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「父親たちの星条旗」

c0051620_663253.jpg 先日、「父親たちの星条旗」(監督:クリント・イーストウッド)の試写会を、有楽町よみうりホールで見てきました。太平洋戦争末期における硫黄島の戦いをテーマとした映画です。この島は東京とマリアナ米軍基地との中間に位置していたので、アメリカ軍はB-29による日本本土空襲の中継基地、そして掩護戦闘機隊の出撃基地とするため同島の攻略を企図しました。(1945.2.19) 約2万3000人の日本軍守備隊は、島内に無数の地下道を張り巡らし徹底した陣地持久戦によって抵抗したため、米軍の損害が続出しました。しかし米軍の猛攻によって、3月末には日本軍の抵抗は終わりを告げますが、米軍の損害(死傷者数2万5000人)が日本軍のそれを上回った唯一の地上戦闘として有名です。
 また、凄まじい激戦が行われた擂鉢山の頂上に数人のアメリカ兵が星条旗を立てる場面を撮影した写真が有名です。この写真がアメリカ人の戦意高揚に大いに利用されたようですね。さてこの映画は、その旗を立てた三人の兵士を描いたものです。彼らすぐに本国に呼び戻され英雄に仕立て上げられ、戦時国債を売るためのキャラクターとして政府に徹底的に利用されていきます。しかしこの写真は、ある事情で旗を立て替えた時に偶然撮影されたものだったのです。多くの戦友を戦争で失いながら、自分たちだけが偽りの写真によって英雄扱いされることに苦しむ三人… さらにそのうちの一人はネイティブ・アメリカンで、その後も人種差別に苦しめられるというサイド・ストーリーもあります。
 それにしても何故、今、イーストウッドは硫黄島の戦いを描いたのか。第二次大戦後もくりかえし戦争を続けるアメリカ政府への批判だと思えてなりません。もちろん圧倒的な軍事力で一方的に敵を叩くのが今のアメリカの戦闘ですが、(イラク戦争でもそうですが)占領地を制圧するための地上戦闘がなくなるわけではありません。英雄を捏造しながら愛国心を煽り、貧窮階層出身の若い兵士を地上戦闘に駆り立て続けるアメリカ政府。登場人物の一人は死ぬ直前に、自らが経験した戦争について黙していたことを息子に謝罪します。どんなケースであれ戦場は醜悪で非人間的なものであるということを、きちんと伝えるべきだという監督の思いを感じます。
 そしてこの映画の本当の主人公は、戦場だと思います。CGを駆使した戦場の描写は圧倒的なものでした。今年の夏にテニアンサイパンに行って、上陸用艦艇(LVT)やトーチカの残骸をこの目で見てきただけに、より胸にせまってきます。狙撃、肉弾戦、誤爆、引き裂かれた肉体、自決、その描写にはヒロイズムのかけらもありません。もしここに一般市民がいたらどうなるのか、それは私たちの想像力の問題です。戦場がいかにおぞましいものか、それを感じるだけでも見る価値は十分あると思います。そして今、世界の各地でこうした殺戮が繰り返されていることにも思いを馳せるべきですね。
by sabasaba13 | 2006-10-31 06:07 | 映画 | Comments(4)

