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小幡・白井・桐生編(10):桐生(06.2)

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 さて、安吾が殴りこみをかけた「ハラセガルデン」、彼が贔屓にしていた「ワリタ蒲団」「久保田洋服店」「だんごの大野屋」を見て、織物参考館「紫(ゆかり)」へと向かいました。藍染の体験などができるとともに、のこぎり屋根工場の内部にさまざまな織機が展示してあります。工場の内部に入ったのははじめてですが、ほんとに明るいものですね。採光を一定にするため北側に設けられた天窓からは、柔らかい光が屋内にさしこんでいました。乱反射させて騒音をやわらげるという効果もあるようです。
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 さて、安吾が暴れまわった歓楽街を抜けて、桐生の名士が社交のためにつくった、スパニッシュ様式の桐生倶楽部を見物して、郷土資料館に行きました。
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 地元の方が寄贈きたクラシック・カメラ三百数台の展示は圧巻、その道の好事家だったら垂涎でしょうが、興味のない私には猫に小判、豚に真珠。詳しい解説があればと思いますね、惜しい。
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 駅の裏側にまわり、撚糸会社の事務所であったモダンな洋風建築の絹撚記念館を見学。再び上毛電鉄西桐生駅へ向かい、その少し先にある幼稚園の裏手から大川美術館へとのぼる近道にたどりつきました。有鄰館の方の話では、某メーカーが覆面で新車の登攀テストをしたという噂もある、急坂です。ま、たしかに急ですが、日本一とは思えませんね。坂道を上って下って桐生駅に向かい、帰宅しました。
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 あらためて桐生が好きになりました。コンビニエンス・ストアが少なく普通の商店が元気で、高い建物も少なく空が広い素敵な街でした。かつて経済的に繁栄し、その後凋落しても栄華の記憶にとらわれず無理した街興しもせず、古いものを適当に残しながらほどほどにのんびり暮らせりゃいいじゃん、という雰囲気をそこはかとなく感じました。ん? これってこれからの日本の一つの方向性を示しているのではないかな。いいかげんに自然環境に致命的な負荷を与える闇雲な経済成長という迷夢から覚めて、桐生人のようにゆるゆると生きてはいかが。
by sabasaba13 | 2006-04-30 20:37 | 関東 | Comments(2)

小幡・白井・桐生編(9):桐生(06.2)

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 有鄰館脇の、白壁と黒板塀のコントラストが美しい酒屋小路を歩き、安吾が好物だった鰻の「泉新」の前を通って、安吾が写真判定で世話になった群馬大職員を歓待したという「異国調菜 芭蕉」で昼食をとりました。外観はケヤキと蔦に囲まれた廃墟の如き民家、勇気を出して中に入るとまるで迷路、絵馬・民具・民芸品がところ狭しと飾られています。戦前にビルマ大使館の調理人として腕を磨いた小池魚心氏が自ら設計と装飾をして1937(昭和12)年に開店したそうです。イベット・ジローや石井好子もこの店のファンだったとのこと。来店した棟方志功も感激し、壁面いっぱいに馬の絵を描いたのですが、魚心氏は脇に描かれた裸婦が店の雰囲気に合わないと言って翌日すべて塗りつぶしてしまったそうです。もったいねえええええええええええええええええええええええええええええええ、と凡夫なら絶叫するところですが、インテリアに絶対の自信をもっていたのでしょうね。美味しい印度カリーをいただき、勘定の際に女将にいろいろと質問をしました。Q.新宿中村屋との関係は? A.全くなし Q.志功が絵を描いた壁は? A.あそこですよ、と絵馬が一面に飾られている壁を指差し、ご丁寧にスクラップ・ブックをもってきて、「芸術新潮」1999年2月号の切抜きを見せてくださいました。ほんとだ…
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 本日の一枚は、酒屋小路です。
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 追記。教育基本法改正/改悪案が、昨日閣議決定されました。
by sabasaba13 | 2006-04-29 06:10 | 関東 | Comments(0)

小幡・白井・桐生編(8):桐生(06.2)

