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「ひとり旅は楽し」

 「ひとり旅は楽し」(池内紀 中公新書1742)読了。著者はドイツ文学研究者ですが、NHK-FMの「日曜喫茶室」の常連だったり、「地球の歩き方」に一文を呈したりと、学者ぶらないかなり気さくな方だという印象をもっていました。そうそう「となりのカフカ」(光文社新書164)もわかりやすく面白かったです。その池内さんがこれほど一人旅を愛してやまないとは知りませんでした。普通、旅行に関する本ですと、何やらノウハウを偉そうに伝授するとか、単なる自慢話に終始するとか、(本ブログのように)知ったかぶりの知識をひけらかすとか、鼻持ちならないものが多いのですが、この本は違います。
 場末の大衆酒場(死語?)で一杯やりながら、「そういえばこんなことがあったけ、また旅に行きてえなあ」と語りかけられるようなしみじみとした滋味に溢れた旅の本です。決して押し付けがましくなく、かといって読者を突き放し孤高の境地を気取るでもない、「淡き水の如き交わり」を読者、というよりも旅好きの人間と結ぼうとしているような気がします。
 訪れた町の本屋を丹念に見て歩く、足と連動させて嗅覚と視覚を研ぎ澄ます、タクシー運転手との会話を楽しむ、鉄道受け入れに反対し時勢に乗り遅れたがその結果古いものを残せた町の頑迷固陋さを褒め称える、蚊と闘う(小泉八雲は「なにやら邪悪な人間の魂が圧縮されて、あの微妙な風体と化し、かすかな泣き声をたてているのではあるまいかと想像したくなる」と言っているそうな)、風呂でおしゃべりする人を心がカラッポだと罵倒する… 旅とともに思考と感性が、空高く飛翔していくかのようです。高橋新吉という詩人の存在を知ったのも、この本です。
生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
生きてゐる事は滑稽な事だ            「滑稽」

留守と言へ
ここには誰も居らぬと言へ
五億年経つたら帰つて来る   「るす」
 わが意を得たのは、日本旅館と同窓会を嫌うという著者の識見です。前者に前者については、一人一室を断る、料理を作り置きしてある、部屋で食事を食わせる、スリッパが安っぽい、酒の銘柄を選べない、半纏やどてらをたたんで新品にみせかける、などなど。ポンッ 同感です。後者についてはもっと手厳しい。
 むかしから同窓会といったものが苦手だった。何十回となく案内をもらったが、とうとう一度も出なかった。たまたま同じ年に学校にいたというだけで旧交をあたため合うのはへんだと思うからだし、何の必然性もないのに集まってワイワイいうのはコッケイなような気がするからだ。同窓の縁でむつみ合うのは、ぬくもりの残ったトイレに腰かけるような不快感がある。
 パンッ これも同感。特に最後の喩えは秀逸ですね、時々使わせてもらおうっと。

 凡百の旅行記とは一線を画す好著です。ああまたどこかに一人で行きたくなってきた。
by sabasaba13 | 2006-01-31 18:23 | | Comments(2)