「核大国化する日本」

 「核大国化する日本 平和利用と核武装論」(鈴木真奈美 平凡社新書336)読了。この本が多くの人に読んでもらえたら確実に日本はまともな方向に変われるものと確信します。お薦め、万人必読の書です。マス・メディアによりしばしば取り上げられる北朝鮮の核実験、ほとんど取り上げられない六ヶ所村再処理工場の本格的稼動や劣化ウラン弾の使用など、今の世界を脅かす核問題についての簡潔にして核心をついた見通しを提供してくれる見事な本です。
 冒頭部分でいきなり鉄槌をくらいました。日本では、軍事利用すると「核」、平和利用すると「原子力」と、表現を変えていますがこれは日本だけの慣例であるという指摘です。なるほど、英語では“nuclear”という言葉で、双方を表現します。「核」の危険性をぼやかし曖昧にするための官僚用語ですね。
 中心となるテーマは、今日本政府が進めている原子力発電における再処理-高速増殖炉路線についての概説とそれに対する批判です。高速増殖炉とは、プルトニウム燃料を使うと同時に、使った以上の量のプルトニウムが炉内に生成されるようという「夢の原子炉」です。しかし大変難しい技術であることから、開発から撤退する国が相次ぎ、今でも商業利用をめざして巨額の資金を投入しつづけているのは日本だけです。おまけに実現の見通しも全くたっていません。それなのにプルトニウムを使用済み核燃料から取り出そうという再処理計画は着々と進められています。高速増殖炉開発の目処がたたないので、そのつなぎとしてプルトニウムとウランを混ぜた核燃料(MOX燃料)で発電を行おうというのがプルサーマル計画。
 著者はこの計画の杜撰さ、無謀さ、危険性、天文学的数字となる経済的コストについて、冷静かつ論理的かつわかりやすく述べられています。一読して、茫然自失。見果てぬ夢にかけるコスト、再処理工場から排出され内部被曝を引き起こす多量の放射性物質、目処がたたない放射性廃棄物の処理、地震や航空機事故や人為的ミスによる事故の可能性、そしていわゆる“テロリスト”による盗難の恐れ、それを防ぐための莫大なコストと治安強化、などなど。とても書き尽くせるものではないので、詳細はぜひ本書をご覧ください。ただ間違いないのは、スプーン一杯で2000万人を殺せるプルトニウムを40トン(粗製核爆弾5000発分)あまり抱え込み(2004年末)、高いお金(=われわれが払う税金と電力料金)をかけてもっともっともっともっと取り出そうとしているのがわれらが日本という国です。愚にして狂、盗難や事故というリスクを考えると、これは世界の安全保障にとって大変な脅威です。
 また核や核燃料サイクル、核拡散に関する基本的な知識・情報ももりこまれているので、大変勉強になりました。北朝鮮の核実験を弁護する気は毛頭ありませんが、諸悪の根源とばかりにかの国に罵声を浴びせるだけでは、核拡散という恐るべき事態は解決しないことが納得できました。核兵器を独占し続けようとする米英ロ仏中、国際社会から黙認されているイスラエルの核兵器保有、それに対抗するためのイランの動き、さらに政治的・経済的思惑からアメリカが認めたインドの核兵器保有といった状況を見て見ぬふりをして、北朝鮮だけに制裁を(あるいは武力攻撃を)加えるというのではあまりにも虫がよすぎます。長期的には核廃絶を展望した上で、全世界的な規模での対策を考えるべきでしょう。そういう意味で中川政調会長や麻生外相の「核武装について議論すべき」という意見は、理想と政治的リアリズムを欠いた妄言ですね。著者曰く「北朝鮮のように核拡散防止条約(NPT)脱退を一方的に宣言して核爆弾を製造しよう、あるいはイラクのように国際原子力機関(IAEA)の査察を欺いて秘密裏に核兵器製造の準備をしよう、と提唱しているに等しい。」 こうした人物を要職につけている自民党の識見をあらためて根底から疑うとともに、彼らに投票した有権者の識見の欠如にも驚きます。

 さてそれでは何故、官僚や電力会社や科学者は絶望的破綻が目に見えている再処理-高速増殖炉路線をレミングのように突っ走っているのでしょうか。著者は、政財界の利権、科学者の夢、核兵器製造の技術的ポテンシャル維持、国際的に認められた再処理という貴重な既得権の保持などをあげられています。愚考のすえ、もう一つつけくわえましょう。責任追求の回避! これだけ莫大な資金をつぎこみ自然を汚染しながら、いまさら「やっぱできませんでした」とは言えませんよね、関係者諸氏。中国侵略の失敗を認めて責任を追及されるぐらいなら、一か八かのるかそるか、ヨーロッパ戦線でのドイツの勝利を信じて対米戦争を選んだという史実を思い起こさせます。責任を追及されるぐらいなら国民を道連れに地獄へ堕ちてもかまわないという行動パターンは、日本の官僚(注:もちろん軍人を含む)のお家芸ですからね。