 有鄰館から本町通りをぶらぶらと歩きましょう。安吾千日往還の碑と彼の下宿先であった旧書上商店、田村ガラス店、玉上薬局、大谷石作りののこぎり屋根工場(旧曽我織物新工場)などを見物。
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 工場の隣にあるトタン塀に偉人の似顔絵と名句を書いてある落書き(壁画?)を発見しました。アインシュタインの「神はサイコロをふらない」、ニーチェの「神は死んだ」、本居宣長あり、J・ロックあり、誰が何のために描いたのか興味ありますね。
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 森合資会社事務所、女工・工員御用達の一の湯を撮影し、桐生天満宮の前を右に曲がり、金谷レース事務所と工場、旧住善織物工場、旧斎憲テキスタイル工場の外観を見物。愛知県一宮ほどではありませんが、このあたりにはのこぎり屋根工場が集まっています。ひょうたん茶屋という食堂のメニューを見ると「てんこ盛・特盛・大盛・中盛・並盛・小盛 その他ライスお替わり自由 オール同一料金」。剛毅木訥、牛飲馬食、その意気やよし。でも中盛と並盛の違いが気になりますね、視認できるのでしょうか。
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 犬と置物を売っている不思議なお店に戸惑い、「注意一秒、ケガ一生」という名作標語に懐旧し、一軒を間にはさんで建ち並ぶ「ふるた文具」と「小林文具」に商売が成り立つのかと老婆心をもよおし、ワンダーランド・桐生の彷徨は続きます。本町通りのスピーカーから流れている曲はBeatlesのI Am the Walrus、凄い、凄すぎる。と、信号待ちをしている車の中から、同じくBeatlesのTwist and Shoutが大音量で聞こえてきました。リバプールと桐生は姉妹都市なのかな。これで小学生がHelter Skelterを歌いながら下校していたら、桐生を老後の隠居所にしようと本気で考えたのですがさすがにそれはなし。
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 本日の一枚は、6年前に行ってきたロンドンのアビー・ロードです。はしゃぎながら横断しているのは、不肖私。なかなか腹がひっこまないなあ…
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by sabasaba13 | 2006-04-28 06:09 | 関東 | Comments(0)

小幡・白井・桐生編(7):桐生(06.2)

 そして蔵をイベント・スペースとして利用している有鄰館に入り、珈琲を飲みながらこれからの作戦を練っていると、お店の方が桐生に詳しい係員を紹介してくれました。渡りに船、さっそくお話をうかがうと、いやあ詳しいこと詳しいこと。棟方志功が壁画を描いた洋食屋や、クラシック・カメラのコレクション、日本一の急坂、坂口安吾がらみの物件など、しこたま情報をいただきました。安吾は1952(昭和27)年に桐生に移住し、1955(昭和30)年にこの街で脳出血により急逝しているので、彼にちなんだ物件がたくさんあります。それを網羅した、安吾没後50周年実行委員会作成の、貴重かつ抱腹ものの案内地図をいただきました。これほど可笑しく切ない観光地図は空前絶後ではないかな。伊東競輪での着順に不服をもち判定写真の鑑定を依頼した群馬大学工学部、よく家のガラスを割った安吾ご用達のガラス店、薬をよく買った薬局(まさかヒロポンではないよね)、愛犬ラモーの種を採られたと勘違いをして殴り込みをかけたペット店、酒に酔って大暴れしたカフェー・パリス跡、その後留置された桐生警察署跡… 無頼派、安吾の面目躍如ですね。彼が気に入った街ですから、面白くないわけがありません。ようがす、ひととおり訪ねてみましょう。
 係員の方のお話は奔流のようにとどまらず、寄居にさざえ堂(内部に螺旋梯子を設置)がある、館林には歌舞伎座のような置屋(芸者などを抱えていて、揚げ屋の注文に応じ、女をさしむける業)が残っている、はては目黒の五百羅漢寺は素晴らしい… 嗚呼、私と同じ趣味だ。人があまり注目しない古くて珍しくものが大好きなんだ、この人も。きりがないので、お礼を言って立ち去りましたが、別れ際に「練馬に面白いものがあったら知らせてください」と言われました。合点承知之介。奥に行くと、大きな楠がそびえ、その隣に「桐生からくり芝居」の展示館がありました。からくり人形を使った、全国でも珍しい人形劇だそうです。他には大分にしかないそうですが、残念ながら年に数回しか上演しないとのこと。いつか見てみたいな。
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 これが噂の「安吾の散歩みち」です。
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by sabasaba13 | 2006-04-27 06:07 | 関東 | Comments(0)

小幡・白井・桐生編(6):桐生(06.2)