「オリバー・ツイスト」

c0051620_6112946.jpg ロマン・ポランスキー監督「オリバー・ツイスト」を見てきました。チャールズ・ディケンズの同名の小説を映画化した作品です。19世紀のロンドンを舞台に、孤児にして浮浪児のオリバー・ツイストが巻き込まれる事件や、彼を取り巻く人間群像を、大変手際よく2時間強でまとめてあります。面白い映画でした。孤児を強制労働させる救貧院や、ロンドンの醜悪にして活気にあふれた裏町の様子などをリアルに再現して活写するポランスキーの力業には感服。そして人間の「善」と「悪」に満ち溢れた映画でもあります。彼を苛め抜く棺桶屋の人々、行き倒れたオリバーを救う農家の老婆、ロンドンにやってきた彼を助け世話しながらも掏摸の暮らしにひきずりこむ盗品売買業者の老人フェイギンと手下の子どもたち、オリバーの庇護者となる裕福な紳士ブラウンロー、彼を強盗の手先として使いその秘密を守るためにオリバーを殺そうとするビル・サイクス、それを食い止めようとしてビルに殺される優しい情婦ナンシー。私が一番惹かれたのは、サー・ベン・キングズレー演じるフェイギンですね。社会に見棄てられた浮浪児たちを慈悲深く優しく世話する一方で、彼らに盗みを働かせ邪魔になると警察に密告する人物、平板で危険な善悪二元論を超越しています。それを見事に演じきったキングズレーの表現力! スクリーンに映る彼の顔が、時には聖者に、時には悪魔に見えてきます。なお彼は『ガンジー』の主役としてマハトマを演じていました。特殊メイクアップのため、全く気づきませんでした。オリバーを演じたバーニー・クラーク少年も頑張っていましたが、正直に言ってフェイギンに喰われて影が薄かったという印象です。
 原作は1837~39年に新聞に連載されたそうですが、この時期のイギリス史は下記のような動きです。
1816年 茶貿易拡大のためアマースト特使を中国に派遣。
1817年 マラータ戦争により、インド全域を支配。
1819年 シンガポールを買収。
1823年頃 インドへのイギリス綿製品輸出が、インドからの輸入を上回る。イギリスからインドへの綿製品貿易が成立。三角貿易の完成。
1833年 東インド会社の貿易独占権をすべて剥奪。カリブ海域で奴隷制度が廃止され、砂糖の輸入自由化にむけての準備がはじまる。
1838年 「人民憲章」が発表される
1839年 アヘン戦争。
1840年代中頃 各国の鉄道建設に、イギリス資本が激しく流れ込む。
1842年 南京条約。香港を割譲させる。
 というわけでこの時期は、東洋の衰退と、西洋の勃興が交差するきわめて興味深い時代です。もちろんその主役となったのはイギリスですが、その状況や社会の変化を映画に盛り込んでほしかったというのは無茶な注文かな。ま、でも「陽の沈まぬ帝国」の民衆や子どもたちの過酷で悲惨な生活についてはよくわかりました。

 追記 パンフレットで、この小説をはじめて翻訳(というよりも翻案)したのが堺利彦であることを知りました。1911(明治44)年に主人公を「小桜新八」にして「都新聞」に連載されたそうです。盟友幸徳秋水が大逆事件により殺された翌年、そして日露戦後恐慌の最中ですね。この小説を、社会的不公正に対する弾劾の書としてとらえていたのでしょう。
by sabasaba13 | 2006-01-30 06:12 | 映画 | Comments(2)

野田編(5):利根運河(05.11)

 さて、醤油醸造家の茂木佐平治が自らの邸宅を市に寄贈し、市民会館として利用されている和風建築の外観を見物して、野田市郷土博物館へ。一階では企画展として野田とゆかりが深い人物の紹介、二階は常設展で醤油醸造関係の展示がありました。ここで分かったのが、この博物館を設計したのが山田守でした。御茶ノ水の聖橋、日本武道館、京都タワーなどを設計した建築家で、以前から気になっていた方です。よもや野田で会えるとは。隣にある旧茂木佐平治邸庭園を拝見して目貫通りに戻り、小津が下宿していた山下家跡を確認。煉瓦塀の一部のみ残されていました。その前にある「コロッケの平野」は残念ながら売り切れ。野田市駅に戻る途中にも、給水塔などの醤油醸造物件やかつての豪農らしき民家を見かけました。たわわになる柿が陽に映えてきれいだったなあ。
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 そして東武野田線に乗って、運河駅で下車。目の前には東京理科大学と利根川と江戸川を結ぶ利根運河があります。江戸時代、この二つの河川は関宿を分水点として銚子と江戸に流れ、航路として利用され、川筋の町々は物資の集散地として繁栄します。醤油醸造業が発達したのも、江戸という大消費地への輸送の便と、付近でつくられる大豆と小麦、そして行徳などで生産される塩が結びついた結果ですね。しかし江戸末期に江戸川中流の野田-関宿間に中州ができ船運に支障をきたしたので、オランダ人技師ムルデルを招いて政府が1890(明治23)年に竣工したのがこの運河です。しかし陸運の発達により衰微し、現在は公園として整備されています。まず土手の上の遊歩道兼自転車道をしばし散策しました。運河自体は小規模なものですが、芝で覆われた土手や木々がきれいですね。ゆるやかにうねりながら流れているので、歩くごとに景観の変化を楽しむことができます。こうした広々とした空間というのは精神衛生上まことに結構なもの、身も心も解き放たれます。詩嚢が枯渇しているので、一句も浮かばないのが悲しいところですが。ふと空を見上げると、雁行を組んで飛翔していく渡り鳥の群れが次々とやってきます。野田線の鉄橋の西側は、ムルデルや運河の記念碑がある水辺公園として整えられています。川辺に下りると、向こう岸へ渡る浮橋が何本かかけられています。橋の上で、夕映えを写す川面をぼーっと眺めながらしばし佇んでしまいました。公園のシンボルになっている赤いトンガリ屋根の水量測量塔も愛くるしいですね。そして運河駅に戻り、塒へと向かいました。 というわけで関東甲信越小さな旅野田編でした。実は時間が足りなくて見逃した物件が多々あります。鈴木貫太郎記念館、関宿城博物館、池松武之亮いびき資料館(!)、関根名人記念館、金乗院の算額、鎌倉権五郎目洗いの池、小林一茶足跡の地などなど。また来てみようかな。ただアクセスの悪さ、公共交通機関の少なさには閉口します。思い切って、前から欲しいと思っていた折りたたみ式自転車を買おうかなと逡巡する今日この頃…
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by sabasaba13 | 2006-01-29 09:05 | 関東 | Comments(10)