 以前、日本はせめて人類に教訓を与えるような滅び方をしてほしいと書きました。しかし最悪のシナリオが存在することを、この書から教えてもらいました。原発事故により国土の何分の一かが放射能汚染され人の住めぬ不毛の地となると同時に、放出された放射能が東アジア、太平洋、そして全世界を汚染してしまう… そうなったらこの「美しい国」は人類の歴史に永久に名をとどめるでしょう、永久に。

 追記。本書に次のような記述がありました。
 六ヶ所村再処理工場も、当初、(クリプトン85という放射性希ガスの)回収装置の導入を予定していた。ところが、いつのまにかその施設が設計図から消えてしまったのである。つまり全量、垂れ流しだ。…(トリチウムも)垂れ流しである。…炭素14も垂れ流しである。
 姉歯建築士のしたことが天使の所業に見えてきます。
by sabasaba13 | 2006-10-30 06:12 | | Comments(2)

テニアン・サイパン編(16):サイパン(06.8)

 ベランダのテーブルにパン屑をまいておいたら六階まで飛んできたガッツのある雀に挨拶をし、陽光に輝く海を眺めながら一服。本日はマニャガハ島へ行きましょう。マイクロ・ビーチからも間近に見える珊瑚礁に囲まれた美しい小島で、食堂やアクティビティ関連のサービスも充実しているそうです。オプショナル・ツァーで行くという手もあるのですが、サンデー・ブランチで知り合ったサイパン在住の日本人の方から、このホテルのボートで送ってもらえるという情報を仕入れ、料金も安いのでこちらに決定。ツァーだとわざわざ港まで行かなければならないのですが、こちらだとドア・トゥ・ドア、目の前のビーチから直接島まで往復できます。ビーチ・ハウスに行って、途中の珊瑚礁が美しいところでシュノーケリングをし、島まで送ってもらい、午後四時に迎えにくるということで交渉成立。さっそくモーター・ボートに乗り込みました。
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 環礁の外に出るとさすがに波がありますが、その波を蹴散らしてボートは疾走。十数分でシュノーケリング・ポイントに到着です。どぼん。沖合に出ると透明度はより高く、海の色もきれいです。魚肉ソーセージをちぎってばらまくと、うようよとたくさんの熱帯魚がよってきました。ただ死んでいる珊瑚が多いのが気にかかります。戦争のせいなのか、はたまた乱開発によるものか、生活用水などの汚水が流れ込んでいるためか、理由は判然としません。もちろん海もビーチも珊瑚礁も熱帯魚もそれなりに美しいのですが、正直に言って、ビーチはモルジブと波照間島、珊瑚礁は宮古島の八重瀬(やびじ)、熱帯魚の豊富さでは石垣島沖に軍配をあげます。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-10-29 08:49 | 海外 | Comments(0)

テニアン・サイパン編(15):サイパン(06.8)

