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「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」

 「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」(橋本治 集英社新書0318C)読了。以前にも書評で書きましたが、他人の言葉を借りず、とにかく自分の言葉と頭だけで、徹底的に考えぬき、表現しぬこうとする橋本氏の態度には畏敬の念をおぼえます。ハードカバーだと二の足三の足を踏んでしまいますが、新書だと即購入です。
 本書は経済についての考究です。市場原理、勝ち組・負け組、バブルとその崩壊などについて、いつものように常識に頼らず考察を進め、そして日本と世界の経済の将来像までも見据えようという気宇壮大な試み。「今の日本の社会のあり方はおかしい」という考えから生まれた三部作(『「わからない」という方法』『上司は思いつきでものを言う』)の掉尾を飾る作品、読み応えがあります。「20世紀は、現実をなんとかしてくれる理論があるはずだとみんなが信じた時代」という指摘は鋭い。宝蔵院流十字槍でキャベツをサクッと貫いたような手ごたえです。そしてバブルがはじけて従うべき理論がなくたった結果、日本人は「勝った・負けた」で物事を判断するしかなくなったというのが著者の考えです。その勝ち負けを分ける基準は何かというと、いかに多くの利潤を得たかということですね。ここで一応疑ってみないと気がすまない著者の知的好奇心がムクムクと頭をもたげます。それでは利潤を得ることが経済活動の本質なのか? 以下引用します。
 経済とは、「ただ循環すること」で、そういう大雑把なものの中で「利潤を得る」の部分だけがクローズアップされてしまった―そういう「たった一つの方向性」ばかりが強調された結果、今の世界経済は苦しいことになっているのだろう、そして、それに連なる我々の生き方だって、どこか苦しくなっているのだろうと、私は思っているのです。
 それでは、経済において他にクローズアップすべき部分とは何か。著者の実家はお菓子屋なのですが、バレンタインデーの時にクラスの女の子はわざわざ他の店で買ったチョコを贈ってくれたそうです。利潤という視点からすれば、当然著者の店で買ってあげた方が理に叶っています。しかし自分の店で売っているチョコをもらうよりも、(儲けにならないけれど)他の店で買ったチョコをもらった方が治ちゃんは嬉しいだろうという判断です。利潤や儲けではなく、相手に喜んでもらうために物を循環させる。
 ここでは「物や金が動く」という行為とは別に、そして、「物や金が動く」という行為と連動して、明らかに何かが回っているのです。それは、「生きることが幸福でありたい」という感情です。これこそが、経済という人間行為の本質を示すものではなかろうかと、私は思うのです。
 カール・ポランニーの唱えた「経済は社会に埋め込まれるべき」という主張と軌を一にしていますね。綺麗事だ理想論だ夢物語だと醒めた目で言う人には言わせておきましょう。地球と人間の未来を救うには、ここから出直すしかないと確信します。

 著者の歴史感覚の鋭さを示す、現在と室町時代の比較を紹介します。「室町幕府につながる守護大名」は負け組(抵抗勢力)、新たに登場する「戦国大名」は勝ち組(小泉首相一派)。だとすると「朝廷・天皇」に該当する現在の要素は何か。政治的権限のほとんどを室町幕府に委譲してしまって、実質的な力がなにもない朝廷と天皇=形式的な日本の主権者。「日本の主権者でありながら、実質的な力を発揮できないでいるものはなんだ?」 そう、国民ですね。主権者がなにもできないという状態には、長い長い長い長い歴史と伝統があるわけです。でも歴史も伝統も変えることができます、少し勇気を出してみんなで声をあげれば…

 さていつまで続くことやらと始めたブログでしたが、何とかやってこられました。みなさんのご愛顧を心より感謝します。どうぞ良いお年をお迎えください。
by sabasaba13 | 2005-12-31 12:11 | | Comments(2)

