<   2006年 05月 ( 29 )   > この月の画像一覧

台湾編(5):鼎泰豊(06.3)

 さてそろそろホテルに戻りましょう。公園わきの台大医院駅から地下鉄(Mass Rapid Transit)に乗り込みました。初乗りは20元、テレフォン・カードのような大ぶりの切符を購入し、自動改札を通り抜けてホームに下りましたが、広々とした構内ですね。ゴミ箱が透明であったり、警官がうろうろするなど、東京のようにテロを常に意識させ治安強化に協力させようという雰囲気は微塵もありません。ホーム床にあった「夜間婦女候車区」というプレートは、やはり女性専用車両があるのでしょう。車内も広々とした快適な地下鉄でした。中山(孫文の名)駅で降りて外へ出ると、歩道の半分が必ずアーケードでおおわれています。なるほど、本当に雨や台風が多いところなのですね。雑然かつエネルギッシュに雑貨や衣料を売る店が建ち並んでいます。ダイソーの50元ショップも発見しました。しばらく歩くと、台北之家、旧アメリカ領事館がありました。モダンな洋風建築で、現在は芸術サロンとして利用されています。
c0051620_18225053.jpg

 ホテルに到着し、オプショナル・ツァー夜市観光に出発です。貸切バスにガイドさんとともに乗り込み、まずは他の客をピックアップするために円山大飯店に向かいます。ここは戦前には台湾神宮があった場所で、戦後に蒋介石が国民党関係者や国賓のための接待用ホテルを建て、現在では一般客が利用できる高級ホテルとなっています。市内を見下ろす高台に聳える、過剰な装飾におおわれたこけおどしのような巨大な姿は、国民党独裁のシンボルだったのでしょう。ここで他グループと合流して、まずは鼎泰豊で夕食です。NYタイムズ紙が世界十大レストランの一つに選んだこともある有名店だそうですが、さすがに店の前は黒山の人だかり。整理券番号を表示する電光掲示板も設置されていました。旅行社が予約をしてあるので、すぐ店内に入れ、しばし待つとお目当ての小籠包のご来臨です。店の方の教えに従い、きざみ生姜が積まれた小皿に醤油1:黒酢3をまぜて、小籠包をひたして生姜を少しそえ、かぷり。……………(絶句)…………… うまい うまい うまい うまい うまい うまい うまい うまい うまいいいいいいいい 官能的にぬめる皮と、迸る肉汁と、旨みが凝縮された具が、口の中で大爆発を起こします。今まで食べてきた小籠包はいったいなんだったのだあ ドンッ しょぼい肉饅ではないかっ。こやつを再び食べるためだったら、どんな苦しくきついことでも堪えられそう。これからの人生に前向きに立ち向かっていく勇気をもらいました、謝謝。蒸し餃子、焼売、野菜炒め、スープ、炒飯も美味美味、あっという間にたいらげてしまいました。腹福腹福…
c0051620_1823685.jpg


 本日の一枚は、もちろんこれしかありません。
c0051620_2081974.jpg

by sabasaba13 | 2006-05-31 06:09 | 海外 | Comments(0)

台湾編(4):二二八和平公園(06.3)

 旧総督府の近くに停車していたバスに、「国防教育」推進の呼びかけが書かれていたのには、どきっとしました。そしてすぐ隣にある二二八和平公園へ。まず魂消たのは、公園における禁止事項の看板です。ぬぅわんと15個! これを見ると台北の人々の暮らしぶりがよくわかりますね。喧嘩、賭博、洗濯と干し物、釣り、もちこんだ椅子と卓の放置、屋台による販売などが禁止されています。麻雀をしながら屋台で飲み食いして喧嘩をして大騒ぎになることがよくあるのかな。楽しそうでちょっと羨ましいな。でも洗濯禁止というのははじめて見ました、洗濯機など家庭用電化製品が普及していないのかもしれません。少し歩くと、尖った小石を埋め込んである健康歩道と、足裏のツボを説明する掲示板がありました。
c0051620_18215263.jpg