 事務所に着くと、同行した添乗員が撮影したわれわれの写真をプロジェクターで見せてくれました。しかもCD-Rに焼き付けて20$で販売するとのこと。うまい商売だなあ、購入しましたけどね。そしてすぐ裏手にあるマリアナ・ビーチで昼食のバーベキューをいただき、この後はこのビーチで自由にシュノーケリングを楽しむことができます。器材もすべて無料で貸してくれました。昨日のサンデー・ブランチの時に確保しておいたパンをもって美しい海中に入り、わさわさ集まってくる熱帯魚としばし歓談。
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 そして隣にある「マリアナ・アジアン・スパ」を無料で利用できます。海と空と雲を眺めながら、プールや風呂につかり身も心もリラックス。スパのフロントに申し出ると、ホテルまで車で送ってくれます。と、この時、山ノ神から下賜された愛用の腕時計がないことにはたと気づきました。記憶をたどると、どうやらツァーで乗った車の中に置き忘れたようです。すぐに事務所に行き、車の中を探してもらうと、あった! 忘れ物三発目、ほんとうにほんとうに気をつけましょう。自戒自戒自戒。スパの前にいた猫も呆れ顔でした。
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 車でホテルに戻る途中、ホテル・ニッコー・サイパンの前を通り過ると山ノ神がぼそっと「大きな廃墟…」と呟きました。思い当たることがあったので部屋に戻って「個人旅行 サイパン」を繙くと、あった! JALショッピング・プラザ・ラ・フィエスタの成れの果てだあ! 2001年度版のガイドブックなのでまだ記載されていたのでした。はははははは、噴飯噴飯臍茶臍茶、バブルの夢の痕なのですかね、そうした愚行を繰り返さないためにも是非永久保存措置をとってほしいものです。もしバブル廃墟の探索に勤しんでいる方がおられたら、これはなかなかの物件かもしれませぬ。と同時にムカムカとしてきました。JALという企業は、労働組合を弾圧し、労働者をいじめ、安全性を無視してひたすら利潤を追求する一方で、こんな超巨大商店をつくってしかも破綻していたのですね。ますますJALに乗る気が失せました。
 もひとつ余談。そのガイドブックには、こういう紹介文がありました。「サイパンで最も大きなショッピングセンターで、高級ブランド品以外にもリゾートウエアを中心としたオリジナル・ブティックやギフト・ショップ、レストランが豊富だ。」 これは何語だ! 「サイパンで最も大きな商店街で、高級銘柄品以外にも行楽地用の服を中心とした独自の洋品店や土産屋、食堂が豊富だ。」でいいではないか! プンプン
 とうわけで、少々体力は必要ですが、なかなか充実したツァーでした。お薦めです。夕食はホテル内にあるイタリア料理店「ジョバニス」。なかなか美味しい店で、あと一回ぐらい食べに来てもいいかな。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2006-10-28 07:04 | 海外 | Comments(2)

テニアン・サイパン編(14):サイパン(06.8)

 さてここから自転車に乗り、一気に海岸へと下ります。Tinoさんを先頭に、ほとんど車が通らない道路をまるでプライベート・サーキットのように独占して青い海めがけての豪快なダウンヒル、これは快感。自動車が伴走してくれているので、万が一の場合にも安心ですね。そして途中からジャングル・コースに入ります。どうやらスタッフが密林の中を切り開いて作ったらしい、未舗装の狭いサイクリングロードです。昼なお薄暗く生い茂る木々と草々、噎せ返るような湿度、砲弾や銃弾、火炎放射器の炎を浴びながらこの密林の中を日本兵や民間人が逃げ惑ったのかと想像すると心胆が凍り付いてしまいます。なおサイパンのジャングルには毒をもつ生き物はいないと聞いていたので、そこは安心でした。ハンドルをとられながらも20分ほどで走破、眼前に海が開けるとそこはプンタン・サバネタ、通称バンザイ・クリフです。
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 ここも多くの兵と民間人が身を投じた場所で、多くの慰霊碑が建ち並んでいました。後ろを振り返るとスーサイド・クリフ、そして展望所から眼下を見るとほぼ垂直に切り立った崖と牙をむくように鋭く尖った岩々、そしてその牙をより鋭く磨こうとするかのように打ち寄せる波。言葉を失います。展望所の前に大きな忠魂碑があったのには魂消ましたね。この無惨な死を、天皇や国家への忠誠ととらえて顕彰しようとする人たちがいるわけだ。そういう人間にしてみれば、死者は物言わず安らかに眠っていてくれたほうが助かるのでしょう。
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 そして海沿いの平坦な道路を十分ほど走ると、バナデロ、通称ラスト・コマンド・ポストに到着します。日本軍が最後の司令部とした所で、巨大な岩盤の中をくりぬいてあります。内部は見学可能で、艦砲射撃による大きな弾痕などを見ることができます。周囲には日本軍の戦車や大砲が展示してありました。隣には「おきなわの塔」と「韓国人追念平和塔」があります。合掌。ガイドブックによると、日本人は一等市民、沖縄人・朝鮮人は二等市民、島民は三等市民とされていたとのことです。これが「大東亜共栄圏」の実態ですね。なお後者に行く途中の岩肌に防空壕の入り口があることを、Tinoさんが教えてくれました。
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 さてここから出発点の「マリアナス トレッキング」の事務所に戻ります。途中、左手に掩体壕(飛行機を隠すための壕)を二つ発見しました。天皇制と国家権力を守るためにこの島全体を「絶対国防圏」として要塞化したのだなと、あらためて痛感しました。もちろん島民の意思を問うことなしに…
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-10-27 06:10 | 海外 | Comments(0)