鳥団子なべ

 いやあ寒い寒い。となると鍋料理を食べたくなりますね。今回は簡単な鳥団子なべの作り方を紹介します。「えっこれでいいの」と思うくらい簡単につくれます。
1.鳥の挽肉にできるだけ細かく刻んだ長ねき・おろしショウガ・片栗粉・生卵・醤油を入れて、徹底的にこねます、こねます、こねます。これをしないと崩れるので、指先が冷たくなってもそこは忍の一字。BGMはクィーンの「We will rock you」がお勧め。
2.鍋に適量の水を張り、醤油と日本酒を入れます。なお水と醤油の割合は6:1が一番良いようです。(ex.水カップ3に醤油カップ1/2) オリジナルのレシピには味醂も醤油と同量入れるとありますが、大反対。甘くなってしまいます。そして底に昆布を入れて煮立てます。
3.スプーン二本で鶏肉を団子状にして鍋に入れる。
4.他の具についてはお好みですね。わが家では豆腐・白菜・水菜を使用します。シンプルにした方がすっきりとした味になるような気がします。
 他の味付けやタレは一切必要なし。煮汁とともに、胃の腑にひたすら詰め込むのみ。胃の中が「美味い美味い」と大騒ぎになり、食卓に沈黙の時間が流れます。
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by sabasaba13 | 2005-12-23 06:33 | 鶏肋 | Comments(2)

「東京人 神田神保町の歩き方」

 「東京人 神田神保町の歩き方 2004年度版」(都市出版)読了。今回は日記風にまとめてみます。山ノ神が長年愛用していたスキー靴が体重に堪えかねてとうとう分解してしまいました。年末にスキーに行く予定なので、神田で落ち合って買おうという段取りとなりました。出先の彼女から電話がかかってきたので、待ち合わせ場所を神保町にある東京堂書店一階に指定し場所を詳しく説明。書店に到着し、しばし新刊書をチェックしました。ここは大好きな本屋で、学生時代からお世話になっています。硬派な本を実直に商うというその気概やよし。最近インターネットで注文することが多くなったのですが、やはりこうした知性にあふれる本屋に時々立ち寄らないとだめだなと反省。表紙をみただけで肌にブツブツができそうな本が、平積みされています。さすがは東京堂書店! おっロバート・パーカーの最新刊だ、「御一新とジェンダー」も面白そう、寺山修司に関する写真集も欲しい、山田風太郎の戦後日記も出たか、小関智弘さんも元気そうで何よりだなあ… 結局、「天皇と東大(上)」(立花隆 文芸春秋)と「中村屋のボース」(中島岳志 白水社)と、本書を購入。「散歩の達人」を立ち読みして、適当なスキー用具店も調べておきました。が、待てど暮らせど山ノ神の御姿が見えない。可能性としては、イ:道に迷って泣いてる、ロ:中央線の事故、ハ:絵本のコーナーかトイレにいる。うーん、どれもありそう。ハタ 東京堂書店の支店があるのではっ! 店の方に訊ねたら、はす向かいに「ふくろう館」という支店があるとのこと。すわっ急げ。
 やっとのことで落ち合え、さっそく交差点の所にあるカドヤ・スポーツに行きました。小さな店ですが、店員の態度が大変暖かく丁寧で気に入りました。リヤ・エントリーのスキー靴はもはや売られていないことは、小生の経験でわかっていたのでフロント・バックルを買うしかありません。山ノ神の出した注文は「着脱が簡単で、地味なデザインで、転ばない靴!」というもの。私だったら、そんなチューリップの歌みたいな靴があるか、目をつぶれ、食いしばれとどやしつけるところですが、温厚かつ篤実な店主は一生懸命さがしてくれました。山ノ神が靴を履いたり脱いだりしている間、「何故リヤ・エントリーというきわめて便利で安楽な靴が市場から消えたのか」と店主に質問。彼曰く「前傾姿勢ができないので勧めないコーチが多い」ということです。別にステンマルク(古いなあ)みたいに滑れなくてもいいじゃん、なぜ快適さを犠牲にしてまでフロントバックルにこだわるのか理解できません。もしや一級だの二級だの、日本でしか通用しない愚にもつかない資格を取るためではないのか。私たちにとってスキーとは、天気の良い日に、安全に楽しく、景色を見ながら大きなシュプールを描いてロングコースを滑り降りる極上の遊びです。結局、ラケットと同じヘッドの靴が気に入ったようで、これに決定。ほんとに親切なお店でした。
 さて夕食は何処で食べよう。おっスヰートポーヅで肉まんを売っているのか(売切)、こんど買ってみよう。結局、揚子江飯店で上海肉焼きそば、揚子江炒飯、酢豚をたいらげました。美味美味。
 要するに何を言いたいのかというと、神保町が大好きなのです。もちろん書店や古本屋がたくさんあることも魅力なのですが、誇りをもった志のある店が多いということにつきます。本書は、神保町が好きで好きで好きでたまらないという方々がよせた神保町へのオマージュ。余計なことはもう言いません。東京堂書店店長の佐野衛さんのお言葉を引用して、キーボード叩くのをやめます。
 実は、いわゆる本屋の目で選んではいないんです。研究をしたり本を読んだりすることが本当に好きな人にとって、これは面白いだろうなというものを選んでいる。それは日々、自分でも本を読んでいないとわからないことなんです。
 いい言葉だなあ。もう一つ、フランス文学者鹿島茂さんのお言葉も引用したくなりました。
 いい店というのは、一人で行っても四人席に座らせてくれる。よくない店は空いててもカウンター席に座らされる。…そういう店に対して「つぶれろ」という呪いをかけると、本当につぶれちゃうんだな、これが。
 万感の思いを込めて賛同します。飲食店だけでなく、そういう呪いをかけなくてはいけない企業や官庁や政党がいっぱいありますよね。みんなでいっせいに呪いをかけましょう。

