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「マルチチュード」

 「マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義(上・下)」(アントニオ・ネグリ+マイケル・ハート NHKブックス1041~42)読了。知的能力不足がたたり「<帝国>」(以文社)は数十ページを読んで挫折し、傷心の日々を送っていたのですが、本書はどうやら読み通せました。一般の読者を意識して、できるかぎり平易な用語や語り口を採用したようです。やれやれ、やはりそうでなくちゃ。世界の今と未来を語る意欲作を、一部の研究者・知識人だけで独占するのは勿体無い。構成もわかりやすいものです。第一部「戦争」では<帝国>についての概観、第二部「マルチチュード」ではそれに立ち向かう人々の動き、第三部「民主主義」ではこれからの展望と希望について述べるという三部構成です。
 
 まず<帝国>とは何か? 過去の歴史に見られたような、ある強大な国家が他地域を征服したり植民地にしたりして、権益を拡大する動きとは違います。核/中心となる存在が複数あり(ex.強大な国民国家、グローバル企業や資本、IMFやWTOといった超国家的機関…)、それらがネットワーク状に結びついて、彼らの利益に合致する国際秩序を維持・管理するというのが、ネグリ&ハートが定義する<帝国>です。そしてこの国際秩序に異を唱える動き(イスラーム主義もその一つだと思いますが)に対しては、人権や民主主義の名の下にこれを暴力的に押さえ込む。よって戦争の形が、国民国家vs国民国家ではなく、現行の国際秩序を維持したい権力と、それを脅かす暴力の対決となります。これは戦争というよりも、地球を舞台とする内戦ですね。低強度の軍事活動と高強度の警察活動が渾然一体となり、国境という壁を超えてくりひろげられます。ということは、<帝国>の権力や暴力を正統性するには、人権・民主主義の擁護と、国際秩序の維持という大義名分が欠かせない。(人権や民主主義の定義や内実は、もちろん<帝国>が決定します) いいかえると人権・民主主義・国際秩序を脅かす敵が必要不可欠です。
 <帝国>の暴力を正統化するには、敵と無秩序とが恒常的に存在することが必要である。
 なるほど、アメリカ政府が9・11を事前に探知していたが何ら手を打たなかったという説や、安全保障理事国が武器の生産と輸出を制限する気配が全くないという事実も、納得できます。
 そしてマルチチュードとは何か? 複数を意味する“マルチ”と状態を意味する接尾詞“チュード”(ex.ソリチュード)を組み合わせた造語なのでしょうか。その意味するところは、<帝国>に脅かされるすべての人々と考えていいのかな。労働者や人民という表現を使うと、一つの大きなまとまりへと統合され、しかも主婦や不法移民が排除されてしまいます。それぞれの特異性や多様性(ジェンダー・人種・宗教…)をそのままにしながら、そうした差異をなくすのではなく、そうした差異が問題にならない世界を実現しようとする人々。そしてそうした差異(秩序)を固定・維持しようとする<帝国>に抗うため、ともに行動する人々。核/中心をなる組織や機関をもたず、ネットワーク状に結びついた人々。
 マルチチュードが目指すものは何か? 恐怖と不公正、貧困、自由の欠如をもたらす<帝国>を廃絶し、自由と平等からなる多様な関係にもとづく全員による全員の支配という、地球規模での民主主義を確立すること。
 今とは違う、より良い、より民主的な世界が可能であることを常に忘れず、そうした世界を待ち望む自らの欲望を育んでいくことが何より重要である。マルチチュードとはその欲望の表徴なのだ。
 そして群知性(人間は一人のときより多数のほうがより知的能力が高まる)を生かして、民主主義を実現するための新しい武器を発明すること。アリストファネスの『女の平和』で、主人公のリュシストラテが男たちに戦争をやめさせるためにセックス・ストライキを提案したように、暴力を伴わずかつ有効な武器を。