野田編(4):野田市立中央小学校(05.11)

 そして愛宕神社と西光院を見学。愛宕神社には見事な彫り物の社殿と、磐境・力石がありました。西光院には板碑があるはずなのですが見つけられず探索を断念。
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 次に先ほど通り過ぎて気になっていた野田市立中央小学校を訪問しました。正門から校舎へと続く道の両側に、何気なく普通の民家が建ち並んでいるのです。実は関東大震災(1923)の後、耐震のため鉄筋コンクリート製の校舎がつくられるとともに、地域住民の避難のために小公園と組み合わせた学校が増えます。これは仮説ですが、避難所として住宅地域の中に学校を埋め込んだ結果ではないか。アール・デコ調の装飾からも1920年代後期の建築と見た。というわけで校舎一階の通路を抜けてすんなりと校庭に出ることができました。その一画にある教育史料館は第一・第三土曜日のみの開館、幸い本日が該当しており勇んで入館しました。学校生活の様子を撮った写真や記念写真、教科書等の展示が中心ですが、明治天皇の御真影が見られたのは収穫です。帰りしなに、受付をしていた保護者の方に、あまり期待はせずに「奉安殿は残っていますか」と訊ねたところ、「あります」との回答。やりっ! 是非是非拝見したいと頼み込み、案内していただきました。前記の校舎の中に入っていくので、どうやら室内で御真影・教育勅語を保管するための奉安庫のようです。この鉄筋コンクリート製校舎は昭和3(1928)年に建てられたので「三年館」と呼ばれているそうです。うん読みは当たった、間違いなく震災復興小学校です。高い天井や幅の広い階段など、全体としてゆったりとつくられています。「簡単に壊れる物を作ったら職人恥だ」という心意気を感じる、頑丈なつくりですね。昨今、この気概はどこに消えてしまったのでしょう。販売促進のために、ある期間を過ぎると壊れやすくなる製品をつくる企業もあるという不穏なうわさも聞きます。
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 さて、案内されたのは旧校長室、古風なデザインの机、テーブル、書架が並ぶ室内の壁に奉安庫が設けられていました。観音開きの鋼鉄製の扉で、中には桐でつくられた収納スペースがあります。そして脇には勅語を運ぶための校章つき三宝も展示してあります。これでは当時の生徒や教員が、天皇という権威に頭を垂れるのも納得です。どんなに空虚なものでも、仰々しく扱うことによって権威を付着させることができるということを物語る貴重な遺物です。ぜひとも未来永劫、権威主義的教育を復活させないため(もうしているかな)の他山の石として大事に保存していただきたいと思います。
 学校の前にこんなポスターがありました。怖い…
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 奉安殿・奉安庫に関するバック・ナンバーです。
 旧滝部小学校(山口) 登野城小学校(沖縄) 旧宇和町小学校(愛媛) 函館護国神社(北海道)
by sabasaba13 | 2006-01-28 08:32 | 関東 | Comments(0)

野田編(3):(05.11)

