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「母たちの村」

 先日、岩波ホールで山ノ神と映画「母たちの村」を見てきました。ホール内最前列の席での待ち合わせ時間よりかなり早くJR御茶ノ水駅に着いたので、すこし散策することにしました。神保町は私にとって、第二の故郷、慈母のような存在です。最近とんとご無沙汰していたので、その変貌ぶりを見てみたい気もしました。聖橋はもちろん健在、明大通りを神保町交差点に向かって下っていきます。まずはクロサワ楽器店をひやかして、チェロを拝見。ディスク・ユニオンはヒップ・ホップとやらのレコードを売るようになっていました。建て替えられた明治大学は、醜悪とは言いませんが、無個性な物件。せめて真向かいの主婦の友社ビル(設計:磯崎新)のように、元の建築の雰囲気を残すことはできなかったのかしらん。映画「砂の器」にでてきた内外地図も健在でした。交差点を右に折れ路地に入ると、てんぷらの「いもや」に、しばらく休業中という悲しい札がかかっていました。足繁くかよったジャズ喫茶「響」は跡形もありません。俺の青春を返せ!と心の中で咆哮し、表通りに出て音楽専門古本屋の芳賀、じゃなかった古賀書店にひさしぶりに立ち寄りました。この店まで潰れていたら、神田川にダイブしてやろうと思っていたのですが、ああよかった。しばし物色して「斎藤秀雄講義録」(白水社)を購入。定価3200円の本に、3190円という値をつけるところなんざ粋ですね。喫茶店「ラドリオ」の消息を確認しにいこうとしましたが、ここでタイム・アップ。あの名物喫茶店はまさかなくなることはないでしょう。…たぶん。
 岩波ホールに着くと、山ノ神はまだおりません。たしかここでは喫煙ができたはずです。青春の追憶にひたりながら一服しようとすると、灰皿が見当たりません。係の方に訊ねると、外出証を手渡され、一階のエレベーター・ホールで吸ってほしいと言われました。岩波ホールよ、君もか。もちろん煙草を吸ってどこが悪いと開き直ることはしませんが、他の有害物質の放置には得心できません。食品の添加物、車の排気ガス、そしてなにより内部被曝をひきおこす微量の放射性物質をなぜ本気で取り締まらないのか。高い税金を納めてスケープ・ゴートにされるのではたまりません。とブツブツ言いながら一服していると、ここで真ん丸い顔をした山ノ神と遭遇しました。

c0051620_5461224.jpg 前置きが長くなりました。この映画はフランスとセネガルの合作で、監督はセネガル人のウスマン・センベーヌです。セネガルのとある村の女性コレが主人公です。この地域の風習である割礼(女性性器切除)に怯えた少女たちが、コレのところに保護(モーラーデ)を求めて逃げ込んできます。その痛みや、割礼による死者が多数でていることを知悉し、自分の娘には割礼をさせなかった彼女は、モーラーデを宣言し少女たちを守り抜こうとします。それに対して、伝統が壊されることにより自らの地位や権力が脅かされるのを怖れる村の男たちや執刀をする女性たちは、何とかして少女たちに割礼をほどこそうとします。さてその結末は…
 たいへん面白い映画で、2時間4分があっという間に過ぎてしまいました。異文化にふれるということはいいものですね。自分たちの文化を相対化することができます。これについては、プログラムにおさめられている小川了氏(東京外国語大学)の解説が秀逸です。太鼓によるメッセージの伝達、一夫多妻制のもつ意味、権力者に付き添う語り部の存在などなど、興味深いことを多々教わりました。中でも画面に登場した、不思議な形をしたモスクについての説明には驚きました。一切の装飾をそぎ落としたガウディの建築のような泥づくりのモスクで、ハリネズミのようにすべてに壁面に木の棒が突き出ています。まじないの一種かななどと思って見ていましたが、氏の説明によると泥を積み上げ、乾くと棒をさしこみそれを足場にさらに上部に泥を積み重ねていって作ったモスクなのです。だから大雨が降ると溶けてしまうそうです。へえー。また映画のタイトルともなっているモーラーデとは、アジールのことなのですね。人々が過酷な侵害や報復から免れるために逃げ込んで保護を受ける場所を意味する言葉で、網野善彦氏がよく著書で使われるので知っていたのですが、こうして今でも機能している地域があるんだ。セネガルでは、これを宣言するだけで、村長ですらもかくまわれた人間に一切手を出すことができなくなります。
 割礼という儀礼の恐ろしさについても知ることができました。分娩時に、膣口の硬質化や、縫合によりふさがっているため、赤ん坊が出られずに窒息してしまう。さらに母親も出血多量で死に至るケースがある。さらに排泄、性交時の苦痛や、施術時の激痛、そして手術の失敗による死。
 最も感銘を受けたのがコレという女性の行動です。毅然と、逞しく、そして何より明るく、女性を侵害する悪習に立ち向かう姿にはほれぼれとしました。一笑破顔、その豪快な微笑みは今でも脳裏に焼きついています。本職の役者ではなく、テレビ局に勤めている方だという解説なのですが、たいした演技力です。
 己の権力を維持するために、女性をしばりつける文化をつくり続けてきたのが男性なのかもしれません。そういう視点で世界を見直すと、また歴史の見方も変わってきそうです。最後の場面で、母たちはこう叫びます。
私らは産む、やつらは殺す