 そしてかつてラジオ局であった二二八紀念館に到着です。スペイン風コロニアル様式で、明るく瀟洒な建物なのですが、実は二・二八事件の時に、国民党政権の横暴に怒った人々がここを占拠して全国に決起をよびかけた場所なのです。台湾の戦後史に関する展示があるのですが、残念ながら時間がないので外観だけ見て国立台湾博物館に向かいました。ここは児玉源太郎と後藤新平の治績を記念するためにつくられた台湾総督府博物館で、竣工は1915年、設計は野村一郎です。ドーリア式の荘重な列柱、レリーフのあるペディメント、そしてドームがのせられた重厚な意匠ですね。もちろん総督府と同様に、支配者の力と権威を誇示するために、意図的にデザインされたものです。内部は大理石がふんだんに使われ、煌びやかな装飾にあふれたものです。展示は台湾の自然や原住民(注:台湾では先住民とは言いません)の文化に関するもの、正直言ってあまり充実したものではありません。
 入口の左手の方に、鳥居があるという情報を得ていたのでさっそく行ってみました。あった。何の解説もなく、二基の鳥居が所在なさげに佇んでいました。これはもともと本人の希望で台湾に埋葬された唯一の朝鮮総督明石元二郎の墓地にあったものを、移築したそうです。予習した知識によると、日本の植民地統治を快く思わない人々も多いので、あえて解説等は設置していないとのこと。満州事変以後、台湾をアジア侵略の兵站基地とし、台湾人を戦争に動員するために、朝鮮と同様に皇民化政策が推し進められます。その一環として台湾各地に神社をつくり、参拝を奨励したわけですが、戦後国民党政権によってほとんど破壊・撤去され、神社関係の遺構・遺物は現在ではあまり残っていません。信仰自体も全く台湾社会には根付かなかったようです。ま、天皇と日本国のために戦死を強要するのが国家神道の教義ですから、当然ですけれど。小泉軍曹もこうした国家神道の歴史をもっと勉強した上で、胸をはって靖国神社参拝をしてほしいですね。「私と私を支持する日本人は、植民地支配やアジアへの侵略を全然反省してないよおおおおおおお」と堂々と明言すればいいのに。それはさておき、身勝手な言い分ですが、できうれば歴史の生き証人として保存しておいてほしい遺構です。
c0051620_1822851.jpg


 本日の一枚です。
c0051620_645182.jpg

by sabasaba13 | 2006-05-30 06:07 | 海外 | Comments(2)

台湾編(3):旧総督府(06.3)

 それはさておき、現地ガイドの方と落ち合い、トイレ休憩の時間を利用してさっそく一服。これは私にとってその国の喫煙事情と経済状態を把握するための重要なセレモニーです。空港内では分煙ブース以外は前面禁煙、しかし外に出てみると皆の衆が平然と歩行喫煙をしていました。うん、建前は分煙を進めているが、内実は喫煙に対して寛容なようです、よかよか。灰皿の吸殻をチェックすると、ポルトガルよりは長くスイスよりは短いものが多く、それほど経済状態は悪くないと勝手に判断しました。待合室に戻ると軍服姿の二人の兵士が寛いでいました。後でガイドの方に訊ねたら、台湾では20歳から徴兵されるそうです。大陸との緊張した関係を痛感。さて、バスに乗り込みまずはホテルに向かいます。車内に乗客のために貸し出す傘が十数本あり、多雨地域であることを実感します。
c0051620_1821381.jpg

 ホテルに着いて旅装をとくと、夜市観光出発まで二時間強です。義父は疲れているというのでホテルの部屋で休憩、われわれ二人は近辺を徘徊することにしました。外に出ると粉糠雨でした、私の善行と山ノ神の運が、神様と鬩ぎあっているようですね、ふぁいとっ。まずはタクシーで総統府(旧台湾総督府)へ向かいましょう。台湾のタクシーは大変便利です。とにかく運賃が安い! 初乗りが75元ですから、日本円で約260円(1元≒3.5円)。流しのタクシーもたくさん走っており、チップの慣習もなし、メーターも見やすいし、これを使わない手はありません。ガイドさんの話では不正料金をふっかけることもないそうです。(ドアの開閉は手動) 旧総督府まで100元ですみました。あらためて台湾の物価の安さを感じましたね。
 日本の植民地統治のシンボルであるこの建築は、長野宇平治の設計により1919年に竣工され、今でも現役の庁舎として利用されています。視覚的に台湾人を威圧するという狙いがあったとしても、見事な意匠ですね。水平方向に広がる本体部分と中央に聳える高さ60mの塔が絶妙のバランスをなし、赤煉瓦と白い石のコントラストもお見事。台湾では市民による歴史の掘り起こし運動がさかんで、たとえ植民地支配に関係する物件でも保存して調査・研究に資しているようです。朝鮮総督府は完全に撤去されましたが、その差は前述のように台湾統治が朝鮮にくらべて緩やかであったことに起因していると思います。こうした物件を保存するも撤去するも、もちろん当該国の判断によるべきものですが、できうれば残してほしい。加害側であるわれわれが、往時の状況を感じ、植民地支配について考えるための重要な便になると思います。なお、一階部分は、平日午前中に見学が可能だということです。