テニアン・サイパン編(13):サイパン(06.8)

 本日は自転車ツァーです。私の行きたい所を満遍なくまわってくれるオプショナル・ツァーが見つからず、これがベターかなと判断しました。送迎の車に乗って、「マリアナス トレッキング」という業者の事務所に連れていかれました。参加者は十人ほどです。まずはグロットです。海水をたたえた鍾乳洞で、海へと抜けられる水中の洞窟が三つあり、そこから差し込む光によって神秘的な色をかもすということです。ここでシュノーケリングをさせてもらえるということも、このツァーを選んだ一つの理由です。車から降り、水中眼鏡・シュノーケル・ライフジャケットを貸してもらい、100段ほどの石段を下りた所にありました。上から見ているだけでも美しい青色に身が震えます、こりゃぜひもぐってみたい。岩の上からドボンと飛び込むと、そこは別世界。壁面にある洞窟から差し込む光が、凄絶かつ妖艶にして深みのある青色をかもしだしています。こんな青は見たことがない! この世に生を受けて三十四年(嘘)、今まで見てきた青は青ではなかったんだあ! 今回の旅行では、水中撮影用のカバーを持ってきたので写真撮りまくり。サイパンに来たらここは必見です。
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 また車に乗りしばらく走るとイスレタ・マイゴ・ファン(鳥の寝る島)、通称バード・アイランドに到着です。石灰岩でできた小島で、たくさんの海鳥が巣をつくっています。対岸の展望台から眺めるだけですが、よーく目をこらすと芥子粒のような鳥たちが飛び交っているのがわかります。アジサシかな。そして他のみなさんは違うコースに行くのでここでお別れです。自転車ツァーに参加するのは言わずと知れた偏屈なわれわれ二人のみでした。そのひねくれ者二人のために、自転車を載せたバンが一台、ドライバー、ガイドのTinoさん(パラオ出身)、自称ボディガード、計三人が付き添ってくれます。採算は取れるのかいな、と心配になりました。まずはラデラン・バナデロ、通称スーサイド・クリフに向かいます。戦争中に多くの兵や民間人が自害をした目が眩むような急峻な崖です。付近には数多くの慰霊碑が建ち並んでいました。
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 青い海原が見渡せるこの絶景の地で身を投じた人たち、捕虜になるよりはと家族や知人を殺害して自らの命を絶った方々、さぞや無念だったでしょう。旅行中に読んだ本の中にこの詩がありました。(栗原貞子 「ヒロシマ消去法」)
死者たちよ 安らかに眠らないでください
石棺を破って たちあがり 飽食の惰眠に忘却する生きている亡者を
はげしくゆすって 呼びさませてください
 人間をそこまで追い詰めた責任と加害者の追及、そしてそうした行為を繰り返すまいとする努力、われわれがこれを怠らぬよう激しく揺すってください。そしてもしあなた方の中に加害者がいたとしたら、その被害者も石棺をけやぶるであろうことも忘れないでください。Tinoさんの話によると、昨年天皇もここに来て追悼をしたそうです。ここから身を投じた死者たちは何と言ったのでしょうか、天皇陛下万歳? それとも…

 本日の三枚は、グロット、バード・アイランド、そしてスーサイド・クリフです。
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by sabasaba13 | 2006-10-26 06:11 | 海外 | Comments(0)

テニアン・サイパン編(12):サイパン(06.8)