by sabasaba13 | 2006-07-28 05:47 | 映画 | Comments(0)

房総半島編(4):館山(06.7)

 さてここから数分ほど走り、海岸に出ると、アメリカ占領軍の上陸地点です。人気のない海岸には、何かの施設の台座らしきものが二つ海面に顔を出していました。その上の小高い所には、蔦におおわれ廃墟となった建物がぽつねんとたたずんでいます。何やら人間に対して一言言いたそうな数匹の野良猫がたむろしていたのが印象的でした。
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 そしてまた赤山地下壕跡の方へ向かいますが、その途中に「本土決戦抵抗拠点128高地の戦闘指揮所・作戦室地下壕」と「噫従軍慰安婦の碑」があるはずですが、かにた婦人の村という施設の私有地内にあるため、見ることはできません。そして戦闘機を空襲から防護するための掩体壕(えんたいごう)に向かいます。「たしかこのへんにあったような気がするなあ」と運転手さんは懸命に捜してくれ、ようやく発見。民家や農地の中に埋もれるようにして、ほぼ原型をとどめた状態で残っていました。実物をこれほど至近距離で見るのは初めてです。意外と奥行きは狭いものなのですね。「保存版ガイド 日本の戦争遺跡」(戦争遺跡保存全国ネットワーク編著 平凡社新書240)のコラムによると、陸軍の掩体壕はドーム型で前後とも開放されており、海軍のそれはアーチ型で片方が閉鎖されているとのことです。(ドームとアーチの違いって何なのでしょうか? 正確な定義を調べてみます) なるほど、まさしく海軍型だと一目でわかります。ここでは一つしか残されていませんが、米子、高知、宇佐には掩体壕群が残されているようです。近くに行ったら、ぜひ寄ってみることにしましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-07-27 06:31 | 関東 | Comments(2)

房総半島編(3):館山(06.7)