 そして再び目貫通りに戻り、小津の母が下宿していた「しこくや」(現在は理容店)、ロマネスク様式の公会堂である興風会館、復員した小津が記念写真を撮影した「戸澤写真店」、旧野田商誘銀行(醤油の語呂合わせ)を拝見しました。このあたりの街並みはなかなか蠱惑的です。近代洋風建築やしゃれた洋館があるかと思えば、重厚な蔵造りの商家や民家、下見板張りの家屋、無個性なインターナショナル様式の現代建築、廃屋とあばら家までとりそろえる、まるで近代建築史の雑多な博物館。百花繚乱というか風馬牛というか… このヨーロッパの都市とは似ても似つかぬ無秩序さ、統一感のなさは一考の価値があると思います。以前に読んだ本で知ったのですが(書名は失念)、ドイツ地方都市の見事に統一された街並みは、第二次大戦後に整備された事例が多いようです。ホロコーストを引き起こしたという精神的痛手を癒すために、ナチス以前の伝統的ドイツ文化に心の拠りどころを求める動きが戦後ドイツにあったそうです。もちろん、虚構としての伝統ですが。その一環として、荒廃した都市を中世ドイツ風の美しく統一された街並みとして再建したとのことです。なるほど。日本の都市の無秩序さは、国家の戦争犯罪にアイデンティティを崩壊させるほどの精神的衝撃を人々が感じなかったことが一つの原因かもしれませんね。なお興風会館内に「あおいそら運動推進委員会」のポスターがありました。「らくなことだけを考えず、元気にがんばろう」というのはみもふたもない表現ですね。某商店では珍しい護符を見つけました。
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 野田の醤油発祥地の記念碑を見て、キノエネ醤油の重厚な黒板塀を拝見。残念ながら内部の見学はできません。小津安二郎の妹が嫁いだのが、ここの社長さんです。
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by sabasaba13 | 2006-01-27 05:46 | 関東 | Comments(0)

野田編(2):高梨本家上花輪歴史館(05.11)

 歩いていて気づいたのが、敷地内に小さな祠をもっている家が大変多いことです。稲荷か屋敷神かはわかりませんが、気になりますね。空腹を抱えて街の中心部に行くと、「Very」という洋食屋がありました。渡りに船、さっそく入って和風ハンバーグ「東洋の神秘」を所望。味は可もなし不可もなしでした。店のオーナーが格闘技のファンらしく、店内にはプロレスのポスターがたくさん貼られ、トイレにはアントニオ猪木の写真が貼ってあります。なるほど、1、2、3、ダァーッと出してもらおうという配慮かな。個人的にはボブ・バックランドとの一戦が好きです。外に出ると店の前に「小津安二郎監督ゆかりの地を歩く」という地図が貼ってありました。これははじめて知りました。彼の妹が野田のキノエネ醤油に嫁いでいた関係で、戦時中に彼の母や弟が野田に疎開し、彼も敗戦によってシンガポールから復員した後六年間ここに身を寄せていたそうです。よろしい、小津関連物件も見て回りましょう。隣にある須賀神社猿田彦神像を拝見して、香取神社を抜けて、めざす高梨本家上花輪歴史館と煉瓦蔵に到着。そうそう途中に飯田商店という薪を山のように積み上げた豪壮な造りの店がありました。
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 ここはキッコーマン醤油の創立者である高梨家の居宅・庭園・屋敷林を保存・公開しています。それはそれは見事な冠木門をくぐり、古木生い茂る屋敷林を気持ちよくしばし散策。建物はそれほど古いものではなく、歴史的価値もないようですが、趣味の良さには惚れ惚れしました。曲線を描く明り取り、生木の柱、竹を埋め込んだ縁側、洒落た意匠の蹲や敷石、注文主の意向を形として仕上げた匠の技も光ります。こういうふうにお金を使えば、腕の立つ職人も育つのになあ。それにしても日本建築に関する語彙が決定的に不足していることを痛感。勉強しなければ。そうそう扇を投げて的に当てる遊具(投扇興)の実物をはじめて見ました。
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 はす向かいにはキッコーマン野田工場の煉瓦蔵があり、昔ながらの杉樽仕込みによる醸造の様子をガラス窓越しに見学することができます。
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 本日の一枚は「小津安二郎監督ゆかりの地を歩く」です。
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 追記。実は十代後半から二十代前半にかけて、プロレスをよく見ていました。村松友視の影響もありましたね。よってその頃活躍したレスラーの名を聞くと、あまづっぱいものがこみあげてきます。あるブログで知ったのですが、2006年2月ごろのANAの機内誌「翼の王国」に、プロレスラーを建築家に喩えるというエッセイが掲載されたようです。例えば…
 アブドーラ・ザ・ブッチャー→アントニオ・ガウディ
 スタン・ハンセン→フランク・ロイド・ライト
 ハルク・ホーガン→フィリップ・ジョンソン
 アントニオ猪木→ル・コルビジェ
 この面子を見ただけで、筆者は私と同世代であることがわかります。理由等はわからないのですが、想像するのも楽しいですね。タイガー・ジェット・シン→丹下健三というのはいかが?
by sabasaba13 | 2006-01-26 06:05 | 関東 | Comments(0)