 本日は天気予報どおり朝から小雨。高崎にある山田かまちデッサン美術館はカットして、天気が大崩れしないうちに桐生に行くことにしました。両毛線に乗ること約50分で、小糠雨降る桐生に到着です。言わずと知れた絹織物の街。古くから織物生産が行われていたようですが、江戸時代には幕府の保護を受けさらに京都西陣の技術を導入して絹織物業が栄えます。養蚕地帯を後背地にもつことや桐生川に面して交通の便が良いという利点も繁栄の理由ですね。明治・大正期には力織機+工場の導入でさらに栄えますが、化学繊維におされて生産に陰りがでているのが現状のようです。というわけで、織都桐生、前回見残したところをじっくりと徘徊したいと思います。駅の案内によると無料の貸し出し自転車があるそうですが無謀ですね、二本の足で歩き回ることにしました。まず観光案内所に行きましたが、開いておりません。営業時間の表示もなし。このそこはかとないやる気のなさがいいですね。駅前にいきなり「店商光坂」というモルタル建築や、煙草屋つきで左半分だけ錆びた摩訶不思議な看板建築を発見し、ほくそ笑む私。
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 しばらく歩くと上毛電鉄の終着駅、西桐生駅が見えてきます。装飾は少ないのですが、マンサール屋根の愛らしい駅舎です。切符売場窓口のデザインもアール・デコ調でしゃれてますね。二人の女性駅員に市内の観光地図を所望したところ、一所懸命に探してくれ、おまけに残部僅少というのに微笑みながらわけてくれました。多謝。
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 さて駅から街の中心部に向かって歩いていくと、右手にスクラッチ・タイルを張りつめた重厚な織物会館旧館、左手にはリボン・ウィンドウがついたル・コルビュジエを髣髴とさせるモダンな西公民館があります。今にして思うと、この桐生という街は様々な建築の陳列場ですね。土蔵、大谷石の蔵、商家、のこぎり屋根の工場、煉瓦造の建築、戦前の洋風住宅、コロニアル様式、雑居ビル、看板建築、廃墟、などなど。これは売りになると思いますが。
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 それはさておき、その先の左手にも古い洋館を見つけました。近寄ると廃墟と化した旧赤松医院。旧字体で「健康保険医」という表札があり、“帝”を図案化したマークがありました。これは珍品ですね。“大日本帝国”という表記が今でも残っているのは、議事堂前の標準点庫と東大構内にあるマンホールの蓋ぐらいしか、寡聞にして知りません。
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 目抜き通りである本町通りに出てみると、何と歩道に堂々と金精さまが祀ってあります。恐るべし、桐生…
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by sabasaba13 | 2006-04-26 06:06 | 関東 | Comments(0)

愛国心雑感

 いやはや、教育基本法が自民党と公明党によって変えられようとしているのに、マス・メディアは本気で取り上げないのですね。これからの日本を左右する重大な問題なのに。ま、たしかに拉致問題や竹島問題や中二殺人事件のほうが、ナショナリズムと日常の不安を煽り立てるのに好都合な話題なのはわかりますけれど。両党の折衷案は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という文言でしたね。余計なお世話です。日本が愛するに値する国かどうかは、私が判断します。そして値するとなったら、その中の何を愛するかも私が判断します。私はこの国の自然・風土と、納豆・醤油・豆腐や宗達・光琳・若冲・国芳などの文化を愛する自他共に許す愛国者ですが、嫌悪している伝統や文化も多々あります。加藤周一氏の言(夕陽妄語「春秋無義戦」より)を借りると、閉鎖的集団主義、権威への屈服、大勢順応主義、生ぬるい批判精神、人種・男女・少数意見などあらゆる種類の差別。そして何より政官財による支配・管理システム。
 それを十把一絡に愛せなんて、無理・無茶・無体・無謀・無法です。個人が「愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して」としつこくつきまとうとストーカー行為なのに、国家がやると許されるのですね。本音は、政官財の意向に唯々諾々と従う、批判精神のない従順な人間を大量生産するためなのでしょう。
 絶望しながらも、後で後悔しないように、書名集め、集会やデモへの参加、抗議メールなど、できる範囲で声をあげたいと思います。われわれの戦いの見込みのないことは戦いの意味や尊厳を少しも傷つけるものではない。(V・E・フランクル)
 こうした重要な問題を選挙の争点にもしない政治家、政治家と結託して管理・統制を強化しようとする官僚、政治家・官僚の顔色をうかがってまともな報道をしないジャーナリスト、そしてこうした事態に無関心な多くの人々。暗澹とした気持ちになってしまいます。こんなジョークを思い出しました。「英国人にとっての地獄は、ドイツ人が警官をし、スェーデン人が喜劇役者で、イタリア人が国防軍を組織、フランス人が道路工事をして、スペイン人が列車を走らせる。」 私ならさしずめこう言い換えます。「日本人にとっての地獄とは、日本人が政治家で、日本人が官僚で、日本人がジャーナリストで、日本人が国民である国。」