 さて、観光案内所で戦争遺跡に関する資料か地図を所望すると、どうやら館山市はこの物件には力を入れていないようですね、ないとのことでした。これは困った、さっそく一回目の作戦タイムです。駅前にあった喫茶店に入って、カレーライスを頬張りながら沈思黙考。問題点は三つです。まず遺跡がかなり広範囲にちらばっているということ、インターネットを通して入手した地図があまりにも茫漠としていること、そして今にも雨が降りそうな曇天。選択肢は二つ、駅前で自転車を借りるか、タクシーを貸切にするか。やはり正確な地図がないということで、後者を選択しました。駅前にある地元タクシー会社の営業所で交渉をし、二時間貸切ということで折り合いました。おおざっぱな地図を渡し、行きたい所を告げますが、運転手さんも場所がよくわからないようです。
 まずは駅から十分ほど走って、赤山地下壕跡へ着きました。解説板によると詳しい由来は不明ですが、おそらく太平洋戦争末期に、海軍航空隊の地下壕としてつくられたようです。全長1.6kmとかなり大きな施設で、その一部に実際に入ることができます。公民館で受付をすると、ヘルメットと懐中電灯を渡されました。ぞぞぞぞぞぞ これまでも、沖縄のガマ、松代大本営、吉見百穴など、いくつかの地下壕に入りましたが、こんなことは初めて。不安と期待に小さな胸をときめかせながら、さっそく中に入りました。内部はきちんと整備されており、照明も完備、ところどころに天井が低いところがあるので、そのための配慮でした。かなり狭い通路が縦横にはりめぐらされており、実際に使用された痕跡はないようです。軍人・軍属や一般人、学徒動員、朝鮮人が動員され、ほとんど人力のみで掘ったものでしょう。給料を払ってくれる国家権力を守るために、民衆を犠牲にしてでも己を守ろうとする軍隊の論理をひしひしと感じます。子どもたちも、体験学習としてけっこう訪れているようですね。ぜひ鑿と玄能で、実際に地下壕掘りを経験してほしいと思います。軍隊の存続維持のために、われわれが総動員されるという事態も再び起こりそうですしね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-07-26 06:18 | 関東 | Comments(0)

房総半島編(2):館山(06.7)

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 閑話休題、降車して駅前にある観光案内所に入ると、青木繁作「海の幸」(久留米の石橋美術館蔵)の写真が飾ってありました。なるへそ、彼がこの絵で描いた布良(めら)海岸は館山の近くなんだ。解説を読むと、林芙美子が「夜猿」の中でこう書いています。 
布良と云ふところは、萬葉にも歌はれてゐる土地で、黒潮の流れる太平洋の海の色は、まるでビロードのやうだと聞き、空想家の繁は、胸のなかに想像の海潮音を描いて、たまらなく描きたくなつてゐた。そこへ行けば、何か巨きなロマンチックな畫材と希望が自分を待つてゐてくれるやうな氣がした。
 なお一人だけこちらをふりむいている人物が、愛人の福田たねと言われています。この二人のことが少し気になったので、インターネットで調べていると、「ペンネーム図鑑」という面白いサイトにでくわしました。それによると、この二人の間に生れたのが、『笛吹童子』のテーマ曲(ヒャラーリ、ヒャラリーコ…)を作った福田蘭堂で、本名の幸彦はこの絵から名付けられたそうです。そして彼の子どもが、クレージーキャッツの石橋エータロー。へえー、彼は青木繁の孫だったんだ。他にも、福地源一郎は、通った吉原の娼妓「桜路」が好きで「桜」に入れ揚げた「痴れ者」という意味で桜痴と名乗ったなどという、有益だか無益だかよくわからない情報があふれています。
 それはさておき、この絵を使って、巨大なはめこみ(穴の開いた部分に顔を入れて記念写真をとるボード)を作ってはいかがでしょうか、館山市役所観光課のみなさん。話題になるだろうし、福田たねの部分から顔を出して写真に撮ると、恋愛が成就するなどという都市伝説も生れるかもしれません。名画への冒涜などという野暮は言いっこなしで、試してみては。

●ペンネーム図鑑 
   http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/pen-name/index.html
by sabasaba13 | 2006-07-25 06:16 | 関東 | Comments(0)

房総半島編(1):館山(06.7)