 本日の一枚は、旧台湾総督府です。
c0051620_2064516.jpg

by sabasaba13 | 2006-05-29 08:01 | 海外 | Comments(2)

台湾編(2):台湾の歴史(06.3)

 すこし台湾の歴史を記しておきます。マレー、ポリネシア系の人々が暮らしていたこの島に漢民族が本格的に移住を開始したのは17世紀初頭、そしてヨーロッパ勢力もアジア貿易の拠点としてこの島に着目します。まずポルトガル人が発見して、フォルモサ(美しい島)と命名、その後オランダがスペイン勢力を追放して台湾を占領します。明朝が滅びたのち、1661年に明の遺臣鄭成功がオランダ人を台湾から駆逐して、ここを明朝復興の根拠地としました。結局、清朝に敗れ、これにより台湾は中国の版図に収められることになりました。18世紀後半より、大陸から移住民の渡来が激増し、開拓が急速に進みます。そして明治維新を経て近代化を目指す日本は台湾に漂着した琉球人を先住民が殺害したことを理由に、1874年台湾に出兵、その後、1894~95年の日清戦争の結果、台湾は日本に割譲され、以後51年間、日本の植民地統治下に置かれました。これに対する島民の抵抗は激しく、植民地化の過程で日本は日清戦争を上回る戦死者をだすことになりました。以後も、霧社事件(1930)など、たび重なる抗日運動がみられます。日本は台湾総督府を置き、児玉源太郎と後藤新平が中心となって近代的諸制度を導入し、日本の食糧供給地として米・砂糖・樟脳など農業の開発を推し進めました。1930年代以降、日本軍国主義の対外膨張期に、言語、風習、信仰、意識、氏名の日本化を目ざす皇民化運動と南進軍需工業化政策が強行され、台湾社会は大きく変容させられます。1945年、日本敗戦の結果、台湾はふたたび中国の版図に復帰し、台湾省として再出発します。しかし中国の国共内戦が再燃し、49年の本土における中華人民共和国の成立と蒋介石政権(国民党)の台湾への撤退により、台湾はふたたび中国本土と分断しました。この間、国民党を中心と刷る150万ないし200万ともいわれる官吏、軍人、商工業者とそれらの家族が大陸から台湾に流入します。彼らは外省人と呼ばれ、すでに台湾に居住していた漢民族の本省人、そして先住民族である原住民とは区別されます。この外省人によって台湾の政治・経済は牛耳られ、1947年に役人の腐敗に端を発して本省人の大規模な抵抗がはじまります。(二・二八事件) これに対して、国民党政権は徹底的な殺戮を行い、その犠牲者は約二万八千人といわれます。以後、戒厳令がしかれ国民党による強権的な独裁政治が続き、アメリカの援助による「反共の砦」化が進められました。大きなターニング・ポイントは1979年の米中、それに続く日中の国交回復です。アメリカと日本に見棄てられることに危機感を抱いた国民党政権は、両国に頼らずに独自の道を歩むため民主かを進めざるを得なくなります。1987年にようやく戒厳令が解除され、1996年には直接選挙による総統選出が実現、民主化が推進され現在にいたっています。

 附言します。台湾において反日感情が弱く、親日家が多いことから、台湾の植民地支配を正当化し、ひいては戦前の植民地支配は全面的に悪い点ばかりではなかったとする説も聞かれます。俗耳に入りやすい論ですが、台湾と朝鮮の相違点にはきちっと留意すべきでしょう。朝鮮の場合は、ナショナル・アイデンティティが生れつつあった独立国家を併合するという類例を見ない植民地化であったため、ナショナリズムにより触発された激しい抵抗を生みます。また満州・中国・ロシアに近接するという戦略上重要な位置にあるため、抗日運動を鎮圧するために日本による支配は酸鼻を極める過酷なものとなりました。以上二つの条件が台湾には欠けていたために、その支配も緩やかなものとなりました。創氏改名をした/させられた割合も台湾では約20%だったそうです。同時に、戦後の国民党による強権支配との比較で、日本による統治をまだましであったとする思いもあるのではないでしょうか。戦争に動員した台湾人への補償措置もなされていない以上、この問題は安易に考えるべきではないと思います。こうした過去も知らずに、小籠包と温泉と買物とマッサージだけが目的で訪台する日本人ツーリストも多いようですね。なお日本による植民地支配を手際よくわかりやすく概観する「植民地 帝国50年の興亡」(マーク・ピーティー 読売新聞社)という好著があるのですが、遺憾ながら絶版。もし古本屋で見かけたら、購入をお薦めします。
by sabasaba13 | 2006-05-28 08:56 | 海外 | Comments(0)

