのですが)を占領している時代で、その対比が面白かったですね。フランス軍の司令官は森を焼き払おうとし、こう言います。「私は秩序を望む」 ドイツ=無秩序/自然、フランス=秩序/文明という描き方ですね。映画ではグリム兄弟は森を操る魔女を退治しますが、その後森=自然とどういう関係を築こうとしたのかな。映画はそこまでは語っていません。
 ナポレオンに対する敗北という屈辱の中から、ドイツという国民国家を立ち上げようという動きが起こり、やがて三月革命が勃発します(1848)。そうした流れの中で、実際のグリム兄弟は偉大なドイツ文化のルーツとして民話を採集したのでしょう。なおそれを聞き取った相手はフランスから亡命してきた新教徒の子孫で、シャルル・ペローの童話をもとに語ったそうです。それはさておき、グリム兄弟を軸にこの時代を描く映画も誰かにつくってほしいな。
 ところどころでクスッと笑えるシーンがあり、昔こんな笑い方をしたことがあるなあという既視感を覚えたのですが、プログラムを読んで合点。まことに迂闊、汗顔ものですが、監督テリー・ギリアムはかつて「モンティ・パイソン」を制作したチームの一人だったのですね。久しぶりに無性に見たくなってまいりました。
 最後にロッシーニの「泥棒かささぎ」序曲がかかるのは何故なんだろう? 彼のことだから何か仕掛けがありそう。初演は1817年ミラノです、時代は合っていますね。
by sabasaba13 | 2005-11-24 06:06 | 映画 | Comments(2)

だまたべ:カツオの刺身とマヨネーズ

c0051620_8301186.jpg 新コーナー「だまたべ」です。「騙されたと思って、食べてみて」の略称ですが、二、三回で終わりそうな気もします。花の命は短くて苦しきことのみ多かりし。それはともかく、第一回はカツオの刺身にマヨネーズをかけるという暴挙です。実は、マンガ「美味しんぼ」で登場した料理(?)なのですが、ご存じない方も多いと思うので紹介します。土佐の漁師が船上でカツオの刺身をサラダの中に落としてしまい、気にせずに食べてみたら大変美味であったことから発見されたそうです。あの海原雄山氏も「!」と言葉を失ったシーンは、マヨネーズ愛好家の間で語り草となっているはずです。そう、世界の片隅で叫びます、私はマヨネーズが好きだあああああああ
 カツオの臭みを濃厚なマヨネーズが包み、ねっとりまったりと絡み合いながら愛を囁いてくれます、まるでフランクのヴァイオリン・ソナタのように。違和感や常識や羞恥心や家族の視線なぞ、一千億光年の彼方に投げ捨ててください。美味いものは美味い。下手くそな盛り付けで恐縮ですが、参考の写真を掲載します。愛がとぐろを巻いている様子が肉眼でも確認できると思います。なお私がこの料理を食していると、山ノ神は露骨に嫌そうな顔をしますが、許容はしてくれます。ありがと。以前見た映画にこんな科白がありました。
 俺は喧嘩もした、カッパライもした。しかしハンバーガーにマヨネーズは絶対にかけない。そんなことは神が許さない。
 わが神は許し給うたのです。hallelujah!

 みなさんの「だまたべ」を、コメントやTBでぜひ教えてください。新しい惑星を発見する喜びを分かち合いましょう。
by sabasaba13 | 2005-11-23 08:32 | 鶏肋 | Comments(2)

東京錦秋編(4):小石川後楽園(04.11)

 地下鉄南北線に乗り、西ヶ原で途中下車。12:30から、飛鳥山公園にある渋沢栄一のためにつくられた図書館「青淵文庫」と、彼の別邸「晩香廬」の内部が公開されるので、見物してまいりました。後者は洒落た物件ですね。栗材の多用や葦を使った羽目板など、茶室のテイストをうまく洋間にアレンジしています。都内で唯一残る西ヶ原一里塚を拝見して、ふたたび南北線に乗り、飯田橋へ。
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 歩いて十分ほどで、小石川後楽園です。実はここは未踏の地。江戸時代初期に、水戸藩中屋敷の庭園としてつくられたもので、二代藩主光圀の時に完成します。入場券を買うために並んでいると、後ろの若い女性が連れに「なんでもみじのいろがかわらないのお」と舌足らずの猫なで声で話しかけていました。「目をつぶって歯をくいしばれ! 自分で考えろ!」と怒鳴りつけようと思いましたが、ここは我慢。入園すると、園内は芋を洗うような大混雑。ふと正面を見てのけぞりました。池の向こうに丸くて白くて巨大な物体が… 何と醜悪な東京ドームが借景になっています。シュールな光景だ、「トワイライト・ゾーン」のテーマ曲が脳中で鳴り響きます。チャカチャカチャカチャカ 気を取り直して園内を散策。ここも六義園と同じ「回遊式築山泉水」の大名庭園です。六義園より築山が高く、ダイナミックな感じがしますね。竹生島・音羽の滝・通天橋・渡月橋といった名前からも、東夷の都に対する強烈なコンプレックスをあらためて思い知りました。イチョウの落葉が敷き詰める坂道や、池におおいかぶさるもみじなど、けっこう見所も多いですよ。読売新聞社が倒産して巨人軍が地球上から消滅し東京ドームが完全に撤去されたら、また来てみよう。早くその日がくることを心の底から祈っております。中立を装いながら露骨に自民党を応援する新聞社と、球界の繁栄のためと称して金をばら撒き戦力強化をはかる増上慢な球団、嫌いですね。なお水戸学の大家藤田東湖は安政の大地震の時に、ここで母を守ろうとして圧死したのですね。その死を悼む碑がたっていました。
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 なお山ノ神の情報では、八柱霊園の紅葉が凄まじかったとのこと。みなさんの紅葉穴場情報をお待ちしております。

