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「百選の棚田を歩く」

 「百選の棚田を歩く」(中島峰広 古今書院)読了。棚田を愛すなどと銘打っておきながら、これまで数箇所しか訪れていません。お恥ずかしい限りです。しかし本書を読んで心を入れ替えました。これからは意欲的に各地の棚田を見にいく所存です。著者は、棚田学会の副会長にして、農水省による棚田百選の選定委員、この道の泰斗です。何といっても、序文に感銘を受けました。
 各地を訪れる時は…最寄りの場所まで公共の交通機関を利用し、その後は現地まで歩くことにした。それは、第一に車の運転ができないこと、第二に歩かなければ五感に感ずることは書けず、地域を詳しく観察することができないこと、第三に危機に瀕する山村の公共交通機関の一助となるため乗車を心がけたことなどによる。
 その意気やよし! 満腔の意をもって賛同します。私も運転できないし… 百選のうち45の棚田が紹介されていますが、いずれも熱い思いにあふれた文章。棚田に関する知識もさることながら、必ず農作業をしている人と会話をして、その棚田について地元の視点から知ろうとする姿勢はぜひ学びたいですね。そして保存の取り組みに関する血のにじむような努力や工夫についても、よくわかりました。これからは、景観の素晴らしさに見呆けるだけではなく、水利や法面(棚田の側壁)の様子や、農機具の搬入方法などにも眼を凝らしていきたいと思います。それにしても、こんなに不便な棚田を、どういう思いで耕作し続けているのか。ある農夫の言葉が印象的でした。
 先祖から受け継いだものを自分の代で荒らしては申し訳ないという倫理観が六割、荒らせば周囲が何というかわからないという共同体規制が二割、美味しい棚田の米を食べたいという積極的な理由が二割。
 間違いなく言えるのは、たとえどのような理由であるにせよ、棚田には、見事な景観だけではなく、水資源の涵養や土壌の保全、洪水の防止、そして小動物の生育環境が保たれるという計り知れない利点があります。軍事費や特殊法人や原子力発電所や無駄な公共事業などにかける資金があるのだったら、行政は棚田保全へのバックアップを行うべきですね。
 あえて苦言を呈すると、各棚田の所在地やそこへのアクセスを示す詳細な地図、そして全体像がわかるカラー写真がほしかったなと思います。大きな瑕疵ではありませんが。

 追記。リトアニア領事として多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝の実家は、岐阜県八百津町北山にある棚田のそばなのですね。棚田への何らかの思いを込めて、両親が「千畝」という名をつけた可能性があるようです。また映画「阿弥陀堂だより」に登場する福島新田も紹介されています。
by sabasaba13 | 2006-06-30 06:06 | | Comments(2)

ワールド・カップ雑感

 とりたててサッカーやワールド・カップには興味がありません。ま、あえて言えばルイス・フィーゴの鋭いドリブルと威厳にあふれた中年顔が好きだし、数年前に訪問して楽しませてもらった縁と恩があるので、今回はポルトガルと日本を応援しています。
 というわけで、先日日本が惨敗したブラジル戦もダイジェストでしか見ておりません。しかし、ニュース番組をつけると、必ず応援団諸氏の様子や、試合の解説が怒涛の如く流れ出してくるので、この試合をとりまく雰囲気はだいたいわかりました。そしてざらざらとした違和感を感じると同時に、いたく興味を引かれるいくつかの点を思いつきました。
 自己の過大評価と相手の過小評価。日本の些細な長所を誇張し、ブラジルの数少ない欠点をあげつらい、まるで対等に勝負できるかのように思い込み、思い込ませる。孫子の言葉を引き合いに出すまでもなく、自他の戦力を冷静かつ客観的に分析するのが、勝利への道。こうした言説は分析というよりも、単なる願望です。
 精神力の過度の強調。応援団や日本人が一生懸命応援すれば、まるでその力が選手たちに乗り移り、持ち前以上の能力を発揮できるという思考。声や言葉には不思議な力があるという「言霊信仰」がまだ生きているのかもしれません。
 神の加護。「神風が吹く」という言葉を何回か聞きました。一生懸命に選手がプレーし、みんなが応援すれば、日本を守る神の力で奇蹟が起こるという考えですね。
 常軌を逸した盛り上がり。派手で無遠慮な馬鹿騒ぎをすれば、災いをもたらす鬼や怨霊は逃げていき、神が良き事をもたらしてくれるという文化的伝統=風流(ふりゅう)も感じますね。平安時代の田楽、江戸時代のかぶき者やええじゃないか、など日本の歴史において間歇的に発生する動きです。
 そしてマス・メディアによる偏向した報道。興奮する応援団諸氏を連日取り上げ、まるですべての人がこの試合に関心を持ち日本チームを応援しているかのような錯覚をまきちらしていました。街頭インタビューでも、眼鏡をふきながら「こんな馬鹿騒ぎをしている場合じゃないでしょ」とクールに言い放った人も必ずいたと思うのですが、絶対に放映しないでしょう。「勝ち組/負け組」という深刻な階級分裂や、社会の諸問題から目を背けさせるという意図すら感じます。