 七月上旬、ふらふらと一泊二日で房総半島を徘徊してきました。「百選の棚田を歩く」という本に刺激を受け、半島の山中にある大山千枚田を無性に見たくなったからです。そして以前から気になっていた館山の戦争遺跡と、野島埼灯台と、古い街並みが残る城下町大多喜をからめてみました。できうれば、これに加えて保田にある菱川師宣記念館と、落ち着いた街並みの久留里も行ってみたいのですが、ちょっと無理そう。前者は内房線の列車本数が少なくしかも駅から遠いし、後者は盲腸線である久留里線に乗って木更津から45分かかります。久留里については未練が残るので、現地で情報を収集してみるつもりです。なお持参した本は「日本の失敗」(松本健一 岩波現代文庫)。
 天気予報によると、両日ともに曇り一時雨、明日の方が降水確率は高いようです。幸い、本日は雨が降らずにすみそうな気配です。東京駅から特急さざなみに乗り込んで、いざ館山へ。それにしても、特急列車が発車する京葉線ホームまで800mもあるのには驚愕しました。歩くのは決して嫌いではありませんが、人混みの中、気の滅入る地下道を延々と歩かされるのは不愉快です。ここを通勤経路にされている方のご苦労がしのばれます。車中では前半は読書、後半は右手に見える東京湾と漁村風景を眺めながめながらの旅。残念ながら曇天のため、対岸の三浦半島もぼんやりとしか見えませんでしたが。そして二時間弱で館山に到着です。
 ここ館山には、1930(昭和5)年に館山海軍航空隊が置かれ、空母での離発着操縦に優れたパイロット養成をめざします。真珠湾攻撃に投入された艦上攻撃機のパイロットの多くはここで養成されたそうです。また1940(昭和15)年には太平洋の島々での陸上戦闘を想定し、その戦闘員養成のために館山海軍砲術学校も開校されました。十五年戦争末期には陸海軍七万人近くの本土決戦部隊や特攻基地が配置され、最後の抵抗拠点として位置づけられます。しかしほんとうに幸いなことに本土決戦の前に、日本は降伏。東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印式の翌日1945(昭和20)年9月3日、カニンガム准将ひきいる米陸軍が館山に上陸し、軍人・市民による蜂起を警戒して四日間の軍政をしきました。これが敗戦後の日本における唯一の直接軍政だったそうです。申し遅れましたが、以上は「保存版ガイド 日本の戦争遺跡」(戦争遺跡保存全国ネットワーク編著 平凡社新書240)からの要約です。全国の戦争遺跡をコンパクトにまとめてあるなかなかの好著で、旅行に出かける前にその附近の遺跡をこの本でチェックしております。
 余談ですが、「敗戦」を「終戦」とごまかす言い回しもさることながら、なぜ8月15日が「終戦記念日」なのでしょうか。どう考えても、ポツダム宣言を受諾した8月14日か、降伏文書に調印した9月2日がその日に該当するはずです。昭和天皇による「玉音放送」が流された8月15日を強調することによって、彼の恩恵・慈悲により戦争は終わったという印象を人々に根付かせるためでしょうね。ま、その狙いはものの見事に的中しているわけですが。
by sabasaba13 | 2006-07-24 06:20 | 関東 | Comments(0)

「詩のこころを読む」

 「詩のこころを読む」(茨木のり子 岩波ジュニア新書9)読了。著者は2006年2月19日に逝去された詩人です。合掌。「わたしが一番きれいだったとき」と詩集「倚りかからず」(筑摩書房)しか読んだことがないのですが、後者が強く印象に残っています。「もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくない (略) 倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」というフレーズは、何かにつけて心をよぎります。その彼女が若者向けに自分の好きな詩を紹介するという本書をたまたま書店で見つけて、さっそく購入。やはり時々本屋や古本屋を徘徊すると、良い本にでくわすものですね。インターネットではこうはいかない。
 茨木のり子という詩人が、自分の好きな詩を選んで、自分の言葉で中高校生むけにわかりやすく解説するという内容です。時には飄々と、時には喜びと微笑みをもって、そして時には憤怒とともに、つむぎだされる言葉の数々。あらためて言葉というものの無尽蔵さと豊穣に感心します。高校生の頃、詩に憧れて、中原中也の「サーカス」や萩原朔太郎の「夜汽車」を一所懸命に暗唱したことを思い出しました。最近、詩を読んでいないのは、感性が摩滅してきたからなのかな、いかんいかん。何人もの素晴らしい詩人を教えてもらえたので、これからの読書の指針にしたいと思います。筆者の言です。
 つづまるところ詩歌は、一人の人間の喜怒哀楽の表出にすぎないと思うのですが、日本の詩歌はこれまで「哀」において多くの傑作を生んできました。「喜」や「楽」にも見るべきものがあります。ただ「怒」の部門が非常に弱く、外国の詩にくらべると、そこがどうも日本の詩歌のアキレス腱ではあるまいか、というのが私の考えです。
 そしてその貴重な例外として金子光晴の「寂しさの歌」をあげられています。貧困の寂しさ、一流国と認められない寂しさ、そうした寂しさに耐えかねた日本人が、そうした問題を国内で自分たちの手により解決しようとせず、アジアで暴れアジア人を虐げることによってそこから眼をそらそうとした。静かな怒りとともに金子光晴は歌いあげています。この一節にかなりの文量が当てられており、著者の「怒」に対する共感が感じられます。
 めったなことに寂しさの釣りだしにあわない男女がふえてくれば、どこの国も一番手ごわい敵を内部にかかえこんだことになるでしょう。
 たぶんこれが、著者が中高校生に最も強く訴えたかったメッセージでしょう。国家にとって手ごわい敵になる、その思いを少しでも共有したいと思います。
 それにしても、われわれ日本人は本当に重要な問題に対してなぜ怒らないのでしょうね。周囲の様子を見ながら匿名で憎悪の声を簡単に上げるのに。
by sabasaba13 | 2006-07-23 07:56 | | Comments(0)