 ふうっ… 誤読もあるでしょうし、きわめて拙劣な要約ですが、私は以上のように受け取りました。具体的な提言に欠けるし、魅力的だが楽観が過ぎる夢物語だと批判するのは簡単です。しかし今われわれに必要なのは、未来への希望を抱かせてくれる、こうした魅力的な<物語>だと考えます。ナショナリズムという小さな<物語>に包まれて、ドイツやイタリアで日の丸を振り回し、アジアに強気(アメリカには卑屈)な小泉首相を支持するより、よほど生産的ではないでしょうか。また、これが夢・理想論だとも言い切れません。1999年にシアトルで開かれたWTO閣僚会議に対し、反グローバリゼーションを掲げた巨大な抗議運動や(インターネットで輪が広がり、環境保護団体・労働組合・学生などが参加し共闘したネットワーク状の運動)、イラク戦争を食い止めるために世界中で沸き起こった反戦集会やデモなど、微弱かもしれませんが<帝国>に異を唱える動きは確実に起こっています。
 著者も述べているように、古代都市国家という小規模な場における民主制を、国民国家という大きな場に根付かせようと奮闘した18世紀の思想家たち、そしてそれを実現した19世紀の人々の例もあります。地球規模の民主制だって不可能ではないと信じましょう。ある詩人もこう言っています。「君はぼくを夢想家と言うかもしれない、でも決してぼくは一人ぼっちではないんだ。ぼくたちと手をつなごう、そうすれば世界は一つになれる。」

 最後に、気になる一文がありましたので紹介します。以下引用。
 社会的領域ではすべてを<公>にして政府が自由に監視し管理できるようにする傾向があり、経済的領域ではすべてを<私>にして所有権の対象とする傾向があるということだ。
 以前、日本では<公>=おおやけ(大きな家)、つまり権力者が関与する領域で、本当の意味での「公共」という考え方は希薄であると言いましたが、こうした事態が世界的にも進行しているのですね。ネグリ&ハートは<公><私>に対して、<共>という概念を重要視しています。これはコモンの訳語ですが、「共同のもの・共通のもの・共有のもの」という意味です。これを解体・阻害し<公>(政府が監視・管理できる領域)や、<私>(私的所有権の対象となる領域)に組み込もうとする動きが日本および世界で進行しています。日常的に頻繁に使われみんなが違和感なく受け入れている言葉である「セキュリティ」は前者の事態を、「民営化」は後者の事態を指しています。人種やジェンダーや国籍に関係なく「みんなのもの」を<公>と<私>から守ろうとする存在がマルチチュード、と言ってもいいのかな。
by sabasaba13 | 2006-02-28 06:04 | | Comments(2)

東京錦秋編(6):小石川植物園(05.12)

 さらに歩いて、徳永直のプロレタリア小説「太陽のない街」の舞台となった共同印刷の前を通り、漱石が下宿していた新福寺を右に折れると、小石川植物園に到着です。
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 1684年(貞享元)に江戸幕府が設けた薬草園が嚆矢で、東京大学の創設(1877)とともにその附属となり、理学部の管理するところとなって今日に至っています。青木昆陽の甘藷栽培や享保の改革時の養生所設置でも有名ですね。京都でも思い知りましたが、植物園というのはもみじ狩の穴場です。何といっても人が少ない、そして様々な植物の紅葉が見られ、植物名やその特徴も学ぶことができます。もみじの並木や、落葉が敷き詰められた桜の園も結構なのですが、一番気に入ったのが正門から入って左奥にある雑木林。舗装された道がなく、色づいた様々な木々の間を自由気儘にそぞろ歩きすることができます。落ち葉を踏む音だけが聴こえる静寂さと、夕陽が地面に描き出す木々の影や紅葉の輝きを堪能できました。まるで小菅刑務所のような斬新なフォルムをした本館の由緒も気になるところ。池越しに見る旧東京医学校本館もいいですね。中国風・和風のテイストを細部に漂わせる洋館です。園内には旧養生所の井戸や、甘藷試作の記念碑もあります。ニュートンの生家から接ぎ木されたというリンゴの木、メンデルが実験に使ったものを分株したブドウの木もあります。
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 実は植物園と帝国主義は深い関係にあります。イギリスのキュー植物園が典型例なのですが、宗主国が必要とする作物等を植民地で栽培するための研究を行うのが近代の植物園です。小石川植物園がどれくらい植民地政策に関与していたのか寡聞にして知りませんが、気になります。ま、それはさておきここは一推しの場所です。ここから千石界隈に向かい、千石本町商店街を抜けて地下鉄千石駅に到着。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-02-27 06:08 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋編(5):沢蔵司稲荷・伝通院(05.12)