 そうです、これは太平洋戦争と同じ構図だとはたと気づきました。日本人の精神構造と知的能力は、当時とほとんど変化がないのですね。もしかすると、あの戦争を支えた人々のメンタリティも、みんなで大騒ぎをして、社会の諸問題を忘れたいという思いだったのかもしれません。

 次の米軍日本師団長に誰がなるかはまだわかりませんが、「ワールド・カップで負けたのは、憲法と教育基本法のせいだ」あるいは「国際テロリストの陰謀だ」などと言い出して、一気に憲法・教育基本法の改正/改悪、共謀罪法案成立を行う可能性はなきにしもあらずですね。けっこう多くの方々がそれを支持するかもしれません。勿論冗談ですが。まさかそこまでこの国に居住する人々は阿…いやわからないな。
by sabasaba13 | 2006-06-29 06:05 | 鶏肋 | Comments(0)

高島野十郎展

c0051620_6143962.jpg 5月に「美の巨人たち」(テレビ東京)で高島野十郎という画家を紹介していました。たかしまやじゅうろう? 知らんなあ、と仕事をしていたら、番組を見た山ノ神が素敵な絵だと教えてくれました。三鷹市美術ギャラリーで、没後30年展が開催されているという情報を得て、さっそく二人で行ってきました。
 1890年に久留米で生れ、東京帝国大学で水産学を学び将来を嘱望されながらも、独学で画業に専念し、以後画壇との接触も断ち流行も追わず、1975年になくなるまで只管写実に徹した絵を描き続けた孤高の画家。彼の言葉です。
 小生の研究はただ自然があるのみで古今東西の芸術家の後を追ひ、それ等の作品を研究参考するのではありませんし、反対にそれ等と絶縁して全くの孤独を求めてゐるのです… 世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です。
 会場に入り、こちらを射抜くような眼の自画像に足がすくんでからは、もう彼の世界にひきずりこまれてしまいました。青年時代には、デューラーの緊密な描写や、ゴッホの揺らぐフォルムなどの影響が見られますが、以後は独自の確固たる画風をきずいていったようです。徹底的な写実。解説によると、仏教に強い影響を受けた彼はそれを「慈悲」と言っていたそうです。見えるすべてに等しく眼差しを注ぐこと。好きな作品はたくさんあったのですが、あえてあげれば「雨 法隆寺塔」と「菜の花」。まるで自分が氏と一緒にその光景を見ているような錯覚を覚える、迫真の絵でした。湿気、雨の音、菜の花の匂いが五感に迫ってきます。後で絵葉書を数枚買ったのですが、愕然としました。これほど絵と、それを写した写真に落差がある画家は珍しいのでは。後でカタログを読んだところ、修復家の歌田眞介氏がこのような指摘をしていました。絵の具を練る油には、乾性油(リンシード、ポピー)と揮発性油(ペトロール、テレピン)があり、前者は乾くのが遅いが、乾けば光沢のある堅牢な塗膜を形成する。大正期以降、ほとんどの画家が乾きの早い後者を選ぶ中で、野十郎はあえて前者を選び、さらに画材や技法の原則を守りぬいたと。なるほど、その結果が写真では写しきれないあの見事なマチエールなのですね。
 月と蝋燭を描いた連作にも、眼を奪われました。光と闇の真の姿を描きつくそうとする彼の姿には、鬼気迫るものがあります。瞼を閉じた時に見えた色や光を描いた作品には驚きました。まるで自分が一個の巨大な眼球になったようは気がしました。
 というわけで、これはお薦めの展覧会です。まだまだ彼のような、未知の優れた画家が世界中にたくさんいるのでしょう。それを見出すためにも、自分の“眼”をもっと磨いていきたいな。