 本日は雲がやや多いのですが晴れ、よかったよかった。木々の間から、マニャガハ島を見ることもできます。今日は一日、ホテル前のマイクロ・ビーチでのんびり過ごしましょう。
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 なおこの棟にはマニャガハ・ラウンジという部屋があり、コーヒー・紅茶、新聞、インターネットが用意してあり、毎日利用いたしました。あまり美味しくない珈琲をすすり、無料のビーチ・タオルを二枚借りていざ浜辺へ。このビーチは遠浅でシュノーケリングには向きませんが、海水浴にはぴったりです。美しい白砂と素晴らしい眺望。左にはススペ岬とテニアン島、右にはスーサイド・クリフとマニャガハ島を望めます。思ったより人出も少なく、ゆったりとした気分で海に浸かり、波に遊ばれ、ビキ、もといっ美しい風景を堪能しながらチェアで寝転びました。猫が多いのも嬉しいですね、日本の猫とは面構え・体型が違い精悍な感じを受けます。しばらくすると黒雲がやってきたので、部屋に戻りました。すると山ノ神曰く「タオルを忘れてきちゃった」 行間を読むと「取ってきて」ということなので、外に出ると驟雨沛然、スコールです。しょうがない、ずぶぬれになりながらタオルを取って部屋に戻ると、山ノ神曰く「ありがとう、上からズームで写真を撮っといたよ」 そ、れ、に、ど、ん、な、意、味、が、あ、る、の、だ!
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 さて昼食はホテルの食堂でサンデー・ブランチです。日曜日の昼食には豪華な料理が出されるので、地元の人たちも訪れるとのことです。舌鼓を打ちながら料理をたいらげていると、英語が堪能な山ノ神が隣のテーブルにいた人たちと会話をはじめました。アメリカ国籍の老婦人で、定年退職をした後、サイパンで教員をしているとのことでした。アメリカと違い、こちらでは生徒が敬意をもって接してくれるのでやりがいがあるという話が印象的でした。逆側のテーブルで食事をしていた方は、サイパンに住んでいる中年男性で、いろいろと有益な情報を教えてくれました。小泉軍曹の靖国参拝に大賛成、文句を言うのなら今までしてきた経済援助を返却しろと息巻く姿が印象的。ま、たしかに中国政府には経済援助をしてきたわけですが、肝心の中国の人々への補償や謝罪は不十分だと思いますけれど。
 雨はすっかりあがりました。食休みをして、またマイクロ・ビーチで泳ぎ、部屋に戻って昼寝と読書。極楽極楽。夕食は昨日の徘徊で発見した「金八」、何といってもメンチカツ定食という表示に視線が釘付けとなりました。食した後で一首。金八や 味は可もなし不可もなし 根岸の里の金の欲しさよ

 本日の二枚です。
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 後日談。濡れ鼠になった私を撮影した件について、山ノ神の神意がわかりました。彼女曰く、自分は何て酷い妻なのだろうと猛省してこの事を絶対に忘却しないよう記録に残したそうです。まあなんちゅうか本中華、信じるしかありませんね。
by sabasaba13 | 2006-10-25 06:09 | 海外 | Comments(0)

テニアン・サイパン編(11):サイパン(06.8)