 さてゆるやかにカーブする善光寺坂をのぼりきった右側にあるのが沢蔵司稲荷。見事な彫り物の数々には圧倒されます。中でも水屋の蟇股(かえるまた)の部分に彫られた太田道灌山吹の里の故事はお見事。道灌が鷹狩にでかけ雨にふられてあるあばら家で雨具を求めたところ、少女が山吹の花一輪をさしだしたそうです。後で家臣から、兼明親王が詠んだ「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」という歌の「実の」を「蓑」にかけて、その貧しさを風雅に恥じたのではと指摘され、以後歌道に精進するようになったそうです。その場面が立体的に見事に彫り上げられています。
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 なお坂の上にある大榎の脇に幸田露伴の家があったそうです。「幸田」という表札があるので、ご子孫がまだ住んでいるのかな。少し歩くと伝通院、徳川家康の生母お大の方の墓所です。なお清河八郎、杉浦重剛、佐藤春夫の墓もあるとのこと。境内には日本指圧協会(浪越徳治郎会長)建立の「指塚」、門前には新撰組の前身「浪士隊」発会の地、処静院の石柱がありました。
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 本日の一枚は沢蔵司稲荷、「山吹の里」の彫り物です。
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by sabasaba13 | 2006-02-26 18:32 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋編(4):日中友好会館・源覚寺(05.12)

 青山一丁目駅から地下鉄で飯田橋駅へ。小石川後楽園となりにある日中友好会館地下の中華料理店「豫園」が気になっていたので、ここで昼食をとりました。どう考えても美味くないわけはないでしょう。五目炒飯をいただきましたが、予想通りいい線いっています。油っぽくなくパラリと仕上がったご飯に卵がほどよくからみ、具とのバランスもよし。Good job. 地下ホールに二体の銅像がありました。国交がなかった時期に日中民間貿易(LT貿易)を進めた寥承志と、日中友好に尽力した古井喜實です。こうした先人たちの想いや努力を薄ら笑いをしながら平然と踏みにじる首相、そして「他の人より良さそうだから」などという理由で彼を支持している人々。暗澹たる気持ちになりました。
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 そして礫川公園の脇を進み、小石川の方へと歩いていきましょう。裏道の路地に入ると、家の前や壁面を鉢植えが埋め尽くしているお宅をよく見かけます。また「堀坂を守れ!」というマンション建設反対のポスターを発見。景観や住み心地をみんなで協力して守っていこうという気概をひしひしと感じます。
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 そして源覚寺(こんにゃくえんま)に到着。信心深い老婆に閻魔が己の右目を与え、それに感謝してこんにゃくを供えたのが縁起です。眼病治癒とこんにゃく… どういう関係があるのだろう? 他にも健康を祈願して塩を塗りつける塩地蔵や、毘沙門などもあり、「みなはんの願いをまとめて叶えてあげまっせえ」という雰囲気。千本ゑんま堂(引接寺)や釘抜きさん(石像寺)といった京都のお寺さんを思い起こしました。最近、こうした都市民衆の信仰を集める寺社に興味がありまして、見落とさぬよう気をつけて徘徊したいと考えています。新春の谷中七福神めぐりで見つけた田端の赤紙仁王も逸品でした。なお「南洋群島協会」が奉納した灰皿を発見。キョロキョロするとサイパン島にある慰霊像を模した像がありました。解説には「南洋群島とゆかりが深いこの源覚寺…」とありますが、どんなゆかりなんだろう? 謎が謎を呼びます、だから人生は面白い。
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 本日の一枚は、源覚寺の塩地蔵です。塩をなすりつけると、ディスプレイが傷つくおそれがあるので、注意してください。
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by sabasaba13 | 2006-02-25 06:10 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋編(3):絵画館・イチョウ並木(05.12)