 中央線に乗ると、日能研のカバンを背負った数人の子どもたちが、車内を走り回り大暴れをしていました。あと一歩私の領域に踏み込んだら、叱ろうと思ったのですが、今にして思うときちんと注意すべきでした。自戒自戒。入学試験で良い点数をとるための学力と、他者の存在が眼中に入らない心性、ちょっと憂鬱になります。西荻窪でおりて、美味しいレストラン「こけし屋」に行ったら残念ながら満席。高円寺からバスで練馬に戻り、「176」でハウルの動く城のような天丼を食す。最近、この蕎麦屋に夢中です。

●三鷹美術ギャラリー http://mitaka.jpn.org/gallery/
●美の巨人たち    http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_060513.htm
by sabasaba13 | 2006-06-28 06:15 | 美術 | Comments(0)

台湾編(19):(06.3)

 そしてホテルに到着。ガイドさんに空港まで送ってもらいました。出発までかなり時間があるので、空港内を彷徨していると故宮博物院のミュージアム・グッズを売っている店がありました。だめ押しで西周青銅器のミニ・レプリカを購入。ムスリムのための祈祷室はやはりこの空港にも設置されていました。
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 そして定刻通り、飛行機は出発。幸い機内で「博士の愛した数式」の最後の30分を見ることができました。しみじみとしたいい映画ですね。内容もさることながら、長野の小諸や上田の何気ない自然や里山の美しさに見惚れました。ウィリアム・ブレイクの言葉も心に残ります。「一粒の砂に一つの世界を見/一輪の野の花に一つの天国を見/てのひらに無限を乗せ/一時のうちに永遠を感じる」 さすが市場経済を「悪魔の碾き臼」と表現した詩人です、その対極の世界を見事に活写していますね。そしてANAの機内誌「翼の王国」を何気なく読んでいると、私の霊界アンテナ(筆者注:寝癖ではありません)が何かを感じました。原子力発電を肯定し推進をPRする広告が異常に多い。電気事業連合会、経済産業省資源エネルギー庁、文部科学省、そして原子力発電環境整備機構の計四つ。われわれの納めた税金を湯水のように使い、原子力発電を遮二無二推し進めようとする官僚たちの不穏な動きが加速してきたようです。要注意。
 そして無事に帰国、そして帰宅。流しにおきっぱなしの山のような食器類を見て、「小人さんはいないのね/いないのっ!(筆者注:留守の間に家事をすべてすませてくれる妖精のことらしい)」と一人腹話術をし、冷蔵庫のヨーグルトを見て「賞味期限が過ぎてる、早く食べなくちゃ」とあわてる山ノ神。中国文化の影響を受けてなのか、併呑自若、言動にも大人の風格がでてきましたね。というわけで侏離鴃舌、蛙鳴蝉噪もこのあたりで終わりにします。

 ひさしぶりのアジア旅行だったので感興もひとしおです。共産党政権との緊張関係、国家による管理・統制とそれを柳の如くしたたかに受け流す台湾人、エネルギッシュで猥雑な街、少数民族の現状、奥深い食文化、そして日本による植民地支配のさまざまな名残と遺産。本当に楽しめかつ勉強になりました。われわれが忘れてはいけないのは、反日感情が弱いからといって、それに甘えてはいけないということですね。いまだ清算されていない植民地支配の傷痕は決して少なくないと思います。それに対する責任をきちんと果たした上で、アジアの将来像を多くの人々と協力してつくりあげる。困難ではあるが、わくわくするような課題です。故宮博物院が完成したら、また訪れるつもりです。再見。

 追記その一。鼎泰豊(ティンタイフォン)の支店が、日本各地にけっこうあるのですね。別に回し者ではありませんが、お試しあれ。
 ●鼎泰豊 http://rt-c.co.jp