 愛国心やナショナリズムに関する気になった言葉のコレクションがだいぶたまってきたので、紹介します。

 愛国者 (patriot n.) 部分の利害のほうが全体のそれよりも大事だと考えているらしい人。政治家に手もなくだまされるお人好し。征服者のお先棒をかつぐ人。(A・ビアス)

 わたしは百パーセントのスペイン人です。自分の地理的境界の外で暮らすことは、わたしには不可能でしょう。けれども、わたしは、スペイン人であるということだけで、スペイン人である人間を憎んでしまいます。わたしは、すべての人びとの兄弟であり、目かくしをしながら祖国を愛してるという、ただそれだけの抽象的な愛国主義的観念のために、自分を犠牲にする人を呪います。
 よい中国人はわるいスペイン人よりも、わたしにちかい人です。
 わたしはスペインを詠い、骨の髄までこの国を感じていますが、しかし、わたしはそれ以前に世界人であり、すべての人びとの兄弟です。ですから、わたしは、政治的国境というものを信じません。(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)

 良心を痴鈍ならしむるの愛国心は亡国の心なり。これがために国を誤りしもの、古今その例少なからず。(植村正久)

 小生は日本の現状に満足せず。と同時に、浅層軽薄なる所謂非愛国者の徒にも加担する能はず候。在来の倫理思想を排するものは、更に一層深大なる倫理思想を有する者ならざる可らず。亦(しか)して現在の日本を愛する能はざる者は、また更に一層真に日本を愛する者ならざる可らず。(石川啄木)

 国家が人間性質にとっていとわしいやり方で行動する場合には、その国を滅ぼす方が害悪が軽微で済む。(スピノザ)

 国家というのは魂をもたない怪獣だ。(シモーヌ・ヴェイユ)

 テオドロスは、すぐれた人が祖国のために命を捨てないのは理にかなっていることだと言っていた。すぐれた人は、愚かな人びとのために思慮を投げ棄てることはないからだと。また、宇宙がわが祖国であるとも言っていた。(ラエルティオス)

 国籍が違っても階級が違っても、人間の生活感情や思想は互いに共通する部分の方が、相違する部分より遥かに多いのに、相違点を誇大に強調して対立抗争をしている。僅かな意見の相違や派閥や行きがかりのために、ただでさえ不幸になりがちな人生を救い難い不幸に追い込んでしまう。情けないことである。なにか大きいものが間違っていて、私たち人間を奴隷のようにかりたてている。一国の歴史、一民族の歴史は、英雄と賢者と聖人によって作られたかのように教えられた。教えられ、そう信じ己れを律して暮して来たが… だが待て、それは間違っていなかったか。野心と打算と怯懦と誤解と無知と惰性によって作られたことはなかったか。胸の中が熱くなり、また冷えた。(石光真清)

 国境なんてものは、地球上に勝手に引かれた線である。たまたま白組に編入されたからといって、そりゃ、運動会(オリンピック、ワールドカップ等)では、「フレー、フレー、シッロッグッミッ」とはやるけど、白組のために死ねとか殺せとか言われても、ちょっとなあ。(永江朗)

 私が「ナショナリズム」と言う場合に真っ先に考えるものは、人間が昆虫と同じように分類できるものであり、何百万、何千万という人間の集団全体に自信をもって「善」とか「悪」とかのレッテルが貼れるものと思い込んでいる精神的習慣である。しかし第二には-そしてこの方がずっと重要なのだが-自己を一つの国家その他の単位と一体化して、それを善悪を超越したものと考え、その利益を推進すること以外の義務はいっさい認めないような習慣をさす。ナショナリズムと愛国心とを混同してはならない。通常どちらも非常に漠然とした意味で使われているので、どんな定義を下しても必ずどこからか文句が出そうだが、しかし両者ははっきり区別しなければならない。というのは、そこには二つの異なった、むしろ正反対の概念が含まれているからである。私が「愛国心」と言う場合、自分では世界中でいちばんよいものだとは信じるが他人にまで押しつけようとは思わない、特定の地域と特定の生活様式に対する献身を意味する。愛国心は軍事的な意味でも文化的な意味でも本来防御的なものである。それに反して、ナショナリズムは権力欲と切り離すことができない。すべてのナショナリストの不断の目標は、より大きな勢力、より大きな威信を獲得すること、といってもそれは自己のためではなく、彼がそこに自己の存在を没入させることを誓った国なり何なりの単位のために獲得することである。(G・オーウェル)