 いまだお天道様は顔を出さないので海には入らず、ホテル周辺を徘徊することにしました。その前にツァー・デスクに行ってオプショナル・ツァーの情報を仕入れましょう。各種パンフレットを検討した結果、明後日に車+自転車で北部をまわるツァー、四日後に南部戦跡をまわるツァーを予約しておきました。さてこのホテルは、サイパン一の繁華街、別名「南洋の歌舞伎町」ガラパンのすぐ近くです。日本語の看板をかかげた食堂・お土産屋・マッサージ店が建ち並んでいますが、歩く人もまばらで閑散とした雰囲気。あまり大きな町ではありません。「FOR RENT」とあるしもた屋も多いので、日本の不景気の影響かもしれません。呼び込みをする(おそらく)中国人・韓国人女性の声が中空に消えていきます。プロムナードの中ほどに「KOBAN(交番)」がありました。日本統治時代の名残でしょうね、こちらでは観光案内所もかねているようですが。祠のような謎の建築も発見、弾痕があるのでおそらく戦争前に日本人が建てた地蔵堂か何かかな。
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 地元民御用達らしき食堂でハンバーガーをいただき、デューティー・フリー・ショップ「ギャレリア」の前を通り、十分ほど歩くと立派なクリスト・ライ教会の現代的な風貌が見えてきます。カトリック信仰が今も生きているのがわかります。その脇には戦争により半壊した古い鐘楼が残されています。
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 この脇道の正面にあるのが砂糖王公園。先述した南洋興発関係の施設があったのでしょう、中央にはこの会社の中心人物で「砂糖王」と称された松江春次の銅像があります。奥には彩帆(サイパン)香取神社、手前にはさとうきび運搬に使われた小さな蒸気機関車が展示されています。道をはさんで日本病院跡の建物がありますが、現在は歴史博物館として再利用されていました。開館時間が終わっていたので見学はできませんでしたが。ガイドブックによると近くに日本刑務所跡があるそうですが見つからず捜索を断念し、ホテルに戻りましょう。
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 消火栓の四隅に鉄柱が建てられているのは、自動車による追突防止でしょう。運転は荒っぽいのかもしれません。ガラパンでは「サイパンダ」のはめこみをゲット。犀の角をはやしたパンダというキャラクターで、もちろん日本人が考えたそうです、やれやれ。それほど空腹ではないので、ABCストアでサンドイッチを買い、夜食にすることにしました。もちろんビールと酒もここで入手。ひさしぶりにバカルディ・ゴールドを飲んでみようかな。
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 部屋でしばし読書、そして氷をもらうために白くて短い円柱形の氷入れを抱えて製氷機のあるところまで二人で行きました。その場所が建物の端にあるので、けっこう長い廊下をてくてく歩かなければなりません。氷を入れた白い容器を両手で抱えて、長い廊下を歩いていると、ん、これは○○に似ているという考えがふと脳裏をよぎりました。いかんいかん、こんなことを言ったらせっかくのリゾート気分がぶちこわしだとぐっと口をつぐんでいると、山ノ神曰く「ねえ」、宿六「ん?」、山ノ神「これって骨壷に似てない?」、谷啓「がちょーん!」、車寅次郎「それを言っちゃあおしまいよ」 こうしてサイパンの夜は更けていきましたとさ。
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 本日の一枚は古い鐘楼近くの海岸からの眺望です。明日天気になあれ。
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by sabasaba13 | 2006-10-24 06:17 | 海外 | Comments(0)

テニアン・サイパン編(10):テニアン~サイパン(06.8)

 一縷の望みをかけたのですが、今日も曇天。出発は昼頃なので、午前中はのんびりとしましょう。荷物を整理していると、傘が見当たりません。もしや昨日、車の中に置き忘れたのでは。ツァー・デスクによって訊ねると、後でドライバーの方が持ってきてくださるとのこと。いやはやまた忘れ物をしてしまいました。自戒自戒。さて出発前にホテル周辺を散策することにしました。実はテニアンにも、スーサイド・クリフがあります。戦争中に、捕虜となるのは恥だという教育・宣伝を受けて、多くの兵・民間人が身を投げた崖です。車で行っても十五分ほどかかるという場所なのですが、テニアンにはタクシーがありません。レンタカーはあるのですが、山ノ神は慣れない海外での運転は拒否。そりゃそうですよね。貸バイクはあるのですが、私も彼女も乗ったことがありません、よってパス。(ちなみにここでは無免許でバイクに乗れるそうです) 貸自転車もありますが、上り坂のうえ珊瑚の破片がしきつめてあるので滑りやすく危険だと諌められました。せんかたなし。海岸ぞいの遊歩道をぶらぶらと歩きましょう。タイド・プールで魚と遊んで、一時間ほど散策。海岸沿いに、ベンチとかまどがある四阿で、島の人々が楽しそうにバーベキューをつくって食べています。こうした四阿をよく見かけました。
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 さてホテルに戻り傘を受け取り港までバスで行き、高速船に乗ってサイパン島へと向かいます。今回はあまり揺れませんでした。天気が良くなる兆候だといいのですが。港では送迎のバスが待っていてくれました。嗚呼ほんとにパック・ツァーはらくちんです。個人旅行でしたら、ここで公共輸送機関の路線を調べたり、係員や地元の方々にいろいろと訊ねたりしなければいけません。ま、それが楽しい出来事や思い出につながるのですが。さて到着しましたのはハイアット・リージェンシー。部屋は六階で、ホテルの庭ごしに海やビーチ、マニャガハ島も望める良い眺望です。ベランダもついており部屋の広さも調度品も合格。これなら快適な日々を過ごせそう。
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 本日の一枚は、テニアンの海辺です。最近座礁してそのまま放置されている船が印象的でした。
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by sabasaba13 | 2006-10-23 06:09 | 海外 | Comments(0)