 追記その二。2006年3月31日、青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場で、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出すアクティブ試験が強行されました。原発のPRが増えてきたのは、このための地均しなのかもしれません。とうとうルビコンを渡ったわけです。ワールド・カップや、放火殺人事件より、この問題や憲法・教育基本法改悪問題の方が重要なのに、マスメディアはほとんど報道しませんね。なおこの件に関しては拙ブログ06.5.25の記事もご笑覧ください。そうそう、この工場で二度目の被曝事故がありました。
by sabasaba13 | 2006-06-27 06:11 | 海外 | Comments(0)

台湾編(18):台北市内(06.3)

 さらに少し歩くと、旧西門市場(現紅楼劇場)です。完成は1908年、設計は近藤十郎、かつて公設市場として利用された八角形・赤煉瓦の建築です。現在は劇場として利用されていますが、まだ朝早いためかシャッターが下ろされ内部を見ることはできませんでした。ここから北に向かってしばらく行くと、北門があります。清朝が築いた台湾府城の門で、現存するのはここだけのようです。そのすぐ前が郵便局で、間違いなく戦前の物件でしょう。詳しい情報は得られなかったのですが、たぶん植民地統治時代も郵便局として利用されていたと思います。郵便貯金制度は庶民の零細資金を政府の手に集中するためのシステムで(これは戦前日本においても戦後日本においても同じ)、台湾においても活用され、ここに貯蓄された台湾人の郵便貯金のほとんどが大蔵省預金部(伏魔殿!)に送付されたそうです。そして敗戦後、還付していないわけですから、やらずぼったくりですね。その責任をわれわれはとっていないということを銘肝しましょう。このあたりに旧総督府鉄道部(現台湾鉄路管理局旧舎)の建物があるはずですが、見当たりません。ハーフ・チンバー構造(木柱をわざと壁面にだして模様とする)の瀟洒な建物だそうなので、ぜひ見たかったのですが… ん、あの覆いでおおわれた修築中の建物がそうかな、つかつか、そうでした。どうやら傷みが激しいので修復して保存するようです、これは嬉しい。再見。
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 そしてさらに歩いて、迪化(てきか)街に向かいました。清朝末期に栄えた街で、小さな小売店や問屋が建ち並んでいます。古い建物が多々残っており、往時の雰囲気が彷彿としてきます。みなさん、のんびりと忙しそうに働いておられました。大規模小売店・量販店がなく、住居と職場がいっしょで、仲間や友人が身近にいると、こういう暖かい雰囲気になるのでしょう。羨ましい。燕がツーイと飛び交い、野良犬が往来のど真ん中でう○こをする光景まで愛おしくなってきました。
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 なおIDカード(国民身分証)の書替時期らしく、あちらこちらでポスターが貼ってありました。そしてここだけではないのですが、やたらと歩道に段差があるのが気になります。個人主義の現われか、風水によるものか。
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 さてそろそろホテルに戻ろうとして、南京西路183のあたりを歩いていると、「二二八事件引爆地」という碑を偶然見つけました。どうやらここで警官が民衆に発砲し、二二八事件の引き金となったようですね。
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 歩道橋を渡ると、眼下に火の見櫓らしき塔が見えます。消防署かなと思い近づくと、何と派出所でした。これも日本による植民地支配の名残でしょう。そして国民党独裁下における国民監視と治安維持強化とも関係がありそうですね。それにしても交番や派出所の歴史というのも興味がありますね、濫觴は近代の日本なのかな。日本の職人に鍛えられた台湾の名物桶職人、林相林さんのご尊顔を拝したくて「林田桶店」に行きましたが、残念ながら店が開いておりませんでした。
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 本日の二枚は、迪化街です。
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by sabasaba13 | 2006-06-26 06:21 | 海外 | Comments(0)

台湾編(17):台北市内(06.3)