by sabasaba13 | 2006-04-25 06:07 | 鶏肋 | Comments(3)

「空からの民俗学」

 「空からの民俗学」(宮本常一 岩波現代文庫S33)読了。「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」の後書きで知った本です。氏へのオマージュは、すでに書きましたので省略。航空写真や何の変哲もない一枚の写真から、名もない人々の暮らしの過去・現在・未来を読み解くという内容です。航空写真についての文は、ぬぅわんとANAの機内誌「翼の王国」に連載されたものです。全日空の識見を評価しますね。「沈まぬ太陽」を連載した新潮社への陰湿な嫌がらせをした日本航空とは大違い。何気ない写真についての文は、氏が所長をされていた日本観光文化研究所発行の雑誌「あるくみるきく」に連載されていたもの。JTBが発行している「るるぶ」(“たべる・ふとる・でぶ”の略でしたっけ?)と似た名前ですが、中身ははるかに濃そうですね、今でも入手できるのかな。
 閑話休題。駅前旅館が果たした地域産業や文化への貢献を思い、畑の形から使われた農具を推測し、洗濯物の写真から自製の下着が減り商業資本によって流行が左右されるようになったと憂い、漁船の大きさが一定している光景からバランスのとれた暮らしを想像する。どんなものでもよく見つめれば、より良い暮らしを求めた庶民の営為が読み取れるという著者の暖かい眼差しに時を忘れてしまいます。二つほど心に残った文を引用します。
 岡山県美作市は作州鎌の産地だが、そこからも古風な鎌がわれわれの故郷へ送られて来ている。それは作州鎌でなければならないという百姓が何人もいるからである。広い世の中の片隅で仕事をしており、何のかざり気もない生活をしているのだが、けっして孤独ではない。多くの人、それもほとんど生涯顔をあわすことのない人びととの間に強い絆があって結ばれて仕事をしているのである。

 土埃のたつ田舎道をあるいていて、里が近づくとかならず聞えてくるのが鍛冶屋の金槌の音である。カン高い音が静かな空気をふるわせて聞えて来ると、「あ、この村もみな元気にいそがしく、しかしのんびりと生きているな」と何となく思って、その里になつかしみをおぼえた。
 いい文章だなあ… 彼の心にある良きものが伝わってきます。かざり気がない、強い絆、仕事、元気にいそがしい、のんびり、今まさに市場原理によって地球上から抹殺されようとしてる価値の数々。
 彼の教え子である香月洋一郎氏の解説もしみじみとした一文です。印象的なエピソードを二つ。著者の子息から手紙が来て、山口県周防大島を訪れ父常一の昔の事を聞く人が増えてきたが「でも僕の知っている『宮本常一』は未来のことしか語らなかった。」と記されていたそうです。もう一つは永六輔による追悼文。彼は宮本常一からこう頼まれたそうです。「役所や企業からの講演依頼は断ってほしい。何の何兵衛(普通の市民)からの依頼を最優先してほしい。何故かというと、それは役所が怖がることだからだ。つまり役所が呼べなかった人が、市民が呼ぶと来るということを役所に見せておかないといけない。」 象牙の塔に籠もった民俗学者ではない、過去を考究し、常に現在と未来に目を向け、具体的な戦略を考え抜き、そして何よりも庶民のより良い暮らしを欣求し続けた方です。取材中の氏の写真です、その暖かい目…
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by sabasaba13 | 2006-04-24 06:06 | | Comments(0)