「「反戦」のメディア史」

 「「反戦」のメディア史 戦後日本における世論と輿論の拮抗」(福間良明 世界思想社)読了。小泉軍曹の靖国神社参拝をめぐる議論で、気になることがあります。日本の加害責任を問う立場からの批判と、戦死者や遺族の心情に配慮する立場からの擁護と、両者の意見がかみ合っていないのではないか。私は前者の立場ですが、後者の心情を切り捨てるわけにはいかないでしょう。どう両者をつなげれば、有効な反戦の語りができるのか。
 この問題を考えるための重要ないくつかのヒントを教えてくれたのが本書です。まず著者は「論理や事実に依拠した公的な意見・政治意識」を輿論、「私的な感情にとどまる大衆的な叙情・情念」を世論として区別します。(もちろん完全に区別できるものではありませんが…) そして前線と銃後、学徒出陣、沖縄戦、原子爆弾による被爆、といった異なる状況の中で、両者はどのように語られてきたのか、またその語りはどのように変容してきたのかを検証しています。方法としては、文学・映画作品(「ビルマの竪琴」「二十四の瞳」「きけわだつみのこえ」「ひめゆりの塔」「長崎の鐘」「原爆の子」「黒い雨」)に対するさまざまな批評群の分析が中心となります。
 反戦の語りが、時代背景や政治的立場によっていかに別なものにすりかわっていくかがよくわかりました。例えば「原爆の子」(長田新編)に対する読売新聞の書評は「こういううったえこそ、世界にむかって日本人のみがなしうるうったえではなかったのか。日本中のおとなにかわって広島の子どもたちがそれをしてくれている」と述べていますが、筆者は被爆体験を当事者から引き離して国民化し、そこに敗戦国日本のナショナリティを読み込むものだと分析します。要するに敗戦によって失った自信や矜持を回復するために「唯一の被爆国」というナショナル・アイデンティティをうちたてたということです。しかしそこからは当事者の個々の体験、そして広島はアジア侵略の基点となった軍都であるという事実、さらに被爆した朝鮮人・中国人・アメリカ人捕虜たちの存在がかき消されてしまいます。さらに現在という時点から言うと、劣化ウラン弾や原子力発電所、ウラン採掘が原因で世界中に「ヒバクシャ」がいるのだという視点もなくなります。

 ではどうすれば有効な反戦の語りができるのか? そのヒントとなるのが、本書で紹介されている、長崎での被爆体験をもち、戦後は原水禁運動に関わってきた岩松繁俊氏の言葉です。長文ですが引用します。
 被害者としての立場をとことんまで追求してゆけば、ふたつの局面にぶっつからざるをえなくなる。ひとつは、他国の被害者との共通性の認識である。そしていまひとつは、いたましい被害者をうみだした加害者の存在への認識である。前者は戦争被害者としての共通認識による国際連帯の自覚であり、後者は被害者認識の極限における加害者認識への意識の転換である。
 世界中の戦争被害者と連帯し、そして加害者を明らかにしてその責任を追及すること。つけ加えるならば、被害者である自分が同時に加害者であったのではないかという自省。これをつきつめていけば、光明が見えてくるような予感がします。少なくとも「我慢だ待ってろ、嵐が過ぎりゃあ」と、まるで戦争を天災のように受け止める感覚をまず廃棄すべきでしょうね。
by sabasaba13 | 2006-10-22 07:59 | | Comments(0)