 ロータリーのコーナーにそって屹立している、見事な赤煉瓦建築が旧総督府専売局です。設計は森山松之助、中央のドームと塔が眼をひきつける重厚にして華麗な物件です。総督府はアヘン、樟脳、煙草、酒などを専売にして大きな財源としていましたが、その専売制度を管轄していた事務所です。一種の高額消費税と考えてよいと思いますが、収奪される台湾の人々にしてみれば心地よいものではなかったでしょうね。怨嗟の的にもなりえたこの建物を破壊せずに保存した経緯についてはよくわかりませんが、感謝したいと思います。なお政府か軍が現役で使用しているらしく、至近距離で撮影をしていたら警備員が(たぶん)撮影禁止だという素振りで近づいてきたので、早々に退散。すぐ近くに厳重な鉄条網つきバリケードが幾重にも重ねて置かれていたのが印象的でした。
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 ここから司法院、旧総督府へ向かってしばらく歩きます。
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 平日ということで通勤ラッシュの真っ最中ですが、バイクの多さには驚きます。信号手前のバイク用スペースで数十台が位置につき、青信号になると同時にダッシュする様子は、サーキットのようですね。当然、爆音と排気ガスも凄いものです。
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 どの通りにもアーケードが設置されており、ほんとうに雨が多いところなのだなあと実感。おーっと、警察官が今まさに違法駐車の車をレッカー移動しようとしている現場を目撃しました。すると持ち主の男性が、大声を出しながら駆け寄ってくるではありませんか。見逃すのか、無視するのか、袖の下を渡されるのか、最後まで見極めるべきだったのでしょうが、時間の都合上その場を立ち去りました。今にして思えば、警察権力と市民との関係を知るよい機会だったのですね、不覚。
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 そして次なる物件は、旧台北公会堂(現中山堂)です。1936年に竣工、当時台湾最大の公共建築だったようです。1945年10月25日に、台湾地区降伏式がここで行われ、この日をもって日本は台湾を放棄しその管理が国民党政府に委ねられたわけです。歴史の証言者ですね。これといった特徴はありませんが、堂々とした風格を感じます。
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 本日の一枚は、旧総督府専売局です。
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by sabasaba13 | 2006-06-25 08:19 | 海外 | Comments(2)

台湾編(16):台北市内(06.3)

 さあいよいよ最終日です。天気はやっと曇り、時々晴れ。どうしても見たい物件がいくつかあり、それを精力的に見て歩きたいので、単独行動をとらせてもらいました。まず中山北路を歩いて、地下鉄中山駅へと向かいます。この道路は、7車線もあり、並木も整えられた立派な道路です。植民地統治時代に、市街中心部と台湾神社(現円山大飯店)を結ぶ道路として、後藤新平民政長官がつくらせたものだそうです。あくまでも植民地支配のためにつくった施設が、結果として現在の台湾社会に役立っているという、一つの好例ですね。まずは地下鉄に乗って中正紀念堂に向かいます。たまたまなのかもしれませんが、携帯電話にかじりついている人はあまり見かけません。以前、山ノ神が山手線に乗った瞬間、霊界アンテナ(筆者注:単なる寝癖)が何かを感じとり周囲を見回したところ、座席に座っている七人がすべて携帯電話でメールをうっていたそうです。鬼気迫る光景ですね。
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 ちょうど学校の登校時間で、たくさんの小中学生が学校へ歩いていきますが、制服が体操着のようです。そして胸には番号が縫い取られています。たぶん学籍番号かと思いますが、学校における管理体制がかなり進んでいるという印象を受けました。日本のように氏名を刺繍するのも違和感がありますけれど。個人の尊厳という点では、まだ番号の方がましかな。なお台湾では、○○国民小学校と称しています。これも日本の植民地統治の名残かもしれません。保護者が自家用車で送り迎えをしている光景もけっこう見かけました。越境して進学校に通わせる事例も多いのかもしれません。これはガイドさんに訊いておくべきだったのですが、私立学校はそう多くないようです。もうしばらくすると、日本のように、高所得者の子供たちは私立学校で英才・エリート教育を受け、中低所得者の子供たちは公立学校で滅私奉公教育を受けるようになるのかな。陳水扁総統、それは止めたほうがいいですよ。人々が批判精神を失い、リヴァイアサンの暴走を止めることができなくなります、どこかの国みたいに… さて二人の警察官が小学校の前で交通指導を行っているので、あまりうろうろしていると怪しまれます。南門のすぐそばにある旧総督府専売局に行きましょう。
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 本日の一枚は、中山北路です。
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by sabasaba13 | 2006-06-24 07:33 | 海外 | Comments(0)