野田編(1):もの知りしょうゆ館(05.11)

 千葉県の野田に行ってくると言ったら、山の神が怪訝な顔をして言いました。「何しに?」 当然の疑問ですね。お目当ては醤油関連物件です。また渋くて風情と古色のある街並みがあるのではないかという一抹の淡い期待も抱いて、いざ出発。日暮里で常磐線に乗り換えて、柏で下車。ここから東武野田線に乗って約20分で野田市駅に到着。ヒュルルルルル 秋風が吹く駅前には、観光案内所も貸し自転車も喫茶店も存在せず、バスターミナルがあるのみ。やれやれ、今日は歩くしかないなと腹を決めました。幸い駅で詳細な観光地図をもらえたので、何とかなるでしょう。正確な地図と、過不足ない観光物件の説明・情報、なかなか優れた小冊子です。
 さて、まずは駅の近くにあるキッコーマンのもの知りしょうゆ館へ。事前に調べた情報では、要予約ということでしたが、即見学可能でした。ミニシアターで醤油づくりの過程を説明する映画を見て、係の引率による工場内の見学となります。醤油づくりは、蒸した大豆と炒った小麦に麹をまぶし、食塩水を加えもろみとして熟成させ、それを絞るという工程からなります。この工場では全ての工程が機械化されており、大量生産のためとはいえ文字通り味気なさを感じます。原料の大豆と小麦はアメリカ産だというので、係の方に遺伝子組み換えとポスト・ハーヴェストの有無について訊ねました。すると前者については使用していない、後者についてはその言葉を知らないとのことでした。うーん、牛肉の一件もあるし、不安です。アメリカ産農産物は食べたくないですね。身の回りの食品に、さまざまな形で、相当数まぎれこんでいるのでしょうから難しいとは思いますが。多少値段は高くとも、安全で美味しい醤油を使いたいな。余談ですが、かつては見かけず近年猖獗をきわめる花粉症やアトピー性皮膚炎などは、農薬や食品添加物による複合汚染による可能性があると思います。
 お土産にキッコーマン醤油の小瓶をいただきました。なお、「キッコーマン」のマークの由来は、千葉県香取神宮の山号「亀甲」と同神宮の神宝「三盛亀甲紋松鶴鏡」にちなみ、亀は万年の「万」という字を組み合わせて図案化されたそうです。
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by sabasaba13 | 2006-01-25 06:11 | 関東 | Comments(0)

「浅草博徒一代」

 「浅草博徒一代 アウトローが見た日本の闇」(佐賀純一 新潮文庫)読了。余命幾許もない博徒を治療した著者が、彼の人柄に惹かれて聞き取った話をまとめた本です。時代は大正から昭和、恋と駆け落ち、博打、中国での兵役、殺人と服役、関東大震災、そして大空襲。浅草一帯に勢力を張った博徒、伊地知栄治氏の波乱万丈のアウトロー人生に引き込まれてしまいました。日本近代史の裏面と闇を語る証言としても貴重です。一つ一つのエピソードももちろん面白いのですが、何より彼の語り口が魅力的。己の人生を誇りもせず卑下もせず、満足もせず後悔もせず、淡々とざっくばらんに語ってくれます。なるほど、ボブ・ディランがこの英訳を読んで影響を受け、アルバム『Love and Theft』の歌詞に類似性が認められると話題・問題になったのも頷けます。
 関東大震災の時に指のない水死体がたくさんあったという話は初耳でした。高価な指輪を盗むために、膨れた指を切り落としたらしいです。刑務所から脱走した者は受刑者から英雄扱いされると勝手に思い込んでいたのですが、さにあらず。捜索費用捻出のため囚人の食費が減らされるので、凄まじい憎悪を向けられるのですね。もし仮に刑務所に入ることになったら、ちゃんと服役しましょう。敗戦直後の証言も興味深い。軍人も民衆も、軍の物資をかたっぱしから隠匿し盗み売り払った状況がよおくわかりました。「例の天皇陛下の放送だ、…あれでみんなが泥棒になった」という三郎の言葉、かみしめましょう。
 彼の語り口の魅力にふれてほしいので、長文ですが引用します。
 囚人の中には、…ご機嫌とりをやらないものもいます。そんな人間は、自分を絶対に曲げない、意地になっている。自分が相手に勝てるか勝てないかを考えないで、がむしゃらに喧嘩する野良犬のようなもんです。そんな囚人は、刑務所から出てもなに一ついいことが待っているわけじゃない人間が多いんですね。女房子どもがいるでなし、これという仲間がいるというわけでもない。もしそんなのがいれば、人間というものは目の前の苦しさには我慢出来るものです。