つぶれろ!
by sabasaba13 | 2005-12-22 06:07 | | Comments(0)

青森・秋田編(19):田舎館垂柳遺跡(05.9)

c0051620_13543868.jpg さて急ぎましょう。駅に戻り、客待ちしていたタクシーをつかまえて垂柳遺跡をめざします。そうそう駅前にはこんな表示がありました。それは事実ですが、もう一つの事実も伝えないといけませんね、「暮らしを破滅させるかもしれないエネルギー 原子燃料サイクル」と。垂柳遺跡は656枚もの田んぼが発見された、日本最北の水田遺構です。運転手さんも正確な場所を知らないようです。「道の駅」には資料館ができているのですが、そこではなく実際に発掘をした現場に行きたいと無理を言い、結局、地元の方に訊ねて多分このあたりであろうという所に止めてもらいました。一面の水田とそれを取り囲む連山。それにしても2000年以上にわたり、土壌を流出せず耕地として使用できる水田の凄さにあらためて感服いたしました。なおこの時代以降、東北も「瑞穂の国」となったと思うのは、早とちりです。赤坂憲雄氏の「東北学へ」(作品社)によると、東北では稲作農業が中心とならず、畠作・焼畑・狩猟・採取を組み合わせた複合的な営みが近世まで続くのですね。東北が大きな変質を強いられたのは、近代に入ってからです。銘肝。そして田舎館駅まで送ってもらい、電車を待ちます。少し時間があるので近くの鉄製火の見櫓を見に行くと、こんな標語が貼ってありました。まあこれでも結構ですが、「いつも灯そう友との明かり」にすれば都々逸になって宴会の席でも使えますね、いかがでしょう竜也君。そして駅に戻る途中、ふと右手を見ると、おおっ、岩木山にかかっていた雲も消え頂が見えるではありませんか。黄金色に輝く稲穂を穏やかに見下ろす岩木山。絵になります。上の方にいる誰かさん、どうもありがとっ。
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 そして電車に乗り込み、弘前へ向かいます。それにしてもこのあたりは~館という地名が多いですね。中世の武士・土豪の拠点が多かったということなのでしょう。弘前から再び奥羽本線に乗って約一時間、今夜の宿泊地秋田県大館に到着です。ぜひ行ってみたい資料館へのバス運行表を調べたら、ぬぅわんと一日に一本! sigh やはりタクシーを利用せざるを得ませんね。さてお腹が減りました。ここに来たらやはり比内地鶏でしょう、夕食は鳥釜飯と地鶏唐揚げを堪能。なお比内の「ナイ」はアイヌ語の川という意味ですね。比内、院内など、「ナイ」がつく地名が多いという事実が、東北の歴史を解き明かすための一つの鍵です。
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 本日の一枚は、岩木山です。
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by sabasaba13 | 2005-12-21 07:21 | 東北 | Comments(0)