台湾編(1):(06.3)

 先日、台湾へ三泊四日で旅行をしてきました。今回は、中国語や中国文化に強く深い関心をもつ義父と山ノ神の三人づれです。となれば、故宮博物院と台湾の歴史的物件をできうるかぎり見てみたいですね、もちろん本場の小籠包も食べてみたい。あまり時間はなかったのですが、事前に「観光コースでない台湾」(片倉佳史 高文研)、「台湾 日本統治時代の歴史遺産を歩く」(片倉佳史 戎光祥出版)、「これだけは知っておきたい故宮の秘宝」(古屋奎二 二玄社)をあわてて通読し基本的な知識を仕入れました。なお義父が高齢なので、今回はパック・ツァーを選択し、初日の夜は夜市見物、二日目は台北市内一日観光、三日目は太魯閣(タロコ)峡谷観光というオプショナル・ツァーを申し込みました。最近は全て個人旅行なのですが、実を言うとパック・ツァーも嫌いではありません。何といっても楽です! また日本語を話せるガイドから、現地のいろいろな話を聞けるのもいいですね。自由時間が少ない、時間の制約が厳しい、土産屋に拉致される、そして自分の頭で考え悩む場面が少ないといった難点も多々あるのですが。
 インターネットで調べたところ、三日目までは雨、四日目に晴れという予報です。こればかりは仕方がない、私と義父の日頃の全き行いと、山ノ神の強運を信じるしかありません。一応、「世界史概観(上)」(H.G.ウェルズ 岩波新書)を持参しますが、読む時間はほとんどないだろうなあ。

 7:20に成田空港集合ですが、いきなり電車に乗り遅れてしまいました。電話で詫びをいれておきましたが、以後気をつけましょう。不愉快なセキュリティ・チェックを受けて、30分ほどの遅刻でカウンターに到着。添乗員はなしで、現地ガイドが面倒を見てくれるツァーです。出獄、ではなくて出国のイミグレーションの際に気づいたのですが、成田空港では監視用の凸面鏡が設置されているのですね。
c0051620_18202856.jpg

 飛行時間は四時間弱、好きな映画を選べて前の椅子の背についているモニターで見ることが出来る飛行機でした。冊子を繰っていると、おお、未見の「博士の愛した数式」(監督:小泉堯史)があるではないか! 飛んで火にいる夏の虫。しっとりとしたなかなか良い映画で、食い入るように見ていると残念ながら飛行機が着陸態勢にはいり、最後の30分を見られませんでした。帰りの機内で見られることを切に祈ります。そして台北中正国際空港に到着。(中正は蒋介石の名)

 追記。5月25日、また六ヶ所村の核燃料再処理工場で男性作業員が内部被ばくするという事故が起こりました。下記の内容は毎日新聞によるものです。
 日本原燃は25日、青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場で、協力会社の男性作業員(36)が体内にプルトニウムを含む微量の放射性物質を取り込み、内部被ばくしたと発表した。被ばく量はわずかで、健康に影響はないという。同工場での内部被ばくは初めて。原燃によると、男性は19日から20日にかけて、工場内の分析建屋で廃液の成分分析作業をしており、この間に被ばくしたとみられる。男性の排せつ物の検査で、0.01ミリシーベルトの放射性物質を取り込んだことが分かった。
 次はこんなニュースかもしれません。「六ヶ所村の核燃料再処理工場で原因不明の事故が発生。多量の放射能漏れのため、以後250年ほど青森・岩手・秋田・北海道南部には立ち入らないようにとの、経済産業省の発表がありました。さて次は、皐月らしい爽やかなトピックです…」
by sabasaba13 | 2006-05-27 06:08 | 海外 | Comments(2)