「仏像のひみつ」

 「仏像のひみつ」(山本勉 朝日出版社)読了。著者は長らく東京国立博物館に勤務されていた方で、仏像のエキスパートです。数年前に同博物館で開催された、小・中学生向けの小さな展覧会をもとに執筆したのが本書。ねらいは、「はじめに」で述べられている以下の言葉で言い尽くされています。
 この本で、かんたんに、おおまかに、でもしっかりと、仏像のひみつを知りましょう。これからお寺や博物館で仏像に出会うのが、そして鑑賞するのが、とても楽しくなるのを約束します。
 子どもたちにわかりやすく、しかも飽きさせずに何かを教えるということは、大変難しく、そして大変重要な大人の責務だと思いますが、筆者は見事にそれを実現しています。知的好奇心の枯渇という深刻な事態が、子どもたちに(もちろん大人にも)蔓延しているのではないかと危惧していますが、この本のような地道な努力をしつつづけていけば何とかなるという希望を抱きます。
 仏教の歴史から、仏像の種類と特徴、造り方や内部のことなど、ほんとうにやさしくわかりやすい言葉で語りかけてくれます。明王とは、やさしい顔をしていてはいうことを聞いてくれないどうしようもない人々を救うためにおっかない姿をした大日如来の子分であるという説明には唸りました。しかも、どうしようもない人々=わたしたちみんなのことという補足説明つき。丸い玉子も切りようで四角、こういう物言いを専門家や学者諸氏がしてくれれば、もっと重要で楽しい知識がみんなに広まるのになと思いました。また各時代の仏像のシルエットや断面の形状が紹介されており、時代によってふとったりやせたりする様子が一目でよくわかりました。その時代の肉体観が、仏像にもちゃんと反映されているのですね。また川口澄子氏のほのぼのとした脱力感にあふれるイラストも、この本をいっそう魅力的にしています。
 
 著者は、知ることをめんどくさがる大人の存在も意識されているようです。「知るって楽しいよ」というメッセージを大量に含んだ好著、お薦めです。こうした試みがいろいろな分野でなされることを、おおいに期待します。と同時に重箱の隅を縫い針でつつくような気の滅入る受験用知識なんかどうでもいいから、"かんたんに、おおまかに、でもしっかりと"を合言葉に、やさしくて楽しくて役に立つ教科書も必要だと思います。文科省は絶対に承認しないでしょうが。なお、私が一番必要としているのは、「かんたんに、おおまかに、でもしっかりと世界のひみつ」を語りかけてくれる本です。
by sabasaba13 | 2006-07-22 07:11 | | Comments(2)