青森・秋田編(18):黒石(05.9)

 金木駅で降ろしてもらい、つがる鉄道「走れメロス号」に乗って五所河原に向かいます。黄金色に満ちた肥沃な津軽平野を貫く長閑なローカル線でした。岩木山がいまだ見えないのが残念。五所河原で奥羽本線に乗り換えます。左右にはりんご園が広がっていますが、今年は台風による被害がないようですね、よかったよかった。弘前に到着し、観光案内所で田舎館垂柳遺跡の場所を訊ねましたが、弘南鉄道弘南線の田舎館駅から歩いて15分ぐらいのところにあるようです。周辺の地図もなし、これは困った、やはりタクシー利用ですね。そして弘南線に乗って約30分で黒石に到着。駅から徒歩10分ぐらいのところに雁木が続く町並み「こまち通り」があります。藩政時代に考案された、雪よけの木製アーケードですね。蔵造りや古い建物、新旧とりまぜた雁木、観光地らしいわざとらしさもなく自然体で佇む街並みには惹かれます。雁木の上部に備え付けてある橇や戸袋の鏝絵も発見。
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 ふと横町を見ると何やら異な登楼が… 間違いない、1924年築の古い火の見櫓です。いそいそと近寄りじっくりと拝見しました。火の見櫓だの灯台だの煙突だの、高い建造物が無性に好きなもので… うん、これは逸品だ。盛岡弘前など、東北には戦前の木造火の見櫓がかなり残されています。(八戸にあった傑作が取り壊されたのは残念) 何故なのかよくわかりませんが、高層建築が少ない、予算がない、古い物を大事にする、等々の理由なのでしょうか。火の見櫓フリークにとっては垂涎の地です。その余韻もさめやらぬうち、横町を曲がると、T字路の正面にまた何やら異な登楼が… いそいそと近寄ると、これまた古い火の見櫓です。素晴らしいランドマークです、気に入った黒石!
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 本日の二枚は、黒石の街並みと火の見櫓です。
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by sabasaba13 | 2005-12-20 06:10 | 東北 | Comments(2)

青森・秋田編(17):金木・斜陽館(05.9)

 そして次の目的地、金木に約20分で到着。まずは太宰治の生家斜陽館(1907年落成)を拝見しました。彼は「苦悩の年鑑」の中で「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いていますが、たしかに大きい家ですね。正直に言って趣味の良さは感じられません。小作米が山と詰まれた広い土間、小作争議に備えて張り巡らせた煉瓦塀は、太宰治を理解するうえで不可欠の物件ですね。彼の生まれた部屋や、彼が遊んだ土蔵、津島家御仏壇も見ることができます。
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 すぐ近くには、幼い頃の彼が女中のたけによく連れてこられた雲祥寺というお寺さんがあります。余談ですが、この寺のホームページは面白いですよ。BGMがスカルラッティというのが鯔背だし、島倉千代子の「彼岸御和讃」や三橋美智也の「盂蘭盆会御詠歌」を聴くこともできるし、おみくじ太宰版のおまけつき。それはさておき「思い出」という随筆(新潮文庫「晩年」所収)に「たけは又、私に道徳を教えた。お寺へ屡々連れて行って、地獄極楽の御絵掛地を見せて説明した。…嘘を吐けば地獄へ行ってこのように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。」と描かれている地獄絵も本堂で見ることができます。なお、廻してそのまま止まれば極楽行き、止まる寸前に逆に廻れば地獄行きという金輪つきの卒塔婆は見当たりませんでした。何十回廻しても逆回りし絶望したと「思い出」に書いてあったのですが。
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 ●雲祥寺 http://www.jomon.ne.jp/~oldpine/