「DAYS JAPAN チェルノブイリ20年目の悲劇」

 「DAYS JAPAN 6月号 チェルノブイリ20年目の悲劇」観了・読了。何回も紹介しておりますが、今世界で起きている現実を写真によって報道し、状況を変える一石になろうという志をもった気鋭の写真月刊誌です。昨今の萎縮した日本のジャーナリズムの中で、天狼星のように孤高に輝く稀有な写真誌、一人でも多くの人に読んでいただきたいな。
 六ヶ所村についての一文を書いている時に、定期購読しているこの写真誌が郵送されてきました。何という偶然! チェルノブイリの現状についての特集号です。人類はこの悲劇から何も学んでいないこと、学ぼうとしていないことがよくわかりました。避難民、事故処理作業員、そして彼らの子供たちの健康調査はほとんど進んでおらず、死者の数もいまだはっきりされていません。IAEA(国際原子力機関)は、事故による死者は将来も含めて4000人というあまりにも過小な数字を発表していますが(2005)、これは明らかに被害の実情を隠蔽し原子力発電の維持と拡大を目的とする虚偽の報告ですね。イスラエルの核兵器所持を見て見ぬふりしていることからもわかるように、胡散臭い機関です。その発言には眉に唾をつけて聞き、その動きには十分に気をつけて監視すべきだと思います。そして今のチェルノブイリの生々しい様子や、そこに住む人々を撮影した写真は、言葉では伝わらない思いメッセージをふくんでいます。原発事故は、文字通りとりかえしがつかないことなんだ… 実は、なぜ事故を起こしたチェルノブイリ原発が鎮火したのか、次に事故が起きた時に何をすべきなのか、自然環境や生態系や人体へどのような影響を与えるのかについて、よく分かっていないのですね。ううむ…
 この写真の光景と、青森県そして日本の将来の姿がだぶって見えるようです。原発や核燃料サイクルに賛同する政治家・官僚・財界の方々は安易に「愛国心」という言葉を使ってほしくないな。大事故が起こる確率は確かに低いかもしれませんが、起こった時はその地域の全てが終わります。日本が滅亡する際には、せめて「あんな政策を行ったらおしまいだね」と世界の教訓となってほしいのですが、原発事故での滅亡だけは絶対に絶対にしてはいけないと切に望みます。これ以上周辺諸国や地球に甚大な迷惑をかけるわけにはいきません。
 他にも油田に押しつぶされるナイジェリアの住民、らい予防法の傷痕、アヘンに蝕まれるアフガニスタン、腕を切断されたシエラレオネの男性、60年目の被爆者など、今の世界があげている叫び声を伝えてくれる記事が満載です。中でも水俣病に関する下記の記事が衝撃的でした。
 水俣病情報センターで私の毛髪の水銀値を調べてもらうと、安全基準を超えていた。日本の男性の7人に1人が安全基準を超えているという。紛れもなく日本全国が「水俣化」しているのだ。
 以前の記事にも引用した、カート・ヴォネガットの小説(「スローターハウス5」だったと思います)に出てくる言葉が、脳裏でまた響きます。地球のほとんどの地域がすでにスローターハウス(屠殺場)になっているのかもしれませんね。畜生道の地球…
われわれは自分たちを
救えたかもしれないが
呪わしいほどなまけものであった
ためその努力をしなかった
それにわれわれは
呪わしいほど下劣であった
 なおDAYS JAPAN主催の二つの写真展「地球の上に生きる2006」「メディアは命を救えるか」が開かれる予定だそうです。詳細は下記のホームページでご覧ください。なお後者では、以前にふれたことがある「ハゲワシと少女」(ケビン・カーター)も見られるようです。

●DAYS JAPAN ホームページ  http://www.daysjapan.net/

 追記。坂本龍一氏の呼びかけについては昨日の記事に書きましたが、私の大好きな忌野清志郎氏もかつて反原発の歌をつくっていたことをふと思い出しました。先ほどインターネットで調べてみると、「カバーズ」におさめられている「サマータイム・ブルース」という曲です。さっそく購入します。なお、このアルバムの発売を東芝EMIは拒否しました。親会社の東芝が原子力産業を支える中心的な企業だったからですね。このあたりから反原発運動の戦略が一つ見えてきます。原子力発電所に関与している企業の製品に対する、大規模な不買運動です。いかが。………………そうかっ! 共謀罪というのは、こんなことを誰かと話し合っただけで成立してしまうんだ! あらためてその恐ろしさと醜悪さがわかりました。それにしても、どこまで堕ちていくんだ、この国は。
by sabasaba13 | 2006-05-26 06:21 | | Comments(0)