バルラハ展

 先日、上野の東京藝術大学大学美術館で、バルラハ展を見てきました。エルンスト・バルラハ(1870-1938)、20世紀のドイツ表現主義を代表する彫刻家です。彼の名をはじめて知ったのは、「芸術新潮」(1992.9)という美術雑誌の「ナチスが捺した退廃芸術の烙印」という特集記事です。シャガール、クレー、キルヒナー、ノルデとならび、バルラハが紹介されていました。多くの人々に愛された人道的な作風がナチスに厭われ、ほとんどの作品が撤去あるいは鋳潰されてしまったとのことです。そこに載せられていた木彫の質朴な作品「マグデブルクの戦没者記念碑」がいたく心に残りました。温かみのあるオーク材で表現された、無表情に佇む四人の兵士と、頭を抱えて苦悩する人物、そして布をかぶり蹲る人物の、シンプルだが力強いフォルム。また彼の臨終の姿を、私が畏敬するケーテ・コルヴィッツが描いているのにも興味を引かれました。しばらく彼のことを忘れていたのですが、展覧会が開かれていると知りさっそく駆けつけた次第です。
 風香り木々笑う快晴の卯月某日、まずは鶯谷駅前の公望荘で、それほど美味しいとは思えないせいろと玉子丼を食しました。後日談ですが、山ノ神曰く駅構内の蕎麦屋の方がずっと美味とのこと。旧京成博物館動物園駅が撤去されていないのを確認して、美術館に到着。入場待ちの行列はありません、ああよかった。精神的なゆとりからか、ふと脇を見ると誰かさんの胸像があります。夏雄加納???? 先ほど調べたところ、明治期に活躍した金工家なのですね。その奥には、御大岡倉天心の大きな像、そして周囲にいくつもの胸像が点在しています。東京美術学校時代に教鞭をとった方々なのでしょうか。
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 そして会場へ。適度な人口密度で、快適な鑑賞ができました。こうでなくちゃ。デッサンや版画、陶器の展示もありましたが、やはりお目当ては彫刻。ブロンズと木彫が半々ぐらいでしたが、やはり後者に惹かれました。ヨーロッパ彫刻の歴史では、木彫の作品はあまりお目にかかれないような気がします。私が知っているのは、中世に活躍したリーメンシュナイダーぐらいかな。日本の仏教彫刻の影響もあるようですが、彼は見事に木彫を現代によみがえらせたのですね。単なる描写に終わらず、木という重厚だが暖かい質感・触感・色調をもつ生命力に満ちた素材を生かして、さまざまな人間の思いを表現しています。いつもそばに置いて触れて抱きしめたくなるような木彫です。一つほしい… 中でも一番長い時間見つめたのが、ロシアの乞食女を彫ったブロンズ像です。彼は1906年、第一次革命直後のロシアを訪れ、農民たちの姿や暮らしに感銘を受けて、あの独特のフォルムを獲得したと言っています。すっぽりと布をかぶり俯いて座り込みながら、物乞いのために左手を力強く差し出すその作品は忘れられません。人間は救われなければならないという、作者の思いを感じました。

●バルラハ展プレスリリース 
  http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2006/barlach/barlach_press.pdf

 地下で開催されている現代コレクション展「大正昭和前期の美術」も思いのほか面白かったです。長谷川潔や谷中安規の版画、松田権六の「草花鳥獣文小手箱」、佐伯祐三や靉光(あいみつ)の自画像など、見ものがいっぱいでした。眼福眼福。そうか、靉光が「目のある風景」を描いた年に、バルラハは亡くなっているんだ。

 第一次大戦とナチスの台頭に対してバルラハが残した言葉です。
 私たちはここで辛い日々を過ごしました。多くの血が流されましたが、それは流される必要もなかったものでしょう。何も学ぼうとしない人は、何も学ぶことができない人とともに、増えています。私には、私たちが直面している課題が、以前よりずっと大きくなっているように思えます。考えられる努力が僅かでも可能であってほしい、また無駄にならないで欲しいという思いに、絶望しつつもしがみつけないようなら、私は壊れてしまいそうです。
 血を吐くような彼の思いがつたわってきます。私たちが直面している課題は、もっともっともっともっと大きくなっています。重要な事を学ぼうとし、人間の努力に絶望しつつもしがみつく。ポスターに載っている「苦行者」(1925)のように… 
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 今、これがわれわれに最も必要な行為かもしれません。その努力の支えとなってくれる作品が、ベルリンのケーテ・コルヴィッツ美術館にあります。輪になって必死に子供たちを隠し護ろうとする母たちの群像、「母たちの塔」(1937)という作品です。いつか必ずこの眼で見てみたいし、そのレプリカを各自治体や学校に置いて欲しいな。さっそく凄まじいクレームや批判や罵倒や冷笑やいやがらせが、何も学ぼうとしない人たちから浴びせられるかもしれませんね、今の日本では。
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by sabasaba13 | 2006-04-23 08:31 | 美術 | Comments(0)