 そして歩くこと数分で、絵画館に到着。あのドームを頂いた不気味・無骨な建物です。ドイツ表現主義の影響なのかな。ここには明治天皇の事跡を中村不折や五姓田芳柳らに描かせた絵を展示してあります。ここも初見。岩倉使節団出発のシーンや、日清戦争における大山巌などの絵はよく歴史書で見かけますが、ここにあったんだ。それにしても、明治天皇の顔がことごとくキヨソーネが修正したものをモデルにしていますね。時代の制約とは言っても画家にとっては忸怩たるものがあったのではないかな。参考までにキヨソーネが描いた肖像と、明治天皇の写真です。絵画館向かって左手には、樺太国境画定標石のレプリカがありました。日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南の樺太を獲得した際に、現地に敷設されたものです。片面には菊の紋章、片面にはロマノフ王朝の鷲の紋章が刻まれているのですが、立入禁止のため後者は見られません。複製なんだから近くに寄ってもいいじゃないかあ、吝嗇。
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 わが愛すべきスワローズのホーム・グラウンド神宮球場の脇を通り、イチョウ並木へ到着。四列に並んだイチョウがそれはそれは見事に黄色に輝いていました。著名な場所だけにけっこう人も多く、皆さんの幸せそうな微笑みが印象的でした。ある年配の女性が「ヨーロッパみたい!」と言っておられましたが、「第三の男」ラスト・シーンで使われたウィーン公営墓地の並木道に似ていないこともなくはないような気がしないでもありませんね。
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 本日の二枚。外苑イチョウ並木と、ウィーン公営墓地の並木道です。
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by sabasaba13 | 2006-02-24 06:10 | 東京 | Comments(2)

東京錦秋編(2):秩父宮記念スポーツ博物館(05.12)

 さてここから歩いて神宮外苑まで行きましょう。途中にある国立競技場の脇を通り過ぎると、秩父宮記念スポーツ博物館がありました。そういえばここも未見です、よし入ってみよう。日本人初のオリンピック・メダリストをご存知ですか。実はテニス選手の熊谷一弥(いちや)なのです。彼が1920年のアントワープ大会で獲得した銀メダルが展示してありました。テニス好きの方なら必見。そして東京大会マラソン銅メダルの円谷幸吉の足型! 確かゴール直前で、ヒートリーに抜き去られたのを憶えています。子どもの頃の運動会徒競走で後ろを振り返ったことを父に激しく叱責され、「絶対に後ろを振り向くな」という教えを愚直に守り続けた結果だそうです。彼は自衛隊員で、その後メキシコでの活躍を期待されて周囲から強い圧力をかけられ、足の故障とあいまって自ら頚動脈を切り自殺してしまいます(1968)。沢木耕太郎著『敗れざる者たち』(文春文庫)所収の「長距離ランナーの遺書」によると、意中の女性がいたのですが、練習の障害になると上官に結婚を止められたことも一因かもしれません。「父上様母上様 幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という血染めの遺書を残しますが、これほど哀切な文章は少ないでしょう。「~美味しうございました」と幾度も繰り返す生への執着に息を呑んでしまいます。なおこの遺書は『芸術新潮』の「世紀の遺書」(2000.12)で見ることができます。国家権力というリヴァイアサンは己の光輝のために、スポーツ・芸術・戦争などあらゆる営為を利用しつくすのですね。そして国家のために尽力した人々の血と汗を呑み込みながら肥え太っていく… 円谷幸吉を殺したのは誰か? When after all, it was you and me… (『悪魔を憐れむ歌』より) 彼の郷里福島県須賀川市には円谷幸吉記念館があり、遺書はここで保管されているそうです。なお国家によって自殺に追い込まれたもう一人のスポーツマン、佐藤次郎(テニス)も忘れるべきではないでしょう。本人は全英選手権出場を希望していたのにデビスカップ(国別対抗戦)出場を強要され、そして婚約を非難された結果、マラッカ海峡にて投身自殺をとげます(1934)。この二人は氷山の一角でしょう、国家の栄誉と国民の期待によってミンチにされた数多のスポーツマンがいるのだと思います。トリノ・オリンピックはほとんど見ていませんが、報道の様子を見ると日本のスポーツ界の体質は佐藤・円谷両氏の時代と変化はないようです。国家の栄誉と国民の鬱憤ばらしに翻弄される選手たち… あんなにメダルメダルメダルメダルメダルメダルメダルメダルと騒いだら、強烈なプレッシャーになっていい結果はでないのにね。私は、メダルを100個とる国よりも、みんなが一生スポーツを楽しめる時間と環境が保障されている国の方がいいな。何とあのリビアのカダフィ大佐がこう言っています。
 スポーツとは、体を動かすという意味でも、また民主主義という考え方からいっても、他人に代わってやってもらうべきではない。
 そして極めつけは、東京オリンピック女子体操金メダリストのベラ・チャスラフスカが着ていた赤いレオタード!!! 変な意味ではなく、垂涎しました。女性の肉体の美しさ・優美さを教えてくれた、忘れられない選手です。角兵衛獅子の如き軽業に堕してしまった昨今の体操競技から思うと、昔日の感があります。ビロード革命の後、チェコ政府の要職についたという話を聞きましたが、今どうしているのでしょう。なお番外として、ナディア・コマネチがモントリオール大会で着ていた白いレオタードもありました。女子体操の軽業化は彼女あたりから始まったような気がします。
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 本日の一枚は、円谷幸吉の足型です。
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 追記。東京都議会議員が連盟をつくり、石原都知事とともに東京へのオリンピック招致をめざしはじめたようです。やれやれ、「民には、パンとサーカスを与えておけ」というわけですか。
by sabasaba13 | 2006-02-23 06:04 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋編(1):新宿御苑(05.12)