 バクチで儲けようなんて思って来るものはいましょうが、それは馬鹿というものです。バクチに金を賭けるということは、わたしに言わせれば擂鉢に金の延べ棒を入れてゴリゴリと擂るようなもんで、だんだん小さくなって、しまいにはなくなっちまう。…金は全部擂鉢、つまり胴元のところに吸われるように出来ているんですから…

 バクチ打ちというのは、今の暴力団とはまったく違います。バクチ打ちというのは、サイコロ一つで生きて行く一種の職人です。だから人情というものが大切で、人を痛めつけて自分だけ儲かりゃあいいというような考えでは、到底生きてはいけない世界ですよ。
 大事なのは希望と人情、そしてバクチに手を出さないこと。しかと受けとめました。それにしても最後の一文は、臓腑にずっしりと響きます。政治家・官僚・財界が声高に叫ぶ「市場原理・競争・自己責任・民営化」というのは、要するに人を痛めつけて自分だけ儲けりゃいいということですよね。堀江貴文氏を筆頭に、多くの企業経営者の行動基準だと思います。ま、彼は政治家の厚い庇護がないため逮捕されたのではないかな。けちらずにもっと自民党に政治献金をしていればよかった…と本人も悔やんでいるかもしれません。余談ですが日本の刑事裁判においては被告人の有罪率は99.95%(!!!!!!!!!!!)ということなので、起訴されたらほぼ間違いなく氏も有罪でしょう。それにしても、この数字には慄然とします。裁判所って何のためにあるのでしょうね。

 政官財関係諸氏に、博徒を見習えなどという無理無体な注文はしませんが、せめて彼らの人品・人格・人情に少しでも近づく努力をしてほしいものです。
by sabasaba13 | 2006-01-24 06:05 | | Comments(2)

麻婆豆腐

 先日見た映画「SAYURI」のパンフレットで、中国人俳優がとにかくよく食べることに驚いたという渡辺謙と役所広司のコメントが印象的でした。それでいてチャン・ツィイーもミシェル・ヨーもあんなに痩せていて美しいのですから、中華料理の奥深さを感じます。もちろん私も大好き。中華料理の美味しさにはいつも敬意を表しております。今回は陳健一氏直伝の、麻婆豆腐のレシピを紹介しましょう。レトルト食品は当然、そんじょそこらの中華料理店を木っ端微塵に吹き飛ばす超弩級の美味しい麻婆豆腐が、素人にも簡単につくれます。なお超弩級の「弩」とは第一次大戦後にイギリスが建造した最新鋭艦ドレッドノートのことだと聞きかじりました。それを超えるような巨大戦艦をつくる競争が激化していたことを物語るかつての流行語ですね。
1.豚の挽肉とにんにくみじん切りを炒める。にんにくの量は好みですね、入れなくともよし。豚挽肉は油がにじみ出るくらいじっくり炒めたほうがいいでしょう。
2.豆鼓(ドウチ)小さじ2+豆板醤(トウバンジャン)大さじ2+甜麺醤(ティエンメンジャン)大さじ1を混ぜておいたものをぶちこんで、挽肉とよくからめる。
3.そこに鶏がらスープを溶かした湯180ccを入れ、煮立てる。そして角切りの木綿豆腐を入れてしばらく煮込む。木綿豆腐はあらかじめ水を切っておいた方がいいかな。
4.胡椒・醤油・紹興酒を目分量で入れる。胡椒はその場で挽いたものがいいですね。日本酒でも可ですが、紹興酒の方が美味しいです。夜中に寝酒が切れた時のエマージェンシー・リザーブにもなります。
5.ねぎみじん切りを散らし入れ、水溶き片栗粉を加えてとろみをつける。フィニート。
 中華調味料を買わねばならないという初期投資がありますが、きっちり回収できる味です。化学調味料を入れる必要はまったくありません。わが家ではその存在が消滅して何年にもなります。再見。
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by sabasaba13 | 2006-01-23 06:07 | 鶏肋 | Comments(2)