 本日の一枚は、雲祥寺の地獄絵です。原発と基地を抱えているかぎり、この煉獄が現出する可能性はないとはいえません。
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by sabasaba13 | 2005-12-19 06:07 | 東北 | Comments(0)

青森・秋田編(16):亀ヶ岡遺跡(05.9)

 そして一路南下、約20分で亀ヶ岡遺跡の資料館「縄文館」に到着です。縄文晩期(B.C.1000~B.C.300)の代表的遺跡で、芸術的な土器や出土品で著名です。今調べていたら、江戸時代には亀ヶ岡の古器物(亀ヶ岡もの)として文人たちの間に愛好されたこともあると、菅江真澄の紀行文に記されているそうです。縄文時代は、列島東部の方に栗・胡桃・鮭・鱒などの豊かな食料資源があったので、人口の大半が集中していたようです。三内丸山遺跡を見てもわかりますね。しかしこの豊穣さを支えた温暖な時期(縄文海進)が終わりをつげた結果、列島東部の集落は壊滅的な打撃を受け、コミュニティ崩壊を防ぐために異常に呪術・祭りが発達したのではないかといわれています。亀ヶ岡式土器の華麗さも、それと関係があるのかもしれません。出土品は散逸しているため、資料館の展示物も小品ばかり。マチスの「ダンス」を髣髴とさせるデザインの漆器片が見られたのは眼福でした。目を引かれたのが、有名な遮光器土偶の写真です。文化庁蔵? なぜ? さっそく係の方に訊ねたところ、個人で所有していたある方が、文化庁に売ってしまったとのことでした。日本の「ナショナル・ヒストリー」を創造するために文化財の優品を買い集めたのかな。六ヶ所村の土地のように、農民の貧しさにつけこんで、宥めて騙して脅かして二束三文が買い叩いた可能性もありますね。文化庁の方、反論があればどうぞ。真相を知りたいな。それにしても東北の栄光と悲惨の二面性を垣間見たような気がします。そしてすぐ近くにある遺跡のモニュメントを拝見、眼前には豊穣な津軽平野が広がっていました。
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 本日の一枚です。心なしか、故郷に帰りたいと目が潤んでいるような…
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by sabasaba13 | 2005-12-18 08:31 | 東北 | Comments(0)

青森・秋田編(15):十三湊(05.9)