小幡・白井・桐生編(5):白井(06.2)

 さてバス停に戻りますが、さきほど来る途中で気になった愛宕神社に寄ってみました。小さな門柱は、「(昭和天皇の)御大典記念」と刻まれた砲弾型のもの。そして日露戦争の戦死者を祀った顕忠碑の揮毫は、山県有朋です。彼と子持村の関係は気になりますね。こうした忠魂碑の建立・受容過程から地域の近代史を掘り起こすのも面白そう、きっと先行研究があると思うのでぼちぼち調べてみたいと思います。
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 渋川駅に戻り、何の根拠もなくカレーが食べたくなったので、駅前の伊勢屋でチキン・カレーと珈琲をいただき、まだ列車到着まで時間があるので駅前の観光案内地図を見ました。すると近くに東京品川の原美術館の分館で磯崎新設計のハラミュージアムアークや、著名なシャンソン歌手の舞台衣装や愛用品を展示する日本シャンソン館や上三原田歌舞伎舞台など面白そうな物件があることを発見。日本シャンソン館の「カフェやショップ、モネの庭園などパリのエスプリが味わえます」という宣伝文句には、モネの庭園はパリではぬぅわいというツッコミを入れたくなりましたが、まあ一見の価値はありそう。ジベルニーと渋川って姉妹都市なのかな。今夜は高崎に宿泊です。
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by sabasaba13 | 2006-04-22 07:22 | 関東 | Comments(0)

小幡・白井・桐生編(4):白井(06.2)

 上州福島駅に戻る途中に、戦前の物件らしき和洋折衷風の福島公会堂を発見。さっきの富岡市講堂といい、公会堂建築の優品がまだまだありそうですね。なぜこの地域に戦前の公会堂物件が多く残っているのか、疑問として記憶にインプットしておきます。これも戦前の物件らしき駅の変電所を写真におさめ、丁重にお礼を言って自転車を返却し、再び上信電鉄に乗って高崎に戻りました。ふと気がつくと、ブランド物で身を固めた粉屋の娘の如きうら若き女性が二人、駅の立ち食いそばをたぐっておられます。この手の女性が食べるのだから美味しいに違いないと何の根拠もなく判断し、さっそくラーメンを注文。350円にしては十分に美味な醤油ラーメンでした、叉焼も二枚はいっていたし。でがけに看板を見ると「旅の味 たかべん」。だるま弁当で有名な「たかべん」経営の店だったのですね。
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 上越線に乗り換えて渋川まで約30分、列車から降りたほとんどの方は伊香保温泉に向かうようですが、私の目的地は白井です。幸い、バス発車の二分前。飛び乗って運転手さんに確認すると、鯉沢という停留所で降りて歩いて十分ほどだそうです。途中で乗ってこられた年配の女性が鯉沢の住人で地理に詳しいよと紹介されました。三人で和気藹々と会話を楽しみながら鯉沢に到着。実は私の母が群馬県出身なので、「そうだいねえ」「…だんべ」「よい(容易)じゃない」といった群馬弁がしみじみと心に浸みわたりました。バス停からしばらく同行して道を案内してくれ、近道まで教えていただきました。旅先で人の情けに出会うと、ほんっとに嬉しいものですね。そして白井に到着。関東平野と越後地方の接点、利根川と吾妻川の合流点という要地に位置し、宿場町として栄えたところです。江戸時代は天領でした。中央には清水の流れる白井堰と桜並木、鐘楼や白壁の土蔵、古風な民家が建ち並ぶ瀟洒で静謐な街です。からっ風を防ぐための防風林もいい景色ですね。またこのあたりは、「田なし水なし井戸深し」と言われて嫁をやってはいけないとされたそうです。水不足にはかなり悩まされたようで、堰ぞいにいくつも共同井戸が良好な状態で残されているのも光景に味わいを加えています。ほとんど人通りもなく、夕日を受けてしっとりと佇む街並みを散策していると、身も心もとろけてしまいそう。桜が咲く頃にまた来てみたいな。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-04-21 06:12 | 関東 | Comments(2)