 12月のはじめに、都内で紅葉狩りをしてきました。新宿御苑、神宮外苑、小石川植物園あたりをふらつき、時間があれば自然教育園、庭園美術館、関口芭蕉庵に寄ってみましょう。
 まずは新宿御苑へ。お恥ずかしい話、ここには初めて入ります。入園料200円というのは納得できないし許せないし弾劾したいですね。入るのに金をふんだくるなんて、公園の風上にも置けねえ、叩き切ってくれる! と桃太郎侍のように憤慨してしまいます。公園の維持管理費にまわるのであれば、喜んで税金は払いますよ、是非無料にしていただきたい。自衛隊のイージス艦か、原子力発電所一基分の値段で十二分にまかなえると思いますが。
 それはともかく思ったより広い公園ですね。かつて信州高遠(たかとお)藩主内藤家の下屋敷のあった所で、1879(明治12)年に内省管轄の新宿植物御苑となったそうです。その窮乏ぶりを「銭は内藤豊後守、袖からぼろが下り藤」と江戸庶民にからかわれた内藤家なのかな。フランス式整形庭園・イギリス風景式庭園・日本庭園が雑然と並び、これといった見所もなく、庭園の眺めも凡百ですが、とにかく広い。もうそれだけで十分ですね、そろそろ見頃の紅葉を楽しめました。日本最古の擬木の橋と、皇族のための洋風休憩所が残されています。日本最古の温室もあったと聞きましたが、これは取り壊されたとのことです。惜しい、識見を疑います。古い温室というものは、鉄とガラスという産業革命の精華を駆使した歴史の貴重な証言者なのに。これで戦前に作られた温室で残されているのは、名古屋東山植物園の物件ぐらいなのかな。イギリスのキュー植物園の温室も、機会があれば是非見てみたい。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-02-22 06:14 | 東京 | Comments(0)