 津軽半島北部西岸は集落もなく、山また山です。冬季は道路も閉鎖されるとのこと。なお運転手さんの話では、このあたりの紅葉がそれはそれは見事だそうです。紅葉マニアとしては聞き捨てならない情報、他の穴場として下北半島の薬研温泉付近もいいそうですよ。段々になって落ちる七つ滝を見て、約45分で唐川城跡に到着です。12世紀後半から15世紀までの長い年月、環日本海世界の中心都市として栄えてきた国際貿易港、十三湊(とさみなと)探訪の一環です。「津軽舟」と呼ばれる船便で中央と結ばれる一方、当時の最北端の港として、北の世界とつながるターミナルとしての役割を果たし、中国との交易をはじめ、国内外の物産がこの地に集まり、大交易港となったのですね。また岩木山周辺の古代製鉄の流れを引き継ぐ製鉄の一大基地津軽をひかえ、鉄の積出港としても栄えたようです。なるほど津軽の豊かさは製鉄とも関係があるのか。しかし、その後の大地震や日本海から吹き寄せられた砂によって浅くなり、現在ではひっそりとした津軽の一漁港になっています。もう鎌倉と京都だけで中世史を語るのはやめたほうがいいですね、ここ津軽もアジア世界とつながるターミナルだったのです。
 そして十三湊の繁栄を支えていたのが、謎の一族、北の覇者、安東氏の存在です。前九年の役で源頼義に敗れた安倍貞任の末裔ともいわれ、鎌倉時代には執権北条氏の代官(蝦夷管領)としてこのあたりを支配し、十三湊における交易を足場に巨大な勢力となります。室町時代には「奥州十三湊日之本将軍」と称しますが、1432年ごろ南部氏との戦いに敗れて、北海道に渡り、のちに戦国大名秋田氏の祖になったといわれます。おそらくその安東氏の山城だったのがここ唐川城です。小高い山の中腹にあり、眺望はぐんばつ! 眼下には十三湖、その向こうは日本海、その間の細長い砂洲にある集落がかつての十三湊。ここから、海を行き来する何十何百の船を眺めていたのだろうなあ。津軽平野も一望でき、これで岩木山が見えれば、もう気分は北の覇者。3年前の東北旅行でも、雲のため岩木山が見えず落胆したのですが、今回も曇天のため見えません。よほど山ノ神に嫌われているのでしょうか… 
 そして安東氏の居城といわれる福島城跡を見て、中の島にある市浦村歴史民族資料館へ。大変充実した見やすく分かりやすい展示で、しばし時間を忘れてお勉強。中国製の青磁、白磁、朝鮮製の象嵌青磁などの大量出土、本格的な都市計画に基づいた中世都市、往時の繁栄がよくわかりました。でも見学客は私一人、もったいない、もっとみなさんが興味をもっていい所だと思います。船乗りに思いを寄せた遊女がつくったという民謡「砂山」の碑を見て、現在の集落を抜けます。発掘はかなり進んでいるようで、土塁跡や町屋敷跡を示す解説板がありました。見学客を誘致するには、何かしら可視的な物件を用意したほうがいいと思いますが難しいかな。
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 ●市浦村歴史民族資料館 http://www.shiura.net/siryo.html

 本日の三枚は、七つ滝と、史跡案内図と、唐川城址からの眺望です。
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by sabasaba13 | 2005-12-17 08:36 | 東北 | Comments(2)

青森・秋田編(14):竜飛岬(05.9)

 翌日はやはり曇天。9時にタクシーを予約したので、それまで竜飛岬を散策しましょう。まず昨晩ひどい目にあった津軽海峡冬景色の碑から日本唯一の階段国道を延々とおりて、港につきました。ここには太宰治の文学碑があります。
ここは本州の袋小路だ。讀者も銘肌せよ。諸君が北に向つて歩いてゐる時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ濱街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小屋に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全く盡きるのである。(「津軽」より)
 太宰の目は中央から津軽を見ていたのですね、津軽から見れば東京が最果ての地なのに。ふたたび延々と階段国道をのぼり、今度は階段村道(!)をのぼります。国に喧嘩を売っているようで、気持ちいいですね。
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 あらためて竜飛岬灯台を拝見。その先が展望台で、津軽海峡や北海道を一望できます。突端部には自衛隊のレーダー基地、ん? その手前に何やらトーチカ・要塞のような物件があります。プレートを見ると「旧海軍監視所」とあります。なるほどここでロシア軍の侵攻に備えて監視をしていたわけだ。振り返れば、向こうの山腹には風力発電の大風車群が見えます。竜飛岬は有数の強風地帯なのですね。さて灯台脇の階段を下りていくと、制服姿の屈強な三人とすれちがいました。おおおっ、もしやわが敬愛する灯台守の方々ではないのか! 後光がさしているようです、思わず手を合わせようとしましたが、灯台の方へ曲がらずレーダー基地に向かったのでとりやめ。竜飛岬は有数の強風地帯で、風力発電施設が林立しています。そういえば青函トンネルはこの真下あたりを通っているはずです。
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 さて次は岬の西側を海岸へと降りる遊歩道に行きましょう。草むしる手摺りのない急峻な細道、どこが遊歩道だ。これでは強風が吹いたらひとたまりもありません。幸い無風に近く、左右に雄渾な断崖が連なり、眼下には日本三大潮流の一つ竜飛潮流を眺望できるなかなかの絶景です。延々と降りて海岸に到着、白波を立て川の如く流れる潮流を間近に見て、また延々と遊歩道を上ります。はあはあ… 宿に戻るとタクシーが配車されており、さっそくコースと料金を交渉した結果、妥結。まずめざすは十三湖です。天気は回復しそうもないので、五能線はやめて黒石経由で大館へ行くことにします。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2005-12-16 06:09 | 東北 | Comments(2)