六ヶ所村核燃料再処理工場のアクティブ試験

c0051620_693427.jpg 昨日の続きです。そして今、日本原燃が六ヶ所村で進めているのが、再処理工場で取り出されたプルトニウムとウランなどを加工してMOX燃料をつくり、この燃料を軽水炉で利用するというプルサーマル計画です。その使用済み核燃料再処理工場が今年の3月31日よりアクティブ試験を開始しました。再処理時に出る放射能を低レベルの名のもとに空へ海へ放出し、青森県知事も「拡散され薄まるので問題ない」とこれを公認・放置しています。そして4月12日には溶解槽セル内における洗浄水の漏えい、4月24日には洞道に設置している漏えい検知ポットにおける微量の放射性物質の検出、5月18日には精製建屋内における試薬の漏えいと、立て続けに事故がおきているのが現状です。
 青森県産農産物への風評被害はもちろん、放射能が自然と人体に与える悪影響、そしてなにより地震・米軍機の墜落・人為ミスなどによる大事故がおおいに心配です。わが愛する青森県が放射能汚染により無人の荒野にされてしまうのには、堪えられません。しかしマス・メディアはほとんどこの状況に関する報道をしていない体たらくです。
 しかし希望の芽が一つ開きました。ミュージシャンの坂本龍一氏がこの事態を憂い、サイトを立ち上げて多くの人々に呼びかけを始めていることです。彼のような影響力のある方が、こうした動きをしてくれるのは大変心強いですね。政治知性が欠落しているいわゆる“有名人”の中で、傑出した存在だと思います。「六ヶ所村」で検索をすると、これに呼応する動きがじょじょに広まっていることが実感できます。発言の趣旨からいって転載してもかまわないと判断しました。かれのメッセージです。
坂本龍一です.

本日、みなさんの貴重なお時間を頂戴して訴えたいのは、青森県六ヶ所村にある核燃料再処理工場による、甚大な放射能汚染についてです.

なんと、この再処理工場からは通常の原発から出る放射能の一年分が、一日で出るというのです.美しい縄文の地と恵みをもたらす三陸の海が汚され、その被害は何百世代先にまで及びます.

こんな異常なことがまかりとおっていることが、にわかには信じられません.しかし、もっと問題なのはほとんどの人がこの事実を知らないということです.

これは大手メディアに責任がありますが、PSE法についてはあれほどリアクションがあったのに、もっと重大で命に関わるこの問題については、社会全体が奇妙なほど静かなのです.そこでぼくはインターネットと音楽をもって世界にこのことを知らしめようと思いました.

ぼくと、若い友人である日本人ラッパー、shing02は今、音楽を制作中です.ぼくたちはその音楽をwebに載せ、人々がそれを自由にダウンロードし、リミックスし、サンプリング、リサイクル、リモデルなどをして、再処理工場のことが世界に広まるように、クリエイティブコモンズのライセンスを取得するつもりです.

幸い、友人のクリスチャン・フェネスが賛同し、音をダビングしてくれましたし、また英国の有名なデザイナーであるジョナサン・バーンブルックはwebサイト(www.stop-rokkasho.org)のデザインを引き受けてくれました. そこでは、人々が音楽を聴き、ダウンロードをし、またビデオを見たり、六ヶ所再処理工場についてもっと情報を得ることができます.

みなさんにもぼくたちと共に、音楽、写真、動画、美術作品、詩など、どんなジャンルでもけっこうですので、寄付していただくことを呼びかけたいのです.
そうすることによって、世界がこの問題を知ることになり、ひいては危険な再処理工場が止まることを願って.ちなみに、ぼくたちにはどんな財政的な基盤もありません.これは人々に気づいてもらうことを目的とした、100%ボランタリーな活動です.

みなさんの貴重なお時間をさいて、これを読んでいただき、またこの問題を考慮していただいたことに感謝して.


坂本龍一拝
●坂本龍一氏のサイト http://stop-rokkasho.org/

 追記。朝日新聞夕刊(06.5.22)によると、経済産業省はイギリスに委託している使用済み核燃料再処理に関して、低レベル放射性廃棄物はイギリスに処理してもらい、そのかわりに高レベル廃棄物を30立方メートル余分に受け取るそうです。そうすると、前者では37回かかる海上輸送が一回ですみ、約一千億円以上節約できるそうな。やれやれ… 最終処分場がまだ決定していないようなので、提案します。大量の電力を消費する地域で、しかもこうした事態の責任者の塒の地下に埋めるのが筋というものでしょう。そう、首相官邸か、経済産業省か、自民党本部の地下で決まり!
by sabasaba13 | 2006-05-25 06:15 | 鶏肋 | Comments(2)