「内部被曝の脅威」

 「内部被曝の脅威 -原爆から劣化ウラン弾まで」(肥田舜太郎/鎌仲ひとみ ちくま新書541)読了。最近、山ノ神の知人二人が乳癌になりました。そういえば乳癌関係の話題をよく聞くようになったような気もします。本書を読んでその理由を知り、いま日本と世界で恐るべき事態が進行していることに衝撃を受けました。一人でも多くの方々に読んでいただきたい本です、手遅れにならないうちに…
 肥田氏は60年にわたり内部被曝の研究を続けてきた医師、鎌仲氏は気鋭の社会派ジャーナリストです。さて、内部被曝とは何か? 放射線を体の外から浴びるのが「外部被曝」、放射線を出す放射性物質を体内に取り込み、体の内側から放射線を浴びるのが「内部被曝」です。迂闊にも私は、核兵器・原子力発電に反対する根拠として、前者の被曝しか頭にありませんでした。その蒙を啓いてくれたのがこの本です。詳しいことについては、ぜひ本書を読んでいただきたいのですが、私なりにまとめるとこういうことです。核兵器の爆発や実験、原子力発電所からの排出により、広範な地域に飛散した微量の放射線を出す放射性物質が体内にとりこまれ、どこかの組織に沈着し、アルファ線、ベータ線などを長時間、体内で放射しつづける。そのため、体細胞が傷つけられて慢性の疾病をゆっくりと進行させ、また生殖細胞が傷つけられて子孫に遺伝障害を残す。流産、小児白血病、癌、障害児出産などの増加ですね。そしてウランの出す放射線が半分になるまで(半減期)、約45億年ですから、こうした人工的放射性物質はほぼ未来永劫、地球上からなくならないわけです。しかも、気流・海流・地下水をとおして確実に世界中に拡散しつづける。厄介なのは、体内に入った微量の放射性物質がどう振舞うのか、現代の科学は完全には解明できていないという壁があることです。それを外部から計測する機械はどこにも存在しないそうです。核兵器や原発に賛成する人たちは、これを根拠に「微量だから人体に悪影響はない」と主張しているわけですね。ただデータからは、その危険性は明らかです。
 J・M・グールドの研究によれば原子炉を中心に100マイルの円を描くと、その範囲に住む女性の乳癌の発症率は、円の外の5~6倍になっていることが分かった。「女性であれば誰であっても原発のそばに住みたいとは思わないだろう」とグールドは『内部の敵』という著書に書いている。
 これが今の世界の姿です。核兵器実験、劣化ウラン弾の使用、核兵器の製造過程、原子力発電所や再処理工場、原発事故、ウラン鉱山などから大量の放射性物質が排出され続けています。それが気流や海流に乗って世界中に拡散し、貝や海草やプランクトンに取り込まれ、食物連鎖のなかで生体濃縮され、食物としてわたしたちの体内に入り組織に沈着する。わたしたちはみな「ヒバクシャ」であるのかもしれません。

 原子力発電所に反対する根拠を骨の髄まで叩き込むことができました。感謝します。今、六ヶ所村で行われている核燃料再処理工場のアクティブ試験も、決して他人事ではありません。ある環境NGOが、青森県六ヶ所村の再処理工場の海中にのびた排水口に一万枚の葉書を投入したところ東京湾の入口まで漂着したそうです。
 となると各政党の原子力発電に対する態度を確認したくなります。さっそく各政党に原発の是非についての質問をメールで送ったところ、下記のような回答でした。ご参考までに。(到着順)

自民党
「自民党に物申す」を受けとりました。自民党には毎日たくさんの方からご意見をお寄せいただいておりますため、十分な返答ができないことにご理解ください。いただいたご意見は、政策立案や党運営に反映させるべく、担当の議員やスタッフに届けておりますので、今後ともホームページでご確認ください。あなたの声が、日本を変える力です。自民党が、あなたの声をかたちにします。自民党の懐刀は、あなたです。またのご意見・ご質問をお待ちしております。

公明党
党ホームページのメールフォームを通じてご投稿いただきましたことに心より御礼申し上げます。また、このたびはご意見、ご要望を頂戴いたしまして大変にありがとうございました。今後の党運営の参考にさせていただきます。なお、ご質問、お問い合わせにつきましては、でき得る限り返信をさせていただきますが、ご希望に添えない場合もございますことをご了承ください。

日本共産党
メールありがとうございました。ご意見は担当部で参考にさせていただきます。日本共産党は、原子力の軍事利用に反対し、自主、民主、公開の三原則に基づいて平和利用をすすめる立場です。同時に、軍事技術を転用して開発された軽水炉の危険性を指摘し、原発大増設計画の中止と「段階的撤退」をめざしてきました。衆院選挙の政策においても、以下のように明記しています。(以下略)