「中村屋のボース」

 「中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義」(中島岳志 白水社)読了。ラース・ビハーリー・ボース(1886~1945)、1910年代のインドを代表する過激な独立運動の指導者です。ハーディング総督爆殺未遂事件の主犯で、イギリス官憲に追われて日本に亡命し、その後の半生を日本を拠点にしてインド独立に捧げた人物です。イギリスの圧力を受けた日本政府から国外退去を求められ(即ちイギリス官憲による逮捕・処刑を意味します)、窮地に陥ったボースを頭山満・大川周明らが援助し、新宿中村屋の相馬愛蔵と黒光夫妻が彼を匿い救ったというエピソードは知っていましたが、この本であらためてその波瀾万丈の一生を知ることができました。活動拠点が日本であったので、直接インド独立に関わることはできなかったのですが、独立運動を側面から支えるために東奔西走する姿には圧倒されました。講演、出版、日本の有力者への働きかけ、インド人運動家への援助、全力を尽くしてインド独立を実現しようとするボース。しかし日本政府の協力を得るために、その帝国主義的政策に歩調を合わせていったことが彼の悲劇だったのですね。やがて本国の独立運動と乖離していくことになり、過労がたたってインド独立の二年前になくなっています。なお、スバス・チャンドラ・ボースとは全くの別人。
 それにしても近代日本のアジア主義の粗雑さと底の浅さが印象的でした。例えば、二十一か条要求の撤廃を求めて来日した孫文に対して、頭山満は「目下オイソレと還付の要求に応じるが如きは、我が国民の大多数が承知しないであろう」と突き放します。(この後孫文は神戸で日本に対して覇道ではなく王道を求める講演をします) 国益と国民感情に応じて融通無碍に変化したのが、アジア主義だったのかなと思います。ボースはそこに一縷の望みを賭けたのでしょうが、結局イギリス攪乱工作の一手段として使い捨てられます。知的遺産としてのアジア主義が現在跡形もないのも頷けます。アジアをマーケットや安価な労働力供給の対象としか見ていない、今の日本企業のあり方にも通底していますね。こうした近代日本のアジア主義を掘り起こして再検討し、新しいアジア主義を立ち上げ、人類主義とどう結び付けていくかがわれわれの課題なのかもしれません。アジアとは何ぞや? その連帯の条件や可能性は何か? ガンディーの思想に学ぶべきところは多々ありそうですね。
 面白いエピソードにも満ち溢れています。日比谷公園にある松本楼は、かつて孫文やボースなど、アジアの革命家が集うレストランであったこと。そこのロビーにあるピアノは梅屋庄吉(映画産業のパイオニア)の自宅にあったもので、ヤマハによって生産された国産ピアノ第一号(現存する二台のうちの一台)で、孫文の妻宋慶齢もよく弾いていたとのこと。よしっ、今度見に行ってこよう。
 新宿に三越が進出して中村屋の売り上げが落ち込んだ時に、ボースが本格的な「インド・カリー」の作り方を伝授して発売、大人気を博したこと。彼にとって、イギリス人が作り変えたカレーではなく、伝統的なインド・カリーを広めることは、植民地化された食文化を主張する反植民地闘争の一環だったのですね。だから中村屋では「カリー」という商品名を使い続けているんだ、納得。今晩の夕食は中村屋のインド・カリーに決まり! なお相馬夫妻はボースの国外退去命令に憤り、こう言ったそうです。
 大英帝国の申入れにおびえて亡命客を追出すなんて、何という恥さらしな政府だろうと、主人も私も憤慨した。政府が無能なら国民の手でどうにかならんものか、もっと輿論を高めなくてはと、顔を見合わせて気を揉んでいた。
 何という心意気! 政府の無能さに気づかない多くの方々や、それを報道しないメディア、という昨今の情勢に思いを馳せてしまいます。
 そうそう以前に川越の近くで安岡正篤記念館を見つけましたが、彼とボースに親交があったこともわかりました。こうした知のネットワークめぐりも楽しいですね。

●新宿中村屋ホームページ http://www.nakamuraya.co.jp/index.html

追記 残念ながら絶版のようですが、相馬黒光の自伝「黙移」(平凡社ライブラリー288)は面白いです。古本屋で見つけたら、購入をお勧めします。近代の日本女性の自伝をもっと読んでみたいのですが、いかんせん数が少ない。他に私が知っているのは福田英子の「妾の半生涯」と高群逸枝の「火の国の女の日記」ぐらいかな。もしご存知でしたら、ぜひご教示ください。
by sabasaba13 | 2006-02-21 06:09 | | Comments(2)