台湾編(15):(06.3)

 そして高い塀と鉄条網に囲まれた軍民共用の花蓮空港の裏手にある海岸で少し時間を取ってくれました。曇天のため海は灰色ですが、広々とした海原を堪能。
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 振り返ると、金網越しに掩体壕が見えました。さっそくデジタル・ズームで撮影。バスに乗り込み空港に向かう途中で漢民族の墓地があり、車窓から眺めることができました。家の形をした豪華なものですね、いくつか沖縄と同型の亀甲墓があったのが興味深い。建てる向きがばらばらなのは、風水によって決めるからだそうです。
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 空港で、私の俳号「邪想庵」と彫ってもらった大理石の表札を受け取り、一休みしていると禁煙を勧める立て看板がありました。台湾でも禁煙ファシズムが進行しているのかな。そして再びプロペラ機に搭乗して台北松山空港に到着。空港からホテルに向かうバスには、何と天井に非常口がありました。初見ですが、これと撃破器があれば万全ですね。もちろんバスごと水中に落ちるなんて真っ平御免ですが。
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 さて、さすがに疲れたので夕食はホテルの中華料理店でいただきました。部屋に戻り、TVをつけると、さきほどのガイドさんの話を思い出しました。ガイドさんのご両親は福建省出身で、北京語がほとんど話せないということです。そういう方はかなり多いのですが、漢字で書かれた文章は読める。よって、台湾のTV放送ではかならず漢字の字幕が映されるとのこと。さっそく確認しました。なるほど、どの番組を見ても必ずテロップがでてきました。まずは学園ドラマのようですが、生徒の中に茶髪が一人もいません。そういえば街中でも、髪の毛を染めた女性が非常に少なかった印象を受けます。道教や儒教との関係なのかなあ。特に儒教では、魂がやがて肉体に戻ってくるという信仰があるので、体に手を加えることを忌避するそうです。次の番組は麻雀クイズ番組。麻雀が、娯楽として日常生活にしっかりと根付いている様子がうかがわれます。
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 本日の一枚は、掩体壕です。
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by sabasaba13 | 2006-06-23 06:19 | 海外 | Comments(0)

「ねじ曲げられた桜」

 「ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義」(大貫恵美子 岩波書店)読了。PleiadesPaopaさんのコメントで教えていただいた本です。画面を借りてお礼を申し上げます、ありがとうございました。とても面白い本でした。冒頭の部分を読んでわかったのですが、著者は「日本人の病気観」(岩波)を書いていた人類学者だったのですね。たしか本棚のどこかで埃をかぶって熟睡しているはずです。申し訳ない、大貫さん。
 本書は、特攻隊員の手記や日記をもとに「どうしてこのように聡明で知的な若者が、全体主義国家が遂行した戦争で戦ったのか、そして全体主義国家によくみられる現象である美的価値の果たした役割はいったい何なのか」という疑問に対して分析と解釈を加えた書です。該博な知識と、先行研究を十分に咀嚼した上での鋭い分析には感服しますが、何よりも通奏低音のように行間に響く戦争に対する怒りが心に残りました。そして二度とこうした最低最悪の愚行を起こさせないために、若者や民衆を戦争に動員していったシステムや仕掛けを白日の下に暴きだそうという著者の意志と決意も強く感じます。
 中でも参考になったのは、ナショナリズムはイデオロギーであり、愛国心は感情であるという著者の定義です。イデオロギーの定義は、権力を保証または顕示するために展開される統一的な計画や一連の政策というものです。特攻隊員の故郷や家族を守ろうとする感情=愛国心を、国家は帝国主義的野望のために利用したというのが、著者の主張です。言い換えれば、国家がナショナリズムを愛国心のように偽装したということですね。そのための重要な道具として、古くから日本人が美的価値を認めてきた桜も動員されます。靖国の桜、軍歌「同期の桜」、部隊や武器の名称としての利用(ex.「桜花」)などなど。
 これで頭の中の霧が晴れてすっきりしました。「日の丸」「君が代」を子どもたちに強制している自民党政権と官僚たちのねらいは、愛国心の涵養ではなく、それを偽装したナショナリズムの浸透なのですね。国家の政策に唯々諾々と殉ずる国民の育成、つまり権力を保証・顕示するための政策だと考えます。最後の部分に書かれている、静かな瞋恚のみなぎった一文です。
 「歴史」の忘却を取り巻く政治と、さまざまな歴史上のエージェント(筆者注:主体)が独自の関心と動機で競い合って歴史の構築に競合することに関して、最近の学者は警告を発している。しかしながら、我々は故意に歪められた歴史と、その過程における政治の役割にもっと注意を払うべきである。特攻隊員たちは自分たちで語ることはもはやできない。もし、「死者でさえ敵から安全ではない」ならば(この場合、敵とは日本と欧米諸国との政治権力の不平等、日本国内における政治への無関心である)、彼らは、ポール・クレーの絵の中のような、青ざめた歴史の天使が彼らを目覚めさせ、人間性と歴史の中に彼らの場所を確保してくれるのを待っているのである。
 よく特攻隊賛美の言説をみかけますが、彼らの理想主義や愛国心を利用して、帝国主義政策の犠牲にした政治権力に対する批判がともなっていないのが解せません。そういえば小泉軍曹も何年か前に、特攻隊基地知覧を訪れて、涙を浮かべながら特攻隊員たちを賛美していました。歴史上のエージェントとして、イラクに自衛隊を派遣し、靖国神社を参拝し、愛国心に見せかけたナショナリズムを子どもたちに押しつけている人物の賛美を、彼らはどう思うのでしょうか。
by sabasaba13 | 2006-06-22 06:10 | | Comments(2)