社民党
メールをいただきありがとうございます。原子力は事故の有無にかかわらず、必ず核のゴミを生みだします。千年万年の単位で管理しなくてはならないような放射性廃棄物を伴うエネルギーを認めることは出来ません。原子力は医療や研究用に限り、厳密な管理の下で使うべきだと考えております。
ただ現に55基の原子炉が電力を生みだしている事実も無視できないため、当面軽水炉については最大限の安全管理の下で運転を認めながら省エネと代替エネルギーの開発・普及をすすめ、なるべく早期に原発依存から脱却するというのが社民党の方針です。
また、エネルギーを生み出すに至っていない核燃料サイクル計画は直ちに中止し、再処理は行なわないよう求めています。ウラン利用の軽水炉と比べプルトニウムの利用は核不拡散上の問題も大きく、使用予定のないプルトニウムの蓄積は国際社会からも厳しく批判を受けているものです。

 なお民主党・国民新党からの返事はありません。
 有権者に対する誠意を示さない自民党・公明党(賛成か反対かくらい答えろよ、べらぼうめ)、それなりの反応と回答をしてくれた日本共産党と社民党、誠意を示そうとする姿勢すら見せない民主党と国民新党(返事くらいよこせよ、べらぼうめ)、なかなか興味深い結果でした。

 追記その一。実は鎌仲氏は映画監督として「ヒバクシャ」を制作していたのですね、購入した後に気付きました。本書の内容を映像で表現した素晴らしい作品でした。最新作「六ヶ所村ラプソディー」もできたようですので、ポレポレ中野に今秋見にいく予定です。
 追記その二。自衛隊が劣化ウランを含有する対戦車砲、M-833を装備しているとの情報が本書にあったのですが、自衛隊のホームページでは確認できませんでした。もし詳細について知っておられる方がいたら、ぜひご教示ください。
by sabasaba13 | 2006-07-21 06:09 | | Comments(0)

「DAYS JAPAN メディアは戦争をどう伝えたか」

 「DAYS JAPAN 8月号 メディアは戦争をどう伝えたか」観了・読了。何回も何回も紹介しておりますが、今世界で起きている現実を写真によって報道し、状況を変える一石になろうという志をもった気鋭の写真月刊誌です。昨今の萎縮した日本のジャーナリズムの中で、天狼星のように孤高に輝く稀有な写真誌、一人でも多くの人に読んでいただきたいな。というわけで、この写真誌を世に広めるための地道な広報活動を勝手に続けたいと思います。
 今、一番気になり憂慮しているのがやはりガザ地区におけるイスラエルの軍事行動です。今月号でも、緊迫する情勢について、二つの記事が掲載されています。ガザの現状をリアルに伝えてくれる写真と文章、ふつうのメディアではなかなか伝えてくれないものです。
 一時はイスラエル軍の撤兵とユダヤ人入植地の撤去で、平和への光明が垣間見えたのですが、対イスラエル強硬派のハマスがパレスチナ評議会選挙で過半数を獲得してから状況が大きく変化しました。イスラエル政府は、ハマスとの軍事的対決に大きく舵を切ったようです。それとともにパレスチナ自治区の一般住民の犠牲者も増え続けています。これは「テロ」撲滅の名を借りた「テロ」行為ではないのか。その根拠となる、「テロ」に関する二つの定義を紹介します。
マーク・セルデンによる定義
 一九四九年のジュネーヴ協定をもとに、私はテロリズムを一般市民および彼ら/彼女らを支える環境に対して暴力ないし威嚇を組織的に使用すること、と定義する。