 本日の二枚は、小石川後楽園です。
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by sabasaba13 | 2005-11-22 06:14 | 東京 | Comments(2)

東京錦秋編(3):名主の滝・音無川親水公園(04.11)

 さらに十数分歩いて王子稲荷の先にある名主の滝に到着。王子村の名主畑野家が、屋敷内に滝を開き一般の人々に開放したことが嚆矢だそうです。本日の一押しはここですよ、ここ。複数の滝とせせらぎと築山と樹々が濃縮された空間で、狭いながらもマイナスイオンがムンムン充満しております。紅葉した落葉がはらほろひれはれと風に舞い落ち、せせらぎに浮かび流れ、そして水底に錦繍の如く折り重なっています。人影もまばらで、去り行く秋を思う存分堪能することができました。
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 そして音無川親水公園あたりの紅葉も拝見して、王子駅へ。1930(昭和5)年建築のこの橋は御茶ノ水の聖橋と酷似しています。今調べてみたら、聖橋の建築年は1929(昭和4)年、東京市復興局橋梁課架設で、設計は山田守でした。旅をしていると時々でくわす、気になる建築家です。
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 実は王子駅から少し歩いた所に、わが敬愛、そして畏怖するボクサー大場政夫が所属した帝拳ジムがあり、彼が通いつめた喫茶店「ディオンヌ」があります。以前行ったことがあるし、彼のことを思い出すと辛くなるので、今回は割愛しました。とにかく凄いファイターでした。興味のある方は(いないだろうなあ)、彼の伝記『狂気の右ストレート』(織田淳太郎 中公文庫)をご一読ください。(絶版だろうなあ) 「負けるなんて考えたことがない。」 彼の言葉です。ダウンして右足を捻挫しながらも、チャチャイ・チオノイを倒した試合(1973.1.2)は忘れられません、彼と一体になってチオノイを殴り続けた覚えがあります。自分の中の獣を、私は飼い慣らせたのでしょうか。三週間後の1月25日、ファイトマネーで買ったばかりのコルベット・スティングレイを走らせていた大場は首都高速のガードレールに激突、死亡しました。享年23歳。合掌。

 本日の二枚は、名主の滝と音無川親水公園です。
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 追記。「首都高に散った世界チャンプ」(織田淳太郎 小学館文庫)と改名された上で再出版されているかもしれません、未確認ですが。「激しく倒れよ」(沢木耕太郎 文藝春秋社)所収の「ジム」も大場政夫を描いたノンフィクションです。

●「奇人発見伝」より 大場政夫 http://www.j-tierra.com/tm/kijin/index41.htm
by sabasaba13 | 2005-11-21 06:04 | 東京 | Comments(2)

東京錦秋編(2):旧古河庭園・飛鳥山(04.11)

 20分ほどで、旧古河庭園に到着。もとは陸奥宗光の別邸でしたが、次男が古河財閥の養子となった時に古河家の所有となったそうです。彼が農商務大臣の時に、田中正造による足尾銅山鉱毒の告発を無視したのはむべなるかな。コンドル設計の洋館と洋風庭園、京都の庭師・植治こと小川治兵衛が作庭した日本庭園から構成されています。それほど広くない空間に、心字池・雪見灯篭・枯滝・石組を巧みに配置した力量はさすが。
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 さらにテクテク歩いて、飛鳥山公園へ。まずは渋沢史料館を見学しました。このあたりはかつて彼の本邸があったところです。渋沢栄一、近代日本の財界における屈指の指導者として金融制度・会社制度の確立に尽力した人物ですね。深谷には彼の生家と史料館が残されています。嬉しかったのは、彼の孫の渋沢敬三のコーナーがあったことですね。実業家であるとともに、民俗学・生物学にも造詣が深く、私費を投じてアチック・ミュージアム(後の常民文化研究所)を設けて多くの研究者を育てた偉材です。日本史における漁業研究の必要性をいち早く指摘し、『豆州内浦漁民史料』の編者となるなど、炯眼の士でもあります。故網野善彦氏も彼のもとで研究し、非農業民研究に入るきっかけとなったそうな。そうそう『僕の叔父さん網野善彦』(中沢新一 集英社新書)は面白いですよ。その展示に、わが敬愛する民俗学者宮本常一が敬三に出した書簡がありました。いやあガラスに顔を押しつけてむさぼるように読みましたね。律儀で真面目そうな字で
 今さら職について学問をすてる気にはなれませんので、とに角行きつく所まで行って見たいと思います。
 とあるのを読んで感無量。
 隣にある飛鳥山博物館・紙の博物館を見物して、公園を散策。飛鳥山という地名は、鎌倉時代末に紀州熊野の飛鳥明神と若一王子社(後の王子神社)を遷したところから生まれたそうです。八代将軍徳川吉宗は鷹狩りの際にしばしば飛鳥山を訪れていましたが、自分の出身地の紀州にゆかりがある事を知り、1270本の山桜の苗木を植裁し、やがて江戸庶民にも開放されるようになりました。ノブレス・オブリージュ(=身分の高いものは社会的責任を負う)を感じますね、同じ「暴れん坊」でも小泉純一郎首相との大きな違いです。さすが飛鳥山、桜の紅葉がみごとでした。
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 本日の一枚は、旧古河庭園です。
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by sabasaba13 | 2005-11-20 08:45 | 東京 | Comments(0)