「ホテル・ルワンダ」

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 映画「ホテル・ルワンダ」を見てきました。

 必見

 久方ぶりに、しばらく席から立ち上がれないほどの感銘を受けました。今思い出しても胸がざわめきます。1994年、アフリカのルワンダで民族対立からフツ族によるツチ族の大虐殺が起こり、100日で100万人もの人びとが斬殺されます。欧米各国や国連はこの出来事を黙殺し、絶望的な状況の中、高級ホテルの支配人であるポール・ルセサバギナ(フツ族)が1200人の避難民をホテルに匿いその命を救うという、実話に基づいたストーリーです。
 まず、この絶望的な状況をきわめてリアルに描いてある点が見事です。暴力、憎悪、恐怖、狂気。ラジオでツチ族への敵意を煽り、標的を指名し、虐殺を指示する場面など息を呑みました。そうした中、家族と避難民を救うために、話術を駆使し、賄賂を贈り、懇願し、ホテル・オーナーの助力を求め、そしてあらゆるコネクションを使い世界へ救助のメッセージを送る、徒手空拳のポール。それを演じるドン・チードルの迫真の演技には脱帽。毅然とした姿勢を崩すまいとしながらも、時には怯え嗚咽する普通の人間を見事に演じきっています。「あなただってやればできるのだ」という厳しいメッセージを受け取りました。また敢えて残虐な場面を撮らないことによって、できるだけ多くの人々や子供たちにこの映画を見てほしいという監督の思いも伝わります。
 第一次大戦の戦利品(!)としてベルギーの植民地にされて以後、ツチ族を優遇し分断支配(divide and rule)が行われたそうです。「絵はがきにされた少年」にもあるように、ツチ族とフツ族の容貌や文化・言語の差異はほとんどないのですが、IDカードの発行や学校における差別教育の徹底により両者の融和は崩壊させられていきます。やはり教育は重要ですね、民族紛争を解決する鍵の一つは確実にここにあると思います。
 そして巷や人びとの手に溢れる大量の武器! 中国製のナタ(一個10セント)や、ロシア製のAK47カラシニコフ(突撃銃)、ベルギー製のブローニング(拳銃)などが映画の中で度々登場します。兵器産業の跋扈とそれを支援する欧米各国の政策が、状況を悪化させていることは間違いないでしょう。武器輸出解禁によって、日本もこうした動きに加わろうとしているのは憂慮、批判すべきだと思います。
 そしてこの大虐殺を黙殺した国際社会。映画の中に、下記のような科白がありました。前者は国連軍の司令官、後者は取材に来ていたジャーナリストの科白です。
 君(ポール)が信じている西側の超大国は、“君らはゴミ”で、救う価値がないと思っている。君は頭が良く、スタッフの信頼も厚いが、このホテルのオーナーにはなれない。黒人だからだ。君らは“ニガー”以下の、アフリカ人だ。だから軍は撤退する。虐殺を止めもしない。

 世界の人々はあの(虐殺の)映像を見て―“怖いね”と言うだけでディナーを続ける。
 民族対立を煽って植民地支配をし、武器を供給して利益を得、差別意識から大虐殺を黙殺する。「それが人間のすることか」と言いたくなりますが、シェークスピアだったら「それが人間ってもんじゃないのかね」と言うでしょう。しかしポールは希望を捨てず、あらゆる伝手を使い世界中に助けを求めるよう、みんなに指示します。うろおぼえですが、その際に彼はこう言います。
 私たちの手を握り離さないでください、と伝えるんだ。手を離されたら私たちは殺されてしまう。それを彼らが恥じるように伝えるんだ。
 「あなたは何をしたのか、しなかったのか、何ができるのか? いやあなたのような普通の人間にも何かできるはずだ」という呼びかけが谺します。せめて選挙の時に、第三世界への教育費援助や、世界的な武器輸出規制に無関心あるいは消極的、ましてや武器輸出三原則を解禁しようとしている立候補者や政党には、断じて投票しないことは私にも出来ます。
 映画的な面白さにあふれ、しかも世界の現況を伝える重要な作品だと思います。一人でも多くの人々、特に若者や子供たちに見てほしいな。