「六ヶ所村 核燃基地のある村と人々」

 「六ヶ所村 核燃基地のある村と人々」(島田恵 高文研)読了。かなり以前に鎌田慧氏の「六ヶ所村の記録」(岩波書店・講談社 絶版)を読んで以来、ずっと青森県にあるこの村のことが気になっていました。1970年代にはここを一大石油コンビナート地帯にするという「むつ小川原開発計画」、それが破綻すると今度は核燃料サイクル基地の建設。この間、政治家・官僚・財界が警察を動員しながら強引に計画を推進するとともに、札びらで地元の人々の顔をひっぱたき、分裂させ、協力させていく有様を描いた優れたルポルタージュです。昨年、念願叶い、現地を訪問することができました。その報告はこちらをご笑覧ください。
 本書は六ヶ所村に移り住んだ著者が、核燃料基地の強行建設とそれに抵抗する人々、そして村の生活や風景を撮影した写真集です。文章だけでは伝わらない村人の、怒り、恐れ、不安、悲しみを感じとることができました。前書と併読すると、この村が追い込まれてきた過酷な歴史がよくわかります。ここは日本の縮図ですね。金と警察力を駆使して抵抗を粉砕し、人々の生命や健康を脅かすことなど歯牙にもかけずに、利権を追求する官僚・政治家・財界。「金で心を汚してしまえ/夢も希望も奪ってしまえ」と日本人絶滅を目論む「死ね死ね団」(懐かしのTV番組“レインボーマン”に登場)と、政官財複合体が同種の組織であることがよくわかります。後者の狙いは、お上に逆らう日本人の絶滅という違いはありますが、たいした差ではありません。自らの利益を“国益”と言いつくろい事態を隠蔽する後者よりも、高らかに目標を標榜する前者の方が潔いという気もしますが。教育基本法改正/改悪の狙いの一つは、“国策”に抗う人々を「非国民」として叩き潰すためなのではないか、と邪推してしまいます。
 追記。1991年1月25日に、小沢一郎自民党幹事長が青森県を訪れ、商工業団体の長をホテルに呼びつけて建設工事への協力要請をするなど、厳しい締め付けをしたそうな。やれやれ、教育基本法改悪/改正阻止のために、この人物のバック・アップをしなければならないとは…

 本日の一枚です。六ヶ所村に運び込まれた、雨に打たれ煙を上げる高レベル放射性廃棄物輸送容器です。これ一つだけで広島型原爆の約一千倍の放射能を含み、高熱を発するそうです。こんな恐ろしい写真を今までに見たことがありますか?
c0051620_7473885.jpg

by sabasaba13 | 2006-05-24 07:48 | | Comments(0)

シギスヴァルト・クイケン&ラ・プティット・バンド

c0051620_665474.jpg 「武満徹|Visions in Time展」を見て、オペラシティの地下で素早く食べられる飲食店を物色。タコスに後ろ髪を引かれましたが時間がかかりそう、ここは我慢してフィッシュ・バーガーを食して、開演五分前に座席に到着、山ノ神と合流しました。古楽器オーケストラ、シギスヴァルト・クイケン&ラ・プティット・バンドの演奏会によるオール・バッハ・プログラムです。前半は「二つのヴァイオリンのための協奏曲」「ブランデンブルグ協奏曲第五番」、後半は「六声のリチェルカーレ(音楽の捧げ物)」「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲」「ブランデンブルグ協奏曲第四番」。苦言を一つ呈しますと、クイケン氏はソロをやめて全体のまとめ役に徹した方がよいと思います。音程の狂いや音のかすれなどがかなり気になりました。それ以外は大満足、軽やかなバッハの音楽を満喫できました。ほとんどビブラートをかけず、空中にほわんと音を放り投げるような奏法によって、音量は小さいのですが美しい響きが生み出されていました。実は、今習っているチェロの先生から、弓を浮かさずに弦に垂直に密着させくらいつかせて弾くようにと教えられています。確かにこの奏法の方だと音が大きくなるし、倍音も豊かとなります。以前読んだ本(書名は失念)によると、19世紀の後半に貴族階級というパトロネージュを失ったヨーロッパの演奏家たちが、アメリカの中産階級に演奏を聴かせることで生き残りをはかりました。その際に、アメリカの大きなホールで多くの聴衆にアピールするために、できるだけ大きな音量を出すための現代奏法が確立されたとのことです。どちらの弾き方もできればいいのでしょうが、この日聴いた、軽やかな響きも新鮮で魅力的です。
 そして少人数(最大11人)によるアンサンブルがかもす、濁りのない響きの美しさ。お互いによく聴き合い見合い、音を合わせようとする合奏の喜ばしさも十二分に堪能させていただきました。驚いたのは、「六声のリチェルカーレ」で、六人の奏者が舞台上で円く輪になったこと(つまり二人ほど聴衆に尻を向けた状態)。客席がざわめく中、突然「音楽の捧げ物」のあのテーマが始まりました。後は一気呵成、濃密な空間の中で六人による合奏する喜びに満ちた演奏がくりひろげられていきます。「ずるいぞ、自分たちだけ楽しんで!」と心の中で呟きながらも、ぐいぐいと惹きこまれていきます。室内楽とは、まず演奏者が楽しむもので、聴衆はそのお裾分けをもらうだけなのですね。もし宝くじで一億円が当たったら(買ったことがないのですが)この六人を雇ってその真ん中でこの曲を聴いてやるんだという夢のような妄想を抱くとともに、弦楽四重奏団を結成するという年来の野望にもメラメラと火がつきました。ビートルズのコピー・バンドの再結成や、ジャズ・ベースを習得してピアノ・トリオ結成など、夢は大きな中年剣士(古いなあ)の心境です。まずはチェロの練習、練習、そして練習。