ヴォツェック

 先日の雨の日曜日、ひさびさに自宅でオペラを聴く肉体的・精神的ゆとりをもつことができました。とりいだしましたのはかなり前に購入して以来一度も聴いていないアルバン・ベルク作の「ヴォツェック」です。アバド指揮、演奏はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。日本盤なのに歌詞の対訳がついていないというせこさ! やむをえず音楽之友社名作オペラ・ブックス26を購入し、読みながらの鑑賞です。
 初演は1925年ベルリンです。主人公は貧しい兵士のヴォツェック、彼には内縁の妻マリーと私生児の子どもがいます。ある医者の生体実験台となって小銭を稼いでいるヴォツェックは精神に錯乱をきたしてきます。妻マリーはそんな彼に愛想をつかし鼓手長との浮気に走りますが、彼に気づかれてしまいます。姦通の罪を悔い、神に祈るマリー。しかし正気を失っているヴォツェックは彼女をナイフで刺し殺し、ナイフを探そうとして沼で溺れ死んでしまいます。その知らせを告げられても意味が分からず、木馬に乗って無邪気に遊ぶマリーとヴォツェックの子ども。

 こうした書いているだけでも、陰惨な救いのない話です。第一次大戦が影を落としているのは間違いないでしょう。そして人類の未来をも見通しているような気がします。金のために狂気に陥る人類、そしてどんなに祈っても神は応えてくれない、いや神はいない。飽くなき利潤追求のために、その障害となる神はすでに人間によって殺されてしまったのですから。ウォホホーイ、フホホーイという叫びは、もう誰にも届かず虚空に空しく響くだけかもしれません。ヴォツェックの科白です。
 人間は深い淵だ。目がまわるようだ、その底をのぞくと… 目がまわる…
 いったい彼には何が見えたのでしょうか。子どもたちに見せてはいけない光景だったのかもしれません。ここでも「子どもを救え」という魯迅のメッセージが木霊しています。(「狂人日記」より)
 この凄絶な曲をあっという間に聴き通すことができたのは、ひとえにベルクの作った音楽の力によります。基本的に無調なのですが、現代曲によくある神経を紙やすりでこするような響きではなく、緊張感のある和声とメロディには何の違和感もなく魅せられました。そして要所要所での爆発するような劇的な盛り上がり。上演される機会があったら、ぜひ見に行きたいオペラの一つです。演出にもさまざまな工夫ができそうですね。イラクに駐留し精神を蝕まれていくアメリカ兵を主人公にするとか。
by sabasaba13 | 2006-06-21 18:48 | 音楽 | Comments(0)