●「ホテル・ルワンダ」公式サイト http://www.hotelrwanda.jp/
by sabasaba13 | 2006-02-20 06:06 | 映画 | Comments(2)

ヨハネ受難曲

c0051620_8162719.jpg 山ノ神が声楽を習っている師匠が参加しているアンサンブルBWV2001のコンサートを聴いてきました。曲はJ.S.バッハの「ヨハネ受難曲」。古楽器による合奏と声楽家による、計16人の小規模なアンサンブルです。
 会場は浜離宮朝日ホールということなので、山ノ神と築地市場駅で待ち合わせ。コンサート前の夕食の条件としては、1.時間がかからない、2.匂いが残らない、3.美味い、以上三点だと愚考しますが、となると寿司しかあるめえ。駅の案内図で店の当たりをつけて、築地市場へ行きました。関係者以外立入禁止的雰囲気なのですが、意を決して場内へ。フォークリフトがぐおんぐおんと行き交う中を進みすぐ目についた「磯野屋」という寿司屋を選択。店の方に「よくここがわかりましたね」と言われて、「ま、そこはそれ、蛇の道はへび…」などと口を濁しながらも美味しくて安い寿司を堪能しました。口の中に小宇宙が広がるような芳醇な味のマグロ、カニ、アナゴ、イクラ、ネギトロ巻でしたね。海苔も一味違います。青魚大好きの私としては矢も盾もたまらず、コハダとサバを追加。ふわああああ さて帰………ってはいけない、お楽しみはこれからです。
 16人という少人数で演奏効果があがるのかなと思っていましたが、杞憂でした。獅子吼するようなバッハも(メンゲルベルク)、大伽藍のような神々しいバッハも(リヒター)結構ですが、少人数のアンサンブルによる演奏もいいものですね。迫力には欠けますが、濃密で緊張感にあふれた夾雑物のない純度100%のバッハでした。指揮者がいないので、お互いの視線や仕草のやりとりでアインザッツ(音の出だし)を合わせるのですが、その様子を見ているだけで合奏の喜びを共有できます。各人の技量も充分なもので、特にペテロとピラトを担当した小原浄二氏(バス)の恰幅のよい朗々とした歌唱は素晴らしい。
 対訳をくれたので、曲の内容もよくわかりました。正直に言って途中で眠くなるかなと思ったのですが、歌詞を確認できたことによって曲の進行にスムーズについていけ、あっという間に二時間が過ぎてしまいました。「殺せ! 殺してしまえ! 十字架につけろ!」とユダヤの民衆がキリストを罵る合唱の場面など、手に汗握ります。(こういう状況を最近の日本ではよく見かけますね) 「よく見るがいい、私の魂よ、不安に心騒ぐ喜び、辛く心に突き刺さる楽しみ」という歌詞も心に残ります。このあたりの劇的な音楽表現を聴いていると、名著「西洋音楽史」で岡田暁生氏が述べられていた「バロックとは音楽がドラマになった時代」という説に得心します。今度はぜひ「マタイ受難曲」と「ロ短調ミサ」を聴かせて下さい。いっそのことライプチヒの聖トーマス教会で聴いてみたいねと山ノ神に秋波を送ったら、「寒そうだからやだ」で話は終わりました。
 さて明日はテニスをして昼寝をして映画「ホテル・ルワンダ」を見て練馬の「176」で蕎麦を食べる予定。嗚呼至福の二日間、人生ってそれほど悪いものではありません。

 追記その一。もらった演奏会のちらしを見ていたら、クイケンとラ・プティット・バンドが5月に来日して、バッハ・プログラムを演奏するとのこと。これは行かなくちゃ。
 追記その二。ちらしを入れてあるビニール袋は演奏中にガサガサ音をたてないように、コンドームと同じ材質でできているそうです。へえーへえー
 追記その三。能登伊津子氏(オルガン)の凛とした美貌に見惚れてしまいました。ファンにならせていただきます。(山ノ神承認済第2766号)

●アンサンブルBWV2001 http://www.gregorio.jp/bwv2001
by sabasaba13 | 2006-02-19 08:17 | 音楽 | Comments(0)