「アンベードカルの生涯」

 「アンベードカルの生涯」(ダナンジャイ・キール 光文社新書195)読了。ふと何気なく本屋で手にして購入した本です。表紙の折り返しに記されている彼の言葉に興味を覚えたましたもので。
 もし私が、私がそこに生れ育った階級が呻吟する、忌わしい奴隷制と非人間的不正をやっつけることができなかったら、頭に弾丸をぶちこんで死んでみせる
 凄い。実は情けないことに、この方の名や事績を一切知りませんでした。こんな凄い人間がいたとは。スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。Bhimrao Ramji Ambedkar (1891~1956) 現代インドの社会改革運動家、政治家。デカン西部の大カーストで、かつて不可触民カーストの一つとされていた「マハール」の出身。ボンベイ(現ムンバイ)の大学を卒業したあとアメリカ、イギリスに留学。1920年ごろから不可触民制撤廃運動に献身。社会改革団体や政党を組織し、大衆示威運動を指導した。独立達成よりも社会改革を優先させるという立場から、ガンディーの指導する国民会議派の民族運動を批判。30~32年のイギリス・インド円卓会議に、被抑圧階級の代表として出席した。インド独立後は初代ネルー内閣の法相となる。また、憲法起草委員会の委員長として共和国憲法の制定に中心的な役割を果たした。この間、下層民の教育向上にも尽力し、シッダールタ・カレッジをはじめ数多くの教育機関、教育施設を創設した。なお、不可触民制を是認するヒンドゥー教を棄てる決意を35年に表明していたが、死の2か月前の56年10月に数十万の大衆とともに仏教へ改宗した。
 彼の人生は、カースト制を叩き潰し、不可触民の人間としての権利を勝ち取るための闘争の連続であったことが、この伝記を読んでよくわかりました。現状についてはわかりませんが、当時の不可触民が、そして彼自身が強いられてきた差別にまず言葉を失います。例えば…
 人びとを何よりも惨めにし、苦しめたのは、村の共用井戸の使用をどこでも禁じられてきたことであり、自分たちの井戸を掘る力のない不可触民は、カーストヒンズーの憐れみにすがり、その人びとが水を汲んであたえてくれるまで朝から晩まで井戸の周りで待つしかなかった。夏の激しい渇き、労働の後の渇き、生命を維持するために絶対不可欠な“水”すら意のままにならず、それを癒す手段さえ奪われていた。人びとは仕方なく腐った溜り水や汚水を掬って飲み、伝染病や病に冒されてその最大の犠牲者になっていった。
 詳細はぜひこの本を読んで欲しいのですが、この困難な問題に対して、彼は不退転・不撓不屈の決意で臨み、長期の粘り強い戦い・運動・交渉の結果、差別を廃止する条項を憲法に盛り込むことに成功します。印象深いのはガンディーとの対決です。カースト制を維持したまま、不可触民の地位向上を図ろうとするガンディーと、真っ向からこれに反対しカースト制の即時廃止を求めるアンベードカル。妥協を強いるために、何千万(何億?)ものインド人の支持をちらつかせ威圧し、死を覚悟した断食まで行ってアンベードカルを追い詰めるガンディー。己の信念を曲げずに孤立無援の中、ガンディーに最後まで抗うアンベードカル。手に汗握る緊迫した箇所です。私の知らなかったマハトマの一面を垣間見ることができました。「中村屋とボース」(中島岳志 白水社)も出たことだし、この三人を通してインドの近現代史を見直してみようと考えております。
 印象に残った彼の言葉です。
 この国にとって愛国的となるようなことを私がしたとするなら、それは私自信の良心に恥じない心からそうしたのであり、愛国心からではありません。長い間虐げられつづけた同胞に基本的人権をかち取るためなら、この国のためにならないことを幾らでもやってのけるでしょう。それが罪になるとは思わないからです。
 わかりました、国家よりも、まず人間。しかし日本という国家では、自民党・公明党・官僚・財界が、「勝ち組」「負け組」という柔らかいカースト制をつくろうとしているのです、Mr.Ambedkar。そしてグローバル資本によって、世界全体に新たなカースト制が敷き詰められようとしています。
by sabasaba13 | 2006-01-22 08:19 | | Comments(0)