ロバート・フィスクによる定義
 「テロリズム」はもはやテロリズムを意味しない。これは定義される概念ではなく、政治的な考案品なのだ。「テロリスト」とは、その言葉を使う側に向けて暴力を行使する者のことである。
 そしてイスラエル側は、パレスチナ側には交渉のパートナーはいないと宣言しています。つまり交渉による妥結ではなく、どちらかが完全にギブアップするまで戦い続けるという意思です。嗚呼、日中戦争の際に、近衛文麿首相がだした声明を思い出します。
 国民政府は帝国の真意を解せす漫に抗戦を策し、内民人塗炭の苦しみを察せす、外東亜全局の和平を顧みる所なし。仍て帝国政府は爾後国民政府を対手とせず、帝国の真に提携するに足る新興政府の成立発展を期待し、是と両国国交を調整し更生新支那の建設に協力せんとす。
 ただイスラエルのバックには巨大で無尽蔵の兵器工廠アメリカがついているという点は、明らかに違いますが。記事を書いた臼杵陽氏も言っておられるように、その巨大な軍事力を使い、ヨルダン川西岸・ガザのバンツースタン(南アフリカのアパルトヘイト体制下での黒人居住区)化をめざしているのかもしれません。
 いずれにせよ間違いなく言えるのは、イスラエル人の一般住民と、より多くのパレスチナ人の一般住民が、仮借ない暴力に晒されていることです。それでも国連安全保障理事会は非難決議をイスラエルに対してつきつけないのですね、北朝鮮には出したのに… ついでに言うと、イランや北朝鮮の核兵器開発疑惑に対して、国際世論は大騒ぎするのに、イスラエルが核兵器を所有しているという公然の秘密・周知の事実には口を鎖します。こうしたダブル・スタンダードには、やりきれなさと怒りを覚えます。

 そして耳寄りなお知らせ。この半世紀における絶望と希望を象徴する事件、出来事を伝え、私たちの歴史と記憶を刻んできたフォトジャーナリズムの作品を一堂に集めた展覧会「絶望と希望の半世紀」が開かれます。展示内容は下記の通りです。

 1955~1964 「雑誌がビッグだったころ」
        アンリ・カルティエ=ブレッソン他
 1965~1974 「ベトナム戦争の時代」
        ラリー・バロー、エド・バンデル・エルスケン他
 1975~1984 「ヒーローとアンチヒーロー」
        リチャード・アベドン他
 1985~1994 「新しい世界秩序」
        セバスチャン・サルガド、ウォルフガング・ティルマンス他
 1995~2005 「報道アーティストの出現」
        ジェイムズ・ナクトウェイ、マーティン・パー他

 期間は7月22日(土)~9月10日(日)、場所は東京恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館3階展示室です。見なくちゃ。

●東京都写真美術館 http://www.syabi.com/
by sabasaba13 | 2006-07-20 06:06 | | Comments(0)

常陸編(14):真壁(06.4)

c0051620_6323920.jpg 再び公民館に戻り、すまなそうにあやまる係の方にタクシーの手配をお願いしました。待っている間、ふと窓口に積まれているパンフレットを見ると、その中に「皇居」というものがあります。わが目を疑いましたね。後学のため中身を読むと、沿革、一般参観の仕方と案内が記せられています。発行は財団法人菊葉文化協会、監修は宮内庁、そして財団法人日本宝くじ協会の助成を受けて作成されたとのこと。これまで宝くじは一度しか買ったことがありませんが、これでますます買う気を失いました。それはさておき、何故公民館で皇居の参観を促すパンフを配布するのか。今回の旅では、右翼・日の丸・神道・天皇制など、ナショナリズムによって人心を回収しようという動きにしばしば出くわしました。茨城県内だけでの動きなのか、全国的なものなのかはわかりませんが、後者のような気がします。それだけわれわれの日々の暮らしや営みが、小泉軍曹の推し進める新自由主義(経済自由化、企業の自由の優先、国際経済への国民経済の開放、外資支配の容認、国家の責任の放棄)によってかなりのところまで追い詰められているということの証左だと考えます。ま、軍曹を支持している以上、自業自得ですけれどね。いずれにしても、ナショナリズムという一筋縄ではいかない厄介な動き・精神状態に関しては、いろいろと勉強していきたいと思います。

 というわけで、常陸散策一泊二日小旅行の顛末でした。かえすがえすも、目を凝らしさえすれば、面白いものはそこいらじゅうに転がっていることを痛感しました。とともに、今、この国を覆っているナショナリズムの一端も垣間見えたような気がします。安易に希望をもたず、かといって絶望もせず、これからも歩き回り考え続けていく所存です。それでは。
by sabasaba13 | 2006-07-19 06:33 | 関東 | Comments(0)