 演奏会の終了後、初台駅へと流れていく流浪の民のような群集で、またいつものような惨めな気分となりました。なぜ音楽の余韻に浸りながら歩ける素敵な街並と広場、そして演奏会を評しながら美味しい食事ができる落ち着いたレストランがなぜホールのそばにないのじゃ。別段、無批判にヨーロッパを崇拝しているつもりはないのですが、ウィーンやザルツブルクとの落差に愕然とします。音楽を聴くという行為が、完全に街から浮いて孤立しています。景観の破壊に無関心で、コンビニエンス・ストアやファスト・フードのチェーン店に入り浸り安くて美味しくて良心的な料理店を育てようとしない、われわれの責任ですね。
by sabasaba13 | 2006-05-23 06:07 | 音楽 | Comments(0)

武満徹|Visions in Time展

c0051620_653571.jpg 先日、シギスヴァルト・クイケン&ラ・プティット・バンドの演奏会をオペラシティに聴きにいきました。山ノ神はぎりぎりの時間で駆けつけるということなので、各自で夕食をとり現地集合ということに決定。初台駅でおりて、さあ何を食べようか、鰻か寿司かと彷徨しておりますと、オペラシティアートギャラリーで「武満徹|Visions in Time展」を開催していました。盲亀の浮木優曇華の花、開演まで一時間ほどあるのでこれ幸いと入ってみました。正直に言って、彼の曲を聴いて感銘を受けたことはありませんし、日頃愛聴しているわけでもありません。しかし時々無性に聴きたくなることがあり、そんな時はその不思議で魅惑的な響きに身を浸らせます。聴き終わると心身の調律をすませたようで、すっきりとした気分になれます。私にとって必要な音楽家の一人ですね。
 自筆の楽譜や楽器・愛用品、彼自身が描いた絵に加えて、プロデュースした演奏会のポスターや資料、音楽を担当した映画のポスターが展示されています。「ノヴェンバー・ステップス」の自筆楽譜ではその誠実で几帳面で厳しい筆致に目をひきつけられました。愛用の机の上には、丁寧に尖らせた鉛筆がきちっと長い順に並べられ、脇には無骨な手動式鉛筆削りがすえつけられ、筆記用具は無造作にUCC珈琲の缶の中に入れられています。彼の虚飾を排した飾らなさと真面目さがひしひしと伝わってきました。けん玉の腕前がプロ級だったとは知らなんだ。彼は長野県の御代田の山荘に住み、自然の奏でる音からさまざまなインスピレーションを受けていたとのこと。もし公開されているのであれば、ぜひ訪れてみたいな。調べてみます。最後の随筆集「時間の園丁」の自筆原稿も展示されており、その字がころころと丸く愛らしいものだったのが意外でした。音に対しては厳しく、言葉に対しては優しい人だったのかもしれません。
 そして彼と交友があった芸術家(ジャスパー・ジョーンズ、イサム・ノグチ、宇佐美圭司、堂本尚郎…)の作品や、彼がインスパイアされたパウル・クレー、オディロン・ルドン、村上華岳の作品も展示されています。彼が華岳の山水画に興味をもっていたとは知りませんでした。そうした作品を見ながら、彼の曲をヘッドフォンで聴けるという展示も素晴らしい。ほんとに残念ながら時間が足りないので、ほんの少ししか聴けませんでした。武満徹ミュージアムをつくって、このコーナーを常設してくれると大変嬉しいのですね。
 入場者も数名、静謐な雰囲気の中で武満徹のさまざまな営みに触れ、楽しむことができました。お薦めの展覧会です。今、「雨の木」を聴きながらこの一文を書いておりますが、車軸のように降っている夕立と彼の音楽が共鳴しあっているようです。

●オペラシティアートギャラリー http://www.operacity.jp/ag/
by sabasaba13 | 2006-05-22 06:06 | 音楽 | Comments(0)