青森・秋田編(13):竜飛岬灯台(05.9)

 終点三厩駅に着き、駅前に出ると階段状のコンクリート製台座にのり、直角三角形の屋根をかぶせてある電話ボックスがありました。冬はさぞ雪深いのでしょう。調べたとおり、村営バスが待っていてくれました。数人の客がすでに乗り込んでおり、私もさっそく乗車、竜飛岬へと出発です。車内の注意書きを見えると、何と高校生以下は無料。いいですね。さらに停留所に関係なく、乗客を自宅の前で降ろしてくれます。いいですねいいですね。ちゃんと運転手さんが馴染みの乗客の家を覚えているのですね。私もお願いしたら、ちゃんと宿の前で降ろしてくれました。
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 30分ほどかかったので、もう夕暮れです。歩いて10分ほどの所にある竜飛岬灯台を見に行こうとしましたが、こう暗くては… ん? 暗い? 灯が点った灯台を間近で見られるではないか! これは初体験です、夕食を食べたらさっそく行ってみましょう。午後7時半、すっかり暗くなった夜道を歩いて灯台の建つ小山のふもとに到着。津軽海峡に浮かぶイカ釣り船の漁り火が旅情をさそいます。ふと見るとここにも「津軽海峡冬景色」の碑がありました。押すと曲が流れるであろうボタンがついており、まさかこんな夜中には鳴らないであろうとたかをくくって押すと、「じゃじゃじゃじゃーん」。あたりを揺るがす大音量で曲が流れ出してしまいました。汗顔赤面、ピンポン・ダッシュをしてつかまえられた子供のようにあたふたとしましたが、幸い周囲に家はなく事なきを得ました。ああ恥ずかしかった。押す方も押す方だけど、鳴る方も鳴る方ですよ。
 そして階段をのぼって小高い小山の上にある竜飛岬灯台へ。ぐるんぐるんと20秒周期で回転しながら暖かい灯光を放ち、夜の海を進む船を導くその神々しい御姿に見惚れてしまいました。船乗りにしてみれば、さぞ心強い光でしょうね。この灯を守り続ける灯台守の方、無条件で尊敬いたします。ええもんみせてもろた。
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 さて寝酒を飲みながら、明日についての戦略をねります。当初の予定では、午前中は津軽半島を徘徊し、五所河原から眺望抜群のローカル線である五能線に乗り、東能代で奥羽本線に乗り換えて宿泊地大館に行くつもりでした。しかし天気予報によると曇天、だったら弘前にぬけて雁木(雪除けの木製アーケード)のある古い町並みの黒石と、最北の水田移籍である田舎館垂柳遺跡を見に行くのも一興かな。明朝の様子を見て決めましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2005-12-15 06:03 | 東北 | Comments(0)